タグ 蔡幸娟 が登録されている動画 : 85 件中 33 - 64 件目
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二葉百合子『岸壁の母』北京語版3…蔡幸娟「懷念您!媽媽」
『岸壁の母』は1954年の歌謡浪曲で、シベリアに抑留された息子の帰りを舞鶴港の岸壁で待ち続ける母親の歌ですが、台湾では北京語の「母親的思念(sm23488849)」と、台湾語の「爸爸在哪裡(sm23488371)」「媽媽的心(sm23488809)」「思念故郷的媽媽(sm30747759)」「媽媽的一封信(sm24052304)」「爸爸叼位去(sm27601030)」「媽媽在哪里(sm27880119)」、シンガポールには北京語の「微風飄來濛濛雨(sm24052252)」などのカバーソングがあります。「懷念您!媽媽」が出たのは1982年。
佐良直美『世界は二人のために』北京語版2…蔡幸娟「世界多美麗」
台湾で出た『世界は二人のために』の北京語カバーは「世界多美麗」。ところが鄧麗君(テレサ・テン)が歌った「世界多美麗(sm25112027)」と 蔡幸娟の「世界多美麗」では、歌詞が一部異なってます。サビの部分は同じですけどねぇ。
赤い鳥『竹田の子守歌』北京語版1…蔡幸娟「祈祷」
『竹田の子守歌』は京都の被差別部落の子守歌。1971年にリリースされたものの、部落がらみと言うことで日本では永らく放送禁止にされ、B面の『翼をください』が有名に。一方、台湾では翁倩玉(ジュディ・オング)の北京語カバー「祈祷」が大ヒットして、台湾ではジュディの代表曲の1つになってます。作詞した翁炳榮はジュディの父親。映像は2008年に蔡幸娟が歌ったもの。
『乙女の涙』台湾語版1…蔡幸娟+鄭進一「可憐的小姑娘」
謎の曲です…。原曲は『乙女の涙』ということになってますが、いつ誰が歌ったのか不明。原曲タイトルは『姑娘よもう泣かないで』だという説もあります。台湾のテレビ番組では「日本曲」というクレジットが出てますが、実は韓国の曲だとも。いずれにしても、台湾語カバーの「可憐的小姑娘(sm26860848)」や北京語カバーの「心声涙痕(sm26860860やsm26860868)」は台湾や東南アジアの中華圏では有名な懐メロで、香港でも「心声涙痕」「你軽呼我」「台前幕后」と3種類の広東語カバーが出てました。
牧村三枝子『夫婦きどり』北京語版2…蔡幸娟「相見歓」
蔡幸娟は1980年に台湾でアイドル歌手としてデビューしましたが、82年から演歌歌手に転向。日本の演歌を日本語と北京語と台湾語で歌うという「三語一体」シリーズなるものを、台湾とシンガポールで出していました。そんな82年に歌った「相見歓」ですが、『夫婦きどり』の北京語版は鄧麗君(テレサ・テン)も「恩愛夫妻(sm26312284)」を出していて競作に。テレサ亡き後、蔡幸娟の甘い歌声はテレサに似ていると言われて、よくテレビで鄧麗君のカバーを歌ってますが、さて、どうでしょう?
