キーワード 後期ロマン派 が含まれる動画 : 79 件中 1 - 32 件目
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メンデルスゾーン(コルンゴルト編):映画「真夏の夜の夢」オリジナル・フィルム・スコア
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=A1l4Is2FN94)。
1935年、オーストリアで舞台監督・映画監督を務めていたマックス・ラインハルトは、ハリウッドで新作
映画を制作します。題材は題名が示す通り、シェークスピアの喜劇「真夏の夜の夢」に基づくコメディ映画
で、ラインハルトは映画の伴奏音楽の担当をエーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトに依頼し、コルンゴ
ルトはメンデルスゾーンの劇付随音楽「真夏の夜の夢」を編曲することで応えました。この編曲版は単なる
演奏編成の拡大版にとどまらず、コルンゴルトによって曲の構成が改変されている上、メンデルスゾーンの
他の作品である交響曲第3番「スコットランド」、交響曲第4番「イタリア」、無言歌集や歌曲「歌の翼に」
などの抜粋も追加編曲されています。
こうして完成した映画「真夏の夜の夢」の評価は賛否両論で、アカデミー最優秀撮影賞、最優秀編集賞を受
賞したものの、興行成績の面では散々な結果に終わりました。しかし、それまでのハリウッド映画の音楽が
ダンス音楽を演奏する小規模のバンドに任せていたのに対し、コルンゴルトが手掛けた映画音楽は大編成の
オーケストラと合唱による後期ロマン派直系のもので、「映画音楽の変革をもたらした」と高く評価されま
した。
この映画をきっかけとして、コルンゴルトはハリウッド映画の映画音楽を数多く手がけるようになり、その
後期ロマン派の作風は、現代にいたるまでのハリウッド映画音楽(ジョン・ウィリアムス等)に深い影響を
及ぼしています。
カリーナ・リンズレー、ミシェル・ブリート(ソプラノ)
スコット・ウィアー(テノール)
ミヒャエル・ブルト(バス)
ゲルト・アルブレヒト指揮
ベルリン交響楽団
ベルリン放送合唱団
セルゲイ・ボルトキエヴィチ:4つの小品 作品3
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=_Jt2ibMiQRI)。
ハルキウ(ハリコフ)出身の作曲家セルゲイ・エドゥアルドヴィチ・ボルトキエヴィチ(1877 - 1952)
は、4歳年上のラフマニノフと同様に、後期ロマン派に連なる作品を作り続けました。そんな彼の作風は
数多くのピアノ作品に如実に表れています。
ボルトキエヴィチが1906年(29歳)に作曲したピアノのための「4つの小品」作品3は、そういった彼の
作風が早くも表れたもので、ラフマニノフほどの高度な技巧こそ使われていませんが、非常に聴きやすく
愛すべき小品集となっています。
ヨウニ・ソメロ(ピアノ)
【SynthVクラシック】眠れる幼子キリスト (Schlafendes Jesuskind) / フーゴ・ヴォルフ【Eleanor Forte AI】
ボカロクラシカクリスマス祭2023参加作品です。
後期ロマン派に属するフーゴ・ヴォルフ(1860 - 1903)は、ワーグナーの影響を受けた和声法、ドイツ語の発音を活かした音楽語法やリズムなどが特徴で、ドイツ・リートの代表的作曲家として評価されています。しかし、(リート自体が日本で聴かれる機会が少ないため)知名度が高いとは言えません。今回はそんな彼の代表作の一つ「メーリケ歌曲集」から「眠れる幼子キリスト」をお届けしようと思います。
元となったエドゥアルト・メーリケの詩には「フランチェスコ・アルバーニ(イタリア初期バロック派の画家)の絵画による」という副題がついています。その絵画は幼いイエスが大工である養父ヨセフの積んだ木片の上で眠り、木片が十字架の形を組んで幼子の受難を暗示している……という内容だったようです。検索すると元の絵画らしきものも出てきましたが出自や著作権が不明瞭な画像しかネット上では見つけられなかったので、同じくバロック期の画家ムリーリョの描いた絵を背景に使用しています。
今回は原曲の歌唱とピアノ版ではなく、ヴォルフ自身の編曲による管弦楽伴奏版を選択しました。まどろむ幼子を柔らかく包むような曲調が特徴的です。
"Schlafendes Jesuskind" (1888/1889)
作曲: Hugo Wolf (1860 - 1903)
歌詞:Eduard Mörike (1804 -1875)
日本語訳: やしろ
背景絵画: The Infant Christ Asleep on the Cross (ca. 1660) Bartolomé Esteban Murillo (1617–1682)
歌唱: Eleanor Forte AI (Synthesizer V)
音源・映像制作: やしろ
メーリケ歌曲集には「クリスマス・ローズに」「新年によす」など、この時期に合った曲がいくつか収録されています。原曲のピアノ伴奏版含め、興味があればお聞きいただければ幸いです。
ジョゼフ・ジョンゲン:オルガンと管弦楽のための協奏交響曲 作品81
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=9WF951J5l4k)。
ベルギーのオルガニスト・作曲家・指揮者であったジョゼフ・ジョンゲン(1873 - 1953)は、同じ年に生
まれたラフマニノフと同様に後期ロマン派の作風に則った作品を数多く作曲しました。
その中で最も有名な作品は、1926年に作曲された「協奏交響曲」作品81になります。この作品の独奏楽器
はオルガンで、有名なハイドンやモーツァルトの協奏交響曲のように2つ以上の独奏楽器が登場するわけで
はありません。その代わり、全4楽章を通じてオルガンはほぼ途切れることなく演奏され続けており、オル
ガンを独奏楽器とする大規模な協奏曲とも、オルガンをオーケストラの一部とする交響曲とも解釈できる両
