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善養寺(江戸川区) 影向の松
都の天然記念物。日本の名松、東の横綱。
2008 年に訪問したときに作ったスライドショー・ムービーを、YouTube からニコ動へ移動させました。
巨樹 - 内海のアコウ(宮崎県宮崎市)
宮崎県宮崎市内海にある、野島神社のアコウです。国の天然記念物。2007 年末にはじめて訪れ、2014 年始に再訪しました。
〜巨樹の風景〜 県天然記念物「津田の大カヤ」巨樹 広島県廿日市市津田 真幡(まはた)神社内
佐伯地区の津田にある真幡神社の社殿に傘を差しかけたようにそびえる御神木。
たまに行きたくなる。久しぶりの参拝記録。
樹高35mもある常緑針葉樹カヤの巨樹。県下同種で最大の木である。
モミに似ているが葉の先や果実の形状がが違う(もみの木=葉は先が割れ、果実は球形)
カヤの木は用材としては碁盤や将棋盤に用いられることが多い木でもある。
また、カヤの木の実は、楕円形で果実は鮮やかな緑の肉質の仮種皮に覆われているが熟すと紫褐色となる。熟すと割れて種子を落とすようです。
種子=食用になり アク抜きをして そのまま炒る、餅につき込みなどなどして食すようです。
また油が多いので、昔は灯火用の油(灯明)や食用油などに使われたといいますが見たことはないですよね。探偵ナイトスクープでお寺に保存された油で天ぷら?したのを見た記憶がある(曖昧だけど)
カヤの実、自体をあまり見る機会がないので初めて見ました。綺麗な色をしている。
2021 真夏
*文化財の詳細は県の広島大百科サイト津田の大カヤの項を参照しています。
【広島県の神社巡り】 筒賀(筒賀)大歳神社の大銀杏と大瀛(だいえい)和上生誕地 安芸太田町筒賀
安芸太田日帰り散策の2 筒賀大歳神社=昔、鶴のお陰で耕作に良い土地が見つかりそこの大銀杏に祠を建てたのが始まり。落穂大明神ともいわれたお社で治承年間(1177~80年)頃の創建 だそうです。
御祭神は天真鶴の命 以上広島大百科HP参照
大銀杏=樹齢1000年以上の御神木。
後半
浄土真宗の偉人です。
大瀛和上(だいえいわじょう)=浄土真宗の学僧で芸轍(げいてつ)浄土真宗安芸学派の指導者的存在の僧侶。江戸時代に起こった本願寺の大事件〜三業惑乱事件で活躍した人。
真宗を異端説から守った学僧である。真宗=自力の心を振り捨てての絶対他力ですからね。
安芸太田町筒賀の出身でありその最初に修行(学んだ)寺も今も残る。また分骨の墓所が設けられている。
注釈 三業惑乱事件〜江戸中期、本願寺の学林で三業安心説が唱えら=三業(身、口、意)により阿弥陀へ帰命すると救われるとする説に対し、自力的な教説であると古義派(芸轍の代表大贏〜だいえい〜)など在野の学僧が大論戦し僧、門徒を含め揉めて流血事件まで起きたたと云う最後は幕府介入により論争が江戸で行われ古義派が勝利し異安心は退けられた。
本願寺は100日の閉門処分を受けたと云う。また関係した何人もの僧が遠島処分や牢獄で拘留中で亡くなるなどした。 wki記事による。
山口県天然記念物 宇佐 八幡宮「大スギ群」 岩国市錦町宇佐
宇佐八幡の大杉群 岩国市錦町宇佐の鎮守社。寂地峡近くにある神社で宇佐神宮を勧請した古社。
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も破損しているが神殿横に保存されています。
今年5月に参拝した。
宇佐の大杉巨樹群=樹齢900年と推定される境内前の巨樹(樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
別垢の神社動画から巨木関係を整理編集し直した。
防長路あれこれ〜毛利家重臣 渡辺飛騨守 朝霞城跡の麓 船津権現山巨樹群 岩国市錦町広瀬
山口県東部。岩国市錦町広瀬 元は玖珂郡錦町と言われたところ。江戸時代は山代地方である。清流の錦川が流れ水と山の町。旧国鉄岩日線=錦川清流線(第三セクター)の終着駅。
船津権現山という丘には白山権現が祀られているようで、そこには巨樹群があり岩国市の天然記念物に指定されている。
また、その後背の山は朝霞と呼ばれ 戦国末期頃、毛利氏の重臣 渡辺飛騨守が広瀬、河山で5000石を領して山代地方の押さえとした。その居城として朝霞城が築城されていた。今も土塁など遺構が残るらしいです。
ここから少し歩くとその墓所もある宝篋印塔があり史跡指定されている。昔行きましたが今回はパスしました・・熱いのでバテバテです^^;
産直市場のおばさんたちに聞くと広瀬あたりは盆地で暑いらしいです。名物は蒟蒻と山葵 あゆなど。
旧山陽道沿いを散策〜「防府の国分寺から佐波神社・多々良大仏〜周防国衙跡へ」 山口県防府市
山口県防府の国分寺〜古代の周防国衙跡(すおうこくが)古代政庁の遺跡跡 まで行きました。
ダイジェストで。やや解像度は落ちます。720p
