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慢心を戒める 『徒然草 気まま読み』#93
今回扱うのは、第百六十七段。
一部を紹介すると…
人としては、善にほこらず、物と爭はざるを徳とす。他に勝る事のあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才藝のすぐれたるにても、先祖の譽にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干(そこばく)の科(とが)あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にも言ひ消たれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。
いかにも兼好らしいというか、聞いて思わず「えっ?」と言いたくなるような、変わったことを言っている。
「他人よりも優れたものがあることは、大きな欠点である」というのだ。
兼好独特の、逆説的な話なのだが、さてその真意は?
宮中への憧れ 『徒然草 気まま読み』#94
今回扱うのは、第二十三段。
一部を紹介すると…
衰へたる末の世とはいへど、猶九重の神さびたる有樣こそ、世づかずめでたきものなれ。
露臺(ろだい)、朝餉(あさがれい)、何殿(でん)、何門などは、いみじとも聞ゆべし。怪しの所にもありぬべき小蔀(こじとみ)、小板敷、高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設けせよ」といふこそいみじけれ。
兼好は自分が生きる時代を「衰え行く末世」と認識していた。
だが、そんな末世においても、神々しさを保ち、世俗化していない、素晴らしきものこそが宮中であると兼好は言う。
これは、今日の我々が皇居に対して思うところと共通するものがあるのではないだろうか?
兼好が率直に宮中への思いを記しているところが興味深い。
専門家は大したものだ 『徒然草 気まま読み』#95
今回扱うのは、第五十一段。
全文を紹介すると…
龜山殿の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車(みづぐるま)を作らせられけり。多くの錢(あし)を賜ひて、數日(すじつ)に營み出してかけたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、徒らに立てりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかに結(ゆ)ひて參らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事、めでたかりけり。萬にその道を知れるものは、やんごとなきものなり。
現代の「専門家」とか「有識者」とかいうものは、全然信用ならないものに成り下がっているが、兼好法師が生きた時代には、本当に真っ当な専門家がいた。
兼好はそういう尊敬すべき専門家やプロフェッショナルを称える文を何度も書いていて、これもそのひとつ。
本来、専門家とは大したものであるべきだという思いを込めつつ、読んでいこう。
里芋好きの智者 『徒然草 気まま読み』#96
今回扱うのは、第三十段。
冒頭部分を紹介すると…
眞乘院に、盛親僧都(じょうしんそうず)とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭(いもがしら)といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつゝ、食ひながら書をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日(なぬか)、二七日(ふたなぬか)など、療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭を選びて、ことに多く食ひて、萬の病をいやしけり。人に食はすることなし。たゞ一人のみぞ食ひける。
仁和寺・眞乘院の盛親僧都という人の話。
冒頭から「やんごとなき智者」という、最大級の賛辞で紹介されているのだが、なぜだかこの人が「やんごとなき智者」であることを表す具体的な話はその後一切登場しない。
出てくる話は、どう見ても奇行としか言いようのないエピソードばかり。
それでも奇人変人ではなく、「やんごとなき智者」なのだという。
逆に、これだけの奇行をしていても人々に一目置かれているということ自体が「やんごとなき智者」の証なのか?
なんとも不思議な印象を残す一段。
花は盛りのみか 『徒然草 気まま読み』#97
今回扱うのは、第百三十七段。
冒頭部分のみ紹介すると…
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。
徒然草の中でも最も長文の一段。
その内容も、徒然草全体のエッセンスともいうべきものとなっている。
花は盛りのときだけを、月は曇りなく輝いているときだけを見るものだろうか?いや、決してそうではないという、兼好法師の美意識が存分に語られる。
そして終盤ではややいきなりテーマが変わり、兼好法師の死生観が語られる。
誰も死から逃れられるものはない。いま生きているのは偶然であり、若くても強くても、死は不意にやってくる。
ひたすら死から目を背ける生命至上主義の現代人は、これをどう読むのだろうか?
