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1月15日は「旧成人の日」
成人の日は、1948年に「1月15日は、おとなになったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日」と法律で定められました。
しかし、現在は、2000年に制定されたハッピーマンデー法に基づき1月の第2月曜日に改正されています。
成人の日は、新成人達が両親や周りの大人達に保護されてきた子供時代を終え、自立し、大人の社会へ仲間入りすることを自覚するための儀式を行う日です。
戦後物資も食料も足りない時代で一番乏しいとされていたのは「人材」でした。
良い「国家」を作っていくためには、国民自身が成長していかなくてはならないと考えた当時の役人たちは、「こどもから大人になった自覚を持ってほしい」と願ってこの日を祝日にしたそうです。
1月16日は「日本初のアイススケート場がオープンした日」
1876年の今日、横浜で日本で初めてアイススケート場がオープンになりました。
場所は横浜港にほど近い根岸村。
青木安兵衛という人が商売として試みたそうです。
当時の横浜新聞の記事によると、当初は10月からオープンする予定が、氷が張らず年が明けてからの営業になったとか。
ロシアやヨーロッパ諸国で流行していた遊びをいち早く日本でも、という狙いがあったのかもしれませんが、今のように屋内の製氷設備が整っているわけではない明治時代、さすがにちょっと時期が早かったみたいです。
ちなみに、当時は「スケートリンク」や「アイススケート場」という横文字の言葉ではなく「氷すべり場」という名称で呼ばれていました。
1月17日は「防災とボランティアの日」
1995年の今日、未曾有の被害をもたらした阪神・淡路大震災が発生しました。
マグニチュード7.2、死者6308人、負傷43177人、行方不明者2人。神戸、淡路島で震度7というおおきな揺れを記録、当時、戦後に発生した地震災害としては最大で、様々な問題を浮き彫りにしました。
災害時のボランティアと、平常時における自発的な防災活動の重要性が認識されたことを受けて、1995年12月15日の閣議了解により、毎年1月17日を「防災とボランティアの日」、1月15日から21日の一週間を、「防災とボランティア週間」とすることが定められたのです。
災害時におけるボランティア活動及び自主防災活動についての認識を深めるとともに、災害への備えの充実強化を図ることを目的とした日なんですね。
今日は、今一度災害の備えについて考えてみてはいかがでしょうか?
1月20日は「大寒」
さて、今日、1月20日は、「大寒(だいかん)」。
大寒は、二十四節気(せっき)の24番目。最後の節気ですね。
大寒には期間としての意味もあり、今日から立春前日、2月3日までを指したりもします。
冬の季節の最後の節気で、寒さがさらに厳しくなり、1年中で最も寒い時季です。
小寒から立春までの30日間を寒の内といい、大寒はその真ん中にあたります。
1月21日は「料理番組の日」
1937年、イギリスの公共放送局、BBC・英国放送協会にて、世界初の料理番組をテレビで放送したことにちなんでいます。
この記念すべき料理番組の元祖である番組のタイトルは、「夕べの料理」。
そして、第1回の放送で紹介したのは「オムレツの作り方」でした。
この日に担当したマルセル・ブールスタンという料理人が、世界で初めてテレビに出演した料理人となりました。
記念すべき第1回の「オムレツの作り方」ですが、クリームと塩を入れてかき混ぜた卵を、バターを溶かしたフライパンで焼くというものでした。
1月22日は「カレーライスの日」
1982年、全国学校栄養士協議会が学校給食開始35周年を記念して、1月22日の給食のメニューをカレーにすることに決められました。
カレーライスの日は1月22日、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたことに由来しています。
1月23日は「電子メールの日」
毎月23日は2と3の語呂合わせで「ふみの日」ですが、1月23日は「良い文」という意味と、電子メールの別名「Eメール」を合わせて、電子メールの日となっています。
携帯電話やパソコンで日常的に使われている電子メール。
最初に電子メールが送信されたのは1971年のこと。
その時送信された文章は「QWERTYUIOP」という、パソコンのキーボードを左から順に押した文字列だったんです。
意外と事務的だったんですね。
手紙も電子メールも気持ちを伝える大切な手段です。
電子メールの日の今日は、普段口に出して言えない気持ちを、大切なあの人へ送ってみてはいかがでしょうか?
