キーワード 柳井市 が含まれる動画 : 127 件中 33 - 64 件目
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海と島 初冬の山口県上関への日帰り旅 「長島上盛山からの上関海峡」
上関上盛山へ海と島を見に行った記録ショート版。本編
柳井市大畠瀬戸の海と柳井 琴石山〜長島の上盛山風力発電風車と山頂展望台〜御汗観音堂〜上関城山(村上水軍の城跡)歴史公園からの景色〜上関港〜上関海峡と大橋〜熊毛半島の阿月
上盛山の駐車場の少し上でで道の工事してました。短めでダイジェスト的に。
柳井市 代田八幡宮!
代田八幡宮に行って来ました!
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偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
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柳井市 茶臼山古墳!
茶臼山古墳の上からの風景!
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柳井 小烏神社!
柳井の小烏神社に行ってきました!
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柳井 稲荷神社!
隠れた名所稲荷神社です!
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柳井 三ヶ岳稲荷大明神!(パワースポット編)
パワースポット巡り!始動!
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維新の先駆者月性(げっしょう)の寺〜「浄土真宗 妙円寺」 と私塾「清狂草堂」 新編集版
寺院の山門の修が復完了したので編集しなおしたもの。サムネ=月性像と妙円寺の在る遠崎の海
幕末の国防(海防)の必要を説き、啓蒙行脚した 浄土真宗僧 月性 号=清狂 は優れた詩人で、 浄土真宗の僧侶であり教育者、革命家の顔をもつ傑僧である。(狂=固定化された常識にとらわれない的な意)
吉田松陰の先駆して、藩内外に国の危機を訴え啓蒙活動した月性は今の柳井市(旧玖珂郡大畠町)にある遠崎地区 真宗本願寺派 妙円寺に生誕した。九州、広島大阪などへ 遊学 漢詩、仏教など様々に学び海外勢力の侵略の危機に早くに気づき活動した先駆者。
嘉永元年(32歳の時)〜安政元年までの七年間 境内庫裏の一角の草堂に時習館(清狂草堂)という私塾を開きさまざまな志士を育てた。漢詩に優れて、詠んだ漢詩は千編を越ええると言われます。
主著は 仏法護国論、清狂吟稿集などがある。当時は勤皇だったようですね本願寺。
農兵隊 構想=士農工商の別なく志あるものによる兵制を説いたのも月性の著作が最初であり、これが後年の、高杉晋作の奇兵隊構想へつながっている。
西の松下村塾、東の清狂草堂と称えられた。
門下 奇兵隊総督の赤禰武人、奥州鎮撫参謀の世良修蔵、真武隊・第二奇兵隊の芥川義天など、浄土真宗で影響を受けたものでは大洲鉄然、赤松連城、島地黙雷・・・などなど
激動の幕末を駆け抜けた勤王真宗僧。
現在の草堂=明治後、生き残った弟子たちが師の三十三回忌に月性和尚を記念のため再建したもの。
注)月性(げっしょう)=長州藩の浄土真宗妙円寺の詩人であり勤皇僧、海防僧とも言われ海上防衛の必要を盛んに説いた先駆者。
ちなみに よく月照と混同されやすいが月照=京都清水寺の勤皇僧で西郷と海上で入水した僧侶。
【周防 安国寺】日照山 高山寺(新春の静かな風景) 臨済宗天竜寺派 第2稿
新春の三が日開山堂が解放されると伺い参詣に。曇天の小雨が時折降る一日だった。
身が引き締まる寒気の中、正月飾のされられた山門〜開山堂へ。
開山堂には焼失まえの周防安国寺(高山寺)の本尊であったと言われる釈迦如来像が安置されている。
写真は遠慮しておきました。格子窓から普段でも遠目には拝見できますが。
