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第380回『東京五輪の基調カラーは韓国の国民色だった◇北海道の危機は女子が救う』【水間条項TV会員動画】
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NHK東京オリンピック開会式
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【きずゆか中世史⑬】東寺合戦! 足利尊氏最後の戦い
八十八(やそや)です。
今回の動画は東寺合戦についての解説です。武蔵野合戦が終わってすぐここまでいくつもりだったのですが、全然できませんでした。これでもかなり削ってます。あまり多くない南北朝解説本でもこのあたりはあっという間に終わってしまうはずなのに…。あと「南北朝武将列伝」はマジ有能です。関係者各位の状況を時系列的に並べられて全体を把握しやすい本で本当におすすめです。
【きずゆか中世史:裏足利家の興亡】
前:12.5 後光厳天皇の恩返し? sm39035166
次:13.5 鶴の名は。饗庭命鶴丸の名前談義 sm39300992
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(参考資料:敬称略)
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観応の擾乱:亀田俊和
高一族と南北朝内乱:亀田俊和
佐々木導誉:森茂暁
佐々木道誉:林屋辰三郎
南北朝武将列伝 北朝編・南朝編:亀田俊和・生駒孝臣・杉山一弥
足利一門守護発展史の研究:小川信
源威集:加地宏江 校注
南朝研究の最前線:呉座勇一・日本史史料研究会
室町幕府 全将軍・管領列伝:平野明夫・日本史史料研究会
初期室町幕府研究の最前線:亀田俊和・日本史史料研究会
国別 守護・戦国大名辞典:西ヶ谷恭弘
太平記の時代:新田一郎
倉山満が読み解く足利の時代:倉山満
第375回『崖っぷちの防衛白書は「楠木正成」◇文大統領訪日中止は相馬公使の謗言「マスターベイション」◇東京五輪選手村の反日垂幕』【水間条項TV会員動画】
背景は府中の大國魂神社
2020東京オリパラ応援歌【あしたにたねをまこう】(パプリカ・バージョン)
https://youtu.be/u_lqvXs2vPQ
【きずゆか中世史12.5】後光厳天皇の恩返し?
八十八(やそや)です。
今回の動画は前回の【きずゆか中世史⑫】怒髪天を衝け 尊氏、怒るの補足動画です。この時期の足利尊氏と佐々木導誉との関係を少しだけ掘り下げました。動画では時系列がわかりにくいのでさらに補足します。
1554年(文和三年)
四月 八日 佐々木導誉、山名についた美作守護富田秀貞の領地を拝領する。
六月 七日 後光厳天皇、佐々木導誉に相模国他荘園十ヶ所を安堵。
十月 佐々木導誉、北江三郡守護を解任される。
この動画で紹介した後光厳天皇の綸旨はとても興味深く感じています。動画でも述べた綸旨の有効性、偽文書の可能性、利用実績の有無だけではなくなぜ宛行ではなく安堵なのか、とか導誉の身の破滅につながりかねないこんな危険文書がなぜ現代まで残されているのかなど、考察ポイントが数多くある史料だと思います。関連する研究論文などご存じでしたら是非ともご教示ください。
【きずゆか中世史:裏足利家の興亡】
前:⑫怒髪天を衝け 尊氏、怒る sm38937470
次:⑬足利尊氏最後の戦い sm39077993
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(参考資料:敬称略)
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【きずゆか中世史⑫】怒髪天を衝け 尊氏、怒る
八十八(やそや)です。
今回の動画は南朝の二度の京都占領後の足利尊氏帰還時期についての解説です。色々書籍を読んだのですが、この時期の尊氏の行動について包括して説明している記述には当たれませんでした。亀田俊和先生の本から高一族の、森茂暁先生の本から佐々木導誉の記事を拾ってつなげてみると尊氏は結構無茶しています。
そして斯波高経こと足利尾張高経が反逆するのもこの頃。小川信先生の本を読んでもその動機はよくわからなかったので、谷口雄太先生の新著の内容をヒントにある程度想像で埋めています。
【きずゆか中世史:裏足利家の興亡】
