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周防大島文殊山<大同元年開基>智慧の 文殊堂 黄落の境内〜本編〜(山口県大島郡周防大島町三蒲)
大幅に追加・編集し直した。屋代島(周防大島)にある〜弘法大師開基と伝承される文殊菩薩を祀る文殊堂。文殊山の8合目にあるお堂である。公孫樹(イチョウ)の巨樹や紅葉など晩秋〜初冬は境内は黄金色に埋まる。大木なども多い。山好きな人は結構登ってる山です。
由緒は案内板を参照した。一応山口県では日本三文殊菩薩の一つとされている。
県道106号線を辿ります、途中県道と文殊堂方面への道が分岐している(案内板がある)
また、その辺りに徒歩参道の石段もある。途中駐車スペースもあるので徒歩で行くのもいいでしょう。
現在は松尾寺の奥の院ではなく地域管理の単独のお寺の模様。
もう少し日差しがあればよかったんですがね。
なかなか遠いので懐かしいしいつでも参詣できる様に映像で残しました。
ナレーターはSiriちゃん。
周防大島文殊山 文殊堂の黄落の境内 第一稿 (山口県大島郡周防大島町三蒲)
屋代島(周防大島)にある〜弘法大師開基と伝承される文殊菩薩を祀る文殊堂。
文殊山の8合目にあるお堂である。公孫樹の巨樹や紅葉など晩秋〜初冬は境内は黄金色に埋まる。
数年ぶりにおとづれた。なかなか来れないので映像をのこしておく。
由緒は案内板を参照した。現在は松尾寺の奥の院ではなく地域管理の単独のお寺の模様。
もう少し日差しがあればよかったんですがね。
ナレーターはSiriちゃん。
字幕訂正 寺号=龍岩寺が正しい。
<周防 岩國領と領民の安寧吉祥を祈る祈願所> 黄檗宗〜阿品弥山「長楽寺」と山の眺め 第四稿(萩 東光寺関連寺院) 岩国市
岩國の霊峰〜弥山の寺社巡りと山の風景。かつては江戸時代吉川広家公により〜岩国北ノ方鬼門除護と岩国領と領民の全ての安寧を祈る霊場である弥山社として神仏習合の霊場だった。
明治期、阿品、日宛、瓦谷の三村の境にあることから阿品=長楽寺、日宛=日宛山神社、瓦谷=赤滝神社の社寺に分割された経緯がある。
享保年間社殿造営の時、黄檗宗と定まり萩の毛利氏菩提寺 東光寺の関連寺院である。
社殿後ろのもみぢの木が大きいです。アクセスが大変なので来る人は少ないようです。
久々の投稿であります。十月の紅葉前に行きました。
11月なかばにまた行きましたんで山の紅葉の動画はまた作成したい綺麗でしたよ。
自信はないんですが、海側の彼方におそらく霞んでましたが四国山脈の方も見えてたのではと思います。もう少し空気が澄んでいればよかったんですが。
そんなに街から遠くはないんでたまに下界の工事の音?なんかがしたりはしますが基本は静寂そのもの。風と虫と小鳥の声。
車利用だと阿品側から県道59号線、美和町日宛地区〜市道経由59号接続か林道日宛東線をいく。
道路改修碑(峠の辺り)〜弥山までの道は車で上がれますが林道なので小石や枝が落ちてたらりますのでゆっくり上がりたいもの。
静かなところなんで、音量を上げたらノイズが拡大されたので自然音を消してサウンド(うまくいかないんで3回書き出しました書き出し時にサウンドの切り替えの場面でノイズが出たようです品質を上げると時間がかかる^^; )と最後に下山時に県道59号から見た弥山の画像追加しました。
*紅葉前の部分はなんとか完成。今度登山もしたい。今年2回行きましたここすごく好きなんですよね。はじめては30代前半頃だったかな昔ですね山口県百名山を片手に県道59号から山頂〜杭名へ下山して単独登山で行きました絵が今でも浮かびます。滅多に行けないので記録しておかないとイメージ薄れますのでね。
瀬戸の島はるかに見えて小吉かな 眺めは良い
*弥山参道登山口の様子と湧水阿品の水 sm37944127
*ニコ動は限界があるのでこちらの方が画質を高くあげてます。 https://youtu.be/gMjaoLOs7To
岩国の神社巡り〜貞観元年創建の「鉾(ホコ)八幡宮」 山口県岩国市通津
小さな神社ですが印象的な大楠がある。JR山陽本線の電車から窓外に見えます。岩国市の通津駅から程近い地に鉾八幡宮がある。
国道188号線の通津地区から県道115号線周東通津線へ入り 線路を渡ったところにあり、少し先に桜井戸や通津の大歳神社のイヌマキ巨樹がある。
御由緒
貞観元年859年のこと宇佐より男山八幡宮へ神霊を勧請して向かう勧請船が此の浦に帰港した折りのこと。
此の浦の蜑(漁師)が此の地の守護神にも祀りたい旨を願い出たが叶わず、神託降りて御船に備えし 矛を与えられこれを祭り鉾八幡宮と号す。参拝は夕方でした。
歴史的に由緒書によれば=唐入りのとき九州へ向かうとき、太閤秀吉がこの神社で戦勝祈願をしたということです。
何気ない地方の風景は捨て難いです。