武光家(防府天神 旧大宮司の邸宅あと)
国分寺(聖武天皇が日本の各国へで建立したもの)
周防国衙跡
佐波神社
毛利庭園(毛利邸)
多々良大仏堂(お寺は廃寺毛利邸の場所にあったらしい)
防府天満宮
宮市観音(天神さん門前町にある)
音楽 のる様作 ニコニ・コモンズ
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
【巨樹の風景】 旧厳島神社兼帯(けんたい)社「宮内天王社」と社叢 夏の終わりに
宮内天王社(みやうちてんのうしゃ)と社叢の風景。ムクロジ(字幕は打ち間違えてます)、イヌマキ、イチョウ、モミ、ケンポナシなど・・大木が多い鎮守の森。
旧西国街道沿いである。元来は海岸近くにあったが、天正年間に津波災害で現在の宮内へ遷座した。
社叢に現在の残る何本かの巨樹大木は鎮座後に人により植えられたものらしい。
神武天皇東征時に海岸近い元宮のあたりに立ち寄ったという伝説があり天王宮と云われたという。ただ八坂神社と称したところを見ると元来は祇園社で牛頭天王を習合した神仏混交の社だったのではないかと思うんだがどうだろうか(詳細は不明)
主祭神=素戔鳴命、神武天皇のニ座 と相殿神がある。
祭祀は廿日市天満宮により兼務で行われています。
明治後は八坂神社と改称したが戦後昭和44年頃 氏子の希望で宮内天王社へ社号を再度改称した。
江戸時代〜厳島神社兼帯七社厳島神社 旧兼帯七社 〜江戸時代まで兼務の社が7箇所あったらしい、速谷神社(速田神社)、廿日市の大頭神社や大竹市大瀧神社、広島市祇園の安芸津彦神社、三翁神社、府中の惣社(今の多家神社の元になった神社の一つ)
祭祀を厳島神社の祀官が行い社殿などの修築も厳島神社が賄った。境内にあります社殿修築の寄進者を記載した石碑を見ますと、厳島神社が多くの寄進をしていました。
境内は大木も多くあり村社として守られてきたようです。旧山陽道が近くを通っていた場所でもある。御手洗川沿いあたりは大体 旧山陽道にあたるらしい。風情はありますよ。
廿日市市宮内は県道30号線が走り県道と御手洗川がぶつかる所の旧道を少し川沿いに遡ると参道入り口がある。ちょうど交番のところを入れば良い(交差点のところには島根県吉賀町の柿木村アンテナショップがあるがオススメw)駐車スペースが細長く狭い。
*同市内 県指定天然記念物津田の大カヤの木と真幡神社 sm39209336
*宮内天王社 紅葉途中の頃 sm37905347(この頃はムクロジに苔がないな)
使用音楽 のる様作(ニコニココモンズ)1雫~優しく穏やかメロディックな ピアノソロ2KANADE~ゆったりリラックス系 ピアノソロ
岩国 比叡神社!
岩国藩吉川氏も崇めていたそうです!
神社巡り→series/251647
戦国武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
うま娘プリティーダービーseries/262381
とある日常→series/228088
フリーBGM・音楽素材 H/MIX GALLERY
http://www.hmix.net
防長あれこれ〜山口県天然記念物 通津のイヌマキの巨樹 岩国市通津
山口県天然記念物 通津のイヌマキの巨樹 岩国市通津にある。通津川の側にある蓮田の中に鎮座する大歳神社の小さい御社の傍にある。御社より大きいので木を目印に行けばわかりやすい。木に巻きついたノウゼンカズラがなかな太い。
イヌマキ=マキ科マキ属の高木針葉樹
樹齢四百年だそうです(昔の説明では三百五十年ですが新しい看板では四百年と記載されています)天然記念物指定から相当年月経ってますからねぇw
日帰りで山口県岩国市由宇町の榊八幡宮(吉川氏の守護神 駿河八幡宮を合祀してある)へ行った帰りにふと思い立ち立ち寄る。
二回目。途中、男山へ八幡神が勧請される途上帰港した時、御宣託でこの地へも奉斎されることとなり鉾が授けられたという鉾八幡もよりましたこれはまたいずれ。
県道115号通津周東町線の路傍にある。国道188号を名水桜井戸への看板から入り鉾八幡宮横を抜け桜井戸を過ぎ115号を進むと川に出るので左折して少しさかのぼればある。
関ヶ浜 妙見山~和木町指定天然記念物「大ヒノキの巨樹」を訪ねて 玖珂郡和木町
山口県玖珂郡和木町の関ヶ浜 妙見山。小瀬川沿いにあり旧吉川氏領。あいにく曇りなのであるが10年ぶりに20分くらい登山してきた。登りやすい山ですね^^階段きついけど。晴れたらまた行こう。
妙見神社 旧社殿の残る山頂下境内にある和木町指定天然記念物「大ヒノキ」の巨樹です。
神社が麓へ降ろされてからだいぶたち以前にくらべ境内はだいぶ荒れてた感じ木の枝や落ち葉が積もる静かなんだが米軍機が時折爆音を立てる。
妙見社〜戦国期の1556年(弘治2年にはすでにあったようです)〜(妙見神社)山上に今も拝殿、本殿の建造物はそのまま神社を遷座した。登山口から3分〜5?
