キーワード 国家神道 が含まれる動画 : 47 件中 1 - 32 件目
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国家神道と宗教
mylist/16935428 第一回カリスマ講師は支那シンパ。
第二回sm9504862 カリスマ講師の身元が割れました。sm9517249
カリスマ講師の自己評価
カリスマ講師はホルホルしている その他mylist/16935428
国家神道と宗教sm9496858
軍国主義の宗教性sm9275239
ヒットラーのカリスマsm9825371
独裁者ヒットラーのカリスマ
ゲル画質 カリスマ講師が解説(妄想)するヒットラーとは その他mylist/16935428
日本の軍国主義と宗教性sm9275239
国家神道と宗教sm9496858
『マイスプ+人権擁護法案・現人神国家神道という幻想』 23・01・22
my日本SPREAD!!とは,日本に誇りを持つ仲間たちのネットワーク
SNS my日本 (http://mynippon.jp/)
の有志がお送りする,インターネット生放送番組です.
配信者・出演者
ワヤ ジブリ@ 彦十郎
内容
人権擁護法案・『「現人神」「国家神道」という幻想』(新田均 著)の紹介(その1)・フリートーク
今回の目次
■人権擁護法案-ジブリ@(1分ころ~)
■「現人神」「国家神道」という幻想-ワヤ(31分半ころ~)
マイスプ+のアーカイブ
mylist/21570232
『マイスプ+日本建国』 23・01・29
my日本SPREAD!!とは,日本に誇りを持つ仲間たちのネットワーク
SNS my日本 (http://mynippon.jp/)
の有志がお送りする,インターネット生放送番組です.
配信者・出演者
秋津島の蜻蛉 ワヤ
内容
教育勅語・日本の建国
今回の目次
■「現人神」「国家神道」という幻想-ワヤ(6分半ころ~)
■教育勅語(14分ころ~)
■日本の建国とは?(21分ころ~)
マイスプ+のアーカイブ
mylist/21570232
2月26日(土曜日)放送~my日本Spread+教育略して『マイスプ+』
★賀茂社について
★「現人神」「国家神道」という幻想
★教育勅語
★古事記
★通州事件
#8 神社へお参り、朝日新聞?!でも安倍首相の靖国参拝はダメなの?
公開収録情報!9/16本当はすごい神道公開収録
お申込みはこちら⇒http://ameblo.jp/cgsinfo/
『本当はすごい神道!』mylist/38148623
第8回 神社が大好き、朝日新聞?!屋上には毎日神社?!え、靖国参拝はダメなの?
講師:山村明義先生、聞き手:まついみか
CGS FBPage http://www.facebook.com/ChGrandStrategy
似非「日本文化ch」桜の水島「靖国神社は自然国家のアニミズム的信仰」
ここでの橋爪大三郎氏の指摘は普通の人間、つまり人神になるような性格の無い者まで合祀している。英霊という儒教・道教的観念、本来の皇室伝統の神道における神とは違うということ。御霊信仰に基づくといいたいのならば、それを論理的に言えばいい。しかしながら靖国神社は御霊信仰を基に新しく人工的につくられたもので、水島が言っている本来のアニミズム的な自然国家の信仰としての靖国とかは妄想。自分は靖国自体はあるべきであるとは思うが。それを本来の日本文化であるかのように言うのは論理的ではない。このように論理より情念を優先させるからバカ保守なのだ。都知事選敗北の戦犯水島、デヴィ夫人とかいう暴行犯北朝鮮のスパイに田母神の応援させるとか、どういう神経をしているのか、センスが無さ過ぎる。
魍魎の匣 第11話 「魔窟の事」
京極堂は、自分と美馬坂の関係を明かした。京極堂は戦時中、陸軍の研究所だった例の箱型の建物内で、異教徒を国家神道に改宗させるための洗脳実験をやらされていた。その時、美馬坂は、そこで死なない兵士、人工臓器の研究に没頭していたという・・・。その頃、箱型の研究所のドアを蹴破って侵入した木場は、出てきた技術者の甲田を倒して、美馬坂に迫っていた。美馬坂が、加菜子を生かすために、他の娘たちの臓器を使ったと推理した木場は、真偽を直接質す。そして、推理を否定された木場は、拳銃の銃口を美馬坂の額に突きつけて――。
京極堂:平田広明/榎木津礼二郎:森川智之/関口巽:木内秀信/木場修太郎:関 貴昭/鳥口守彦:浪川大輔/楠本頼子:高橋美佳子/柚木加奈子:戸松遥/柚木陽子:久川綾/中禅寺敦子:桑島法子/楠本君枝:津田匠子/関口雪絵:本田貴子 他
原作:京極夏彦(講談社刊)/監督:中村亮介/シリーズ構成:村井さだゆき/キャラクター原案:CLAMP/キャラクターデザイン:西田亜沙子/色彩設計:大野春恵/美術監督:金子英俊/撮影監督:五十嵐慎一/CGディレクター:菅 友彦/プロップデザイン:木村雅広/編集:寺内 聡
so31939170←前話|次話→so31939187 第一話→so31939161
【新唐人】靖国神社参拝 なぜ日本人はこだわる?
