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「大欲は小欲に似たり」徒然草気まま読み#111
今回扱うのは、第二百十七段。
冒頭部分を紹介すると…
ある大福長者の曰く、「人は萬をさしおきて、一向(ひたぶる)に徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむと思はば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。
ある大金持ちが、「人は何を差し置いても財産を作るべきだ。貧乏人は生きる価値がない。富を持つ者だけが人だ」と言った。
仏教の価値観とは真逆の感覚で、さらに続けてホリエモンでも足元にも及ばないような極論を吐きまくる大金持ちだが、それを紹介した上で兼好法師、単に批判するのではなく、これに極めてユニークな解釈を加えていく。それは一体…?
「大根の勇士」徒然草気まま読み#110
今回扱うのは、第六十八段。
前半を紹介すると…
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおおね)を萬にいみじき藥とて、朝ごとに二つづゝ燒きて食ひける事、年久しくなりぬ。ある時、館(たち)のうちに人もなかりける隙(ひま)をはかりて、敵襲ひ來りて圍み攻めけるに、館の内に兵(つわもの)二人出で来て、命を惜しまず戰ひて、皆追ひ返してけり。
徒然草には様々なタイプの話が含まれているが、中でもこれは一風変わった一段。
大根を万病に効く妙薬だとして、毎朝二本食べる人がいた。
これだけでも十分変な話だが、話はさらに思いがけない方向に転がっていく。
徒然草にはこんな「説話」のような話もある。
あまり紹介される機会のない珍しい話に、今回は特にスポットを当てる!
緊急シンポジウム「皇位の安定継承に向けて」
令和2年11月25日、参議院議員会館講堂で行われた緊急シンポジウムを完全収録。
上皇陛下の退位の際の「皇室典範特例法」の付帯決議には、安定的な皇位継承のため、女性宮家の創設等について、特例法施行後速やかに検討するよう定められているが、特例法施行後1年半を経過しても、政府は一切その検討に入ろうとしない。
それどころか、菅政権が検討していると伝えられるのは、皇位の安定継承とは全く関係ない「皇女」プランである!
このままでは将来の皇室は悠仁さまおひとりになり、そのまま消滅してしまうという悪夢が現実になってしまう。
皇室典範改正が国会マターとなっている以上、国会議員が取り組まなければどうにもならないのだが、肝心の国会議員に危機感がないどころか、関心もないという状況が続いている。
そのため、国会議員に広く出席を求めて行われたシンポジウム。
パネリストは高森明勅(皇室研究者)、矢部万紀子(コラムニスト)、君塚直隆(関東学院大学教授)、小林よしのり(漫画家)
この危機感は、国会議員に届いたか?
レジュメはこちら!
https://www.gosen-dojo.com/wp-content/uploads/IMG-2.pdf
「嵐を呼ぶ質疑応答」 第93回ゴー宣道場(第2回東海ゴー宣道場)第2部
2020年11月8日開催。
第2回東海ゴー宣道場として、名古屋で開催。
山尾志桜里衆院議員をゲストに招き、第1部と第2部でガラッとテーマを変えるという、初の形式で行われた。
第1部は「愛子皇太子の可能性」
奇しくも開催日は「立皇嗣の礼」と同日となったが、速やかに着手されなければいけなかった、女性宮家創設や女性・女系天皇を含む安定的皇位継承に向けた動きは一向に始まらない。
もう議論の段階はとっくに過ぎている。あとはいかにしてそれを実現するかであり、そのためには政治を動かすしかない。もう時間はないのだ!
第2部は「嵐を呼ぶ質疑応答」
予定調和一切なし、参加者の質問とそれに対する回答だけで展開する試み。
事前に応募した質問には199もの質問が殺到。このような機会でなければ出てこないような、ユニークな質問も多数あった。
その中から厳選された質問と、当日その場で出た質問に対して、師範方と山尾議員の回答はいかに?
