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【Voicepeak 防長巡り】岩国市周東町の「川越地区」を行く!リニューアル版 〜獺越(おそごえ)三瀬川(さんぜがわ)他〜 岩国市周東町(川越地区)
日帰りで岩国市周東町へ1日の初見探検です。この地域は川上地区までしか行ったことがないので初めて。
国道2号線から県道5号周東美川線を行く予定が道を間違えてしまいまして、まずは蓮華山の麓にある谷津地区へ
内容
1玖珂町の谷津・比叡神社 2隕石発見石碑 3丹生河内神社(さんざん探してニノ鳥居まで・・スズメバチがきたあああ。残念うp主は再度刺されたらヤバいのです)3旭酒造 獺祭ストアの風景。
後半〜獺越 河内神社周辺 三瀬川の川越大神宮辺り 川上の鮎原劔神社へ
撮ったつもりが間違って削除したか・・三瀬川集落あたりの写真がない また行くつもり。
蛇漬渕とか三瀬川河内神社へ行き損ねておる。檜余地(ひよじ)地区もいってないです(八代に近いあたり400m越えの標高)東川(島田川系)、根笠川(錦川系)の源流地帯。
獺越(おそごえ)とは周北小学校のサイトによれば、昔々下の川上村でカワウソが人をよく馬鹿して里人が追いかけこの辺りまできたから獺越え・・と言われたという話もあるそうです。
元動画
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41354484
https://www.nicovideo.jp/watch/sm41332905
保存していた日帰り旅の二本を読み込み一本にまとめた。
元動画7:38と11;52→やや縮めたが18;27にまとめた。
音楽を大幅に変更させていただいて雰囲気を変えた。
Voicepeakの音声化。
比叡神社あたり、鮎原神社などは一部画像を元のスライド素材から撮影素材があるものは入れ替えた。多少順序も変えた。
OP、ED追加変更。
広告御礼♪
はに様
盤上のマジック/ニック 様
地を這うおさしみ 様
nopposan 様
nanashinogonbei 様
ゼルディア 様
龍休宗庵 様
Voicepeak防長路巡り 彼岸花と寺社詣と仲秋の名月 増補改訂版 秋の風景を探して
増補改訂版 仲秋の名月の日、日帰り山口県西部(岩国市周東町〜熊毛郡田布施町、柳井市)巡り
椙杜八幡宮〜大梅山 通化寺〜途中道に迷い・・多賀神社〜田布施川の河畔〜名合八幡宮 、名月(望遠写真)
初稿に田布施川河畔の写真を追加。
行程
岩国市周東町=椙杜八幡宮(元は国人領主 椙杜氏の氏神で後に高森宿の人々が再興した鎮守社)と彼岸花 ここは周防高森宿の高森の地名は通説ではこの神社のある泉山を指すとの由来だそうです。
通化寺=遊撃軍陣営跡 黄檗宗
田布施町大波野の飛地(周りは田布施、岩国、柳井に囲まれている)の多賀山にある 多賀神社
田布施川河畔=彼岸花
名合八幡宮=柳井市余田(よだ)の鎮守社 吉川公寄進の鳥居がある。租税完納塔が旧村役場建物側に立つ。
周東町は通化寺の後に中山ダムを抜け・・光の塩田方面へ行ったのが間違いの始まり。
途中からすごく狭い道で離合もやばいところを抜けた。
後で調べたら県道320号までは確認できたけど・・・途中山陽花の寺札所が1件あったね。
多賀山をおり柳井からまず田布施に移動、主目的の田布施川の彼岸花を見にいく。かなり終わりかけだが意外に見れた。
ここへ抜けようとしていつの間にか山の上へ行ったのよ。多賀神社は良かったけどね。
租税完納塔=国が建てた租税完納を完遂した余田村を顕彰した物であります。
広島県の秋の紅葉=安芸太田町2022 sm42995575
広告有難う御座います 感謝感謝であります ^^;人
龍休宗庵 様
赤城山登頂記念 様
Voicepeak防長路巡り【日帰り旅行祭2023】彼岸花詣〜【彼岸花と寺社参拝と名月と】初稿 山口県岩国市、柳井市、田布施町
仲秋の名月の日、日帰り山口県西部(岩国市周東町〜熊毛郡田布施町、柳井市) 巡り ダイジェスト
周東町は通化寺の後に中山ダムを抜け・・塩田方面へ行ったのが間違いの始まり。
途中からすごく狭い道で離合もやばいところを抜けた。
後で調べたら県道320号までは確認できたけど・・・途中山陽花の寺札所が1件あったね。
柳井からまず田布施に移動、実際は田布施川の彼岸花を見にいく。かなり終わりかけだが意外に見れた。
田布施川の様子を少し入れた増補版をあげた。。
ここへ抜けようとしていつの間にか山の上へ行ったのよ。多賀神社は良かったけどね。
字幕訂正 租税完納塔説明のなおし忘れ=国が建てた租税完納を完遂した余田村を顕彰した物であります。
天野重隆→天野隆重
名所紹介リスト
椙杜八幡宮(岩国市周東町下久原)=ここは周防高森宿の高森の地名は通説ではこの泉山を指すとの由来だそうです。
通化寺(岩国市周東町)=黄檗宗、阿川毛利家が再興した。遊撃隊陣営跡。
多賀神社(熊毛郡田布施町大波野 )=大波野の飛地地域にある多賀山の山頂にあり雰囲気が良い。
名合八幡宮と旧余田村役場と租税完納塔(柳井市余田)=余田の鎮守 吉川広徳公寄進の鳥居と社前に余田役場跡に租税完納塔がある
広告御礼申し上げます ^^;人 ありがとう☆ございます
no=name(ナナシ) さま
龍休宗庵 さま
♫voicepeak♫ 〜 御朱印祭 2023〜 りりせ&フリモメンと行く「 岩国、下松 花の神社巡り」斎宮神社・花岡八幡編
桜の開花にわせて急遽 参拝日帰り旅。御朱印はR4/1/4初詣のものであります。
EM1mark3のカメラテストしてきた。iPhone se2の写真で補完した。
動画はダメだけどSDカード今調たら写真ならまあまのがあったのでスライドでも作るかねえ。
公開予約するつもりがうっかりエンターしちまったミスった^^;
この後 大内氏の守護神妙見様 降松神社へも寄って帰りました。余力があれば桜の記録を上げたいがここも2022.1.7に御朱印をいただいている。一応ほぼできたので二十八日にあげます。下松参拝行完結。
斎宮(いつきぐう)神社=岩国市周東町西長野 国道2号線の北側の田園地帯に鎮座する古社。
大同二年創建 伊勢神宮・斎王の斎宮(いつきのみや/さいぐう)ゆかりの御社(この付近が荘園だったらしい)倭姫を祀る。今回は桜と参道入り口も見てきた。昔は椙杜八幡の摂社になっていたらしい。
