キーワード 禅宗 が含まれる動画 : 135 件中 65 - 96 件目
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初夏の吉川氏城下町 吉香公園・紅葉谷 禅の古刹への旅 (山口県岩国市)
山口県の西の端 岩国市 毛利一門吉川氏の城下町 紅葉谷 寺院と庭。
岩国の禅宗の古刹 永興寺(ようこうじ)、洞泉寺(とうせんじ)を訪ねて。
6月と7月紅葉谷に残る寺院へ新緑とお庭を拝観に参詣しました。
紅葉谷はちょっと庭園風な公園、石や苔 木々に囲まれている。昔は(江戸時代?)寺谷と言われ寺院がたくさんあったそうで、昔のお寺の庭などの跡を公園に利用しているらしい。
永興寺=臨済宗天龍寺派。大内弘之(幸)公が仏国国師を招いて開山し建立した。その後七堂伽藍も建立され官寺にもされた寺格の高かった大寺。大内義隆や陶晴賢が安芸へ進軍の折や毛利が防長攻略で、ここに陣を張るなど歴史の舞台にもなる。
関ヶ原以後吉川広家により寺は解体され境内地は城郭や居館、武家屋敷などに転用された。現在の吉香公園の大部分は境内地だった。
のちに旧境内一部の現在地に再建されたが、明治の廃仏毀釈で寺領も失いさらに規模も小さくなり存続したそうです。
室町期の小規模な枯山水遺構が裏にあります(一応整備され市の名勝指定を受けた)山門から本堂あたりにかけてもみじの多い寺で以前は木立のあったエリアが墓地になっているそれでもまだまだは美しいので新緑紅葉時期が良いかなと。山門脇には近年再建の薬師堂と枯山水庭園があります。猫ちゃんもたまにいますよ。
洞泉寺=曹洞宗。吉川市の菩提寺として、1450年広島の新庄大朝で盤目山洞仙寺として創建 1603年吉川氏が岩国移封の時に移転寺号を洞泉寺と改めた。樹齢三百年の臥竜梅や梅の古木もあり参道が、御庭風でいいです。山門がなかなか風情がある。やはり一番梅の頃がいいかもしれません。
サムネは薬師堂前の新しく築庭された枯山水
吉川元春の武将二宮俊実(佐渡守)建立 禅宗寺院 松巖院と江戸期築庭の庭園 山口県岩国市藤生
松巖院は、岩国市藤生にある戦国毛利の一族 吉川元春の武将二宮佐渡守俊実の建立した禅宗寺院(臨済宗だったらしいですが 現在は単立寺院)です(動画は岩国の小瀬の渡し場跡の桜〜松巖院と進みます)
二宮佐渡守は、吉川軍主力の武将だったそうです。厳島合戦や石見攻略などでも活躍した。吉川元春〜広家と仕えたそうです。
境内奥の木立の中に二宮佐渡守の御墓と陶晴賢の供養塔があるそうです(未見)
開山は真如周伯和尚と由緒書きにありました。
吉川公の要請で八十を過ぎて「二宮俊実覚書」をしたためたと言われ 陰徳太平記など軍記の基本史料となったそうです
江戸時代19世紀(文化から天保年間)に住職月渓和尚により作られた二つの庭園があり作庭者や時期の記録(安政2年の文書に記録がある)も残り貴重な遺構とされる 市の名勝指定 1山門から本堂前に蘇鉄と苔の平庭(塀越しに瀬戸の海と島が借景となる)
2本堂南側にある築山や石組み、植木、池などのある回遊式の池泉庭があります。
築山には観音堂や地蔵がある。樹木が多く植えられているお庭でした。
庭園系のサイトの意見にありましたが樹木が多過ぎて確かに石組みが少しみづらいかなとはおもいました。今でも十分いいですけどね。
*本堂南面の平庭は簡素で苔と借景もよく大変結構でした。
付記=また山門下の石地蔵は切支丹地蔵であるそうです(後で知りました)
小高い境内に海や山の息吹を感じながら手を合わせたいですね
