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『ズンドコ節』北京語版…張露「你去了哪裡」
『ズンドコ節』はもとは戦時中に流行った『海軍小唄』で、戦後いろんな歌手がカバー。最近では氷川きよしが歌ってましたが、台湾語版の「真快楽(sm23228610)」が小林旭のズンドコ節のカバーなら、香港で71年に出た北京語版の「你去了哪裡」はドリフのズンドコ節のカバー。♪ズンズンズンズンズンンズンドコ♪の部分が♪チュッチュッチュッチュッチュルチュル♪なのはナゼ?原曲が♪僕に駆け寄り、チューをした~♪だったから?しかし歌詞の内容は、自分を捨てた男のことを思い出しては、♪あんた一体どこへ行ったの~?♪という女の恨み節です。張露は1945年に上海でデビューした歌手で、共産党政権樹立後は香港へ移住。『ソーラン節(sm24511553)』など日本の民謡もカバーしてました。息子の杜徳偉(sm22947093)も歌手に。
サザン『真夏の果実』広東語版…張学友「每天愛你多一些」
1990年代前半に中華圏全体でヒットした日本の曲のカバーと言えば、まず中島みゆきの『ルージュ』、喜納昌吉の『花』、そしてサザンの『真夏の果実』でしょうか…。いずれも広東語版と北京語版がそれぞれヒットしたわけですが、『真夏の果実』は香港の張学友(ジャッキー・チュン)が91年にまず広東語の「每天愛你多一些」を歌い、93年に同じタイトルの北京語版(sm24489041)も出しました。タイトルを訳せば「毎日キミをもう少し愛する」。張学友はこの曲のヒットで90年代の香港の男性歌手の頂点「四大天王」の1人と称されるように。『真夏の果実』のカバーは他に北京語の「妳在他郷(sm24489065)」「恭喜發財歌(sm24489092)」「復刻回憶(sm24489113)」や台湾語の「唱歌家已聴(sm24489132)」も出てます。
村下孝蔵『初恋』北京語版1…林慧萍「影子」
『初恋』って村下孝蔵の歌かと思いましたが、アイドル時代の三田寛子も歌ってましたね。当時台湾で金瑞揺(ヨーヨー)とトップアイドルを競っていた林慧萍(モニク・リン)が歌ったのは、おそらく「アイドル三田寛子」のカバーかと思いましたが、アレンジは村下孝蔵のオリジナルのものだったようで。。。香港では林志美(サマンサ・ラム)が、「初恋」のタイトルのままで広東語カバー(sm23010773)を歌っていました。
安全地帯『じれったい』広東語版…張国栄「拒絶再玩」
日本のアイドルブームが吹き荒れていた1980年代の香港で、日本の曲のカバーを一番多く歌っていた大物シンガーは、おそらく張国栄(レスリー・チェン)。『MONICA(sm22743422)』のカバーでブレイクした後は、山口百恵、沢田研二(sm22842763)、中森明菜(sm22739843)と、香港ですでに大人気だった日本の有名シンガーの曲を次々と広東語で歌う戦略が当たり、ライバルの陳百強(ダニー・チャン)や蔡楓華(ケン・チョイ)を引き離して、譚詠麟(アラン・タム)と並ぶ2大男性シンガーに。そしてその頃、香港で人気が沸騰していた安全地帯の曲をカバーした「拒絶再玩」は、87年にセールス1位となり、この映像は授賞式の時のもの。89年には北京語でもカバー(sm23339681)して台湾進出を図ります。
アルフィー『メリーアン』広東語版…譚詠麟「捕風的漢子」
1984年。譚詠麟(アラン・タム)は香港で当時スーパースターでしたが、テレビ局が作ったこのMV、かなり不気味です。。。続いて出た北京語版はこちら(sm26118263)。
李香蘭『蘇州夜曲』北京語版1…白虹「蘇州夜曲」
『蘇州夜曲』は1940年の映画『支那の夜』で主演の李香蘭(後の参議院議員:山口淑子)が歌った挿入歌ですが、当時上海の大スターだった李香蘭はなぜか中国語では歌わず、同じく上海の人気スターだった白虹が翌41年に北京語版を出し、戦後は台湾や香港の多くの歌手が歌い続けています。白虹は北京出身で、30~40年代にかけて上海の映画界で活躍した人。共産党政権が成立した後も中国に残り、革命歌を歌っていましたが、1992年に72歳で亡くなってます。で、この映像は香港のカラオケ用のものですが、歌っているのはおそらく白虹本人。大昔にレコーディングしたものをノイズを除去して使用した模様。