義的な作品となっていて、ジョンゲンが本作を「協奏交響曲」と名付けた理由がうかがえます。
音楽的にはワーグナーやフランクの流れを受け継ぐ後期ロマン派に属していますが、一方でドビュッシーの
印象派に近い響きもあり、何より大規模で壮麗な音響にあふれた作品です。本作はオルガンと管弦楽のため
の作品としては、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」やプーランクの「オルガン、弦楽とティ
ンパニのための協奏曲」などに匹敵する名作の1つとして、多くのオルガニストたちに高く評価されていて
実際に演奏・録音を手掛ける奏者も多いとのことです。
ヴァージル・フォックス(オルガン)
ジョルジュ・プレートル指揮
パリ国立歌劇場管弦楽団
グリエール:バレエ組曲「赤いけしの花」作品70a
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=4dwYlX8kL64)。
キーウ出身で、ロシア帝国末期からソ連建国期にかけて活躍した作曲家レインゴリト・グリエール(ロシア
語読み。ウクライナ語読みでは「レーインホリド・モリツォーヴィチ・フリイェール」1875 - 1956)は、
交響曲第3番「イリヤー・ムーロメツ」が代表作として有名ですが、もう1つの代表作として挙げられるの
が、1928年に作曲されたバレエ音楽「赤いけしの花」作品70です。
この作品は1920年代の中国の港を舞台として、そこで酷使されている苦力(クーリー)たちを助けようと
するソ連船の船長と、彼を助けようとする中国人の踊り子タオ・ホアとの悲恋を取り扱ってて、題名「赤い
けしの花」とは、ソ連船の船長がタオ・ホアに愛の証として渡した花のことです。音楽的には後期ロマン派
の作風に近代的要素やオリエンタリズムが加わっていて、偶然にも同時期に作曲され、同じ中国を舞台とし
たプッチーニの歌劇「トゥーランドット」に似たところがあります。この作品はソ連の建国後初めての、そ
して近代の革命を題材とした最初のバレエとされています。
後にグリエールはこのバレエから6曲を抜粋して組曲とし、作品番号「70a」を付けました。この中では第6
曲「ソヴィエト水夫の踊り(ロシア水夫の踊り)」が有名ですが、この曲はロシア民謡「ヤブロチコ(小さ
なリンゴ)」を編曲したものです。
アンドレイ・アニハーノフ指揮
サンクトペテルブルク交響楽団
M・レーガー 世捨て人 作品144a(作曲者編曲によるピアノ伴奏版)
J・アイヒェンドルフの詩に基づく、バリトン、5声の混声合唱、オーケストラための作品144。
作曲者自身「自分が書いた曲で最も美しい作品の一つ」と言うように、レーガー最晩年の作品にして、後期ロマン派の傑作と言える声楽曲。♪♪なお当て推量の訳は、どうかご容赦を♪♪
*久しぶりに聴いてみたら、思いっきり音割れしてました。コメント下さった方大変申し訳ありません。
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より 第3幕への前奏曲、徒弟たちの踊り、第1幕への前奏曲
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=yw2-QrjSPjI)。
20世紀のドイツの名指揮者であるカール・アドルフ・シューリヒト(1880 - 1967)はウィーン古典派や後
期ロマン派の作品を多数録音していますが、一方で歌劇の演奏はあまりしておらず、ワーグナーの歌劇・楽
劇もほとんど録音していません。とはいえ、彼が晩年にバイエルン放送交響楽団を指揮して録音したワーグ
ナーの管弦楽曲集は極めて優れたものです。
この曲集で特に注目すべきなのが「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第3幕への前奏曲、徒弟た
ちの踊り、第1幕への前奏曲の3曲です。これらをシューリヒトはアタッカで、つまり曲の間に休みを置くこ
となく連続して演奏していて、これにより、ちょうど「マイスタージンガー」第3幕のダイジェストのよう
な効果が表れています。このような演奏録音を行ったのはシューリヒト以外ではトスカニーニくらいで、作
曲家でもあったシューリヒトの面目躍如といえる編集になっています。
そして、これらの演奏は速いテンポできびきびとした活動的な響きをもたらしており、シューリヒトの優れ
た技量を現代に伝えています。
カール・シューリヒト指揮
バイエルン放送交響楽団
セルゲイ・ボルトキエヴィチ:交響曲第1番「わが故郷より」作品52
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=Im_AXGLZZJ0)。
ハルキウ(ハリコフ)のポーランド系貴族の家に生まれたセルゲイ・ボルトキエヴィチ(1877 - 1952)
は、若くしてベルリンやウィーンなどのドイツ音楽圏で活動しましたが、ロシア出身であることから第一次、
第二次世界大戦ではドイツで迫害され、ロシア革命では貴族出身のために財産を没収されるなど、苦難の人
生を送りました。
彼の作風はチャイコフスキー直系というべき後期ロマン派に属しており、十二音技法などの現代音楽の技法
に背を向けた態度はラフマニノフに近いといえます。そんなボルトキエヴィチの作風を如実に表しているの
が、1935年に作曲された交響曲第1番「わが故郷より」作品52です。
全4楽章構成の本作はボルトキエヴィチがロシアを追われ、ウィーンに定住していた頃に作曲されており、
チャイコフスキーからの影響を如実に感じられるオーケストレーションもあるほか、終楽章ではロシア国歌
「神よツァーリを護り給え」が引用されるなど、題名通り「わが故郷」であるロシア(あるいはウクライ
ナ)への郷愁に満ちています。作曲当時の音楽界の潮流を考えると本作は古色蒼然たる作風といえますが、
それは裏を返せば聴衆に親しみやすいメロディにあふれるということでもあり、もっと多くの人に聞いてほ
しい作品だと思います。
なお、この交響曲は第二次世界大戦後に再評価されたボルトキエヴィチの75歳の誕生日を祝う演奏会(彼が