【新唐人2014年8月17日付ニュース】
新唐人テレビは米国ニューヨークに本部を置き、あらゆる圧力に屈することなく、華人を始め全世界の人々へ、報道されることのない真実を客観的立場から公正にお伝えします。
【尖閣諸島問題】mylist/34232689 新唐人テレビとは sm15335079 報道 mylist/37475033 新唐人スペシャル mylist/26910375
http://www.ntdtv.jp/ アンケートhttp://www.ntdtv.jp/questionnaire.html
3/3【討論!】政治と宗教の現在 Part2[桜H26/11/1]
◆政治と宗教の現在 Part2
パネリスト:
小川寛大(宗教ジャーナリスト)
乙骨正生(ジャーナリスト
) 加瀬英明(外交評論家)
富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)
ペマ・ギャルポ(桐蔭横浜大学大学院教授・チベット文化研究所名誉所長)
星飛雄馬(著述家・評論家)
三浦小太郎(評論家)
司会:水島総
①watch/1414770535
②watch/1414771321
③watch/1414771375
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
ナショナリズムと宗教を問い直す 中島岳志(政治学者)×島薗進(宗教学者) @ジュンク堂池袋本店
2016/3/15収録『愛国と信仰の構造-全体主義はよみがえるのか』(集英社新書)刊行記念対談中島岳志(政治学者)×島薗進(宗教学者)国家神道、祖国礼拝、八紘一宇。愛国心と信仰心が暴走した果てに、戦前の日本がなだれこんでいった全体主義。その種がまかれた明治維新から第二次大戦まではおよそ75年ですが、戦後75年めが近づく現代の日本も奇妙によく似た歴史の過程を歩んでいます。危機の時代になると、人々はなぜ国家と宗教に傾斜していくのか。戦前のような全体主義は甦るのか。ナショナリズムと宗教の関係を追いかけていた政治学者と宗教学者が、明治維新から現代までの150年を分析。この先の日本の行く先を考えます!【講師紹介】●中島岳志(なかじま たけし) 一九七五年生まれ。政治学者。北海道大学公共政策大学院准教授を経て、二〇一六年三月より東京工業大学教授。専門は近代思想史。主な著作に『中村屋のボース』(大佛次郎論壇賞受賞)。●島薗進(しまぞの すすむ) 一九四八年生まれ。宗教学者。東京大学大学院人文社会系研究科名誉教授。上智大学神学部特任教授、グリーフケア研究所所長。専門は近代日本宗教史。日本宗教学会元会長。主な著作に『国家神道と日本人』。
日本会議会長が反日メディアに洗脳された外国人記者を正論スパンキング
外国人記者の質問時に通訳がマイク使ってなくて聞き取りにくいので(全体的に軽く音声増幅してあります)
2/3【討論!】大東亜戦争と天皇[桜H28/8/13]
◆大東亜戦争と天皇
パネリスト:
小川榮太郎(文藝評論家)
桶谷秀昭(文芸評論家)
小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
上島嘉郎(元産経新聞社『月刊正論』編集長・ジャーナリスト)
澤村修治(評伝作家)
富岡幸一郎(文芸評論家・関東学院大学教授)
西部邁(評論家)
司会:水島総
①watch/1470986045
②watch/1470986055
③watch/1470986047
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
http://www.ch-sakura.jp/579.html
◆チャンネル桜公式HP
http://www.ch-sakura.jp/
森友学園(住所が大阪市)が運営する塚本幼稚園の運動会での一コマ
