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反ワクチンなどのキリスト教の猛威についていろいろ語った
参政党, 第2の日本共産党, 家族制度, 反伝統, 革命勢力, LGBT法案, デマ, 歴史, 政治学, 政策, 学術, 第一資料, ファンタジー, 学問, PDF, 西側諸国, 陰謀論, 神谷宗幣, 不気味, 狂信的, 国家神道カルト, 天皇制, 多様性, 平等, 日本人, 文明, 飛鳥昭雄, 理論, 公安警察, 監視対象, Qアノン, 拡散希望, 参加, 公募, イベント情報, 男女分断, 欧米, 価値観, ジェンダーレス, 欺瞞, 詭弁, 扇動者, 弁証法, 分断, 家族制度解体, 日共, 司令塔, 性教育, 専門家, 日共系, 漫画, 強い女性, 守る, 子ども, 悪魔崇拝, 資本主義, 自由市場経済, 社会主義, 愛国, 市場経済, 集権, 保護主義, 重商主義, レーニン, スターリン, 毛沢東, メンツギス, ベネズエラ, チャベス, フェミニスト, 差別, 資本主義, 日本型社会主義, 経済成長, 新自由主義, グローバリズム 反ワクチン 遊戯王
インドは意外に楽しかったby田中宇国際ニュース解説【アラ還・読書中毒】神道も実はインドが原型:日本の神社は江戸・明治政府に管理されて無力化された。明治政府は長州政府、皇室も管理されている
インドに来て日本古来の神道も原点がこちらにあると感じられた。
江戸幕府、明治政府も力を持つ宗教勢力を嫌い、官僚機構に組み込んだ。
これが国家神道。
なのでいま日本にある神社などは日本古来のものではない。
そういうこともありインドに来て懐かしさ・心地よさを感じた。
Twitter 詳しい説明などがあるコメントは、こちらの方にいただければ幸いです。https://twitter.com/machigoma
Shintoism Series 3 English version
English version of Shintoism Series Season3 final
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)最終回・神社本庁と神社神道の崩壊
戦後の昭和21年1946年、戦前の神祇院が廃された後、民間の神職団体であった大日本神祇会と、明治時代に出雲と伊勢で祭神論争が行われた神道事務局の後継団体の皇典講究所と、祭神論争の後、神道事務局を出て独立した神宮奉斎会の三つの民間の組織が戦前の神祇院と国家神道体制の復活を目指し、神社本庁を設立した。戦前までは国家によって運営されてきた全国神社がいきなり自活せねばならなくなるという将来への不安から、稲荷系神社を除く全国約8万社と言われる神社のほとんどがこの神社本庁に加盟した。
神社本庁は、後継者のいない神社に他の神社の宮司を兼任させ神社の第三者による乗っ取りを防いだり、神職者たちの教育研究などの機会を与える一方で、包括的宗教法人法の枠組みの中で傘下神社に多額の上納金を要求したり、宮司や役職の人事に介入したり、また、神社の財産処分などの経営にも干渉する性質を持っていた。
神社本庁の組織は、総裁をトップに、統理、総代、役人理事会から成り、総裁や統理には旧皇族者や元華族の血統のある者たちを充てたが、これはあくまで形式的な名誉職で、実験は役員会と総代が握っていた。
明治以前の神社は代々続く社家と言われる宮司家が継承していくのが普通だったが、明治以降は社家による宮司継承が禁止された為に素人上りの神職たちが神社局や神祇院によって派遣される形で神社運営がされていた。しかし、戦後になると長い伝統を持つ神社は鮭が宮司職を取り戻し、氏子たちもそれを強力に支持するという形を取り戻してきた。
しかし、国家神道形式の復活に拘る神社本庁は、反逆する宮司や女性神職による宮司継承をとことん嫌い、特に前宮司が死去して娘が宮司職を継承しようとした神社には悉く干渉し、大手神社の宇佐八幡宮や香川県の冠纓神社などを神社派遣の新宮司によって乗っ取っている。神社本庁の役員会理事や総代は、代々社家の宮司職を継承してきたような神社出身者ではなく、むしろ保守的思想が動機で神職を目指したような者が多く、一般人の家庭生まれで国学院や皇学館を卒業して神職資格を取り、本庁派遣で各地の神社の宮司を体験したのちに本庁で登り詰めて役員や総代になった者たちによって構成されているので、代々宮司の社家を守りたいとする由緒ある大手神社とそれを支える地元の氏子たちとの思惑や利害関係は大きく対立するものがあった。
こうした本庁の態度を見ても、口だけの尊王で、実際には国家神道と戦前の儒教的秩序の復活が目的で、靖国神社と同様、皇室への軽視が手に取るように見られる。
私たち日本人は日本人の真の伝統文化を取り戻すためにもこの神社本庁の解体が一日も早く実現されることを望むばかりである。
【神道シリーズ・シーズン3】(戦後編)第65回・神社本庁【前編】
戦前、日本の全国神社は、神社局の後継の神祇局が一元的に公的に管理していたが、終戦直後、GHQは、神道指令の発動により、その神祇局が廃止され、国家による神社管理支配を禁止した。それまで公務員的な立場にあった