花岡八幡宮
古社 花岡八幡宮 のある周防花岡は京都から下関へ至る旧山陽道に沿った、宿場町跡である。江戸時代は毛利藩の花岡宰判勘場(代官所)があり都濃郡の政庁が置かれた場所。
神社自体も今でもその社殿は相当な大きさをお誇りかつての栄えが偲ばれます。
かつては神仏習合の花岡八幡は九つの社坊を抱えた大寺院だったようです。
伝説では鎮座の時神託があり全山花に覆われたゆえ 花岡と称されたと伝わる。
和銅2年(709)創建で、周防国守の奈良東大寺大仏再建の重源上人の時代にも再建されている。
大内氏、陶氏、毛利と歴代領主に尊崇されてきた。現社殿は文化文政時代再建のようです。彫刻もよく社殿の規模もなかなか凄い。
豊臣秀吉も参詣に訪れたらしいですね。
華岳山 閼伽井(あかい)坊 (通称で花岡大師とも言われ)真言宗の寺院。閼伽井=仏や神へ供える水の井戸のことである。虚空蔵菩薩は近年建立された御本尊らしい。元々は観世音菩薩様かな。
閼伽井坊には重要文化財指定の美しい閼伽井坊塔婆=「多宝塔」が付属しているがこれは花岡八幡宮境内にある。室町時代の再建=御本尊は大日如来様。元は藤原鎌足が全国に建立した十六塔の一つと言われる。塔の映像は旧作動画の引用です。
名誉住職さんが名物和尚で昔KRYラジオなどでも出ていました。講演も聞いたことがある。
【御朱印祭2023】voicepeak りりせ&フリモメン ☆岩国市の八幡宮巡り★ 修正済み 山口県岩国市玖珂町/周東町
御朱印祭2023参加動画 玖珂町、周東町の八幡宮2社紹介
夏の神社の風景。初稿とは前半を別バージョン夏らしくスポット紹介もちょい追加。
久重山 旧県社 岩隈八幡宮(玖珂)= 御朱印あり 玖珂の鎮守 吉川広紀(ひろのり)公により
元禄時代に祖生岩隈山より玖珂山陽道沿いへ遷座した。 のちに祖生にも御社が再興された。
元々は三毛入野命を祀っていた熊毛宮と言われのち和銅7年八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
祖生・岩隈山の岩隈八幡宮sm41980145
泉山 旧郷社 椙杜八幡宮 = 御朱印あり
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。後に藩公交代に伴い藩内の問題から長府藩を辞し本流は絶えた。
〜椙杜社は 同じ題材ながら1分弱登山祭とは編集などを変え神社動画として再編しています。
掲載映像の参拝時期と御朱印拝受時期は異なります。映像はできるだけ新しいいものを使用しています。
付近おすすめスポットは、ドライブイン山賊なので映像を追加しました。
滝もあるし和風な感じで面白いとことろ。撮影2022夏と2023年3月
立ち絵はVoicepeak公式のものをお借りしています
voicepeak りりせ&フリモメン 岩国市の古い神社巡り〜二つの八幡宮〜 初稿 岩国市玖珂町/周東町
初稿 別に7月の午後の夏の絵を中心に今御朱印祭用に再度編集してるのでそれまで公開にしておく・・これは没にして差し替えるかな。いくつか入れてないものもあるしポカもあるよね。
完成したので明日上げます。修正期限に間に合わなかったぜ・・・
玖珂町、周東町の神社2社紹介 ナレーション重複あり^^;
久重山 岩隈八幡宮(玖珂)= 御朱印あり
玖珂の鎮守=祖生の岩隈八幡宮〜吉川公により元禄時代に遷座した。
のちに祖生にも御社が再興された。sm41980145
元々は三毛入野命を祀っていた熊毛宮と言われのち和銅7年八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
泉山 椙杜八幡宮 = 御朱印あり
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。後に藩公交代に伴い藩内の問題から長府藩を辞し本流は絶えた。
〜椙杜社は 同じ題材ながら登山祭とは編集などを変え神社動画として再編しています。
掲載映像の参拝時期と御朱印拝受時期は異なります。
どうしても尺の関係で入れてませんが付近おすすめスポットは、ドライブイン山賊ですね
滝もあるし和風な感じで面白いとことろ。
立ち絵はVoicepeak公式のものをお借りしています
【voicepeak】古の伊勢斎王ゆかりの「斎宮(いつきぐう)神社」と可愛い天井絵 山口県岩国市周東町西長野
斎宮(いつきぐう)神社=岩国市周東町西長野 国道2号線の北側の田園地帯に鎮座する古社。
大同二年創建 伊勢神宮・斎王の斎宮(いつきのみや/さいぐう)ゆかりの御社で(この付近が荘園だったらしい)倭姫を祭神として祀る。 令和四年 晩秋
幾多の戦乱で衰微しながら現在まで継承されてきたようです。
山口県神社誌によれば昔は椙杜八幡宮の摂社でのち独立した神社となったようです。
拝殿の天井絵がなかなかいい。本殿も良きかな。
先日動画作成にあたりGooglemapを見てみると締め柱と狛犬が西国街道沿い(県道144号)島田川の近く辺りにあり、まっすぐ神社へ参道が伸びているようです。
ただ現代は岩徳線と国道2号線が途中横切る・・。続編 sm42075344
2024.5再訪 お掃除されていました氏子のおばさんとお話ししましたら色々教えていただけました。
現在宮司さんは玖珂天神の宮司さんで、川上妙見宮と斎宮さんを管轄されてるとのこと。
祭も昔は賑わい神輿が練り歩いたそうですが今は担い手がいない為にお祭りも小規模になったそうです。
☆広告大変 恐れ入ります^^;人 感謝感謝です。
参考
斎宮=斎王の御所並びに事務方の斎宮寮から構成された。
斎王=伊勢神宮の伊勢狼に奉仕する(皇族の親王、女王が任命された)古代から後醍醐帝の頃1330年代まで続いた。
総勢60余人がこの斎王を務めた。
☆由緒書及び斎宮博物館サイトの解説参照
広告感謝感謝であります ^^;人
歴史好きな人様
蒔田様
龍休宗庵様
1分弱登山祭2023f(Voicepeak)りりせ&フリモメンと行く♫ 神社登拝「八幡様の鎮まる・岩隈山と泉山」 岩国市周東町
1分弱登山祭2023f 〜 登山外伝かな。少しの登山と神社と神社にまつわる歴史解説動画です。
長い石段はいいぞ!