「尖閣列島、竹島、北方領土を守り、日本を悪者として扱っている中国、韓国が心を改め、歴史教科書でうそを教えないようにお願いします」「安倍首相がんばれ、安倍首相がんばれ。安保法制国会通過よかったです。日本がんばれ。エイ、エイ、オー」色々な関係で音声だけです本当に気持ち悪いですよね?どこかのカルト教なのでしょうか?って思いますそこまでして国家神道を復活させたいのでしょうかね?一部、指摘があったので、タイトルを修正しました大阪市にある森友学園ですので、けして市立でなく、私立です
森友学園(住所が大阪市)が運営する塚本幼稚園児に昭恵夫人が涙
園児「日本国、日本国のために活躍されている安倍晋三内閣総理大臣を、一生懸命支えていらっしゃる昭恵夫人、本当にありがとうございます。ぼくたち・わたしたちも頑張りますので、昭恵夫人も頑張ってください」 昭恵夫人「感動しちゃいました」 安倍晋三記念小学校よろしくおねがいします。 いかに森友学園と安倍総理や夫人との癒着があったかよくわかる感じです
『9.23 皆で靖国神社に参拝する会』の参加者の方へ
★Instagram→https://www.instagram.com/kazuya.hkd/
★今後の講演情報はこちら→http://kazuyahkd.com/event
★マイリス→mylist/36734521
【神道シリーズ】第24回・熊野信仰(浄土思想と天台密教が織りなす「死の国」の息吹)「神道」無関係w①
熊野信仰は、奈良時代の新羅より伝わった雑密(未完成の呪術的密教)と平安時代以降の浄土信仰(一遍の時宗の融通念仏思想)と天台宗寺門派(三井寺)から成る「贖罪の国」「死の国」熊野から成っています。
華厳経や法華経に説かれた補陀落渡海(ほだらくとかい)と言って、小舟に30日分の食料を積み、念仏を唱えながら極楽浄土に辿り着くことを願って永遠の船旅に出る、つまり、水上自殺の聖地として那智は名所となっていました。
熊野三社(本宮・速玉新宮・那智)の熊野権現は古事記には出てこない仏教の神様で、こうした背景の中、時宗(時衆)の巡礼者たちが減罪を求めて「蟻の熊野」という紀州を通って熊野にいたる熊野古道の難所を越えて行きます。
ユネスコ世界遺産に指定された熊野三社や熊野古道はまさに日本の精神文化の神髄と言っても過言ではありません。
「神道」(国家神道のこと)とはまったく無関係な真の日本の精神文化の髄に触れられる場所がこの熊野です。
今回は熊野信仰の基本構造についてお話をし、次回はその肉付けのお話をしようと思ってます。
【神道シリーズ】第26回・祇園信仰(新羅の神(牛頭天王)と陰陽五行思想)神道無関係w①
祇園社(現在の八坂神社)は、斉明天皇の時代の656年に、高句麗から来た新羅人の使者・伊利之使主(イリシノオミ)が天皇と接見し「新羅の神・スサノオが日本に住み着いていらしてこれから帰国するところです」(八坂神社社伝)と伝えられ、その伊利之使主は高麗(の狛国)より連れて来た81人の新羅人とともに祇園社を作りました。(帰国の予定のスサノオ神がそこに留まることになったわけです)
それから朝鮮半島より播磨に伝わっていた蘇民将来の民間伝承に出てくる武塔神(天刑星>道教神)が廣峯神社より近江の東光寺(天台宗)を経て9世紀には武塔神とスサノオ(牛頭天王)が習合し、現在に至る祇園神が形成されます。
この祇園信仰は古代朝鮮の神信仰(牛頭天王=スサノオ)に加え、きわめて中国の陰陽五行説(道教)色の強い信仰だと言えます。
明治維新でそれまでの本来の祇園信仰は破壊され、国家神道的な解釈になりましたが、今でも八坂神社や祇園の会を始め全国の祇園祭の会が本来の祇園信仰を取り戻そうと奮起しています。
【神道シリーズ】第47回・八百万の神④天狗信仰(道教と密教修験道の習合が生み出した妖怪(仏教)護法神)
天狗と言えば、鼻が高くて山伏の格好をして手に大きな葉っぱを持ってるようなイメージですが、実はこうした天狗のイメージが創られたのは室町時代(「御伽草子」)ぐらいからで、もともとの天狗とは中国の道教神話の中で、流星の隕石が狐(ないしは犬)のような形をしてるのが天狗と呼ばれていたのですが、遣唐使の僧旻(そうみん)はその妖怪的なイメージだけを日本に伝えたところから、後にそのイメージが平安時代になって仏僧たちによって開かれた全国の山岳信仰の間で修験道の山伏たちにより僧形の天狗の神のイメージが生まれ、修行を多く積んで強力な験力を得たものが天狗になったとされました。
