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【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第40回・霊界物語その③
霊界物語では、現界のパラレルワールドである霊界における全世界を舞台に物語は展開されるが、しかし、これは出口王仁三郎からすればけっして創作ではなく、あくまで王仁三郎本人が瞑想の中で実際に見て来たと自称するまぎれもない霊界の歴史の記録であった。
クニトコタチが創造した地球を中心とした宇宙の中で、地球では国祖と言われたクニトコタチがウラル彦によって隠退に追い込まれると大峠と言われる地球規模の洪水大災害が起き、半ば破滅しかけた地球上でイザナミ、イザナギ、アマテラスによる国土再建が行われ、その後、ミロク大神であるスサノオが三五教を設立して世界中の邪教や邪神たちを「事向け和し」という諭しを通じて敵を改心させるという言霊戦を展開していくこととなった。
この戦いは、スサノオ配下の宣伝使と言われる宣教師たちにより行われ、この宣伝使たちが武力や権謀術策を用いず、あくまで相手を心底心腹させて改心させる「事向け和し」と言われる方法を通じて戦う、という、いわば武器を用いず戦う神軍として展開して行くのである。
この霊界物語は、言い換えれば、一人一人の宣伝使たちが事向け和しで敵を改心させる力を身に着けていく身魂磨きの物語であると言える。
第14巻までは世界各地を舞台に展開されていた言霊戦が、第16巻から第23巻までは日本の、綾部を中心とした関西地方が舞台となる。
スサノオの養女である八人乙女の五女・英子姫と、その侍女・悦子姫は、メソポタミヤの顕恩郷を発った後、バラモン教に捕まり小舟で海に流されて、延々と漂流して日本の天の橋立に漂着した。そして、その後、彼らをメソポタミアから追ってきたバラモン教の棟梁・鬼雲彦率いるバラモン軍や、アルタイ山脈から来日したウラナイ教の教主・高姫および配下の黒姫たちと、三五教で、英子姫の侍女である悦子姫らが三五教の宣伝使らとともに両者と戦い、バラモン教の鬼雲彦一派を追い払う一方、ウラナイ教の高姫と黒姫は、スサノオ自身の優れた采配により改心させることに成功し、高姫と黒姫はウラナイ教を辞め、三五教に改宗した。
スサノオの采配とは、権謀術策により悦子姫が黒姫より玉照姫を取り戻したやり方が正しくないとし、なんと黒姫に拉致されていた玉照姫を、解放されたのに、再び黒姫らに戻してしまったのである。しかし、黒姫はこのスサノオの公明正大さに感服して改心してしまったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第19回・千家尊福と出雲国造【前編】出雲国造の歴史
朝鮮半島にルーツを持ち、仏教伝来以前の古代より続いてきた出雲信仰を引き継ぐ出雲国造は、1600年以上の歴史を持ち、その歴史は、奈良時代以降に始まった伊勢神宮より古く、そしてその歴史観は朝廷の編纂した古事記・日本書紀とは異なり、独自の出雲伝承のストーリーで語られている。
古き出雲信仰は「出雲風土記」に基づき、新羅より渡来した神・スサノオの神霊を継ぐアメノホヒを始祖とする
出雲氏が、朝廷より管轄を依頼された出雲国造として、朝廷に従属する形で国造職を担ってきたが、大化の改新で国造職が廃止された後も「出雲国造」を名乗りながら出雲信仰信仰圏を維持して行った。
そこでは出雲国造は人ではなく、アメノホヒそのものであり、現人神であった。出雲国造は島根県東北部の意宇の熊野大社を拠点としていたが、平安時代には島根県西北部の杵築に拠点を移し、アメノホヒの神霊の元である
スサノオを、アメノホヒそのものである出雲国造が祀り、中世から近世にかけては天台宗の鰐淵寺と蔵王権現とスサノオの本地垂迹関係を結んでいた。
しかし、江戸時代後期になると、76代国造の千家俊秀の弟・俊信は、本居宣長の門人となり、国学に傾倒するようになった結果、国造に代わって指揮を執り、これまでの天台宗鰐淵寺との本地垂迹関係を解消し、杵築大社の祭神をスサノオから大国主に変更し、平田篤胤による大国主イコール幽界の支配者の思想を採り入れ、出雲信仰はしだいに平田国学の復古神道的となり、国学に基づく出雲神道が形成されることとなった。
こうした背景を持つ出雲国造家は、明治以降、祭政一致を目指す復古神道の思想により、「うつくしよ」と呼ばれた人間界を支配するのは天皇で、「かくりよ」と呼ばれた死後の世界・幽界を支配するのは大国主という顕幽二元論を掲げて新政府の宗教改革政策に積極的に関与したが、明治6年の神道事務局創立の際に起きた、事務局の祭神・造花三神と天照以外に大国主も同時に祀るべきという、所謂「祭神論争」が起き、出雲派はこの論争に敗北することにより、在野で独自の教団を形成する決意をし、明治13年に80代国造の千家尊福が出雲大社教を立ち上げ、政府の管理する神社神道とは異なる独自の信仰路線を進む一方、神秘思想に埋没していった古神道と呼ばれる平田系神道カルト集団とも距離を置き、今日まで続く独自の出雲信仰を形成して行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第29回・大本教(その④)出口王仁三郎と出口なおの出会い
大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。
【神道シリーズ・シーズン3】第20回・千家尊福【中編】千家尊福と祭神論争
慶応4年の大政奉還直後から始まった新政府による王政復古政策は、古代の祭政一致を目指し、神祇官を復活させ、さらに神祇省まで創設して律令政治時代の日本の政治体制の復活を目指したものの、全国で実施していた廃仏毀釈を伴う神仏分離政策は各地で住民や仏教勢力の抵抗に遭い、特に浄土真宗からは農民蜂起や暴動をも含む強い抵抗があり、神祇官制度はまったく実態を伴わないままわずか3年あまりで廃止になり、その後、神道国教化に向けて仏教勢力を含めた宣布運動を目指し、島地黙雷率いる浄土真宗からの提案で教部省を立ち上げたもののの、宣布するはずの神道の中身が不明で、しかも途中から台頭してきた薩摩閥により、教部省内の僧侶たちに
祝詞を読むことを強制したりするようになるとそれに抗議した浄土真宗が脱退することにより大教宣布運動は収束し、同時に教部省も崩壊し、その後、教部省の教導職、つまり、当時唯一宗教的布教を認められていた職権を
継承した神道事務局は、薩摩出身で伊勢神宮の大宮司の田中頼庸は事務局の祭神を造化三神とアマテラスだけとしたが、事務局に参加してきた出雲大社宮司で80代出雲国造の千家尊福は祭神のオオクニヌシも同等に祀るべきと主張し、両者は平行線のまま祭神論争が続いたが、全国の事務局教導職者の圧倒的多数と本居 豊穎や平田 銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。
銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。
何度も合同会議を開き、教導職の代表を集めた会議での多数決でも出雲派が圧倒的勝利をするも田中頼庸はこの結果を潔く認めず、出雲派の紛糾が続く中、政府中枢から桜井能監を派遣し、合議の末、大国主の合祀の合意に至り調印までするものの、尚も伊勢派の頼庸はその結果を認めず、最後には薩摩閥の重鎮で内務卿の松方正義を頼り、三条実美を通じて明治天皇の直截という形で出雲派の要求は退けられ、アマテラスのみが事務局の祭神となり、圧倒的優勢だった出雲派の敗北は決定的となった。
この後、千家尊福は事務局から脱退し、出雲大社教を立ち上げ、政府の神社神道路線とは別の路線を歩むこととなるが、これを境に政府は平田派を政府から完全に追放し、政府は祭政分離に基づく神社神道、つまり国家神道と、政府が公認する教派神道13派の二流に分け、近代国家日本の建設の為、幕末以来討幕派が目指した祭政一致の理想を完全に放棄することになったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第46回・霊界物語をどう読み解くか
出口王仁三郎の霊界物語は、その冗長さと内容の不可解さから困難な書とされてきたが、そこで彼が訴えたかったものとは一体何であったのだろうか?