「愛子皇太子の可能性」 第93回ゴー宣道場(第2回東海ゴー宣道場)第1部
2020年11月8日開催。
第2回東海ゴー宣道場として、名古屋で開催。
山尾志桜里衆院議員をゲストに招き、第1部と第2部でガラッとテーマを変えるという、初の形式で行われた。
第1部は「愛子皇太子の可能性」
奇しくも開催日は「立皇嗣の礼」と同日となったが、速やかに着手されなければいけなかった、女性宮家創設や女性・女系天皇を含む安定的皇位継承に向けた動きは一向に始まらない。
もう議論の段階はとっくに過ぎている。あとはいかにしてそれを実現するかであり、そのためには政治を動かすしかない。もう時間はないのだ!
第2部は「嵐を呼ぶ質疑応答」
予定調和一切なし、参加者の質問とそれに対する回答だけで展開する試み。
事前に応募した質問には199もの質問が殺到。このような機会でなければ出てこないような、ユニークな質問も多数あった。
その中から厳選された質問と、当日その場で出た質問に対して、師範方と山尾議員の回答はいかに?
「上には上がある」徒然草気まま読み#109
今回扱うのは、第百七十七段。
前半を紹介すると…
鎌倉の中書王にて御鞠ありけるに、雨ふりて後、未だ庭の乾かざりければ、いかゞせむと沙汰ありけるに、佐々木隱岐入道、鋸の屑を車に積みて、多く奉りたりければ、一庭に敷かれて、泥土のわづらひ無かりけり。「取りためけむ用意ありがたし」と、人感じあへりけり。
親王の御所で蹴鞠が催されることになっていたのだが、雨が降って庭がぬかるみになっていた。そこに佐々木隱岐入道がおがくずをたくさん車に積んで持ってきて庭に敷いたので、蹴鞠を行うことができた。
用意のいい人だと、皆が感心してその話をしていたのだが、その評判がたった一言でひっくり返る。
思い込みで評価をしていたら、簡単なことで足をすくわれる。
なんだかいつでもどこでも起こりそうな話で、用心用心。
「慈悲の心」徒然草気まま読み#108
今回扱うのは、第百二十八段。
冒頭を一部紹介すると…
雅房大納言は、才賢く、善き人にて、大將にもなさばやと思しける頃、院の近習なる人、「只今、淺ましき事を見侍りつ」と申されければ、「何事ぞ」と問はせ給ひけるに、「雅房卿、鷹に飼はんとて、生きたる犬の足を切り侍りつるを、中垣の穴より見侍りつ」と申されけるに、うとましく、にくくおぼしめして、日ごろの御氣色も違(たが)ひ、昇進もしたまはざりけり。
動物に対しても、どんな小さなもの、弱き者、愚かな者にも、小さきもの、弱き者、愚かな者だからこそ情けを掛けなければならない。
元・武士であったことの片鱗をうかがわせる場面も時々見せる兼好だが、ここではまさに法師らしい慈悲の心を語る。
そして、このような境地に至ったからこそ武士を捨てたのではないかとも思わせる一段。
ぼろぼろの話「徒然草 気まま読み」#107
今回扱うのは、百十五段。
前半から紹介すると…
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集りて、九品の念佛を申しけるに、外より入りくるぼろぼろの、「もしこの中(うち)に、いろをし坊と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候。かく宣ふは誰(た)ぞ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師、なにがしと申しし人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。
『徒然草』に人生訓のようなものを求めている人は、まず引用しない段。
「ぼろぼろ」とは、無宿者、ならず者、ゴロツキの類の者たちのこと。
その無頼そのもののエピソードを紹介し、彼らの性格などについても決して快く思っていない様子の兼好なのだが、最後に好感を寄せているような一言を添えて締めくくっている。それはなぜか?
今年最後の道場に集まれ!
令和2年を締めくくる第94回ゴー宣道場は12月6日、東京で開催される。
テーマは「コロナ後のリベラル」
基調講演は倉持麟太郎師範。新刊『リベラルの敵はリベラルにあり』のキモを語る!
今回のコロナ禍で「リベラル」を自称する者たちがいかにペテンだったかが分かった。
玉川徹などは今も直ちに緊急事態宣言を出すべきだと力説し、自由を規制する「強権発動」を求め、中国の監視社会をも絶賛する。
しかし倉持師範によると「玉川徹氏はどこの国にいてもリベラルではない」という。
それではリベラルとは何なのか? 日本にリベラルはいるのか?