参道の楠が印象的です。この近くに188号線沿いに 太閤さんが相撲をとらせたとかいう場所の石柱があった。
3回目の参拝にて 記録。
<広島県の神社>廿日市市 吉和地区 神社編 旧吉和村 総鎮守 「速田神社」と美濃木神社 廿日市市吉和
県道471号線〜綺麗な森林帯を降り〜 吉和への(4)最後です。自然の中のリゾート施設魅惑の里で休憩したあと・・・夕方です。
吉和の中をすこしみてあるいた。このあたりは旧吉和村といい廿日市市の最北の町である。
1 美濃木神社
国道186号線傍に立つ美濃木神社(大きな杉が林立しています)に立ち寄る(もう夕方なので鳥居のところから遥拝)
由緒不明ですが社殿や木立はいい感じでした。検索してもないんですよね情報。唯一夏にこの境内 に狐の剃刀」という山野草の花が観れるという記事があった。
2 速田神社
県道296号戸河内吉和線の田中原という集落にある速田神社へ(大木の杉の林立する境内)
由緒書などないのですが帰宅後検索してみると吉和の総鎮守だそうですね。
はつかいちぶらりブログと神社所蔵品情報が吉和区民館HPにありましたので参照しました。
おそらく延喜式内名神大社 速谷神社を勧請したものです。速田神社は今年三社目。
速田神社は廿日市友和や岩国市美和町阿賀にもありましたね。今年は三社目です
魅惑の里散策 sm37670800
県道(険道?)471線走行編(1)〜(2)全長版 sm37658809
神社二社はGoogleマッピで見ていたのでいってみたくて少し立ち寄る。紅葉の頃に明るい時にまた行こうかな。
吉和観光のHPで美濃木神社 裏の林道は5kmくらいは紅葉が綺麗でドライブはおすすめと書いてありました。
四和〜魅惑の里 なかなかいい道(おもしろい)でした。涼しい秋の気配がした。樹林が素晴らしいです。冬季は通行止めですからね。
行けたら紅葉した頃源流の森をもう1回走りたいですね。
岩国市錦町 宇佐郷 平安末期勧請 宇佐八幡宮と宇佐の大杉群(県 天然記念物)令和二年訪問
岩国市錦町宇佐にあるこの地の鎮守社。寂地峡近くにある神社で、自然観察路Aコースはここが入っている。この日は山間部は曇ったり晴れたりの天気。
由 緒
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も破損しているが神殿横に保存されています。
参拝は多分3回目くらい。
宇佐の大杉巨樹群=樹齢900年と推定される境内前の巨樹(樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
宇佐の南蛮鉄灯篭=室町初期に藤原朝臣安信が鋳造したもので永享9年寄進されたもの。災害にて土中にあったものを掘り出したので破損しており笠部分と中台 基礎のみ残る。
県重要有形文化財。
宇佐郷へ行くには国道434号線を辿る
1 国道186号線で登り冠高原から松の木峠を下る。道はまあいいがカーブが多い。
2 国道187号線を走りR434へ入り宇佐川沿いを行く(今バイパス建設中のようでしたが、現在はすごい谷沿いの酷道的な箇所があるので車両に制限がある)大型車用の迂回路もあるみたいでしたが・・・。
寂地峡、五竜の滝=sm37527628
防長あれこれ <山口県指定 名勝>寂地峡と五龍の滝自然観察(音声ガイド入) 岩国市錦町宇佐郷
山口県指定名勝 寂地峡(犬戻し峡谷と龍ヶ岳峡谷がある)メインの龍ヶ岳溪谷にある五龍の滝を見ることができる自然観察路B散策してきた。軽い登山である。
滝=下から龍尾〜登竜〜白竜〜龍門〜龍頭の滝の5つ。龍ヶ岳から宇佐川へとそそぐ寂地川沿いにある滝である。最後の滝は写真忘れた・・・(^^;;
山口県最高峰 ブナ林で有名な寂地山(1337m)に源を発する清流であり名水百選に選定されている。
合成音声によるガイドを少し入れてある。不具合修正
*近くの宇佐八幡、宇佐の大杉(杉の巨樹や大木がおおい)sm37546133
初秋の宮島巡り 「自然歩道 うぐいす歩道を辿り古刹 浄土宗光明院 」まで
秋の宮島散策記その(1)令和二年八月終盤 世界遺産のある島 厳島〜宮島へやってきた。
宮島港を出て左へ行くとすぐの長浜神社入り口あたりで道が分岐する。
右の山側の道路を登る。町並みの背後の山側を紅葉谷まで1、8kmで結ぶ散策路。
これがうぐいす歩道と言われる自然散策路。車道なので、時にホテルや旅館の送迎バスなども通行しますので注意は必要
久しぶりに歩いた。今回は誓真大徳碑(光明院)分岐まで行きここを入る。この分岐のちょい先 うぐいす歩道の山側に楠の巨樹があった。いろいろあるもんですな。
誓真大徳(Seisin Daitoku)=弁財天の琵琶の形から宮島名物杓子を考案して広めたり、井戸を掘ったり民生に尽くした。光明院裏、今はない浄土宗 神泉寺の番僧をされていた。