霊界物語は今でも大本で出口直のお筆書き、大本神諭に次ぐ二大経典の一つとされているが、これは直の神諭のように世の中はこうあるべきでこう変革するべきだというメッセージは一切見られず、ただ、183億年前の宇宙発生時から現代にいたる霊界における歴史を語って来た書と王仁三郎には自称されている。
しかし、正直、その中身たるや、荒唐無稽な上に、一体何が大本の信仰対象であり、何をどう考えるべきかがまったく不明瞭で、大本信者でさえそこを心底理解している者は一人とていないと推測される。
霊界物語は、183億年前の天祖、大国常立大神による大宇宙創成時代の霊界の地球で大地自然と神々の修理固成を行ったとミロク大神たるスサノオの話と、38万年前の霊界の地球でさらに修理固成を行った国祖と呼ばれる
国常立尊と、その後、その国常立尊が自ら創った神人たちに追放され、その結果、大峠という地球規模の大洪水が起こり、一旦破滅した地球に天の大神と呼ばれるイザナギ、イザナミ、アマテラスが再び大地自然の再創造を行うストーリーが展開されている。
不思議なことには、こうした大宇宙創成神や地球の修理固成神たちが霊界に産み出した神々や神人と呼ばれる霊界の住民たちの間でまったく権威や崇敬が無く、霊界人達に追放された国祖・国常立尊や、みろく大神と呼ばれながらも霊界の地上に産み出された邪神たちとのあくことなき戦いが強いられ続けていく、という、絶対崇拝対象無きストーリーが展開されているのである。
ただ、絶対崇敬対象としての存在が不在の中、霊界物語の中では、「言向け和し」という、敵対する者に対して武力や策略によって相手を屈服させてはならない、あくまで相手を諭し、心服させるやりかたで和平し共存していくことの大切さを終始強調されている。
出口直、王仁三郎の間で一貫していたのは、反戦世界平和的な全宗教共存論で、これは金光教や天理教以来一貫している万教同根の思想である。
王仁三郎が第二次大本弾圧事件の前に結成した昭和神聖会では、満州事変や日中戦争を「愛の戦争」と呼んだ彼の真意は不明のままだが、戦後の大本は戦前の社会変革論を完全に放棄し、ひたすら芸術活動と世界宗教平和共存運動に徹して行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)大石凝真素美と言霊学
言霊というと、あたかも太古の昔より「言葉には魂が宿ると言われてきた」と考えがちであるが、実は江戸時代より前に残る記録の中で言霊という言葉を使っていたのは9世紀に空海が書いた「声字実相(しょうじじっそうぎ)」という書の中で「五大に皆響き有り、十界に言語を具す、六塵悉く文字なり、法身は是れ実相なり」と、真言密教の真言について述べていたわけで神道とはまったく無関係だったのだが、言霊を神道と結び付けようという動きは、幕末の国学者・中村孝道から始まっている。
中村孝道は自ら開発した水茎文字というハングルに酷似した文字を神代文字だとし、それを現在のかな75音に置き換え、この75音は宇宙全体の神霊エネルギーを発していると主張した。
大石凝真素美は、天保3年(1832年)伊賀の国上野に生まれ、本名は望月春雄といい、医者の家系の家に運れたが、中村孝道の門人だった祖父の幸智から国学を教えられ、自ら医者の道を絶ち、国学者として生きていく決意をした。
1868(慶応4)年には、美濃の修験者で中村孝道の言霊思想を深く理解していると言う山本秀道の噂を聞いて訪ね、その知識と霊威に感じ入って師事し、そのまま居候して孝道の言霊学を学んだ。
その秀道と行った本田霊学の鎮魂帰神法の結果、自分はイシコリドメの生まれ変わりと悟り、名前を大石凝真素美と改名した。
大石凝は、中村孝道の真須美鏡を元にして言霊による宇宙や地球や人類の発生を説明しようとし、それによると、日本語の清音・半濁音・濁音を合わせた75音は「こえのこ」と呼ばれる神霊元子であり、この神霊元子の発生が宇宙を誕生させ、至大天球と言われる儒教の天空宇宙観を思わせる宇宙空間はこの神霊元子による言霊パワーによって形成され、その天球の中心部に大気が結晶して「地球」になったと主張する。
さらには、最初の人間達は、土の中で何年も過ごして、体が成熟すると土から出て来て爬虫類のような姿で何年も過ごし、その後で脱皮して人間の姿になったと言う。
人間は、眼・耳・鼻・舌・身・意識の「六識」を持ち、欲である「七識」と良心である「八識」、そして仏の智である「十識」を持つ、という実に仏教的な人間観を持っている。
大石凝は、宇宙を司るのは天御中主で、地球を司るのは大国主だとし、事代主は75音を司り、スクナビコナは外国語を司るとしたが、大国主が司る日本語は宇宙発生時以来の75音であり、日本語は世界言語のルーツだとまで主張した。
【神道シリーズ・シーズン3(思想編)】第15回・大国隆正と国家神道
明治以降、平田篤胤の思想の影響を受けた者たちは、基本的に、人は死後、地球上の周りにある幽界という空間を霊魂となって彷徨い、体は風、火、土、金というエレメントになって循環し、やがてはそれに魂が宿り、人間は再生する、という道教的な死生観と、地球を創生したのは日本の神のイザナギとイザナミであるからして、日本の天皇が全世界の上に総主として君臨すべし、という超誇大妄想的天皇世界総主論だけは引き継ぐという傾向を共有していたが、本田親徳は、平田思想の中でも特に人と神霊とのコミュニケーションに興味を持ち、その研究と実践のほとんどは神霊の人間への憑依を目指すことに向けられた。
死者や動物や神仏の憑依は修験道や民間信仰の間にも古くからあったが、そうした憑依が可能なのは特定の能力を持った者か、あるいは神や仏や死者などから指名された特定の人物に限られていたが、本田は、誰でも一定の術式に従って行えば神霊の人への降臨・憑依は可能であるとした。
本田は、神憑りには36通りの在り方があると言ったが、それを大きく3つに分類して、霊がいきなり憑依する場合、一部の素質のある人が一人で神霊を呼び寄せる場合、そして本田が提唱した審神者と神主を通じて、たとえ能力者や偶然の邂逅でなくても意識的に神霊を呼び寄せ憑依させることが可能な鎮魂帰神法があり、本田は自ら開発したこの鎮魂帰神法を通じ、神の言葉を直接聞くという方法で古事記理解の正誤を確認するという作業を行い、「難古事記」という著作にまとめた。
それによると、人はみな神の子であり、直霊という正しい心の霊を持ち、勇気と調和と愛と探求の心を呼び出す荒魂、和魂、幸魂、奇魂という四つの魂を持っているとし、善を行えばこれらの魂の量は増え、悪を行えば減るとした。
儒教の魂観の擦り直しと見れないこともないが、とにかく、本田の神霊降臨術・鎮魂帰神法は、その後、弟子の
長澤雄盾を通じ、大本教の出口王仁三郎や大本教を経た神道天行居の友清歓真ら多数の平田系神道カルト教祖たちに伝えられ、明治以降、古神道を名乗る平田派神道系カルトの中核的思想となって行った。
本田の鎮魂帰神法を継いだ者たちは、鎮魂帰神法とともに平田篤胤の超誇大妄想とも言える
天皇世界総主論、つまり、地球上の世界を創ったのは日本の神だから天皇が世界を治めるべきだと言う部分を強く受け継いでおり、彼らが本田の鎮魂帰神法による神託を担保とし、彼らはますます狂信的に持論にのめり込み、それは世界恐慌後の社会不安が広がる中、その狂気は国民を戦争の時代へと引き込んでいくこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第42回・霊界物語その⑤
霊界物語は、邪教徒たちを事向け和しという諭しを通じて武器を使わず改心させていくというパターンが延々と続いていくのだが、
