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神輿も津波で 震災後初の“祭り” 宮城県南三陸町で悲願の復活
宮城県の南三陸町で震災後、初めての地域の祭りが復活します。祭り道具が津波で流された地元の神社に神輿を寄贈した静岡県裾野市の人々も参加。震災以来、開かれなかった祭りに地域の人々も活気を取り戻しつつあります。その様子をジャーナリストの大谷昭宏さんが取材しました。
陛下 退位まであと1年 復興・慰霊の旅続けられ
2019年の4月30日に天皇陛下が退位される。つまり、平成という元号があと1年を残すのみとなったことを意味する。
天皇陛下が退位の意向をにじませたお気持ちを表明されたのは、おととし8月のこと。以来、政府は生前退位についての議論や法整備を重ねてきた。去年6月には一代限りの退位を認める特例法が成立。12月には退位の日を2019年4月30日とする閣議決定をした。年齢からくる体への負担が心配されるなか、陛下は被災者や島の人々を訪問してこられた。去年10月には九州北部豪雨の被災地を慰問。翌11月には屋久島と奄美群島を訪れ、今年3月下旬には沖縄と与那国島を訪ねられた。陛下は来年、85歳で4月30日の退位の日を迎えられることになる。
ウーマン村本×気仙沼市民 復興への思いとは?困惑した支援物資、「頑張れ」が重荷に、復興の道筋へのズレ、障害者が抱える悩みetc.
MC 村本大輔
アンカー 池澤あやか(タレント/エンジニア)
レギュラー
原田曜平(博報堂ブランドデザイン若者研究所)
司会進行 小松靖(テレビ朝日アナウンサー)
ゲスト 乙武洋匡(文筆家、タレント)、古市憲寿(社会学者)
今も7万人以上避難 震災7年 被災地で追悼の祈り
2万2千人以上が犠牲になった東日本大震災から、2018年3月11日で7年になる。住居や道路、鉄路などまちの形は整備されつつあるが、人々の暮らしやコミュニティーの立て直しは道半ば。東京電力福島第一原発事故の傷痕はなお深く、廃炉作業は緒に就いたばかりだ。
復興庁によると、被災者のための宅地を造る「高台移転」は90%、災害公営住宅は93%が完成した。国道や鉄道も100%近くが復旧、再開している。防潮堤は計画の92%で着工し、うち半分近くができあがった。今も約7万3千人が避難生活を送っている。
7年が経ち、インフラを中心にまちの姿が再興する一方、人口の流出に歯止めがかからない。岩手、宮城、福島の3県は震災前と比べて約25万人減少。沿岸部を離れ、別の地で生活を再建する被災者が増えている。観光目的の宿泊者数は3県とも震災前の水準に及んでいない。
原発事故に遭った福島では、4町村で避難指示が一斉に解除され、間もなく1年になるが、帰還者は少ない。農業産出額も回復していない。避難生活に伴う精神的苦痛に対して支払われてきた賠償は、避難指示がおおむね解除されたとして、3月分で終了する。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/03/10/earthquake311_a_23382434/
仮設団地解体で人々の暮らしは 岩手・陸前高田
東日本大震災での死者・行方不明者は、これまでに関連死を含めて2万2000人を超え、今も7万人以上が避難生活を送っています。2018年3月11日、日本を襲った未曽有の大災害から7年が経ちました。今月いっぱいで解体される岩手県陸前高田市の仮設団地の前から報告です。
(坂本拓也記者報告)
陸前高田市の第一中学校です。この仮設団地は震災後、被災3県で初めてできました。150戸の仮設住宅が並びますが、実際に暮らしているのはこのうち約30戸です。この仮設団地は町づくりの進捗(しんちょく)に伴い、今月いっぱいで解体されることになっています。住民たちは、この場所を出ていかなければなりません。町を見ると、山際には真新しい災害公営住宅がその姿を見せています。一方で、新しく作られた高台の中心部は、いまだ空き地が広がっています。まだまだ、町づくりはこれからです。こうしたなか、被災地は11日、追悼の一日になりました。市内の海岸近くではたこ揚げがありました。たこは震災により、この地域で亡くなった人たちと同じ数だけ上げられました。