この日行きますと本堂は閉まっていたので外からお賽銭を入れ手を合わせました。
*行かれる場合 修行寺なのでまず御参りをさせていただいてから静かにお庭など拝見しましょう
僕は、このお寺の平庭からの借景の景色はいい〜〜なあと思います またお参りしたいです。
ド レ ミ フ ァ 道 場
日本、ひいては世界中の仏教教派というものは、膨大な経典の中から追及する経典を各派が選択したまでに過ぎず、そのほとんどが教義の差異で対立するということは少ない。
現代仏教界に思いを馳せた歌詞で【劣等上等】を歌うお坊さん
【御報告】只今、日本有数のとある大寺院にて修行しております。つきましては、僧堂での修行の日々に有難く、また同期の修行僧一同に喜ばれる寄進物のリンクを掲載致しますので、ご供養下されば吉慶の限りにございます。【https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/1FWOVB98SLVOC?ref_=wl_share】
「音楽に乗せても、皮肉を乗せても法をのたまえば法事なり」
節回しを付けた、即ち「曲」のあるお経を「梵唄」(ボンバイ)と言いまして。
ならばこれも「梵唄」で御座いましょうね。
御覧なさい、二千五百年余の使用に耐えうるコンテンツがこの程度の内容に堪えられぬことはございません。
出典:ニコカラ/劣等上等/off vocall/ sm33547064
本来:Giga - 劣等上等 ft.鏡音リン・レン/ sm33510542
【過去の法話】
【開眼法要】すろぉもぉしょん【を用いた読経】/sm34290468
現代仏教界に思いを馳せた歌詞で【ロキ】を歌うお坊さん/sm33549543
ダンスロボットダンスに乗せてお経を挙げるお坊さん sm33362899
マジカルミライを称えて法話をするお坊さん sm31868978
布教拠点:https://twitter.com/miraizi
禅宗系。
車載 西国街道(旧山陽道) 周防の難所 中峠、欽明路峠越え
旧山陽道走ってみた!つづき
関戸から多田へはだいぶ端折っています。
関戸(再訪)〜御庄(新岩国駅 裏辺り旧山陽道)〜御庄川ぞいに進み〜岩国城下との分岐 思案橋を過ぎ〜柱野〜欽明路バイパス横断(車が途切れないので旧山陽道側から来た車の方が信号ボタン押してくれましたw)
街道について幾つかしらないことを古道一人旅さんのHPで色々知りました。街道の歴史について詳しいサイトです。http://www.sakura64.sakura.ne.jp/
勉強になりますよ。^^人 感謝。
前回の小瀬峠越えから日をあたらためて、お天気の日に再度この方面を午後から走ってみたが
遅く出たらダメですねw
その2は 旧山陽道をびくびく走り中峠〜欽明峠を越えて玖珂の欽明寺まで。(ちょっと入るつもりが狭い)
帰りは祖生バイパスを通りました(少し撮影してます)いい道ですねえ。
サムネは中峠を越えたところ林道分岐。
訂正=欽明路峠から七曲りへの途中越えた高架ですが、自動車道は山陽自動車道でした(すこし先に玖珂パーキング、玖珂インターなどがある)
*玖珂には国道2号線沿いにいろり山賊砦があり(レストラン・ドライブイン)古民家とか色々移築してて面白いですよ
他にR2沿いに岩隈八幡宮や祖生(そお)には岩隈八幡の元宮が再建されて鎮座。
鞍掛山(毛利VS大内軍団の杉氏の鞍掛合戦の舞台)や比叡神社(大杉あり)などあり