程度登ったところの鳥居側に新しく(もう大分前だが)小さな社殿を建立している。
昔々地元の禅僧が妙見菩薩の霊夢を見て掘り出した神鏡を神体とし村人が守り神として妙見様を祀った神社。
この日は曇りで森の中は暗くて写りが悪い、この数日前事前調査で少し歩いたが森が綺麗でしたまた登りたい。
廿日市市 県天然記念物 津田の大カヤをたづねて 桜満開の境内
樹齢3000年の大虫のしだれ桜を見た帰りに県道30号線 沿いで名所を回ってみました。
帯かけ明神(岩倉明神)の巨石
岩倉という地名の由来となった磐座〜重なり岩が印象的。県道からも見える。
色々神秘的な伝説がある(岩が落ちてもまた元に戻ったとか、宗像から宮島へと向かう市杵島姫が岩に帯をかけたという伝説もある)受験生が絵馬を最近は奉納してる。
県天然記念物 津田の大カヤと真幡神社の桜
広島県指定天然記念物 巨樹 津田の大カヤの木 神社の拝殿を見下ろす大きさ。幹も大きくすごい。
桜の花は初めて鑑賞。明るい境内に満開の様はいいですね。
津田八幡神社
旧佐伯町で廿日市市津田の 地元 氏神様 八幡さんですね。初のお参り。田舎は赤瓦の拝殿多いなあと思う。なかなか立派です。拝殿に入ってお参りする。熊ん蜂が居ましたw
津保美堂
地元の和菓子屋。ドライブがてら買いに来る方も多い。揚げパンやいろんな地元銘菓もある。
名物は大きな二重焼き(今川焼き、回転焼き)餡は自家製。あとクリームもある。
今回は休みでしたので画像は師走の頃のもの。リアル案山子がよく出てます。
大虫しだれ桜は しだれ桜めぐり動画をできたらまたあげました。
あと大虫への険道車載作成中。
<広島県の神社>廿日市市 吉和地区 神社編 旧吉和村 総鎮守 「速田神社」と美濃木神社 廿日市市吉和
県道471号線〜綺麗な森林帯を降り〜 吉和への(4)最後です。自然の中のリゾート施設魅惑の里で休憩したあと・・・夕方です。
吉和の中をすこしみてあるいた。このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。
1 美濃木神社
国道186号線傍に立つ美濃木神社(大きな杉が林立しています)に立ち寄る(もう夕方なので鳥居のところから遥拝)
由緒不明ですが社殿や木立はいい感じでした。検索してもないんですよね情報。唯一夏にこの境内 に狐の剃刀」という山野草の花が観れるという記事があった。
2 速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。速田神社は今年三社目。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
四和〜魅惑の里 なかなかいい道(おもしろい)でした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。冬季は通行止めですからね。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。
<天然記念物ツクバネガシ巨樹と冬姿の鎮守の森> 友田「速田(はやた)神社」 広島県廿日市市友田
蔓延防止で遠出できないので旧佐伯町の神社。広島県西部 廿日市市友田 速田(hayata)神社へ。雪が数日前に降り寒い天気だった。節分は過ぎたが冬の姿。ここは季節ごと定期的に観測に行っています。
すいませんタイトル間違ってた(以前の初夏の頃のタイトルよみこんだので)訂正した^^;人
ここは広島県天然記念物ツクバネガシの巨樹が参道入り口にある。樹高27メートル(広島文化大百科のHPでは37M?の記載ありどっちだw)もあるもので県内で同種では一番大きい。
廿日市市の宮内から県道30号線(旧津和野街道)を上り津田の手前の友田地区にあり。
昔は確かこの辺は友和村と言われていたところで、県道沿いに友和公民館が近い(裏にPあり)
神社すぐ手前に岩組バス停、友和公民館前にバス停があった。神社は駐車場無し。
境内は鎮守の森があり背後も山。拝殿は絵馬がかかり吹き抜け。本殿も流造のいい姿です。