広告恐れ入ります^^;人 感謝感謝であります。
岩隈山=岩隈八幡宮
元々は三毛入野命を祀っていたと言われのち八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の賀茂神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
江戸時代に吉川公により、玖珂の久重山麓へ遷座したが、祖生で災害など続き領民の願いで
旧社地へ社殿再建し玖珂の岩隈八幡から祖生へ再勧請した。
現在の社殿は明治初め再建らしく吉川公が資材を寄進しているそうです。
泉山=椙杜八幡宮 御朱印あり(石段下に社務所あり)
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所〜訴訟裁判事務所管=初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。
戦国末期以降〜大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。後に長府藩家老へ移転する。
もし間にえば(元気があれば)旧山陽道を柱野から玖珂辺りまで踏破したいが・・夢かもね^^
神社編【岩国市周東町の山間】「川越地区」を行く!(2)〜獺越(おそごえ)三瀬川(さんぜがわ)〜 山口県探検 岩国市周東町(川越地区)
サムネ=鮎原妙見宮。日帰りで岩国市周東町へ半日ほどの初見探検です。この地域は川上地区までしか行ったことがないので初めて。傍示峠は獺越と三瀬川の境のようです。
1.川越地区の公民館近くの 獺越(おそごえ)河内神社
河内(こうち)神社 川越 地域おこし隊の過去記事によると川越地区の神社の多くが保守整備がほとんどにされていない模様。三瀬川河内神社は整備、祭りも続けているそうです次回は行きたい。
2.川越大神宮(いわゆるお伊勢さんですね^^)
由緒=岩國物の怪地図研究会さまにご教示受けました。感謝です^^;人
天照大神 豊受大神など十柱を祀る神社です。近くに毛利の家臣 井上豊後守 就正の墓所がある.道路脇に案内板あり(山の方なので行かず)武功をあげ、また周防4郡の段銭奉行を務めた。
3.県道を高森方面へ降りてきて〜 川上地区 鮎原劔神社(旧 鮎原妙見宮)
元は仏教の聖が祀ったという妙見さまが始まり。蓮華山山頂から鮎原の地に遷座した。
社殿奥に奥社あり。妙見さまですから=妙見大菩薩や四天王、毘沙門などを祀っていたらしいですね。劔社はやはり経津主命だったのだろうか?
県道5号へ入ると獺越地区〜三瀬川地区まで行きました。初めてなんで見落とし、いけなかったところもあると思います。
→雨乞い伝説の蛇漬渕とか三瀬川の河内神社(整備され、毎年 祭りが行われているそうです)へ行き損ねておる。檜余地(ひよじ)地区もいってないです〜八代に近いあたりらしい400m越えの標高。
川越は東川(島田川系)、根笠川(錦川系)の源流地帯。
獺越(おそごえ)とは周北小学校のサイトによれば、昔々下の川上村でカワウソが人をよく馬鹿して里人を追いかけこの辺りまできたから獺越え・・と言われたという話もあるそうです。
3度目の上書き完了。やれやれ
獺祭〜千年杉【岩国市周東町の山間】「川越地区」を行く!(1)〜獺越(おそごえ)三瀬川(さんぜがわ)〜 山口県探検 岩国市周東町(川越地区)
日帰りで岩国市周東町へ半日ほどの初見探検です。この地域は川上地区までしか行ったことがないので初めて。国道2号線から県道5号周東美川線を行く予定が道を間違えてしまいまして、まずは蓮華山の麓にある谷津地区へ
県道5号へ入ると獺越地区〜三瀬川地区まで行きました。初めてなんで見落とし、いけなかったところもあると思います。
その1の内容
1玖珂町の谷津・比叡神社 2隕石発見石碑 3丹生河内神社(さんざん探してニノ鳥居まで・・スズメバチがきたあああ。残念)3旭酒造 獺祭ストアの風景。
その2の予定 獺越 河内神社周辺 三瀬川の川越大神宮辺り 川上の鮎原劔神社へ
撮ったつもりが間違って削除したか・・集落あたりの写真がない また行くつもり。
蛇漬渕とか三瀬川 河内神社へ行き損ねておる。檜余地(ひよじ)地区もいってないです(八代に近いあたりらしい400m越えの標高)東川(島田川系)、根笠川(錦川系)の源流地帯。
獺越(おそごえ)とは周北小学校のサイトによれば、昔々下の川上村でカワウソが人をよく馬鹿して里人が追いかけこの辺りまできたから獺越え・・と言われたという話もあるそうです。
【長距離バイク車載6】国道2号線 その6(岩国~大竹)【2国#06】
小腹を満たして、収録再開です。
ADV150に乗って、2日間かけて、国道2号などを走破してみました。
1日目は、国道2号を終点(福岡県北九州市門司区)から、明神町交差点(広島県福山市)まで走ってみました。
今回は、岩国市周東町のローソンから、大竹市のローソンまでとなります。
2022年2月収録
走行区間:山口県岩国市~広島県大竹市
その1:sm40825571
前:sm40966852
次:sm41039942
近況報告
Twitter:@diamor28jp
livedoor Blog:http://diamor28.livedoor.blog/
※コメント返しは、「livedoor Blog」で行っています。
投稿した動画
全体:user/28155155
車載動画2:mylist/71363976
国道2号専用マイリスト:mylist/73151273
【長距離バイク車載6】国道2号線 その5(周南~岩国)【2国#05】
そろそろ、お腹が減りそうです。朝食は、早朝4時半に食べたからです。
ADV150に乗って、2日間かけて、国道2号などを走破してみました。
1日目は、国道2号を終点(福岡県北九州市門司区)から、明神町交差点(広島県福山市)まで走ってみました。
今回は、三田川交差点から、岩国市周東町のローソンまでとなります。
2022年2月収録
走行区間:山口県周南市~山口県岩国市
その1:sm40825571
前:sm40934250
次:sm41002564
近況報告
Twitter:@diamor28jp