ゲストは宇野常寛氏。
立憲民主党発足後の早い時点から立民の「社会党化」を予言し、それを的中させた宇野氏の発言も、大いに注目!
参加応募締切は11月25日。
お申し込みはこちら!
https://www.gosen-dojo.com/application/
第93回ゴー宣道場 語らいタイム
第93回ゴー宣道場は令和2年11月8日(日)名古屋市内で、山尾志桜里衆院議員をゲストに迎えて開催された。
テーマは「愛子皇太子の可能性」「嵐を呼ぶ質疑応答」
ゴー宣道場初のテーマ2本立てで、事前にはどうなるか全く予想がつかない状態だったが、ふたを開けてみれば第1部・第2部ともに大成功!
第1部は山尾氏の登壇が決定的に大きく、今後の展望をはっきり見据えることができた。
第2部は、199件にも上った事前質問を門下生が完璧に整理し、用意してくれたことが大きかった。
「いつになく」面白かったという、なんだか微妙な感想も見られたけれどもとにかく大成功を収めた直後、疲労感と満足感の中での語らいタイム!
吉凶は人による「徒然草 気まま読み」#106
今回扱うのは、九十一段。
前半を紹介すると…
赤舌日(しゃくぜつにち)といふ事、陰陽道(おんみゃうだう)には沙汰なき事なり。昔の人これを忌まず。この頃、何者の言ひ出でて忌み始めけるにか、この日ある事、末通らずといひて、その日言ひたりしこと、爲(し)たりし事、叶はず、得たりし物は失ひつ、企てたりし事成らずといふ、愚かなり。吉日(きちにち)を選びてなしたるわざの、末通らぬを數へて見んも、亦等しかるべし。
中世の人間というと、「陰陽道」などを信じているようなイメージがあるが、兼好に関してはそんな様子は全くなく、非常に合理的。
むしろ、現代の我々の方が「信心深い」のではないかと思ってしまう。
ついつい縁起のいい日を選んだり、ゲンをかつぐということを、誰もがしていないか?
「吉凶は人による」そう言い切れる人は、どれだけいるだろうか?
生きてる間は武勇を誇るな「徒然草 気まま読み」#105
今回扱うのは、八十段。
冒頭を一部紹介すると…
人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵の道をたて、夷(えびす)は弓ひく術知らず、佛法知りたる氣色(きそく)し、連歌し、管絃を嗜みあへり。されど、おろかなる己が道より、なほ人に思ひ侮(あなづ)られぬべし。
法師が武術をやってみたり、武士が仏法を学んだり、専門外の余技に手を出す人は、その余技が大したものではないのみならず、本来の専門においても二流である。
…と、ここまでは他でも度々言っていることだが、兼好はここから武士にとっての武の道とは何たるかという話に入っていく。
たとえ百戦百勝の戦歴があっても、その武勇は誇るに足らないと兼好は言う。それはなぜか?
『徒然草』全体の中ではあまり注目されてはいないが、兼好は武士だったのだということを強烈に思い起こさせる、異色の段。
今でしょ!「徒然草 気まま読み」#104
今回扱うのは、五十九段。
前半部分を紹介すると…
大事を思ひたたむ人は、さり難き心にかゝらむ事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。「しばしこの事果てて」、「同じくは彼の事沙汰しおきて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらん、行末難なく認め設けて」、「年来もあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物さわがしからぬやうに」など思はんには、え去らぬ事のみいとゞ重なりて、事の盡くる限りもなく、思ひたつ日もあるべからず。おほやう、人を見るに、少し心ある際は、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。
ここでは具体的には出家を決意した人について語っているが、現代の我々の心構えとしても完全に通用する。
何か大事なことをやろうと決心しながらも、いざ実行に移そうとすると何かと気にかかることがあってなかなか踏み出せないということはある。
しかし、そんなことを言っていたら、一生いつまでもできっこない。いつやるの?今でしょ!