この後、石碑前から眺めを見た後、光明院前(今回は参拝せず)を降り山辺の古径(昔の参道)に合流して五重塔へ。
うぐいす歩道の光明院・誓真大徳碑方面への分岐は表示が小さいので見落とさないこと。
そのまま真っ直ぐうぐいす歩道を進めば紅葉谷ロープウェー駅の少し下に出る。また途中エスケープして、旅館岩惣の前へ(紅葉谷入り口)降りる道などもある。
人はそこそこ増えましたが、密にならずに観光できます。異様に多い外国人がほとんどいないので静かなもんです。今までが多いにしても程があると思います。これがまあ普通です。コロナが収まり昔くらいに今少し増えればいいんですけどね。程々が肝要。中華発コロナ が治るまでは日本人が戻ってこなければデス。
「曰く 過ぎたるは及ばざるが如し」
厳島、宮島関係映像= https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/82780
<坂と猫の港町> 尾道の寺社巡り(二) 艮神社〜妙宣寺〜御袖天神・大山寺 まで *猫も出ます (=^ェ^=)
コース=艮(うしとら)神社〜妙宣寺〜御袖(みそで)天満宮〜大山寺。御袖天神の参道は大林宣彦監督の尾道三部作〜転校生の主人公二人の心が入れ替わる場面の舞台です。
艮神社=旧村社 旧尾道 最古の神社 楠の巨木群は県天然記念物指定。
妙宣寺=日蓮宗寺院 文和三年(1354年)大覚妙実(元真言僧で、日像上人の弟子。妙顕寺二世)が開基だそうです。本堂は江戸期天明年間再建。幕末広島藩が駐屯し福山藩に備え、尾道を鎮撫した史跡でもある。猫がたくさんいました。
御袖(みそで)天満宮、大山寺(元は神仏習合で旧天神坊だが明治時代以後分離した)石段が大林宣彦監督転校生の舞台。御袖天神は菅原道真が尾道に寄港し残した袖が由来。大山寺は真言宗で西大寺の慶鑁(keiban)和尚が再興した。
寒風にからからなるや絵馬の宮 アーカムハウスダーレス
その(3)〜sm37499235
尾道は歴史も深いところなのでお寺が多くて1日では回りきれませんね。
令和二年巡拝記録集
友田 「速田神社」初秋8月末 再訪 廿日市市友田
廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町友田)にある速田神社。お盆過ぎの21日再訪記録。
蝉時雨と猛暑の境内。
速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されているが天王神社だから素盞鳴命と思われる。 ただし由緒書がないので推測ですが速谷神社なら安芸国造系の祖神のはず。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
もし行かれる方がいたら友和公民館が近くにあります(Pあり)
温泉の帰り折角なのでどこか寄りたくてお参りしました今度は涼しい時に行きたいな。
広島県の神社 はつかいち 旧佐伯町 日本の風景 神社動画 御神木 の巨樹がみごと
防長あれこれ〜山口県天然記念物 通津のイヌマキの巨樹 岩国市通津
山口県天然記念物 通津のイヌマキの巨樹 岩国市通津にある。通津川の側にある蓮田の中に鎮座する大歳神社の小さい御社の傍にある。御社より大きいので木を目印に行けばわかりやすい。木に巻きついたノウゼンカズラがなかな太い。
イヌマキ=マキ科マキ属の高木針葉樹
樹齢四百年だそうです(昔の説明では三百五十年ですが新しい看板では四百年と記載されています)天然記念物指定から相当年月経ってますからねぇw
日帰りで山口県岩国市由宇町の榊八幡宮(吉川氏の守護神 駿河八幡宮を合祀してある)へ行った帰りにふと思い立ち立ち寄る。
二回目。途中、男山へ八幡神が勧請される途上帰港した時、御宣託でこの地へも奉斎されることとなり鉾が授けられたという鉾八幡もよりましたこれはまたいずれ。
県道115号通津周東町線の路傍にある。国道188号を名水桜井戸への看板から入り鉾八幡宮横を抜け桜井戸を過ぎ115号を進むと川に出るので左折して少しさかのぼればある。
防長あれこれ〜清流の里 錦町広瀬 市の天然記念物指定 権現山巨樹群 岩国市錦町
清流の錦川に沿う岩国市錦町広瀬の町にある岩国市天然記念物「権現山巨樹群」散策。
錦川清流線の終着駅で古い町。山代地方と呼ばれ毛利藩の官道山代街道が通っていた。
水と山の町。旧国鉄岩日線=錦川清流線(第三セクター)の終着駅。
船津権現山という岡には白山権現が祀られているようで、そこには巨樹群があり現在の岩国市の天然記念物に指定(旧錦町天然記念物)されている。
また、その後背の山は朝霞(あさかすみ)と呼ばれ毛利氏の重臣 渡辺飛騨守が築城していた。飛騨守は、広瀬、河山で5000石を領して山代地方の押さえとされていた。 その居城として朝霞城が築城されていた。今も遺構が残るらしいです。