1月24日は「郵便制度施行記念日」
今では当たり前のように利用できる郵便の制度は明治4年の今日、制定されました。
郵便は、江戸時代の「飛脚」をもとにしたのが始まりでした。
当時の日本国内における主要な通信手段の一翼は飛脚が担っていましたが、費用的に高価であること、天候に左右されること、また、毎日配達しないため期日に届かないことなどが多いものでした。
そこで、あらゆる面で欧米にならった近代化が怒濤のように行われた明治時代に、通信に関してもヨーロッパを手本とした仕組みが急速につくり上げられたのです。
現代ではネットやメールの普及で、手紙やはがきのやりとりだったものはずっと身近でスピーディなものになりました。
でも、大切なあの人が手ずから認めポストに投函された便りを開く喜びは、今も変わらずかけがえのないものです。
「郵便制度施行記念日」の今日は遠くに住むあの人のために思いを書き記し、便りを届けてもらってはいかがでしょうか?
1月27日は「国旗制定記念日」
1870年の今日、太政官布告(たいせいかんふこく)第57号の「郵船商船規則」で、国旗のデザインや規格が定められました。
この規則が作られるまでは、船によってデザインの違う旗を使っていました。
日本の国旗は、法律上は日章旗(にっしょうき)と呼ばれ、日本では古くから、日の丸と呼ばれる旗です。
法律の規定では、旗の形は縦幅が横幅の3分の2で形成された長方形。
赤い円の部分、日章の直径は、縦幅の5分の3を占め、その中心は旗の中心となっています。
色地は白色、日章は紅色とされていて、旗のデザインは上下・左右対称なので方向などがありません。
日本の国旗はとても単純な形ですが、きちんと位置や大きさが決まっているんですね。
1月28日は「日本初の日刊新聞が創刊された日」
1871年1月28日、神奈川県横浜市にて、日本初の日刊新聞である横浜毎日新聞が創刊されました。
当時の神奈川県令、現在でいう神奈川県知事であった井関盛艮(いぜき もりとめ)が、近代新聞の必要性を横浜の貿易商達に説明し、印刷業者の本木昌造(もとき しょうぞう)と陽其二(よう そのじ)の協力の下、創刊に漕ぎ着けました。貿易港である横浜らしく、紙面は貿易に関する情報が中心であったようです。
幕末から明治初期の頃にも新聞はありましたが、和紙に木版で印刷されたものでした。
それに対し、横浜毎日新聞は、洋紙に木製の活字を使った活版で印刷されているのが特徴です。
そして、紙面を欄で区切るという体裁は、現在の新聞とほとんど変わらないものであったそうです。
1月29日は「人口調査記念日」
1872(明治5)年のこの日、日本初の全国戸籍調査が行われたことに由来しています。
当時の人口は男1679万6158人、女1631万4667人で合計3311万825人でした。
これは現在の約4分の1の人口です。
国勢調査は、英語のセンサス(Population Census)の訳語で、調査対象者すべてを調べることから「全数調査」とも呼ばれています。
センサスの歴史は古く、紀元前3800年代にバビロン王朝で行なわれ、紀元前3000年頃にはエジプトや中国でも行なわれたと記録されています。
1月30日は「三十三間堂が落慶した日」
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は京都市東山区にある仏堂です。
正式名は蓮華王院(れんげおういん)で、その本堂が「三十三間堂」と呼ばれています。
これは、南北にのびるお堂内部の柱間、つまり柱と柱の間の数が33もあるという建築的な特徴によるものです。
「三十三」という数は、観音菩薩が33の姿に変身する、と説かれていることに由来します。
三十三間堂は元々、平安後期に院政を行った後白河上皇が、自身の離宮内に平清盛の協力によって創建したものでした。
それが西暦1165年1月30日の出来事です。
ところが、そのお堂は1249年、市中からの火災により焼失。
鎌倉期の1266年に再建されたのが、今京都にある三十三間堂となっています。