…と、ここまでなら、塾の講師からでも聞きそうな話だが、見どころは後半。
今すぐやるしかない、その理由として兼好が言うことは実に激烈!
そう考えれば、確かに今すぐやるしかない!
東海ゴー宣道場に集まれ!
第93回ゴー宣道場は、「第2回東海ゴー宣道場」として11月8日、名古屋で開催される。
テーマはゴー宣道場初の2プラン!
Plan1は「愛子皇太子の可能性」
偶然にも「立皇嗣の礼」が同日に重なったが、ほとんど世間の関心を呼んでおらず、秋篠宮殿下・悠仁殿下への皇位継承を「既成事実」にしようとする政権の思惑は外れたようだ。
もう議論は尽きている! あとはどうやって愛子皇太子殿下を実現させるかである!
Plan2は「嵐を呼ぶ質疑応答」
とにかく予測不能! 会場の質問に師範方が答える、それだけに集中!
成功するか失敗するかは、参加者からどんな質問が出て来るかに大きくかかっている!
既に事前質問も受け付けているが、もうその時点で嵐を呼んでいる?
山尾志桜里衆院議員の緊急参戦決定!
参加申し込み締切は10月28日。もう時間がない! 応募は今すぐ!!
母の教育「徒然草 気まま読み」#103
今回扱うのは、百八十四段。
鎌倉幕府の執権・相模守時頼の母、松下禪尼のエピソード。
時頼を招く際、すすけた障子の破れたところだけを、禪尼自ら貼り替えていた。
そんな仕事は禪尼自らする必要もないし、そもそも破れたところだけを一コマ一コマ貼り替えるよりも、全部貼り替えた方が簡単できれいなのに、なぜわざわざそんな手間のかかることをしなければならないのか、と問われて、禪尼が答えたこととは?
幕府の最高権力者に上り詰めた息子に対してなお、むしろそのような立場になったからこそ、母として見せておきたかった態度とは何か?
「経済と憲法でポストコロナの社会を提示する」第2部 第91回ゴー宣道場2/2
2020年9月13日開催。
野党再編で多くの議員立憲民主党へ合流していく中、数合わせの「永田町の論理」を拒否し、少数政党となる不利をも厭わず、理念のもとに集まることを選んだ議員もいた。
そうして誕生したのが、新生「国民民主党」である。
今回は国民民主党の玉木雄一郎代表と、山尾志桜里議員をゲストに迎えたが、図らずも玉木氏にとっては、これが新・国民民主党発足後初の、まとまった発言の場となった。
行き過ぎたグローバリズム、東京一極集中、富の偏在を見直すと主張する玉木氏。
日本の自律、地方の自律、個人の自律を唱える山尾氏。
ポストコロナの時代には、頭数の政治ではなく、理念の政治こそが求められている!
「経済と憲法でポストコロナの社会を提示する」第1部 第91回ゴー宣道場1/2
2020年9月13日開催。
野党再編で多くの議員立憲民主党へ合流していく中、数合わせの「永田町の論理」を拒否し、少数政党となる不利をも厭わず、理念のもとに集まることを選んだ議員もいた。
そうして誕生したのが、新生「国民民主党」である。
今回は国民民主党の玉木雄一郎代表と、山尾志桜里議員をゲストに迎えたが、図らずも玉木氏にとっては、これが新・国民民主党発足後初の、まとまった発言の場となった。
行き過ぎたグローバリズム、東京一極集中、富の偏在を見直すと主張する玉木氏。
日本の自律、地方の自律、個人の自律を唱える山尾氏。
ポストコロナの時代には、頭数の政治ではなく、理念の政治こそが求められている!
人の心の弱さ「徒然草 気まま読み」#102
今回扱うのは、五十八段。
冒頭のみ紹介すると…
「道心あらば住む所にしもよらじ、家にあり人に交はるとも、後世を願はむに難かるべきかは」と言ふは、更に後世知らぬ人なり。
仏門に入って修行をしているからといって、物欲など世俗の価値観、欲求から離れられるわけではないと、兼好はいう。
確かに現実はそのとおりで、人の心は弱い。この段の兼好は、人の心の弱さには寛容である。
しかし、だからといって、決して仏道を歩むことが無意味だと言っているわけではない。
人の心の弱さを認めた上で、さらにその先がある。
「コロナの正体」第2部 第90回ゴー宣道場2/2
2020年7月12日開催。
コロナ禍の影響で見送っていた一般応募者の参加もようやく再開!