訂正=後で調べますと渡辺飛騨守が山代広瀬あたりを領したのは関ヶ原以後 毛利が萩へ移されてからのようです。手持ちの山口県歴史散歩によると渡辺飛騨守は、毛利軍の防長攻略の時、山代地方鎮撫に功績があったらしいです。
ここから少し歩くとその墓所もある宝篋印塔があり史跡指定されている。昔行きましたが今回はパスしました・・熱いのでバテバテです^^;
産直市場のおばさんたちに聞くと広瀬あたりは盆地で暑いらしいです。
ピュアラインにしき=国道187号線沿いの道の駅。休息所、売店、セルフレストランがある。
名産の蒟蒻 関係は豊富。ここから少し走ると道が分岐し187号線吉賀方面(六日市の峠にドライブイン山賊がある)と434号線宇佐郷方面(そうず峡温泉、羅漢山、寂地峡)へ分かれている。
防長路あれこれ〜毛利家重臣 渡辺飛騨守 朝霞城跡の麓 船津権現山巨樹群 岩国市錦町広瀬
山口県東部。岩国市錦町広瀬 元は玖珂郡錦町と言われたところ。江戸時代は山代地方である。清流の錦川が流れ水と山の町。旧国鉄岩日線=錦川清流線(第三セクター)の終着駅。
船津権現山という丘には白山権現が祀られているようで、そこには巨樹群があり岩国市の天然記念物に指定されている。
また、その後背の山は朝霞と呼ばれ 戦国末期頃、毛利氏の重臣 渡辺飛騨守が広瀬、河山で5000石を領して山代地方の押さえとした。その居城として朝霞城が築城されていた。今も土塁など遺構が残るらしいです。
ここから少し歩くとその墓所もある宝篋印塔があり史跡指定されている。昔行きましたが今回はパスしました・・熱いのでバテバテです^^;
産直市場のおばさんたちに聞くと広瀬あたりは盆地で暑いらしいです。名物は蒟蒻と山葵 あゆなど。
友田 速田神社(速田大明神)と広島県天然記念物 ツクバネガシの巨樹 広島県廿日市市友田
速田神社(Hayata Jinjya) 安芸の式内名神大社「速谷神社」から古い時代に勧請した 神社のようです。天王社を合祀され 鳥居に速田明神 天王神社と扁額にあった。
速谷神社は、江戸の頃まで長く厳島の隆盛により二宮とされ厳島の摂社的な位置になり速田神社と号していた。
祭神=飽速玉男命(安芸国造の祖神)あと、合祀されている天王神社の素盞鳴命と思われる(由緒記載が無いので推定ですが)
拝殿は吹き抜けで、絵馬が多く奉納されている。拝殿右側から本殿そばまでいけますが猛暑前だと地面に苔が生えて足裏の触感がこころもちふわふわします。社殿は小ぶりながら立派なもので雰囲気もよろしいです。また行きたなと思いました。
前回 岩国市美和町阿賀の速田神社へお参りしましたが久々に広島県廿日市の速田神社へ行ってきた
廿日市市友田(旧佐伯郡佐伯町の友田)にある。昔の佐伯郡という名称は厳島神主家佐伯氏の名から来ている。
この辺りは津和野街道に沿うように走る県道30号線を廿日市市街から折敷畑〜明石峠(毛利vs大内軍の明石、折敷畑合戦の舞台)を越え少し走ったあたりにある。旧佐伯町ができるまでは友和(ゆうわ)村といったらしい。
神社の両部鳥居 横の樹林には 広島県天然記念物指定のツクバネガシがそびえている。苔むした石段の両脇は木々が茂るがそこそこ整備はされている。
ツクバネガシはブナ科の常緑樹で、中国地方などには多い木であるそうで、広島県の同木では最大級の巨樹。小枝の先に四枚の羽のような葉が付き、羽子板のつく羽根に似ているのでその名がある。
車なら友和公民館で周辺の散策資料をもらい徒歩がいいでしょう。バス利用なら岩組バス停がそばある。ちなみにこの辺に乙丸という広島ラーメンのお店がある一回行きましたがおいしいです。小さめの餃子がよかった。昔々舟入でよく行った、しまいの餃子みたいで懐かしい。
2020 7初旬 梅雨の中休みにて
山口県美和町阿賀 速田神社 sm37182811
岩国市玖珂 樹齢六百年の巨樹 春日神社の大杉
春日神社のご神木の大杉。岩国市の重要文化財指定。県道136号藤生上久原線の傍らにある巨樹の大杉。道路に沿い笹見川を流れるあたりにそびえる。近くに塔ヶ森の森林公園などがある。
神社は杉の裏の広場にあり小さい鎮守のようでした。
幾度か大きな台風や野焼きの火粉を受け焼けたり空洞化が進んでいるようであるが、保存作業がなされステンレスの結束バンドで固定されているが樹勢は今だ盛んである。
今回で3回目の訪問。 今回は旧山陽道欽明路峠を越え欽明寺方面へ行かず直進し祖生方面へ 行くと県道136号の交点で136号へ入り少しゆくとある。
近くに塔ヶ森があり観音堂や登山ができるようですまだ行ったことがなんですがそのうち。
最後は、春の大杉から136号線を走り途中 笹見川沿いに田園を走った田んぼの真ん中おそらく農道にて。
一面の緑の田んぼから玖珂盆地の山の景色が綺麗なので撮影。鞍掛合戦(毛利軍が後の蓮華山城から攻め下ったという)の舞台の二つの山 鞍掛山と蓮華山が見えた。