気仙天旗仙風会・佐藤博会長:「明るくあったかい町になってくれれば」
被災した人たちの暮らしが落ち着くのは、まだ先のことかもしれません。しかし、犠牲者に思いをはせることで「きょうの被災地はまた一歩を踏み出した」。そんな風にも感じることができました。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122654.html
東日本大震災復興願うキャンドルの灯り3600個 石巻で追悼の集い
東日本大震災での死者・行方不明者は、これまでに関連死を含めて2万2000人を超え、今も7万人以上が避難生活を送っています。2018年3月11日、日本を襲った未曽有の大災害から7年が経ちました。午後も追悼式が続いている宮城県石巻市から報告です。
(野口ちひろアナウンサー報告)
「がんばろう!石巻」。この看板は震災の1カ月後に住民たちが「震災に負けない」という思いを込めて設置したもので、石巻の祈りと復興の象徴となっています。午後4時半から追悼の火が灯され、辺りは優しい光に包まれています。浮かび上がるのは「3.11」や「追悼」の文字です。キャンドルの数は全部で3600個。石巻市で犠牲になった人の数です。震災前、この一帯には約1800戸の住宅がありましたが、津波で壊滅的な被害を受けました。この場所は2年後に復興祈念公園になります。このすぐ近くには震災遺構として保存する門脇小学校があり、この周辺は鎮魂と震災の教訓の場として整備が進みます。震災から11日で7年です。こちらでは、追悼の明かりが午後11時まで灯されます。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122653.html
津波到着まで何を?震災7年目の検証 岩手・大槌町
2018年3月11日、復興の様子や7年を迎えた被災地の課題などをお伝えします。町長ら28人が犠牲となった岩手県大槌町の旧役場から報告です。
(相埜裕樹アナウンサー記者報告)
1234人の尊い命が奪われた大槌町です。この旧役場庁舎では地震発生時、約50人の職員がいました。しかし、全員は助からず、28人の職員が犠牲になりました。
地震が起きた後、駐車場に災害対策本部が設置されました。職員はこの場所が危険という意識はなかったと言います。この後、津波がやってきました。
あの日、津波は湾内に入り、漁港や魚市場をのみ込みました。そして、川を逆流し、中心市街地へと押し寄せ、役場庁舎を襲いました。地震発生からの時間は約45分だったといわれています。そして、午後3時26分、津波がこの駐車場を襲いました。津波が迫っていることを知った職員たちは庁舎の玄関へと走ります。津波は、土砂やがれきを巻き込み、黒い壁のように見えたと職員たちは証言します。その後、津波は1階から2階へと高さを増します。2階に逃げた職員たちは屋上へと避難します。しかし、屋上へ上がるはしごの上と下で明暗が分かれました。
町の震災検証は、災害に関する職員の教育や訓練が十分に行われていなかったと指摘しています。大槌町では、新たな町ができ始めています。旧役場庁舎も、解体か保存かこれまで議論がされてきました。町は今月にも解体に関する予算案を提出する予定です。私たちは7年前のこの出来事をどう後世へ伝えていくのか考え続けなければなりません。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122641.html
震災7年の宮城・名取市 復興進むも戻る住民は
将来起こり得る震災に私たちはどう備えればいいのか。東日本で被災した方々の体験をもとに巨大津波の恐ろしさを当事者の目線でお伝えしています。復興の様子や7年を迎えた被災地の課題などをお伝えしていきます。宮城県名取市閖上地区から報告です。
(岩崎心平アナウンサー記者報告)
仙台市の南側にある名取市の閖上地区です。震災前、約5700人が暮らしていたこちらの町は、市の慰霊碑と同じ高さの8.4メートルの津波にのみ込まれました。モニュメントのあるこの一帯はメモリアル公園として整備されます。そして、近くには住民に親しまれてきた日和山と神社があります。