本殿の脇障子には彫り物が見える。基本行事でもないと普段は誰もいないみたい。
雰囲気は良い。今回5目かな。
令和4年 寒の明けに
初秋の宮島巡り 「自然歩道 うぐいす歩道を辿り古刹 浄土宗光明院 」まで
秋の宮島散策記その(1)令和二年八月終盤 世界遺産のある島 厳島〜宮島へやってきた。
宮島港を出て左へ行くとすぐの長浜神社入り口あたりで道が分岐する。
右の山側の道路を登る。町並みの背後の山側を紅葉谷まで1、8kmで結ぶ散策路。
これがうぐいす歩道と言われる自然散策路。車道なので、時にホテルや旅館の送迎バスなども通行しますので注意は必要
久しぶりに歩いた。今回は誓真大徳碑(光明院)分岐まで行きここを入る。この分岐のちょい先 うぐいす歩道の山側に楠の巨樹があった。いろいろあるもんですな。
誓真大徳(Seisin Daitoku)=弁財天の琵琶の形から宮島名物杓子を考案して広めたり、井戸を掘ったり民生に尽くした。光明院裏、今はない浄土宗 神泉寺の番僧をされていた。
この後、石碑前から眺めを見た後、光明院前(今回は参拝せず)を降り山辺の古径(昔の参道)に合流して五重塔へ。
うぐいす歩道の光明院・誓真大徳碑方面への分岐は表示が小さいので見落とさないこと。
そのまま真っ直ぐうぐいす歩道を進めば紅葉谷ロープウェー駅の少し下に出る。また途中エスケープして、旅館岩惣の前へ(紅葉谷入り口)降りる道などもある。
人はそこそこ増えましたが、密にならずに観光できます。異様に多い外国人がほとんどいないので静かなもんです。今までが多いにしても程があると思います。これがまあ普通です。コロナが収まり昔くらいに今少し増えればいいんですけどね。程々が肝要。中華発コロナ が治るまでは日本人が戻ってこなければデス。
「曰く 過ぎたるは及ばざるが如し」
厳島、宮島関係映像= https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/82780
Voicepeak 広島県の神社巡り 〜初秋の【速田神社】〜安芸国造の祖神を祀る古社〜修正版 広島県廿日市市友田
廿日市市友田地区 津和野街道が通る旧佐伯町であった山間の集落にある。友和公民館近く県道30号沿い。
安芸国造の祖神を祀る安芸国総鎮守 速谷神社を1560年頃に勧請したと言われる(廿日市佐伯地区散策マップによる)
おそらく祇園社も(天王神社の扁額がありますから)合祀されていると思う。
社殿の造りもなかなかです。彫刻もいいし本殿の脇障子の龍・虎の彫刻はいいな。
広島県指定天然記念物 ツクバネカシの大木があり、初夏は紫陽花、冬は椿、秋には紅葉の紅葉もあるし雰囲気も悪く無い。県道を小瀬川温泉(ちなみに温泉の鎮守 小瀬川神社がある)へ行くため走行中、幟がはためいていていたので立ち寄る。秋祭りなんかも近いんだろうね。境内で獣の匂いがした・・・夜は野生動物も出てくるんだろうねw R5.9.15 タイトル あまりに暑いんで思わず初秋ってしたけど もう仲秋やなw
温泉行くんで一眼をいらないと思い携行しなかったので、紅葉したらまた行って来たいな。
iPhoneSe2 撮影でやんすので画質はそれなり。
最近旧佐伯町地区には田畑にソーラー発電が異様に増えていて危惧します。
余談:あとこの先の津田の津保美堂の二重焼(今川焼)はおすすめ。今は、金土日がだいたい営業日。
広告恐れ入ります感謝感謝であります^^;人
赤城山登頂記念 様
龍休宗庵 様
巨樹のある風景 「老松神社」 防府市御茶茶屋町
老松神社は、防府市御茶茶屋町にあり近くには英雲荘があり(昔の毛利藩の公式な御茶屋遺構)三田尻あたりは海の側で毛利水軍の御船倉などがあった。
老松神社=娑婆(さば)氏の氏神として祀られたものが始まりで、須佐神社と言われたものが、のちに貞観年間に老松神社と号したと言われている。
娑婆氏=土師氏(はじし)のことだと思われます。wikiで見ますと土師猪手という方が周防で娑婆連を賜ったと言われているそうで奉斎者はその一族なのでしょうか?