第30巻では、高砂島(南米)を舞台に、神素盞嗚大神(かむすさのおのおおかみ)の末娘である末子姫(すえこひめ)がウヅの国(アルゼンチン)の女王となり、また言依別命(ことよりわけのみこと)と国依別(くによりわけ)がウラル教を言向け和して三五教を広めて行く物語。
第31巻では、高砂島(南米)を舞台に、国依別(くによりわけ)がヒルの国(ペルー)の大地震を鎮め、日暮シ山(アンデス)のウラル教を言向け和し、三五教を広めて行く物語。
第32巻では、南米アマゾンの「兎の都」の物語。
三五教の十八人の宣伝使が集結し、アマゾンの魔神・モールバンドとエルバンドを言向け和して行く。
第33巻では、前半は南米、後半は日本が舞台となる。
三・五の玉をめぐる旅が完了し、高姫・黒姫の過去が解き明かされる物語。
第34・35巻は黒姫のアフリカ物語。
逃げた夫を探すために黒姫は筑紫島(アフリカ)を旅して回る。
第34・35巻は黒姫のアフリカ物語。
黒姫は、35年前に捨てた子供・玉治別(たまはるわけ)と再会を遂げる。
第36巻では、シロの島(セイロン島、スリランカ)の物語。
神素盞嗚大神(かむすさのおのおおかみ)の第七女・君子姫(きみこひめ)がシロの国難を救う。
第37・38巻は出口王仁三郎の若い頃の自叙伝である。
ここでは、主に明治31年から大正5年にかけての出来事が記されている。
第39巻から第72巻までは、主にペルシャ~インドのあたりを舞台に、バラモン教主・大黒主(おおくろぬし)を言向け和す三五教の言霊隊の物語である。
第39巻では、ではまず言霊隊の第一陣・黄金姫(おうごんひめ)と清照姫(きよてるひめ)の母娘と、第二陣の照国別(てるくにわけ)が活躍する。
物語は、王仁三郎が現実的な世界の中で体験したことと、彼が霊界で見て来たとする霊界の歴史と規則性無く絡み合い、大本の雛形世界論を展開して行くのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第34回・昭和神聖会と昭和維新
第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。
すあだ生放送 2018/01/18 『ポプテピピック』にわんたんを勝手に使われ猛抗議 2/2
1: sm32600895
ちなみに発端となったサムネ
なすび浅漬けさんのツイート: "@inuwantan これ、いぬわんたん? https://t.co/7zUmqx2kJE" — https://twitter.com/nasutabetaiyo/status/951837860495179776
現在のサムネはご覧の通り
ポプテピピック シーズン3 / 大川ぶくぶ / まんがライフWIN — http://mangalifewin.takeshobo.co.jp/rensai/popute3/
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第38回・霊界物語(その①)
大本教では、第一次大本弾圧事件までは、大本教の開祖・出口なおが自らに憑依した艮の金神からのメッセージとしてすべてひらがなで書かれたお筆先と言われる自動書記の書が「大本神諭」として大本の教典となっていたが、大正10年1921年の大本弾圧事件の時にそのなおのお筆書きはすべて警察に没収された上、焼却されてしまい、しかも禁書となってしまった。
当時、お筆先の写しも無く、ましてや出版もしてなかった為、大本神諭とされた原本のお筆書きはそのほとんどが失われてしまった。
そして、この大本神諭に続いて第二の教典となったのが、第一次大本事件直後から出口王仁三郎によって著述されたのが「霊界物語」である。
霊界物語は、王仁三郎が瞑想しながら語る物語を40人以上の弟子たちが書き取っていくという大変な作業を通じて形成されて行った。
その中には、後に生長の家を創設した谷口雅春も含まれていた。
霊界物語は、第一次大本弾圧事件のあった1921年から5年間と、その後、7年間の中断を経て昭和8年1933年から約1年間のトータルで6年間の月日を経て書かれ、全部で81巻・83冊の超長編物語となった。
その中には、王仁三郎自身が修行時代に亀岡の高熊山の瞑想修行の中で見て来た霊界の姿や、国祖クニトコタチによる宇宙創造や地球の修理固成、つまり、大地や海、川、そして樹木や人や動物が生成される様が描かれ、さらに霊界物語では、彼がその後の瞑想の中で見て来た霊界の歴史を語っている。
王仁三郎によれば、我々が住んでる世界は顕界と言われ、霊界とは、顕界と姿は異なるが、神や神人の住む世界で、言わば顕界のパラレルワールドとでも言える世界で、霊界で起きた事は比喩的に顕界で起き、さらに大本で起きた事は世界で起きる、という世界雛形論がその格子にある。
ストーリーの一貫したテーマは、正義が悪をくじくとき、けっして暴力を用いてはならず、あくまで悪人に諭すことで改心させよ、と言うもので、このパターンのショートストーリーが延々と語られている。
荒唐無稽な話の連続ではあるが、そこには、王仁三郎が一貫して追求した万教同根と世界愛善の精神が貫かれており、人類皆兄弟のようなキリスト教的博愛主義が感じられる。
結果的に見ると、ユダヤ教やキリスト教の世界観の中に日本の古事記神話を組み込もうという図式さえ垣間見えたりするのである。
しかし、この霊界物語は、その後大本を離れて独立宗派を形成した神道系カルト教団全体に大きな影響を与えることになったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第33回大本教(その⑦)エスペラント語運動と王仁三郎の入蒙
第一次大本弾圧ののち、出口王仁三郎は、満蒙に神の国の建設を目指し内蒙古入りするが、張作霖に部隊に逮捕され処刑直前に命を救われるという九死に一生を得る体験をするが、その後は、開祖出口なお亡き後、大本は王仁三郎を中心に、なおの時代には曖昧だった教義を整理し、欲得ですべてが動く乱れた世界を正すために弥勒菩薩の降臨を求める昭和維新の運動を展開して行った。
王仁三郎の提唱する昭和維新は、腐敗した政財界を無くし、国民が国常立やその下で世界を統治する天皇を世界人民が崇敬し、世界の人民は人種宗教思想を超えて皆平等で階級の無い豊かな社会で暮らせるようにすると言うものであったが、この思想は、国常立や天皇を除けば、まさにマルクスレーニン主義、つまり、世界の労働者が団結し、資本家や政府を倒し、世界規模で搾取や階級の無い共産社会を築くという発想とまさに瓜二つであった。
王仁三郎は、一方では、世界宗教連合会を結成し、世界のありとあらゆる宗教の代表を集め、信仰の違いを超えての宗教界の団結を目指し、また、人類愛善会を結成し、当時、農業恐慌や東北地方の冷害干害で飢餓に苦しむ農民たちに二毛作や愛善陸稲と呼ばれる陸稲の栽培などを現地で実地指導して広め、日本全国で多くの飢餓農民たちを救ったりしたが、また一方では、満州事変以降進行する中国大陸での関東軍を中心とした軍事作戦の展開進行に対して絶大な支持と賛同賛美を送り、多くの軍人の支持を取り付ける事に成功している。
そして、昭和10年1935年の第二次大本弾圧事件の1年前には、昭和神聖会と言う、ありとあらゆる救国団体の大同団結を訴えた連合組織を立ち上げるが、この大本が主導した昭和神聖会の結成式には、内務大臣、逓信大臣、多くの国会議員、そして陸海軍の中将クラス以上の幹部軍人たち、全国の右翼団体、さらには、全国著名大学教授や著名文化人たちが多数集まり祝辞を述べ、中には日本初の女性解放運動家の平塚らいちょうまでも含まれていた。