神社の神職たちはいきなり民間の神社として独立することを余儀なくされ、
特に氏子人口の少ない地方神社は路頭に迷おうとしていた。そこで、戦前から活動していた三つの神道系組織によって新たな包括的な神社連合体の組織が提案された。それは、かつて明治期に神職の全国組合的な全国神職会の後裔組織である日本神祇会と、教派神道13派の一つで、伊勢講から発展した神宮教の流れである神宮奉斎会と、かつて出雲と伊勢の祭神論争が行われた神道事務局の後継組織である皇典講究所が合併統一して出来た神社本庁であった。GHQは、戦前の国家神道、つまり、神道を宗教と見做さず、単なる祭祀と見做したために当時の日本政府が掲げた政教分離や信教の自由に触れることなく全国神社の国家管理が出来るとした体制を警戒し、日本政府がこうした巧妙な抜け道を用いて再び軍国主義や国家主義のイデオロギーを国民に吹聴させない為にも国家によるありとあらゆる神社介入を禁止していた為、神社本庁は、民間の包括的宗教法人格を獲得することにより、戦前には国家が行ってきた神社管理を自らが一元的に国家神道的解釈のもと、つまり、神道を宗教と見做さず、祭祀のみを行う集団だという解釈で、全国神社の経営や人事権まで掌握することとなった。神社本庁は、所属神社の信仰内容は問わないということを前提のもと、祭祀を司る集団として、戦前の国家神道形式で所属神社の賽銭や寄付寄進による収入から多額の上納金を納めさせ、宮司などの人事に介入し、「信教の自由を侵すことなく」それらの神社を悉く支配下に置いた。
国家神道形式とは、形式上、伊勢神宮をトップに全国神社を格付けし、本庁が決めた社格の高い神社(現在では315社)から全国の末端に至る小規模の地方神社まですべてをその系列化に納め、伊勢神宮から配布された神宮大麻の札を販売し、その収益はすべて神宮に上納し、その上納金の半分を神社本庁が受け、それを様々な形で所属神社に再分配するという形を示す。神社本庁は、形式的な国家神道形式の復活だけでは飽き足らず、戦後、積極的に保守運動にも参加し、「日本を守る会」や「日本を守る国民会議」などの横断的保守連合組織に参加して「建国記念の日制定促進協議会」や「靖国神社国家護持法案」や「元号法制化国民会議」などの運動で生長の家や統一教会などとともに中心的な役割を果たした。
また、現在295名の衆参両院議員を有する神道政治連盟国会議員懇談会もこの頃に形成され、一丸となって憲法改正の運動に突き進んでいる。
令和5年初詣、靖国神社にいってきた!
令和5年(2023年)元旦に靖国神社に初詣に行ってきました。
昨年の終戦記念日以来です。
その様子と遊就館の展示物について触れます。
ゼロ戦や蒸気機関車もありますよ。
最後までご覧いただけると幸いです。
靖国神社HP https://www.yasukuni.or.jp/
音楽利用
甘茶の音楽工房様 https://amachamusic.chagasi.com/
#初詣 #靖国神社 #sl #c56 #国家安泰
【北関東座談会10-2a】朝鮮進駐軍の日本支配は「統一、創価、北朝鮮」が関係しているぞ!
サイズオーバーで尻切れですたww
もちろんハッピーサイエンスや日本会議も関係している。
日本会議は神道政治連盟だから、当然神社も関係している。
ネトウヨもサン政党もお寺もキリスト教もみんな日本会議に関係している。
神社は戦前国家神道で宗教とは一線を画した組織だった。
だから今でも神社本庁などという、国家機関と勘違いさせるような名前を使っていいる。
天皇家の宗教なのだ。だから斎宮は誰だっけ?ww
防衛費を増やそうとすると、北朝鮮がミサイルを撃つ。
なんでかなぁww
すずきつづみのお気楽解説【住吉大社】 part1
この動画は、以下の動画で解説できなかった部分の補足動画です。
つづみと行くお出かけ備忘録【住吉大社】
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41227493
いいね、コメントくださった皆様誠にありがとうございます。
まさかのpart1
次は早めに出せたらいいな。
ジェンダーバッシングと宗教右派【福島みずほ×山口智美(米モンタナ州立大学社会学・人類学部准教授)】
*この動画は2022年7月31日(日)20:00から配信した番組のアーカイブです。
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ホームページ:https://www.stopreikan.com/
電話相談:【火曜日】070-8975-3553 【木曜日】070-8993-6734(いずれも11:00-16:00)
↓出演者↓
山口智美(米モンタナ州立大学大学社会学・人類学部准教授)
福島みずほ(社会民主党党首・参議院議員・弁護士)
↓社民党を応援する↓
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神社の虚像と実像を読んで / 44A
これは、日本においての宗教の歴史ですね。