微調整して再アップ
延喜式内名神大社 旧官幣中社「厳島神社」(三)境外 摂社「大元神社」(地主神を祀る古社)
宮島の大元浦大元公園入口に鎮座します。厳島神社境外 摂社 大元神社
御祭神=国常立尊、大山祇神、保食うけもち神。相殿=最初に社殿を立てた佐伯鞍職)
諸説あるらしいですが厳島神社よりも古いとも云われ、島の地主神を祀るともされる神社。
大元浦(水族館の少し西の大元公園入口あたりにある)大元浦は厳島合戦における陶晴賢と大内軍団の上陸地点でもある。
七つの摂社末社をめぐる御島廻神事の最後の配所でもある。また夏の大祭〜管弦祭でも管弦船が寄港し祝詞や管弦が奏される。
観光の主たる場所からは外れているので普段は喧騒から離れ大抵いつも静か。たまに登山客が通るとか参拝の方が訪れるくらいである。鹿が木立でよく集団で寝ている。社殿以外何もないですがそこがいい。
厳島神社HP記載にによれば 創建は不詳ながら仁安三年(1168)の佐伯氏の記録に大伴社として記載されているそうです。
社殿も古く大永三年(1523年)再建。屋根が独特で長板葺=六枚重ね三段葺(他になく大元葺きとも云われるそうです)。
本殿内陣の玉殿=柿葺で一間社流 見世棚造りで三殿あり 嘉吉三年建立(1443年)本殿より古い。
大祭は一月二十日の百手祭(弓の神事)
大元公園は弥山登山口で春は桜があり(戦前までは桜の名所米軍が伐採して駐車場にしてたとか)公園奥には、海の近くでは珍しいもみやツガなどの巨木が林立するさまは壮観です散策もよい。巨樹が好きな方は公園奥へぜひいきましょう。
令和二年五月中旬 参拝、散策。 参道〜本社〜重要な摂社まで終わり。
* あせび道散策路〜多宝塔と四宮神社 sm37264427
*宮島厳島関連https://www.upload.nicovideo.jp/garage/series/12602
【巨樹巡り】岩国市天然記念物 「 楠一丁目のクスノキ巨樹群 」の新緑
岩国市の楠町一丁目 門前川の堤にあるクスノキの巨樹群。堤防の上に11本の巨樹が並ぶ様は壮観。清流の錦川がこの辺りで井堰を境に東の今津川、西側に流れる門前川に分かれて行く場所。
楠のあるあたりは二つの川の間で形成された三角州である(川下地区と呼ばれているそうです)
岩国領主 吉川広正 公が現在の楠町1丁目付近に隠居所を作るため万治元年1659年堤防を改修した時かそのすぐ後に植えられたと言われているらしい(他の説もあるようです)1661年館は完成している。
吉川広正公=岩国第二代岩國領主、吉川広家の長男、毛利秀元に代わり一時 長州藩の執政や藩主毛利綱広の後見なども勤めた。
クスノキの巨樹=11本あり一番大きな巨樹で目通り5、65メートル、高さ30メートルある。
門前川の井堰は渡る人がちらほらいます。今度歩いてみたいなと。
現在は神社周辺の樹上には、白鷺(サギ)の群れが営巣しておりけたたましい鳴き声がこだまする。糞で下の神社が真っ白。東側の方はサギの巣が少なかった。
神社ですがyahoo地図や岩国に詳しいブログの紹介では「海原神社」となっていた。
錦帯橋の花菖蒲を見学したついでに 錦川沿いに走り日帰りで行ってきました。
<広島市の神社巡り> 客人(まろうど)神社と大森八幡宮 佐伯区湯来町
広島市佐伯区湯来町の客人神社と大森八幡宮を参拝 山と渓流のある山間の集落にある鎮守。国道433号線沿いの客人神社は、宮島の厳島神社の境内社から勧請している。大森八幡は平成の初めまではの境内に大杉がそびえる社叢で有名だったらしい。
客人神社=湯来町葛原にある氏神。秋の大イチョウは紅葉スポットで有名 厳島神社の客人神社を勧請して創建。昭和になり地元の河内神社と大歳神社を合祀している。
御祭神は大穴牟遅命 他
大森八幡=社伝では用明天皇の頃、延文年間創建。宇佐八幡から勧請された。昭和末期62年と平成3年の台風で社殿や鳥居、社叢に被害を受け。拝殿、神殿等は平成の再建。
大木の杉木立はすべて倒れてしまい現在は若木が植樹された木々のある広々とした空間になっている。社殿の姿は良い。拝殿も赤瓦で絵馬が掲げられて吹き抜けになっている。社殿と背後にある阿弥陀山との景色が特徴的。巨樹好きなので社叢は見たことがないので残念である。拝殿左側面にに立てかけてある保存された板状の倒れた神木の大きさがすごいです。
手水に藻が沸いていたのが残念(^^;
同じ広島市佐伯区 観音神社(枝垂れ桜満開の頃)sm36603170
<島根県の神社>巨樹の「赤穴(あかな)八幡宮」と頓原ラムネ温泉へ 島根県飯石郡飯南町赤名/頓原
島根県飯石郡飯南町(旧赤来町と頓原町が合併して生まれた町)旧分国では出雲国になる地方
頓原のラムネ温泉へ行く途中に道の駅赤来高原の至近にある古い神社があり参拝してきた。
なかなかいけないところなので温泉へ行く途中参拝 記録として作成。 2019.6