参加した最後の大規模な演奏会)が1952年2月に開かれたとき、締めくくりの曲として演奏されました。苦
難の人生を送ったボルトキエヴィチはこれを喜び、友人への手紙で「私は75歳という歳でこれほどの評価を
されて、いつでも幸せを感じることができるのだ。ほとんどの場合、本当に評価される人の名声は死後に高
まるものだから」と綴っています。
Mykola Sukach指揮
チェルニーヒウ・フィルハーモニー交響楽団
バッハ(ゴドフスキー編):無伴奏チェロ組曲第2番 ニ短調 BWV1008(ピアノ独奏版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=lmGKG0cTzf4)。
ゴドフスキーは多くのバッハ作品をピアノ独奏用に編曲していますが、無伴奏チェロ組曲からは第2番、第3
番、第5番を編曲しています。
この動画は第2番 ニ短調 BWV1008の演奏になります。ゴドフスキーの編曲版は重厚な和音がふんだんに使
われた、いかにも後期ロマン派らしいものですが、ゴドフスキー自身は自分の編曲について「私が追加した
音・メロディーすべてがバッハの原曲から導き出される音だ」と述べており、彼なりにバッハに敬意を表し
たものとなっています。
ミヒャエル・ナナサコフ(ピアノ)
【SynthVクラシック】2つの歌曲「私の両目を閉じてください」 (Schließe mir die Augen beide) / アルバン・ベルク【Eleanor Forte AI】
ハ長調と十二音技法。
新ヴィーン楽派の作曲家アルバン・ベルクはアルノルト・シェーンベルクの弟子であり、「抒情的な(メロディのある)無調音楽」を得意としました。1925年オーストリアの楽譜出版社、ウニフェルザル出版社の25周年を記念して出版された「2つの歌曲」は、同一の歌詞(シュトルムの詩「私の目を閉じてください」)に別のメロディを付けられた珍しい作品です。
1曲目は1907年(楽譜上では1900年となっていますが、出版社の創始年に合わせたようです)に書かれた歌曲をそのまま転用しています。いかにも後期ロマン派な響きが特徴で、後に結婚することになるヘレーネ・ナホフスキーに献呈されました。2曲目はベルクが最初に作曲した十二音技法の作品であり、F-E-C-A-G-D-As-Des-Es-Ges-B-Hという音列にもとづいています。当時の不倫相手だったハンナ・フックス=ロベッティン(イニシャルを取ったF-Hが音列の最初と最後の音)との恋愛が成立に関係しているとも言われています。
ベルクの他の十二音の作品よりは幾分シンプルですが、音列を上手く組み合わせて協和音、四度堆積などの響きをつくるといった後年の作風を思わせる取り組みが既にここで見られます。コーダではペダルを踏んだピアノが十二音全てを鳴らすといった試みも。
どちらも短い曲ですが、ぜひその「両目」を覗いていただければ幸いです。
原曲はドイツ語ですが、楽譜上には載っている英語版の録音が見つからず、せっかくなので英語の方でエレノアさんに歌ってもらいました。ドイツ語よりもあっさりとした響きになっていると思います。
2 Lieder " "Schließe mir die Augen beide"
作曲: Alban Berg (1885 - 1935)
歌詞: Theodor Storm (1817 - 1888)
英語訳詞: Eric Smith
日本語訳詞(ドイツ語版に基づく):やしろ
歌唱: Eleanor Forte AI (Synthesizer V)
音源・動画作成: やしろ
ここで使われた音列はベルクの1年後の作品、弦楽四重奏のための「抒情組曲」にも使われています。よければ聴いてみてください。
ドホナーニ・エルネー(エルンスト・フォン・ドホナーニ):交響曲第2番 ホ長調 作品40
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=iE_NdQyKTes)。
ハンガリー出身のピアニスト・作曲家で、指揮者クリストフ・フォン・ドホナーニの祖父として知られる
ドホナーニ・エルネー(作曲家名エルンスト・フォン・ドホナーニ 1877 - 1960)は4歳年下のバルトー
クや5歳年下のコダーイのようにハンガリー土着の民族音楽に軸足を移すことなく、最後までブラームス
の系統に連なる後期ロマン派の作風を土台とする作品を発表し続けました。
ドホナーニは交響曲を2曲作曲していますが、評価が高いのは第2番 ホ長調 作品40になります。第二次世
界大戦中の1943年にブダペストで作曲に着手し、作曲途中にドホナーニはソ連軍の侵攻を逃れてウィーン
に移住して、そこで1945年にいったん作品を完成させます。しかし1948年の初演では評価されることは
ありませんでした。その後、1953~57年に全面的な改訂を行い、これが最終稿として1957年に初演され
て、一定の評価を得ることが出来ました。
作品は伝統的な4楽章構成の交響曲で、作曲中にドホナーニが周囲で味わった戦争に対する不安が作品の
内容に影響を与えており、ドホナーニ自身は作品の意図について説明する際に愛読書から引用して「偉大
な闘いの終わりに終着点がある。終着点は死であり、生は闘争である」と要約しています。
音楽様式としては、ブラームスやワーグナーをはじめとする作曲家の影響をドホナーニが咀嚼したものと
なっていますが、作品中で最も大きな影響を与えているのはバッハで、第4楽章は彼の歌曲「甘き死よ来
たれ」(Komm, süßer Tod)BWV478に基づく変奏曲とフーガという様式になっており、ドホナーニは
この楽章の終結部で「死に対する生の勝利」を表現したと述べています。
マティアス・バーメルト指揮
BBCフィルハーモニック
シベリウス:弦楽四重奏曲 ニ短調「親愛なる声」作品56
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=J5zlNd-djlw)。
シベリウスは弦楽四重奏曲を4つ作曲しましたが、そのうち3つは、初めて作品番号を付けた
変ロ長調(作品4)も含めて20代の作品で、それほど評価が高いわけではありません。