それで何を言いたいかといいますが、お分かりかもしれませんが、真の神道とは仏教と出会って初めて機能していました。それは聖徳太子の時代からでしたが、それを明治維新の時に排除してしまったんですね、絵にありますように日本各地の仏像をもやしたりもしたそうで、それについてはりすぎだということですぐにやめるやうになったらしいですが、国家神道という天皇から仏教精神を取り除いた格好で帝国主義に突き進んでしまったということなんです。それはよく考えると良いことではまったくなくて結果原子爆弾を落とされる羽目になったのです。さらに敗戦国となった日本はGHQにより国家神道のほか、政治に宗教が関与することが許されなくなりました。その結果が福島原発事故に表れている気がします。仏像を燃やす絵と、原爆や原発で被災する人を合わせるとなんか類似するものがあって恐ろしいことですね。つまり日本が明治維新の時に恐ろしい間違いを犯したことになり。逆にこれから日本が復興するには大事な部分を取り戻さなければいけないということですね。
【神道シリーズ・シーズン3】第20回・千家尊福【中編】千家尊福と祭神論争
慶応4年の大政奉還直後から始まった新政府による王政復古政策は、古代の祭政一致を目指し、神祇官を復活させ、さらに神祇省まで創設して律令政治時代の日本の政治体制の復活を目指したものの、全国で実施していた廃仏毀釈を伴う神仏分離政策は各地で住民や仏教勢力の抵抗に遭い、特に浄土真宗からは農民蜂起や暴動をも含む強い抵抗があり、神祇官制度はまったく実態を伴わないままわずか3年あまりで廃止になり、その後、神道国教化に向けて仏教勢力を含めた宣布運動を目指し、島地黙雷率いる浄土真宗からの提案で教部省を立ち上げたもののの、宣布するはずの神道の中身が不明で、しかも途中から台頭してきた薩摩閥により、教部省内の僧侶たちに
祝詞を読むことを強制したりするようになるとそれに抗議した浄土真宗が脱退することにより大教宣布運動は収束し、同時に教部省も崩壊し、その後、教部省の教導職、つまり、当時唯一宗教的布教を認められていた職権を
継承した神道事務局は、薩摩出身で伊勢神宮の大宮司の田中頼庸は事務局の祭神を造化三神とアマテラスだけとしたが、事務局に参加してきた出雲大社宮司で80代出雲国造の千家尊福は祭神のオオクニヌシも同等に祀るべきと主張し、両者は平行線のまま祭神論争が続いたが、全国の事務局教導職者の圧倒的多数と本居 豊穎や平田 銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。
銕胤など平田派は全面的に出雲派の尊福の支持に回り、形成は圧倒的に出雲派の優勢で推移した。
何度も合同会議を開き、教導職の代表を集めた会議での多数決でも出雲派が圧倒的勝利をするも田中頼庸はこの結果を潔く認めず、出雲派の紛糾が続く中、政府中枢から桜井能監を派遣し、合議の末、大国主の合祀の合意に至り調印までするものの、尚も伊勢派の頼庸はその結果を認めず、最後には薩摩閥の重鎮で内務卿の松方正義を頼り、三条実美を通じて明治天皇の直截という形で出雲派の要求は退けられ、アマテラスのみが事務局の祭神となり、圧倒的優勢だった出雲派の敗北は決定的となった。
この後、千家尊福は事務局から脱退し、出雲大社教を立ち上げ、政府の神社神道路線とは別の路線を歩むこととなるが、これを境に政府は平田派を政府から完全に追放し、政府は祭政分離に基づく神社神道、つまり国家神道と、政府が公認する教派神道13派の二流に分け、近代国家日本の建設の為、幕末以来討幕派が目指した祭政一致の理想を完全に放棄することになったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】(思想編)第18回・島地黙雷と黙雷の時代
長州藩が14万5千の幕府軍から第二次長州征伐の攻撃を受けていた時、勤王派を支持していた西本願寺に属していた青年島地黙雷ら真宗僧侶たちは金剛隊という僧侶部隊を結成し、長州藩士たちと戦い、その中で後に明治政府の中心になる木戸孝允や伊藤博文、井上馨、山形有朋、江藤新平など多数の重要人物たちとの信頼関係を築き、この人脈が明治5年から10年にかけての黙雷の時代を形成することになったのである。
新政府発足以来、平田国学派に押された新政府は、神仏混淆禁止令発令後、各地で激しい廃仏毀釈の嵐が吹き荒れると、その嵐は東海北陸の浄土真宗の影響力が強かった地域にも及び、明治3年頃からは北陸や東海を中心に真宗門徒農民による大規模な蜂起や騒動が勃発し、さらに、朝廷との血縁関係も含めた東西本願寺の繋がりを憂慮し、政府は、「朝廷からの命令」という建前で神仏分離政策を進めていただけに、それが朝廷自身によって否定されてしまうと神仏分離政策自体がとん挫してしまう可能性があることと、真宗門徒たちによる反撃も大規模に発展すると国内統一どころか内戦に発展する危険性もあっただけに、真宗側との調整役を政府は求めていた。
幕末以来長州の勤王派と繋がりのあった黙雷は、神祇省の廃止と、国民教化のための教部省の設立を建白し、結局、政府は黙雷の意見を取り入れ、教部省を設立し、同時に大教宣布運動を推進する大教院・中教院・小教院を設置し、国民全体の何を教えるのか不明な教化運動が展開されることとなった。