達人の発言 『徒然草 気まま読み』#98
今回扱うのは、第二百六段。
一部を紹介すると…
徳大寺右大臣殿、檢非違使の別當のとき、中門にて使廳の評定行はれけるほどに、官人 章兼が牛はなれて、廳のうちへ入りて、大理の座の濱床の上にのぼりて、にれ うち噛みて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師のもとへ遣すべきよし、おのおの申しけるを、父の相國聞きたまひて、「牛に分別なし、足あらば、いづくへかのぼらざらん。
昔の人間、特に6世紀以上も前の兼好の時代の人は、みんな迷信深く非科学的なものを信じていたかのようなイメージを持ちがちだが、さにあらず。
その時代においても、非常に合理的な考え方をする人はいたし、兼好は特にそういうエピソードを好んでいた。
翻って現在、コロナ禍に大騒ぎしている人々は、いったいどれだけ合理的にものを考えていると言えるのだろうか?
何かわけがあったか? 『徒然草 気まま読み』#99
今回扱うのは、第十段。
一部を紹介すると…
家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、假の宿りとは思へど、興あるものなれ。
よき人の、長閑(のどやか)に住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一際しみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど、木立ちものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子(すのこ)・透垣(すいかい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
兼好の思考の柔軟さがよく見える一段。
仏教の無常観から、人の住まいなど仮の宿りだと思う一方で、その中に趣のある様子を見れば、心を動かされる。
とはいえ、あまりに凝り過ぎたものを見ると、それは見苦しいと感じる。
そして後半ではある故事について、語り伝えられてきて評価の定まったことについても、ふとしたことから再考の必要があるのではと思いつく。
固定観念に縛られずに感じ、考え続けた姿勢がうかがわれる。
死は今にも 『徒然草 気まま読み』#100
徒然草気まま読み、スタートして2年、ついに100回到達!
100回を記念して、今回扱うのは、第四十一段。
全文を紹介すると…
五月(さつき)五日、賀茂の競馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雜人(ざふにん)たち隔てて見えざりしかば、各々(おのおの)下りて、埒(らち)の際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。
かゝる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう眠(ねぶ)りて、堕ちぬべき時に目を覺す事度々なり。これを見る人嘲りあざみて、「世のしれ物かな。かく危(あやふ)き枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ」と言ふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死(しゃうじ)の到來、唯今にもやあらむ。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事は猶まさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候」と言ひて、皆後を見返りて、「こゝへいらせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れはべりにき。
かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。
ひとつ間違えれば死にかねない危険なことをやっている人を見て笑っている人達に、死を人ごとのように思って、一日が平穏無事に過ごせるものと思ったら大間違いだ、死は誰にも、今すぐ訪れてもおかしくないものなのだぞと諭す兼好。
何度も『徒然草』で繰り返される死生観だが、この段で面白いのはここから。
諭された人の態度や、その人たちに対する兼好の見方などが、いずれも味わい深い。
そして、言われてみなけりゃ気づかない、ちゃっかりした話だったりもする。
知らぬ道 『徒然草 気まま読み』#101
今回扱うのは、五十七段。
全文を紹介すると…
人のかたり出でたる歌物語の、歌のわろきこそ本意なけれ。すこしその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。
すべていとも知らぬ道の物がたりしたる、かたはらいたく聞きにくし。
自分の専門分野でもないのに、一知半解の知識を知ったかぶって話すことは見苦しい。
徒然草では繰り返し語られているテーマだが、今回の段は短い文章の中により端的に表現されている。
誰にでも覚えのありそうなこと。くれぐれも注意しましょう。
人の心の弱さ「徒然草 気まま読み」#102
今回扱うのは、五十八段。
冒頭のみ紹介すると…
「道心あらば住む所にしもよらじ、家にあり人に交はるとも、後世を願はむに難かるべきかは」と言ふは、更に後世知らぬ人なり。
仏門に入って修行をしているからといって、物欲など世俗の価値観、欲求から離れられるわけではないと、兼好はいう。
確かに現実はそのとおりで、人の心は弱い。この段の兼好は、人の心の弱さには寛容である。
しかし、だからといって、決して仏道を歩むことが無意味だと言っているわけではない。
人の心の弱さを認めた上で、さらにその先がある。
母の教育「徒然草 気まま読み」#103
今回扱うのは、百八十四段。
鎌倉幕府の執権・相模守時頼の母、松下禪尼のエピソード。
時頼を招く際、すすけた障子の破れたところだけを、禪尼自ら貼り替えていた。
そんな仕事は禪尼自らする必要もないし、そもそも破れたところだけを一コマ一コマ貼り替えるよりも、全部貼り替えた方が簡単できれいなのに、なぜわざわざそんな手間のかかることをしなければならないのか、と問われて、禪尼が答えたこととは?