釈迦如来の大きな坐像で金箔がありました。その光背は大きく見事なものであった。
左右には阿難陀像と摩訶迦葉像が立っておられた。
伊陸(いかち)は、柳井市の山間部にある集落 祖生と氷室ケ岳を隔てて南側に位置する地域
「高山寺」足利尊氏直義兄弟が各国に設けた、旧周防安国寺遺構である。多くの修行僧、行者の集う相当な大寺だったようですが 今は火災で焼失し(残念です)本堂や山門が再建されています。
由緒や歴史はすこぶる深い。
第2稿で推敲して昨年秋の明るい境内の映像を最後に挿入して終わります。
字幕訂正=タイトル後のところ〜山門や田園が広がる→ ○山や田園が広がる
[ ウサギさんニュース】ちゃっぴぃの部屋 最悪やなユニクロ そしてさよならや
ユニクロ 柳井社長の最悪記者会見 そういうのは中立やないで、中華ベッタベタや。でももう意識的か無意識的か成り行き任せかわからんけど、そっちを選んだんやな、引き返せん道をな。
(効果音・BGM引用)
効果音ラボ https://soundeffect-lab.info/
フリーBGM DOVA-SYNDROME https://dova-s.jp/
※この漫画はフィクションです。
実在の人物や団体などとは関係ありません。
#ユニクロ#ウイグル#強制労働#トヨタ
一度食べたら病みつき!中華そば 洋RUN【犬連れ夫婦旅 周防大島町編①】
動画本編はこちらから
https://youtu.be/KiLEwNe5ChM
■店舗情報■
中華そば 洋RUN
山口県柳井市南町2丁目7
0820-22-8868
食べログ
https://tabelog.com/yamaguchi/A3506/A350602/35008582/
令和三年新春 玖珂 岩隈八幡宮〜岩国城下 吉香神社、白山比咩神社 <岩国市内 三社 巡拝>
正月2日。玖珂総鎮守「岩隈八幡宮」、岩國城下 吉香公園の「吉香神社」、「白山比咩神社」を回った。youtubeのコメントいただいた視聴者さんのおすすめで柳井市の周防安国寺跡の「高山寺」へ行った、帰り道に神社へ巡拝。岩国の神社へ2年ぶりの初詣である。
岩隈八幡宮=元は周東町祖生にあった古社。旧社格 県社玖珂の総鎮守。江戸時代西国街道沿いに遷座。数年ぶりに新たに神主さんが赴任されていました。社務所も開設されています。御朱印もいただけるそうです。
吉香神社=江戸時代建立された 岩国歴代領主を祀る神社。社殿は国重要文化財。社殿の姿がいいです。
白山比咩神社=この辺りで一番古い古社。加賀の白山神社を勧請したもの。昔は大内氏の建立した大寺だった永興寺(規模縮小しているが現存)の鎮守ともされたらしい。現社殿は明治時代再建。城山を背負った社殿の姿はいいですね。
御朱印もいただけます(吉香神社の御朱印もこちらで授与されています・今回は吉香神社をいただいた^^)
吉香公園の神社は年に数回はお参りします四季折々いいです 観光に来られたらお参りください。
また、紅葉谷には吉川氏や大内氏ゆかりの御寺があります。
周防安国寺遺跡 臨済宗 日照山 高山寺と庭園(江戸期築庭のようです) 秋
高山寺は 元応二年(1320年)周防の豪族 理性居士に招かれ棊山賢仙により開山された古刹 賢仙和尚は夢窓国師の学弟にあたる名僧 没後 勅命にて照普済禅師の号を送られた名僧。
室町初期足利尊氏、夢窓国師らが図り南北朝期の戦死者の追善と国家安泰の祈祷場として一國一ヶ寺 安国寺が設置された。周防國では高山寺が充てられた
しかし旧安国寺の建物は江戸時代に記録、寺宝などとともに火災で焼失したそうです。
現在の本堂は平成元年再建。
本堂の御本尊は参拝したとき拝見ましたが千手観音様に見えました?どうなんだろう。
庭園は江戸期のものらしい 柳井市名勝指定。大きなモクセイの木は同市の天然記念物指定。花は9月〜10月らしいですが10月の終わりもうありませんでした。
古 庭園は心字池(今は水は張られていない)にかつては小さな滝組石から落水させ、背後の周防富士〜 氷室がヶ岳を大きく借景にしており大きな空間を生かしてあるようです。今も借景側にはほとんど建物もない(わずか見えますが)ので雄大な感じがします山がいい。植栽が剪定されて水があれば美しいでしょうね。