ゲストは、元厚生省医系技官で、医師の木村もりよ氏。
信用できない「専門家」ばかりが続出する中で、一貫して経済とのバランスという視点を忘れずに発言してこられた木村氏は、貴重な傾聴に値する専門家である。
4月に配信した小林よしのりチャンネル「オドレら正気か?」特別版
https://www.nicovideo.jp/watch/1587211443
に続き、満を持してのゴー宣道場ご登場。
明快な解説で、コロナの正体が明らかになる!
レジュメはこちらから。
https://www.gosen-dojo.com/?post_type=blog&p=28225&preview=true
「コロナの正体」第1部 第90回ゴー宣道場1/2
2020年7月12日開催。
コロナ禍の影響で見送っていた一般応募者の参加もようやく再開!
ゲストは、元厚生省医系技官で、医師の木村もりよ氏。
信用できない「専門家」ばかりが続出する中で、一貫して経済とのバランスという視点を忘れずに発言してこられた木村氏は、貴重な傾聴に値する専門家である。
4月に配信した小林よしのりチャンネル「オドレら正気か?」特別版
https://www.nicovideo.jp/watch/1587211443
に続き、満を持してのゴー宣道場ご登場。
明快な解説で、コロナの正体が明らかになる!
レジュメはこちらから。
https://www.gosen-dojo.com/?post_type=blog&p=28225&preview=true
知らぬ道 『徒然草 気まま読み』#101
今回扱うのは、五十七段。
全文を紹介すると…
人のかたり出でたる歌物語の、歌のわろきこそ本意なけれ。すこしその道知らん人は、いみじと思ひては語らじ。
すべていとも知らぬ道の物がたりしたる、かたはらいたく聞きにくし。
自分の専門分野でもないのに、一知半解の知識を知ったかぶって話すことは見苦しい。
徒然草では繰り返し語られているテーマだが、今回の段は短い文章の中により端的に表現されている。
誰にでも覚えのありそうなこと。くれぐれも注意しましょう。
死は今にも 『徒然草 気まま読み』#100
徒然草気まま読み、スタートして2年、ついに100回到達!
100回を記念して、今回扱うのは、第四十一段。
全文を紹介すると…
五月(さつき)五日、賀茂の競馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雜人(ざふにん)たち隔てて見えざりしかば、各々(おのおの)下りて、埒(らち)の際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。
かゝる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう眠(ねぶ)りて、堕ちぬべき時に目を覺す事度々なり。これを見る人嘲りあざみて、「世のしれ物かな。かく危(あやふ)き枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ」と言ふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死(しゃうじ)の到來、唯今にもやあらむ。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事は猶まさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候」と言ひて、皆後を見返りて、「こゝへいらせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れはべりにき。
かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。
ひとつ間違えれば死にかねない危険なことをやっている人を見て笑っている人達に、死を人ごとのように思って、一日が平穏無事に過ごせるものと思ったら大間違いだ、死は誰にも、今すぐ訪れてもおかしくないものなのだぞと諭す兼好。
何度も『徒然草』で繰り返される死生観だが、この段で面白いのはここから。
諭された人の態度や、その人たちに対する兼好の見方などが、いずれも味わい深い。
そして、言われてみなけりゃ気づかない、ちゃっかりした話だったりもする。
第91回ゴー宣道場 語らいタイム
第91回ゴー宣道場は令和2年9月13日(日)、東京都内で「経済と憲法からポストコロナの社会像を提示する!」をテーマに開催された。
ゲストは国民民主党の玉木雄一郎代表と山尾志桜里議員。
図らずも玉木氏は、国民民主党が新党として再出発してから公の場でまとまった発言をするのは、このゴー宣道場が初の場となった。
最初こそやや硬さが見えた玉木氏も、会場の雰囲気にたちまち活気を見せ、山尾氏も立憲主義を捨てた立憲民主党を捨てて新たな活躍の場を得て、ますます意気軒昂。
数合わせではない理念の政党に、当初の予測をはるかに上回る15名の議員が集結し、そのうち3分の1が女性。対決より解決の政治、、自由・民主主義・法の支配を守る、グローバリズム・東京一極集中・富の偏在の見直しなどの理念には、共感の声が多く寄せられた。
そんな感想を読みつつ、国民民主党の今後に期待を込めた語らいタイム!