livedoor Blog:http://diamor28.livedoor.blog/
※コメント返しは、「livedoor Blog」で行っています。
投稿した動画
全体:user/28155155
車載動画2:mylist/71363976
国道2号専用マイリスト:mylist/73151273
高照寺山麓 祖生(そお)新宮神社、長寶寺(創建1200年)岩国市周東町祖生(旧玖珂郡周東町)
一分弱登山動画祭であげた氷室ヶ岳の関連として山向こうの祖生(そお)を散策します。
山口県の東部の周防(すおう)旧玖珂郡を廻りました。
この日の行程〜まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどりました(これは毎回定番コースです)新宮神社、長寶寺を回り〜この後先に動画をうpした藤生の松巖院へ行きました。動画は新宮神社から〜
新宮神社」
岩国市周東町 祖生(そお)にある古社。社殿の姿が大変いいです^^
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。
かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうでその関係で大内氏の名により源宗光が厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。
江戸時代は吉川氏の祈願所だった。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
洪福山 長寶寺(ちょうほうじ) 観音霊場の 創建1200年は経つと思われるの古刹
行基菩薩が行脚中に高照山中の高所に補陀落に似た場所を見つけ観音菩薩像を彫り祀ったことから
始まった縁起がある。創建時は密教寺院で大同年間の記録などもあるようです〜1338年普明国師により臨済宗に変わり中興されたが江戸時代古い伽藍を焼失したのち現在地へ寺院を降ろしたということです。
山門をくぐると大変見晴らしのいい境内があり本堂がある。
一段高い場所に観音堂があり、十一面観音菩薩を祀る。
周防三十三ヶ所観音霊場二番。この霊場は大内弘世が勧請した霊場で古いものである。
霊場のHPによれば観音菩薩像は見た感じから藤原期(平安時代)の作ではないかとの記述もあった。
33年毎開帳の秘仏で明治以後は7年ごとにのみ開帳されています。
周防33ヶ所観音霊場、長寶寺サイト参照。
修正機能試してみた いいね^^
幕末岩國三士 陽明学者「東沢瀉(ひがし たくしゃ) 記念館 」と終焉の地 保存用として
岩国の吉田松陰という感じの人物。いくつか画像を差し替えた。基本同じよ。
幕末岩國三士 陽明学者「東沢瀉(たくしゃ) 記念館 」 山口県岩国市保津保津の住宅街
海岸近くJR線路側にある。流罪(先生曰く流刑地で学問が一番進んだという)
栗栖天山(同じく流刑)=島を島抜け(脱出)し東沢瀉先生を救出する手立てを練るうち周りの理解を得られず漢詩1編を残し自刃。
南部五竹=尊王攘夷派。東、栗栖らと深く交流した。藩政改革の同志で流刑中の東先生救出のため奔走、毛利本藩の有力諸隊 奇兵隊などと連携しようとして失敗し捕縛され刑死。
赦免後その徳をしたい人が教えを聞きに集まり塾ができたという。
横の山が図面にある沢瀉山と思われる。その号=元は白沙〜明治以後 沢瀉(たくしゃ)
沢瀉塾記念の建物だけで展示などはない。なかなか概略を読むと大した先生ですよ。
終焉の地=通津 ここへ行くには国道を岩国方面から通津に入り国道188号〜名水桜井戸方面への表示を入る〜線路〜鉾八幡〜桜井戸〜通津川(橋ね)渡ると県道115号〜橋のところの馬頭観音?のところから蓮田の道へ入れるみたいですな。左へ行くと路傍の延命地蔵のところから蓮田を抜けていく。
何度か来てる通津のイヌマキ巨樹のすぐ近くでした。
県道を進めば高照寺山麓を通り周東町祖生方面へ出る。険道ぽい。
長宝寺へ行った時に祖生から少し走ったけど。
気になるところをいくつか修正しただけ。
東沢瀉先生事歴〜wiki東沢瀉記事、岩国市観光サイト、現地解説など参照
東沢瀉の画像=国会図書館公開資料 東沢瀉全集より(保護期間満了)
1分弱登山祭2022 柳井市伊陸〜氷室ヶ岳山行 詳細版
編集し直して山麓の氷室ヶ岳 関連周辺情報も追加した。
柳井市の内陸の田園が広がる伊陸(いかち)地域。かつての信仰の山=周防富士と呼ばれる氷室ヶ岳の山行再編集版。
2度の遷座にて現在山麓にある氷室亀山神社が氷室大権現として祀られていた山。
氷室ヶ岳8合目堂屋敷あたりに昔はあったが、その後大元という場所へ降ろされさらに1500年代くらいに氷室池があった現在地に遷座。氷室池(遷座の後しばらくして埋められてない)
現在山頂には小さな祠が3ヶ所存在した(祭神は不明)昔に行った時は周りの木は伸びていませんでした。
今は静かな田園地帯の神社。昔は伊陸、祖生地区(山の北側)で氷室大権現として信仰を集めたらしい。先日、廿日市市の上勝成山で周南からの登山Gの方が氷室ヶ岳は山道もあるとの事でした(YAMAPあたりで調べてみなさいと聞いた)林道だと膝なんかには優しいけどね。
確認できた山=大星山、皇座山、高照寺山、大島の嵩(だけ)山、大将軍山、銭壺山、などなど(後は名前が?)岩國市方面の海も見えますね。
ルートは以前読んだ中島篤実先生の山口県百名山を参考にした。本がしかしどこかへしまって見つかんないんだよな。山の歴史も詳しく書いてあるんだが。道中林道ゆえ長いが森林浴はできました。
今日5/25 山の北側の里岩国市周東町 祖生へ行きまして裏側から里の新宮 神社から氷室ヶ岳見てみました.見事な姿でした^^ほぼ車でしたけど=サムネ。
これもまた神社動画だけど作ります。
音楽 ニコニ・コモンズより
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
作者名:のる 様
【小行司〜こぎょうじ〜】多賀山海抜330m〜多賀神社 山口県熊毛郡 田布施町大波野の飛地 1分弱登山祭用 再編集版
スマホで作った動画を圧縮して編集し直しました。