欽明寺=伝説で欽明天皇が筑紫遠征し都へ帰る時この地に立ち寄られた故事による。元禅宗〜のち日蓮宗寺院。現在のお寺は昔の茅葺のお寺が延焼で焼け、近代に建て直されたものらしい。
西国街道 木野(この)〜両国橋〜小瀬峠越え〜関戸まで sm34599992
2018年8月9日釈正輪講話会「経歴について」
元々お寺に入りたい、住職になりたいという思いは無く
導かれて今の人生に至った。
たまたま10代の時にお世話になった方がいて、その方が臨済宗のお坊さんだった事がきっかけ。
その方を師事して修行に励んだものの長年経過すると、良くない事もいろいろ見えてきて悩んでいた頃に
1年間無銭旅行を実施。その1年の最後の頃に真言宗のお坊さんと出会う機会がありその方を師匠として仰いでいた。
真言宗のお坊さんが無くなった後天台宗に入るきっかけも出来た。
その後マザーテレサに興味を持ち、どうしても出会いたい気持ちでインドに赴き
マザーテレサと直接お話する機会があった。
「あなたはあなたのままでいい。悩みながら生きるのは辞めませんか」
その言葉が目からうろこで、今のままでいいんだと。どこの宗派に属する事無く生きていこうと決意。
その後韓国の禅宗との出会いがあり
いろんなご縁が自分を導いてくれて、ご縁があるところで学んで行こうと進めた結果が
様々な宗教に出会い、関わる事になった。
いろんな場所に行き、いろんな方々との交流の中において今まで知っていた日本についての歴史が全然違う情報が入ってきたり
それを皆さんに伝えていこうと
自分の使命を考えると
いろんな人達と友になった事が財産であり
私がそこで聞いたり見たりするものをFBする。それがお役目なのかなと
【西国街道行く】広島市西区己斐(西広島駅)〜古江〜草津〜西区井口駅(商工センター入口電停)
西国街道行く(1)
広島市西区己斐(西広島駅)〜西区井口駅(商工センター入口電停)まで歩きます
西広島駅駅〜別れの茶屋〜古江和風堂〜草津(鷺森神社、海蔵寺、慈光寺、小泉本店、草津八幡)
〜井口駅
広島市周辺の旧山陽道(西国街道)の一部を何回かに分けて歩いてみます。面影はわずかだと思いますが 歴史のある道ですから。
別れの茶屋はパン屋さんになっています 赤飯むすびと可愛いパンを買いました。
別れの茶屋 江戸の昔、広島城下から西へ旅する人をこの茶屋あたりまで見送り名残を惜しんだということからこの茶屋が別れの茶屋と呼ばれた。風情がある名前ですよね。
和風堂=武家茶道上田宗箇流の総本山。元浅野家の家老上田氏が家元。
鷺森神社=街道沿いに建つ。これも古い神社。昔は弁財天も祀っていたらしい。
海蔵寺や草津八幡宮は街並みや広島湾が見えて景色大変がよろしいです
海蔵寺 は中国僧が建立した禅宗の寺院。長州征伐の時の談判がここで行われるなど歴史の舞台ともなる。本堂の北側には江戸時代元禄期の池石庭園がある。
草津八幡=草津の氏神。元は海に近いところにあったらしいが、だんだん内陸へ遷座し近代以後、新たに開かれた力箭山中腹に鎮座した。
慈光寺=日蓮宗。現在の本堂は戦後再建された。海中より引き上げられた草津の妙見大菩薩も祀る。
現在は妙見堂はないが、妙見様は本堂にあると思われる。山門は古い被爆建物。
街中にはうだつのある昔の町家が点在しているそうです。
草津あたりが昔の景色というか佇まいが垣間見えていいです。
草津は三次の浅野家の領地で漁業や水産加工で栄えました。
【OCTOPATH TRAVELER】冒険?否、旅にでる。8人の物語【第1章】4歩【実況】
★ぼぼぼボス戦きてぁぁ!!いや曲かっこよすぎん?
結果やいかに…!?