何かわけがあったか? 『徒然草 気まま読み』#99
今回扱うのは、第十段。
一部を紹介すると…
家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、假の宿りとは思へど、興あるものなれ。
よき人の、長閑(のどやか)に住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一際しみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど、木立ちものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子(すのこ)・透垣(すいかい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
兼好の思考の柔軟さがよく見える一段。
仏教の無常観から、人の住まいなど仮の宿りだと思う一方で、その中に趣のある様子を見れば、心を動かされる。
とはいえ、あまりに凝り過ぎたものを見ると、それは見苦しいと感じる。
そして後半ではある故事について、語り伝えられてきて評価の定まったことについても、ふとしたことから再考の必要があるのではと思いつく。
固定観念に縛られずに感じ、考え続けた姿勢がうかがわれる。
「コロナと緊急事態条項」第2部 第89回ゴー宣道場2/2
2020年6月14日開催。
コロナ禍の影響で3か月ぶりとなったゴー宣道場は、参加者を門下生のみとする限定開催となった。
ゲストは、日仏の憲法に精通し、両国の弁護士資格を持つ金塚彩乃氏。
フランスでも新型コロナの感染拡大を受けて3月24日、公衆衛生上の緊急事態宣言が発令されたが、その際には「人権の制限」を巡って大きな論争が起こった。
一方、日本では4月7日に7都府県を対象に緊急事態宣言が出され、16日に全国に拡大されたが、人権の制限に関する議論はほとんど行われなかった。
日本とフランスの比較から、日本における緊急事態宣言や、日本人の法意識、裁判官の独立性など、様々な問題点が浮き彫りになる!
「コロナと緊急事態条項」第1部 第89回ゴー宣道場1/2
2020年6月14日開催。
コロナ禍の影響で3か月ぶりとなったゴー宣道場は、参加者を門下生のみとする限定開催となった。
ゲストは、日仏の憲法に精通し、両国の弁護士資格を持つ金塚彩乃氏。
フランスでも新型コロナの感染拡大を受けて3月24日、公衆衛生上の緊急事態宣言が発令されたが、その際には「人権の制限」を巡って大きな論争が起こった。
一方、日本では4月7日に7都府県を対象に緊急事態宣言が出され、16日に全国に拡大されたが、人権の制限に関する議論はほとんど行われなかった。
日本とフランスの比較から、日本における緊急事態宣言や、日本人の法意識、裁判官の独立性など、様々な問題点が浮き彫りになる!
レジュメはこちらから!
https://www.gosen-dojo.com/blog/27952/
達人の発言 『徒然草 気まま読み』#98
今回扱うのは、第二百六段。
一部を紹介すると…
徳大寺右大臣殿、檢非違使の別當のとき、中門にて使廳の評定行はれけるほどに、官人 章兼が牛はなれて、廳のうちへ入りて、大理の座の濱床の上にのぼりて、にれ うち噛みて臥したりけり。重き怪異なりとて、牛を陰陽師のもとへ遣すべきよし、おのおの申しけるを、父の相國聞きたまひて、「牛に分別なし、足あらば、いづくへかのぼらざらん。
昔の人間、特に6世紀以上も前の兼好の時代の人は、みんな迷信深く非科学的なものを信じていたかのようなイメージを持ちがちだが、さにあらず。
その時代においても、非常に合理的な考え方をする人はいたし、兼好は特にそういうエピソードを好んでいた。
翻って現在、コロナ禍に大騒ぎしている人々は、いったいどれだけ合理的にものを考えていると言えるのだろうか?
