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ツヒンヴァリ市内で小休止中のグルジア軍部隊
つべより転載。2008年8月8日の朝ごろ、ツヒンヴァリ市内で小休止中のグルジア軍部隊。恐らく第4旅団の兵士が携帯で撮ったものだと思われる。兵士らのそばにはトルコ製の装甲車「コブラ」が何台か止まっており、背後の建物の内部は炎上している。なお、つい最近グルジア議会が「5日間戦争」について調査した結果をまとめた報告書は、グルジア側の戦争計画や具体的な戦略の杜撰さ、グルジア軍自体の練度の低さなどを正直に認めてはいるものの、それらの責任は全て国防相や参謀総長に押し付けられている。つまり、サアカシュヴィリには何ら責任は無いということ。笑止。参考;http://www.eurasianet.org/departments/insight/articles/eav122708.shtml
2008年8月8-9日頃、ツヒンヴァリ郊外の陣地で戦うグルジア兵
つべより転載。説明が無いので詳しい情報は不明だが、グルジア兵自身が携帯で撮ったものだと思われる。
アル・ジャジーラ:「独立国家・南オセチアの現状2」
つべより転載。2008/12/17、アル・ジャジーラで放映された南オセチアの現状についてのドキュメンタリーで、sm5589267の続きです。この後半部分では、南オセチア内のグルジア系住民の問題に焦点が当てられています。第二次南オセチア紛争=ロシアとグルジアの軍事的衝突と思われがちですが、より深刻な問題は現地のオセット人とグルジア人の間の紛争が十数年ぶりに再燃してしまったことです。壊走するグルジア軍に見捨てられたグルジア系住民は、その大半がオセット人民兵から逃れて難民とならざるを得ませんでした。残ったのは逃げられなかった老人のみであり、村々は当初は民兵、後には近隣の住民による略奪と破壊により、荒廃しています。
アル・ジャジーラ「独立国家・南オセチアの現状 1」
つべより転載。2008/12/17、アル・ジャジーラで放映された南オセチアの現状についてのドキュメンタリーです。現時点でロシアとニカラグアの二国しか承認していない独立国家・南オセチアですが、アル・ジャジーラの取材班はそれがいかに財政と安全保障の面でロシアに依存しているか、また、国際的な支援が専らグルジアにむけられ、この地の一般人がいかに困窮しているかなどを明らかにしていきます。ちなみに、南オセチアのロシアへの依存は1990年代以来のことで、今に始まったことではありません。ただ、政府の閣僚にロシアの役人が入ってくるなど依存がさらに強まったのは、2004年にサアカシュヴィリが軍事紛争を再燃させたからだと言われています。続き:sm5620191
グルジア軍による待ち伏せ攻撃、成功の瞬間
つべより転載。2008年8月の第2次南オセチア紛争において、首都ツヒンヴァリに向けて南下中であったロシア軍第58軍の隊列は、その郊外でグルジア軍の待ち伏せ攻撃に遭遇。司令官が負傷するなどの損害を受けた。その瞬間の映像。おそらくロシア兵が撮影したものだと思われる。この攻撃の成功は、5日間にわたる戦闘でのグルジア陸軍唯一の戦果であり、グルジアのメディアでは派手に報道された。また、作戦を実行した第4旅団は「英雄」として祭り上げられ、それを題材としたTV番組も作られた。ちなみに、この旅団が南オセチアのグルジア人やゴリの防衛を放棄して逃げたことや、現地解散となった予備役兵らの悲惨な運命については報道管制が引かれ、報道されなかった模様。
プロパガンダ耐性トレーニング用動画
一時期つべで流行っていたプロパガンダ動画です。結局、「止めるならまず自分とこの大統領を止めろよ!」というオチだったわけで......。
アル・ジャジーラ:グルジア在住オセット人の置かれた状況
つべより。2008年9月に放映されたアル・ジャジーラ製作のドキュメンタリー。グルジアには、歴史的に南オセチア以外にもオセット人が集住している地域は多々あります。彼らはグルジア人と通婚している場合も多く、1990年台に南オセチアをめぐる紛争があった後も概ねうまくやってきたのですが、それが今回の紛争で南オセチアから大量のグルジア系住民が追放されたことで、かなり微妙な立場に置かれているのです。なお、後半に登場する大臣のように、グルジア政府で働くオセット人は何人かいるのですが、彼らは南オセチア内の権力闘争に敗れた元高官が多く、南オセチアでは「裏切者」と呼ばれて戦前から人気がありませんでした。