彼の弦楽四重奏曲で最も評価が高く、現代でもレパートリーとして採り上げられているのは、
1908~09年に作曲された弦楽四重奏曲 ニ短調 作品56になります。
この頃、シベリウスは暴飲暴食や喫煙により悪化した喉の腫瘍を摘出する手術をたびたび受
けており、自らの死を間近に感じる境遇に置かれていました。この体験はシベリウスに大き
な影響を及ぼし、極めて内省的な響きを追求した作品が立て続けに作曲されることとなりま
した。その先頭を切ったのがこの弦楽四重奏曲で、シベリウス自身によりラテン語で「親愛
なる声」「内なる声」を意味する「Voces Intimae」という題名が付けられました。そして
初演は1910年1月6日にベルリンで行われ、たちまち大きな注目を集めることとなります。
作品は5つの楽章が切れ目なく流れるように演奏され、死の予感に彩られた静謐な、しかし
彼の交響曲に近い重厚な響きを聴くことができます。シベリウスの交響曲(本作の2年後に
交響曲第4番が作曲されています)に比べると知名度は落ちますが、後期ロマン派とフィン
ランド国民楽派の音楽様式が高い次元で融合した、まぎれもない近代の弦楽四重奏曲の傑作
といえます。
ノルディック弦楽四重奏団
カゼッラ:交響曲第2番 ハ短調 作品12
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=Nq4nGhBeXuU)。
伝統的にオペラ偏重であった近代イタリア音楽界において、レスピーギらと共に器楽曲の
作曲に力を注いだアルフレード・カゼッラ(1883 - 1947)の2番目の交響曲は1909年に作
曲されました。
3年前の1906年に作曲された交響曲第1番と同様に、本作はグスタフ・マーラーやリヒャル
ト・シュトラウスの影響を受けた後期ロマン派の作風で、中でもマーラーの交響曲第2番
「復活」の影響が第1楽章を始めとして色濃く表れており、それは本作が「復活」と同じく
ハ短調で作曲されたことにも示されています。
後期ロマン派らしく、大編成の管弦楽を余すことなく鳴り響かせることに重点を置く一方、
第1番より独自性を前面に出そうとする試みもなされており、約30年後に作曲された交響曲
第3番より完成度は落ちるものの、充分に聞きごたえのある佳作となっています。
フランチェスコ・ラ・ヴェッキア指揮
ローマ交響楽団
エネスク:習作交響曲第4番 変ホ長調
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=vytllbMywBU)。
代表作「ルーマニア狂詩曲」で知られるジョルジェ・エネスクは7歳にしてウィーン音楽院に進学
し、少年時代にブラームスと面談して激励されるほどの優れた才能を持っていました。そのこと
を如実に表す作品の1つが、14歳~17歳の時に作曲した4つの交響曲です。これらは後期ロマン派
の交響曲として堂々たる作品ですが、エネスク自身は若書きの未熟な作品と認識しており、「習
作交響曲」と名付けて作品番号を付けませんでした。
このうち、最後に作曲されたのが1898年(17歳)の第4番 変ホ長調で、作品番号を付けた交響曲
第1番(1905年)の7年前の作品になります。本作は3楽章構成の交響曲ですが、第3楽章が全曲の
ほぼ半分を占めるという特異な構造を持っており、「習作」というのを逆手にとってエネスクが
斬新な効果を狙った意欲作とも解釈できます。曲調としては10代の少年が作曲するにふさわしい
天真爛漫さを感じますが、一方でオーケストレーションの技術がかなりのレベルに達しており、
エネスクの早熟さが見て取れる佳作だと思います。
ホリア・アンドレースク指揮
ルーマニア国立放送管弦楽団
エイミー・ビーチ:交響曲 ホ短調 「ゲール風」作品32
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=VmLU1CfHcJw)。
エイミー・ビーチ(1867 - 1944)は、アメリカのニューハンプシャー州出身のピアニスト・
作曲家で、アメリカ人女性として初めて「創造的な作品」を発表して国際的に高く評価され
ました。彼女はワーグナーやブラームス、そしてドヴォルザークの影響を受けて後期ロマン
派の作風を保ちつつ、自分がピルグリム・ファーザーズにさかのぼる家系に連なることを意
識して、当初はイギリス民謡に触発された作品を作曲していました。
そんな彼女の代表作の1つとされているのが、1894年に作曲した交響曲 ホ短調 「ゲール風」
作品32です。その前年である1893年にドヴォルザークが交響曲第9番「新世界より」を作曲
・初演しており、ビーチはそれに触発されて4楽章から成る交響曲を作りました。ただ、ド
ヴォルザークがネイティブ・アメリカンやアフリカン・アメリカンの音楽とチェコの音楽を
組み合わせたのに対し、ビーチはアメリカ人でありながらネイティブ・アメリカンなどの音
楽を使わず、むしろ「文芸と共に先祖から付け継いだ古きイングランド、スコットランド、
もしくはアイルランドの歌曲」に基づいて本作を作曲しました。「ゲール風(Gaelic)」と
いう題名はケルト民族の部族名ゴイデルを暗示しており、「アイルランド風」という意味に
なります。
本作は1896年10月30日に初演され、一部評論家が「オーケストレーションが重い」と批判
したものの、観衆や報道関係者の支持を集めて成功を収めました。その後は1920年代にいっ
たんは忘れられたものの、ビーチの晩年である1930~40年代に再評価され、細々ながらも
アメリカのオーケストラによってレパートリーに採用され続けています。
ネーメ・ヤルヴィ指揮
デトロイト交響楽団
グリエール(ストコフスキー編):交響曲第3番 ロ短調「イリヤー・ムーロメツ」作品42
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=dtZUSvvHGBY)。