古代豪族 菅原氏も土師氏に連なり同族であった。
菅原道真が太宰府に流されたおり暖かくもてないしたのは国司の土師氏で、日本で最初に菅原道真を祀ったと言われる防府天満宮が鎮座するまち。
天神さまも祭神として合祀されている。
前に長い動画で1回作ったがデーターが出てきたので個別に改めて作り直した。
防長あれこれ〜清流の里 錦町広瀬 市の天然記念物指定 権現山巨樹群 岩国市錦町
清流の錦川に沿う岩国市錦町広瀬の町にある岩国市天然記念物「権現山巨樹群」散策。
錦川清流線の終着駅で古い町。山代地方と呼ばれ毛利藩の官道山代街道が通っていた。
水と山の町。旧国鉄岩日線=錦川清流線(第三セクター)の終着駅。
船津権現山という岡には白山権現が祀られているようで、そこには巨樹群があり現在の岩国市の天然記念物に指定(旧錦町天然記念物)されている。
また、その後背の山は朝霞(あさかすみ)と呼ばれ毛利氏の重臣 渡辺飛騨守が築城していた。飛騨守は、広瀬、河山で5000石を領して山代地方の押さえとされていた。 その居城として朝霞城が築城されていた。今も遺構が残るらしいです。
訂正=後で調べますと渡辺飛騨守が山代広瀬あたりを領したのは関ヶ原以後 毛利が萩へ移されてからのようです。手持ちの山口県歴史散歩によると渡辺飛騨守は、毛利軍の防長攻略の時、山代地方鎮撫に功績があったらしいです。
ここから少し歩くとその墓所もある宝篋印塔があり史跡指定されている。昔行きましたが今回はパスしました・・熱いのでバテバテです^^;
産直市場のおばさんたちに聞くと広瀬あたりは盆地で暑いらしいです。
ピュアラインにしき=国道187号線沿いの道の駅。休息所、売店、セルフレストランがある。
名産の蒟蒻 関係は豊富。ここから少し走ると道が分岐し187号線吉賀方面(六日市の峠にドライブイン山賊がある)と434号線宇佐郷方面(そうず峡温泉、羅漢山、寂地峡)へ分かれている。
☆☆【広島市の神社巡り】♪♪ 太田川左岸「大歳神社」神社詳細版 広島市佐伯区湯来町下836(広島市飛び地)
西中国山地の山あいの里 広島市佐伯区湯来町下 広島市神社巡り紹介。
よろしくお願いします^^;人 この雰囲気上ここは音楽と字幕・映像のみ
(この前に湯来町下の大歳神社を出て)国道433号で国道191号沿いの太田川左岸へ出てJR水内駅跡へ
→太田川と水内川の合流点に位置する湯来町飛び地 旧可部線水内駅跡
大歳神社と広島市天然記念物=ムクロジの大木
この辺りでは水運(昔は産品の運搬には川舟による舟運の輸送が盛んで従事する人も多かったようです)
田園地帯の鎮座する湯来町下松原 大歳神社 sm41731873
次は津浪河内神社詳細版 voice peakが来るのでをテストしてみるかな。
山口県の神社巡り 清流の町錦町 府谷・須川 河内神社三社巡拝編 岩国市錦町
清流錦川流域錦町の神社巡りと日本の風景 河内神社三社の紹介。
前回は旅動画・・今回は神社編です。二ヶ所の画像データ追加しました。
府谷の河内神社 川沿いの道の駅ピュアラインにしきにあり。明るくひらけている。
須川 河内神社 社殿も古いが彫刻もいい。大杉が多い 手水鉢がも面白い。
江龍寺 俊道様 下の病を癒す徳のある寺院。俊道大和尚の墓所へお酒を供えて祈願する。
上須川 河内神社 宇佐川沿いの上須川にある渓流沿いの御社。境内に岩国市重要文化財指定の大杉がある。スズメバチが飛んできたので本殿の写真は無しです。国道から少しだけ入った場所でちょっとだけわかりずらいです。
領主(開拓者?)讃井清原兼道により創建されたと伝わるらしいです。神木の高さなどデーターがサイトにより違いがあるが岩国市のHPを参照しています。
岩国市玖珂 樹齢六百年の巨樹 春日神社の大杉
春日神社のご神木の大杉。岩国市の重要文化財指定。県道136号藤生上久原線の傍らにある巨樹の大杉。道路に沿い笹見川を流れるあたりにそびえる。近くに塔ヶ森の森林公園などがある。
神社は杉の裏の広場にあり小さい鎮守のようでした。
幾度か大きな台風や野焼きの火粉を受け焼けたり空洞化が進んでいるようであるが、保存作業がなされステンレスの結束バンドで固定されているが樹勢は今だ盛んである。
今回で3回目の訪問。 今回は旧山陽道欽明路峠を越え欽明寺方面へ行かず直進し祖生方面へ 行くと県道136号の交点で136号へ入り少しゆくとある。
近くに塔ヶ森があり観音堂や登山ができるようですまだ行ったことがなんですがそのうち。
最後は、春の大杉から136号線を走り途中 笹見川沿いに田園を走った田んぼの真ん中おそらく農道にて。