『夏をあきらめて』広東語版1…盧業瑂(ブレンダ・ロー)「全心伝意」
『夏をあきらめて』は1982年のヒット曲ですが、サザンオールスターズと研ナオコがほとんど同時に歌ってた気がします。この「全心傳意」はどちらのカバーなのかはっきりわかりません。。。MVを観ると芸能人っぽくないおばさんが歌ってます。盧業瑂(ブレンダ・ロー)はもともとATV(アジアテレビ)のディレクターで、「アマチュア歌手コンテスト」という番組の制作を担当していましたが、出場者のレベルに憤慨した(?)のか、結局自分が歌手になってしまい、ラジオ局でDJもしていました。その後92年にカナダへ移民してからは、カナダやカリフォルニアの中国語ラジオ局でDJをしているようです。
『真っ赤な夕陽が燃えている』客家語版…張少林「見人講鬼話」
『真っ赤な夕陽が燃えている』はセメントミキサーズが1989年に『いかすバンド天国』に出場した時に歌った曲。セメントミキサーズは翌90年に、この曲も収録されたアルバムを1枚出したきりで解散してしまいましたが、91年に香港で李克勤(ハッケン・リー)が出した広東語版「護花使者(sm28507064)」が大ヒット。その後マレーシアで出た客家語カバーが「見人講鬼話」。タイトルを訳せば「相手を見てアヤシイ言葉を話す」で、外国人に会えば外国語をイロイロ話すけど、一番苦手なのが官話(公用語=マレー語)で、2番は客家語とマレー語のチャンポン。マレーシアで客家人はサバやサラワクに多く住んでいる模様。張少林は香港の広東語ソングを片っ端から客家語のコミックソングにしている人。
千昌夫『北国の春』北京語版04…蔣大為「北国之春」
中華圏で一番有名な日本の歌といえば、おそらく『北国の春』。台湾や香港、シンガポールだけでなく、中国全土でも大流行しました。中国語カバーソングは確認できただけで18種類もありましたが、それらの中で代表的なのが北京語版の「榕樹下(sm24368616)」「北国之春(sm24368785)」と広東語版の「故郷的雨(sm24369882)」。このうち「北国之春」は鄧麗君(テレサ・テン)が香港で歌ったものですが、それとはまったく別の歌詞で大陸版の「北国之春」も存在していて、歌詞は千昌夫のオリジナルの直訳風。おふくろから届いた包みには、防寒具が入っていたりします。かなり中国にピッタリの内容なので、大陸の中国人は「北国之春」を中国の歌だと思い込んでる人が結構いるみたいです…。
久保田早紀『異邦人』広東語版…徐小鳳「行蹤不要問」
『異邦人』は1979年のヒット曲ですが、翌80年に香港で徐小鳳(ポーラ・チョイ)が広東語カバーしたのが「行蹤不要問」。行き先は聞かないでという意味で、♪人は浮雲のように、一生根を下ろすことはできないのよ♪♪行き先は聞かないで、でも私の幸せを祝して♪と、モヤモヤを振り払うべく心機一転で旅立つ女の歌。広東語は「唐の時代の中国語の面影を残している」というだけあって、現代の広東語ポップスも多くの場合、昔の漢詩のように韻をきちんと踏んでいます。この曲もフレーズごとにanかamで終わって韻を踏み、広東人的に耳触りが良い曲になっています。98年に北京語カバー「異郷人(sm23135247)」が出ましたが、北京語ポップスは漢文式に韻を踏むことよりも、話し言葉に近くわかり易い歌詞が主流です。
ジュディ・オング『魅せられて』北京語版1…翁倩玉「愛的迷恋」
ジュディ・オング(翁倩玉)は台湾出身ですが、この映像は香港でのイベントのもの。80年代半ばに香港では、NHKの朝ドラ『おしん』を放送していて、当時香港最大の百貨店だった「ヤオハン」の創業者の物語だという触れ込みで大人気でしたが、ジュディは『おしん』の香港だけのオリジナル主題歌「阿信的故事」を広東語で歌い、大ヒットしていました。さて、この映像では『魅せられて』を日本語と中国語で歌っていますが、中国語の部分では「它的芳蹤」を♪新的芳聞(?)♪と歌い、「還會看到」を♪還會想到♪と歌っていますが、これはジュディが歌い間違えたのか、はたまた字幕が間違っているのか…。恐らく前者は歌い間違い、後者は字幕のミスだと思いますが、どうでしょう?