ウクライナ出身の作曲家レインゴリト・グリエール(1875 - 1956)の代表作とされる交響曲第3番 ロ短調「イリヤー・ムーロメツ」作品42は1911年に完成し、翌1912年に初演されて好評を博しました。しかし、演奏時間が80分に及ぶ大作であったため、再生時間が短いSPレコードが主流だった時代には録音される見込みがほとんどありませんでした。
そんな中、多数の有力なレコード録音によりアメリカ音楽界で名をはせた名指揮者レオポルド・ストコフスキー(1882 - 1977)は、本作をロシア音楽における傑作交響曲と評価していて、この曲のSPレコードを作るためには曲を短縮するしかないと考え、1930年にグリエール自身に直接「この交響曲を短縮した編曲版を作らせてほしい」と許可を求めます。グリエールは自分の作品がストコフスキーによってアメリカで知名度を上げられることに魅力を感じて許可を出しました。これによってストコフスキーは数多くのカットにより演奏時間を約40分にした短縮版を作成し、これがSPレコードに録音されました。
原曲をほぼ半分にしたストコフスキーの短縮版に対しては、当然批判がありましたが、これによってアメリカ国内で本作の知名度が劇的に上昇したことは疑いなく、一時はラフマニノフの交響曲第2番と並ぶロシア・後期ロマン派の傑作交響曲とまで評価されました。ストコフスキーはこの編曲版を気に入っており、その生涯において3種の録音を遺しました。
その後、録音技術の進歩により長時間録音が可能になって、カットなしのオリジナル版によるレコードが登場するようになると、ストコフスキーの短縮版は顧みられなくなりますが、この動画の録音を聴くと、ストコフスキーの演奏はリムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」と同様の豪華絢爛な響きに満ちており、忘れ去られるには惜しい版だと思います。
レオポルド・ストコフスキー指揮
ヒューストン交響楽団
グリエール:交響曲第3番 ロ短調「イリヤー・ムーロメツ」作品42
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=jxEMvnQgGhI)。
ウクライナのキエフ出身の作曲家レインゴリト・グリエール(1875 - 1956)はスクリャービンやラフマニノフと同世代で、ロシア帝国末期~ソ連時代に後期ロマン派、国民楽派、そして中央アジアなどのオリエンタリズムに基づく作品を多数作曲しました。
このうち、彼の代表作の1つとされるのが1911年に完成した交響曲第3番 ロ短調「イリヤー・ムーロメツ」作品42で、リムスキー=コルサコフの交響組曲やチャイコフスキーの「マンフレッド交響曲」の流れをくむ標題交響曲となっています。グリエールが本作で題材に選んだ「イリヤー・ムーロメツ(ウクライナ語ではイッリャー・ムーロメツィ)」とは10世紀のキエフ大公ウラジーミル1世に仕えたとされる伝説上の勇士の名前で、彼の伝説から4つのエピソードを取り上げて全4楽章で構成され、全曲の演奏時間は約80分にも及ぶ大規模な交響曲となりました。
グリエールはリムスキー=コルサコフやチャイコフスキー、スクリャービンやラフマニノフといったロシアの名だたる作曲家に比べると知名度は劣るものの、この作品は指揮者レオポルド・ストコフスキーをはじめとして多くの音楽家たちに愛好され、現在では後期ロマン派における標題交響曲の傑作の1つと評価されています。
サー・エドワード・トマス・ダウンズ指揮
BBCフィルハーモニック
ルーズ・ランゴー:交響曲第1番 ロ短調「岩礁の牧歌(岩の田園詩)」BVN32
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=2owQATYnBk4)。
ルーズ・ランゴー(1893 - 1952)はデンマークの作曲家・オルガニストで、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスの影響を受けて後期ロマン派の様式に則った大規模な管弦楽曲を多数作曲しており、それらの中核といえるのが16曲の交響曲です。
ランゴーの最初の交響曲「Klippepastoraler(「岩礁の牧歌」または「岩の田園詩」と訳される)」は1908年(14歳)に作曲を開始して翌1909年にいったん完成したものの、更に改訂作業に入り、1911年(17歳)に改訂稿を完成させました。しかし、本作は全5楽章構成で演奏時間が約1時間に及ぶ冒険的な大曲であり、これを演奏しようとする団体はデンマークにはありませんでした。そこでランゴーは両親とともにドイツ旅行に出かけ、そこで指揮者のアルトゥール・ニキシュやマックス・フィードラーに会って作品の講評を求めます。彼らはランゴーの才能を認めて彼を激励し、1913年にフィードラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により、交響曲第1番がついにベルリンで初演され、成功を収めました。
しかし、ニールセン風のモダニズムや新古典主義が楽壇の主流となっていたデンマーク国内では、ランゴーの作品が演奏される機会は少なく、その後ランゴーは後期ロマン派の枠にとどまらない急進的な要素を含めた作品を作るようになったものの、祖国の音楽界で重要視されることは生涯ありませんでした。
レイフ・セーゲルスタム指揮
デンマーク国立放送交響楽団
カゼッラ:交響曲第1番 ロ短調 作品5
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=dk7eqDwQz9E)。
近代イタリアの作曲家アルフレード・カゼッラ(1883 - 1947)は、レスピーギやマリピエロ、ピツェッティらと共に、伝統的に歌劇に偏重しがちだったイタリア音楽界において純粋な器楽曲の復興を目指し、数多くの器楽曲を作曲したことで知られています。カゼッラはパリ音楽院でフォーレに作曲を学びましたが、初期の作風はマーラーやリヒャルト・シュトラウスから多くの影響を受け、ドイツ後期ロマン派とイタリアのロマン派の融合に腐心しました。
そういった作品の1つが、1906年に作曲された交響曲第1番 ロ短調 作品5です。ただ、カゼッラ自身は本作を「ドイツロマン派の影響を受けすぎて自身の個性が出ていない」と認識していた節があり、生前には公開しませんでした。