前:⑪山名の報酬! sm38660352
次:12.5 後光厳天皇の恩返し sm39035166
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(参考資料:敬称略)
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【朝鮮民謡】新高山打令 (신고산타령)【高音質版】
신고산타령 (新高山打令)
シンゴサンタリョン
演奏: 왕재산경음악단 (旺載山軽音楽団)
歌唱: 렴 청 (リョム・チョン)
新高山打令は、咸鏡道の民謡です。歌詞は1950年代に朝鮮当局により改変されたもののようです。
「新高山」は咸鏡道(現 江原道)の高山郡からきているそうです。山じゃねーのかよ。
個人的な話になりますが、この曲は私の好きな曲でしてsm36528845をnicoboxに入れてよく聞いていたのですが、音質が良くないので高音質版をネットの海から探し出して画面音楽風に仕上げました。
映像は、KCTVの画面音楽から朝鮮の風景等をかき集めたもので、新高山ではありませんのであしからず。
サックス☞ sm40666754 ポンチャック☞ sm7610844
旺載山☞ この動画 エアロビ☞ sm39340666
南朝鮮(普通)☞ sm32737195 南朝鮮(下品)☞sm21664386
音源: https://ournation-school.com/music/135
解説: https://dprktoday.com/news/14734
解説(南): http://m.blog.naver.com/arg3906/221455959881
【守愚今春】三河国秦梨城と秦梨郷 令和3年(2021) 仲春
2021年の3月下旬、愛知県岡崎市秦梨町にある秦梨(はだなし)城址を訪れました。
築城時期は不明ですが、鎌倉時代に三河守護の足利氏の被官である粟生(あおう)氏がこの地に築城したと伝わり、南の山には詰めの山城もあったようです。
戦国時代には秦梨城主・粟生永信(将監)は今川義元に属していましたが、弘治2年(1556年)に織田方に属した奥平氏等に攻められた(日近合戦)ものの撃退したと伝わります。
永録4年(1561)板倉弾正の岡崎城撤退に伴って,粟生将監も松平方に城を明け渡し,駿河に去った。その後,酒井図書が秦梨城に入るが,この頃から次第にこの両城とも必要性が薄れ,やがて廃城となってしまったようです。
現在、城址には城跡碑と供養塔があり、遺構は城の東側に堀切が明瞭に残っています。作手街道と乙川を眼下に抑える尾根の西端に秦梨城があり、さらに南に城山がありますが、城山は情報が少なく登城していません。
今回は秦梨城跡だけでなく、秦梨小学校のHPの史跡を参考に以下の順で訪れています。 鏡山神社(2:00) → 南朝忠臣碑(7:50) → 須佐之男神社(8:35) → 薬師堂兼公民館(9:57) → 同楽山人句碑(11:27) → 福正寺(13:02) → 秦梨城(13:58) → 才栗のムクノキ(21:50) → 常夜燈(23:00) → 聖洞寺(23:36) → 白髭神社(24:04) → 神明宮(岩戸城跡)(25:50) → 正蔵寺(27:00) → 秦梨小学校(29:20) → 秦梨八幡宮(友久城跡)(29:58) → 河合中学校(30:55) → 昭和堂菓子舗(31:49)と訪れています。最後(32:24)からは鏡山神社参道・秦梨城跡・乙川と桜・河合中学校のビデオの映像です。
秦梨は大学の友人の故郷なので、今回の動画は友人に語りかける形式となっており、敬語ではなく、自分の西国言葉(筑前と関西少しだけ)が炸裂しているので、苦手だと思ったらごめんなさい。
※kou殿・霞舞伎殿、広告ありがとさんでござんす♡
お城→mylist/37297571
【きずゆか中世史⑪】山名の報酬!
八十八(やそや)です。
足利義詮は決して無能なお坊ちゃんではなく、自分が理解した範囲で情勢を合理的に判断して改革を推し進める意思と能力を持っていました。ただ発生した事態が彼の想定を大きく逸脱し、彼を取り巻く人々を巻き込んでいったのが不運でした。
なお、このシリーズは斯波高経の生涯(以下略)
【きずゆか中世史:裏足利家の興亡】
前:⑩佐々木導誉の北朝再興! sm38553281
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【きずゆか中世史⑩】佐々木導誉の北朝再興!