★この先の実況にも、聖火のお導きがありますように!(ウチ禅宗)
※ほぼ全パート、「ネタバレあり」となっています。自己責任で♪
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【3歩】→sm33723785 【5歩】→sm33730959
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現代仏教界に思いを馳せた歌詞で【ロキ】を歌うお坊さん
【御報告】只今、日本有数のとある大寺院にて修行しております。つきましては、僧堂での修行の日々に有難く、また同期の修行僧一同に喜ばれる寄進物のリンクを掲載致しますので、ご供養下されば吉慶の限りにございます。【https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/ls/1FWOVB98SLVOC?ref_=wl_share】
時代と共に仏教の在り方も変わってゆきます。明治以前は僧侶も公職でしたが、現代においてお寺は民間の「宗教法人」です。
出典:【ニコカラ】ロキ off vocal sm32813108 ロキ/鏡音リン・みきとP sm32798041
過去の公開物を上げたらいいとアドバイスを受けましたので以下お納めください。
また、調子に乗っているので新たに動画を奉納しました。
現代仏教界に思いを馳せた歌詞で【劣等上等】を歌うお坊さん sm34958677
般若心経ポップを唱えるお坊さん sm30737076
ダンスロボットダンスに乗せてお経を挙げるお坊さん sm33362899
マジカルミライを称えて法話をするお坊さん sm31868978
布教拠点:https://twitter.com/miraizi
※日蓮宗ではありません、禅宗系です。
奈良県 大和小泉 「慈光院」( jikou in ) 片桐石州建立の寺
石州流=徳川幕府公式茶道の一つ 武家茶 大名茶。
茶道石州流 流祖片桐石州公(大和小泉藩主)が、父の菩提を弔うために創建
臨済宗大徳寺派の禅寺 重要文化財 高林庵茶室などあり
茅葺の屋根は茨木城の城門を移築し茅葺に仕立てたもの。
山門入った動画部分いらなかったなあw 動画はあれしか撮ってないもんでしかし上手く映ってない^^;
訂正:三代家光茶道師範X(家光公の頃は小堀遠州) →四代家綱公の茶道師範。
2013年9月の厳しい残暑の頃に駅から迷って地元の人に聞きながらようやくついた思い出。
拝観して書院でお抹茶をいただきました^^;
鷹の羽の交差した片桐家の家紋の形のお菓子が美味しかったですw(落雁に餡が入ってる感じ)
買って帰りました^^
あと油入らず麺の 石州麺も美味。
所在 奈良県大和郡山市小泉町( koizumiTown yamato kooriyama City)
大名茶人片桐石州(katagiri sekisyu= tea ceremony master) 建立(Built)の 禅宗寺院 慈光院参詣記。
茶人片桐石州建立のお寺で、茶の趣向で満ちたお寺。茶室に広間 借景の庭もすばらしい。茨木門は茅葺で詫びた感じ(旧茨木城の門だったとか)
慈光院には石州公の木造なども祀られていた(写真残ってないんですけど)
石州は小堀遠州を継ぎ、四代将軍家綱の茶道師範的な位置にあった大茶人の一人。
幕府の公式の主たる茶の湯流派の石州流開祖。石州は全国に伝播され様々な派生した派を生んだ。清水派、イ渓派、鎮信派、伊佐派、不昧派などなど。
文献に石州三百箇条(石州公がまとめた書で武家茶の祖的古田織部の著作などからも引いて残してあるらしい)などがある。
石州流は、千道安の茶の湯の系統を引いているそうです。(千道安〜桑山宗仙(旗本)〜片桐石州)
sekishu Faction of tea ceremony
Zen Buddhism jikoin Temple wabi sabi(japanese mind)