フランチェスコ・ラ・ヴェッキア指揮
ローマ交響楽団
ルイ・ヴィエルヌ:オルガン交響曲第6番 ロ短調 作品59
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=A3L2_MJEpZk)。
ルイ・ヴィエルヌの最後のオルガン交響曲である第6番 ロ短調 作品59は、1930年に作曲されました。本作は無調音楽への傾向を強めつつも、セザール・フランクが創始した循環形式、後期ロマン派の和音構成、そしてヴィエルヌが得意とした即興演奏を思わせるパッセージが高いレベルで融合した、ヴィエルヌの最高傑作の1つです。
本作を含むヴィエルヌのオルガン交響曲はフランスのオルガン作品の金字塔であり、モーリス・デュリュフレやマルセル・デュプレ、更にはメシアンやマリー=クレール・アランに至る、後進の作曲家・オルガン奏者に多大な影響を与えました。
デヴィッド・バスキーフィールド(オルガン)
ルイ・ヴィエルヌ:オルガン交響曲第5番 イ短調 作品47
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=X-HIkUQw1Vk)。
1924年、ルイ・ヴィエルヌはオルガン交響曲第5番 イ短調 作品47を作曲しました。
ヴィエルヌは第一次世界大戦で弟と息子を失っており、更に戦後はマルセル・デュプレとの対立が起きるなど、失意の中にありました。ヴィエルヌは基本的に後期ロマン派の作曲家として活躍しましたが、本作においては無調音楽をある程度取り入れる大胆さを見せており、当時のヴィエルヌの心境が作品に反映されたとする見方もあります。
ザムエル・クンマー(オルガン)
カルウォーヴィチ:交響曲「復活」ホ短調 作品7
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=LDeols0tIzs)。
ポーランドの作曲家ミェチスワフ・カルウォーヴィチ(1876 - 1909)はシマノフスキの6歳年上に当たり、後期ロマン派に属する注目すべき作品を生み出しました。これによりポーランド音楽界の未来を担う人物として未来を嘱望されていましたが、登山家でもあった彼はポーランドのタトラ山脈でスキー遠征中に雪崩に巻き込まれ、32歳の若さでこの世を去りました。
カルウォーヴィチは後期ロマン派に連なる管弦楽技法を身に着け、20代で交響詩を始めとする管弦楽作品において優れた手腕を見せました。彼がベルリン留学中の1901~2年にかけて作曲した唯一の交響曲「復活」ホ短調 作品7は、ワーグナー、チャイコフスキー、リヒャルト・シュトラウスといった後期ロマン派の作品の影響を受けながらもカルウォーヴィチの独自性が発現しており、長生きしていれば独自の作風を確立していたであろうことは疑いようがなく、その早すぎる死は惜しまれます。
ウカシュ・ボロヴィチ指揮
ポーランド放送交響楽団
アドルフ・ヴィークルンド:ピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品10
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=lbPvzVNGmtM)。
アドルフ・ヴィークルンド(1879 - 1950)はスウェーデンのピアニスト・作曲家・指揮者です。
彼は主にピアニストや指揮者といった演奏家としての音楽活動を盛んに行っており、作曲活動は
比較的低調でした。しかし、8歳年上であったヴィルヘルム・ステーンハンマルと親交があり、
彼からブルックナーやシベリウスを紹介され、後期ロマン派・国民楽派としての作風を確立しま
した。
ヴィークランドの作品はそれほど多くありませんが、スウェーデンの音楽史においては重要な存
在で、特に評価が高いのが2つのピアノ協奏曲とされています。このうち、ピアニスト活動の絶
頂期であった1907年(28歳)に作曲されたピアノ協奏曲第1番 ホ短調 作品10は、いかにも北欧
的な朗々とした旋律をピアノが奏でる詩情あふれる作品であり、ラフマニノフとグリーグの影響
を感じさせる佳作といえます。
インゲマル・エードグレン(ピアノ)
ヨルマ・パヌラ指揮
エーテボリ交響楽団
ヨーゼフ・マルクス:秋の交響曲(完全全曲版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=c2vmv5v-Izs)。
ヨーゼフ・ルーペルト・ルドルフ・マルクス(1882 - 1964)はオーストリアの作曲家・音楽評論家・音楽教育者で、ウィーン大学教授、ウィーン音楽アカデミー(現ウィーン国立音楽大学)院長などを務めました。プッチーニ、リヒャルト・シュトラウス、ラヴェルなどと交友関係があり、マックス・レーガーやドビュッシー、スクリャービンなどの影響を受けて後期ロマン派に印象派の技法を導入した作風でした。ただ、その音楽的に保守的な立場からナチス・ドイツと親密な関係になり、悪名高い「退廃芸術」追放運動に同調したため、死後は批判の対象となっており、最近になって再評価の機運が高まっているようです。
ヨーゼフ・マルクスの後期ロマン派作曲家としての代表作が、1921年に作曲された「秋の交響曲」です。音楽的には、単なる秋という季節の描写だけではなく、「秋」という言葉から連想される印象(例えば「人生の秋」)をも表現しており、「秋の歌」「真昼の精霊の踊り」「秋の想い」「秋の詩」の4楽章からなる交響曲ですが、4管編成の大規模管弦楽による重厚で濃密な音響はマーラーやリヒャルト・シュトラウスに匹敵し、まぎれもなく重厚長大な後期ロマン派の交響曲といえます。
この作品は翌1922年2月5日にワインガルトナー指揮で初演されましたが、楽団員の練習不足や観客の妨害などによって失敗に終わりました。しかし、指揮者クレメンス・クラウスがこの曲を取り上げ、同年9月28日に再演して成功を収め、これにより「秋の交響曲」はクラウスの主要レパートリーとなり、ヨーロッパにおける知名度の上昇に貢献しました。ただし、クラウスは演奏の際に楽譜にかなり手を入れていて、原曲の演奏時間が70分以上なのに対して、1時間以内に収まるよう短縮されていました。ノーカットの完全全曲版が演奏されて「クラウス版」との違いが知られるようになったのは2005年10月24日のことで、ワインガルトナーの初演から80年以上たって、ようやく作曲家の意図が反映された演奏が聴かれるようになりました。この動画は、翌日の2005年10月25日に再演された完全全曲版のライブ録音になります。