その天狗は、権現神(仏の眷属が仮の姿として山の神となったもの)と重なり、日本の山岳信仰(全国)の中に浸透して行きました。
八百万の神の中でもこの天狗信仰は全国の山岳信仰に隈なく普及しており、むしろ天狗信仰の無い山岳信仰を探すことが困難なぐらいになってます。
後に江戸時代に国学が盛んになると、天狗を古事記の神サルタヒコに比定する動きも出てきましたが、天狗自体は古事記や日本書紀にはまったく無関係の修験の神だと言えます。
やがて真言宗や天台宗が全国の山岳信仰を制覇するようになると(平安~鎌倉時代)、天狗信仰も両派(当山派=真言系/山門派=天台系)の傘下に入って行きます。
明治時代には国家神道形成の為に多くの天狗信仰の寺が廃寺に追い込まれたり、寺が無理矢理神社にされたり、祭神が無理矢理古事記の神に変えられたりしましたが、1000年以上に渡る歴史は変え難く、今では完全に元の天狗信仰が全国で復活してきています。
【神道シリーズ】第49回・八百万の神⑥立山信仰(前編)立山権現・山岳浄土信仰
立山信仰は、神道(国家神道)一切無関係の山岳浄土教信仰ですが、立山信仰の縁起では、奈良時代(701年)に、文武天皇の夢の中で阿弥陀如来が出てきて越中の国司に佐伯有若を任命すれば国家の安泰は保障されると言われ、文武天皇の命で越中に派遣された有若は鷹狩の愛好家で、自分が大切にしていた白鷹がある日飛び出していなくなってしまい、息子の有頼に白鷹を探して取り戻すように命じました。
(佐伯)有頼は道中で刀尾天神を名乗る老人に行先を教えられ、辿り着いた洞窟の中に白鷹を発見しますが、突然熊が襲い掛かって来た為、この熊に矢を射ました。
しかし、その熊の正体が阿弥陀如来と知り、悔悟し、阿弥陀様に言われたように、出家して慈興上人となった上で阿弥陀如来を立山権現として祀りました。
この縁起では立山開山が8世紀になってますが、実際には9世紀後半だと言われてます。
立山信仰の中心の芦峅寺(あしくらじ)、岩峅寺(いわくらじ)にはその後天台宗寺門派の座主・康済が入山し、不動明王も立山権現の本地の一つとなります。
明治期の廃仏毀釈で芦峅寺・岩峅寺は破壊され、立山権現信仰も明治政府によって禁止されて雄山神社とされ、さらに女人成仏祭祀の布橋灌頂法会も禁止されますが、
戦後、立山権現は復活し、1996年より布橋灌頂法会も復活を遂げています。
歴史上ありもしなかった「神道」を捏造した国家神道による弾圧にもかかわらず、平安時代よりずっと続いてきた伝統的精神文化は今力強く復活をしています。
【明らかな神道差別の背景 4】
sm34908718←前 次→sm34933366 本マイリスト mylist/63777021
↓斎藤吉久メールマガジン↓
http://melma.com/backnumber_170937/
★重要案件★ mylist/59301018 ★重要案件★
これまでの投稿一本目リンク mylist/64652153
その他 単発 mylist/58087302
【神道シリーズ】第58回・八百万の神⑮羽黒三山信仰【前編】(真言宗と天台宗の確執の地と八宗兼学の地)
羽黒修験は現在、羽黒山、月山、湯殿山の三山で構成されてますが、16世紀までは羽黒山、鳥海山、葉山の三山で構成されていました。
羽黒三山には、役小角(8世紀初頭)より200年以上早い6世紀前後に崇峻天皇の皇子の蜂子皇子が蘇我馬子の脅威から逃れるために羽黒へ行き、その地で山岳信仰を始めたという伝説がありますが、しかし、これは室町時代(14世紀)になってから作られた話で、実際には不動明王信仰を核とした役小角系雑密の修験道を起源としてると思われます。
平安後期の9世紀以降は、この地は真言宗と天台宗(比叡山)の勢力の覇権争いの場となり、羽黒山、月山、鳥海山、葉山は天台宗の勢力下、湯殿山は真言宗の勢力下と二分されることになります。