近藤真彦と梅艶芳(アニタ・ムイ)が『夢絆』を2ヵ国語でデュエット
1986年に香港の音楽祭にて。当時、マッチといえば明菜でしたが、86年から87年にかけて「香港の山口百恵」こと梅艶芳(アニタ・ムイ)とも付き合っていました。アニタによれば「音楽祭で対等のアーティストとして接してくれたことに感激した」のがきっかけとか。ということは、この音楽祭で?アニタはマッチの通訳もしています。アニタはその後、『装飾的眼涙(飾りの涙)sm22797604』『似火探戈(火のようなタンゴ)』と明菜に当てつけるかのような曲を出し、「オールナイトフジ」のレギュラーにもなって毎週末は日本へ!一方で明菜は涙を流して『難破船』を熱唱しますが、アニタもマッチと破局した後は『難破船』の広東語カバー『無人願愛我(誰も私を愛してくれない)sm22727454』を歌います。。。
中島みゆき『空と君のあいだに』北京語版2…劉小慧「謝謝你愛過我」
『空と君のあいだに』は1994年のテレビドラマ『家なき子』の主題歌。中華圏では北京語版が「一個人的我依然会微笑(sm25291170)」「謝謝你愛過我(sm25291246)」「完美的女人(sm26523801)」、広東語版が「朋友心(sm26523669)」と、4種類のカバーが出ました。95年に「謝謝你愛過我」を歌った劉小慧(ウィニー・ラウ)は、当時香港で「好Q(とってもキュート)」だと人気だったアイドル歌手。なぜかこの曲は北京語版だけを出し、映像は台湾のテレビ番組に出演した時のもの。タイトルを訳せば「愛してくれてありがとう」ですが、♪謝謝你~♪の部分だけ、なぜか山口百恵がやってたようなフリが付きます。これって手話?同じ95年に台湾では、林佳儀(ミラ・リン)が違うアレンジの北京語版「一個人的我依然会微笑」を歌っていました。
『東京音頭』台湾語版1…高向鵬&方怡萍「東京音頭」
う~ん…こんな曲までカバーされちゃうんですか、台湾では。。。タイトルは「東京音頭」そのままですが、歌詞の内容は東京とはまったく関係なく、ホステス相手に焼酎飲んで、♪ジャンケンで負けたら、さぁ飲み干せ~♪なんてやってる歌。そういや中華圏では、ホステス相手に酒を飲むときは「猜拳」と言うジャンケンをして、負けたら一気というのが定番です。明の時代からの風習だそうで。。。香港では一時期♪あっちむいてホイ♪で負けたら一気というのもありました。
アグネス・チャン『草原の輝き』広東語版1…陳美齢「尋夢去」
1979年の香港のテレビ番組の映像。ようするにアグネス・チャンの日本の歌を、アグネス・チャンが地元香港で広東語で歌っているだけですが、実は結構珍しいです。。。テレサ・テンや欧陽菲菲は日本で歌った歌を、台湾で片っ端から北京語カバーしてましたが、アグネス・チャンは『ひなげしの花』はじめ、日本でのヒット曲をほとんど広東語カバーしませんでした。70年代後半から80年代初めにかけては、香港で広東語や北京語の曲を次々と出してましたが、ほとんどが香港オリジナルの曲だったり、はたまた洋楽のカバー(sm23422755)だったり。。。で、歌の内容は、彼と草原で歌ってたら楽しくて、♪このままギターを担いで夢の世界に行ってしまいたい♪という感じですが、『草原の輝き』ってそんな歌でしたっけ?