野村雪子『初恋ワルツ』台湾語版1…蔡幸娟「初恋」
野村雪子の『初恋ワルツ』は1954年のヒット曲。台湾では60年代に紀露霞が台湾語と北京語の両方でカバーしていましたが、北京語版(sm26264132)は鳳飛飛が改めて歌い、台湾語版は蔡幸娟が88年に改めて歌った模様。歌詞の内容は北京語版も台湾語版もほぼ同じ。蔡幸娟は80年に15歳でデビューし、北京語のアイドルソングを歌っていたのに、2年足らずで台湾語や日本語、北京語で演歌を歌う路線に転向。現在でも3つの言語で歌い続けている息の長い歌手。
上原敏+結城道子『裏町人生』台湾語版09…蔡幸娟「后街人生」
『裏町人生』は1937年のヒット曲。歌っていた上原敏はニューギニアで戦死しましたが、その後もいろんな歌手がカバーし続けています。『裏町人生』の台湾語版は何種類も出てますが、蔡幸娟が1982年に出した「后街人生」は、日本語と台湾語と北京語の3言語で歌うというもの。北京語の部分は「秋詞(sm25143725)」と歌詞が同じですが、台湾語の部分は「後街人生(sm25009830)」とは少し歌詞が異なります。蔡幸娟は当時17歳で、アイドル歌手としてデビューしたのに、この年から日本の演歌や懐メロを3言語で歌うシリーズをリリースし続けることに。
多摩幸子『乙女心に雨が降る』北京語版1…蔡幸娟「緑島小夜曲」
多摩幸子は1958年に17歳でデビューし、66年に結婚して引退した歌手。『乙女心に雨が降る』はいつの曲か知りませんが、台湾では北京語カバーの「綠島小夜曲」が出て、いろんな歌手が歌い大ヒット。現在でも懐メロの定番としてよく歌われてます。87年に香港映画『監獄風雲』の挿入歌として広東語カバーの「友誼之光(sm25455919)」も作られ、こちらは香港人が卒業式や送別会で歌う曲として定着。
菊池章子『支那むすめ』台湾語版1…西卿+蔡幸娟「広東花」
1938年に渡辺はま子が歌った『支那の夜』がヒットすると、中国の情景を歌った曲がブームになり、40年の『支那むすめ』もその1つ。ところが30年以上経って台湾で「誰もが知ってる歌」になったのが、台湾語カバーの「広東花」。「広東花」は70年代に最高視聴率97%という大人気だったテレビの布袋戯(伝統的な人形劇)雲州大儒侠の登場人物の1人で、「広東花」が登場する時にテーマソングとして流れる曲に。このテレビ布袋戯は主要人物ごとにテーマソングがあって、苦海女神龍(『港町ブルース(sm23275611)』)、冷霜子(『盃(sm23499078)』)、恨世生(『夢で泣け(sm25265469)』)、大節女(『朝日のあたる家』)などなど。
橋幸夫『潮来笠』北京語版2…蔡幸娟「尋覓」
「日本式アイドル」が次々とデビューしてブームを巻き起こした1982~83年頃の台湾。80年に15歳で一足早くデビューしていた蔡幸娟は、声やルックスは可愛いし、デビュー曲は「夏之旅」というアイドルソングだったし、ブームに十分乗れるはずだったのに、なぜかシンガポールのレコード会社で、日本の演歌や懐メロを、日本語と北京語と台湾語で歌う」という三語一体系列なるシリーズ物に黙々と取り組むことに。『潮来笠』も日本語の原曲と、オリジナルの北京語版「尋覓」と、台湾語版のヒット曲「彼個小姑娘(sm22763249)」を続けて歌ってます。「尋覓」とは探すの意味。
淡谷のり子『雨のブルース』北京語版…蔡幸娟「寒雨曲」
♪窓を開ければ~♪の『別れのブルース』は1937年のヒット曲ですが、『雨のブルース』は翌38年のヒット曲。
李香蘭『紅い睡蓮』北京語版1…蔡幸娟「紅睡蓮」
『紅い睡蓮』は1940年の映画『熱砂の誓ひ』の挿入歌。映画の内容はといえば、『支那の夜』と同様に、日本人男性(長谷川一夫)と支那娘(李香蘭)のラブロマンスという国策映画ですが、戦後台湾では純粋な恋の歌になって北京語版の「紅睡蓮(sm25273163)」「黃昏的街頭」や台湾語版の「初戀的小姑娘(sm25273091)」「賣花女之戀」が出てます。
三橋美智也『おさらば東京』北京語版1…蔡幸娟「両相依」
三橋美智也の『おさらば東京』は1957年のヒット曲。北京語版の『兩相依』は60年代から70年代にかけて台湾の姚蘇蓉や鳳飛飛、香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が歌ってヒットしたとか。
