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伏見稲荷大社・千本鳥居・京都観光!
京都観光!
伏見稲荷大社・千本鳥居
晴れの京都!
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京都駅
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シーイーの古都京都巡り056晴明神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「晴明神社」
です。
平安時代では、事の吉凶を占う専門の役職(部署)があり、
その人たちは「陰陽師」とよばれてました。
中でも「安倍晴明」はその道に長けており、
時の天皇をはじめ、大臣などは挙って彼の占いを信じました。
そんな彼は1005年(寛弘2年)に天寿を全うしており、
神格化されて、
彼の屋敷が1007年(寛弘4年)に神社に大改造された処になります。
シーイーの古都京都巡り055教王護国寺と西寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「左大寺(教王護国寺)」と「右大寺(西寺)」
前者は「東寺」の別称が有名すぎるお寺。
です。
平安京の建都のタイミングでは、
桓武天皇は建立する気はなかったらしい。
唐から帰国した最澄が「本場の仏教」についての報告により、
奈良の都の「西大寺」と「東大寺」を規模縮小の形で、
羅城門の両サイドに五重塔だけを建立させたのが始まりとも。
度重なる災害で、双方ともに幾度と修築や再建がされるが、
最終的には、西寺は再建されずとなり、現在は「西寺跡公園」に。
東寺は各幕府が関わった事により、令和の現在にも残っています。
シーイーの古都京都巡り054六孫王神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「六孫王神社」
です。
2022年の一回目の動画になります。
清和天皇にも沢山の子供がいました。
そのうち六男に男の子が生まれた。
為に「六番目の皇子の系統の孫」から
「六孫王」のあだ名がついた。
最終的に臣籍降下となったので、「源氏」の姓を名乗りました。
彼のフルネームは「源経基」で
武家政権でキーとなる「源」の創設者となりました。
頼朝・義経の先祖であり、
足利家 今川家 新田家 といった源氏の元祖となるので、
当神社では「源氏発祥の地」となります。
2022年新春参詣
2022年 あけましておめでとうございます。
元日からいい天気となった京都です。
良い年であってほしいですね。
さてこそ、例の如く
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
をスタコラサッサと実施してきました。
その記録動画としてここに投稿しておきます。
ちなみに今朝起きたら…
体が悲鳴を上げていた事は、言うまでもなし…。
ゆくゆくは、ニコニコ生放送で、神社・仏閣からの中継とかしたいものです。
その準備は時間がかかるかもですが、進めておきます。
※各神社の撮影は、沢山の人が参詣なので、
肖像権を踏まえての構図としており、
やむを得ず等で映り込んでいる場合、手を加えております。
シーイーの古都京都巡り053熊野若王子神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「熊野若王子神社」
です。
2021年の最後の動画になります。
後白河天皇の熊野好きが最高潮のタイミングで、
新熊野神社と合わせて京都に建立された、本家熊野からの勧請。
白河天皇が建立の聖護社(熊野社)と合わせると
「京都熊野三山」なるように設定されました。
本家熊野とあわせるように本宮、新宮、那智、若宮があったが、
明治期の大修築で、3つの殿が連続した造りで、
全てがその殿に集約される形となり現在に至ってます。
シーイーの古都京都巡り052御香宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「御香宮」
発音は「ごこうぐう」でも「ごこうのみや」どちらでもOKとの事。
です。
創建時期は全く不明であるも、
平安時代の文献に名前が出てくることから、
奈良時代にはあったと思いますよ。
応仁の乱の被害があったと思われるものの、
これまた文献はありません。
羽柴秀吉が豊臣姓になる直前に、
天皇家などに声かけしたことで修復。
菊の御紋が入った。
秀吉が伏見城築城に際し、
城の鬼門封じで移動させたので「五七桐」が入った。
秀吉の没後に家康が元に戻したり、修復したので、
「葵の御紋」が入った…
現在も其々の紋所があります。
余談ですが、参道が大手筋商店街でもあるので、
商店街のCMでは、当社本殿で参拝しているシーンがあります。
(特に京都のCATV「みやびじょん」で流れるCMです。)
シーイーの古都京都巡り051敷地神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「敷地神社」が正式名称ですが、この愛称の方が有名な
「わら天神宮」
です。
創建時期は全く不明ながら、
足利家はこの神社の熱烈な信者になります。
元々は衣笠村にあったそうですが、
現在の左大文字山からさらに奥とか、
鷹峯のさらに奥とか、
高雄からさらに奥とか、
最初の鎮座についても全く不明だったりします。
応永4年
鹿苑寺の舎利殿で棟上げが実施されてますが、
その頃に足利義満がこの地に引越しさせてます。