youtubeでリスナーさんに教えていただいたのですが本堂横の開山堂に釈迦如来像と阿難像などが安置されているのは焼失前の本堂の本尊だそうです。
追記:2021.1.2開山堂(1月1〜3日開放らしい)参拝してきました。釈迦如来像〜端正なリアルな感じの坐像(蓮華座に座して黄金の後背が大きなもの)右が阿難像、左に摩訶迦葉像がありました。リアルな感じの像で鎌倉時代らしいというんでしょうかね。
近くに古くは氷室ヶ岳の八合目あたりにあったという氷室亀山神社があるので合わせて参拝したいものです。歴史もあり小さい神社ですが静かに参拝できます。御朱印の書き置きもありました。
防長路巡り https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
<山口県の神社>周防富士氷室ヶ岳の麓 旧氷室大権現 氷室亀山神社 柳井市伊陸
柳井市の内陸の地域。周防富士と呼ばれる氷室が岳の麓にある氷室亀山神社。
氷室が岳8合目あたりに昔はあったが1500年代くらいに氷室池があった現在地に遷座。氷室池(遷座の後しばらくして埋められてない)
今は静かな田舎の神社。昔は氷室大権現として信仰を集めたらしい。
氷の貯蔵庫の氷室が、氷室がヶ岳にはあったと言われている。創建の伝説では修験道が縁起に関係しているらしいです。
山頂には石のほこらがあります。
氷室神社と亀山神社が合祀されて居ますので現在の社号になっています。天満宮も合祀されており
伊陸天神祭などもあるようです。
今回行くと 御朱印もありました(書き置きですが入れ物の箱に御朱印料を入れておけばおk)
10月24日 行ってきた。5回目?w
<山口県の神社>小早川水軍の後裔 浦氏の奉斎した 阿月 神明宮(東 西二社) 山口県柳井市阿月( Azuki)
阿月は江戸時代に小早川氏の庶流で小早川水軍司令官 浦宗勝の後裔=浦(うら)氏が上関から異動となり阿月領主として治めた所である。
神明宮=浦就昌(なりまさ)により建立された御社。
西神明宮=豊受大神宮を祀る神社(克己堂から少し西側に行った所にある)
東神明宮=天照皇大神宮を祀る(公民館の少し先にある)
神明祭=天照皇大神宮、豊受け神宮の依代20mの御神体(大きな鉾)を東西二本たてて行われる奇祭。一度見てみたいと思っています。所謂とんど(宮中行事の左義長が民間化したもの)と小早川氏の軍神祭が融合したもののようです。
現在は毎年2月11日に行われる(元来は旧正月14、15日であったらしいです)
幕末領主浦氏の開いた〜維新の志士を輩出した私塾 克己堂 跡があり史跡になっている。
克己堂を開いたのは長州藩家老 浦靱負(うら・ゆきえ〜家老・国司家からの御養子である)である。
軍神祭は柳井商工会の観光HPによると〜文禄の役のおり小早川隆景以下浦宗勝などが、伊勢神宮へ祈願をして朝鮮半島へ渡航し、戦いで勝利を得たのでそれ以来始められたとありました。
ちなみに少し北に位置します伊保庄の古社 賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は
第九代 浦元種が願主として寄進したもの。
あと、広島の三原には神明市というのがありやはり町にある神明宮の祭りがあるらしいです小早川隆景時代からのようです。隆景の居城三原城跡もあり小早川氏ゆかりでしょう。
防長路シリーズ〜 https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=pc_watch_description_series
<山口県の神社>石造の参道が美しい 鎮座九百年 旧郷社「賀茂神社」 山口県柳井市 伊保庄( UonoSyou)
周防国旧熊毛郡 伊保庄(うおのしょう)の賀茂神社。
賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は柳井市の重要文化財指定。
阿月の領主=乃美元貞(後の浦元種)が願主として寄進したものという。
本殿は明治時代の再建ながら地元山口県の名工の差配によるもので見事な造りである。
大変趣のある境内で参道の石畳などがよい。神社の向こうに島陰や海も見える。