1月31日は「徳川家康が生まれた日」
戦国乱世まだたけなわの1542年12月26日、現在の暦で1543年の今日、三河岡崎城主松平広忠の長男として 家康は誕生しました。
当時松平氏は東の今川義元、西の織田信秀に三河をくるみ割りにされ滅亡の危機に瀕していました。
そして、この危機を打開するために今川氏の支援を受けて織田氏と対決しようとしていた広忠は、家康を駿府に人質として差し出されなければなりませんでした。
まだ六歳で竹千代と呼ばれていた頃、家康はそれから足かけ十二年の不遇な生活を余儀なくされました。
亡くなったのは1616年5月22日。
鯛の天ぷらによる食中毒説が有力とも言われていましたが、日付があわないらしく、今は胃がんで亡くなったという説があります。
2月3日は「節分」
節分は、雑節 の一つで、立春や立冬など、各季節の始まりの日の前日のことです。
日本では「福は内、鬼は外」と声を出しながら炒り大豆を撒いたり、その年の恵方に向かって無言で太巻きを丸かじりする風習がありますね。
また、大寒の最後の日であるため、寒さはこの日がピークでもあるんですよ。
恵方巻は、元々は大阪地方を中心として行われている習慣で、7種類の具材を使うとされています。
7という数字は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んでいて、福を巻き込むと意味付けされています。
2月4日は「立春」
立秋は二十四節気の一つです。
この二十四節気とは、紀元前の戦国時代であった頃の中国で、太陰太陽暦を元に考え出されたものです。
この立春は、冬至と春分の中間にあたる日で、節を分けると書く「節分」の翌日にあたります。
ですから今日は、「寒さがあけて春に入る日」であり、春の初日なんですね。
2月5日は「双子の日」
2と5の語呂合わせでふたごということに由来しています。
双子並びに多胎児の育児がしやすい環境づくりを考える日として、静岡県浜松市の双子グッズの専門店「株式会社ベラミ」が制定しました。
日本では、かつて後から生まれた方を兄または姉、先に生まれた方を弟または妹として扱う慣習がありましたが、戸籍法上は生まれた順に記載する事となっています。
ふたごは、出産の時には数分程度の時間差で産まれることが多いのですが、中には数時間から数十日の間隔で生まれる場合もあり、誕生日・誕生年が異なってしまう兄弟姉妹もいるそうです。
2月6日は「やなせたかしさんの誕生日」
2月6日はやなせたかしさんの誕生日です。
やなせたかしさんは1919年の今日、東京都で生まれました。
やなせさんといえばもちろん「アンパンマン」!
実は「アンパンマン」が人気作品となった時、やなせさんはすでに50代。
アニメ作品「それいけ!アンパンマン」が放映され国民的人気作品となったのはさらに15年も後の1988年で、70代を間近に控えていた頃でした。
やなせさんがアンパンマンを生み出した背景には、戦中・戦後の深刻な食糧事情がありました。
戦時中、やなせさんは、空腹を抱えながら「食べ物が向こうからやって来たらいいのに」と思っていたといいます。
自身の飢えの体験から「困っている人に食べ物を届けるヒーロー」という着想が生まれたそうです。
昨年10月、94歳で亡くなったやなせさん。
亡くなる数ヶ月前まで元気に活動していた姿は、生涯現役といっても過言ではありません。
今日は、アンパンマンの絵本やアニメなど、やなせさんの作品に触れてみてはいかがでしょうか?
2月7日は「ソチオリンピック開会式」
現地時間2014年2月7日から2月23日までの17日間にわたって開催される「第22回オリンピック冬季競技大会 ソチ大会」。
日本時間では2月8日の午前1時から午前4時まで、NHKで中継される予定になっています。
ソチはロシア連邦クラスノダール地方の都市。
ソビエト連邦時代に保養地として整備されたロシア随一のリゾート都市です。
スポーツ設備も充実していて、ソチのテニススクールはマリア・シャラポワやエフゲニー・カフェルニコフらが育っています!