私は分裂病者、君は禅宗少年 - 初音ミク
作品 : mylist/61289586
Twitter : @kishidanoworks
【散策物語】飛騨神岡初金毘羅宵祭2017
飛騨神岡・禅宗の寺院「補陀山洞雲寺(ほださんとううんじ)」の堂塔伽羅をお守りする守護神「金毘羅様」。このお寺では約400年の前寺院開創より、毎年正月10日に初金毘羅祈祷(金毘羅講)が厳修されてきました。2017年2月25日収録。昭和29年、当時地元消防団長であった大坪政長氏が江戸消防記念会「も組」の組頭他を招聘し、木遣り音頭の指導・伝授を受けたのを機に、商売繁盛・家内安全を祈願し初金毘羅への奉納行列を催行。以来、少しつづ姿を変えながら、現在では地元企業や商店会、同級会やサークル団体など幅広い団体が創意工夫したオリジナルの山車を作り、パフォーマンスを繰り広げながら市街地を約1キロを練り歩く宵祭となっています。
【鎌倉仏教シリーズ】特別会・仏教関係者座談会6-6
約2年間、特別会を含めば100回近くとなったこのシリーズも今夜の仏教関係者座談会をもって完全に終わりとなりますが、今回は鎌倉仏教系および密教系の現役の僧侶さんたちを迎えて日本仏教全般についてのトークショウーとなります。日本仏教が日本人の気質に与えた絶大な影響から、今日および将来の日本にとって日本仏教はどう関わっていくのかを多方面から中身の濃い話し合いをします。何が飛び出すかは放送の中でのお楽しみです。
【鎌倉仏教シリーズ】特別会・仏教関係者座談会6-4
約2年間、特別会を含めば100回近くとなったこのシリーズも今夜の仏教関係者座談会をもって完全に終わりとなりますが、今回は鎌倉仏教系および密教系の現役の僧侶さんたちを迎えて日本仏教全般についてのトークショウーとなります。日本仏教が日本人の気質に与えた絶大な影響から、今日および将来の日本にとって日本仏教はどう関わっていくのかを多方面から中身の濃い話し合いをします。何が飛び出すかは放送の中でのお楽しみです。
【鎌倉仏教シリーズ】特別会・仏教関係者座談会6-2
約2年間、特別会を含めば100回近くとなったこのシリーズも今夜の仏教関係者座談会をもって完全に終わりとなりますが、今回は鎌倉仏教系および密教系の現役の僧侶さんたちを迎えて日本仏教全般についてのトークショウーとなります。日本仏教が日本人の気質に与えた絶大な影響から、今日および将来の日本にとって日本仏教はどう関わっていくのかを多方面から中身の濃い話し合いをします。何が飛び出すかは放送の中でのお楽しみです。
【プレイヤー操作】ローグでMugenの再訓練録2
使うたび《回転説法》が思い浮かぶ。
あちらは密教で、こちらは禅宗ではありますが。たぶん。
[対戦相手]
キュアハッピー marisya氏/つづら氏, 防御5Lv/10, シールド5Lv/10, 気合off, 各召喚率5/15, 逆境補正on, 決め技変動型
六条クリス/グリムバフォメット プレート氏, 1-4P, ループ&ハメoff, 回復off, 無敵off, 疑似喰らいoff, コンボ補正on, ダウン追討ちon, 覚醒off
チリー にんにく氏, 1-4P, 親捏造off
キュアブロッサム marisya氏/つづら氏, 召喚率15/15, 他は前回同様
[補記]「強さ指標」はGルガを何人抜き出来るか。詳細は前回を参照。
今シリーズ:mylist/57966143
前動画:sm30388062
次動画:sm30615779
【鎌倉仏教シリーズ】第72回・日蓮宗②日蓮宗の根本教義2-2