こうした昭和神聖会の運動に賛同する国民は当時の日本の人口約4千万人のうち800万人、つまり5人に1人が賛同したほどに支持された。
そして、その賛同者たちの中には、王仁三郎の熱烈な信奉者で満州事変を企画実行した陸軍中将石原莞爾や、後に日中戦争で主要な働きをした陸軍大将板垣征四郎、さらには226事件でクーデター計画を実行した青年将校の西田税までもが含まれていた。
人道的な慈善活動と戦争推進論と言う両極端な思想に揺れた王仁三郎の皇道主義は、きたる第二次大本弾圧事件を跨いで、大本から派生した極右の神道系カルト教団も含め、日本の第二次世界大戦への道を確実に進めて行くこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第54回・谷口雅春と生長の家(その①)
生長の家の開祖・谷口雅春は、1893年〈明治26年〉11月22日、兵庫県八部郡烏原村東所(現在の兵庫県神戸市兵庫区烏原町)に、新田義貞の血筋を引くと言われた谷口音吉と妻・つるの間に6子のうちの次男として生まれたが、4歳の時に、同じ谷口家の叔父の家に養子として引き取られ、優秀な成績のもと、大坂の旧制大阪府立市岡中学校を出た後、上京して早稲田大学英文科に進むが、女性のトラブルの為に途中退学し、神戸に帰省後、摂津紡績(現ユニチカ)の木津川工場で働き、そこでも付き合っていた遊女から性病を移され、また女性のトラブルで退職した後、紡績工場勤務時代の資本家に搾取される女工たちを見た体験や、性病で一命を落としそうになった体験から社会変革や神霊治療に興味を持ち始めたことがきっかけで、大正7年、大本教の本山である綾部を訪ね、その教えに心酔した上で翌年綾部に移住し、大本信者として入信した。
谷口雅春が大本にいたのは約3年間だったが、大正10年の第一次大本弾圧事件をはさみ、出口王仁三郎の側近の一人として霊界物語の朗読聞き取り記述を手伝ったり、大本系列の愛善新聞の出版局長を行ったりと、精力的にその宗教活動に協力した。
しかし、大正10年世界立替え説と言う、大正10年に世界が滅亡するという大胆な予言が外れ、その煽りがもとで第一次弾圧を受けることになった大本に失望し、一次弾圧事件の翌年の対象11年に大本で知り合い結婚した妻・輝子とともに大本をさることとなった。
その後、同じく大本を脱会した浅野和三郎の主宰する「心霊科学研究会」に一時期席を置いたが、その後は、神戸の養母の家に夫婦で居候しながら宗教雑誌への投稿と自費出版の執筆の日々にあけくれた。しかし、大量の投稿の内容が多くの読者に支持され、とうとう昭和5年には自主出版で月刊誌「生長の家」を創刊し、読者数も急増する中、5年後の昭和10年には宗教団体「教化団体生長の家」を創立し、それが今日に繋がる宗教法人「生長の家」へと発展していくのであった
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第61回・儒教招魂社・靖国神社その①
靖国神社のルーツを辿ると、江戸初期の水戸藩主・徳川光圀が唱える南朝正統論の中で、特に天皇の為に命を尽くして戦死した楠本正成を崇敬し、現在の神戸市中央区の湊川神社のルーツとなる楠木正成の招魂墓碑を建てたが、この水戸藩に伝わる楠木正成崇拝は、江戸中期以降、倒幕を目指す勤王の志士たちの間に広まり、幕末になると、この水戸藩の藩士たちと接触のあった長州藩士たちが下関戦争で戦死した長州藩士たちを下関桜山に招魂場を作り、儒教式で戦没者たちを祀ったところから始まる。
この動きは、慶応4年1968年に新政府が京都東山に幕末の勤王の志士たちの戦死者たちを祀った霊山官祭招魂社を創建し、この儒教的な招魂思想は明治2年1869年の東京招魂社の創建に繋がり、さらにこの儒教的招魂社が明治12年1879年に靖国神社と改称され、儒教的招魂社でありながら神社の体裁を整えて行くこととなる。
招魂とは、亡くなった人の魂を呼び寄せることで、儒教では、魂は不滅のものだり、死後もこの世
に存在すると信じられていた為、招魂の儀式は行われていた。儀式では、故人の墓の前で食べ物や飲物、香などを供え、亡くなった人の冥界での幸せを祈った。招魂の儀式は、故人の魂を慰め、冥界で幸せに暮らせるようにするために行われるが、同時に、生きてる者たちの心を慰める意味もあった。
故に、靖国神社の前身である東京招魂社の時代には、戦没者たちは忠魂霊と呼ばれ、天皇の為に戦争で戦い、その忠誠の下で戦死した忠臣たちの霊魂を招魂し、天皇が参拝して慰霊する、という形が採られていた。しかし、明治12年になり、靖国神社と改称され、神社の形式を採るようになると、儒教的な招魂思想はそのままで、外観や祭祀の在り方だけを変え、やがて、明治37年1904年の日露戦争の頃になると、それまで忠魂霊と呼ばれていた戦没者たちは英霊と呼ばれるようになった。この英霊という言葉は、水戸の儒学者・藤田東湖の中国宋代の忠臣文天祥(ぶんてんしょう)の詩から引用した英霊という言葉から来ており、やはり、儒教の思想がその底辺にあった。
そして、やがて靖国神社は、このように儒教的な招魂思想に神社という衣をかぶり、日清日露戦争、第一次大戦と進むにつれ、戦没者の数が急増する中、大きな発展を遂げることとなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第49回・植芝盛平の生涯【後編】
第一次大本弾圧事件を難なく逃れた植芝盛平は、1924年(大正13年)2月、出口王仁三郎が仮出獄の身でありながらも、満蒙の地に宗教国家の建設を目指して満州に渡り、盛平もそれに随伴することとなった。張作霖配下の馬賊・盧占魁(ろ せんかい)の率いる「西北自治軍」と共にモンゴルへ向かうが、盧の独走を疑った張の策謀により幾度も死の危機に晒されることになり、張作霖軍からの銃撃にも合うが、その時は盛平は敵弾が来る前に「光のツブテ」が飛んでくるのが見え、それを避けることで敵弾から逃れるという体験をした。このパインタラ事件と呼ばれる事件で、盛平を含む王仁三郎一行は九死に一生を得る体験をするが、無事帰国した後は、王仁三郎は霊界物語の著述に精を出し、植芝盛平は、その霊界物語に影響を受けながら柔術の研鑽と弟子の指導に専念した。
しかし、満州で経験した「光のツブテ」は、「突如大地が鳴動し黄金の光に全身が包まれ宇宙と一体化する」幻影に襲われるという神秘体験とともに起こり、これが気の妙用という武術極意に達することとなる、盛平は、これを黄金体体験と呼び、自らの合気道を創設するための大きな開眼となったのである。
その後、後に起こる第二次大本教弾圧事件を予見した王仁三郎の勧めもあり1927年(昭和2年)より東京へ移住することとなり、同時に柔術師匠の武田惣角から次第に距離を置くようになった。
1931年(昭和6年)48歳。新宿区若松町に道場「皇武館」を設立、激しい稽古振りから「地獄道場」と呼ばれる。この頃の教授対象は皇族・華族・軍人・警察官・実業家・武道家の子弟など一部の層に限られた。入門に当たっては身元の確かな2人以上の保証人を条件とし、無頼の輩に悪用されぬよう公開を厳しく制限した。また軍部の要請で、陸軍戸山学校・憲兵学校・中野学校・海軍大学校などで武術指導を行った。
その後、国情は日中戦争、太平洋戦争と日本が深く大戦にのめり込んで行く中、陸海軍の幹部軍人を始め、軍人を中心とした合気道の訓練の師範として次々と要請があり、盛平はそうした軍人らの稽古、訓練に多忙な日々を過ごして行った。