日和山を登り、閖上の現状を見てみます。津波はこの日和山を越えていきました。毎年、こちらの神社では祭りが開かれ、多くの住民の方たちに親しまれてきました。目線に神社が入ってきました。震災の時、こちらに避難された方はいませんでしたが、津波はこの高さまで到達し、神社を押し流しました。今建っているものは、震災の2年後に再建されたものです。
日和山から閖上を見下ろしてみます。かつて住宅地がぎっしりと並んでいた光景はすっかり消え、11日は慰霊のためにたくさんの方が車で訪れてますが、普段は何もないがらんとした光景が広がっています。
しかし、着実に復興が進む様子も見て取れます。名取川の河口の河川堤防が去年12月に完成し、高さは7.2メートルあります。産業の復興も進んでいます。造成が進む一画に水産加工団地が建てられ、9つの会社が地元で取れたアカガイなどを加工しています。
そして、さらに内陸では、造成された住宅地に災害公営住宅などが建設されています。新たな住宅地は津波の被害に遭わないように5メートルかさ上げして作られました。しかし、工事の遅れや津波への恐れなどから閖上に戻る住民は震災前の3分の1ほどにとどまるとみられています。
あの日から7年、復興へ向け、ふるさとは形を変えていますが、閖上は大切な場所であり続けています。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122640.html
気仙沼では津波直後に炎が…竹内アナが見た“7年前のあの日”
気仙沼湾の北側に位置する鹿折地区は7年前、地震・津波・火災、三重の被害に見舞われました。あの日、午後3時半ごろ、町の南側の方角から津波がやってきて海から1キロ以上離れた辺りまで水没しました。さらに、津波から30分も経たないうちに火の手が上がり始めたのです。
高所作業車の上、隣にある2階建て住宅よりも高い地上10メートルの高さにいます。ここからも見上げるほどの炎が辺り一面を覆っていて、10万平方メートルが焼き尽くされました。現在の町の様子をご覧頂くと、工事をしているところもあります。新しい家が建っているのも分かります。
7年前、住民の方に火災はどのように映ったのでしょうか。
ある住民の方が、奥にある国道から火災の様子を撮影していました。それはこの世のものとは思えない見たことのない光景だったと言います。町全体が燃え上がり、これ以上近付くことができなかったそうです。多くの住民の方は、津波や火災が来る前に高台に避難していました。そして、生まれ育った町が燃え上がる様子をただ、ぼう然と眺めていたといいます。
高台に避難してもなお、火災の恐怖は続きました。ドーンという音の後、火柱が上がっています。このような爆発は夜通し続きました。住民の方は、眠れない不安な夜を過ごしたといいます。
そして、激しい炎が上がるなか、逃げ遅れて住宅の2階にいた方がいらっしゃいました。お話を伺いました。
炎のなか避難した岡崎新一さん(71)光枝さん(69):「窓から北を見たら2軒目の家の2階から火が出ていた。絶対ここにいたら死ぬよって言って、なんとか逃げる方法を考えなきゃねって。前の家が(流されて)うちへ近寄ったので、屋根と屋根に押し入れのふすまを渡したんです。2人で押し入れから毛布出して、毛布をかぶって、みんな裸足…靴ないからそのまんま何とかふすま乗り越えて、隣のベランダ2つ3つ越えて行ってあっちこっちぶつけて血だらけになって、そして線路の上の土手に上がっていたんです」
岡崎さんは奇跡的に避難することができましたが、教訓として、地震が起きたらとにかく高台に逃げる。それが津波や火災からの避難につながるとおっしゃっていました。そして、焼け野原となった街。火が完全に消し止められたのは震災から12日後、3月23日のことでした。
「がんばろう石巻」は復興象徴 震災伝える場整備も
東日本大震災の発生から7年を迎えました。これまでに確認された死者・行方不明者は関連死を含めて2万2000人を超えています。被災地では2018年3月11日朝から犠牲者への黙祷が捧げられました。地震や津波で多くの犠牲者が出た宮城から報告です。
(野口ちひろアナウンサー報告)
震災で最も多くの犠牲者が出た宮城県石巻市です。「がんばろう!石巻」と書かれた看板は、震災の1カ月後に住民が「震災に負けない」という気持ちを込めて設置したもので、石巻の祈りと復興の象徴となっています。風もなく温かい日差しのなか、11日は朝早くから多くの人が慰霊に訪れ、県外からも毎年、この日になると必ず来ているという人もいました。