日蓮が始めた日蓮宗は、法華経の三大思想(一乗真実・久遠実成・菩薩行道)と、法華経の三大秘教(本門本尊・本門題目・本門戒壇)と五綱教判(教・機・時・国・序)から成っています。努力をして悟りを開けば誰でも仏になれる(成仏)というのは大乗仏教各派の共通した考え方ではありましたが、その「努力」の仕方において、日蓮宗は、妙法蓮華経(法華経)というお経のタイトル(題目)を唱えてえお願いする(南無妙法蓮華経)こと以外の努力(密教の荒修行とか浄土教系の念仏<波阿弥陀仏)を唱えるとか、禅宗で座禅を組んだり、禅問答<公案禅>をしたりとか)は一切してはいけない、もししてしまったら天罰が下るとまで言い切って、他宗への宣戦布告をしました。
【鎌倉仏教シリーズ】第72回・日蓮宗②日蓮宗の根本教義2-1
日蓮が始めた日蓮宗は、法華経の三大思想(一乗真実・久遠実成・菩薩行道)と、法華経の三大秘教(本門本尊・本門題目・本門戒壇)と五綱教判(教・機・時・国・序)から成っています。努力をして悟りを開けば誰でも仏になれる(成仏)というのは大乗仏教各派の共通した考え方ではありましたが、その「努力」の仕方において、日蓮宗は、妙法蓮華経(法華経)というお経のタイトル(題目)を唱えてえお願いする(南無妙法蓮華経)こと以外の努力(密教の荒修行とか浄土教系の念仏<波阿弥陀仏)を唱えるとか、禅宗で座禅を組んだり、禅問答<公案禅>をしたりとか)は一切してはいけない、もししてしまったら天罰が下るとまで言い切って、他宗への宣戦布告をしました。
【鎌倉仏教シリーズ】第71回・日蓮宗①日蓮と日蓮宗3-3
法華経をベースにした天台宗は、内に抱えていた三要素である、念仏、禅、密教がそれぞれ独立した宗派を形成するようになり、念仏から浄土宗や浄土真宗、禅から臨済宗、曹洞宗のような禅宗、そして残りの部分が天台密教を形成し、大きく三つの流れに分かれて行きました。この流れはいずれも中国仏教を模したものだったのですが、これらの流れがいずれ時の権力に媚びたり、権勢を競うようになる中、こうした流れに抗して日本独自の法華経解釈する日蓮宗が誕生します。今回は日蓮宗を生んだ日蓮にスポットを当ててみます。
【鎌倉仏教シリーズ】第71回・日蓮宗①日蓮と日蓮宗3-2
法華経をベースにした天台宗は、内に抱えていた三要素である、念仏、禅、密教がそれぞれ独立した宗派を形成するようになり、念仏から浄土宗や浄土真宗、禅から臨済宗、曹洞宗のような禅宗、そして残りの部分が天台密教を形成し、大きく三つの流れに分かれて行きました。この流れはいずれも中国仏教を模したものだったのですが、これらの流れがいずれ時の権力に媚びたり、権勢を競うようになる中、こうした流れに抗して日本独自の法華経解釈する日蓮宗が誕生します。今回は日蓮宗を生んだ日蓮にスポットを当ててみます。
【鎌倉仏教シリーズ】第71回・日蓮宗①日蓮と日蓮宗3-1
法華経をベースにした天台宗は、内に抱えていた三要素である、念仏、禅、密教がそれぞれ独立した宗派を形成するようになり、念仏から浄土宗や浄土真宗、禅から臨済宗、曹洞宗のような禅宗、そして残りの部分が天台密教を形成し、大きく三つの流れに分かれて行きました。この流れはいずれも中国仏教を模したものだったのですが、これらの流れがいずれ時の権力に媚びたり、権勢を競うようになる中、こうした流れに抗して日本独自の法華経解釈する日蓮宗が誕生します。今回は日蓮宗を生んだ日蓮にスポットを当ててみます。
【鎌倉仏教シリーズ】第70回・曹洞宗⑭曹洞宗の葬儀・年中行事2-2
この鎌倉仏教シリーズも最重点を置いてきたのが禅宗(臨済宗・曹洞宗)で、日本のありとあらゆる伝統文化と言われるもので禅宗の影響を受けてないものはほとんどない(禅宗9割・密教1割・念仏全体的ベースで神道ゼロ割という影響率)と言えるほど日本人という気質を形成した重要要素であると思われます。曹洞宗の葬儀は、「受戒」と「引導」に重点が置かれてますが、今回は各宗派(曹洞宗以外)との比較において、その浄土観(宇宙観)の違いに重点を置きながら説明していきたいと思います。
【鎌倉仏教シリーズ】第70回・曹洞宗⑭曹洞宗の葬儀・年中行事2-1