太平洋戦争終戦の1945年(昭和20年)東京の本部道場は空襲による焼失を免れるも、62歳になった盛平のところには、道場への避難民収容や復員した弟子たちが集まり、岩間の道場と東京の本部道場の復興に努め、どちらも復興を果たし、ここに東京と岩間を軸に戦後皇武会の活動が始まった。
1948年(昭和23年)2月9日に「皇武会」は「財団法人合気会」(初代理事長・富田健治)と改称、岩間の合気苑を本部とし、改めて文部省の認可を受け、この時はじめて正式に「合気道」を名乗るようになり、盛平は初代合気道「道主」となった。
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第59回・生長の家の分裂
戦前は、昭和5年の結成以来ずっと一枚岩だった生長の家は、戦後になると全国で左翼学生運動が燃え上がった1960年代以降、新興宗教界でも既成仏教界でも宗教を否定するこうした左翼運動の拡散に危機感を抱き、保守勢力が大同団結を求められる中、教団内でもこうした保守運動に積極的に参加して行こうという反主流派と、あくまで信仰活動を中心に進める本部派主流派の間で大きな亀裂が入り、内部対立と教団分裂のうねりは次第に高まって行った。
1960年には谷口雅春総裁を中心に生長の家青年会とそれを母体とした学生組織、生長の家学徒連盟、所謂、生学連が形成され、これは全国の左翼学生運動に対抗する意味で活動を始め、1966年には教団に所属する長崎大学の2名の学生、安藤巌と椛島有三が中心となり、全国の右派系学生の横断組織、全国学協を立ち上げ、さらには1970年には椛島がその全国学協の中から左翼学生と戦う組織、日本青年協議会を立ち上げた。
そして、この動きは、全国学協の後裔組織として、より過激な反憲学連が形成されたが、これは、戦後の連合国主導の政策に反対するヤルタ・ポツダム体制打倒を目指すと同時に、かねてからの谷口雅春の大日本帝国憲法の復活を目指すものとして設立された。
しかし、こうした日本の右派学生運動を組織した生長の家の青年たちは、やがて、日本の保守政治を大きく動かす方向に動いて行く。
この反憲学連が結成された1974年には、谷口雅春らが中心となり、曹洞宗、臨済宗、統一教会、日蓮宗などの宗教保守勢力を集めて「日本を守る会」が結成され、さらには、1881年には
当時参議院議員であった生長の家信者の村上正邦らが中心となり、「日本を守る国民会議」が結成された。
しかし、このような生長の家の保守的傾斜も、1983年になると、優生保護法廃止に消極的な自民党に失望した谷口雅春は政策を急転換し、生長の家政治連盟や生学連を解散させ、本来の信仰中心の教団運営の方へシフトし、この流れは、1985年の谷口雅春の死を境に主流派と反主流派の決定的な決裂へと進み、2002年には「谷口雅春先生に学ぶ会」と「ときみつる会」という二つの会派が分離独立した。
その後、2008年以降第三代総裁に就任した谷口雅宣は、教団の一切の政治的かかわりを断ち、
環境問題やヴィーガニズムや反原発などの環境左派としての教団活動へと舵を取って行ったのである。
メインシーズン3の三章前半見たぞ!まさかの女王と三軸にまたがる群像劇の行方は?!けもフレ1,2を観たことがない素人が考察しながらけもフレ3やってく実況part270
まさか舞台のあらすじでネタバレ喰らうとは思いませんでした()
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【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第51回・岡本天明と日月神示【後編】
岡本天明は、22歳から48歳までの26年間を大本で過ごし、45歳の時に千葉の印旛沼の麻賀多神社で初めての自動書記を行ってから49歳にして初めて自らの教団「ひかり教会」を立ち上げた。65歳まで生きた天明が自らの教団を主宰したのは16年間で、この間、昭和23年と昭和26年を除いた昭和19年から昭和27年までの延べ7年間と昭和33年と昭和34年に補巻1巻、さらにその2年後の8巻を含めた全42巻の「日月神示」が自動書記で綴られた。そこで語られた事は、終戦の1年前になされた日本敗戦の予言と、さらに戦後の日本の輝かしい奇蹟の復興が予言されており、さらには、いずれ世界中に地球規模の自然災害が起こり、さらにはそのあとで欧米やソ連がこぞって日本に攻めてきて日本は大混乱に陥ると予言している。天明は、世の立替えはこれまでに6回あったと言い、今度の7度目の立替えこそが最後の大建替えとなり、ミロクの世はそのあとに迫っていると言った。ただ、その最後の建直しである7度目の建直しの時に絶対に武力で敵に勝とうとしてはならない、あくまで相手を諭していけるだけの身魂磨きに励むことこそ日本人が務めるべき事だと主張する。これはまさに出口王仁三郎の霊界物語における身魂磨き、言向け和しの重要性の限りなく続く強調を彷彿させるものだが、天明は、今度の7度目の建直しの時には、現界のみならず天界・霊界・幽界・限界を通じて起こる大峠、つまり大天変地異であり、邪霊・邪神・悪神と正しい神・正神との戦いはこの4界を通じてこれまでにない熾烈なものになると予言した。天明はその前兆として富士山の大爆発を予言したが、これはまだ今日に至るまでその予言は実現していない。信者の中には神戸大震災や東北大震災を日月神示で予言してる自然大災害と解釈する人たちもいるが、富士山の大爆発については予兆さえもいまだに見えてない。晩年の天明はひたすら俳画やクレパス画など自ら得意とする絵画活動に没頭し、昭和34年には、東京、大阪、ニューヨークで相次ぎ自作の展覧会を開いた。天明の日月神示は、出口王仁三郎の霊界物語の続編と解釈する信者たちもいるが、第二次大本弾圧事件後、出口王仁三郎が保釈仮釈放になっていた昭和17年、亀岡の中矢田農園を二度訪ねた天明は王仁三郎に面会を拒否されたが、その理由はいまだに不明のままである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第50回・岡本天明と日月神【前編】
岡本天明は、1897年(明治30年)12月4日 - 岡山県浅口郡玉島(現、倉敷市玉島)で豪農であった家に、父岡本藤太郎、母弥栄の三人兄弟の二男として生まれたが、父親が酒造のビジネスに失敗した為に天明が17歳の時に神戸に移転し、その後、上京して明治大学の夜学に通ったが、学費を自分で稼ぐ為に栃木の足尾炭鉱や北海道の炭鉱で働いたが、生活が続かず、東京に戻った後、無一文であった為、神戸まで無銭旅行で帰る事となった。神戸に戻るとたまたま開かれていた大本の神戸講演会に参加し、そのまま大本に入信することとなった。大本に入ると、彼の画家としての美術的才能が認められ、大本が買収した大正日日新聞の美術記者として働くこととなり、その後、同社の系列の金沢の北国夕刊新聞の記者となり、一時期名古屋で大本とは無関係の名古屋新聞の記者となるが、その後、昭和5年1930年に東京に大本の世界愛善新聞社が出来ると出口日出麿の強い勧めで記者として入社することとなり、天明の東京生活が始まった。その後、天明は大本と提携した中国の道教系慈善団体・世界紅卍会にも入会し、フーチーという卜占法を学び、その中で天日津久神が千葉の麻賀多神社の境内で祀られてるという神示を得、同地に向かい、その神社を発見すると同時に初めての日月神示という自動書記現象を体験した。時は昭和10年の大本第二次弾圧事件を過ぎ、既に太平洋戦争末期の昭和19年になっていた。大本で自動書記を行った出口なおは艮の金神が憑依した時も記憶があったが、天明は自動書記が行われた時の記憶は無く、完全に天日津久神に体も意識も乗っ取られた状態で自動書記が行われた。しかし、日月神示は意味不明の文字記号の集合体で天明本人にも解読出来ず、天明の三番目の妻・三典による解析で解読は進むこととなった。天明が大本から独立して「ひかり教会」を創立し、日月神示の示す「大立て直し」の活動を始めたのは戦後2年後の昭和22年1947年になってからであった。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第37回・大本教と朝鮮半島