震災前、この一帯には約1800戸の住宅がありましたが、津波で壊滅的な被害を受けました。この場所は2年後に復興祈念公園になります。近くには、震災遺構として保存する「門脇小学校」があり、周辺は犠牲者への祈りと震災の教訓を伝える場として整備が進みます。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122628.html
「死ぬまで忘れない」震災7年 宮城・福島・岩手、被災地で祈りの朝
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴う避難者数は2018年1月末現在、福島県内外合わせて5万534人で、最多の2012(平成24)年時に比べて3分の1以下まで減少した。災害公営住宅の整備が進み、仮設住宅の入居者もピーク時から9割ほど減ったが、多くの県民が避難生活を強いられる状況が続く。原発事故を要因とする震災関連死は増え続けている。高齢者を中心とした体調や心のケア、見守り体制の構築などが一段と求められる。
2月末現在の避難者の内訳は、県外が3万4095人で、県内が1万6426人。近年は県内の避難者減少の動きが加速している。特に仮設住宅入居者は3865人で最も多かった2012年7月の3万3016人の1割にまでに減り、前年同期と比べても3割ほどまでに減少した。災害公営住宅の整備が進んだ上、自主避難者への住宅無償提供の打ち切りなどにより、帰還や新たな住居への移転が進んだとみられる。
2015年9月に避難指示が解除された楢葉町の避難者への仮設住宅や借り上げ住宅の無償提供は今年3月末で終了となる。一方、南相馬、川俣、富岡、川内、大熊、双葉、浪江、葛尾、飯舘の9市町村からの避難者については3月末の期限を2019年3月末まで1年間延長する。このうち、南相馬、川俣、川内、葛尾、飯舘の5市町村の避難指示解除地域は一律延長を今回で終える。今後は避難者個別の事情の把握や住居確保の支援などに加え、住民の交流の場づくりなどが一層重要となる。
原発事故に伴う避難者向けの災害公営住宅は1月末現在、15市町村に整備予定の4890戸のうち、4323戸が完了した。建設中の住宅も3月末までに大半の4707戸が完成する見通しで、事業は大きな節目を迎える。 計画整備戸数に占める完成戸数の割合を示す進捗(しんちょく)率は88・4%で、昨年1月末現在に比べ完成戸数は1295戸増え、進捗(しんちょく)率は26・5ポイント伸びた。福島、いわきの両市以外で計画戸数の全てが完成した。3466戸が入居済みとなっている。最も完成戸数が多いのはいわき市の1288戸、次いで南相馬市の927戸、郡山市の570戸となっている。
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2018/03/post_15857.html
原発見える福島・浪江町 避難解除も住民戻れず
東日本大震災の発生から2018年3月11日で7年を迎えました。これまでに確認された死者・行方不明者は関連死を含めて2万2000人を超えています。被災地では3月11日朝から犠牲者への黙祷が捧げられました。地震や津波で多くの犠牲者が出た福島から報告です。
(高村真央記者報告)
福島第一原発の排気塔を望む福島県浪江町の請戸地区です。浪江町は去年3月、請戸地区を含む沿岸部や町の中心部の避難指示が解除されました。津波による甚大な被害を受けた請戸地区の住民は、高台に集団で移り住む計画ですが、高台の工事が始まるのは今年の秋の予定で、住民が戻ることができる環境はまだ整っていません。
一方、漁港に係留された船など、町内には震災前の光景が戻った場所も出始めています。津波被害がなかった中心部などでは戻って暮らす住民も少しずつ増えていて、浪江町には先月末の時点で516人が暮らしています。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122630.html
福島県 震災と原発事故の避難者が初めて5万人下回る