今回の冬季オリンピックは、黒海に面したソチ・オリンピックパークと西カフカース山脈のソチ国立公園内で開催されます。
2月10日は「布団の日」
今日、2月10日は「布団の日」です。
「2」で「ふ」、「10」で「と」とする、語呂合わせですね。
布団は日本で広く用いられる寝具のひとつ。
畳やベッドの上に敷いて、睡眠時に用いています。
主に、人が上に横たわるための敷き布団と、人の上に被せる掛け布団に分けられます。
さて、みなさんは布団をどのように手入れしていますか?
布団を日の当たる所に干し、布団叩きなどで叩いて埃を払うことをイメージすると思いますが、最近ではふとんを叩くことは中の繊維を傷め、ダニを駆除する効果もないことから、あまり薦められていないんです。
布団のお手入れをする際は、日の当たるところに干し、手でやわらかくはたき、布団の上から直接掃除機をかけることが、埃とダニの量を一番減らすことができると言われています。
2月12日は「ペニシリンの日」
1941(昭和16)年のこの日、イギリスのオックスフォード大学付属病院で、世界で初めてペニシリンの臨床実験に成功しました。
ペニシリンとは、世界で最初に実用化された抗生物質です。
日本人が広くその存在を知ったのは、1944(昭和19)年1月「肺炎を起こしたイギリスのチャーチル首相がペニシリンで命を救われた」という内容の新聞記事だったといわれています。
ペニシリンはイギリスのフレミングという細菌学者がアオカビから発見しました。
研究のためにブドウ球菌というけがの化膿(かのう)や食中毒などの一因となる細菌をペトリ皿で培養していましたが、それを培養している液にアオカビが生えてしまいました。
しかし、そのペトリ皿をよく見ると、アオカビの周囲にはブドウ球菌が生育していませんでした。
これを調べた結果、アオカビがブドウ球菌の生育をさまたげる物質を分泌していることがわかり、この物質をアオカビの学名(Penicillium notatumペニシリウムノタツム)にちなんで「ペニシリン」と名付けたのでした。
2月13日は「銀行強盗の日」
2月13日は「銀行強盗の日」です。
「銀行強盗の日」といっても、「今日はみんなで銀行強盗をしましょう!」なんていう日じゃありませんよ。
1866年の今日、アメリカ西部開拓時代のガンマン、ジェシー・ジェイムズが初めて銀行強盗に成功したことにちなんでいます。
場所は、ミズーリ州クレイ郡リバティ。
白昼に銀行が襲撃されました。
被害額は、60万~70万ドル。
銀行員に怪我などはありませんでしたが、銀行の前を通りかかった若者がとばっちりで殺されてしまったそうです。
犯人はジェシーを含めて10人ほどで、彼が加わった最初の事件だったと言われています。
ジェシー・ジェイムズの伝説は映画の題材にもよく用いられ、2008年にブラッド・ピット主演・プロデュースの映画、「ジェシー・ジェームズの暗殺」が公開されています。
アニメ『ポケットモンスター』に登場する敵役、ムサシとコジロウは、英語圏ではジェシーとジェイムズという役名で放送されているそうですよ。
2月14日は「バレンタインデー」
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼります。
当時の皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれています。
これに反対したバレンタイン司祭は、命令に反し、多くの兵士たちを皇帝に秘密で結婚させました。
このため皇帝の怒りをかい、ついに処刑されてしまいます。
この殉教の日が西暦270年の2月14日で、バレンタイン司祭は聖バレンタインとして敬われるようになり、この日をローマカトリック教会では祭日としているんです。
日本では、1958年ころから流行し始めたバレンタインデー。
女性が男性にチョコレートを贈るのは、日本独自の習慣で、欧米では恋人や友達、家族などがお互いにカードや花束、お菓子などを贈っています。
チョコレートはどこから出てきたかというと、1958年に東京都内のデパートで開かれたバレンタイン・セールで、チョコレート業者が行ったキャンペーンが始まりだそうです。
今ではチョコレートといえばバレンタイン・デーの象徴のようになっていますよね。
2月17日は「天使の輝きの日」
「天使の輝きの日」は、1978年に北海道の幌加内町(ほろかないちょう)母子里(もしり)地区にて、非公式ながらも日本での最低気温記録となる、氷点下41.2度を記録したことに因んでつけられました。
「天使の輝き」とは、「細氷」、「ダイヤモンドダスト」のことを指します。
ダイヤモンドダストとは、大気中の水蒸気が凍ってできた、ごく小さな氷の結晶が空から降ってくること。
このダイヤモンドダスト、本来は北海道などのとても寒い地域で発生するのが一般的なんですが、実は、茨城県でも観察されたことがあるんです!