出口王仁三郎は、昭和10年1921年の第一次大本弾圧事件の後の入蒙以後からの5年間と、昭和10年1935年の第二次大本事件の2年前の1年間のトータル7年間に渡って自らが瞑想の中で見た霊界の様子を綴った
幽界物語全81巻を書き上げた。
大本では、霊界で起きた事件は大本で起き、さらに大本で起きたことは世界で起きると言う雛形論思想があり、故に幽界で起きた事は、たとえそれがいかに荒唐無稽な事であっても形を変えた比喩的な方法で大本、つまり顕界と言われる現実の世界でも形を変えて起こるのだと言う。
その幽界では、スサノオは天界より霊界のコーカサス地方に降臨し、カスピ海より西の中東からヨーロッパにかけての地域を統治していたが、数多くの邪神と戦う為に決意を新たにする為、母神のいる根堅洲国、つまり朝鮮半島に向かったが、その前に姉神のいる高天原、つまり、霊界における古代の富士山である綾部の弥仙山を訪ねたが、姉神天照は弟神が襲撃に来たと勘違いし、弟神スサノオが誠意を示すために姉神天照とカスピ海にて誓約を行う事となった。その後、スサノオは、根堅洲国である朝鮮に降り立ち、その地を長く治め、その後、息子の五十猛命とともに出雲に向かい、その後、オノコロ島と言われる日本列島を治めたと言う。
その霊界でのスサノオと朝鮮半島の歴史を反映するように、顕界、つまり現実世界の歴史では、大本の見解では、スサノオは、朝鮮半島のソシモリ、つまり、牛頭山である伽耶山に降り立ち、江原道を中心として伽耶を含む新羅を長らく治め、その後、息子の五十猛命とともに出雲に移り、日本の国造りに励んだと言う。
大本では、日本の古代国家は朝鮮の伽耶からの移民により成され、日本の皇統も檀君であるスサノオから続くものであり、日韓同祖論に基づく歴史観を持っている。
出口王仁三郎は、霊界で、ユダヤ人、トルキスタン人、コーカサス人、満蒙人、朝鮮人、日本人は同じセム語族に属するとという事実を見ており、一方、アラブ人、ペルシャ人、インド人、中国人はハム語族だとしている。
このセム語族説自体は王仁三郎の、霊界で見たとする妄想であるとしても、現在、日本の古代学者の間でも朝鮮南部の伽耶と呼ばれた地域から日本列島に移民した倭人たちが日本の古代国家を築いたのだというのは定説になりつつある。
しかし、この王仁三郎の霊界物語に始まる日韓同祖論は、その後、大本より派生した多くの平田神道系カルト教団にも引き継がれて行ったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第56回・谷口雅春と生長の家(その③)
谷口雅春の思想変遷は、浄土真宗の正信偈を何度も何度も棒読みさせられた少年時代から、トルストイの復活の中で提起された原罪と贖罪の問題、さらにオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の中で描かれる堪能的で耽美的で退廃的な世界への魅了との間で揺れた青春時代と、いかに生きるべきかという問題を抱えつつ、神霊治療に興味を持ったことがきっかけで入信した大本教では、霊界物語での霊界の世界と万教同根の思想を学びながらも、神仏など絶対的な存在と自分と言う個はどう関わりあうべきかという問いの答えは見つからぬまま大本脱会後も自分の問題意識は彷徨い続けていた。
貧困の中、宗教雑誌の翻訳などで糊口を凌いでいた谷口は、武者小路実篤の「新しき村」や西田天香の一燈園など、自らの私財をつぎ込んで建設したユートピア村に興味を示したが、武者小路の丸投げ式で失敗した「新しき村」や、自己犠牲を強いる西田の一燈園など、いずれにももろ手を挙げて賛同できぬまま、トルストイが投げかけたキリスト教の原罪と贖罪と人の生き方という問題は解決せぬまま再び原点に戻ってしまっていた。
そこで西田が出会ったのが、当時アメリカで一世風靡していたニューソートと言うキリスト教プロテスタント反カルバン派から発生した思想で、これは、西田にとってはコロンブスの卵に匹敵するほどの画期的な発想であった。
18世紀に北欧スウェーデンの科学者・スウェーデンボルグが自らの瞑想の中で見て来た霊界の世界では聖書に書かれてることとはまったく異なる世界で、そこでは創造神は全知全能でもなければ
特別な意識を持った存在ではなく太陽の光であり、その光はイエスも含めすべての人が平等に持っており、人はみな神の子であり、自身の中にある神をいかに生かして充実した人生を送るかが重要だと唱えた。このニューソートの思想は19世紀にはアメリカ大陸に伝わり、北米で一世風靡するが、20世紀の大正時代には日本にも伝わり、谷口にとってもこれまで持ち続けたキリスト教への問いの大きな答えを与えてくれるものになったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第39回・霊界物語(その②)
霊界物語は、内容は実に荒唐無稽な話の連続で、しかも、その勧善懲悪的なパターンは単調で始終一貫しており、正義が悪に対して力ではなく、事向け和しという、所謂、相手を諭して改心させる、という形で善に導いていくということがこの全81巻という冗長なストーリーの中で貫かれている。
霊界物語の中で語られる死生観とは、現世界で死ぬと、現世界のパラレルワールドである霊界に送られ、その霊界の一部である中有界というところで、その人の生前の行いに即し、天界ないし地獄界、または現世界に戻されるかが決められる。その死者が生前善人であった場合は、中有界において審判の上、一途の川を渡り、天界に行くこととなり、生前悪人だった場合は三途の川を渡り、地獄界に落とされることとなる。
こうした死生観と存在論に基づき、ストーリーは、出口王仁三郎が、実際に自らの瞑想のうちに彼の霊眼で見てきた霊界の歴史が語られて行く。
霊界で、地球の国祖たるクニトコタチがウラル彦らによって隠退に追い込まれると、霊界の地球上では大峠と呼ばれる地球規模の大洪水が起き、それにより、現在の五大陸とムー大陸が形成されたと言う。
霊界以降の第7巻以降では、大洪水以降に新たな大陸構成になった霊界の地球上の話から始まり、ミロク大神である神素戔嗚尊は、正しい宗教である三五教を開き、地球上に存在していた3つの邪教、ウラル教、バラモン教、ウラナイ教との戦いを正しい神々や神人たちに指示し、物語全体が正しい教え三五教が3つの邪教を事向け和しという諭しにより改心させていく戦いというストーリーが延々と語られて行くこととなる。
霊界以降の第7巻以降では、大洪水以降に新たな大陸構成になった霊界の地球上の話から始まり、ミロク大神である神素戔嗚尊は、正しい宗教である三五教を開き、地球上に存在していた3つの邪教、ウラル教、バラモン教、ウラナイ教との戦いを正しい神々や神人たちに指示し、物語全体が正しい教え三五教が3つの邪教を事向け和しという諭しにより改心させていく戦いというストーリーが延々と語られて行くこととなる。