福島県によりますと、2018年2月末の時点で県内外に避難している人は4万9528人と、この1年で2万7000人余り減りました。ピークだった2012年5月の約16万5000人の3分の1を下回りました。福島県は、避難指示の解除や仮設住宅の無償提供が終わったことなどが背景にあるとみています。避難指示が解除された町や村では、医療や教育の環境などの整備が壁となって帰還が進んでいないのが現状です。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122618.html
名取市・閉鎖される仮設団地 支えあった東日本大震災被災者の想いは
東日本大震災から3月11日で7年です。宮城県名取市の仮設住宅団地が来月末に閉鎖されます。そこは被災者らが支え合って暮らした「第二のふるさと」でした。
桜に囲まれた箱塚桜団地。津波で被災した閖上地区の住民が暮らしています。この仮設団地では孤独死を防ごうとさまざまなイベントを開催してきました。一人暮らしの高橋春子さん(81)。子どもと触れ合い笑顔の一日を過ごしました。しかし、月日は流れ、自宅を再建して引っ越す人が増えてきました。2017年7月、高橋さんも引っ越すことに。抽選で閖上の災害公営住宅に入居が決まったからです。
高橋春子さん:「着のみ着のままで入った時は広いなと思ったけど」
2月26日、集会所で開かれた最後の手芸イベントに高橋さんがやってきました。皆で集まっておしゃべりをする。この時間が仮設暮らしを支えました。
高橋春子さん:「本当に第二のふるさとみたい。皆仲良くして過ごしたから。忘れられないね」
今、この仮設団地に暮らす人は15世帯、20人余り。4月末、桜の花が散るころ閉鎖されます。
「震災復興に全力で取り組む」安倍総理が福島県を訪問
安倍総理大臣:「この道路が被災した沿岸部と内陸部の連携を強化し、『復興まちづくり』につながっていくように引き続き全力を尽くして参ります」
安倍総理は福島県の沿岸部と内陸部を結ぶ相馬福島道路の一部区間の開通式典に出席し、今後も「産業の発展」と「観光交流の拡大」に力を入れて取り組むと訴えました。安倍総理が福島県を訪れるのは2017年7月以来、約8ヶ月ぶりです。3月10日午後には、福島で取れた魚の輸出を進めている漁港や、震災後の新たな事業のロボット開発に取り組む中小企業を視察し、復興の状況を確認します。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000122581.html
「20年、30年先に伝えたい」宮古市の写真家が東日本大震災関連写真展示会
会場には、地元のアマチュア写真家・田沢幸男さん(66)が宮古市を中心に震災直後から撮りためた557枚が展示されています。訪れた人は、久しぶりに目にした地元の惨状を前に足を止めて写真に見入っていました。
田沢幸男さん:「災害は必ず来ると思いますので、20年、30年先に生まれてくる子どもさんたちもいるわけですよね。その時に少しでも命をなくすことがないように伝えていきたい」
写真展は入場無料で、12日の正午まで開かれています。
http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122587.html
102歳男性自殺 「原発事故の避難が原因」福島地裁
東京電力福島第一原発事故の後、福島県飯舘村で自殺した男性(当時102)の遺族が東電に対し、慰謝料など6050万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が2月20日、福島地裁であった。金沢秀樹裁判長は事故と自殺の因果関係を認め、東電に1520万円の支払いを命じた。
遺族側の弁護団によると、原発事故と自殺との因果関係を認めた判決は3例目になる。判決文は、原発事故による避難指示で文雄さんが受けた影響について、「不自由な避難生活を余儀なくされるなど、耐えがたい精神的負担を受けた」とし、自殺との因果関係を認めた。
https://www.asahi.com/articles/ASL2N3TQWL2NUGTB005.html
関連動画:「原発さえなければ」ある酪農家男性の死https://www.youtube.com/watch?v=TaTZQ0jg_uU
現在も約1000人が“仮設” 九州北部豪雨から半年