八十八(やそや)です。
南朝に京を追われて絶体絶命の足利義詮の前に立ちはだか下る謎の人物!彼が下した選択とは何か!次回、「佐々木導誉の北朝再興!」 デュエル!スタンバイ!!
なお、このシリーズは斯波高経の生涯(以下略)
【きずゆか中世史:裏足利家の興亡】
前:武蔵野合戦 英雄!足利尊氏 sm38299148
次:山名の報酬 sm38660352
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塚本素山とは一体何者なのか?
大本から派生した生長の家信者であった田中静壱陸軍大将の専属副官の塚本素山は、戦後に創価学会顧問に就任。2代目会長戸田城聖に師事。学会の前身は南朝皇統派の大日本皇道立教会で、天誅党に遡る。戸田城聖の叔父が初代会長牧口常三郎で、大本の出口王仁三郎、笹川良一らは親戚にあたる。
【神道シリーズ】第24回・前期水戸学(水戸光圀と「大日本史」)
水戸光圀は、初代水戸藩主徳川頼房の三男として生まれ、幼くして二代水戸藩主の継承者に指名されたが、兄の頼重をさておいて継承者になったことに負い目を感じ、複雑な心境から荒れ狂った少年時代を送るが、18歳の時に読んだ史記の伯夷伝に強く感動し、儒教の長幼の功、つまり、長子こそが王位を継承すべき、という説に心を打たれ、以降人が変わったように孔子の儒教の勉強に励んだ。
史記の伯夷伝にならって漢文体で日本史の編纂を始めた光圀は、藩主になって以降、これを藩全体の中核事業に添え、日本の歴史を儒教的観点から見直すという作業を本格的に始めた。
その中で光圀は同じく儒教的立場から日本の歴史書を書いた幕府の指南役の林羅山と同様、儒教的合理主義に基づき、日本書紀の神代巻は妖怪迷信のたぐいとして対象から外し、あくまで神武天皇からの天皇の歴史書を作成することを目指していた。
結局、光圀が編纂した「大日本史」は神武から100代の後小松天皇までの歴史記録となっているが、中でも強調したのは、神功皇后が天皇ではなく女傑であったこと、壬申の乱で自害した大友皇子を「天皇大友」としたこと、そして、なんといっても南朝正統論である。
しかしながら、光圀の儒教道理論、つまり、聖人君主や長幼の功論からするとどうしても北朝の方が正統となってしまうのだが、それでも南朝が三種の神器を持っていたことを根拠に南朝正統論を強弁する理由は楠木正成の忠臣ぶりを評価したかったからである。
晩年光圀は、正成を賞賛するために湊川神社や各地に楠社を創建させたが、この中心の武勇の魂を祀るという思想は儒教の招魂思想からくるもので、この思想は後に長州藩が幕末の尊王の志士たちを祀った桜山神社や京都霊山、そして明治以降の東京招魂社、つまり靖国神社の創建につながる思想となったのである。
【みちのく壁新聞】みちのく雲水流浪、南部路春日和、見町観音堂・雫石城・南昌山、青森県七戸町、岩手県矢巾町町、2013/04/28
昨日は、青森県の浪岡を中心に、長慶天皇と北畠氏の伝説を訪ね、七戸町に向かい、長慶天皇の伝説が残る見町観音堂など数か所をまわった。
見町観音堂は、南朝の雄の南部政光が、長慶天皇の菩提を弔うために建てたと伝えられる。堂は、度重なる修理によって当初の姿は大分失われてはいるが、技法の上では、かなり古い箇所もいくつか残されており、内部の来迎柱廻りなどに当初の面影が残っているという。
…
【きずゆか中世史⑨】武蔵野合戦 英雄!足利尊氏
八十八(やそや)です。