小行司は、熊毛郡田布施町大波野の飛地で周囲は光市、柳井市、岩国市に囲まれた場所。
多賀山330m山頂にはこの山の核心である多賀神社が、鎮座しており信仰の山である。
昔 多賀大社を勧請したもので、イザナミ、イザナギの大神を祀る
山頂の石段のところからはからは展望もよく熊毛半島や周防灘の海も望まれる。
県道138号線沿いに登山口がある。柳井市伊陸〜しばらく西に走り途中岩国市周東町田尻あたりから138号へ入る。山中の力士小桜碑(地元相撲の力士で指圧で助けて人々に慕われた人)、郷江集会所が目印である。広いところへ駐車して少し歩くと多賀神社の小さい道標がありここから登山口。
もう1ヶ所はここからしばらく走りますと峠に多賀神社の表示があり参拝用林道からのルートもある。車で入れます。別に黒杭から林道?もあるみたい。
多賀神社のある山頂の雰囲気は大変よろしいです。山桃の神木や木漏れ日、森が私はいいと思います。南側の眺めも良い。空気が澄む季節にのぼりたいもんだなと。
最後の写真=霊峰 石城(いわき)山 延喜式内社 石城神社がある。
HDに使わなかった登山動画データーがあったので圧縮版にした。これは今年最初に再開した山歩きでした。動画祭もあるし再訪したかったがかなわずでした。
1分弱登山祭2022 柳井市伊陸〜氷室ヶ岳山行(氷室大権現の山)
初参加です!よろしく。柳井市の内陸の田園が広がる伊陸(いかち)地域。かつての信仰の山=周防富士と呼ばれる氷室ヶ岳の山行本編。
2度の遷座にて現在山麓にある氷室亀山神社が氷室大権現として祀られていた山。
氷室ヶ岳8合目堂屋敷あたりに昔はあったが、その後大元という場所へ降ろされさらに1500年代くらいに氷室池があった現在地に遷座。氷室池(遷座の後しばらくして埋められてない)
山頂には小さな祠が3ヶ所存在した(祭神は不明)昔に行った時は周りの木は伸びていませんでした。
今は静かな田園地帯の神社。昔は伊陸、祖生地区(山の北側)で氷室大権現として信仰を集めたらしい。先日、廿日市市の上勝成山で周南からの登山Gの方が氷室ヶ岳は山道もあるとの事でした(YAMAPあたりで調べてみなさいと聞いた)
手持ちのガイドには林道利用しか記載がなかった。林道だと膝なんかには優しいけどね。
確認できた山=大星山、皇座山、高照寺山、大島の嵩(だけ)山、大将軍山、銭壺山、などなど(後は名前が?)岩國市方面の海も見えますね。
ルートは中島篤実先生の山口県百名山を参考にした。本がしかしどこかへしまって見つかんないんだよな。山の歴史も詳しく書いてあるんだが。道中林道ゆえ長いが森林浴はできました。
後で一応 周辺情報なども記録用に詳しいやつ上げます。
今日5/25 山の北側の里岩国市周東町 祖生へ行きまして裏側から里の新宮社と高照山中にある長寶寺から氷室ヶ岳見てみました.見事な姿でした^^ほぼ車でしたけど
氷室山を挟んで 伊陸と祖生はともに穀倉地帯で米所として知られる場所である。
音楽 ニコニ・コモンズより
mountain breeze~爽やか&軽快なピアノソロ~
作者名:のる 様
のるさんの曲は最高ですね いいですわ
*みなさま広告恐れ入ります ^^;
【小行司〜こぎょうじ〜】多賀山海抜330mに鎮座「多賀神社」 山口県熊毛郡 田布施町大波野の飛地
神社編・多賀山330m山頂には多賀神社が、鎮座しており信仰の山である。昔 多賀大社を勧請したもので、イザナミ、イザナギの大神を祀る
小行司は、熊毛郡田布施町大波野の飛地で周囲は光市、柳井市、岩国市に囲まれた場所。
山頂の石段のところからはからは展望もよく熊毛半島や周防灘の海も望まれる。
一つ謎が神殿の真下にミニチュアな小さいオヤシロがあるんですが北?の方を向いています。云われ不明です。
田布施のHPに毎月20日が祭礼だとか書いてありましたが行けたら聞いてみようかのう。
アクセス
県道138号線沿いに登山口がある。
柳井市伊陸〜しばらく西に走り途中岩国市周東町田尻あたりから138号へ入る。山中の力士小桜碑、郷江集会所が目印である。広いところへ駐車して県道を少し歩くと多賀神社の小さい道標がありここから登山口。
もう1ヶ所はここからしばらく走りますと峠に多賀神社の表示があり参拝用林道からのルートもある。車で入れます。地図で見たら別に黒杭から林道?もあるみたい。
多賀神社のある山頂の雰囲気は大変よろしいです。山桃の神木や木漏れ日、森が私はいいと思います。南側の眺めも良い。今年2回目。
境内がいいんですよ。雰囲気が清々しい聖域の感じがします。木漏れ日のさす晴れた日に行ってほしいですね。地面は箒の掃きめがあって踏むのが申し訳ない感じ。
登りとか特に縦揺れしちゃんうんだよね スタビライザーいいけどチャイナ製のいろんなソフト入れるの好きじゃないんだよなぁ。
頑張って編集した。動画部分の素材がイマイチなのは反省です。車で行った時の前回の写真消しちまったからなあ。タイトルがズレてた ミスがw このまま行きます^^
【小行司〜こぎょうじ〜の里山】 多賀神社が鎮座 海抜330m「多賀山」登山記 山口県熊毛郡 田布施町大波野の飛地
小行司は、田布施町大波野の飛地で周囲は光市、柳井市、岩国市に囲まれた場所。
多賀山には多賀神社が、鎮座しており信仰の山である。
昔 多賀大社を勧請したもので、イザナミ、イザナギの大神を祀る
山頂の石段のところからはからは展望もよく熊毛半島や周防灘の海も望まれる。
県道138号線沿いに登山口がある。柳井市伊陸〜しばらく西に走り途中岩国市周東町田尻あたりから138号へ入る。山中の力士小桜碑、郷江集会所が目印である。広いところへ駐車して少し歩くと多賀神社の小さい道標がありここから登山口。
もう1ヶ所はここからしばらく走りますと多賀神社の表示があり参拝用林道からのルートもある。車で入れます。別に黒杭から林道?もあるみたい。
多賀神社のある山頂の雰囲気は大変よろしいです。南側の眺めも良い。今年2回目。
小桜碑=昔の力士で、あんまツボ押しなどを施して郷土の人々に奉仕されたそうです その恩を石碑にしたものだそうです。
いいでしょ?境内がいいんですよ。雰囲気が聖域の感じがします。木漏れ日のさす晴れた日に行ってほしいですね。
神社編作成中。
岩国市 通化寺!