40人が犠牲となった2017年7月の九州北部豪雨から1月5日で半年となりました。被災地では今も行方不明者の捜索が続いているほか、自宅が被害を受けた1000人以上が仮設住宅などで避難生活を続けています。
豪雨から半年となった被災地では、仮設住宅や公営住宅、民間の賃貸住宅に入居するみなし仮設住宅で避難生活を続けている人が、福岡県と大分県で合わせて1300人近くに上っています。
朝倉市は、住宅を再建できた世帯は27.7%にとどまる一方、豪雨で失業や転職など仕事に影響を受けた世帯は28%に達していて、生活の再建が引き続き課題となっています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180105/k10011279431000.html
震災前の宮古市田老
被災する以前の宮古市田老です。震災から六年目ということで再度アップします。動画の最後に昔の津波が到達した標識が出てきますが、大震災の際も同じ所まで到達しました。
震災直後の岩手県宮古市
蛸の浜から道の駅なぁどへ抜ける道を震災直後に撮影しておいた映像です。震災から六年目という事で再度アップします。
庄野有紀『瞳を彼方に』試聴用サンプル
女優・庄野有紀、待望の新曲!表題曲の『瞳を彼方に』は、震災で離れざるを得なかった故郷である福島県・富岡町への募る想いを、実体験から謳い上げる珠玉の作品です。カップリング曲の『Eternal Voice』とあわせて、どうぞお聴きください。平成28年12月31日(土)東京ビッグサイトにて開催されるコミックマーケット91で発売!(ブース情報=土曜日 西地区 “る”ブロック31a Ayai Factory)
北朝鮮の駅から被災地に向かう復旧列車
朝鮮中央テレビ(2016年10月26日放送)*字幕付き・番組名「勝利のレールを力強く爆走する・・・ハムン鉄道局」・セメントなど物資を被災地に運ぶ貨物列車・フンナム駅舎の外観・ハムン鉄道局長のインタビュー
北朝鮮のキャンプ場で心を癒す被災地の子供たち 他
朝鮮中央テレビ報道(2016年10月24日20時放送)*字幕付き・朝鮮職業総同盟が国に新品の電気機関車を寄贈・洪水に見舞われたファンへ北道の子供たちがキャンプ場で安息の日々
【防災・危機管理塾 #35】被災地におけるボランティアの功罪-秦好子氏に聞く[桜H28/10/6]
古来より様々な自然災害に遭遇しながらも、国土が持つその“宿命”と歴史を十分に認識しているとは言い難い現代日本に向けて、かねてより防災対策とその啓蒙に取り組んできた濱口和久が警鐘を鳴らし、リアルな防災と危機管理、そして国土強靭化の在り方を探ります!
今回は、女性消防士第1期生として活躍され、現在は環境・防災コンサルタントとして被災地支援などにも取り組んでおられる秦好子氏をお迎えし、東日本大震災や熊本地震などでの支援活動で実践なさっている、本質に立脚したボランティア活動の在り方や課題、「ボラバス」などの様々な取り組みについて、お話を伺います。
キャスター:濱口和久・色希
ゲスト:秦好子(元横浜市消防局消防監・一般財団法人防災教育推進協会常務理事)
テーマ:被災地におけるボランティアの功罪
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
自民・務台内閣府政務官の「おんぶ問題」。
自民・務台内閣府政務官の「おんぶ問題」。- 2016.09.11http://blog.goo.ne.jp/sithux7/e/7f2c12cf74e5ed4cacd344c9daf59679務台政務官:おんぶで視察…台風被害の岩泉に長靴履かず(毎日新聞)おんぶ問題に与野党から批判続出 「立場利用した甘え」(共同通信)政務官、被災地の水たまりおんぶされ渡る…謝罪(読売新聞)水たまり務台政務官おんぶ 岩泉視察時、長靴履かず(産経ニュース)水たまりで務台氏おんぶ、岩手 岩泉視察時、長靴履かず(西日本新聞)務台政務官、職員が背負い移動 豪雨被害の岩泉町視察時(日本経済新聞)務台俊介氏おんぶで被災地視察に与野党から批判殺到(日刊スポーツ)
甦れ(LIVE 2012)/HIROMI