羽黒修験は、全国修験道共通とされてる不動明王信仰や十界修行(真言密教の十往心に対応)や擬死再生修行などはもちろんのこと、そこにさらに9世紀に渤海からの漂流者(記録あり)が伝えたであろうとされる大陸の道教祭祀の影響が見られ、ユニークな羽黒修験が形成されています。
明治の神仏判然令で天台系の修験道は羽黒山や月山からの下山を強制され、代わりに羽黒三山神社が作られ、月読命や大貴己神など古事記の神々が政府によって祀られましたが、湯殿山だけは真言宗との繋がりがあまりにも強固で分離できず、今日まで真言宗の一拠点となっています。
明治に政府が無理矢理神社(羽黒三山神社)を作り、古事記の神々を祀ろうと、古くからの伝統を消し去ることは出来ず、今でも信仰対象は羽黒権現・月山権現・湯殿山権現で、祭祀も古代からのままで、国家神道化は失敗したと言えます。
日本の物作りを諦めない
西洋国から当時たくたんオーダーいただきました企業様ありがとうございました。
Q
本物の日本人ほどせこいから誤差+−0配管接合溶接を教えてくれない
A
現場での精密製造工学の次元なので身体特性によって異なる領域も考えて科学的作業工程+神学からもの最善をつくす(✖️棚からぼた餅)製造工学なので教えられません。純粋に日本人だから我が家ファミリーな神道というだけです、、神道は他国の方に押し売りを禁じている本質の国民全体のための国家神道なのです。
皇紀元年の50年から100年前に、そして国民全体としてからもの国宗とする承認式も経ている国家神道と言うことです。それだけの宗教であると言うことが他国の方に押し売りを禁じていると言う本質であるわけです。
毎日出社前の神社参拝が、キリスト教の方の場合はキリスト教、ユダヤ教の方の場合はユダヤ教、イスラム教の方の場合はイスラム教ということです。
【神道シリーズ】第64回・八百万の神㉔石鎚山信仰【後編】神社から大般若経と護摩と法螺貝が
前回も説明しましたように、石鎚山信仰は明治の廃仏毀釈や神仏分離および山岳信仰の神社神道(国家神道)化に失敗した典型的な例と言えます。
石鎚山信仰の中心であった前神寺や横峯寺を廃して、石鎚山に「石鎚神社」を作るのに明治維新以降35年もかかり、やっと両寺を廃して石鎚神社を作ったにもかかわらず、1年もしないうちに前神寺と横峯寺は復活し、根強い石鎚講の組織を背景に、両寺を支配していた真言宗御室派は、新たに石鎚山真言宗という真言宗派を結成し、「石鎚山本教」という教団を作り、それがそのまま新設の石鎚神社を支配することとなり、その結果、表向きは古事記の神の石鎚比古を祀るものの、実は信仰の対象は従来通り石鎚山権現であり、今でも神社内で護摩を焚き、大般若教や光明真言を唱え、信者たちは「ナンマイダーボ(南無阿弥陀仏)」と念仏を唱え、旧来の信仰形態を維持しています。
【神道シリーズ】第66回・武州御嶽信仰【後半】武州・木曾・甲州御嶽信仰と明治の神仏分離
武州御嶽、木曾御嶽、甲州御嶽(甲州金峯山)など、所謂「御嶽」信仰とは、8世紀の役小角発の蔵王権現を祀る修験道に由来していますが、もともと吉野や熊野で修行してきた当山派(真言系)や山門派(天台系)の修験者たちの修行の場としての山岳信仰だったのですが、これが江戸時代になると修験者たちの努力により一般人にも登拝が可能となり、修験者たちはそれまでの自らの修行を極める為の山岳信仰から一般人に信仰を広める御師(おしorおんし)として護摩焚き用の札(牛王札守<ごおうほういん>)を配り布教し、そのお札は別当寺の社僧・神主らによって焚かれ、その時の料金としての初穂料収入や、またスポンサー(檀那)からの寄付を集める役割をするようになりました。
こうした御嶽信仰は明治の神仏分離策の下、神社神道(国家神道)化した新設神社とは別に、教派神道の一派として全国の御嶽山信仰を連ねた「御嶽教」を形成して行きます。
アーバンけけ神社.live
『アーバンけけ神社』の 「アーバン」は 「都市の、都市的な」と言う 意味だね。