岩国市にある通化寺に行ってきました(^o^)
戦国武将のお墓参り→series/238035
偉人に会いに行く→series/210538
歴史探訪など巡り→series/256690
うま娘プリティーダービーseries/262381
とある日常→series/228088
色々八十八ヶ所巡礼→series/305597
フリーBGM・音楽素材 H/MIX GALLERY
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【山口県の古社】周防高森 椙杜(すぎのもり)八幡宮 R3 岩国市周東町下久原
椙杜(すぎのもり)八幡宮(小高い泉山の上に鎮座)
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の北側を通る)である。神社の正面入口は旧山陽道沿い。
歴史〜創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人 太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘(すぎのもりしょう)を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。戦国末期以降大内滅亡毛利へ帰順する.毛利防長侵攻に伴い杉氏との鞍掛合戦を経て玖珂郡を掌握するに至る。毛利の時代に世継ぎが無く毛利重臣 志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。
江戸初期 椙杜氏は、長府藩家老として移封されたため玖珂を離れた。八幡宮は奉斎者を欠き衰微甚だしく・・後に玖珂郡・高森宿の人々により社殿を再興されたという歴史があるそうです。このあたりの歴史は古道一人旅さんHP、wikiを参照しました。
この八幡宮に豊臣秀吉が九州へ向かう途中に一夜の陣を張り参拝したこともあったそうです。
この近くのおすすめのお宮
岩隈八幡宮(玖珂の2号線沿いにある 吉川公が遷座させた玖珂総鎮守)
岩隈八幡宮(周東町祖生の鎮守)、比叡神社(玖珂の谷津にある1000年杉がある、石段がここもすごい)、鮎原剣神社(玖珂の川上にある旧妙見様、境内へ入るところの石の太鼓橋が見事ここも石段がすごい)
音楽 のる様作(ニコニコモンズ) 雫 ~優しく穏やか メロディックなピアノソロ~
忘却の都~ノスタルジックなBGM~
【山口県ドライブスポット】いろり山賊の風景と山賊の滝(滝を観に行きました^^) 山口県岩国市玖珂町
今回は山賊の滝がメインです^^; 〜民芸調の建物、骨董品、道具類、古い調度品や風景で知られるドライブインレストラン山賊。
昭和の時代 いろり山賊から始まり、現在玖珂店内には三店舗があり いろり山賊、竈門、桃李庵などがある。
自然に囲まれており「滝」(お店のおばさまにお聞きしたら人工の滝)や池、石仏や神社など色々あり日本風景に溢れた場所。
今回は帰路 欽明路バイパスを通らず R2を回り実はここ山賊の庭にある滝を見に来ました^^よかったですよ。
山賊=玖珂町、錦町(R187 六日市との境辺り)、周東町(国道2号沿い)の三箇所に山賊があります。
玖珂(岩隈、椙杜神社の帰り)からの帰りで急いでいたので大きな「山賊むすび」を持ち帰りした。
令和三年新春 玖珂 岩隈八幡宮〜岩国城下 吉香神社、白山比咩神社 <岩国市内 三社 巡拝>
正月2日。玖珂総鎮守「岩隈八幡宮」、岩國城下 吉香公園の「吉香神社」、「白山比咩神社」を回った。youtubeのコメントいただいた視聴者さんのおすすめで柳井市の周防安国寺跡の「高山寺」へ行った、帰り道に神社へ巡拝。岩国の神社へ2年ぶりの初詣である。
岩隈八幡宮=元は周東町祖生にあった古社。旧社格 県社玖珂の総鎮守。江戸時代西国街道沿いに遷座。数年ぶりに新たに神主さんが赴任されていました。社務所も開設されています。御朱印もいただけるそうです。
吉香神社=江戸時代建立された 岩国歴代領主を祀る神社。社殿は国重要文化財。社殿の姿がいいです。
白山比咩神社=この辺りで一番古い古社。加賀の白山神社を勧請したもの。昔は大内氏の建立した大寺だった永興寺(規模縮小しているが現存)の鎮守ともされたらしい。現社殿は明治時代再建。城山を背負った社殿の姿はいいですね。
御朱印もいただけます(吉香神社の御朱印もこちらで授与されています・今回は吉香神社をいただいた^^)
吉香公園の神社は年に数回はお参りします四季折々いいです 観光に来られたらお参りください。
また、紅葉谷には吉川氏や大内氏ゆかりの御寺があります。
岩国の神社巡り〜延喜式内社論社 岩隈八幡宮(令和二年春)岩国市玖珂(久重山)
岩隈八幡宮(旧玖珂の総鎮守)〜元来は熊毛大神を祀っていたと云われる。
和銅七年(714年)宇佐八幡宮より勧請、初め下祖生にあったものを元禄四年(1691年)参勤交代の大名の参詣に便利な様に吉川広紀 (ひろのり)公により遷座された。
玖珂の三市をはじめとして、近郷53ヶ村の 総氏神であった(山口県歴史散歩より)
情報がないので詳細は不明だが、社殿はおそらく古いものを移築したものではないかと思われる。
その後、下祖生(現岩国市周東町)に災害が続くので元の岩隈山に神社は再勧請されて居ます。動画あり。
延喜式内社熊毛神社論社(元は下祖生なのでまあそちらが本来の論社でしょうね)ただ熊毛郡から延喜式神名帳の時代には玖珂郡は分離していたらしいっす。相当な古社は間違いない。
国道から入口が狭いので一昨年まで参拝を躊躇っていました。狭いの入り口だけで車でも入れます中は広い駐車場あり。残念ながら宮司さんは今は居られないので、高森の椙杜八幡宮で祭祀をされていますからそちらで希望なら御朱印はいただけます。