もし足利尊氏がこの合戦に負けて討死でもしていたなら、後世に英雄と呼ばれることはなかったでしょう。竹之下や多々良ヶ浜、湊川合戦なども足利直義や高師直の功績になっていた可能性すらあります。足利尊氏の人生にとってそれほどまでに重大な意味を持つ戦い。武蔵野合戦について解説します。
なお、このシリーズは斯波高経の生涯(以下略)
【きずゆか中世史:裏足利家の興亡】
観応の擾乱① 初めての御所巻 sm37976740
観応の擾乱② ほんとうは悪くない? 高師直 sm38023882
前:観応の擾乱③ 足利直義の最期 sm38023882
次:佐々木導誉の北朝再興! sm38553281
ツイッター:https://twitter.com/yasoya_night
(参考資料・敬称略)
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足利尊氏と直義:峰岸純夫
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天皇家はなぜ続いたか:今谷明他
南朝研究の最前線:呉座勇一・日本史史料研究会
陰謀の日本中世史:呉座勇一
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安城市史5 資料編 古代・中世:安城市史編集委員会
ピクトリアル足利尊氏 南北朝の騒乱:永原慶二総監修
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太平記の世界 変革の時代を読む:永積安明・上横手政敬・桜井好朗
逃げ上手の若君:松井優征
注文の多い料理店:宮沢賢治
(補記)
動画中の皇統図、便宜上崇光天皇の下に直仁親王を置いていますが、正確には光厳天皇の猶子であり、崇光天皇の義理の弟にあたります。この辺りきちんと解説できてなくて申し訳ありません。事情は結構複雑です。
元弘の乱時に近江に逃亡した五辻宮を後醍醐天皇の第五皇子と言ってましたが、亀山天皇の第五皇子の間違いでした。訂正します。
詳細は以下参照
ar2001873#-
【みちのく壁新聞】みちのく雲水流浪、津軽路春日和、長慶天皇伝説の鶴喰若宮八幡宮、青森県六戸町、2013/04/25
昨日で今回の仕事は終えて、昨夜の内に長躯青森に入った。今回は、六戸町から三沢を通り、夏泊半島を経て、青森市内と以前残した浪岡の歴史散策をするのがざっくりとした予定だった。冬に閉じ込められ、久方ぶりの本格的な歴史散策で、気分はハイで、長距離走破も苦にはならない。
今回の予定では、長慶天皇の伝説を辿るのが一つの大きな目的だった。この日の始まりは、その伝説を残す、六戸町の鶴喰若宮八幡宮だ。長慶天皇は、南朝がすでに勢いを失った時期の、南朝三代目の天皇であり、当然のことながら資料も少なく、その確たる事績は不明であるが、各地に多くの伝説を残している。
…
祝連載開始!南北朝漫画『逃げ上手の若君』 内容の補足と南北朝時代武将紹介!
いつもコメント広告本当にありがとうございます!
Twitter→https://twitter.com/ootaushiichi
信長解説シリーズ⇒series/83634
番外編シリーズ⇒series/107537
信じられないけどついにこの時が、唐突に来てしまいました
松井先生という実力ある漫画家が「南北朝時代」を「ジャンプ」に連載…
分からないものですね
南北朝クラスタとしては全力で応援しようと思います!
今回は大筋の紹介と1話の補足、
そして今後出ると予想する武将達の紹介です
皆さんも『逃げ上手の若君』を応援しましょう!