明治政府が当初目指していた、平田国学派が主張する祭政一致の天皇を中心とする神道国家路線は、真宗門徒たちの反撃により頓挫し、今度は真宗側からの提案で始めた神儒仏共同の国民教化運動も、実質、民間に深く広く浸透していた浄土真宗の布教活動となり、国学派は反発し、西郷隆盛を中心とする薩摩閥の力を借り、大教院の執行部を乗っ取り、仏教勢力に祝詞の拝礼などを強制するに至り、真宗の脱退を招き、結果、教部省自体が廃されることとなり、黙雷の時代も終焉することとなった。
さらに明治13年には、政府と国学派が対立し、教部省を継いだ神道事務局内で伊勢派と出雲派の対立から政府は平田派全体を政府から排除し、逆に平田派を政府や公安の監視対象としてしまった。
もともとキリスト教に敵意を抱き、キリスト教に対抗する為に仏教と平田神道との大同団結を訴えた黙雷ではあったが、結果、しょせん水と油は交わらず、政府は両者と距離を置き、大國隆正の唱えた祭政分離の国家神道の道を歩むことになったのである。
【神道シリーズ・シーズン3(思想編)】第15回・大国隆正と国家神道
明治以降、平田篤胤の思想の影響を受けた者たちは、基本的に、人は死後、地球上の周りにある幽界という空間を霊魂となって彷徨い、体は風、火、土、金というエレメントになって循環し、やがてはそれに魂が宿り、人間は再生する、という道教的な死生観と、地球を創生したのは日本の神のイザナギとイザナミであるからして、日本の天皇が全世界の上に総主として君臨すべし、という超誇大妄想的天皇世界総主論だけは引き継ぐという傾向を共有していたが、本田親徳は、平田思想の中でも特に人と神霊とのコミュニケーションに興味を持ち、その研究と実践のほとんどは神霊の人間への憑依を目指すことに向けられた。
死者や動物や神仏の憑依は修験道や民間信仰の間にも古くからあったが、そうした憑依が可能なのは特定の能力を持った者か、あるいは神や仏や死者などから指名された特定の人物に限られていたが、本田は、誰でも一定の術式に従って行えば神霊の人への降臨・憑依は可能であるとした。
本田は、神憑りには36通りの在り方があると言ったが、それを大きく3つに分類して、霊がいきなり憑依する場合、一部の素質のある人が一人で神霊を呼び寄せる場合、そして本田が提唱した審神者と神主を通じて、たとえ能力者や偶然の邂逅でなくても意識的に神霊を呼び寄せ憑依させることが可能な鎮魂帰神法があり、本田は自ら開発したこの鎮魂帰神法を通じ、神の言葉を直接聞くという方法で古事記理解の正誤を確認するという作業を行い、「難古事記」という著作にまとめた。
それによると、人はみな神の子であり、直霊という正しい心の霊を持ち、勇気と調和と愛と探求の心を呼び出す荒魂、和魂、幸魂、奇魂という四つの魂を持っているとし、善を行えばこれらの魂の量は増え、悪を行えば減るとした。
儒教の魂観の擦り直しと見れないこともないが、とにかく、本田の神霊降臨術・鎮魂帰神法は、その後、弟子の
長澤雄盾を通じ、大本教の出口王仁三郎や大本教を経た神道天行居の友清歓真ら多数の平田系神道カルト教祖たちに伝えられ、明治以降、古神道を名乗る平田派神道系カルトの中核的思想となって行った。
本田の鎮魂帰神法を継いだ者たちは、鎮魂帰神法とともに平田篤胤の超誇大妄想とも言える
天皇世界総主論、つまり、地球上の世界を創ったのは日本の神だから天皇が世界を治めるべきだと言う部分を強く受け継いでおり、彼らが本田の鎮魂帰神法による神託を担保とし、彼らはますます狂信的に持論にのめり込み、それは世界恐慌後の社会不安が広がる中、その狂気は国民を戦争の時代へと引き込んでいくこととなったのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第14回・平田系神道カルトの系譜(大きな流れ)
平田篤胤の流れを汲む平田学派は、幕末から明治にかけて5つの大きな流れを形成して行ったが、それは、後に国家神道を形成する流れとなる祭政分離論の大国隆正のグループと、篤胤が晩年熱中した道教研究と死後の魂との交流というテーマに繋がる本田親徳の鎮魂帰神法と、道教神仙思想を篤胤の神道用語で解釈しなおした神仙神秘思想と、篤胤が存在すると強弁した神代文字を似非研究した竹内巨麿や、国学の日本語研究の流れを汲む平田門人の中村孝道の水茎文字や真澄の鏡から独自の言霊学を形成した大石凝真素美らから成るが、
神仙神秘思想系の川面凡児は、伊勢神宮を始めとする全国神社の滝打ち禊修行などの新祭祀を開発したが、神仙神秘系は次第に影響力を失い、残りの本田霊学と言霊学と神代文字学の三潮流が古神道と自称するようになり、
明治以降の平田系カルトの中心的勢力となって行った。
この三潮流は、本田霊学を中心として、神道カルト理論を形成し、やがて大本教の下に合流していくこととなった。
平田系神道カルトは、教団によって温度差はあるものの、共通していることは、元祖平田篤胤の、地球形成後に世界を作ったのは日本の神であり、日本人は世界を統一して天皇中心の地球にするべきだという超誇大妄想的な選民思想部分である。