プーチン、サアカシュヴィリについて語る
つべより転載。2008年12月4日、ロシアの国営放送ではプーチンが生放送で国民の疑問に答えるという恒例の特番が放映されましたが、その中で、8月にグルジア紛争の件で仏大統領サルコジと会見した際に発した「サアカシュヴィリの睾丸を縛って吊るし上げてやる!」という発言は事実か否かと(婉曲的にですが)尋ねた視聴者がありました。それに対する答えがこの部分です。質問自体にはユーモアで応じつつ、グルジア紛争の開戦責任はグルジアの現政権=サアカシュヴィリが負うべきこと、アブハジア・南オセチアとグルジアの再統合は有り得ないこと、そうした事態をもたらしたサアカシュヴィリはグルジア人自身の手で裁かれるべきこと、などを淡々と語っています。対するサアカシュヴィリの言い分についてはsm5492407参照。
アル・ジャジーラ「サアカシュヴィリの独占インタビュー」
つべより。カタールのTV局アル・ジャジーラが2008年12月4日に放映した、グルジア大統領サアカシュヴィリへの独占インタビューです。同局のキャスター、ジェイン=ダトンが聞き手をつとめていますが、番組ではサアカシュヴィリが一人で自分の言いたいことを喋りまくっているだけなので、実質、独演会みたいなものですね。自らが引き起こした戦争により、NATOへの仮加盟とでも言うべきMAP(加盟行動計画)加入が認められなかったことについては、「NATOはあんな過去の遺物なんか関係無しに、直に入れてくれるはずだ」みたいな滅茶苦茶なことを言っています。つべのコメント欄は、投稿者の国籍に関わらず、「嘘吐き!」とか「まだ吊るされてなかったのか?」みたいな罵倒と揶揄で溢れていました。参考:sm554085
在りし日のグルジア沿岸警備隊
つべより転載。在りし日のグルジア海軍・沿岸警備隊の訓練風景です。近年、サアカシュヴィリ政権の下で増強された沿岸警備隊は、アブハジア沖で操業中のロシア漁船を「領海侵犯」の名目で拿捕、乗組員を裁判にかけてあちらの物価水準からすると莫大な額の罰金(一人あたり3000~5000$くらい)を巻き上げるなど、李承晩時代の韓国のそれみたいな強気な活動をしてきましたが、2008年8月13日、グルジア海軍の本拠地ポティ港を制圧したロシア軍部隊によって警備艇の大半を撃沈され、このように→sm4672663なってしまったのでした.....。
サアカシュヴィリ狙撃事件の真相
つべより転載。ロシアの国営第一チャンネルが2008/11/30に放映したドキュメンタリー。最近のサアカシュヴィリの政治的立場の急速な悪化と、そんな中で南オセチアとの境界線付近で発生した、ポーランド大統領をも巻き込んだ謎の“狙撃事件”(2008/11/23)。番組では両者の因果関係を追っていきますが、端的に言えば、結局その事件はサアカシュヴィリが苦しまぎれに起こした、自演に近い茶番だったらしい。事件を調査したポーランド国内保安局も「グルジアの自演」との報告書を出し、その内容は現地の新聞でも報道されました。それにしても、グルジア側の仕掛けは穴だらけだったようです。http://www.polskieradio.pl/thenews/foreign-affairs/?id=96704
サアカシュヴィリ、開戦責任を認める(2008/11/28)
つべより転載。ロシアのTV局「NTV」が、2008年11月28日、グルジア議会が開いた8月のグルジア紛争に関する公聴会において、サアカシュヴィリが自らの開戦責任を認めたことを短く報道したものです。実際の発言は数時間に及んだようですが、この点以外に関しては「ロシアの侵略と、グルジア人地域への砲撃を阻止するには他に選択肢は無かった」等、従来と変わらぬ公式見解を繰り返し、また戦争犯罪については第三者の調査に委ねるべきだとしています。要するに、欧米メディアによる批判の中でも誤魔化しきれない一部だけ認めることでダメージを最小限に抑え、どうにか政権を維持しようという魂胆のようですね。しかし、いつまでもつのやら。