幕府の最高権力者に上り詰めた息子に対してなお、むしろそのような立場になったからこそ、母として見せておきたかった態度とは何か?
ピアノバラードを作ろうとしたけど歌詞が思い浮かばないから徒然草で作ったら冒頭の一節入れ忘れたので喋ったらライブっぽくなった
セルフ2匹目のどじょう
ピアノバラードを作ろうとしたけど歌詞が思い浮かばないから徒然草で作ったら冒頭の一節入れ忘れたので喋ったらライブっぽくなった曲です。
前作(竹取物語)はこちら→sm37020642
歌詞:「徒然草」(吉田兼好・冒頭部分)
音楽:ヨガマット
イラストは全て「いらすとや」様よりお借りしています。
※ 本作品は制作の都合上、一部誤解を招きやすい表現がございます。原作の題は「徒然草」であり、冒頭の「つれづれなるままに」ではございません。「題名を勘違いして国語のテストで誤答してしまった」等のトラブルには一切責任を負いかねます。
楽譜:https://twitter.com/yogamatsongs/status/1318890324828114944?s=20
off vocal:https://piapro.jp/t/s1Hd
投稿オリジナル曲:https://www.nicovideo.jp/mylist/59587138
twitter:https://twitter.com/yogamatsongs
今でしょ!「徒然草 気まま読み」#104
今回扱うのは、五十九段。
前半部分を紹介すると…
大事を思ひたたむ人は、さり難き心にかゝらむ事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばしこの事果てて」、「同じくは彼の事沙汰しおきて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらん、行末難なく認め設けて」、「年来もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物さわがしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の盡くる限りもなく、思ひたつ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心ある際は、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。
ここでは具体的には出家を決意した人について語っているが、現代の我々の心構えとしても完全に通用する。
何か大事なことをやろうと決心しながらも、いざ実行に移そうとすると何かと気にかかることがあってなかなか踏み出せないということはある。
しかし、そんなことを言っていたら、一生いつまでもできっこない。いつやるの?今でしょ!
…と、ここまでなら、塾の講師からでも聞きそうな話だが、見どころは後半。
今すぐやるしかない、その理由として兼好が言うことは実に激烈!
そう考えれば、確かに今すぐやるしかない!
生きてる間は武勇を誇るな「徒然草 気まま読み」#105
今回扱うのは、八十段。
冒頭を一部紹介すると…
人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵の道をたて、夷(えびす)は弓ひく術知らず、佛法知りたる氣色(きそく)し、連歌し、管絃を嗜みあへり。されど、おろかなる己が道より、なほ人に思ひ侮(あなづ)られぬべし。
法師が武術をやってみたり、武士が仏法を学んだり、専門外の余技に手を出す人は、その余技が大したものではないのみならず、本来の専門においても二流である。
…と、ここまでは他でも度々言っていることだが、兼好はここから武士にとっての武の道とは何たるかという話に入っていく。
たとえ百戦百勝の戦歴があっても、その武勇は誇るに足らないと兼好は言う。それはなぜか?