国道437号線が岩徳線をくぐり国道2号線と合流する辺り〜国道2号線の脇に参道への入口がある(古い狛犬がある)入り口が狭いが車で入れる。わずか山の方へ入ると駐車場あり、さらに拝殿下広場へも入れるが道が狭い。令和三年初詣に行きましたら宮司さんが新たに就任されていました^^
まあ山なので静かで雰囲気はいいです。杉などの大きな木もあったりします。社殿が大きくて見事。 境内者宗本神社の石鳥居からの眺めがいいですね。
防長路巡り https://www.nicovideo.jp/series/19894?ref=user_series
防長あれこれ <国指定天然記念物>根笠岩屋観音窟(石仏化した木造観音坐像) 岩国市美川町根笠 修正版
国指定の天然記念物の岩屋観音、大水車「でかまるくん」がその下に作られている。
山深い根笠川を遡り、県道5号線沿いにある(この道を走っていくと獺祭の蔵元のある周東町方面へ抜けるらしい)相当な山奥な感じの場所。少し手前に鉱山跡を利用した美川ムーバレーがありここは人が結構いる。
歴史は古く伝承では弘法大師がこの地へ錫杖を留めたとき木造観音を彫り出したと言われており、その観音像を岩屋の岩窟に安置した。その後長い年月で小さな鍾乳洞の岩窟からしたたる鍾乳石の滴が作用して石像となり今も信仰を集める観音様として祀られている。お酒を供えてあり参詣や祈願の方も多いんだろうなと思う。
石仏として彫ったとしか見えない御姿は大変端正であります。
岩窟前では冷気が流れ出ていました、涼しい。
寺は毛利綱広公がこの奇跡的な木造石仏の存在を知り山中にあった寺を移築して護聖寺として曹洞宗の寺を建立毛利藩の祈願所として保護したことから今に至る。
自然豊かな相当山深いところである。川、山。緑、水車、トンボなどが多いですね。
参道は急な石段なので注意ですよろけましたw 脇に緩やかな道もついてるみたいです。
紅葉の頃もう一回行きたいな
参道の石段の小さな仁王様が長い年月でケース入りなんだけど朽ちてきているのがややこわいw
水車は相当な大きさで直径12mまあ珍しいです近くなら涼みがてら行ってもも良いかも、涼しそう。今は寂れているみたいですが。
境内までの参道場面は撮らなかったんで前回訪問時のものを使ってます
基本前とほぼ一緒です 字幕や画像の一部を微修正
お盆明けの8月昼過ぎに 再訪
岩国市錦町宇佐にある「寂地峡」と滝=sm37527628
防長あれこれ〜山口県天然記念物 通津のイヌマキの巨樹 岩国市通津
山口県天然記念物 通津のイヌマキの巨樹 岩国市通津にある。通津川の側にある蓮田の中に鎮座する大歳神社の小さい御社の傍にある。御社より大きいので木を目印に行けばわかりやすい。木に巻きついたノウゼンカズラがなかな太い。
イヌマキ=マキ科マキ属の高木針葉樹
樹齢四百年だそうです(昔の説明では三百五十年ですが新しい看板では四百年と記載されています)天然記念物指定から相当年月経ってますからねぇw
日帰りで山口県岩国市由宇町の榊八幡宮(吉川氏の守護神 駿河八幡宮を合祀してある)へ行った帰りにふと思い立ち立ち寄る。
二回目。途中、男山へ八幡神が勧請される途上帰港した時、御宣託でこの地へも奉斎されることとなり鉾が授けられたという鉾八幡もよりましたこれはまたいずれ。
県道115号通津周東町線の路傍にある。国道188号を名水桜井戸への看板から入り鉾八幡宮横を抜け桜井戸を過ぎ115号を進むと川に出るので左折して少しさかのぼればある。
周防旧玖珂郡の古社 岩隈八幡宮、椙杜八幡宮参拝 (岩国市玖珂町、周東町)
玖珂・岩隈八幡宮(いわくまはちまんぐう)玖珂六郷総鎮守 旧県社
元玖珂郡 下祖生にあった神社(延喜式内社熊毛神社論社)もとは三毛入野命などを祀っていたものですが和銅四年八幡神を勧請したといわれる。
江戸時代1691年(元禄四年)に玖珂の久重山麓へ遷座した。岩国領主吉川広紀公(ひろのり)の頃のこと。山の中の神社だが国道二号線から車で入れるので便利(岩国から欽明で玖珂に入って入口に石柱と狛犬がある)鳥居の奥に1箇所、狭いが拝殿下にも駐車できます。
高い木々の茂る山中なので参拝は晴れた日や明るい時間帯の方がいいかなと思います
現在は宮司さんが新に赴任されました。
本殿は一段高いところにあり 朱に塗られていてなかなか見事なものです。
春先に行き今回再訪しました。いいお天気でよかった。銀杏のみがボトボト落ちていたので秋の気配も。元の下祖生の岩隈山には後に再度勧請して再建された岩隈八幡があります。
椙杜(すぎのもり)八幡宮(小高い泉山の上に鎮座)
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の裏を通る)である。
創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。戦国末期以降毛利時代に世継ぎが無く毛利重臣志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。
江戸初期椙杜氏は、長府藩家老として移封されたため八幡宮は奉斎者を欠き衰微甚だしく・・後に 玖珂郡・高森宿の人々により社殿を再興されたという歴史があるそうです。このあたりの 歴史は街道一人旅さんHP参照。
泉山の樹林は林野庁の自然記念物に指定されている。年月が経ち拝殿など相当年季が入っています。
拝殿に絵馬があり風化しているものもあったりお神輿が眠っていました。
泉山の石段が長く高いのがなんともいいですw
10月また参拝してようやく岩隈と椙森八幡神社の御朱印いただいてきました。
歴史的なわからないことは古道一人旅さんのHPで知りました。詳しいですよ^^
史跡「遊撃隊陣営」跡 大梅山通化寺(黄檗宗) 岩国市周東町上久原西午王ノ内