グルジア紛争が題材のロシア製ゲーム「対立‐平和の強制‐」の紹介
つべより転載。来月から販売されるという、ロシアのゲーム会社が作ったグルジア紛争をネタにしたシュミレーションゲーム「対立‐平和の強制‐」についての報道です。「平和の強制」というのは2008年8月にロシア軍がグルジアに侵攻した時に、実際に用いられた作戦名ですが、このゲームの場合は西側の「某国」から支援されたウクライナがクリミア半島のセヴァストーポリにあるロシア海軍の基地を封鎖、同じくグルジアも南オセチアへの侵攻を開始したために、ロシア軍が反撃を余儀なくされると言う、実に生々し過ぎる「架空」の設定となっています。番組に少し出てくるタイトル画面によれば、プレイヤーは「NATO/グルジア軍」か「ロシア軍」のいずれかを選べるらしい。
元駐露グルジア大使、開戦当初の内幕を暴露
つべより転載。2008年11月25日、グルジア議会により南オセチアでの戦争の実相究明のため開かれた公聴会において、参考人として召喚された元駐露グルジア大使、キツマリシュヴィリは「戦争を始めたのはグルジア側である」と主張し、さらに「サアカシュヴィリとその取り巻きは5月にアブハジアを、7-8月に南オセチアに侵攻する計画を立てていた。一方的に米国の支援を宛てにし、それがあればロシアは積極的に介入しないとの楽観的な予想をしていた云々」と当時の指導部の内情を暴露しました。この模様がTVで中継されたことで、グルジアの世論は現在大騒ぎになっています。http://www.google.com/hostednews/ap/article/ALeqM5itefRLYb9OvXIY84r-iHHUPY_6pQD94MKC6G0
サアカシュヴィリ狙撃さる?(2008/11/23)
つべより転載。11/23の南オセチアとの境界線付近でのサアカシュヴィリとポーランド大統領カチンスキらの車列に対する「狙撃事件」についてのグルジアのTV報道。ただ、「狙撃」とは言っても、実際に車が狙われたかは不明で、単に一行が自動小銃の「銃声」を聞いただけに過ぎません。さらに犯人がロシア兵だという根拠も、カチンスキの「銃声とともにロシア語が聞こえたw」という怪しい証言だったりします。ちなみに、自らの立場が悪くなると敢えてロシアとの紛争を起こすのはサアカシュヴィリの十八番です。追記:ポーランド側の公安機関の調査の結果、「狙撃は無かった」との結論が出た模様。その中にはグルジア側の警備が怪しかったとの情報もあり。http://www.pr-inside.com/report-shots-not-attempt-to-kill-r939814.htm
アブハジアの切手
つべより転載。これまでアブハジア共和国で発行された切手を集めたものです。ただ、現在のアブハジアでは郵便制度は機能していないため、これらは事実上「記念切手」としてしか使われてなかったりします。なお、アブハジアではロシアの通貨ロシア・ルーブルが使われているため、切手に書かれている数字は「~ルーブル」ということになります。その下の単位はコペイカ。
強気なサアカシュヴィリvs逃げるサアカシュヴィリ
つべより。前半は2007年10月末、アブハジアとの停戦ラインでの紛争でロシア平和維持軍に食ってかかるサアカシュヴィリ。そもそもこの紛争は、グルジア政府が2006年に停戦ラインから1kmも離れていないガンムフリ村に青少年用の「愛国キャンプ村」を作ったことに起因します。紛争の火種になるという事で、国連から撤去を勧告されても無視。その翌年に案の定、平和維持軍がこの施設にいた警官を拘束する事件が起きると、即座にメディアを引き連れて現地に飛び、自分が勇ましく抗議する姿をTVで全国放映させます。丁度この時期、首都ではまさに反大統領デモが盛り上がりつつありました。今回の狙撃事件(2008/11/23)も、背景は同じでしょう。トラブルはトラブルで解決‐それがサアカシュヴィリという男です。後半の説明は省略。
2008年8月8日、夜明け直後のツヒンヴァリ市街
Liveleak.comより転載。元はロシアのサイト(http://mreporter.ru)に投稿されていたもので、そこに付けられていた説明によれば、2008年8月7日の深夜から一晩に渡って続いたグルジア軍による無差別砲撃から一夜明けたツヒンヴァリ市街とのこと。撮影者は団地の上のほうの階から携帯で撮ったらしい。市内の各所で爆煙が上がっている。