霊界でのイザナミの長子である大道別は、死後、その魂が日の出の神として蘇り、三五教の宣伝使のリーダーとして、三五教で宣伝使と言われる宣教師たちを束ね、北米を拠点とするウラル教やインドを拠点とするバラモン教やイランを拠点とするウラナイ教の邪教達を改心させていく戦いを続けた。
その後、果てしない三五教による邪教に対する事向け和しの戦いが続いていくのであった。
【神道シリーズ・シーズン3】第21回・千家尊福【後編】千家尊福の多忙数奇な人生
千家尊福は、1945年、 第79代出雲国造千家尊澄の長男として生まれ、22歳の時に明治維新を迎え、明治4年に26歳にして出雲国造を継ぎ、第80代出雲国造となった。その後、尊福は、宗教人としても歌人としても、また政治家として一世風靡する多忙多難で数奇な人生を送ることとなった。
明治42(1909)年、雑誌『太陽』5月号が、全国読者の10万人を越える投票結果により発表した「宗教界の泰斗」つまり、最も世間から重んぜられてる宗教家のランキングで尊福がダントツの1位となったように、明治末から大正初めにかけて千家尊福の名声は極めて高かったと言える。
尊福は、第80代出雲国造になると、さっそく国造改革に乗り出し、永く国造が就任時に火継儀式で起こした火で調理したものしか食べられなかったものを、これまでの永久ではなく、祭祀の前後のみ、とし、また、それまで国造はたとえ靴を履いていたとしても黒土、つまり地面を踏むことを許されなかったが、これも尊福は全面的に解除し、さらに、国造の死後に行われる水葬、つまり、池に死体を流す伝統も禁止した。
こうして尊福は、出雲国造を近代社会の中でも適応し、信仰を広めて行けるように時代に合った出雲信仰に改革して行ったのである。
そして、こうした尊福の改革は、出雲国造の活動範囲を飛躍的に広げ、結果、国造の尊福の生涯をかけて行った全国巡教の旅のを通じて明治23年には443万人の信者を獲得し、当時の日本の人口の約1割にまで達することになった。
明治15年の祭神論争の敗北までは、尊福は、国家公認の神社神道の祭神に天照と同格に大国主を祀る、顕幽二元論の出雲国学神道を浸透させることを図っていたが、祭神論争敗北後は、出雲大社教会を教派神道13派のひとつとして独自の宗教団体路線の道を歩むことを決めた。
明治18年、巡教の旅の最中、神戸から東京に向かう電車の中で偶然出合した初代内閣総理大臣の伊藤博文との対談を通じ政界から着目されることになった尊福は、元老院議官にいきなり登用されたのをきっかけに、この時43才で政界に入った尊福は、その後、帝国議会開設に伴い貴族院議員となり、埼玉・静岡県、東京府知事を歴任、司法大臣にも就くことになる。
貴族議員としては4期務めるが、それと同時に埼玉県知事、静岡県知事、東京府知事との兼任時代も続き、多忙極める生活を送る中も出雲大社教の国造としての巡教活動は続き、やがて67歳で政界を完全に引退した後も、
出雲大社教総裁に就任して72歳で死去するまでの最後の6年間も休むことなく全国を巡教し、最後は大正7年(1918年)に東京の自宅で心臓麻痺で息を引き取った。
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ガチシリーズ シーズン3 #24 課金版
心霊スポットに行ったら幽霊に案内されて謎が全て解けました?! R-2
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ようやくシーズン3第3章の後半を観たぞ!ワオキツネザルは強くて女王は弱い?「あの子たち」って誰だ!?けもフレ1,2を観たことがない素人が考察しながらけもフレ3やってく実況part275
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【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第65回・神社本庁【前編】
戦前、日本の全国神社は、神社局の後継の神祇局が一元的に公的に管理していたが、終戦直後、GHQは、神道指令の発動により、その神祇局が廃止され、国家による神社管理支配を禁止した。それまで公務員的な立場にあった
神社の神職たちはいきなり民間の神社として独立することを余儀なくされ、
特に氏子人口の少ない地方神社は路頭に迷おうとしていた。そこで、戦前から活動していた三つの神道系組織によって新たな包括的な神社連合体の組織が提案された。それは、かつて明治期に神職の全国組合的な全国神職会の後裔組織である日本神祇会と、教派神道13派の一つで、伊勢講から発展した神宮教の流れである神宮奉斎会と、かつて出雲と伊勢の祭神論争が行われた神道事務局の後継組織である皇典講究所が合併統一して出来た神社本庁であった。GHQは、戦前の国家神道、つまり、神道を宗教と見做さず、単なる祭祀と見做したために当時の日本政府が掲げた政教分離や信教の自由に触れることなく全国神社の国家管理が出来るとした体制を警戒し、日本政府がこうした巧妙な抜け道を用いて再び軍国主義や国家主義のイデオロギーを国民に吹聴させない為にも国家によるありとあらゆる神社介入を禁止していた為、神社本庁は、民間の包括的宗教法人格を獲得することにより、戦前には国家が行ってきた神社管理を自らが一元的に国家神道的解釈のもと、つまり、神道を宗教と見做さず、祭祀のみを行う集団だという解釈で、全国神社の経営や人事権まで掌握することとなった。神社本庁は、所属神社の信仰内容は問わないということを前提のもと、祭祀を司る集団として、戦前の国家神道形式で所属神社の賽銭や寄付寄進による収入から多額の上納金を納めさせ、宮司などの人事に介入し、「信教の自由を侵すことなく」それらの神社を悉く支配下に置いた。
国家神道形式とは、形式上、伊勢神宮をトップに全国神社を格付けし、本庁が決めた社格の高い神社(現在では315社)から全国の末端に至る小規模の地方神社まですべてをその系列化に納め、伊勢神宮から配布された神宮大麻の札を販売し、その収益はすべて神宮に上納し、その上納金の半分を神社本庁が受け、それを様々な形で所属神社に再分配するという形を示す。神社本庁は、形式的な国家神道形式の復活だけでは飽き足らず、戦後、積極的に保守運動にも参加し、「日本を守る会」や「日本を守る国民会議」などの横断的保守連合組織に参加して「建国記念の日制定促進協議会」や「靖国神社国家護持法案」や「元号法制化国民会議」などの運動で生長の家や統一教会などとともに中心的な役割を果たした。
また、現在295名の衆参両院議員を有する神道政治連盟国会議員懇談会もこの頃に形成され、一丸となって憲法改正の運動に突き進んでいる。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第47回・合気道と道教と山王神道