この辺りは赤穴荘とよばれて国人領主 赤穴氏により赤穴城が築かれていた。
山陰の雄 尼子氏の尼子十旗の一つとされた城。備後方面をもにらむ場所にあり大内軍や山陰攻略の毛利軍との間で戦いが行われている。
旧郷社 赤穴(あかな)八幡宮
社殿創建は770年と言われ(実際はもっと古いらしいが詳細は不詳)る古社。
元は松尾神社と号したが、石清水八幡宮の荘園となり赤穴別宮が置かれ松尾神社も統合されていき
赤穴八幡宮となる。賀茂神社系の祖神神話も残り
賀茂神社系の祭神(別雷神等)と八幡信仰系(神功皇后や仲哀天皇、応神天皇)の祭神が祀られている。
特筆するのは境内だが田舎なのですが荒れているわけでもなく自然で素朴な感じですが、巨樹が多い特に大元杉(夫婦杉)は樹齢1000年以上で社殿奥に二本ある。巨樹好きにはたまらないところである。
ここよりさらに国道54号線を進んだところに由来神社というのがあるがここも巨樹の杉があるそうです(帰りにうっかり通り過ぎちゃいました)
この後 頓原地区まで行き道の駅で、中国山地の一部で伝統的によく食べられていたワニ(鮫)をいただきまして〜ラムネ温泉へ入湯して帰りました^^写真を少し。
源泉は今は飲めないそうです(明治時代には炭酸水として売ってたらしい)泡がしゅわしゅわついて、効果大です 小さな温泉ですけど おすすめ。
修正完了。
<周南の寺社 巡り> 周南市鹿野「清流通り」1 龍雲禅寺と弾正糸桜〜巨木の社叢二所山田神社(旧郷社)
山口県周南市鹿野(かの)西中国山地の中にある山里。江戸時代初期に掘られた用水の〜潮音洞のからの清流が流れる通りは巨木や古刹、古社のある場所です、「清流通り」界隈の風景を散策して来ました12月初め曇りがちで寒い日で。潮音洞は漢陽寺で観れます。
本生山 龍雲寺禅寺=大内氏により1408年に建立されたと云われる臨済宗の古刹。初め漢陽寺開山の用堂妙機禅師の弟子〜悟竹瑞頓和尚が開山したが没後、廃絶したと言われ 戦国の大内氏の重臣江良(えら)氏の屋敷となっていたそうですが、のち再興され現在に至る(詳細は不詳)中世土塁が今も残ります。
土塁上にある江良弾正の名にちむ〜弾正糸桜は、山口県ではしだれ桜最大の巨木である
境内には本堂に庭と文殊菩薩堂がありや四国八十八箇所めぐりなどあるようです。静かで風情は良かったです。門前を水路が流れている。
二所山田神社 (二所大明神は、元毛利氏の祈願所で格式は高かった)旧郷社 二所大明神と山田神社が合祀されてできた神社。境内に周防大島郡長船にあった菅原神社も祀る。境内は巨樹が多い鬱蒼とした鎮守の森になっている。二所神社は899年出雲杵築大社から勧請し創建。
山田神社も大内氏創建など数説あるが、平安期の国史三代実録記載の山田神社に比定されている。
現在のように神社におみくじを普及させ自動販売機を考案したのが二所山田社(女子道社)である。
神前結婚式を広めたのも女子道社の運動によるものだそうです。
場所は中国道 鹿野インターを下りて近い。周南市役所鹿野支所辺り。
2012年かな鹿野の馬糞ケ岳の懐にある秘密尾「氷見神社」中宮参拝時にここによりまして宮司さんとお話しました 秘密尾の氷見神社のご祭祀もされてるそうです。私の持ってます山口県の登山の本にある馬糞ケ岳の項を書かれたのが宮司さんでしたw 思い出です。
*御朱印もいただきましたが、宮本宮司さん宅で頂戴できました。女子道社(おみくじ製作等の)の看板のところから入る(横の女子道社で教えてもらいました)在宅されてればいただけます ^^; 2019 令和元年 初冬
西中国山地 加計の町並みと名勝吉水園の紅葉と巨樹筒賀の大銀杏〜 記録 第二稿
西中国山地 広島県県北 旧山県郡=安芸太田町(加計町、戸河内町、筒賀村が合併した)まず向かったのが旧筒賀村国道186号線沿いにある大歳神社大銀杏がある〜旧山県郡の西部の中心の加計の街並みや鎮守長尾神社、紅葉真っ盛りの名勝吉水園などへ日帰り旅。
安芸太田出身の山仲間に案内してもらいました。
広島県の北部旧山県郡=安芸太田町と北広島町(地域の中心は千代田あたり)に現在なっている。
大歳神社=樹齢1100年の大銀杏(近隣では紅葉で名高い)やや時期を外してしまいましたがみてきました。神社いい感じです。
加計町=旧山県郡の西の中心的な町。広島の三角州を作った太田川に沿った所。たたら製鉄でも有名だった。有力な鉄山師で豪商の隅屋(佐々木氏・今の加計氏)があった。現在も加計氏屋敷や旧かけ銀行の建物である新日林業事務所がある。まず車載で加計の本通り商店街を通り抜けて、その後ゆっくり散策しました。
吉水(よしみず)園=隅屋16代の造園した吉水園は庭園と吉水亭が建つ山荘。県の名勝指定。個人庭園のため初夏・秋2回の公開のみ。紅葉の江戸モミジが見事す。亭から見える大田川や山並みが借景だそうです。