グルジア軍のPR番組(家族への手紙編)
つべより転載。グルジアのTVで流れている軍のPR番組のようです。入営した兵士からその家族に便りが届き、それによると「俺はNATO水準の恵まれた兵舎で過不足無く暮らしている。心配は要らない...」みたいな感じなんでしょう。ここに出てくるのはゴリかセナキの陸軍基地かと思われますが、PCなどの備品類は2008年8月の戦争の際に全て露軍に持っていかれた模様。それと、実際のグルジア軍は食糧事情が悪かったり新兵の虐待がひどかったりで、兵士の脱走が相次いでいたという話もあります。ソース→ http://www.cacianalyst.org/?q=node/3590
イスラエル製クラスター爆弾を使用するグルジア軍
つべより転載。2008年8月の南オセチアでの戦争で、ロシア軍がクラスター爆弾を使用したのは既に広く知られた事実ですが、実はグルジア軍の側も大量に使用していました。この映像でグルジア軍が使っているイスラエル製のロケット自走砲「MK-4 GRAD LAR-160」のロケット弾には、数十発の「M85」子爆発体が内蔵されていたとのこと。なお、人権監視団体Human rights watchの調査によれば、その一部は何故かグルジア人の村に着弾し、最低でも3人が死亡していたそうです。これに対し、グルジア当局は「我が軍のクラスター弾は不発の時は自壊するような安全装置付き!断じて違う!」と反論。でも収集された不発弾にはそんな機能は無かったそうで...なお、sm4743414はこれの夜間版。ソース→http://www.iht.com/articles/2008/11/05/europe/06cluster.php 参考sm5473134
トルコで起きた南オセチア/アブハジアの独立承認を要求するデモ
つべより転載。2008年8月27日、トルコのイスタンブルで行われた、トルコ政府に対し南オセチアとアブハジアの独立承認を求めるデモの模様。19世紀、数十年に渡って帝政ロシアと戦った北カフカスの諸民族が当時のオスマン帝国に追放された関係で、今のトルコにはその子孫が数百万単位で住んでいます。「チェルケス人」と総称される彼らは言語的にはトルコ化していますが、独自のアイデンティティを持っており、チェチェン紛争の時はチェチェン人を、一連のグルジア紛争においてはオセット人とアブハズ人をそれぞれ支持する人が多かったと言われます。今年8月のグルジア紛争はロシアとグルジアの対立と面にばかり注目されますが、その中間にある彼らにとってみれば、グルジアもロシアも同様の地域大国なのです。
PBS製作のドキュメンタリー「独立を求めるアブハジア」
つべより転載。米国のTV局PBSのニュース番組「The NewsHour with Jim Lehrer」で、2008年8月21日に放映されたアブハジアについてのドキュメンタリー。事実上「ロシアの傀儡」とみなされがちなアブハジアですが、ロシアとの統合を求める南オセチアとは違って、こちらの方は元々独立志向が強かったりします。その背景には、19世紀にアブハズ人の先祖らがチェチェン人らとともに数十年にわたって帝政ロシアと戦い、大幅に人口が減少したという歴史がありました。ただ90年代の紛争では、自治を認めないグルジア中央に対抗するために、ロシア系やアルメニア系住民らと同盟して「独立戦争」を展開することになります。ちなみに、戦前の人口比率はグルジア系と非グルジア系が半々、アブハズ人はその中で17パーセントほどでした。
BBCによるグルジア軍の戦争犯罪の検証 2
つべより転載。sm5156346の続きです。イギリスでこの番組が放映されたその当日に、グルジア大統領サアカシュヴィリは首相を解任。その何日か後には軍の参謀総長を更迭。どうやら敗戦や戦争犯罪の責任を全て彼らに押し付けることで、政権を維持する腹積もりのようです。しかし、この「戦争犯罪」の件は欧米メディアの各所に飛び火しつつあるようなので、日本のメディアでも、その内言及されるかもしれません。果たして最大のパトロンであったブッシュや共和党ネオコンの面々が退場した後の、サアカシュヴィリの運命やいかに?