一面の緑の田んぼから玖珂盆地の山の景色が綺麗なので撮影。鞍掛合戦(毛利軍が後の蓮華山城から攻め下ったという)の舞台の二つの山 鞍掛山と蓮華山が見えた。
微調整して再アップ
【巨樹巡り】岩国市天然記念物 「 楠一丁目のクスノキ巨樹群 」の新緑
岩国市の楠町一丁目 門前川の堤にあるクスノキの巨樹群。堤防の上に11本の巨樹が並ぶ様は壮観。清流の錦川がこの辺りで井堰を境に東の今津川、西側に流れる門前川に分かれて行く場所。
楠のあるあたりは二つの川の間で形成された三角州である(川下地区と呼ばれているそうです)
岩国領主 吉川広正 公が現在の楠町1丁目付近に隠居所を作るため万治元年1659年堤防を改修した時かそのすぐ後に植えられたと言われているらしい(他の説もあるようです)1661年館は完成している。
吉川広正公=岩国第二代岩國領主、吉川広家の長男、毛利秀元に代わり一時 長州藩の執政や藩主毛利綱広の後見なども勤めた。
クスノキの巨樹=11本あり一番大きな巨樹で目通り5、65メートル、高さ30メートルある。
門前川の井堰は渡る人がちらほらいます。今度歩いてみたいなと。
現在は神社周辺の樹上には、白鷺(サギ)の群れが営巣しておりけたたましい鳴き声がこだまする。糞で下の神社が真っ白。東側の方はサギの巣が少なかった。
神社ですがyahoo地図や岩国に詳しいブログの紹介では「海原神社」となっていた。
錦帯橋の花菖蒲を見学したついでに 錦川沿いに走り日帰りで行ってきました。
真言宗の古刹 「上不見山 極楽寺」 広島県廿日市市(極楽寺山山頂付近)
廿日市市の極楽寺山693m山頂付近にある古刹。1200年を超える歴史がある。
本堂は毛利元就の寄進で再興されたもの。天明年間大きな修理が行われているらしいので、現存する本堂建立時の永禄年間の木材は少ないという。
周囲はモミの原生林があり大変自然豊かな場所。時に野猿の姿もある。
正規の参道は登山道であります。この日も登山客が何組かいましたね。
残念なのはよく知らないため寺務所横の赤樫の巨樹を見忘れたこと^^; 何度来てるかダメだね。
境内展望所からは広島湾の島々が見える。
他に蛇の池があり、睡蓮が夏には咲いて綺麗です。周りを散策できます。
阿弥陀大仏様 は今期は参拝せず。
同山にいたナナフシsm39550620
音楽
のる様作 ニコニコ・モンズより
「雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~」
夏の終わりに西ノ松原を抜け「厳島神社」境外 摂社「大元神社」と大元公園にある楠の大木
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食(うけもち)神。
相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
音楽=のる様作 鎮守の森~和風&アンビエントなピアノソロ~&KANADE ~ゆったりリラックス系 ピアノソロ~
<島根県の神社>巨樹の「赤穴(あかな)八幡宮」と頓原ラムネ温泉へ 島根県飯石郡飯南町赤名/頓原
島根県飯石郡飯南町(旧赤来町と頓原町が合併して生まれた町)旧分国では出雲国になる地方
頓原のラムネ温泉へ行く途中に道の駅赤来高原の至近にある古い神社があり参拝してきた。
なかなかいけないところなので温泉へ行く途中参拝 記録として作成。 2019.6
この辺りは赤穴荘とよばれて国人領主 赤穴氏により赤穴城が築かれていた。
山陰の雄 尼子氏の尼子十旗の一つとされた城。備後方面をもにらむ場所にあり大内軍や山陰攻略の毛利軍との間で戦いが行われている。
旧郷社 赤穴(あかな)八幡宮
社殿創建は770年と言われ(実際はもっと古いらしいが詳細は不詳)る古社。
元は松尾神社と号したが、石清水八幡宮の荘園となり赤穴別宮が置かれ松尾神社も統合されていき
赤穴八幡宮となる。賀茂神社系の祖神神話も残り
賀茂神社系の祭神(別雷神等)と八幡信仰系(神功皇后や仲哀天皇、応神天皇)の祭神が祀られている。
特筆するのは境内だが田舎なのですが荒れているわけでもなく自然で素朴な感じですが、巨樹が多い特に大元杉(夫婦杉)は樹齢1000年以上で社殿奥に二本ある。巨樹好きにはたまらないところである。
ここよりさらに国道54号線を進んだところに由来神社というのがあるがここも巨樹の杉があるそうです(帰りにうっかり通り過ぎちゃいました)
この後 頓原地区まで行き道の駅で、中国山地の一部で伝統的によく食べられていたワニ(鮫)をいただきまして〜ラムネ温泉へ入湯して帰りました^^写真を少し。