主要参考文献
久保田順一『上杉憲顕』戎光祥
黒田俊雄『日本の歴史 蒙古襲来』中公文庫
呉座勇一編『南朝研究の最前線』洋泉社
佐藤進一『日本の歴史 南北朝の動乱』中公文庫
細川重男『北条氏と鎌倉幕府』講談社選書メチェ
【神道シリーズ・シーズン2】第16回・吉田神道(時代に乗ったフェイク神道)
吉田神道は、南北朝の争いで南朝方に加担した伊勢神宮が伊勢神道の影響力が地に落ち、そして戦国時代の夜明けとも言える応仁の乱のあとに伊勢神道を受け継ぐようなかたちで京都の吉田神社で誕生した。
吉田神道の創始者の吉田かねともはアメノコヤネを始祖とする中臣氏の流れの卜部氏の系統のヨシダケ出身で、ある意味武家社会が本格的に朝廷を上回る政治的立場を確立した時代にマッチした神道理論を提案する絶好の機会であったとも言える。
当時も農民を中心とした一般庶民の信仰は100%仏教で、神道理論は庶民というよりも貴族や武家などその時代の支配者たちに提供された体制保障の論理であり、それがこれまで末法時代の克服論であったり救民救済であったりしたのが、武家社会が朝廷を圧倒する戦国時代になると封建支配体制正当化の儒教朱子学理論を軸とした神道理論が武家の間で重宝されるようになったのである。
吉田かねともはそうした時代の流れに狡猾にもうまく乗り、仏教儒教道教を総合しつつも儒教的君民統治論に重点をシフトした神道論を武家の支配層への時代ソルーションとして提供することに成功した。
しかし、その為にかねともは過去に存在してなかった自称古書を自らの著作で捏造し、あたかも太古の昔から吉田神道が存在したような主張をし、さらにかつて密教勢力や伊勢神道の渡会行忠がやったような偽書捏造を通じて京都の吉田神社境内に建てたサイジョウこそが絶対神の国常立のみことの聖地とし、この日本書紀書き換えには伊勢神宮からの強い反発を招き、両者は鋭く対立を続けることとなったのである。
吉田かねともは、吉田神道こそはアメノコヤネ以来日本で唯一こんにちまで伝えられた唯一の元本宗源神道であると主張し、仏教も儒教も道教も同一の理念である理由はこの吉田神道がそれらの起源であるからだとまで豪語したが、問題はその中味がその仏教儒教道教の理論書からの切り貼りであり、すべての宗教の根源とする神道なるものの姿がまったく見えてこないところにあった。
しかしながら、これまで豪族貴族の始祖か御霊のみに限り死者を神と祀って来た過去の歴史を刷新するように時の権力者や儒教的な忠君論的立場より死者を神として祀ることを提唱した吉田神道は、豊臣秀吉や徳川家康など時の権力者たちから受け入れらることとなり、吉田神道は政治的にその地位を確保することになったのであった。
【自称天皇】南朝の末裔らしい熊沢天皇とは…その人生に迫ってみる!
こんにちは、こづちと申します。YouTubeで、古銭などの動画をあげているものです。
熊沢天皇は、昭和を騒がさせた自称天皇です。魅力的な人物で、マスコミをにぎわせたのです。
こづち古銭ホビーチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCSbMylHhOpOUqwy7hQE6Pnw?sub_confirmation=1
【みちのく壁新聞】大崎太平記-1、斯波氏が大崎に下向し、探題として北朝の権威を掲げた
大崎氏は清和源氏足利氏の一門で、斯波氏の分かれである。建武年間のはじめ(1334頃)、陸奥守に補任された北畠顕家は義良親王(のちの後村上天皇)を擁して多賀城に拠り、独立した政庁を創設した。これに際して、葛西・伊達・南部氏らの豪族が南朝方として忠誠を誓ったことで、奥州は南朝の勢力が強大化した。
…