「神社」は 「日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設[1]。産土神、天神地祇、皇室や氏族の祖神、偉人や義士などの霊などが神として祀られる[2]。文部科学省の資料では、日本全国に約8万5千の神社がある[3]。登録されていない数万の小神社を含めると、日本各地には10万社を超える神社が存在している。また、近畿地方には生国魂神社など創建が古い神社が多く存在する[4]。神社は日本固有の宗教である神道の祭祀施設であるとされているが、その位置付けは時の政治の状況との関連もあり一定していない。律令国家においては式内社が国家による祭祀の対象として神祇官の統制下に置かれたが、その頃から既に式外社と呼ばれる神祇官の統制外にある神社もあったことは確実である。近世においては仏教の施設となった神社や修験道・陰陽道の影響下にある神社も存在していたが、一方で伯家神道や吉田神道と言った他宗教からは独立した神道の神社もあった。近代になると神社は国家神道として神道系の宗教を含むあらゆる宗教から建前上は分離されたが、その位置づけには議論があった。宗教としての神道は教派神道として神社と分離された。現代においては国家神道は廃止され、多くの神社は神社神道に分類される宗教団体の施設として再編された。その多くは神社本庁に所属している。だが、現代においても神社の在り方はさまざまである。有名な神社であっても、鎌倉宮・靖国神社・伏見稲荷大社・日光東照宮・気多大社・梨木神社・新熊野神社・富岡八幡宮など神社本庁との被包括関係を有せず、単立宗教法人として運営される場合がある。大きな単立神社は約2000社、宗教法人格を有さない小さな祠等を含めると20万社の単立神社がある[5]。東大阪市のように宗教法人格を有している神社に限っても半数以上が神社本庁に属していない地域もある[6]。(Wikipedia参照)」と言う 意味だね。
都会と神社を 思い浮かべながら 聴いてくれると 嬉しいな。
mylist/33101448
【神道シリーズ】第86回・八百万の神㉛葉山大権現(今でも薬師如来を本尊として祀る葉山神社<旧・天台大円院>)
山形県の葉山はちょうど現在「出羽三山」と呼ばれる羽黒山・月山・湯殿山のすぐ東隣りに位置し(月山・湯殿山のすぐ隣)、かつては羽黒山・月山とともに出羽三山の一つに数えられていましたが、江戸時代以降、湯殿山に真言宗が進出して湯殿山信仰を確立すると今の三山形式になりました。
それまでは現出羽三山に匹敵する山岳信仰があったとされています。
葉山信仰は天台宗の葉山大円院とともにあり、葉山信仰=天台葉山大円院と言っても過言でないほどですが、江戸後期頃には次第に月山信仰に吸収されて衰退し、明治維新の神仏分離令により葉山神社(明治に新設)に強制改装されて今日に至っています。
しかし、普通明治に信仰の中心であった寺院が破壊されて神社化させれる時、縁も所縁もない古事記の神々が祀られる事がほとんどの中、今でも葉山神社では本尊として薬師尿来が祀られていることからしても明治の神社神道化(国家神道化)の失敗例だとも言えるでしょう。
国家神道の復権を志向するか安倍首相と日本会議 2020年3月8日配信分
国家神道の復権を志向するか安倍首相と日本会議 2020年3月8日配信分
嫌儲パヨク、名誉毀損で示談金150万円を振り込むハメに(愛国左翼系バ美肉Vtuber)
ついに二年間粘着してきて名誉毀損していた嫌儲パヨクが特定され、示談金150万円を振り込ませました。
やはり誹謗中傷や名誉毀損、晒しなどは政治思想に関係なくしてはいけません。
ちなみに私は弱者の味方である真の左翼、真のリベラルなので、モテなかったり貧乏で通り魔しそうな嫌儲民やパヨクの方がいたら一人で死ねなどと言わずに相談に乗ってあげます。
日本という国を恨んではいけません。
国は素晴らしい、でも親やいじめっ子、キリスト教や似非フェミはクソです。
日本ガーと主語を大きくせず、キリスト教や似非フェミなどの極右と極左だけを追い出し、日本を地上の楽園にしましょう。
大日本帝国万歳、エロ規制反対、ロリコン差別反対、一億総中流格差是正。
自民党は国家神道や統一教会や創価学会とつるんでエロを規制する、立憲民主党は反日売国奴、なら私に投票してください。