長尾神社=加計の商店街の端にある鎮守。創建不詳・安芸国神明帳では古くは素盞鳴命が祭神だったらしい。
焼失し社殿を失い明暦に再建後、御祭神は厳島明神を勧請している。明治後近隣の13社を合祀した。 色づいた大銀杏が見事なのですが枝が刈り込まれてました。
境内は宮司さんもおられ整っている。大木もあり色づいた感じがいい。本殿は三間社春日造だそうです。社殿左手に愛宕社、右手に招魂社(だと思うんですが)がありました。拝殿の天井絵、特に江戸時代の絵馬は保存は良く見事なものでしたまた見にいきたいですね。
487道民の森 月形地区キャンプ場
2019年5月24日、道民の森月形地区にやってまいりました、道民の皆様に山深い森の中で新鮮な緑に触れながらそこに生育している動植物を観察し、森の効用を理解していただけます。「景色の彩り」、「鳥や虫の鳴き声」、「草木の香り」、「風の気配」、「味わい」をあなたの感性を全開にして受け取りませんか?今まで、通り見過ごしてきた森の生き物たちには驚きと感動がいっぱいで、
昔々の北海道は、鬱蒼とした森の大地でした。その森には、エゾオオカミをはじめとして今は見ることが出来ない動植物も含めて、多種多様な生き物たちが暮らしていました。そこに人が住み始めると木を切って家を造り、畑を作り、道を造りました。ある所には多くの人が集まって町ができ、平地は田畑となり、また山間部は森と人間が共存し、奥地はそのまま森として残りましたとの事。ログハウス風バンガローとキャンプ場の月形町西部に、昭和の初期に植栽されたエゾマツの美林、トドマツの人工林や天然林に囲まれた地区で、樹齢三百年以上の巨樹・巨木に出会えます。この地区では、木工芸と陶芸の体験施設と、キャンプ場とバンガローが利用できます。
岩国市 玖珂町・千年杉の比叡神社と周東町・鮎原妙見宮 参拝記
まず初日旧山陽道の小瀬川の桜を鑑賞して~関関トンネル~バイパス欽明路経由で玖珂へ
(1)比叡神社(岩国市玖珂町谷津 )昔は山王宮とよばれ805年日吉大社より勧請。
産土神として鞍掛城の杉氏や蓮華山城の椙杜氏にも尊崇され吉川公の信仰もあつかったと言われる古社。社頭の大杉は千年杉と言われ巨樹である。桜の参道も良しです。本殿までは長い石段を登ります。
(2)鮎原劔神社(岩国市周東町川上)周東町にある鮎原妙見宮と呼ばれた古社。由緒書によれば、 むかし旅の僧が妙見菩薩を感得し祀られた。この辺の山に密教寺院がいくつかあったらしい。
その後、801年蓮華山頂〜さらに蓮華山の尾根のひとつ高羅山へ遷座したという。その後麓に祀られていた劔社、毘沙門社、四天王社など三社の摂社より常は遥拝した。のち三社を下居殿として合祀。
明治に毘沙門天四天王などを廃し(仏教色を排除)本宮を劔社と合祀鮎原劔神社となる。武道に徳のある神とされる。吉川氏の尊崇も篤かったと言われる。戦後の洪水により境内が被災し往時の建物や庭も荒れ果てその後現在の形へ再建された。社殿はやはり長い石段の上にあります。
参道のきゅうそう橋という大正期の石造橋(地元の方は太鼓橋と呼ぶらしいです)が、珍しくなかなか立派です。社殿の奥に少し行くと小さい奥社があるらしい(参拝時はわからなかったので行きませんでしたが)ここが元宮かは不明。2回目の参拝。
山口県て歩くと妙見様って多い気がするんだけど?周防戦国大名の大内氏(渡来系らしい)の氏神が北辰妙見菩薩ってことも関係あるのかなとも思います。
廿日市市 県天然記念物 津田の大カヤをたづねて 桜満開の境内
樹齢3000年の大虫のしだれ桜を見た帰りに県道30号線 沿いで名所を回ってみました。
帯かけ明神(岩倉明神)の巨石
岩倉という地名の由来となった磐座〜重なり岩が印象的。県道からも見える。
色々神秘的な伝説がある(岩が落ちてもまた元に戻ったとか、宗像から宮島へと向かう市杵島姫が岩に帯をかけたという伝説もある)受験生が絵馬を最近は奉納してる。
県天然記念物 津田の大カヤと真幡神社の桜
広島県指定天然記念物 巨樹 津田の大カヤの木 神社の拝殿を見下ろす大きさ。幹も大きくすごい。
桜の花は初めて鑑賞。明るい境内に満開の様はいいですね。
津田八幡神社
旧佐伯町で廿日市市津田の 地元 氏神様 八幡さんですね。初のお参り。田舎は赤瓦の拝殿多いなあと思う。なかなか立派です。拝殿に入ってお参りする。熊ん蜂が居ましたw
津保美堂
地元の和菓子屋。ドライブがてら買いに来る方も多い。揚げパンやいろんな地元銘菓もある。
名物は大きな二重焼き(今川焼き、回転焼き)餡は自家製。あとクリームもある。
今回は休みでしたので画像は師走の頃のもの。リアル案山子がよく出てます。
大虫しだれ桜は しだれ桜めぐり動画をできたらまたあげました。
あと大虫への険道車載作成中。
AXLE舞台版:最遊記
最遊記歌劇伝の前のAXLE主催の舞台ですね。でもよくまとめた上に、すごく面白い!