真冬の厳島へ2 眺めの良い対岸の岡から「宮島(厳島)」厳島の海峡を眺める
宮島へ向かう途中対岸からの風景2 宮島口の上にある対厳山 の小さな公園から宮島の全景と宮島と本土の間の海峡を眺めの映像。この後宮島へ渡りました。
この公園は例年夏の海上花火大会などでは見物客が多く集まる。だいぶ以前ここから初日の出を見たことがあります。普段はあまり人がいない静かな公園。滑り台の上から撮影しました^^;
バイパスから阿品台を抜け、宮島口あたりの国道2号線を避け西へ向かう抜け道になっているので結構走ることが多い。
ここを下ると更地地区に出て右へ行くと旧山陽道(山側に未舗装路がのこる)沿いの道で新幹線高架や山陽自動車道の下を並走し大竹方面へと続く。左にいくと国道2号線へ合流する。
今川了俊=足利義満から九州探題を拝命し南朝軍と戦った武将、歌人でもあり「難太平記」、紀行文「道行きぶり」などを現す。おおの浦・・・の和歌は〜西国街道を了俊が通過した折に残したもので。道行きぶりに記載されている歌。了俊は宮内から地御前神社へさらに山越えで中山に入り西へ進んだらしいです。
初音ミクによる 멸공의 횃불 (韓国軍歌「滅共の松明」 日本語吹替え版 4番まで)
此度のリクエスト曲は「滅共の松明」という韓国軍歌になります。
なんでも、韓国10第軍歌に数えられる曲だとか。
大韓民国国軍(대한민국 국군)は、北朝鮮では「南朝鮮傀儡軍」とか呼ばれているそうですが、この歌の題名の「滅共」というのは、その共産主義国家を滅するという意味だそうです。
また、「松明」の表現が使われているのは、「ロウソクが松明へと変わるだろう」という言葉が韓国にはあり、最初はロウソクのような小さな火でも、やがては松明のように大きくなり相手を火刑に追いやる、という意味が込められているそうです。(近代になって生まれたフレーズのようです。)
●翻訳について
歌の中で「젊음의 정열바쳐 오늘을 산다」を「若さと熱情で 今を生き」と訳してますが、韓国語では「情熱」を表す単語が複数あり
「열정」(一生懸命に熱を注いで練習する様。ちょっと日本語の「情熱」とは違う気がします・・・)
「정열」(日本語で言う熱情に近い言葉。)
等、若干ニュアンスが違うようですので、今回は「熱情」としてみました。
今回思ったのが、韓国語って日本語の文法と並び順が似ており、日本語と同じ「てにをは」(助詞)が存在する言語なので、慣れるとかなり読みやすい言語かな?ちゅー事ですね。(流石お隣さん)
個人的には韓国、まして韓国国民には何の恨みも無いので、某大統領の下で進む韓国の赤化と、韓国の若者の将来(経済的な)が気がかりです・・・。
(物価は日本と大差ないのに、一般家庭の所得が日本の1/2って、やばない・・・?)
■全く軍歌とは関係ない話
先日、UFOキャッチャーの達人(知人)から連絡がありまして
知人「残念なお知らせがあります・・・」
わし「はい?」
知人「ミクさん(フィギュア)増えます・・・」
わし「え?何体?・・・・・・・え?ほんま?」
という事ですので、そのうち「ミクさん戦隊」の写真をお届けしたく思います。(意味不明)
次回投稿予定:2020年12月31日(次の投稿で今年も終わりですなぁ・・)
次弾装填:巡航節
★本日のうちのMMD的家系図
Lat式ミク 名前の分からない外人さん型
広告に関する謝辞:秋月型初月様、度重なる爆速広告、確かに頂戴致しました。また、箱部なる様、エコくじら様、クレアおばさん様、月鈴那知様、トオノ様、マイントイフェル様、コンバット越前様、服部平次様、金正恩・金正日様(あかんやろ)、ワド様、荷馬車のジョーンズ様、月鈴白奈様、朴正煕様もありがとうございました!