消去法で自民党の人は、まさしく私の登場を待ち望んでいたのではないでしょうか。
愛国とエロ、これを両立させ、最高の日本にすることを約束します。
YouTube↓
https://www.youtube.com/watch?v=r2Lwhng4iBE
沢井橘花のTwitterに他のニコ動やYouTubeのアカウントへのリンクを固定ツイートしています。
ボカロ曲やネタ動画なども上げておりますので、時間がある時にでもぜひご覧ください。
Twitter(沢井橘花)
https://twitter.com/BoCx5x32CMd81ve
3分で流せない日本思想 葦津珍彦『国家神道とはなんだったのか』
前回は江戸時代の古神道をご紹介したので、今回は明治以降の国家神道をご紹介します。
国家神道はマルクス主義や国粋主義など様々な立場で論じたものがありますが、今回は在野の宮司の立場で総括したものをご紹介します。
歴史ネタが強いと、入れたい要素が多くなり、3分ではとても流せませんでした…。
前回:sm40025917、思想:mylist/69237326、文学:mylist/72373795
葦津珍彦(1909-1992)
国家神道とは何だったのか(1987)
音楽:おとわび(https://otowabi.com/)、M-ART(http://mart.kitunebi.com/)、魔王魂(https://maou.audio/)
多くの広告やコメント、大変ありがとうございます。
【神道シリーズ・シーズン3】第13回・三河大浜騒動(浄土真宗の反撃)
明治新政府は、寺院統廃合と神仏分離政策、および、宮中、伊勢神宮、全国神社の祭祀統一などにより、欧米のキリスト教のような一神教的神道国家の形成を目指したが、そこに大きく立ちはだかったのは浄土真宗とその膨大な数の門徒たちであった。
新政府は寺院の数を減らしたり、寺院を神社に変えたりすることにより仏教の弱体化と国家が直接管理する全国神社により「神道国家日本」を目指したが、その過程で多くの真言宗、天台宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗などの寺院が廃寺化されたが、それはすべて朝廷の命令の下にという口実で強権を持って進められた。
しかし、阿弥陀如来以外を信仰対象としない浄土真宗にはもともと権現とか明神と言った神祇信仰は持たなかった為、国家神道を押し付ける新政府の政策には強く抵抗した。
寺院統廃合政策に対して浄土真宗は全国で抵抗を続けたが、明治4年(1972年)2月に富山で2000人以上の真宗門徒農民の一斉蜂起が起きた翌月の3月には三河の大浜で真言宗僧侶や門徒農民数千人による大浜騒動が起き、暴動自体は鎮圧されたものの、それにより大浜での寺院統廃合および神道化政策は中止となり、この動きは全国的な真言宗の抵抗運動に大きな弾みをつけると同時に、新政府の神仏分離政策や廃仏毀釈運動に対して大きなブレーキをかけて行くこととなった。
現在の愛知県碧南市、西尾市、安城市を含む三河大浜の地域は、当時、千葉県に本拠地を置く菊間藩の遠隔飛び地として菊間藩の管轄下にあり、藩は、平田国学の門下生で小参事の服部純を大浜の寺院統合および神道化政策のトップとして派遣した。
この動きに不満を訴えた大浜の真宗寺院の僧侶たちは暮戸会所に集まり、藩の本部である大浜陣屋に談判に出かけることを決めたが、その道中、多数の真宗門徒農民たちが集まり、談判団の数は数千人に膨れ上がり、僧侶たちは彼らに解散を求めたが応じず、結局大浜陣屋北の片山家庄屋で暴動となり、藩側が砲撃により鎮圧に乗り出すこととなった。
結果は、事態の大きさに対して藩側の処罰は予想よりはるかに軽く、このことからしても真宗を挑発することの恐怖感を藩が感じていたことを物語る。
新政府の強引ともいえる国家神道化計画は、当時東部中国地方から畿内、中部地方全域、そして関東の一部にまで勢力を持ち、当時の人口の三分の一から二分の一近くを占める真宗門徒たちを無視して進めることはできず、結果、神道化政策もかなり形骸化される結果となったのである。