この鎌倉仏教シリーズも最重点を置いてきたのが禅宗(臨済宗・曹洞宗)で、日本のありとあらゆる伝統文化と言われるもので禅宗の影響を受けてないものはほとんどない(禅宗9割・密教1割・念仏全体的ベースで神道ゼロ割という影響率)と言えるほど日本人という気質を形成した重要要素であると思われます。曹洞宗の葬儀は、「受戒」と「引導」に重点が置かれてますが、今回は各宗派(曹洞宗以外)との比較において、その浄土観(宇宙観)の違いに重点を置きながら説明していきたいと思います。
【鎌倉仏教シリーズ】第56回・曹洞宗①道元と曹洞宗2-2
日本の禅宗は、中国の禅宗の流れを汲み、天台宗は中国北宗禅の流れを汲んで、禅(座禅)は天台宗の修行の一部とされてきましたが、中国で天台宗が衰退すると南宗禅が主流となり、その南宗禅の流れの中から生まれた臨済宗と曹洞宗を日本の禅師の栄西や道元が最初に日本に紹介することとなりました。道元が持ち続けた疑問「人には本来仏性があるならば何故人は修行しなければならないのか?」。この疑問への回答を道元は宋の天童如浄に求め、「心身(しんじん)脱落」の中にその回答を見出します。
【鎌倉仏教シリーズ】第56回・曹洞宗①道元と曹洞宗2-1
日本の禅宗は、中国の禅宗の流れを汲み、天台宗は中国北宗禅の流れを汲んで、禅(座禅)は天台宗の修行の一部とされてきましたが、中国で天台宗が衰退すると南宗禅が主流となり、その南宗禅の流れの中から生まれた臨済宗と曹洞宗を日本の禅師の栄西や道元が最初に日本に紹介することとなりました。道元が持ち続けた疑問「人には本来仏性があるならば何故人は修行しなければならないのか?」。この疑問への回答を道元は宋の天童如浄に求め、「心身(しんじん)脱落」の中にその回答を見出します。
【鎌倉仏教シリーズ】第51回・臨済宗⑭儒教(朱子学)+禅宗=武士道3-3
朱子学は、源頼朝が将軍だった頃に、真言宗泉湧寺派の僧侶・俊芿(しゅんじょうが宋より朱子学の書を持ち帰ったのを始めとし、その後鎌倉時代に中国(南宋)から来日した臨済宗の僧侶たちによって朱子学が伝えられ、南北朝時代になると、天台宗の僧侶・玄恵(げんえ)が後醍醐天皇に朱子学を教え、天皇はそのマニアとなり、多くの悲劇(忠臣たちの犬死)を生むことになる。秀吉の慶長の役の時、朝鮮より連れてこられた姜沆(きょうこう)は、臨済宗僧侶の藤原 惺窩(ふじわら せいか)最新の朱子学を伝え、その弟子の林羅山は家康に仕え、朱子学で幕藩体制の思想的根拠を築きます。
【鎌倉仏教シリーズ】第51回・臨済宗⑭儒教(朱子学)+禅宗=武士道3-2
朱子学は、源頼朝が将軍だった頃に、真言宗泉湧寺派の僧侶・俊芿(しゅんじょうが宋より朱子学の書を持ち帰ったのを始めとし、その後鎌倉時代に中国(南宋)から来日した臨済宗の僧侶たちによって朱子学が伝えられ、南北朝時代になると、天台宗の僧侶・玄恵(げんえ)が後醍醐天皇に朱子学を教え、天皇はそのマニアとなり、多くの悲劇(忠臣たちの犬死)を生むことになる。秀吉の慶長の役の時、朝鮮より連れてこられた姜沆(きょうこう)は、臨済宗僧侶の藤原 惺窩(ふじわら せいか)最新の朱子学を伝え、その弟子の林羅山は家康に仕え、朱子学で幕藩体制の思想的根拠を築きます。
【鎌倉仏教シリーズ】第51回・臨済宗⑭儒教(朱子学)+禅宗=武士道3-1
朱子学は、源頼朝が将軍だった頃に、真言宗泉湧寺派の僧侶・俊芿(しゅんじょうが宋より朱子学の書を持ち帰ったのを始めとし、その後鎌倉時代に中国(南宋)から来日した臨済宗の僧侶たちによって朱子学が伝えられ、南北朝時代になると、天台宗の僧侶・玄恵(げんえ)が後醍醐天皇に朱子学を教え、天皇はそのマニアとなり、多くの悲劇(忠臣たちの犬死)を生むことになる。秀吉の慶長の役の時、朝鮮より連れてこられた姜沆(きょうこう)は、臨済宗僧侶の藤原 惺窩(ふじわら せいか)最新の朱子学を伝え、その弟子の林羅山は家康に仕え、朱子学で幕藩体制の思想的根拠を築きます。