『徒然草』全体の中ではあまり注目されてはいないが、兼好は武士だったのだということを強烈に思い起こさせる、異色の段。
吉凶は人による「徒然草 気まま読み」#106
今回扱うのは、九十一段。
前半を紹介すると…
赤舌日(しゃくぜつにち)といふ事、陰陽道(おんみゃうだう)には沙汰なき事なり。昔の人これを忌まず。この頃、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末通らずといひて、その日言ひたりしこと、爲(し)たりし事、叶はず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日(きちにち)を選びてなしたるわざの、末通らぬを數へて見んも、亦等しかるべし。
中世の人間というと、「陰陽道」などを信じているようなイメージがあるが、兼好に関してはそんな様子は全くなく、非常に合理的。
むしろ、現代の我々の方が「信心深い」のではないかと思ってしまう。
ついつい縁起のいい日を選んだり、ゲンをかつぐということを、誰もがしていないか?
「吉凶は人による」そう言い切れる人は、どれだけいるだろうか?
ぼろぼろの話「徒然草 気まま読み」#107
今回扱うのは、百十五段。
前半から紹介すると…
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集りて、九品の念佛を申しけるに、外より入りくるぼろぼろの、「もしこの中(うち)に、いろをし坊と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候。かく宣ふは誰(た)ぞ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師、なにがしと申しし人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。
『徒然草』に人生訓のようなものを求めている人は、まず引用しない段。
「ぼろぼろ」とは、無宿者、ならず者、ゴロツキの類の者たちのこと。
その無頼そのもののエピソードを紹介し、彼らの性格などについても決して快く思っていない様子の兼好なのだが、最後に好感を寄せているような一言を添えて締めくくっている。それはなぜか?
「慈悲の心」徒然草気まま読み#108
今回扱うのは、第百二十八段。
冒頭を一部紹介すると…
雅房大納言は、才賢く、善き人にて、大將にもなさばやと思しける頃、院の近習なる人、「只今、淺ましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を切り侍りつるを、中垣の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、にくくおぼしめして、日ごろの御氣色も違(たが)ひ、昇進もしたまはざりけり。
動物に対しても、どんな小さなもの、弱き者、愚かな者にも、小さきもの、弱き者、愚かな者だからこそ情けを掛けなければならない。
元・武士であったことの片鱗をうかがわせる場面も時々見せる兼好だが、ここではまさに法師らしい慈悲の心を語る。
そして、このような境地に至ったからこそ武士を捨てたのではないかとも思わせる一段。
「上には上がある」徒然草気まま読み#109
今回扱うのは、第百七十七段。
前半を紹介すると…
鎌倉の中書王にて御鞠ありけるに、雨ふりて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせむと沙汰ありけるに、佐々木隱岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひ無かりけり。「取りためけむ用意ありがたし」と、人感じあへりけり。
親王の御所で蹴鞠が催されることになっていたのだが、雨が降って庭がぬかるみになっていた。そこに佐々木隱岐入道がおがくずをたくさん車に積んで持ってきて庭に敷いたので、蹴鞠を行うことができた。
用意のいい人だと、皆が感心してその話をしていたのだが、その評判がたった一言でひっくり返る。
思い込みで評価をしていたら、簡単なことで足をすくわれる。
なんだかいつでもどこでも起こりそうな話で、用心用心。
「大根の勇士」徒然草気まま読み#110
今回扱うのは、第六十八段。
前半を紹介すると…
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおおね)を萬にいみじき藥とて、朝ごとに二つづゝ燒きて食ひける事、年久しくなりぬ。ある時、館(たち)のうちに人もなかりける隙(ひま)をはかりて、敵襲ひ來りて圍み攻めけるに、館の内に兵(つわもの)二人出で来て、命を惜しまず戰ひて、皆追ひ返してけり。
徒然草には様々なタイプの話が含まれているが、中でもこれは一風変わった一段。
大根を万病に効く妙薬だとして、毎朝二本食べる人がいた。
これだけでも十分変な話だが、話はさらに思いがけない方向に転がっていく。
徒然草にはこんな「説話」のような話もある。
あまり紹介される機会のない珍しい話に、今回は特にスポットを当てる!