しかし、この日本人選民思想部分は、国粋主義的な軍人や政治家たちを惹きつけ、首相閣僚クラスの政治家や陸軍大臣、海軍大臣、陸海軍大将までが信者になったりシンパになったりするほどの影響力を与えた。
この動きは放置すれば右側の立場よりの革命論や政府転覆論、軍掌握論なども生じかねないということで、政府や公安警察は厳重にこうした団体を監視するようになった。
政府公安警察は、彼らが政府見解と異なる神道解釈をしたことが天皇陛下を侮辱してるとし、不敬罪の名目で
逮捕、弾圧を続け、大正10年(1921年)と昭和10年(1935年)には大本教の宗教施設をすべて破壊する、というほどの弾圧をしたが、大本から派生した友清歓真の神道天行居は陸軍の皇道派に多くの信者を持ち、
その青年将校たちが226事件を起こし、日本はまさに狂気の時代へと突入したのである。
【神道シリーズ・シーズン3】第13回・三河大浜騒動(浄土真宗の反撃)
明治新政府は、寺院統廃合と神仏分離政策、および、宮中、伊勢神宮、全国神社の祭祀統一などにより、欧米のキリスト教のような一神教的神道国家の形成を目指したが、そこに大きく立ちはだかったのは浄土真宗とその膨大な数の門徒たちであった。
新政府は寺院の数を減らしたり、寺院を神社に変えたりすることにより仏教の弱体化と国家が直接管理する全国神社により「神道国家日本」を目指したが、その過程で多くの真言宗、天台宗、曹洞宗、臨済宗、日蓮宗などの寺院が廃寺化されたが、それはすべて朝廷の命令の下にという口実で強権を持って進められた。
しかし、阿弥陀如来以外を信仰対象としない浄土真宗にはもともと権現とか明神と言った神祇信仰は持たなかった為、国家神道を押し付ける新政府の政策には強く抵抗した。
寺院統廃合政策に対して浄土真宗は全国で抵抗を続けたが、明治4年(1972年)2月に富山で2000人以上の真宗門徒農民の一斉蜂起が起きた翌月の3月には三河の大浜で真言宗僧侶や門徒農民数千人による大浜騒動が起き、暴動自体は鎮圧されたものの、それにより大浜での寺院統廃合および神道化政策は中止となり、この動きは全国的な真言宗の抵抗運動に大きな弾みをつけると同時に、新政府の神仏分離政策や廃仏毀釈運動に対して大きなブレーキをかけて行くこととなった。
現在の愛知県碧南市、西尾市、安城市を含む三河大浜の地域は、当時、千葉県に本拠地を置く菊間藩の遠隔飛び地として菊間藩の管轄下にあり、藩は、平田国学の門下生で小参事の服部純を大浜の寺院統合および神道化政策のトップとして派遣した。
この動きに不満を訴えた大浜の真宗寺院の僧侶たちは暮戸会所に集まり、藩の本部である大浜陣屋に談判に出かけることを決めたが、その道中、多数の真宗門徒農民たちが集まり、談判団の数は数千人に膨れ上がり、僧侶たちは彼らに解散を求めたが応じず、結局大浜陣屋北の片山家庄屋で暴動となり、藩側が砲撃により鎮圧に乗り出すこととなった。
結果は、事態の大きさに対して藩側の処罰は予想よりはるかに軽く、このことからしても真宗を挑発することの恐怖感を藩が感じていたことを物語る。
新政府の強引ともいえる国家神道化計画は、当時東部中国地方から畿内、中部地方全域、そして関東の一部にまで勢力を持ち、当時の人口の三分の一から二分の一近くを占める真宗門徒たちを無視して進めることはできず、結果、神道化政策もかなり形骸化される結果となったのである。
3分で流せない日本思想 葦津珍彦『国家神道とはなんだったのか』
前回は江戸時代の古神道をご紹介したので、今回は明治以降の国家神道をご紹介します。
国家神道はマルクス主義や国粋主義など様々な立場で論じたものがありますが、今回は在野の宮司の立場で総括したものをご紹介します。
歴史ネタが強いと、入れたい要素が多くなり、3分ではとても流せませんでした…。
前回:sm40025917、思想:mylist/69237326、文学:mylist/72373795
葦津珍彦(1909-1992)
国家神道とは何だったのか(1987)
音楽:おとわび(https://otowabi.com/)、M-ART(http://mart.kitunebi.com/)、魔王魂(https://maou.audio/)
多くの広告やコメント、大変ありがとうございます。
嫌儲パヨク、名誉毀損で示談金150万円を振り込むハメに(愛国左翼系バ美肉Vtuber)
ついに二年間粘着してきて名誉毀損していた嫌儲パヨクが特定され、示談金150万円を振り込ませました。
やはり誹謗中傷や名誉毀損、晒しなどは政治思想に関係なくしてはいけません。
ちなみに私は弱者の味方である真の左翼、真のリベラルなので、モテなかったり貧乏で通り魔しそうな嫌儲民やパヨクの方がいたら一人で死ねなどと言わずに相談に乗ってあげます。
日本という国を恨んではいけません。
国は素晴らしい、でも親やいじめっ子、キリスト教や似非フェミはクソです。
日本ガーと主語を大きくせず、キリスト教や似非フェミなどの極右と極左だけを追い出し、日本を地上の楽園にしましょう。
大日本帝国万歳、エロ規制反対、ロリコン差別反対、一億総中流格差是正。
自民党は国家神道や統一教会や創価学会とつるんでエロを規制する、立憲民主党は反日売国奴、なら私に投票してください。