花は盛りのみか 『徒然草 気まま読み』#97
今回扱うのは、第百三十七段。
冒頭部分のみ紹介すると…
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。
徒然草の中でも最も長文の一段。
その内容も、徒然草全体のエッセンスともいうべきものとなっている。
花は盛りのときだけを、月は曇りなく輝いているときだけを見るものだろうか?いや、決してそうではないという、兼好法師の美意識が存分に語られる。
そして終盤ではややいきなりテーマが変わり、兼好法師の死生観が語られる。
誰も死から逃れられるものはない。いま生きているのは偶然であり、若くても強くても、死は不意にやってくる。
ひたすら死から目を背ける生命至上主義の現代人は、これをどう読むのだろうか?
里芋好きの智者 『徒然草 気まま読み』#96
今回扱うのは、第三十段。
冒頭部分を紹介すると…
眞乘院に、盛親僧都(じょうしんそうず)とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭(いもがしら)といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつゝ、食ひながら書をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日(なぬか)、二七日(ふたなぬか)など、療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭を選びて、ことに多く食ひて、萬の病をいやしけり。人に食はすることなし。たゞ一人のみぞ食ひける。
仁和寺・眞乘院の盛親僧都という人の話。
冒頭から「やんごとなき智者」という、最大級の賛辞で紹介されているのだが、なぜだかこの人が「やんごとなき智者」であることを表す具体的な話はその後一切登場しない。
出てくる話は、どう見ても奇行としか言いようのないエピソードばかり。
それでも奇人変人ではなく、「やんごとなき智者」なのだという。
逆に、これだけの奇行をしていても人々に一目置かれているということ自体が「やんごとなき智者」の証なのか?
なんとも不思議な印象を残す一段。
専門家は大したものだ 『徒然草 気まま読み』#95
今回扱うのは、第五十一段。
全文を紹介すると…
龜山殿の御池に、大井川の水をまかせられむとて、大井の土民に仰せて、水車(みづぐるま)を作らせられけり。多くの錢(あし)を賜ひて、數日(すじつ)に營み出してかけたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、徒らに立てりけり。さて宇治の里人を召してこしらへさせられければ、やすらかに結(ゆ)ひて參らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るゝ事、めでたかりけり。萬にその道を知れるものは、やんごとなきものなり。
現代の「専門家」とか「有識者」とかいうものは、全然信用ならないものに成り下がっているが、兼好法師が生きた時代には、本当に真っ当な専門家がいた。
兼好はそういう尊敬すべき専門家やプロフェッショナルを称える文を何度も書いていて、これもそのひとつ。
本来、専門家とは大したものであるべきだという思いを込めつつ、読んでいこう。
宮中への憧れ 『徒然草 気まま読み』#94
今回扱うのは、第二十三段。
一部を紹介すると…
衰へたる末の世とはいへど、猶九重の神さびたる有樣こそ、世づかずめでたきものなれ。
露臺(ろだい)、朝餉(あさがれい)、何殿(でん)、何門などは、いみじとも聞ゆべし。怪しの所にもありぬべき小蔀(こじとみ)、小板敷、高遣戸なども、めでたくこそ聞ゆれ。「陣に夜の設けせよ」といふこそいみじけれ。
兼好は自分が生きる時代を「衰え行く末世」と認識していた。
だが、そんな末世においても、神々しさを保ち、世俗化していない、素晴らしきものこそが宮中であると兼好は言う。
これは、今日の我々が皇居に対して思うところと共通するものがあるのではないだろうか?
兼好が率直に宮中への思いを記しているところが興味深い。
慢心を戒める 『徒然草 気まま読み』#93
今回扱うのは、第百六十七段。
一部を紹介すると…
人としては、善にほこらず、物と爭はざるを徳とす。他に勝る事のあるは、大きなる失なり。品の高さにても、才藝のすぐれたるにても、先祖の譽にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干(そこばく)の科(とが)あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にも言ひ消たれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。
いかにも兼好らしいというか、聞いて思わず「えっ?」と言いたくなるような、変わったことを言っている。
「他人よりも優れたものがあることは、大きな欠点である」というのだ。
兼好独特の、逆説的な話なのだが、さてその真意は?