初秋ながら境内は名残の蝉時雨 聞こえた。
900年前に創建され古社で、京都の賀茂神社の神霊を勧請して奉斎したもの。
由緒=寛治7年宮中の武陵伝の行事〜競馬会(うまくらべえ)が、京都賀茂神社にて催されることになった時に20箇所の荘園が寄進されたがその一つがここ伊保庄。その縁で分祀されたお社。
背後の森は市の天然記念物指定で植物の種も多く大木も多いという。
延喜式内社熊毛神社論社にもなっている、これは当社へ合祀されている古社の祭神が熊毛大神なのでその古社の関係らしいです。
令和2年9月初秋に訪問した。この後 大星山へ向かった。
防長あれこれ〜明治維新史跡〜 阿月「 克己堂」跡と浦氏奉祀の「神明宮 」 山口県柳井市阿月( Azuki)
歴史散策〜伊保庄の賀茂神社の後、夕方に本土から南へ突き出した室津半島 東側の南部にある阿月地区へ。
阿月は江戸時代に小早川氏の庶流で小早川水軍司令官浦宗勝の後裔=浦(うら)氏が上関から異動となり阿月領主として治めた所である。
領主浦氏の開いた〜維新の志士を輩出した私塾 克己堂 跡があり史跡になっている。
克己堂を開いたのは長州藩家老 浦靱負(うら・ゆきえ〜家老・国司家からの御養子である)である。
ただし小学校が立っているので現存するのは表門と浦靱負さんの顕彰碑。
現在は毎年2月11日に行われる 神明祭が有名である(元来は旧正月14、15日であったらしいです)東・西神明宮=皇大神宮、豊受け神宮の依代20mの御神体(大きな鉾)を東西二本たてて行われる奇祭。一度見てみたいと思っています。所謂とんど(宮中行事の左義長が民間化したもの)と小早川氏の軍神祭が融合したもののようです。
軍神祭は柳井商工会の観光HPによると〜文禄の役のおり小早川隆景以下浦宗勝などが、伊勢神宮へ祈願をして朝鮮半島へ渡航し、戦いで勝利を得たのでそれ以来始められたとありました。
ちなみに少し北に位置します伊保庄の古社 賀茂神社にある、県下で二番目に古い在銘石鳥居は
第九代 浦元種が願主として寄進したもの。
あと、広島の三原には神明市というのがありやはり町にある神明宮の祭りがあるらしいです小早川隆景時代からのようです。隆景の居城三原城跡もあり小早川氏ゆかりでしょう。
室津半島シリーズ2 大星山(Obosi Mountain)標高438m 〜山頂からのパノラマ 周防灘に浮かぶ瀬戸の島々 本編
<室津半島シリーズ>山口県の景勝地 大星山山頂からの周防灘に浮かぶ瀬戸の島々景色の本編
展望台からの展望。山頂真下の駐車場からの西側周防灘祝島方面の景色が一番良いです。
主な島〜(祝島、馬島、牛島、長嶋など)
熊毛は古代熊毛王国があった場所。大和朝廷に併呑されるまで栄えたといわれ柳井市内の茶臼山古墳(復元されています)、田布施の後井古墳、熊毛半島の阿多田古墳、神花古墳(女王)、白鳥古墳(山口県最大の前方後円墳)などが集中している。
コメントの・・・大星山山頂にね 動物の像あったねえぇw 思い出したよ^^ 今は荒れてるね。
室津半島 佐賀の海の景色 sm37726335
峨眉山 普賢禅寺(臨済宗)普賢堂 と開山堂 山口県光市室積 令和2年6月
普賢寺(普賢禅寺)は伝では、性空上人開基とされ、境内寺歴の解説によれば一条帝の御代 寛弘3年(1006年)開基。開山は大林玄侑和尚という方らしい。
元は天台宗でのちに臨済宗に代わった古刹です。 御本尊は漁師により海中より引き上げられた象に乗った普賢菩薩像でありその出現のいわれから海難除けの守護仏の寺とされる。ちなみにご開帳は50年に一度だそうです次回は20年後らしい。
普賢堂は豪壮な建物で、まるで神社の拝殿と繋がった本殿見たいない感じに見える大きなもの。
寺伝の伝説では普賢菩薩を拝す願いを持った性空上人が、夢告に導かれ周防國熊毛郡の室積に来て、海中より引き上げられた普賢菩薩像にまみえ、草庵を建て祀り、後に寺院や普賢堂が建立されたというものである。どこまでが史実かは不明。
性空上人の最晩年の史実と寺伝は境内の解説版でも違っておりその辺は不明。実際に上人が来たのかその法門に連なるものか?天台系の僧が開基説話に仮託したものか?