しかも原作1巻~9巻まで内容がギッシリ濃厚です。
配役
玄奘三蔵=柄谷吾史/孫悟空=斎藤准一郎/沙悟浄=郷本直也/猪八戒=内藤悠一/紅孩児=斎藤洋一郎/独角兕=田倉伸紘/你健一=古谷光太郎/玉面公主=古川貴生/六道・朱泱=山本健史/清一色=長谷川友紀/カミサマ=加藤巨樹/金閣=田原拓/光明三蔵=田中照人/蜘蛛男=日ノ西賢一/雲男=梅林亮太/料理人兄弟(赤・黄・青)=松木賢三
舞台版:PEACE MAKER 新撰組異聞
ブルー・シャトル主催のPEACE MAKERですが…ブルー・シャトルさん、もう少しDVD編集を何とかしてくださいよ…
吉田稔麿=郷本直也/土方歳三=柄谷吾史/山崎烝・歩=矢崎広/近藤勇=田中照人/山南敬助=吉谷光太郎/桝屋・明里=古川貴生/斎藤一=松木賢三/市村辰之助=山本健史/沖田総司=加藤巨樹/原田佐之助=田倉伸紘/北村鈴=日ノ西賢一/市村鉄之助=梅林亮太/永倉新八=齋藤秀貴/藤堂平助=入谷啓介/坂本龍馬=田清伸
【実況プレイ】女子だけどまたギャルゲーすっぞ パート45【サクラ大戦3】
オーク巨樹強襲作戦開始!!
(あの合体がヒロイン合体だと思っていた私は…)
前→ sm33522365
次→ sm33534774
サクラ大戦3マイリス→mylist/62176988
今までの実況→mylist/36707235
サクラ大戦ペンタスロン 3-11-7(サクラ3 79本目・通算294本目)
サクラ大戦3の最終話・戦闘後のシーンです
しばしの会話の後にオーク巨樹から帰還し勝利のポーズで終了です
次回はエピローグおよび各種エンディングとなります
一覧(サクラ3・マラソンと共用)→mylist/30348995
3・初回→sm25359947 前回→sm32658052 次回→sm32962051
ペンタスロン全体→mylist/47552867 第1回→sm25276337 前回→sm32658052 次回→sm32810311
サクラ系→mylist/50335290 副産物→mylist/59050561
蒲生の大楠 後編
日本一というだけに大きい・・・。
太い・・・。
圧巻でした。
なんか魔法でも使ってきそうな大楠でした。
・蒲生八幡神社 鹿児島県姶良市蒲生町
・蒲生の大楠 推定樹齢1600年 日本一の巨樹
観光(鹿児島) mylist/60785134
車載動画置き場 mylist/60599484
航空自衛隊 新田原基地mylist/60599487
陸上自衛隊 国分駐屯地mylist/60599482
youtube版(高画質)
https://www.youtube.com/channel/UCgz2r5uHfNbtoPItNBr5O8Q
蒲生八幡神社までドライブ 前編
日本一の巨樹・蒲生の大楠を見に行く!
までのドライブ動画ですw
本編の大楠は次の動画で作ります。
道順とかの参考になれば幸いです。
後編sm32590491
・蒲生八幡神社 鹿児島県姶良市蒲生町
・蒲生の大楠 推定樹齢1600年 日本一の巨樹
使用楽曲nc166413
車載動画置き場 mylist/60599484
航空自衛隊 新田原基地mylist/60599487
陸上自衛隊 国分駐屯地mylist/60599482
観光(鹿児島) mylist/60785134
youtube版(高画質)
https://www.youtube.com/channel/UCgz2r5uHfNbtoPItNBr5O8Q
サクラ大戦ペンタスロン 3-11-4(サクラ3 76本目・通算286本目)
サクラ大戦3の最終話・戦闘5と6です
まずサリュの操る蒸気獣オバドと戦います
必殺技が強制的に全員に当たるのが厄介です
さらにある程度ダメージを与えると数体に分裂してチクチク攻撃してきます
分裂中に本体(他と色が違うのでわかる)を倒すとまた元に戻りますが
気合がまたMAXに戻ってしまうためすぐ必殺技をくらってしまいます
次にオーク巨樹の核であるデルニエと戦います
光武F2の耐久値を強制的に1にする特殊技を使うので完封は不可能です
一覧(サクラ3・マラソンと共用)→mylist/30348995
3・初回→sm25359947 前回→sm32169712 次回→sm32419656
ペンタスロン全体→mylist/47552867 第1回→sm25276337 前回→sm32360637 次回→sm32419656
サクラ系→mylist/50335290 副産物→mylist/59050561
サクラ大戦ペンタスロン 3-11-2(サクラ3 74本目・通算275本目)
サクラ大戦3の最終話・戦闘1~3です
オーク巨樹に着弾(?)した状態であるため味方とは離ればなれになっています
まず大神一人で小さなマップをクリアするとその次で味方一人と合流できます
その次は二人が着弾した状態で動けなくなっているので救出します
最後のみ二人を救出した瞬間終了になるので敵を全滅させなくてもいいです
どのマップも敵の数が少なめなのですぐ終わります
また戦闘の前後に街の人たちの姿が見られるシーンが入ります
一覧(サクラ3・マラソンと共用)→mylist/30348995
3・初回→sm25359947 前回→sm31808725 次回→sm32169712
ペンタスロン全体→mylist/47552867 第1回→sm25276337 前回→sm32010231 次回→sm32035033
サクラ系→mylist/50335290