「大欲は小欲に似たり」徒然草気まま読み#111
今回扱うのは、第二百十七段。
冒頭部分を紹介すると…
ある大福長者の曰く、「人は萬をさしおきて、一向(ひたぶる)に徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむと思はば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。
ある大金持ちが、「人は何を差し置いても財産を作るべきだ。貧乏人は生きる価値がない。富を持つ者だけが人だ」と言った。
仏教の価値観とは真逆の感覚で、さらに続けてホリエモンでも足元にも及ばないような極論を吐きまくる大金持ちだが、それを紹介した上で兼好法師、単に批判するのではなく、これに極めてユニークな解釈を加えていく。それは一体…?
「賢しらは見苦しい」徒然草気まま読み#112
今回扱うのは、第二百三十二段。
冒頭部分を紹介すると…
すべて人は、無智無能なるべきものなり。ある人の子の、見ざまなど惡しからぬが、父の前にて、人と物いふとて、史書の文をひきたりし、賢(さか)しくは聞えしかども、尊者の前にては、然(さ)らずともと覺えしなり。
最初の部分、決して全ての人は無知無能であるのが良い状態であると言っているわけではない。無知無能に見えるくらいがいい、という程度に解釈しておくべきだろう。
イケメンな人が、知識のあるところを見せようとして、賢そうに見せたとしても、さらに知識のある人の前においては、かえって見苦しくなってしまう。
若い人、見栄えのいい人には特に注意しておいた方がいいこととして、さらにエピソードを挙げて語っていくのだが、なんかそこに、兼好のひねくれた一面が見えるような、見えないような…?
「はっきりと答えよう」徒然草気まま読み#113
今回扱うのは、第二百三十四段。
冒頭部分を紹介すると…
人の物を問ひたるに、知らずしもあらじ、有りのまゝにいはむはをこがましとにや、心まどはすやうに返り事したる、よからぬ事なり。
人がものを聞いて来た時は、それが誰でも知っているような、わかりきったことであっても、ぞんざいな答え方をしてはいけない。じっくり、はっきりと答えるべきであると兼好法師は言う。それはなぜなのか?
「ごーまんかましてよかですか?」に匹敵するような兼好の決めゼリフも登場し、日常で誰もがついやってしまいそうな行動を戒める。
「人の亡き跡」徒然草気まま読み#114
今回扱うのは、第三十段。
動画では冒頭部分だけのご紹介ですが、ここでは全文を掲載します。
人の亡き跡ばかり悲しきはなし。
中陰(ちゅういん)の程、山里などに移ろひて、便りあしく狹き所にあまたあひ居て、後のわざども營みあへる、心あわたゞし。日數(ひかず)の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日は、いと情なう、互にいふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりち゛りに行きあかれぬ。もとの住家にかへりてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。「しかじかの事は、あなかしこ、跡のため忌むなる事ぞ」などいへるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覺ゆれ。
年月經ても、露(つゆ)忘るゝにはあらねど、去るものは日々に疎しといへる事なれば、さはいへど、その際(きは)ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。骸(から)は、けうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、程なく卒都婆も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。
思ひ出でて忍ぶ人あらむほどこそあらめ、そも又ほどなくうせて、聞き傳ふるばかりの末々は、哀れとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も、千年を待たで薪にくだかれ、ふるき墳(つか)はすかれて田となりぬ。その形(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。
人の死というものについて、まず身内の葬儀の話から始まり、さらに年月を経ていくにつれての変化を語っていく。
決して長くはないこれだけの分量で、ここまでミクロからマクロまで視点を変化していく文章はなかなか見られるものではない。
徒然草の中でも屈指の名編、じっくり味わっていただきたい。
「配所の月」徒然草気まま読み#115
今回扱うのは、第五段。
短いので、全文をご紹介。
深う愁(うれえ)に沈める人の、頭(かしら)おろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。
顯基(あきもと の)中納言のいひけん、「配所の月、罪なくて見ん事」、さも覚えぬべし。
こういう生き方こそ望ましい、羨ましいと兼好法師が思う態度を語る。
中世の知識人たちにとって、憧れの境地とされたという、その生き方とは?