毛利氏の祈願所として御手普請の寺として寺格も高かった。
現山門(仁王門)は寛政十年(1798年)建立で仁王像と楼上には十六羅漢像が安置されるそうです。
2020年6月 再訪。 梅雨の合間に参詣 記録
詳しい方のお話では昔は、周防安国寺だった柳井市伊陸の高山寺の末寺の筆頭だったらしいですね。
普賢寺伝雪舟 枯山水 sm37174525
普賢寺周辺(普賢菩薩対面の松、早長神社、御旅所、みたらい湾) sm37253466
普賢寺周辺〜海商通りと象鼻ヶ岬(2019年) sm35457880
普賢寺(2019年) sm35414670
妙見宮鷲頭寺 (お隣の街〜山口県下松市中市) sm35565588
<柳井地名発祥の寺院> 柳井山 湘江庵と柳の井戸(曹洞宗)
柳井市の白壁の町並みの東にある 湘江庵 柳井の地名伝説の場所で、豊後の長者の娘 般若姫の伝説に基づく。柳の井戸のある古刹。
柳の井戸=伝説の用明天皇の妃として都へ向かう般若姫が船でこの地を訪れたおり、水を所望したそのとき楊枝を指すと一晩で大きな柳に育った説話の故事から柳井の地名発祥の地とされる。初めてお参りしました。
楊枝=柳の枝は呪物として古くは病気の治癒を願ったり呪い(まじない)に用いたと云う。
誓光寺=浄土真宗 元は天台宗の白潟山 西願寺だが、蓮如上人に帰依して寺号を変えて一向宗に変わる。柳井あたりでは真宗の中でも大きな寺。
文芸 俳諧(今で云う連句と俳句)が盛んだったようです。
偕楽庵 理圭坊 句碑(柳井の 蕉風(芭蕉風の連句、俳句)美濃派宗匠で中興した俳人)、野口雨情歌碑、井原西鶴歌碑などあり さすが商業で栄えた所 文化都市の一面も垣間見れる。
<山口県の神社>(延喜式内社 熊毛神社論社) 柳井市伊保庄 「賀茂神社」
山口県柳井市伊保庄 この地は堀河天皇の時代 賀茂別雷神社(上賀茂にて宮中武陵殿の競馬会が行われることになり二十箇所の荘園が寄進されたがその一つ)の荘園とされていたところ。その頃勧請されたのもののようです。防長風土注進には下賀茂から勧請と記載されているそうですが・・・。
熊毛半島(室津半島)の東側 周防大島を望む伊保庄(いほのしょう 古い呼び方だと〜うおのしょう)にある古社。
御祭神 賀茂別雷神 玉依姫 三毛入野命(後年合祀された古社)
旧社格 郷社 延喜式内社熊毛神社論社( 他の論社は高水の大歳神社、勝間の熊毛神社、岩国祖生の岩隈八幡宮)
祭神はもともと祀られた賀茂神に後に三毛入野命(熊毛神)を祀る古社が合祀されたようです。
ここの参拝の見所は、在銘石鳥居〜参道と本殿 明治に再建された建築で姿がいい。実に見事な社殿である。社殿奥の社叢は市の天然記念物指定。
境内も広く明るいので雰囲気も良い。この日は15時くらいに訪問した。周りは田園 昔より家が増えてる気がします。初夏 間近 時々蛙の声がしていました。
境内社に貴船八幡宮がある。
室津半島に賀茂神社は伊保庄や相ノ浦などに計4箇所ほどあるようです。相ノ浦の方はそうとう昔ですが、室津半島の皇座山へ登山の時(登山口が相ノ浦)に参拝したことがあります。
室津半島の西側平生町にある古刹 般若寺の帰りに立ち寄る(賀茂神社参拝が主目的でしたが)参拝は多分3回目かな。普段は人も少ないので静かに参拝でしきます 御由緒も深い神社であります。
朱印の有無は不明(境内に記載はなかった)この後上関寄りの阿月へ向かいました。
2020.4初旬 記録
江戸時代の商家〜白壁の町並み「柳井」その2 商家博物館 「むろやの園」
西日本有数の油商人であった豪商「むろや」のあと=商家博物館 「むろやの園」を見学しました。日本現存町家の中でも最大級で南北119メートル800坪もある。
柳井は江戸時代岩國領で吉川氏の統治下にあり「吉川の御納戸」と呼ばれた港湾と商業のまち。元禄以降の建物が残るエリアは国の伝統的建造物群保存地区指定されており白壁の町柳井とよばれる。
上関へと室津半島が続く柳井水道の海に面した地域である。