消去法で自民党の人は、まさしく私の登場を待ち望んでいたのではないでしょうか。
愛国とエロ、これを両立させ、最高の日本にすることを約束します。
YouTube↓
https://www.youtube.com/watch?v=r2Lwhng4iBE
沢井橘花のTwitterに他のニコ動やYouTubeのアカウントへのリンクを固定ツイートしています。
ボカロ曲やネタ動画なども上げておりますので、時間がある時にでもぜひご覧ください。
Twitter(沢井橘花)
https://twitter.com/BoCx5x32CMd81ve
国家神道の復権を志向するか安倍首相と日本会議 2020年3月8日配信分
国家神道の復権を志向するか安倍首相と日本会議 2020年3月8日配信分
【神道シリーズ】第86回・八百万の神㉛葉山大権現(今でも薬師如来を本尊として祀る葉山神社<旧・天台大円院>)
山形県の葉山はちょうど現在「出羽三山」と呼ばれる羽黒山・月山・湯殿山のすぐ東隣りに位置し(月山・湯殿山のすぐ隣)、かつては羽黒山・月山とともに出羽三山の一つに数えられていましたが、江戸時代以降、湯殿山に真言宗が進出して湯殿山信仰を確立すると今の三山形式になりました。
それまでは現出羽三山に匹敵する山岳信仰があったとされています。
葉山信仰は天台宗の葉山大円院とともにあり、葉山信仰=天台葉山大円院と言っても過言でないほどですが、江戸後期頃には次第に月山信仰に吸収されて衰退し、明治維新の神仏分離令により葉山神社(明治に新設)に強制改装されて今日に至っています。
しかし、普通明治に信仰の中心であった寺院が破壊されて神社化させれる時、縁も所縁もない古事記の神々が祀られる事がほとんどの中、今でも葉山神社では本尊として薬師尿来が祀られていることからしても明治の神社神道化(国家神道化)の失敗例だとも言えるでしょう。
アーバンけけ神社.live
『アーバンけけ神社』の 「アーバン」は 「都市の、都市的な」と言う 意味だね。
「神社」は 「日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設[1]。産土神、天神地祇、皇室や氏族の祖神、偉人や義士などの霊などが神として祀られる[2]。文部科学省の資料では、日本全国に約8万5千の神社がある[3]。登録されていない数万の小神社を含めると、日本各地には10万社を超える神社が存在している。また、近畿地方には生国魂神社など創建が古い神社が多く存在する[4]。神社は日本固有の宗教である神道の祭祀施設であるとされているが、その位置付けは時の政治の状況との関連もあり一定していない。律令国家においては式内社が国家による祭祀の対象として神祇官の統制下に置かれたが、その頃から既に式外社と呼ばれる神祇官の統制外にある神社もあったことは確実である。近世においては仏教の施設となった神社や修験道・陰陽道の影響下にある神社も存在していたが、一方で伯家神道や吉田神道と言った他宗教からは独立した神道の神社もあった。近代になると神社は国家神道として神道系の宗教を含むあらゆる宗教から建前上は分離されたが、その位置づけには議論があった。宗教としての神道は教派神道として神社と分離された。現代においては国家神道は廃止され、多くの神社は神社神道に分類される宗教団体の施設として再編された。その多くは神社本庁に所属している。だが、現代においても神社の在り方はさまざまである。有名な神社であっても、鎌倉宮・靖国神社・伏見稲荷大社・日光東照宮・気多大社・梨木神社・新熊野神社・富岡八幡宮など神社本庁との被包括関係を有せず、単立宗教法人として運営される場合がある。大きな単立神社は約2000社、宗教法人格を有さない小さな祠等を含めると20万社の単立神社がある[5]。東大阪市のように宗教法人格を有している神社に限っても半数以上が神社本庁に属していない地域もある[6]。(Wikipedia参照)」と言う 意味だね。
都会と神社を 思い浮かべながら 聴いてくれると 嬉しいな。
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【神道シリーズ】第66回・武州御嶽信仰【後半】武州・木曾・甲州御嶽信仰と明治の神仏分離
武州御嶽、木曾御嶽、甲州御嶽(甲州金峯山)など、所謂「御嶽」信仰とは、8世紀の役小角発の蔵王権現を祀る修験道に由来していますが、もともと吉野や熊野で修行してきた当山派(真言系)や山門派(天台系)の修験者たちの修行の場としての山岳信仰だったのですが、これが江戸時代になると修験者たちの努力により一般人にも登拝が可能となり、修験者たちはそれまでの自らの修行を極める為の山岳信仰から一般人に信仰を広める御師(おしorおんし)として護摩焚き用の札(牛王札守<ごおうほういん>)を配り布教し、そのお札は別当寺の社僧・神主らによって焚かれ、その時の料金としての初穂料収入や、またスポンサー(檀那)からの寄付を集める役割をするようになりました。
こうした御嶽信仰は明治の神仏分離策の下、神社神道(国家神道)化した新設神社とは別に、教派神道の一派として全国の御嶽山信仰を連ねた「御嶽教」を形成して行きます。