出家の身である兼好が、深い悲しみをどう受け止めるのがよいと見ていたのか。
小手先の対処などせず、包み隠さずふるまう兼好の生き方がよくわかって興味深い。
「琵琶の名器を壊した話」徒然草気まま読み#116
今回扱うのは、第七十段。
短いので、全文をご紹介。
玄應の清暑堂の御遊に、玄上は失せにしころ、菊亭の大臣、牧馬を彈じ給ひけるに、座につきてまづ柱(ぢゅう)を探(さぐ)られたりければ、ひとつ落ちにけり。御懐(ふところ)に續飯(そくひ)をもち給ひたるにて付けられにければ、神供(じんぐ)の參るほどに よく干て、事故(ことゆえ)なかりけり。
いかなる意趣かありけん、物見ける衣被(きぬかづき)の、寄りて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。
後醍醐天皇の大嘗祭の後の余興の催しで演奏される琵琶の名器が、壊されていた。
何の意図があったのか、ことによると、後醍醐天皇に対して何か思うところがあったのかとも考えられるが、ここではそれについては深く考察しない。
それよりも注目すべきは、琵琶を壊した者がどうやって侵入したのかだが、そのセキュリティ感覚の甘さというか、大らかさというかに驚かされる。
「古さの名誉」徒然草気まま読み#117
今回扱うのは、第九十九段。
短いので、全文をご紹介。
堀河の相國は、美男のたのしき人にて、その事となく過差を好み給ひけり。御子基俊卿を大理(だいり)になして、廳務を行はれけるに、廳屋の唐櫃見苦しとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は、上古より傳はりて、そのはじめを知らず、數百年を經たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす。たやすく改められ難きよし、故實の諸官等申しければ、その事やみにけり。
どんなに経済的に裕福であろうと、あるいは権力を持っていようと、踏み越えられない一線がある。
簡単に変えてはいけないものがある。
そのことを、誰もが自然にわきまえていたということがわかる一段。
日本に保守主義というものがあるとしたら、その源流だともいえるような話だが、現代の日本の「保守」に、この感覚はあるだろうか?
【文学祭】『徒然草』
普段は旅行動画をアップしていますが、
面白そうな祭りの匂いを嗅ぎ取ったので、
ほとんどの人が学生時代に勉強したであろう『徒然草』を紹介します。
これが意外と面白いんですよ!
石清水八幡宮、行ってみたいですね(仁和寺にある法師並のコメント)
普段アップしている旅行動画:series/180819
【本動画で使用した素材等】
softalk、吹き出し(コンテンツツリー参照)
【参考ページ等】
「徒然草(兼好法師) | おはなしのくにクラシック | NHK for School」 https://www2.nhk.or.jp/school/movie/bangumi.cgi?das_id=D0005150084_00000
「清げなる男」徒然草気まま読み#118
今回扱うのは、第四十三段。
短いので、全文をご紹介。
春の暮つかた、のどやかに艷なる空に、賤しからぬ家の、奧深く木立ものふりて、庭に散りしをれたる花見過しがたきを、さし入りて見れば、南面の格子を皆下して、さびしげなるに、東にむきて妻戸のよきほどに開(あ)きたる、御簾のやぶれより見れば、かたち清げなる男(をのこ)の、年二十ばかりにて、うちとけたれど、心にくくのどやかなる樣して、机の上に書をくりひろげて見居たり。いかなる人なりけむ、たづね聞かまほし。
徒然草の中でも、いったい何が言いたいんだろうと首をかしげてしまう、なんとも不可解な話。
ある晩春の頃、のどかで優雅な雰囲気の空の下を歩いていた兼好。特に気になる家が目に入って、それで取った行動とは…?