沿岸部在住ということで自身も被災した東日本大震災で創作意欲を無くし、やや落ち着きを取り戻した1年後に制作した楽曲。震災後に様々なアーティストが被災者を励ましたり、勇気づけるような楽曲を世の中に発表してきたのに対し、この楽曲は被災地の誰もが抱いたやり場のない怒りや苛立ち、想いをストレートに歌い上げています。伊達なKOB公式ブログ: http://blog.goo.ne.jp/kob-kikaku YouTube公式チャンネル: https://www.youtube.com/user/studioNOYAMAH
コノウタトマレイヒ
ふわりは結構好きモフ・・・一様コスあるんですけどサイリウムワンピのなんでぶかぶかするんでこっちの方がなれてて・・・割と制服は多いほうですねライブ衣装とか水着とか出やすいのはさほどしないロマ
この世を花に(LIVE 2014.6)/伊達なKOB
デビュー曲『この世を花に』のライヴ映像です。この楽曲は非常に人気があり、テレビ、新聞などメディアにも取り上げられました。伊達なKOB公式ブログ: http://blog.goo.ne.jp/kob-kikaku YouTube公式チャンネル: https://www.youtube.com/user/studioNOYAMAH
【防災・危機管理塾 #25】震災の現場の表と裏-村上和巳氏に聞く[桜H28/6/16]
古来より様々な自然災害に遭遇しながらも、国土が持つその“宿命”と歴史を十分に認識しているとは言い難い現代日本に向けて、かねてより防災対策とその啓蒙に取り組んできた濱口和久が警鐘を鳴らし、リアルな防災と危機管理、そして国土強靭化の在り方を探ります!
今回は、フリージャーナリストの村上和巳氏をお迎えし、ご自身も衝撃を受けられたという東日本大震災の被災地をくまなく巡り、取材を重ねられる中で何が見えてきたのか、時間が経つにつれて露わになってくる“陰”の部分や、家屋損壊の判定の難しさ、地震発生直後の人々の避難行動を分けるものなどに触れながら、お話しいただきます。
キャスター:濱口和久・色希
ゲスト:村上和巳(フリージャーナリスト)
テーマ:震災の現場の表と裏
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
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【防災・危機管理塾 #25】震災の現場の表と裏-村上和巳氏に聞く[桜H28/6/16]
古来より様々な自然災害に遭遇しながらも、国土が持つその“宿命”と歴史を十分に認識しているとは言い難い現代日本に向けて、かねてより防災対策とその啓蒙に取り組んできた濱口和久が警鐘を鳴らし、リアルな防災と危機管理、そして国土強靭化の在り方を探ります!
今回は、フリージャーナリストの村上和巳氏をお迎えし、ご自身も衝撃を受けられたという東日本大震災の被災地をくまなく巡り、取材を重ねられる中で何が見えてきたのか、時間が経つにつれて露わになってくる“陰”の部分や、家屋損壊の判定の難しさ、地震発生直後の人々の避難行動を分けるものなどに触れながら、お話しいただきます。
キャスター:濱口和久・色希
ゲスト:村上和巳(フリージャーナリスト)
テーマ:震災の現場の表と裏
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熊本地震被災地動画(ゆっくり付)2
役場周辺の画像です、ようやく危険な建物は瓦礫にされているようですが、いまだに多くの建物が傾いたまま放置されています、大きな余震がおきないことを祈るばかりです。車載動画→sm29290117被災動画その1→sm28811467仮設紹介→sm29568748・地震関連マイリス→mylist/56900544
熊本地震被災地動画(ゆっくり付)
まさか久々の動画投稿がこんなことになるとは思いませんでした、自宅は益城役場から車で5分ほどの所にあり、少し傾き地割れもおこってます、現在は避難所生活、多少落ち着いたので周辺の映像など編集してみました(被害の大きかったのは役場の周辺、堂園地区、安永地区、総領地区、動画に出てくる寺迫地区、町内の熊本高森線を中心とした部分などです、被災動画その2→sm28862955・豪雨後→sm29108477・地震関連マイリス→mylist/56900544