シーイーの古都京都巡り050涼森神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「涼森神社」(すずしのもり じんじゃ)
です。
創建は、なんと仁徳天皇の時代という、
京都でも指折りな歴史が長い神社になりますが…
無名すぎる神社でもあります。
例えば、この11月なのに七五三で来られてる家族が居ない…
とか…
元々は巨椋池の西端で、水の出口が木津川へと流出する場所で、
仁徳天皇の時代では、小島が沢山あったらしいです。
その場所に水害を封じる神社として建立されたそうです。
室町時代になると、お城が築かれて「美豆(みず)城」とよばれていました。
神社やお寺が城郭となっているのは、よくあるお話ですよね。
ここもそんな歴史があった神社になります。
シーイーの古都京都巡り049瀧尾神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「瀧尾神社」
です。
唯一無二の氏子が「大丸百貨店」という神社です。
応仁の乱とか豊臣秀吉の大仏建立とか…
引越しが続いた神社になります。
シーイーの古都京都巡り048長建寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「建長寺」
です。
江戸中期の元禄時代に移設という形で、
創建されて、その担当の武人が命名したお寺です。
境内の湧き水は「伏見名水」に選ばれております。
山門は竜宮門があり、門前の運河に十石舟の昇降場があって、
観光に抜群なポイントにあります。
京阪電鉄の中書島駅改札から300m程・徒歩3分程度なので、
大阪市内・京都市各所からのアクセスも抜群ですよ。
シーイーの古都京都巡り047飛行神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「飛行神社」
です。
明治から昭和にかけて、飛行技術の革新を行った、
二宮忠八さんが、私財と研究施設を投入して、
神社と大改築された場所になり、
しかも初代宮司も二宮忠八さんという、
近代稀な神社になります。
航空技術に関わっていたことから、
航空関係の会社や開発や、乗務員、
宇宙技術に関する会社・団体・技術員などから
かなりの崇拝があります。
特に人工衛星打ち上げが近いと、
その関係者の方々がお参りに来られるのも有名。
京阪 石清水八幡宮駅(旧 八幡市駅)から徒歩数分なので、
石清水八幡宮の参詣と合わせての参拝をお勧めします。
ちなみに、ピカピカした鳥居なので目立ってます。
シーイーの古都京都巡り046墨染寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「墨染寺」
です。
平安時代の初期に建立の「貞観寺」というのが元祖らしいですが、
応仁の乱で消失しております。
復旧されたのが、豊臣秀吉の晩年の時であり、
秀吉の実姉の「とも」が出家し入った事から、
日蓮宗に改宗されたのと、豊臣家の菩提寺となっております。
独特のグラデーションカラーをもつ
「墨染の桜」
はこの寺院の名物であります。
挿入BGM
「幽雅に咲かせ、墨染の桜 ~Border of Life~」
作曲 zun 様
シーイーの古都京都巡り045市比賣神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「市比賣神社」
です。
平安京が作られている最中、
都のフリーマーケットエリアが作られて、
そこに商売の神を祀る神社が創建されたのがはじまり。
近年は京都十六社めぐりの対象神社となってます。
シーイーの古都京都巡り044藤森神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「藤森神社」
です。
※主な写真は数年前の春先に撮ったものを使用。
伏見区に鎮座のこの神社は、記紀に記述の内容とリンクしている事から、
主祭神である舎人親王にかなり縁があります。
神功皇后が三韓征伐(朝鮮出兵)から凱旋で寄った。
戦争はもうしない決意と戦死者の供養のために
社の建立の意を示した事で創建されたそうです。
奈良末期になると早良親王が崇拝していたので、
合祀されております。
室町中期では、後花園天皇の勅命があって、
時の将軍足利義教が色々としております。
近年は京都十六社めぐりの対象神社となってます。
シーイーの古都京都巡り043善峯寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「善峯寺」
です。
※京都府に緊急事態宣言が出ている状態ですが、
幸にもシーイー宅のご近所ばっかりのタイミングでもあり。
愛車で30分以内の場所が続いています。
この寺院は平安時代に建立されてます。
室町時代にあった応仁の乱で大破しています。
その復旧は江戸幕府五代将軍の綱吉の時代になってから。
彼の実母(家光の側室)に縁がある寺院という点から、
幕府が主体で大修築されています。
※令和三年八月末時点で、いくつかの建物が修築中となってます。
また、同年八月中旬の大雨により、参道である公道でトラブルがあり、
久しく閉門の状態でした。
シーイーの古都京都巡り042乙訓寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「乙訓寺」
です。
古くは推古天皇の祖父「継体天皇」が
一時だけですが都があった場所。
その地に推古天皇が聖徳太子に命じて建立したのが始まりとの事。
長岡京遷都においては、
都のどまんなかにある寺院となるので、
桓武天皇が命じて増強したそうです。
参考文献
・長岡京市史資料集成2 長岡京市の寺社
・シーイーの地元調査メモ