【神道シリーズ・シーズン2】第14回・「神皇正統記」北畠親房(伊勢神道を継ぐ者たち①)
渡会家行の後、後継者なく途絶えそうになっていた伊勢神道は、内宮の荒木田氏により救出され引き継がれることとなったものの、その法統も南北朝の戦乱の中、再び途絶えようとしていた時期に、南朝の重臣の北畠親房や天台僧の慈円らによってその流れが引き継がれることになりました。
伊勢神道自体の復興は江戸時代の 度会延佳の時代を待たねばならなかったものの、この南北朝時代に伊勢神道の流れを継いだ北畠親房の「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」の中では、道教的な思想が中心であった伊勢神道に儒教(朱子学)的なイデオロギーを注入したのが特徴で、実はこの流れはこの先の吉田神道や江戸時代の儒家神道・水戸国学・復古神道にも強い影響を与えて行くことになります。
【韓国の反応】韓国さんが中国産ワクチンを最も信頼性の高いワクチンだと発言【世界の〇〇にゅーす】
世界の〇〇にゅーす
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教科書に書かれていない本当の歴史講座中世編第2回 ~本当にあった南朝太平記~【一般公開版】
令和2年11月22日、柏原市立歴史資料館にて開催された記念講演に於いて、当資料館長の安村俊史氏の特別講演『大和川のつけかえ』に引き続き、登壇させて頂いた折の記録動画です。
私の講演『本当にあった南朝太平記』の論旨は以下となります。
・安村館長『大和川のつけかえ』講演に関して、大和川源流である都祁の大きな意義
・楠木正成が『橘朝臣正成』と公文書に自署していることと『うじかばね』の歴史
・楠木正成は『悪党』ではない
・後醍醐天皇は楠木正成を大いに信頼していた
・敵方からも篤く崇敬された楠木正成
・南朝と北朝の歴史~何故、大覚寺統と持明院統に皇統が分かれたのか~
・鎌倉時代と室町時代は上下の見境の無き無秩序な時代であった
当リンクは一般公開版として、講演の一部を抜粋しご紹介しております。講演の全記録につきましては、『弊会有料会員様(年会費御納入の方)グループページ』にて、限定非公開記録動画版を配信しております。
講師としてご招待くださいました山川薫様に、心より篤く深謝御礼申し上げます。
山陽自動車道の傍の側道から 晩秋の厳島の海峡の眺め 広島県廿日市市
旧山陽道付近〜宮島の眺め。錦帯橋へ行くので、国道2号線から阿品台を抜け旧道に入り〜廿日市市の西にある宮浜温泉を過ぎ、大竹市玖波へ抜ける 迂回路からの眺め。抜け道は狭いのだが車の交通は結構多いです。真後ろの少し上には山陽自動車道が走ります。
この辺は大雑把に言いますと旧山陽道(西国街道)が走っていた場所の近くです。
「大野浦を これかととえばやまなしの かたえの紅葉色に出つつ」 今川了俊
<室町時代初期九州探題の今川了俊がこの辺りを九州へ向かう途中詠んだという歌らしいです
南朝方を殲滅し九州を鎮圧する室町幕府の最高司令官でした>
大野浦駅近くを通過した時よく見えそうな場所から大内氏の門山城跡の山をしたから眺めて写真を撮ったのでまたあげます。昔何回か登山で行きました。
我が国の教育が大変な事になっている!~大楠公を『悲劇』の武将にしてはならぬ! 建武中興の真の理念を学べ~
建武中興の具現であった明治維新。
謂わば、建武中興(『建武の新政』とは戦後に書き換えられた誤表記)の理念とは、近代日本の礎となった精神である。
しかし、戦後の自虐史観によって、後醍醐天皇の建武中興の事蹟は歪められ、貶められ、そして今、教科書から大楠公の名前は消し去られようとしている。
楠公精神を最も恐れたマッカーサーは、それを潰すべく、厚木基地に降り立った。
GHQによって破壊された日本精神を取り戻す為には、大楠公の事蹟と建武中興の理念を正しく理解せねばならない。
#湊川の戦い #南北朝時代 #自虐史観からの脱却
#教科書選定問題 #洗脳教育
第28回楠公研究会「全国御歳神社総本社・葛木御歳神社 〜南朝ゆかりの鴨社と御所」
第28回楠公研究会、盛況裡に開催されました。楠公精神の更なる広き訴求の為にも、ぜひ当チャンネルの多くの皆様によるご登録のご協力を宜しくお願い申し上げます。↓