【神道シリーズ】第64回・八百万の神㉔石鎚山信仰【後編】神社から大般若経と護摩と法螺貝が
前回も説明しましたように、石鎚山信仰は明治の廃仏毀釈や神仏分離および山岳信仰の神社神道(国家神道)化に失敗した典型的な例と言えます。
石鎚山信仰の中心であった前神寺や横峯寺を廃して、石鎚山に「石鎚神社」を作るのに明治維新以降35年もかかり、やっと両寺を廃して石鎚神社を作ったにもかかわらず、1年もしないうちに前神寺と横峯寺は復活し、根強い石鎚講の組織を背景に、両寺を支配していた真言宗御室派は、新たに石鎚山真言宗という真言宗派を結成し、「石鎚山本教」という教団を作り、それがそのまま新設の石鎚神社を支配することとなり、その結果、表向きは古事記の神の石鎚比古を祀るものの、実は信仰の対象は従来通り石鎚山権現であり、今でも神社内で護摩を焚き、大般若教や光明真言を唱え、信者たちは「ナンマイダーボ(南無阿弥陀仏)」と念仏を唱え、旧来の信仰形態を維持しています。
日本の物作りを諦めない
西洋国から当時たくたんオーダーいただきました企業様ありがとうございました。
Q
本物の日本人ほどせこいから誤差+−0配管接合溶接を教えてくれない
A
現場での精密製造工学の次元なので身体特性によって異なる領域も考えて科学的作業工程+神学からもの最善をつくす(✖️棚からぼた餅)製造工学なので教えられません。純粋に日本人だから我が家ファミリーな神道というだけです、、神道は他国の方に押し売りを禁じている本質の国民全体のための国家神道なのです。
皇紀元年の50年から100年前に、そして国民全体としてからもの国宗とする承認式も経ている国家神道と言うことです。それだけの宗教であると言うことが他国の方に押し売りを禁じていると言う本質であるわけです。
毎日出社前の神社参拝が、キリスト教の方の場合はキリスト教、ユダヤ教の方の場合はユダヤ教、イスラム教の方の場合はイスラム教ということです。
【神道シリーズ】第58回・八百万の神⑮羽黒三山信仰【前編】(真言宗と天台宗の確執の地と八宗兼学の地)
羽黒修験は現在、羽黒山、月山、湯殿山の三山で構成されてますが、16世紀までは羽黒山、鳥海山、葉山の三山で構成されていました。
羽黒三山には、役小角(8世紀初頭)より200年以上早い6世紀前後に崇峻天皇の皇子の蜂子皇子が蘇我馬子の脅威から逃れるために羽黒へ行き、その地で山岳信仰を始めたという伝説がありますが、しかし、これは室町時代(14世紀)になってから作られた話で、実際には不動明王信仰を核とした役小角系雑密の修験道を起源としてると思われます。
平安後期の9世紀以降は、この地は真言宗と天台宗(比叡山)の勢力の覇権争いの場となり、羽黒山、月山、鳥海山、葉山は天台宗の勢力下、湯殿山は真言宗の勢力下と二分されることになります。
羽黒修験は、全国修験道共通とされてる不動明王信仰や十界修行(真言密教の十往心に対応)や擬死再生修行などはもちろんのこと、そこにさらに9世紀に渤海からの漂流者(記録あり)が伝えたであろうとされる大陸の道教祭祀の影響が見られ、ユニークな羽黒修験が形成されています。
明治の神仏判然令で天台系の修験道は羽黒山や月山からの下山を強制され、代わりに羽黒三山神社が作られ、月読命や大貴己神など古事記の神々が政府によって祀られましたが、湯殿山だけは真言宗との繋がりがあまりにも強固で分離できず、今日まで真言宗の一拠点となっています。
明治に政府が無理矢理神社(羽黒三山神社)を作り、古事記の神々を祀ろうと、古くからの伝統を消し去ることは出来ず、今でも信仰対象は羽黒権現・月山権現・湯殿山権現で、祭祀も古代からのままで、国家神道化は失敗したと言えます。
【明らかな神道差別の背景 4】
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【神道シリーズ】第49回・八百万の神⑥立山信仰(前編)立山権現・山岳浄土信仰
立山信仰は、神道(国家神道)一切無関係の山岳浄土教信仰ですが、立山信仰の縁起では、奈良時代(701年)に、文武天皇の夢の中で阿弥陀如来が出てきて越中の国司に佐伯有若を任命すれば国家の安泰は保障されると言われ、文武天皇の命で越中に派遣された有若は鷹狩の愛好家で、自分が大切にしていた白鷹がある日飛び出していなくなってしまい、息子の有頼に白鷹を探して取り戻すように命じました。
(佐伯)有頼は道中で刀尾天神を名乗る老人に行先を教えられ、辿り着いた洞窟の中に白鷹を発見しますが、突然熊が襲い掛かって来た為、この熊に矢を射ました。
しかし、その熊の正体が阿弥陀如来と知り、悔悟し、阿弥陀様に言われたように、出家して慈興上人となった上で阿弥陀如来を立山権現として祀りました。
この縁起では立山開山が8世紀になってますが、実際には9世紀後半だと言われてます。
立山信仰の中心の芦峅寺(あしくらじ)、岩峅寺(いわくらじ)にはその後天台宗寺門派の座主・康済が入山し、不動明王も立山権現の本地の一つとなります。
明治期の廃仏毀釈で芦峅寺・岩峅寺は破壊され、立山権現信仰も明治政府によって禁止されて雄山神社とされ、さらに女人成仏祭祀の布橋灌頂法会も禁止されますが、