源泉は今は飲めないそうです(明治時代には炭酸水として売ってたらしい)泡がしゅわしゅわついて、効果大です 小さな温泉ですけど おすすめ。
修正完了。
【西国街道 廿日市宿場跡】厳島神主家 桜尾城の鎮守「 廿日市 天満宮 」(二)旧別当寺正覚院と「巨樹 千年楠 」
後半は旧別当寺正覚院と山頂の千年「大楠」など 少しパワスポ編です。*西側の眺め〜鐘楼〜正覚院〜千年楠巨樹〜参道を下る。参道大鳥居近くの今が盛りの蝋梅(2月12日に再度訪れた終わってました)
旧厳島神主家の守護神で、廿日市駅の南側にあり電車からも見える目立つ天神山(篠尾山)
明治後、天満宮と真言宗 正覚院(寺伝では行基開基とも言われ相当古いようです)に分離された。
天神の創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官の中原親能(大江広元の兄)の一族中とも言われるている鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され、桜尾城に着任 天福三年(1233年)笹尾山に荏柄天満宮より守護神として神霊を勧請したものと伝わる。
のち藤原氏は鎌倉末期安芸国へ下向し国人領主化した。
篠尾山は厳島神主家の居城「桜尾城」(三方を海に囲まれていた)の支城の一つであったという。今山は小さくなっていますが・・・。
戦国末期 厳島神主家が滅んだ後も大内氏が祭祀を命じていたらしいですが、大内氏も滅び次第に衰微してしまう。江戸時代の慶安5年町の氏子の寄進がおこなわれ社殿が再興され傍らの神宮寺と共に神仏習合しており「別当寺天神坊」と呼ばれた。のちに新宮神社(下平良)、八幡宮(佐方)も勧請され〜 旧廿日市全域の鎮守・総氏神として続いてきたという。 神社庁、廿日市天神HP縁起参照。
廿日市総氏神 廿日市天満宮(1)(新宮社も勧請されている)sm38258080
新宮神社(藤掛城主が建立した〜下平良の氏神)sm38156694
西国街道を少し進んだ宮内にある 宮内天王社(宮内上組の氏神)sm37969384
桜尾城支城があった藤掛山の広田神社 sm36972757
少し西にある厳島神社外宮 地御前神社 sm3738415
上平良にある二ノ宮 延喜式内社名神大社 速谷神社 sm35298947
VOICEPEAK安芸路巡り 〜写真で綴る〜 紅葉の安芸太田町(2022) 広島県山県郡安芸太田町
西中国山地にある山県郡安芸太田町(戸河内、筒賀、加計などが合併成立した山里です)
1 湯来町打尾谷の神社の銀杏の黄葉=広島市佐伯区湯来町。湯来から筒賀へ抜ける県道41号線にある。
2 筒賀大歳神社御神木の大銀杏=安芸太田町筒賀
3 一宮大歳神社=同町戸河内
4 吉水園(よしみずえん)=同町 加計 江戸時代の鉄山師 加計氏の庭園 春秋二回園内公開あり。
2022年の記録 本編
一部既存の筒賀の動画から映像を一部挿入した。
今年は今週か来週が見頃かな?行けたら写真と動画を撮りに行く予定。週間の天候からして少し早いが7日に行くかね。
11月7日 筒賀へ行ってきた・・8分〜9分の黄葉かな。見頃は迎えていますよ。撮影しがいがあるよね。
いい色合いでした。色の濃淡があるのもいいね。またそのうち編集するかな。
見学の人やカメラマンもはいっぱいいました。打尾谷にもよるが15時ごろで光が少なかった。
筒賀はもし行くなら今週末がおすすめかな。お年寄りや家族連れもいました みなさん綺麗!すごいと感嘆しておられました。
広告御礼 感謝であります ^^;人
赤城山登頂記念 様
岡崎尚子 様
no=name(ナナシ)様
ガンダヌフゥ0x0 A 様
獺祭〜千年杉【岩国市周東町の山間】「川越地区」を行く!(1)〜獺越(おそごえ)三瀬川(さんぜがわ)〜 山口県探検 岩国市周東町(川越地区)
日帰りで岩国市周東町へ半日ほどの初見探検です。この地域は川上地区までしか行ったことがないので初めて。国道2号線から県道5号周東美川線を行く予定が道を間違えてしまいまして、まずは蓮華山の麓にある谷津地区へ
県道5号へ入ると獺越地区〜三瀬川地区まで行きました。初めてなんで見落とし、いけなかったところもあると思います。
その1の内容
1玖珂町の谷津・比叡神社 2隕石発見石碑 3丹生河内神社(さんざん探してニノ鳥居まで・・スズメバチがきたあああ。残念)3旭酒造 獺祭ストアの風景。
その2の予定 獺越 河内神社周辺 三瀬川の川越大神宮辺り 川上の鮎原劔神社へ
撮ったつもりが間違って削除したか・・集落あたりの写真がない また行くつもり。