ミシェル・スヴィエルチェフスキ指揮
レクリエーション - グラーツ大管弦楽団
ヒーリー・ウィラン:ピアノ協奏曲 ハ短調 作品76
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=49awZA939OA)。
ロンドン出身でカナダ国籍を取得した作曲家・オルガン奏者のヒーリー・ウィラン(1880 - 1968)
は、カナダ音楽界の重鎮として800曲以上を作曲し、特に教会音楽の分野において優れた作品を遺
しています。とはいえ、彼はほとんどの分野において作曲活動を行っており、その中で最近になっ
て比較的知名度が上がってきたのが、1944年に作曲したピアノ協奏曲 ハ短調 作品76です。
この作品は単一楽章ですが、実際には急・緩・急の3つの部分に分かれており、伝統的な3楽章の協
奏曲に準じた構成となっています。また、ウィランはラフマニノフに心酔していたことが知られて
おり、その影響は、20世紀中盤に作曲されたにも関わらず、後期ロマン派の作風が色濃い本作にお
いても明確に聴くことができます。
アルトゥール・オゾリンス(ピアノ)
マリオ・ベルナルディ指揮
トロント交響楽団
【BMS】Egypt / judithz
Egypt / judithz (Bitplane, p.p., 愛新覚羅溥儀)
センター試験お疲れ様でした。mp3 verはYouTubeに。
個人的に一番お気に入りの曲です。でも難しいんですよ。本当に。
sm36238027←前 次→sm36264137
「ハードバップ、フリージャズ、70年代プログレ、後期ロマン派、ノイズ。
レンピッカの絵とスフィンクスがモチーフ。
自分の作った曲の中では、唯一納得できた曲。」(Bitplane)
自分用
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エネスク:習作交響曲第1番 ニ短調
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=mbVcbCZfgaM)。
「ルーマニア狂詩曲」第1番が代表作として知られるルーマニアの作曲家ジョルジェ・エネスク
(ジョルジュ・エネスコ 1881 - 1955)は、10歳に満たないころから作曲を始めた早熟の天才
として知られていました。そんな彼の才能を示す作品の1つが、1895年に14歳で作曲した「習作
交響曲」第1番 ニ短調です。
本作の他に、彼は1898年までに「習作交響曲」を3曲書き上げており、13歳で「弦楽のための交
響曲」第1番を作曲したメンデルスゾーンに匹敵する早熟ぶりといえます。ただし、エネスク自
身はこれら4つの交響曲の作曲を管弦楽技法を学習するための訓練の一環とみなしており、わざ
わざ「Studiu de simfonie(習作交響曲)」と名付けた後は正式な作品番号を付けることはありま
せんでした。
実際、本作は4楽章制の標準的な交響曲で、ブラームスの晩年にあたる後期ロマン派の影響にド
ップリと浸かった習作であり、ルーマニアの民俗音楽を生かしたエネスクの作風が確立するのは、
10年後の1905年に番号付きの交響曲(第1番)を作曲した頃となります。
とはいえ、その管弦楽技法は後期ロマン派の交響曲作品としては充分な水準を保っていることも
確かで、彼がドイツ音楽界で「早熟の天才」と呼ばれた理由を察することができます。
ホリア・アンドレースク指揮
ルーマニア国立放送管弦楽団
ドホナーニ・エルネー:ピアノと管弦楽のための童謡主題による変奏曲 ハ長調 作品25
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=yEVMFKRMTyE)。
指揮者クリストフ・フォン・ドホナーニの祖父である作曲家ドホナーニ・エルネー(1877 - 1960)はハンガリー人でありながらブラームス等に影響を受けた後期ロマン派に属し、作品を発表するときはドイツ語名「エルンスト・フォン・ドホナーニ」を生涯名乗ったため、このドイツ語名の方が有名となっています。1914年、ベルリン高等音楽学校(現ベルリン芸術大学)で教鞭をとっていた頃に彼が作曲したのが「ピアノと管弦楽のための童謡主題による変奏曲」ハ長調 作品25です。
題名の通り、この作品はピアノ協奏曲の編成によって演奏される変奏曲で、後年ラフマニノフが作曲した「パガニーニの主題による狂詩曲」に似た構成となっています(むしろ時系列ではラフマニノフが本作を後追いした形になります)。題名の「童謡主題」とは通称「きらきら星」として知られるフランスの流行曲「あのね、お母さん」のことです。
なお、ドホナーニ・エルネーは作曲家の他に音楽教師・ピアニスト・指揮者としても活動しており、この動画はドホナーニ自身がピアノを担当した自作自演の録音です。
ドホナーニ・エルネー(ピアノ)
エイドリアン・ボールト指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ウェーベルン:大管弦楽のための牧歌「夏風の中で」
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=hv2E3yHBSpQ)。
シェーンベルクやアルバン・ベルクと並ぶ新ウィーン楽派の中心人物で、十二音技法を駆使した作品群で知られるウェーベルンですが、彼が熱烈なワグネリアンであり、若いころにはマーラーが指揮する「トリスタンとイゾルデ」を鑑賞し、バイロイト音楽祭の観客となっていたことは、あまり知られていません。