戦後、立山権現は復活し、1996年より布橋灌頂法会も復活を遂げています。
歴史上ありもしなかった「神道」を捏造した国家神道による弾圧にもかかわらず、平安時代よりずっと続いてきた伝統的精神文化は今力強く復活をしています。
【神道シリーズ】第47回・八百万の神④天狗信仰(道教と密教修験道の習合が生み出した妖怪(仏教)護法神)
天狗と言えば、鼻が高くて山伏の格好をして手に大きな葉っぱを持ってるようなイメージですが、実はこうした天狗のイメージが創られたのは室町時代(「御伽草子」)ぐらいからで、もともとの天狗とは中国の道教神話の中で、流星の隕石が狐(ないしは犬)のような形をしてるのが天狗と呼ばれていたのですが、遣唐使の僧旻(そうみん)はその妖怪的なイメージだけを日本に伝えたところから、後にそのイメージが平安時代になって仏僧たちによって開かれた全国の山岳信仰の間で修験道の山伏たちにより僧形の天狗の神のイメージが生まれ、修行を多く積んで強力な験力を得たものが天狗になったとされました。
その天狗は、権現神(仏の眷属が仮の姿として山の神となったもの)と重なり、日本の山岳信仰(全国)の中に浸透して行きました。
八百万の神の中でもこの天狗信仰は全国の山岳信仰に隈なく普及しており、むしろ天狗信仰の無い山岳信仰を探すことが困難なぐらいになってます。
後に江戸時代に国学が盛んになると、天狗を古事記の神サルタヒコに比定する動きも出てきましたが、天狗自体は古事記や日本書紀にはまったく無関係の修験の神だと言えます。
やがて真言宗や天台宗が全国の山岳信仰を制覇するようになると(平安~鎌倉時代)、天狗信仰も両派(当山派=真言系/山門派=天台系)の傘下に入って行きます。
明治時代には国家神道形成の為に多くの天狗信仰の寺が廃寺に追い込まれたり、寺が無理矢理神社にされたり、祭神が無理矢理古事記の神に変えられたりしましたが、1000年以上に渡る歴史は変え難く、今では完全に元の天狗信仰が全国で復活してきています。
【神道シリーズ】第26回・祇園信仰(新羅の神(牛頭天王)と陰陽五行思想)神道無関係w①
祇園社(現在の八坂神社)は、斉明天皇の時代の656年に、高句麗から来た新羅人の使者・伊利之使主(イリシノオミ)が天皇と接見し「新羅の神・スサノオが日本に住み着いていらしてこれから帰国するところです」(八坂神社社伝)と伝えられ、その伊利之使主は高麗(の狛国)より連れて来た81人の新羅人とともに祇園社を作りました。(帰国の予定のスサノオ神がそこに留まることになったわけです)
それから朝鮮半島より播磨に伝わっていた蘇民将来の民間伝承に出てくる武塔神(天刑星>道教神)が廣峯神社より近江の東光寺(天台宗)を経て9世紀には武塔神とスサノオ(牛頭天王)が習合し、現在に至る祇園神が形成されます。
この祇園信仰は古代朝鮮の神信仰(牛頭天王=スサノオ)に加え、きわめて中国の陰陽五行説(道教)色の強い信仰だと言えます。
明治維新でそれまでの本来の祇園信仰は破壊され、国家神道的な解釈になりましたが、今でも八坂神社や祇園の会を始め全国の祇園祭の会が本来の祇園信仰を取り戻そうと奮起しています。
【神道シリーズ】第24回・熊野信仰(浄土思想と天台密教が織りなす「死の国」の息吹)「神道」無関係w①
熊野信仰は、奈良時代の新羅より伝わった雑密(未完成の呪術的密教)と平安時代以降の浄土信仰(一遍の時宗の融通念仏思想)と天台宗寺門派(三井寺)から成る「贖罪の国」「死の国」熊野から成っています。
華厳経や法華経に説かれた補陀落渡海(ほだらくとかい)と言って、小舟に30日分の食料を積み、念仏を唱えながら極楽浄土に辿り着くことを願って永遠の船旅に出る、つまり、水上自殺の聖地として那智は名所となっていました。
熊野三社(本宮・速玉新宮・那智)の熊野権現は古事記には出てこない仏教の神様で、こうした背景の中、時宗(時衆)の巡礼者たちが減罪を求めて「蟻の熊野」という紀州を通って熊野にいたる熊野古道の難所を越えて行きます。
ユネスコ世界遺産に指定された熊野三社や熊野古道はまさに日本の精神文化の神髄と言っても過言ではありません。
「神道」(国家神道のこと)とはまったく無関係な真の日本の精神文化の髄に触れられる場所がこの熊野です。
今回は熊野信仰の基本構造についてお話をし、次回はその肉付けのお話をしようと思ってます。
『9.23 皆で靖国神社に参拝する会』の参加者の方へ
★Instagram→https://www.instagram.com/kazuya.hkd/
★今後の講演情報はこちら→http://kazuyahkd.com/event
★マイリス→mylist/36734521
森友学園(住所が大阪市)が運営する塚本幼稚園児に昭恵夫人が涙
園児「日本国、日本国のために活躍されている安倍晋三内閣総理大臣を、一生懸命支えていらっしゃる昭恵夫人、本当にありがとうございます。ぼくたち・わたしたちも頑張りますので、昭恵夫人も頑張ってください」 昭恵夫人「感動しちゃいました」 安倍晋三記念小学校よろしくおねがいします。 いかに森友学園と安倍総理や夫人との癒着があったかよくわかる感じです