金魚ちょうちん=柳井の郷土玩具民芸品で名産。幕末に創始され戦後改良され現在の形に。地元のシンボル的存在の可愛い民芸品。金魚ちょうちん祭りもあるそうです。
商家博物館むろやの園=山口県指定有形民俗文化財。国内最大級の町家遺構。西日本有数の油商小田家(むろや)の屋敷である。
様々な生活道具が残され、文書や陶磁器、掛け軸などおびただしく所蔵されている。
ほとんどが小田家の残したものだそうで壮観である。聞くところでは掛け軸だけでも200本近く残されているそうで鑑定分類などもままならないそうです。
普段は使われなかったという二階の隠し部屋なんか面白かったですよ。
今でも半閑舎(上客用の接客・宿舎)は一階の座敷は茶室になっており今でもイベント時などでは茶席の釜がかかるそうです。
今年は中止かなあ・・・
JR山陽本線柳井駅下車〜歩いて近い。駐車場も多いので車でも便利。
2020 1月(コロナ 恐慌など想像もしなかったですわ) 雨あがりにて
江戸時代の商家が残る〜【白壁の町並み】と金魚ちょうちんの街「柳井」令和二年1月 山口県柳井市金屋
柳井は江戸時代岩國領で吉川氏の統治下にあり「吉川の御納戸」と呼ばれた港湾と商業の街。国の伝統的建造物群保存地区指定の古市、金屋地区の町家が残る白壁の町柳井とよばれる海沿いの地域である。軒先に民芸品の金魚ちょうちんが揺れる町並みを散策。
駅〜麗都路(レトロ)通りを歩き、柳井川の本橋を渡る〜町並み資料館(旧周防銀行跡)〜金屋の伝統建築の町家群の通りを西へ〜甘露醤油の蔵元〜誓光寺、湘江庵(柳井地名発祥伝説の井戸のある寺院)
松島詩子=柳井出身の名誉市民 シャンソンなどをを歌った往年の歌手。第1回紅白に出場計10回出場した。レコード=マロニエの並木路など多数。
町並み資料館=旧周防銀行本店遺構 明治40年建設されたもの。
甘露醤油=いわゆる再仕込み醤油。殿様が「甘露甘露」と絶賛したことからこの名がある。二軒かな?醸造元があったね。
湘江庵=曹洞宗。柳の井戸があり般若姫伝説の舞台で柳井の地名伝説の地。平安時代の十一面観音や如意輪観音のお堂もある。井原西鶴の句碑などもある(西鶴の著 一目玉鉾ひとめたまぼこ〜所収俳句)
「 丸雪(あられ)ふる今朝の嵐の吹き落ちて柳井の底にくたく玉水 」
かつては文化サロン的な場所だったそうです。俳諧、謡曲などなどが催されたとか。
般若姫=九州豊後の真名野長者の娘で欽明天皇の妃として都へ登る途中立ち寄る。航海中周防大島沖で嵐に会い人々を救うため身を投げたとも難破して亡くなったとも言われる伝説の人物。周辺地域だと伝承にゆかりの室津半島の般若寺や周防大島には松尾寺などがある。
誓光寺=創建時は天台宗白潟寺〜西願寺となり〜後に蓮如上人に帰依し誓光寺と改める。周防西部の真宗寺院では寺格の高い寺だったという。境内の句碑は芭蕉の弟子各務支考の流れをくむ美濃派の俳諧師であり(表具屋の経営者)当地柳井の俳諧中興の祖、俳号=偕楽庵理圭坊の辞世の句だそうです。連句や俳句が盛んだったのが伺えます。
金魚ちょうちん=柳井の郷土玩具民芸品で名産。幕末に創始され戦後改良され現在の形に。地元のシンボル的存在の可愛い民芸品。金魚ちょうちん祭りもあるそうです。
<秋の電車旅>山陽本線 瀬戸内の車窓風景 前編 (玖波駅手前〜徳山駅まで行きます)改訂版2
山陽本線電車車窓風景 前編 やや高画質化しました。
山陽本線の海などが綺麗なルート 景色の良さそうなところ動画にしてみました。
前編は 山陽本線 広島県西部宮島口の先大野浦駅を過ぎたあたり
玖波駅の少し手前、(宮島との海峡部分)宮島など海の景色が綺麗に見えるあたりから始まります。
〜玖波〜大竹〜和木〜岩国〜南岩国〜通津〜藤生〜由宇〜神代〜大畠まで
岩国駅を過ぎて大畠駅までは海が見えるところも結構あって景色がよろしい。
神代〜大畠駅間が大島大橋や島々が見えて釣り船が浮かび電車に乗ると一番見どころかな。
乗るたびに見入ってしまいます。