2005年2月9日、早朝のつくば市で、気温が-2℃だったにもかかわらず、短時間ではありますが、ダイヤモンドダストが出現しました。
2月18日は「冥王星が発見された日」
冥王星は、1930年2月18日、アメリカにあるローウェル天文台に務めていたクライド・トンボーによって発見されました。
この星はプルートと名付けられました。
プルートとは、ローマ神話において自らの姿を消すことができる、冥界を司る神の名前に由来しています。
また、発見の14年前である1916年に、計算でその存在を示唆したローウェル天文台の所長、パーシヴァル・ローウェルのイニシャルであるP.L.にも因んでいます。
このパーシヴァル・ローウェルは、存在を示唆した同じ年の1916年にこの世を去っており、クライド・トンボーが彼の意思を継いで発見に至ったのでした。
2月19日は「天地の日」
ポーランドの天文学者で地動説を提唱したコペルニクスの1473年の誕生日に由来しています。
地動説とは、地球が動いている、という学説のことで天動説に対義する学説です。
15世紀に入って大航海時代が始まると、星の見え方から船の位置を知るという実用上の理由で、天文学がいっそうさかんに研究されるようになりました。
観測技術が進歩するにつれて、惑星の位置予測がずれるなどプトレマイオスの天動説では説明できない事柄も明らかになりはじめ、天動説に疑問をいだく学者も出てきました。
そんな中で、地球が宇宙の中心にあり天球が回転しているとするプトレマイオスの天動説のつじつま合わせ的な説明に疑いをもったのがコペルニクスです。
コペルニクスは、宇宙は数学的にもっと合理的な運動をしているのではないか、と考え、太陽を宇宙の中心におき、そのまわりを地球をはじめとした惑星が回転しているという宇宙の姿を考えました。これが地動説です。
2月20日は「メトロポリタン美術館が開館した日」
メトロポリタン美術館はニューヨーク市マンハッタンにある世界最大級の美術館。
その歴史は1866年にまでさかのぼります。
当時アメリカ合衆国には国際的規模の美術館が存在していませんでした。
このことを憂えた法律家ジョン・ジェイが、パリのアメリカ独立記念日を祝う会合の席上にて、美術館の設立構想を訴えたのが設立のきっかけです。
その4年後の1870年2月20日に多くの芸術家、美術収集家や実業家たちの努力が実り、メトロポリタン美術館が開館することとなりました。
当時、メトロポリタン美術館は現在の位置よりも南にありました。
1880年3月30日に現在の場所で開館し、1888年現在と同じ外観をもつこととなりました。
2月21日は「漱石の日」
作家・夏目漱石に文学博士の称号を贈ると文部省が伝えたのに対し、漱石は「自分には肩書きは必要ない」として、博士号を辞退する旨を書いた手紙を1911年の今日、時の文部省専門学務局長に送ったことに由来しています。
なかなか勇ましい由来ですね。
博士号を辞退した1911年8月、漱石は
「戦争以降一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかな気楽な見方をすれば出来るものだ」
と、ある講演会で述べました。
その頃、日露戦争に勝利した日本は次第に大国意識をもつようになっていました。
しかし現実は、多大な犠牲をはらい国力の疲弊化と閉塞感は大きなものでした。
かつては日露戦争を支持した漱石も、それらを感じ取り、国家を敵とする見方が芽生え始めていたようです。
2月24日は「鉄道ストの日」
1898年のこの日に日本初の鉄道ストライキが実施されたことに由来しています。