シーイーの古都京都巡り041光明寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「光明寺」
です。
西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)の総本山。
平安末期から鎌倉初期にかけて活躍の
「法然」と「熊谷直実」が建立したお寺。
直実は平家物語にも出てくる人物です。
法然が初めて説法をした事でも有名です。
参考文献
・長岡京市史資料集成2 長岡京市の寺社
・シーイーの地元調査メモ
シーイーの古都京都巡り039,040本願寺と真宗本廟
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「(京都)本願寺」と「真宗本廟」
です。
今回は多層建てで紹介します。
前者は「西本願寺」 後者は「東本願寺」
とガイドブックには載ってます。
戦国時代に各地で起こった「一向一揆」の最高総司令官である
本願寺の「浄土真宗本願寺派第11世宗主」光佐(顕如)は、
公家の三条家から妻を迎え、甲斐の武田信玄と義兄弟となり、
長男の光寿(教如) 三男の光昭(准如) 他を授かった。
その長男が東本願寺 三男が西本願寺の初代住職となります。
シーイーの先祖は、伊勢長島一向一揆の関係者だったとかで、
400年遡ると、密接な関係があるお寺となる為に、
説明の内容はオブラートに包んだつもりです。
シーイーの古都京都巡り038平野神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「平野神社」
です。
北野天満宮からするとすぐ北隣にあります。
最初は平城京の宮中に作られた神社だそうで、
平安京遷都に伴って、現在の場所に来たそうです。
最初はかなり大きな敷地だったらしく、
現在の鹿苑寺付近から、白梅町付近までが、境内だったそうですが、
天災・人災の毎に小さくなっていったようです。
※なんとかデータ復旧ができました。
諭吉さん21人という被害でしたが…
無事に動画が創れました。
シーイーの古都京都巡り037北野天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「北野天満宮」
です。
多治比文子さんが神託に従って建立した天神さん。
創建の工事の為に、わざわざ西ノ京へ引越ししてまでの大仕事。
その文子さんの新居も、後に「文子天満宮」となり、
現在は北野天満宮の境内摂社として、境内北側に鎮座。
室町末期では、豊臣秀吉の大茶会が行われたり、
豊臣秀頼が本殿をはじめ色々と修築しており、
その本殿が現在に至っております。
シーイーの古都京都巡り036霊光殿天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「霊光殿天満宮」
です。
道真さんから数えて6代となる末裔の方が、
現在の東大阪市の若江に建立した天満宮が、
平安京に遷ってきました。
元寇・応仁の乱と波乱に満ちてますが、
徳川家康が関与したことで、
江戸時代では特別な扱いとなってます。
シーイーの古都京都巡り035崇導神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「崇導神社」
です。
桓武天皇の実弟である「早良親王」を祀る神社。
上御霊神社 下御霊神社 藤森神社 などは
他の神様と一緒に本殿で並んで祀られてますが、
当社は早良親王を単体で祀っている唯一の神社です。
上御霊神社/下御霊神社と時期を同じく、
平安京遷都のタイミングで創建されてます。
大正時代に、小野妹子を祀る神社などが引越により、
境内に遷ってきました。
明確な歴史が数少ない神社だったりします。
シーイーの古都京都巡り034正覚寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「正覚寺」
です。
宗派 浄土宗 知恩院派
山号 成等山[せいとうざん]
開基/開山 貞誉[ていよ]
本尊 阿弥陀如来
応仁の乱で荒廃している状態の都に建立されたそうで、
時期的には「桶狭間の戦い」の前年だそうです。
豊臣政権の時代に、
知恩院と誓願寺が、どちらの所属の末寺になるか、
揉めていたそうで、
1615年に徳川家の裁定でやっと確定。(知恩院派となる。)
直後に伏見城の「朱色の城門」が下げ渡されて移築。
そこから「赤門」という愛称がある寺院になります。
シーイーの古都京都巡り033錦天満宮・歓喜光寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「錦天満宮」と「歓喜光寺」
の同時紹介です。
神社と寺院ですが、
800年を超える期間ドッキングされていた二か所なんで、
合わせてます。
お寺は京都府八幡市にあった「歓喜光寺」と、
菅原家のお屋敷から改築された「歓喜光寺」が、
六条河原町にドッキング・移設建立 という形で移ってきて、
鎮守社として敷地内に天満宮が設けられました。
これが六条河原町歓喜光寺と錦天満宮の始まりです。
六条河原町ってのは、
菅原道真の上司だった「源融」のお屋敷があり、
道真の実父の師事で学問を学んだ融ゆえに、
道真とは兄弟弟子の様な間柄だったようです。
源融は嵯峨天皇の息子なので、公家としての待遇は最大限であり、
宇多天皇の政権では、左大臣を務めていた。
住居と身分から「河原左大臣」の愛称があり、
詩は百人一首に選定されてます。
陸奥の しのぶもぢずり 誰故に
亂れそめにし われならなくに
源融は部下&兄弟弟子である道真の非凡を見抜いていたので、
宇多天皇には「大臣候補」として推挙した一人との云われです。