大島大橋の映像追加忘れていたので追加しました。旧大畠町(現柳井市)遠崎からみたものです。
駅で云うと柳井港駅から少し東側あたりになります。
注)今川了俊=室町初期の武将。足利義満に仕えた。九州探題(九州の南朝方征伐の総司令官)でした。
後編(大畠駅〜柳井港〜柳井〜田布施〜岩田〜島田〜光〜下松〜櫛ヶ浜〜徳山)=sm34213951
幕末の先駆者・勤皇僧 月性和尚の跡「清狂草堂」を訪ねて (浄土真宗妙円寺境内 墓所、草堂)旧版 山口県柳井市遠崎
白壁の街柳井市の東端に位置する遠崎地区へ まず遠崎の鎮守 松戸八幡宮へ参拝し妙円寺へ。
松戸八幡から見える景色〜室津半島(大星山や皇座山その先には上関になる)
幕末維新の海防の必要を説き、啓蒙行脚した 浄土真宗僧 月性 号=清狂 は優れた詩人で、一向宗の僧侶であり教育者、革命家の顔をもつ傑僧である。(狂=固定化された常識にとらわれない的な意)
吉田松陰の先駆して、藩内外に国の危機を訴え啓蒙活動した月性は今の柳井市(旧玖珂郡大畠町)にある遠崎地区 真宗本願寺派 妙円寺に生誕した。九州、広島大阪などへ 遊学 漢詩、仏教など様々に学び海外勢力の侵略の危機に早くに気づき活動した先駆者。
嘉永元年32歳の時〜七年間 境内庫裏の一角の草堂に時習館(清狂草堂)という私塾を開きさまざまな志士を育てた。詠んだ漢詩は千編を越ええると言われます。
主著は 仏法護国論、清狂吟稿集などがある。当時は勤皇だったようですね本願寺。
士農工商の別なく志あるものによる兵制を説いたのも月性の著作が最初であり、これが後年の、高杉晋作の奇兵隊構想へつながっている。
西の松下村塾、東の清狂草堂と称えられた。
門下 奇兵隊総督の赤禰武人、奥州鎮撫参謀の世良修蔵、、浄土真宗の大洲鉄然、赤松連城、大楽源太郎・・・などなど
激動の幕末を駆け抜けた真宗僧。
現在の草堂=明治後弟子たちが月性和尚を記念のため再建したもの。
注)
月性(げっしょう)=長州藩の浄土真宗妙円寺の詩人であり勤皇僧、海防僧とも言われ海上防衛の必要を盛んに説いた先駆者。
ちなみに よく月照と混同されているケースがある(かくゆう私もそうでした^^; )
月照和尚=京都清水寺の勤皇僧で西郷と海上で入水した僧侶。
柳井市遠崎 国道188線の近くある 妙円寺と資料展示館。
行った時は多くの志士もくゞったであろう妙円寺さんの山門はまだ修復工事中でした。展示館を拝観しますとガイドの方が懇切丁寧に解説していただけました。映画(展示館二階のTVでDVD再生、無声に弁士の声が入ります映画)は一部しか見られなかったのでまた行きたいです。
修正版。
周防國 旧玖珂郡 「祖生新宮神社、伊陸 高山寺、氷室亀山神社」日帰り参拝の旅
山口県の西 周防(すおう)の旧玖珂郡 を廻りました。周防西部シリーズ
まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどる。
新緑なので旧道を少し車載してます。
「新宮神社」岩国市周東町 祖生(そお)にある古社
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうで その関係で厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。社殿奥は木の伐採や土砂が積んであり工事中のようでした。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
伊陸(いかち)は、柳井市の山間部にある集落 祖生と氷室ケ岳を隔てて南側に位置する地域
「高山寺」足利尊氏直義兄弟が各国に設けた、旧周防安国寺遺構である。多くの修行僧、行者の集う相当な大寺だったようですが 今は火災で焼失し(残念です)本堂や山門が再建されています。 木犀(もくせい)の大木と本堂裏に江戸時代の様式の庭園があるそうです(未見です)