そんな彼が1904年の夏、ウィーン大学の在学中に作曲したのが「夏風の中で」です。ウェーベルンはドイツの政治家・詩人であるブルーノ・ヴィレ(1860 - 1928)の著作「ねむの木の黙示録」を愛読しており、この本にインスピレーションを得て本作は作曲されました。
副題が「大管弦楽のための牧歌」とあるように、作品の演奏には通常の二管編成の管弦楽にホルン4、フルート、ハープ2が追加された編成を要し、内容は後のウェーベルンの作品からは想像しにくいワーグナーやリヒャルト・シュトラウスの影響が残る後期ロマン派の作風が濃厚で、「牧歌」の名にふさわしい穏やかなものとなっています。
ただ、本作はウェーベルンにとっては習作の扱いであり、生前には演奏されることはなく、作品番号もつけられていません。忘れ去られていた作品が再発見されたのは1961年に彼の遺稿が整理されたときのことで、翌1962年にオーマンディの指揮で初演されました。
ユッカ=ペッカ・サラステ指揮
ケルンWDR交響楽団
ハヴァーガル・ブライアン:交響曲第1番 ニ短調「ゴシック」
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=F2XNv9RSUhI)。
ハヴァーガル・ブライアン(1876 - 1972)はイギリスの作曲家には珍しい労働階級の出身で、独学で作曲を学び、96年の生涯のうちに膨大な数の作品を作曲したことで知られています。ただし、初期にちょっとした成功を収めた後にはほぼ忘れ去られた存在となり、80歳を目前にしてようやく再評価されるようになったものの、作品の支持者は熱狂的なファンの間に限られ、一般的な知名度は現在も大して大きくありません。
ブライアンの作品の中で最も大規模で有名なのが、1919~27年に作曲された交響曲第1番 ニ短調「ゴシック」です。この作品は1928年にコロムビア・レコードが主催するシューベルト没後100周年記念交響曲作曲コンクールの応募作品として提出され、イギリス地区予選では第2位で通過しましたが、本選では優勝を逃しました。その後、本作は初演されることもなく放置されていましたが、1961年にウェストモンスターでアマチュアによる初演が行われ、1966年にはロンドンでボールト指揮BBC交響楽団の演奏でプロの音楽団体による初演が行われました。これにより、忘れ去られていたブライアンの存在が広く知れ渡るようになります。この動画は、その1966年初演のライブ録音になります。
作品は全6楽章からなり、管弦楽は8管編成(約190人)、ソプラノ・アルト・テノール・バスの独唱者4人に加え、混声合唱(2組:約500人)や児童合唱(約100人)が演奏に必要で、演奏時間は100分以上となります。これはマーラーの交響曲第3番や第8番をも上回るもので、演奏会で演奏可能な交響曲作品としては音楽史上最大規模にして最長の作品といえます。
作品内容としては、第1部の第1~3楽章は管弦楽のみの演奏でゲーテの「ファウスト」に基づく世界が描かれ、第2部の第4~6楽章では声楽が追加されて「テ・デウム」の歌詞を歌い上げる宗教的作品となっており、これが題名「ゴシック」の由来と思われます。このような作品になったのは、作曲開始が第一次世界大戦後の1919年であることが関係していると考えられています。ただ、作品は後期ロマン派から現代音楽の要素まで、ブライアンが影響を受けた様々な音楽が雑多にまとめられているという印象が強く、かなり人を選ぶものであることは疑いありません。
エイドリアン・ボールト指揮
BBC交響楽団
BBCコラール・ソサエティ
シティ・オブ・ロンドン・クワイア
アッテルベリ:交響曲第4番 ト短調「小交響曲」作品14
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=RBXJGBL2vJc)。
1917年、スウェーデンの作曲家クット・アッテルベリ(1887 - 1974)は交響曲第4番の作曲に取り掛かり、翌1918年に完成させます。そして1919年、ストックホルムにて初演されました。
この作品は伝統的な4楽章構成ながら演奏時間が約20分と小規模で、アッテルベリ自身によって「Sinfonia piccola」(小交響曲)と命名されました。しかし本作にはスウェーデンの民族音楽の旋律が全楽章に含まれており、後期ロマン派とスウェーデンの民族音楽を融合させた「スウェーデン国民楽派」と呼ぶべきスタイルになっています。
これ以降のアッテルベリの作品は「スウェーデン国民楽派」に沿ったものとなっていきます(これに対して「現代音楽の潮流・進歩に背を向けた懐古主義」と批判する向きもあります)が、本作はその流れを確立した始まりの作品として重要な位置を占めています。
ネーメ・ヤルヴィ指揮
エーテボリ交響楽団
バッハ(ゴドフスキー編):無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番ト短調 BWV1001より 「アダージョ」「フーガ」(ピアノ独奏版)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=FxFYYu7a8CE)。
レオポルド・ゴドフスキー(1870 - 1938)は、1920年代から30年代にかけてバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番・第2番、同じくパルティータ第1番、及び無伴奏チェロ組曲第2番・第3番・第5番をピアノ独奏用に編曲しました。このうち、特にヴァイオリン・ソナタとパルティータには力を注いでいたようで、全3曲の編曲版はゴドフスキー自身によって番号付の「ピアノソナタ」(第1番:ソナタ第1番、第2番:パルティータ第1番、第3番:ソナタ第2番)とされました。
その編曲は「ピアニストの中のピアニスト」と称されたゴドフスキーらしく、ピアノの超絶技巧が駆使されることを前提としており、ありとあらゆる部分に濃密な音響が詰まった後期ロマン派特有の作品となっています。なお、ゴドフスキーはこの編曲版の楽譜序文で「私が追加した音・メロディーすべてがバッハの原曲から導き出される音だ」とし、原曲の楽譜に書かれていなくても「論理的に導き出される」音だけで編曲したと述べています。
不破友芝(ピアノ)