大津美子『ここに幸あり』北京語版1…蔡幸娟「幸福在這裡」
大津美子の『ここに幸あり』は1956年のヒット曲。北京語版のタイトル「幸福在這裡」はそのまんまの直訳。
小林旭『昔の名前で出ています』北京語版…蔡幸娟「幻影」
『昔の名前で出ています』のカバーは、「流浪之歌(sm27053023)」をはじめ、「昔日的芳名(sm23505953)」「林森北路之夜(sm23506037)」「心酸的祝福(sm23506098)」「浪子情(sm23941974)」「難忘的旧愛人(sm33066607)」 「継続擱流浪(sm31255173)」 と、台湾では少なくとも7種類も出てますが、シンガポールのレコード会社から北京語カバーを出したのが、蔡幸娟。彼女は1980年に15歳でデビューした台湾のアイドル歌手でしたが、「東方雲雀=アジアの美空ひばり」をキャッチフレーズに、日本の演歌や懐メロを日本語と台湾語と北京語で歌うという「三語一体系列」なるシリーズを出し始め、『昔の名前で出ています』も日本語の原曲と台湾語版「流浪之歌」と北京語版「幻影」を続けて歌唱。それにしても「串刺しリンゴ」を手に可愛く微笑むジャケ写が不気味なら、「上まいホ」という日本語の曲も謎w
村田英雄『夫婦春秋』北京語版2…蔡幸娟「我為他祈祷」
「日本式アイドル」が全盛だった1980年代前半の台湾で、なぜか日本の曲のカバーを、日本語・台湾語・北京語の3言語で歌う「三語一体系列」なるシリーズを、シンガポールのレコード会社から黙々と発売していた当時10代の蔡幸娟。しかも選曲が演歌や懐メロなどシブイものばっかりで、キャッチフレーズは東方雲雀(アジアの美空ひばり?)。『夫婦春秋』も日本語の原曲と台湾語版の「人生(sm25246647)」に続いて、オリジナルの北京語版「我爲他祈祷」を歌ってます。
『ツーレロ節』台湾語版2…鄭進一+蔡幸娟「春宵舞伴」
『ツーレロ節』はドリフの歌が流行りましたが、昭和30年代には小林旭が歌い、さらに遡ると戦前に海軍の『シャンラン節』を、芸者歌手の美ち奴がレコード化してヒットしたんだとか。で、その『シャンラン節』は「台湾民謡」だそうで…。でも台湾では『ツーレロ節』は日本の歌ということになっていて、日本と台湾でお互いにルーツをなすり付け合っている状態。『ツーレロ節』の台湾語版は小林旭のバージョンをカバーした軽快な「心心相愛(sm25183182)」がメジャーですが、もう1つのカバー「春宵舞伴」はどのバージョンをもとにしたんでしょう?♪ツーツーレロレロ♪の部分を♪陣陣揺落揺落(ツンツンヨロヨロ=ちょっと踊って)♪と歌ってます。
岡晴夫『憧れのハワイ航路』北京語版…蔡幸娟「夏威夷航路」
『憧れのハワイ航路』は1948年に岡晴夫が歌った曲。私は二郎さんが歌ってたのをテレビで観た記憶しかありませんw台湾では50年代に港町・高雄を歌った台湾語版の「可愛的港都」が出ましたが、83年に蔡幸娟が出した北京語版が「夏威夷航路」。原曲は日本人の海外旅行が禁止されていた時代に、ハワイへの船旅に憧れる歌でしたが、「夏威夷航路」は♪懐かしいハワイに、早く帰りたい~♪という歌。当時18歳の蔡幸娟は、1つの曲を日本語と北京語と台湾語の3言語で歌う「三語一体系列」なるシリーズに取り組んでいて、この曲も日本語のオリジナルと北京語版と台湾語版の「可愛的港都」を続けて歌ってます。
霧島昇+松原操『旅の夜風』台湾語版7…蔡幸娟「旅途夜風」
♪は~な~も~、あらしも~、踏み越えて~♪の『旅の夜風』は、1938年の大ヒット映画『愛染かつら』の主題歌。当時日本の統治下にあった台湾でも大ヒットしたためか、戦後「旅途夜風」「旅途慕情」「異鄉情書」「異鄉情思」「欠你一份人情」「情債」などなど台湾語のカバーがいくつも出ましたが、それら中で最もポピュラーなものは、タイトル直訳の「旅途夜風(sm25086007)」。ところが「東方雲雀(アジアの美空ひばり?)をキャッチフレーズにしていた蔡幸娟が83年に歌った「旅途夜風」は、他の歌手が歌った「旅途夜風」とはタイトルは同じでも歌詞が違い、さらに1~3番までは日本語で歌うというもの。蔡幸娟は明菜やキョンキョンと同じ歳なので、当時18歳?
