キーワード 中国語カバーソング が含まれる動画 : 6288 件中 33 - 64 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
岸田智史『比叡おろし』広東語版1…蔡楓華(ケン・チョイ)「落雁」
岸田智史(現在は岸田敏志)の『比叡おろし』は1980年の曲ですが、香港でなぜかウケて、翌81年から82年にかけて「落雁(sm24067737)」「愛情味道(sm24068785)」「愛和夢(sm24068805)」と、3つのカバーが相次いで出現しました。「落雁」を歌った蔡楓華(ケン・チョイ)は当時「チョイワル風」で人気の男性シンガーでしたが、譚詠麟(アラン・タム)や張国栄(レスリー・チェン)の台頭で人気に陰りがさしたところに「失言事件」で芸能界から干されてしまった人。映像は21世紀に入って復活した後のもの。
玉置浩二『行かないで』広東語版1…張学友(ジャッキー.チュン)「李香蘭」
1990年代香港のトップ男性シンガー「四大天王」の中で、歌が抜群にうまかった張学友(ジャッキー・チュン)の代表曲の1つ。タイトルがなぜ李香蘭?と思ったら、この曲は89年のドラマ『さよなら李香蘭』の主題歌だったんですね。広東語の歌詞が李香蘭に関係しているわけじゃありません。北京語版は「秋意濃(sm25091831)」ところで、『さよなら李香蘭』のラストは、敗戦後に上海から日本への引揚船で、山口淑子が「中国の大スター李香蘭」という芸名と決別する内容でしたが、実際には50年代の香港で、再び「李香蘭」の芸名で映画や歌に活躍してます。現在でも香港で「50年代の懐メロ」といえば、まず李香蘭が歌った北京語の歌ですが、本人の自伝でも、戦後の香港での話には触れられていないのはナゼ?
徳永英明『最後の言い訳』北京語版2…楊烈「我並不是真心放棄」
『最後の言い訳』は徳永英明が1988年に歌った曲。91年に台湾で「我並不是真心放棄(sm27959539)」と「夢醒」、2004年に「不忍(sm27959503)」などの北京語カバーが出て、中国では95年に「知己」が出ました。楊烈は台湾の歌手で84年に「如果能夠」が大ヒットして人気が出た人。しかし90年代に入って芸能界がイヤになり、日本へ高飛びして旅行会社で働いていたところ、日本人と結婚。その後、90年代末に再び台湾へ戻って歌手活動を再開。
アン・ルイス『Samishisa's On My Mind』広東語版…梅艷芳「黑色婚紗」
梅艷芳(アニタ・ムイ)1987年
さだまさし『関白宣言』北京語版1…張善為「大男人宣言」
さだまさしの『関白宣言』って1979年に発売された当時、かなり論争が起きて話題になったと思います。香港では翌80年に広東語カバー「大男人主義(sm23061744)」=亭主関白と、「大女人宣言(sm25078743)」=かかあ天下宣言が出ましたが、台湾で北京語カバー「大男人宣言」が出たのは2003年になってから。タイトルを訳せば『関白宣言』そのまんま。
はしだのりひことクライマックス『花嫁』北京語版1…甄妮「朦朧的愛」
『花嫁』は1971年のヒット曲ですが、同じ年に香港で甄妮(ジェニー・ツェン)が歌った北京語のカバー曲が「朦朧的愛」。朦朧とした愛とは何かというと、付き合っている彼氏がいるのに、他の男を好きになってしまった女が「朦朧とした愛」に縛られて悩むという内容。この時代の香港はまっとうな歌謡曲は北京語で歌うのが主流で、広東語の歌は「格下」扱いで、主にコミックソングでした。
サイ・ミーミー『年頃なのね』北京語版1…甄妮「求你再愛我」
1971年、欧陽菲菲の『雨の御堂筋』が大ヒットすると、芸能界はチャイニーズ・ブームとなり、台湾や香港から女性歌手が次々と来日しました。テレサ・テン、アグネス・チャン、リンリンランランは名を残しましたが、他にもファン・イーツン、ヤン・シスターズ、優雅(尤雅)、ラン・イーリー、秀蘭、シャーリー・シャウ、ジェニー・フェイ、キャンディー・レイ、マーガレット・ポー、チェルシア・チャン、パイピンピン…等々。サイ・ミーミー(蔡咪咪)もその1人で73年に『年頃なのね』でデビュー。原曲はヒットしなかったけど、その北京語カバー「求你再愛我」や「你說走就走」は当時、台湾(sm25454791)や香港(sm25454742)で多くの歌手が歌い大ヒット。甄妮(ジェニー・ツェン)はマカオ出身ですが、70年代は台湾で活躍し、80年代以降は拠点を香港に移した歌手。
チャゲ&飛鳥『YOU ARE FREE』北京語版…葉蒨文「離開情人的日子」
『YOU ARE FREE』はチャゲ&飛鳥がCHAGE&ASKAになった後の1993年に発売された曲。葉倩文はカナダ育ちの台湾人ですが、84年以降に香港に拠点を移してブレイクした人なので、日本での表記はサリー・イエー(北京語読み)だったり、サリー・イップ(広東語読み)だったり、混乱している人。葉蒨文が歌っている広東語版は「女人的弱点(sm25500619)」。
日本人が歌う 王心凌 《下一页的我》中国語Ver./いきものがかり《Yell》/Covered by Mayumin feat.Yukino Yoshida
いきものがかりさんのYellを中国語でカバーしている台湾の歌手のCyndi 王心凌さんが歌う《下一页的我》をカバーしました。
中国語が初めてでとても苦労しました。
中国語は聴けば聴くほど音が綺麗でハマってしまいました。
これからは日本だけじゃなくて台湾のアーティストさんのカバーもやっていこうかなと思います。
みなさん応援よろしくお願いします!!^^
王心凌【下一页的我】
https://www.youtube.com/watch?v=yvGYv...