BBCによるグルジア軍の戦争犯罪の検証 1
つべより転載。2008年10月28日、BBCのニュース番組「News night」で放映された第2次南オセチア紛争についてのドキュメンタリー。BBCが南オセチアで独自に行った取材と停戦直後にこの地に立ち入った人権団体の情報をもとに、事実上、グルジア軍による残虐行為があったことを認める内容となっています。まあ、西側メディアのこれまでのグルジア一辺倒の報道の方が不自然だったわけですが、それがいきなり姿勢を変えたというのは、実はサアカシュヴィリに対する「用済みフラグ」ではないか?との話もあります。しかし、日本のマスコミからスルーされてるのは何故なんでしょう?続きはこちらで→sm5191332
ツヒンヴァリに進軍するロシア連邦第58軍
つべより転載。待ち伏せ攻撃を排しながら、南オセチアの首都ツヒンヴァリに向けて南下中のロシア連邦第58軍。撮影者は従軍していたロシアのTV局「NTV」の撮影班で、この映像自体はニュースに加工する前の素材だと思われる。
グルジア軍敗走の跡
つべより転載。2008年8月10~12日ごろ、夜間にツヒンヴァリ~ゴリ間の道路を走るジープらしき車の中から、ロシアのTV局「NTV]の取材班が撮影した沿道の風景。そこかしこにグルジア軍の戦車や軍用車が乗り捨てたままになっており、グルジア政府言うところの「撤退」が実際には「壊走」以外のなにものでもなかったことが見て取れる。
制圧直後のゴリのグルジア陸軍基地
つべより転載。2008年8月、ロシア+南オセチア軍が制圧した直後の在ゴリ・グルジア陸軍基地の映像。ここに駐屯していたグルジア軍部隊は防衛を放棄してトビリシ方面に逃げており、事実上の「無血占領」だったらしい。このゴリの陸軍基地は米国の支援の下、南オセチア攻略の拠点としてつい最近完成したもので、前半部分に出てくる作戦演習用の巨大なジオラマはそれを物語るものである。そこで再現されているのは南オセチアそのものであり、グルジア側の町・村は「青」、オセット人側のものは「赤」と詳細に色分けされている。最も大きい町が南オセチアの首都、ツヒンヴァリ。後半に出てくるのは弾薬箱の山で、説明書は英語で書かれている。
南オセチア第二の都市、ジャヴァを爆撃するグルジア空軍のSU-25
つべより転載。2008年8月8~9日ごろ、南オセチアのオセット人地域で二番目に大きな町(というか村)、ジャヴァを爆撃するグルジア空軍のSU-25。ジャヴァは南オセチアの首都ツヒンヴァリとロシア領北オセチアを結ぶルート上の要地だが、戦略的重要性はさらに北にあるルク(ロキ)峠のトンネルの方がはるかに高い。というのも、ここが大カフカス山脈で隔てられたロシア‐南オセチア間の唯一の連絡路であるためで、これを破壊すればロシア地上軍の南進を遅らせることができたのだ。実際、グルジア参謀本部はここも攻撃するつもりだったようだが、できなかった。なぜなら、そこまでの空軍力は無かったから。普通に判断力のある人間なら、それが分かった時点で開戦などしないと思うのだが....。
南オセチアに出現したチェチェン人の特殊部隊「ヴォストーク大隊」
つべより転載。第二次南オセチア紛争に従軍中のチェチェン人の特殊部隊「ヴォストーク大隊」。1990年代半ばの第1次チェチェン戦争の際、彼の地には伝統的な氏族組織に根ざした大小さまざまの軍閥が出現したわけですが、第2次のそれでは独立派と仲違いして寝返る勢力が現れました。この「ヴォストーク大隊」も元々はそうした軍閥スリム=ヤマダーエフの私兵で、ロシアに下ってからはロシア連邦軍のGRU(参謀本部情報総局)直属の特殊部隊として、逆に独立派を血祭りにあげるようになります。今回の紛争で投入されたのは、恐らくグルジア軍がゲリラ戦を展開した場合、これを掃討するためだったと思われますが、結局、出番は無し。兵器や物資を鹵獲しただけでした。
アブハジア独立15周年を祝う軍事パレード
つべより転載。2008年9月30日、アブハジアの独立15周年を祝って首都スフム(スフミ)で行われた軍事パレードの映像。ロシアによる独立承認はその一ヶ月前くらいの話ですが、実は1993年に「独立戦争」に勝利して以来、アブハジアにはグルジアの実効支配は一切及んでいません。後半の方で献花が行われている慰霊碑は1992~93年の「独立戦争」の際のもの。この戦争はまさに総力戦で、犠牲者の数も難民の数も今回の南オセチア紛争とは比較にならないほど膨大なものでした。なお、首脳らが立っている雛壇の背後に見える建物はソ連時代のアブハジア自治共和国の政治庁舎であり、「独立戦争」の際はグルジア人勢力最後の砦として総攻撃を受け、炎上。今でも廃墟のままになっています。
ロシアによる南オセチア独立承認を祝うツヒンヴァリ市民
つべより転載。2008年8月26日、ロシアによる南オセチア独立承認を祝うツヒンヴァリのオセット人たち。祝い事があった時に銃を空中に向け撃ちまくるのは、この辺から中東諸国にかけては一般的です。