「氷室亀山神社」氷室があったという氷室ケ岳は、周防富士と呼ばれ秀麗な山容で霊峰とされた。 氷室大権現として崇敬された。氷室神社は山の8合目の堂屋敷という場所にあったが、麓の大元の地へ 遷座さらに室町の頃 現在地 氷室池のそばに鎮座した。氷室池は遷座の頃埋められて今はない。
明治以後 亀山神社と菅原神社と合祀され現在の社号となる。
山は細い林道が通り、以前登った時、山頂には石祠が2つかな?いまもある。景色は抜群です。
サムネは周防富士 氷室ケ岳の山容
【VOICEROID車載】されどVOICEROIDはライダーと踊る04【中国地方】
VOICEROIDがバイクでツーリングに行く物語です☆
5日連続で動画投稿ミスしたので初投稿です
やっぱり(頭が)壊れてるじゃないか
2019年4月上旬頃、山口県柳井市から周防大島あたりになります
ようやく、投稿動画を公開設定にしました
ニコニコの仕様とか全然わかんないねんな(池沼)
あと、ハーイッタのアカとかとったけど使い方がね・・・・・・
前→sm34893074 次→ばくおんが完結するまでには
【秋の電車旅 JR山陽本線 瀬戸内の車窓後編】柳井市=大畠駅〜周南市=徳山駅まで
山陽本線電車車窓風景 後編 サムネは、夕暮れの大畠駅あたり
大畠駅〜徳山駅へ向かいます
〜大畠〜柳井港〜柳井〜田布施〜岩田〜島田〜光〜下松〜櫛ヶ浜〜徳山
大畠〜柳井間 光〜下松間は海や島がいいですね。
元来は岩徳線側(距離が短い)が本線でしたが沿岸部の町が発展し海側のルート出来本線化しました。
徳山までは1080円くらいで岩徳線のお値段に合わせてあり(下松駅で下車しますと高くなります)
のどかな風景や美しい海、工業地帯いろんな顔見せます。
徳山=旧燃料工廠があり出光の工場や化学工場などがある。古くは毛利家の支藩徳山藩でもありました。
日露戦争の参謀長で台湾総督児玉源太郎の故郷でもありあます。古社遠石八幡宮や児玉神社などもありまた動物園もあったりします。商店街は寂れてしまっています。
電車は、大畠駅を出て柳井まで行くここら辺は海なども見えて景色もよろしいです。
柳井〜田布施〜島田までは内陸部を通る。
光駅〜下松駅あたりも海やが見えて景色がいいですね。
徳山駅は新しくなりツタヤとコラボした民間委託の図書館ができている。スタバもできました^ - ^
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前編は 山陽本線 広島県西部宮島口、前空〜大野浦を過ぎたあたりの家の少ない玖波駅へ至る宮島など海の景色が綺麗に見えるあたりから始まります大島大橋の手前がいい景色です。
〜玖波〜大竹〜岩国〜南岩国〜藤生〜由宇〜神代〜大畠まで
前編 手直し終わりやや高画質化して再うPしました(海が綺麗です) sm35982786
車載シリーズ https://www.nicovideo.jp/series/27367?ref=user_series
【ゆっくり】徒歩で日本一周part418【柳井→岩国】
今日は柳井の重伝建を見てから岩国まで歩いてましたー明日には広島県入りします!(予定は未定)
※最初に日数19日になってるけど正しくは20日です、すまん
本日のルート → https://drive.google.com/open?id=1hfQwu8NyQeg_dgCPbdPo2R_BtLZwvfO0&usp=sharing
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山陽地域のルートです → ar1683831
徒歩で日本一周のマイリスト→ mylist/58410823
徒歩で日本一周番外編のマイリスト → mylist/59556268
前作「鉄道で日本一周」のマイリスト→ mylist/37605489
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