病弱だった植芝盛平がやがて小さな体で大男を軽々と投げ飛ばしてしまう合気道を創立するまでにはどのような経過があり、また、その合気道とはどのような思想の流れの中で形成されて行ったのか?その謎を解くところに今回の特集は焦点を当てる。植芝盛平は7歳の頃、近所の地元和歌山県田辺市の古義真言宗の地蔵寺の住職の藤本密乗の開く私塾で四書五経や真言密教の鎮魂法や祈祷を学び、また、32歳の時には移住した先の北海道遠軽の地で出会った大東流合気柔術の師範武田惣角から5年間、大東流合気柔術を学び、さらには、36歳の時には父の病気直しの為に大本教の本部のある綾部に出口王仁三郎を訪ねた時、出会った出口王仁三郎に感銘し、そのまま8年間綾部に住み込み、王仁三郎の、戦い回避を目指す言向け和しの無抵抗主義を学び、次第に盛平独自の合気道の道を開いていくこととなった。合気道の技のほとんどは大東流合気柔術から来てるが、その大東流合気柔術を可能にしたのは、創始者とされる鎌倉時代の新羅三郎を称した源義光が影響を受けた天台密教の作った神道理論、山王神道であった。山王神道は、真言宗系の両部神道とともに道教の影響を受けた中国の真言密教、天台教の影響を受けており、道教思想がその密教理論の中に展開されている。太極拳、少林拳、八掛掌、形意拳、心意拳などの中国武術は一様に道教の思想が根源にあり、日本の合気道や大東流合気柔術は天台系の山王神道を通じてこうした武術に繋がる道教思想を継承したのである。山王神道では、古事記・日本書紀では新羅王子、地方風土記では新羅の神とされる天日矛が日本に残した十種の神宝の中に中国武術に繋がる道教的思想を見出し、その中から鎌倉時代に大東流合気柔術が生まれ、そうして大正時代から昭和時代にかけては大東流や大本から独立した植芝盛平によって合気道は誕生した。平田系神道カルトの大本の流れを汲みつつ、一方で大東流や山王神道の中国道教の流れも汲む中、植芝盛平は、和合の精神を説き、人と競い合う事を好まれず、「自己の練磨」のみを目的とする試合無き武術、合気道の道を開いたのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第16回・本田親徳と鎮魂帰神法
明治以降、平田篤胤の思想の影響を受けた者たちは、基本的に、人は死後、地球上の周りにある幽界という空間を霊魂となって彷徨い、体は風、火、土、金というエレメントになって循環し、やがてはそれに魂が宿り、人間は再生する、という道教的な死生観と、地球を創生したのは日本の神のイザナギとイザナミであるからして、日本の天皇が全世界の上に総主として君臨すべし、という超誇大妄想的天皇世界総主論だけは引き継ぐという傾向を共有していたが、本田親徳は、平田思想の中でも特に人と神霊とのコミュニケーションに興味を持ち、その研究と実践のほとんどは神霊の人間への憑依を目指すことに向けられた。
死者や動物や神仏の憑依は修験道や民間信仰の間にも古くからあったが、そうした憑依が可能なのは特定の能力を持った者か、あるいは神や仏や死者などから指名された特定の人物に限られていたが、本田は、誰でも一定の術式に従って行えば神霊の人への降臨・憑依は可能であるとした。
本田は、神憑りには36通りの在り方があると言ったが、それを大きく3つに分類して、霊がいきなり憑依する場合、一部の素質のある人が一人で神霊を呼び寄せる場合、そして本田が提唱した審神者と神主を通じて、たとえ能力者や偶然の邂逅でなくても意識的に神霊を呼び寄せ憑依させることが可能な鎮魂帰神法があり、本田は自ら開発したこの鎮魂帰神法を通じ、神の言葉を直接聞くという方法で古事記理解の正誤を確認するという作業を行い、「難古事記」という著作にまとめた。
それによると、人はみな神の子であり、直霊という正しい心の霊を持ち、勇気と調和と愛と探求の心を呼び出す荒魂、和魂、幸魂、奇魂という四つの魂を持っているとし、善を行えばこれらの魂の量は増え、悪を行えば減るとした。
儒教の魂観の擦り直しと見れないこともないが、とにかく、本田の神霊降臨術・鎮魂帰神法は、その後、弟子の
長澤雄盾を通じ、大本教の出口王仁三郎や大本教を経た神道天行居の友清歓真ら多数の平田系神道カルト教祖たちに伝えられ、明治以降、古神道を名乗る平田派神道系カルトの中核的思想となって行った。
本田の鎮魂帰神法を継いだ者たちは、鎮魂帰神法とともに平田篤胤の超誇大妄想とも言える
天皇世界総主論、つまり、地球上の世界を創ったのは日本の神だから天皇が世界を治めるべきだと言う部分を強く受け継いでおり、彼らが本田の鎮魂帰神法による神託を担保とし、彼らはますます狂信的に持論にのめり込み、それは世界恐慌後の社会不安が広がる中、その狂気は国民を戦争の時代へと引き込んでいくこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第31回・大本教・第一次大本弾圧事件前夜
大正7年1918年、大本教の初代教主出口なおが83歳で生涯を閉じるまで、大本ではなおのお筆先という全文ひらがなで書かれたメッセージノートが大本神諭として信仰の中心になっていたが、なおの死後は出口王仁三郎に実権が移り、さらに入信加入してきた神霊イデオローグの浅野和三郎や谷口正治らによって大本神諭は恣意的に解釈されるようなり、そうした背景の下、「大正10年立替え論」つまり大正10年に日本も世界も滅んでしまうという大予言が行われ、これに釣られて膨大な数の信者が日本全国的に増え、大正10年1921年の第一次大本弾圧事件の間接的原因ともなって行った。
かつて出口なおは、日露戦争の時に、この戦争が世界大戦に発展して世界は一度滅びると予想し、それが外れたために大本は一時崩壊状態になったが、今回の「立替え説」を教団では「二度目の世の立替え」と宣言し、今回もまた大きく予言が外れる事により多くの信者たちが大本を去ることとなった。
同時に、それまでなおの神諭の解釈を巡って王仁三郎と対立していた浅野や谷口や友清歓真らも大本を去り、それぞれ、心霊科学研究会、生長の家、神道天行居と言った各自の神道系カルト教団を形成して行った。
大正10年頃の社会状況は、第一次大戦が終わって3年経って急速に欧州への輸出が激減した為に町に失業者が溢れる一方、大戦以降高まった国民の所得急増に伴う米不足により、労働争議と米騒動が全国各地に広がり、次第に深まる世界情勢の暗雲の中、大本が発表した終末論「二度目の立替え」予言は膨大な数の人々の気持ちを引き付け、教団は急激に規模が膨張し、政府や警察は大本の動向に注目し、きっかけを見つけて弾圧する機会を虎視眈々と窺っていた。
大正10年1921年2月12日の未明、検事総長平沼騏一郎の指示をうけた京都府警察部長藤沼庄平は、予審判事・検事らとともに、武装警官200人を動員して大本をおそった。すなわち綾部・亀岡・京都・八木における20数ヵ所が、不敬罪および新聞紙法違反の容疑で家宅捜査され、筆先の全部と神体の一部が押収され、大阪梅田の大正日日新聞社に出務中の出口王仁三郎、および綾部に在宅していた浅野和三郎・吉田祐定の三幹部が検挙され、だだちに京都監獄未決監に収容された。そして三幹部は、不敬罪および新聞紙法違反の罪名で起訴されたのである。
敬神尊皇愛国を標榜する宗教団体の幹部が、こともあろうに、不敬罪という罪名で逮捕されるという皮肉的で前代未聞の大事件であった。
《閲覧注意》ガチシリーズ W-1 vs GTG対抗戦?! プロレスラー大和ヒロシ選手と心霊スポットに行ったら女の子の霊が寄ってきました?! R-1
ガチシリーズ シーズン3 #19
ガチシリーズ W-1 vs GTG対抗戦?!
プロレスラー大和ヒロシ選手と心霊スポットに
行ったら女の子の霊が寄ってきました?! R-1
ガチシリーズです!
今回、何と?!
W-1所属 大和ヒロシ選手が
ガチシリーズに殴り込みです!
本物ですがな!
よーし!
リングを心霊スポットに変えて対抗戦だ!
さて、対抗戦第一戦目は
カーブの先に幽霊が出るというトンネルです
そこには何が?!本物のプロレスラーと
謎に迫ります!
絶対、大和選手をビビらせます!
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