少年隊『ABC』広東語版…草蜢「ABC」
梅艶芳(アニタ・ムイ)のバックダンサーだった草蜢(グラスホッパー)の3人組。1988年に歌手デビューし、89年に中森明菜のアルバム曲『Heartbreak』を広東語(sm23178808)と北京語(sm23179229)でカバーしてブレイク。そして90年には少年隊の『ABC』をカバーして、90年代に人気絶頂のグループになりました。近藤真彦などジャニーズ系の曲をかなりカバーしていましたが、代表曲になったのは当時珍しかったタイのポップスのカバー。
石川さゆり『津軽海峡・冬景色』台湾語版2…蔡小虎「最痴情的人」
1977年の大ヒット曲『津軽海峡・冬景色』は、台湾では何種類もカバーされていて、北京語版は「一片落葉(sm22747900)」と「黄昏的海辺(sm23298363)」、台湾語版は「咱的一生咱的愛(sm22747842)」のほか、2003年に出た新しいカバーの「最痴情的人」があります。歌詞は別れた女の香りが忘れられない…という内容ですが、出だしの部分で♪コーヒーの苦みに、レモンの酸っぱさ♪とありますが、台湾ではコーヒーにレモンを入れて飲むんでしょうか?香港の喫茶店のメニューには一応「檸檬咖啡」はありますが、ホットでもアイスでも檸檬可楽(レモン入りコーラ)の方がポピュラーです。それにしても、蔡小虎は台湾語でも日本語でも演歌が上手いですねぇ。。。
中島みゆき『時代』北京語版…李翊君「重生」
2001年のカバー曲。広東語のカバーは葉倩文(サリー・イップ)の「時代」(sm22933054)。
中島みゆき『ルージュ』広東語版…王菲「容易受傷的女人」
日本ではもともとちあきなおみが歌っていて、そんなにヒットしたわけではないのに、90年代に香港で広東語カバーが発売されたところ大ヒットし、北京語カバーができて中華圏に広がり、英語カバーもできて東南アジアで流行。ベトナム語、タイ語、クメール語、ミャンマー語などのカバーも次々生まれ、トルコ語版もできたそうだから、アジアの西端まで広がった模様。字幕は赤字(上)が広東語、青字(下)が北京語。王菲は北京出身なので、やはり北京語版の方が情感があってイイです。。。
『宇宙戦艦ヤマトOP主題歌』広東語版…夏韶声「宇宙戦艦大和号」
『宇宙戦艦ヤマト』は1974年のアニメですが、香港では広東語吹き替え版が『太空奇艦』のタイトルで79年に放送。ヤマトは「和平号」と訳されてましたが、夏韶声(ダニー・サマー)が歌って発売された主題歌では♪大和号~♪。おそらくテレビ放送とは無関係にカバーされたのでしょう。ちなみに中国語では、船の名前は「××丸」じゃなくて「××号」。
西城秀樹『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』広東語版…林子祥「YMCA 好知己」
『ザ・ベストテン』で最高得点の9999点を取ったという西城秀樹の『YMCA』。もともと日本の歌じゃないですけど、当時ヒデキは沢田研二とともに中華圏で大人気だったので、たちまち中国語カバーがいくつも出現。香港で79年に林子祥(ジョージ・ラム)が歌った広東語カバーは、タモリが『オールナイト・ニッポン』で♪ヘンタイ!♪と連呼するのが面白いと紹介して、日本でもレコード発売されました。ちなみに「好知己」とは親友の意味。
『亜麻色の髪の乙女』北京語版2…王心凌「月光」
『亜麻色の髪の乙女』は1968年のヴィレッジ・シンガーズのヒット曲。香港では北京語カバーの「這一樣東西(sm26945773)」が出ましたが、2002年に島谷ひとみがカバーして大ヒットすると、04年に台湾で新たな北京語カバー「月光(sm26945825)」が出ました。
中島みゆき『空と君のあいだに』広東語版…「朋友心」
1994年に許志安(アンディ・ホイ)、梁漢文(エドモンド・リョン)、海俊傑(ガブリエル・ハリソン)、張崇基(アンドリュー・チョン)、張崇德(ピーター・チョン)の5人が歌った曲。当時香港のレコード会社では、新人を組み合わせて売り出すという手法が流行っていた(sm22844103)ので、たぶんそれにあやかったのでしょう。『空と君のあいだに』の北京語版は台湾で「一個人的我依然会微笑(sm25291170)」と「完美的女人(sm26523801)」、香港で「謝謝你愛過我(sm25291246)」が出てます。
小林麻美『雨音はショパンの調べ』広東語版1…草蜢「再見Rainy Days」
小林麻美の『雨音はショパンの調べ』は1984年のヒット曲ですが、原曲は83年に世界的に大ヒットしたイタリアのガゼボが歌った曲。香港では85年に広東語カバーの「我愛雀斑(sm25572603)」がヒットしてましたが、92年に草蜢(グラスホッパー)が改めてカバーしたのが「再見Rainy Days」。草蜢は同じタイトルで北京語版(sm25572633)も出してます。