Vo Mayumin
フォローお願いします^^
Facebook▶︎https://www.facebook.com/fuwari.sound/
instagram▶︎https://www.instagram.com/fuwari.sound/
【樂正綾】ネメシスの銃口【中国語カバー】
エヴィリオスシリーズの「憤怒」です。リズムが強すぎるから、歌詞を作ることは以前の曲より難しいです。
オリジナル:mothyさん「ネメシスの銃口」(sm24189059)
動画:Mario GaGabrielさん
中国語歌詞:自分、ティラアンミスさん及びmothyファンチャットグループ
VSQx:moonst4rさんのUSTから
調教・ミキシング:自分
『白い色は恋人の色』北京語版1…江蕾「情人的白衣裳」
『白い色は恋人の色』は1969年にアメリカ人の女性2人組・ベッツィ&クリスが歌ったヒット曲。台湾では73年に「情人的白衣裳(sm27367082)」、92年に「白色,愛人的顏色(sm27367140)」と北京語で2回カバーされてます。
山口百恵『曼珠沙華』北京語版2…董岱「曼珠沙華」
日本で山口百恵の代表曲と言えば、『秋桜』とか『いい日旅立ち』とか、はたまた♪これっきりこれっきりもう~♪や♪バカにしないでよ~♪や♪あ~なた~が望むなら♪あたりだと思いますが、中華圏では圧倒的に『ありがとうあなた』と『曼珠沙華』。『ありがとうあなた』は中国や香港で『赤い疑惑』が放送されて大ヒットしたから。『曼珠沙華』は梅艶芳(アニタ・ムイ)の広東語(sm22759498)や北京語(sm22759594)のカバーが大ヒットしたからでしょう、たぶん。広州で86年に董岱が出した全曲百恵の日本語+北京語のカバーアルバムも(実は一曲だけ松田聖子が入ってる)、タイトルは「曼珠沙華」。アニタの北京語版とは歌詞は違いますが、サビの♪曼珠沙華♪の部分を中国語ではなく日本語で発音するのはお約束。
山口百恵『さよならの向こう側』北京語版7…董岱「面対別離」
山口百恵の『さよならの向こう側』は、広東語カバーでは張国栄(レスリー・チェン)の「風継続吹(sm24890129)」、北京語カバーでは欧陽菲菲の「最後的一首歌(sm24895740)」 がヒットしましたが、他にも中国ではいろんな歌手がカバーを出していた模様。「面対別離」は86年に広州で出たカセットで、香港に隣接しているだけあって当時の中国にしてはクォリティがましです。前半は日本語ですが、結構ウマイし。董岱は現在ではアメリカに移民して漢方医になってるとか。
太田裕美『木綿のハンカチーフ』北京語版1と広東語版…陳秋霞「六月天」
『木綿のハンカチーフ』は1975年末から76年にかけての大ヒット曲ですが、香港では陳秋霞(チェルシア・チャン)が78年に広東語と北京語でカバー。同じ曲で広東語版と北京語版が作られ、香港の歌手が両方歌うことはよくありますが、たいてい作詞家は別でタイトルも内容もまったく異なることがほとんど。しかしこの曲の場合、タイトルはどちらも「六月天」で、歌詞の内容もほぼ同じ。六月の海辺で恋人とデートし、貝殻を拾う女の子の歌ですが、語呂の関係で広東語では♪大きな貝殻♪なのが、北京語では♪小さな貝殻♪になってたりします。で、陳秋霞は香港人なので前半の広東語版ではのびのび歌ってますが、後半の北京語版では硬くなってるのか声も1オクターブ上がってる?でもこういう歌は北京語の方が合いますねぇ。
塩まさる『九段の母』北京語版1…エルフィナ「春到人間」
エルフィナは1960年代末から90年代にかけて活躍したインドネシアの人気歌手ですが、70~80年代にシンガポールやマレーシアのレコード会社でも「愛慧娜」の名で活動し、インドネシア語やジャワ語の他に、中国語(北京語と福建語=台湾語)、マレー語、英語などでレコードを出していました。スラバヤ出身のカトリックで、中国系の人だと思いますが…。で、75年に歌った旧正月ソングの「春到人間」、春が来てかつて別れた彼氏を思い出すという内容の曲ですが、原曲(後半の映像)は1939年の『九段の母』。上京した母親が上野駅から靖国神社まで戦死した息子に会いに行くという当時の「愛国歌謡」でした。それが36年間の紆余曲折を経て、シンガポールでインドネシアの歌手が中国語で歌唱することになるのが、アジアの謎。
さだまさし『関白宣言』広東語版4…岑南羚「太太万歳」
さだまさしの『関白宣言』って1979年に発売された当時、かなり論争が起きて話題になったと思いますが、香港では翌80年にさっそく広東語カバーが出て、内容はオリジナルとほとんど一緒の「大男人主義(sm23061744)」=亭主関白が出てヒットしましたが、それより先に出たというのが「太太万歳」=奥さん万歳。でも歌ってた岑南羚もすっかり歌詞を忘れてしまったようで…。