https://youtu.be/CEvWwRl6X60
ここ御歳神社の創建は奈良朝以前にまで遡る古社。
仁寿2年(852年)には正二位、その後、従一位という高い神階を授けられています。
その御神威の高さは、古代より、朝廷にて斎行される祈念祭に於ける御年神に豊作を祈る祝詞にて、まず始めに「御年の皇神の前に……」と奏上される程。
高鴨社の高鴨神社・下鴨社の鴨都波神社に対して「中鴨社」と称される名社で、上賀茂神社等を始めとする全国賀茂神社の総本社でもあるのです。
また、東川氏は、南北朝時代には、南朝帝を助けられた由緒あるお家柄であり、ここ御所市と五條市もまた南朝とゆかり深き地。
大楠公が忠義を尽くした誠の真髄を知る為には国體を知らねばなりません。
建武中興の真の理念とは何であったのか、それを理解して始めて、大楠公の大いなる志を理解し得るのです。
今回の勉強会に於いては、御歳神社境内の「カフェみとしの森」にて、東川宮司様からの大変ご丁重なるご講義により、一同、また一歩、皇国の真の形を学び理解する事ができました。
勉強に引き続き、宮司様お手製のケーキとコーヒー・紅茶を戴きつつ、ご参加者皆様相互の懇親を深めました。
今回も、遠くは横浜からお越し下さいました会員様もいらっしゃられ、お心尽くしのお気持ちに感謝の絶えぬ思いでした。
素晴らしい学びを頂きました東川宮司様に篤く御礼申し上げますと共に、遠路お越しくださいました会員の皆様に心より深く感謝申し上げます。
【みちのく壁新聞】民族同士殺戮の始まり、朝鮮戦争への道-2、虚偽の徴用工や慰安婦は騒いでも、国内大虐殺は知らんふり
大韓民国成立直前には、韓国内は右派と左派が入り乱れ、国内は大混乱に陥っていた。特に済州島では左派の勢力が強く、李承晩らはアメリカ軍政庁と結び、右翼青年団体を済州島に送り込み警察組織を背景に島民の反乱組織の壊滅を図った。
1948年に入ると、南朝鮮は北朝鮮抜きの単独選挙を行うことを決断し、島内では単独選挙に反対する左派島民が4月、武装蜂起した。これに対して、韓国本土から鎮圧軍が派遣されることになった。しかし鎮圧軍内の共産党員が反乱を扇動し、これに多くの隊員が呼応し部隊ぐるみの反乱となった。反乱は1週間で鎮圧されたが、その事件処理での韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害された。
…
第二回楠公研究会総会 ~湊川神社~
平成30年4月25日、弊会発足式と同会場である神戸市鎮座の湊川神社、及び、楠公会館にて、第二回記念総会並びに記念祝賀会を開催致しました。会には、元衆議院議員の西村眞悟先生を始め、弊会顧問をお願いしております各県県議・各市市議の皆様を始め、楠公崇敬者の同志の方々にご出席いただき盛大に開催させていただきました。その記録VTRです。今まではYouTubeのみで配信しておりましたが、万一に備え、DOWANNGOにても配信させていただきます。
弊会では月に一度のペースで、楠公及び南朝ゆかりの地にて現地勉強会を開催し、地元の寺社の方々から、戦後に封印されてしまった南朝史の真実を学んでいます。歪んだ歴史観が蔓延している現代、これからの未来に向けて、正しい歴史を伝え遺すべく、日々、取材研究活動に勤しんでいます。
会員募集中。御入会いただいた方には、Facebook会員限定ページへのご招待、年数回の通信、会員証の交付をさせていただいております。御入会ご希望の方は以下までご連絡、お問い合わせください。
℡:090-3723-4251 ✉:[email protected](担当:西山)
(※記録VTRは、第二回勉強会からとなります。ご了承の程宜しくお願い申し上げます)
南北朝正閨論 ~南朝が正統か、北朝が正統か~
南北朝時代は、かの司馬遼太郎も題材としなかった、という事で、論じるのが非常にややこしい時代と思われているが、その原因は、皇統が二天同時に両立した事に尽きる。しかし、日本の国史と国體を論ずるに、決して、この時代を外しては語れぬ。皇統とは何か、天皇のご存在とは、日本人とは何か。それらの答えこそがこの時代にあると言えよう。何故、皇居外苑に大楠公像が建られたのか。南朝とは、北朝とは何だったのか。日々頂く多くのご質問に、お答えする。