蛇漬渕とか三瀬川 河内神社へ行き損ねておる。檜余地(ひよじ)地区もいってないです(八代に近いあたりらしい400m越えの標高)東川(島田川系)、根笠川(錦川系)の源流地帯。
獺越(おそごえ)とは周北小学校のサイトによれば、昔々下の川上村でカワウソが人をよく馬鹿して里人が追いかけこの辺りまできたから獺越え・・と言われたという話もあるそうです。
【上田宗箇 隠棲の地】浅原 亀山神社と巨樹 廿日市市浅原(旧佐伯郡佐伯町浅原)
サムネ〜田園と鎮守の森遠景。廿日市市の北部旧佐伯町浅原 国道186号線と県道2号線(岩國佐伯線)が分岐するあたりにある。
浅野藩家老・上田重安こと宗箇が三年間隠棲した地でもある。今も史跡=岩船の水が残る。
田んぼと川の間にこんもりとした森があり神社がある。亀山神社でツガや杉などの大木がお多い。神殿は流造でなかなか綺麗だった。観た感じ鳥居脇のツガ、石段脇の杉が特に巨木であるようだ。
情報がないので、たまに拝見する、「はつかいちぶらり」(県西部地域の歴史などの情報満載)というブログを拝見しますと八幡宮、河内神社、鉾大明神の三つの祭神を祀るらしいですね。
ツガの巨樹はいくつかの巨樹、大木のサイトにも出ていました。でかいです。
今まで見過ごしていた(近くは何度も来てるんだが)初めて参拝。日常の周辺にも隠れたいい場所ってあるんですね。
新庄之宮(熊野神社)社叢と巨樹・夫婦楠(県天然記念物指定) 広島市西区大宮
新庄の宮と巨樹・夫婦楠=新庄之宮(熊野神社)正慶年間(1332年〜1334年)紀州熊野大社から勧請された古い神社。明治後に熊野神社が三篠神社へ合祀されて、現在地はお旅所となったが戦後昭和27年分離して新庄之宮神社として現在に至るそうです。戦争直後は三篠神社が原爆で焼失したため御神体は、社殿が焼けなかった当社(御旅所)の熊野神社跡へ遷移して祀られていたらしいです。
三篠神社 sm38470420
太田川河口の三角州に形成された自然の名残の社叢クスノキ、タブ、サカキなどの常緑広葉樹とケヤキ、ムクジロ、エノキ、ムクなどの落葉広葉樹からなる戦前の広島のデルタ地帯にあった樹叢の姿をよく残している。広島県指定天然記念物。境内は大木が多く気持ちいいです。
現在の社殿は天保年間の再建。被爆建物である。爆心地から2、9kmでしかも当時は周囲が民家もまばらな田園だったため焼け残って助かったらしい。戦後保存工事もなされている。
夫婦楠(めおとくす)=おとこ楠 〜訂正=おっと楠とおんな楠〜それぞれ樹高30M目通り6.5Mと5.5Mもある県下でも 有数の 巨樹である。(県の指定の天然記念物)
横川駅から国道183号線を歩きやす広い歩道を20分くらいの場所。
天然記念物社叢に関しては広島大百科(文化財データベースサイト)を参考にしています。
横川周辺 西本願寺広島別院や寺町、他に電車通りを下ると広瀬神社や天満川沿いに下ると空鞘神社、中広、己斐方面へ向かうと広島天満宮なども近い。
広島市西区 三篠神社 sm38470420
廿日市市 早春の雪の舞う地御前神社 sm38289814
【西国街道 】今に残る【廿日市 街道松】と【桜尾城趾(桂公園)】sm38305356
大竹市元町 疫神社・大治社と神楽山 薬師寺【芭蕉の弟子 志太野坡 記念の浅生塚】
広島県西端の街大竹市 鎮守大瀧神社の元の鎮座地(弥ヶ迫)にある「疫神社」(疫病を鎮めるため祭られた)と大治(おおち)社(宗像三神中でも田心姫命を祀る)大瀧神社〜御神幸の終点でもある。
言い伝えではここの場所あたりに厳島神社創建社として知られる佐伯鞍職(くらもと)が居住していた場所と言われる。伝説では所の翁とも呼ばれる。山の方に所塚(佐伯鞍職の形代をおさめているという)
真言宗 神楽山「薬師寺」
小さなお寺ですが、広島新四国88ヶ所霊場四番札所となっている。後ろの山上にかつて存在したという西福寺の後継の寺院で護摩堂を麓に移し創建したと言われている。
市内でも古い宝篋印塔(なかなか大きなもの)や古い仏像も多いようです。これらは江戸時代の災害など多い頃建立されたらしい火伏せ地蔵、法華塔の地蔵尊(宝篋印塔の守護)などもある
本堂の写真は没でした(失敗)本尊は薬師瑠璃光如来(六十年ごとにしか拝めませんです)
本堂上に浅生塚があり、芭蕉の弟子で軽みを継いだという芭蕉の弟子 志太(浅生庵)野坡(やば)の門人で、ここ大竹の芦蕗たち竹里連(俳諧を行う集まり)が野坡三十三回忌に建立した石碑。
野坡は西国方面で活動し、ここ広島藩最西端の地へも何度も訪れ連句を巻き、指導をおこなった。