このストライキは、賃上げ等の待遇改善にくわえて、「機関方」を「機関手」、「掃除夫」を「機関生」というような職名改称による労働者の地位向上もかかげ、日本鉄道の機関士ら400人がストライキに突入し、東北本線上野駅から青森駅間の全線で約二週間列車が運休する事態におちいりました。
「今日は、バス会社でストライキがあるから、途中まで歩かなくちゃならないよ」なんて会話が以前はあっただなんて、なんだか想像できないウメ子なのでした。
2月25日は「ルノワールの生誕日」
ルノワールは、フランスの印象派の画家です。
本名は、ピエール=オーギュスト・ルノワール。
風景画、花などの静物画もありますが、代表作の多くは人物画で、特に晩年は豊満な裸婦像などで独自の境地を開拓しました。
日本など、フランス国外でも人気の高い画家として知られています。
ルノワールは、17歳の時に磁器の絵付け職人としての仕事を失っています。
それから画家を目指し、4年後に「エコール・デ・ボザール」という国立の美術専門学校に入学します。
そこで先生から「君は自分の楽しみのために絵を描いているようだね」と言われたところ、ルノワールは「楽しくなかったら絵なんか描きませんよ」と答えたそうです。
まさに「好きこそものの上手なれ」ですね。
2月26日は「脱出の日」
1815年のこの日、エルバ島に流刑されていたナポレオンが島を脱出してパリに向かったことに由来しています。
ナポレオンはコルシカ島の出身。
フランスの士官学校を出て若い頃から戦術の天才として注目されていました。
やがて皇帝となってヨーロッパの大半を支配下に置く大帝国を築きましたが1812年冬のロシアで惨憺たる戦績となったのを境に運勢が降下。
1814年退位に追い込まれて、地中海のエルバ島に流されました。
『余の辞書に不可能の文字はない』といっていたナポレオンですが、このエルバ島にきて
「Able was I ere I saw Elba.(エイブル ワズ アイ エル アイソー エルバ)(訳:エルバ島を見るまでは、私に不可能はなかった)」
といったと言われています。
この文章じつは回文になっているんですよ!
2月27日は「ポケットモンスター赤・緑が発売になった日」
1996年の2月27日、ゲームボーイのソフトとして「ポケットモンスター赤」と「ポケットモンスター緑」が発売になりました。
ポケットモンスター、通称「ポケモン」は自分が主人公になって冒険をする「ロールプレイング」ゲームです。
ポケモン、と呼ばれるふしぎな生き物があちこちにいる世界。
プレイヤーはマサラタウンにすむ少年になって、「カントー」と呼ばれる地方を冒険します。
旅の中でさまざまなポケモンと出会い、それらを捕獲してポケモン図鑑を完成させることがおおまかな目標です。
アニメやグッズなどの展開もあり、今もなお世界中の人たちに愛されているポケモン。
皆さんが初めて出会ったポケモンは何でしたか?
初代ポケットモンスター発売日の今日は、あの頃の冒険を思い出してみてはいかがでしょうか?
2月28日は「ビスケットの日」
ビスケットの日は全国ビスケット協会が1980年に制定しました。
1855年のこの日、パンの製法を学ぶために長崎に留学していた水戸藩の柴田方庵(しばたほうあん)が、水戸藩の萩信之助(はぎ・しんのすけ)にパン・ビスケットの製法を書いた「パン・ビスコイト製法書」を送りました。
これが、ビスケットの製法を記した日本初の文書とされています。
また、ビスケットとはラテン語で「2度焼かれたもの」という意味であることから、「に(2)どや(8)かれたもの」の語呂合わせの意味も持たせています。