さとう宗幸『青葉城恋唄』北京語版3…蔡幸娟「飛向你」
蔡幸娟は80年に14歳でデビューした台湾の歌手ですが、アイドル路線には走らず、1つの曲を日本語と北京語、台湾語の3言語で歌うという「三語一体系列」なるシリーズを次々と発表していた人で、キャッチフレーズは「東方雲雀」。雲雀って美空ひばりのこと?このカセットは北京語を「華語」、台湾語を「厦語」と表記しているのでシンガポールで発売されたものですが、台湾語による歌唱はナシ。
上原敏+結城道子『裏町人生』台湾語版01…鄭進一+蔡幸娟「後街人生」
『裏町人生』は1937年のヒット曲。歌っていた上原敏はニューギニアで戦死しましたが、その後もいろんな歌手がカバーし続けています。戦後、台湾では無数のカバーが出て、台湾語の 「後街人生(sm25009830)」 「懷念初恋時(sm25013709)」「不可做流氓(sm25013725)」「朋友呀免傷心(sm25140511)」「女性的悲哀(sm33115169)」「夜半的酒場(sm25325105)」「異鄉的都市(sm33115187)」「無情的心肝(sm27242311)」「勇敢的女性(sm27242355)」「后街人生(sm26254622)」 「野花的春天(sm26254521)」 「酒女嘆(sm29314367)」 「酒矸仔嫂(sm31078350)」 「琉球山之恋(sm31240412)」 「離開故郷心愛的人(sm32887720)」 、北京語で「秋詞(sm25143725)」などなど…。「後街人生」は、もともと文夏がカバーして、タイトルはそのまま直訳。内容は夜の世界に身を堕した女の歌で、♪私は主のいない野花だから、どこでも咲くの♪。
藤山一郎『青い山脈』台湾語版…鄭進一&蔡幸娟「青色的山脈」
『青い山脈』は1949年に流行った映画主題歌で、典型的な懐メロの1つ。台湾でもカバーが出たようですが、タイトルが直訳なら、歌詞もほとんど直訳です。この歌は北朝鮮でも朝鮮語カバーが出てますが、『証城寺の狸囃子(sm23284834)』とか『津軽海峡・冬景色(sm23124913)』とか、台湾と北朝鮮でカバーが出る曲って、シブイですねw
千昌夫『星影のワルツ』台湾語版1…鄭進一&蔡幸娟「星夜的離別」
『星影のワルツ』は1968年のヒット曲。台湾ではその年のうちに北京語版の「星夜的離別」と台湾語版の「星夜的離別」が出ました。
平尾昌章『星は何でも知っている』台湾語版1…鄭進一+蔡幸娟[星星知我心]
『星は何でも知っている』は1958年に平尾昌章が歌ったヒット曲で、台湾では北京語版の「星星知我心(sm24529173)」と台湾語版の「星星知我心」が出現しました。ところが、80年代末にこの映像で台湾語版を歌っている蔡幸娟(女性)が、「星星知我心」という同じタイトルでまったく別の北京語ソングを歌い大ヒットしたため、『星は何でも知っている』の北京語版は台湾ではほとんど歌われなくなってます。さて、台湾語版の内容ですが、ほとんど日本語のオリジナルの直訳そのまんま。
渥美二郎『夢追い酒』台湾語版07…蔡幸娟「前途不是靠命運」
渥美二郎『夢追い酒』は1978年のヒット曲で、翌79年から北京語の「追夢」や台湾語の「夢追酒」など数々のカバーが出ましたが、82年に「三語一体系列」と称して、蔡幸娟が歌ったのがこれ。日本語のオリジナルと、北京語の「追夢」に続いて、台湾語の「前途不是靠命運」を歌ってますが、蔡幸娟は中森明菜や小泉今日子と同じ歳なので、当時17歳だったはず。。。カセットテープのジャケットには台語(台湾語)じゃなくて、厦語(アモイ語)と書かれているので、シンガポールで発売された??