もしかして兼好って、アブナイ人だったのか?
あまりに奇妙なため、様々な解釈を生んでいる異色の段。
こんな一面もあったのかという、不思議な兼好をご紹介。
「笛を吹く男」徒然草気まま読み#119
今回扱うのは、第四十四段。
一部をご紹介すると…
怪しの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色合定かならねど、つやゝかなる狩衣に濃き指貫、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童一人を具して、遙かなる田の中の細道を、稻葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむかた知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、
前回、徒然草の中でも何が言いたいのか理解しかねる異色の段を紹介したが、今回はそのすぐ次の段。
そしてこれがまた、前段と同様の不可解な話。
よく読んでみると、兼好は相当おかしなことをやっているのだが、本人はそれを自覚もしていない様子で風流を味わっている。
二段続けてこんな話が出て来るとは、兼好法師って、こういう奇行をする癖があったのだろうか?
「虚空よくものを容る」徒然草気まま読み#120
今回扱うのは、第二百三十五段。
一部をご紹介すると…
主(ぬし)ある家には、すゞろなる人、心の儘に入り來る事なし。主(あるじ)なき所には道行人(みちゆきびと)みだりに立ち入り、狐梟やうの者も、人氣(げ)にせかれねば、所得顔に入り住み、木精(こだま)などいふけしからぬ形もあらはるゝものなり。
人の心に関する、ちょっと面白い分析。
心に様々な思念が浮かんで気持ちが揺らぐことがあるのはなぜだろう?
仏門に入りながら、なお情緒豊かに様々なことを思い感じ取ってきた兼好だからこそ思い至った、心の謎についての詩的な考察。
「いないはずの人の手助け」徒然草気まま読み#121
今回扱うのは、第百一段。
全文をご紹介すると…
ある人、任大臣の節會の内辨〔節會の時、承明門内の諸事を掌る役〕を勤められけるに、内記〔中務省の官吏、詔敕を作り禁中の記事などを録す(*る)役〕のもちたる宣命〔任大臣の辭令をかいたみことのり〕を取らずして堂上せられにけり。きはまりなき失禮(しちらい)なれども、たちかへり取るべきにもあらず、思ひ煩はれけるに、六位の外記〔太政官の官大小公事の詔書奏文を案じ局中に記録する役〕康綱〔中原康綱〕、衣被の女房をかたらひて、かの宣命をもたせて、しのびやかに奉らせけり。いみじかりけり。
ある人が大臣に任命されて、そのお祝いの格式ある宴が催される際に、最も大切な大臣任命の辞令を書いたみことのりを持たないで宮中に参上してしまった。
大変な失態であるが、かといって、今さら取りに帰るわけにもいかない。この窮状を救ったのは、「そこにいないはずの人」だった!
「尊い罵倒」徒然草気まま読み#122
今回扱うのは、第百六段。
一部をご紹介すると…
高野の證空上人京へ上りけるに、細道にて馬に乘りたる女の行きあひたりけるが、口引きける男あしく引きて、聖の馬を堀へ落してけり。聖、いと腹あしく咎めて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子〔四衆とも云ふ、釋迦の弟子の四種〕はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞〔俗のまゝなる男の佛弟子〕は劣り、優婆塞より優婆夷〔俗のまゝの女の佛弟子〕は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀に蹴入れさする、未曾有の惡行なり。」
高野山の身分の高い僧侶である證空上人が京に上った時の話。細い道でトラブルに遭ってしまった上人、思わず逆上してしまって…
徳を積み、いとやんごとなき位に就いた僧侶といえども、とっさの時にはどんな言動をするかわからない。むしろ、何の修行もしていない無学な男の自然な態度の方が超然としているようにさえ見える。
ふとしたことから人の本性が現れる瞬間、まさに兼好の「大好物」ともいえる場面を描いた一段。