大梅山通化寺(つうけいじ)は寺伝によれば 大同二年(807年)弘法大師創建とされる真言宗寺院でしたが、後年 曹洞宗に変わるが衰退した。
境内に阿川毛利氏の祖である吉川元春次男の繁沢元氏(玖珂郡午王ノ内他に領す)の墓所があり
二代元景のとき毛利輝元は毛利姓に復させ長門の国豊浦郡の阿川、滝部などへ領地替えとなるが午王ノ内など一部所領は残る。
阿川毛利三代の毛利宮内少輔就方(くないしょうゆなりかた)は 京都萬福寺より高僧を招き黄檗宗に 改め寺院を再興す。この辺の事情は古道ひとり旅さんのHPを参照させてにさせていただきました。
幕末 高杉晋作の奇兵隊に触発され、来島又兵衛が創設した諸隊「遊撃隊(軍)」がここ通化寺に駐屯し陣営になっていました。資料館に遺品や高杉晋作の詩草稿などあるそうです(未見)
また庫裡の横に伝雪舟築庭の石庭が残る。
岸信介決起顕彰碑と云うのもありました(公職追放の岸さんが巣鴨のムショから出所しこの地で再決起の声を上げた記念碑)漢詩の石碑です。揮毫された石碑がありますけど、安倍総理も岸さんの決起や維新の志士を見習って国益になるよう働いて欲しかったですが残念。結局デフレは抜け出せず国益も守れず地方も国も衰退するのだろう。高杉晋作に喝されちゃいますよね。
寺は一時は無住職の状態が続いたそうですが現在は本山からご住職が赴任されている模様。本堂もかなり痛み、名勝の庭もそうとう荒れている。建物自体は木造ではありませんね。
禁門の変で先鋒突撃したのが遊撃軍だそうですな その後再編され遊撃隊となり長州征伐(四境の役)での戦闘〜元治の乱(功山寺挙兵以後の内乱)〜戊辰戦役と転戦活躍したが維新後に体制が変わり冷遇を嘆き諸隊の反乱に200名以上が参加して崩壊していく反乱もなんとか鎮圧されて終わる。
境内を見ても遊撃隊顕彰はさすが山口という感じです。郷土の英雄なんだろうね。
四境の役ではまあ筆者の故郷 藝州藩は国境近くの玖波宿や廿日市宿などが長州藩に焼き討ちされた方で革命戦争とはいえやや複雑な気持ちですな。
八十八箇所めぐりも弘法大師開基だからでしょうか。金毘羅さんや双鶴岩なんてのもあるらしいので行ってみたい気はしますが道はどうなんでしょうか不安。
秋に紅葉したらまたのぞいてみたいですが・・いまだ再訪できず。
幕末関連〜 長州藩 勤皇僧 月性和尚の寺 sm38735846
周防國 旧玖珂郡 「祖生新宮神社、伊陸 高山寺、氷室亀山神社」日帰り参拝の旅
山口県の西 周防(すおう)の旧玖珂郡 を廻りました。周防西部シリーズ
まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどる。
新緑なので旧道を少し車載してます。
「新宮神社」岩国市周東町 祖生(そお)にある古社
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうで その関係で厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。社殿奥は木の伐採や土砂が積んであり工事中のようでした。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
伊陸(いかち)は、柳井市の山間部にある集落 祖生と氷室ケ岳を隔てて南側に位置する地域
「高山寺」足利尊氏直義兄弟が各国に設けた、旧周防安国寺遺構である。多くの修行僧、行者の集う相当な大寺だったようですが 今は火災で焼失し(残念です)本堂や山門が再建されています。 木犀(もくせい)の大木と本堂裏に江戸時代の様式の庭園があるそうです(未見です)
「氷室亀山神社」氷室があったという氷室ケ岳は、周防富士と呼ばれ秀麗な山容で霊峰とされた。 氷室大権現として崇敬された。氷室神社は山の8合目の堂屋敷という場所にあったが、麓の大元の地へ 遷座さらに室町の頃 現在地 氷室池のそばに鎮座した。氷室池は遷座の頃埋められて今はない。
明治以後 亀山神社と菅原神社と合祀され現在の社号となる。
山は細い林道が通り、以前登った時、山頂には石祠が2つかな?いまもある。景色は抜群です。
サムネは周防富士 氷室ケ岳の山容
岩国市 玖珂町・千年杉の比叡神社と周東町・鮎原妙見宮 参拝記
まず初日旧山陽道の小瀬川の桜を鑑賞して~関関トンネル~バイパス欽明路経由で玖珂へ
(1)比叡神社(岩国市玖珂町谷津 )昔は山王宮とよばれ805年日吉大社より勧請。
産土神として鞍掛城の杉氏や蓮華山城の椙杜氏にも尊崇され吉川公の信仰もあつかったと言われる古社。社頭の大杉は千年杉と言われ巨樹である。桜の参道も良しです。本殿までは長い石段を登ります。
(2)鮎原劔神社(岩国市周東町川上)周東町にある鮎原妙見宮と呼ばれた古社。由緒書によれば、 むかし旅の僧が妙見菩薩を感得し祀られた。この辺の山に密教寺院がいくつかあったらしい。
その後、801年蓮華山頂〜さらに蓮華山の尾根のひとつ高羅山へ遷座したという。その後麓に祀られていた劔社、毘沙門社、四天王社など三社の摂社より常は遥拝した。のち三社を下居殿として合祀。
明治に毘沙門天四天王などを廃し(仏教色を排除)本宮を劔社と合祀鮎原劔神社となる。武道に徳のある神とされる。吉川氏の尊崇も篤かったと言われる。戦後の洪水により境内が被災し往時の建物や庭も荒れ果てその後現在の形へ再建された。社殿はやはり長い石段の上にあります。
参道のきゅうそう橋という大正期の石造橋(地元の方は太鼓橋と呼ぶらしいです)が、珍しくなかなか立派です。社殿の奥に少し行くと小さい奥社があるらしい(参拝時はわからなかったので行きませんでしたが)ここが元宮かは不明。2回目の参拝。
山口県て歩くと妙見様って多い気がするんだけど?周防戦国大名の大内氏(渡来系らしい)の氏神が北辰妙見菩薩ってことも関係あるのかなとも思います。
<山口県神社案内>延喜式内社熊毛神社・論社 岩隈八幡宮〜岩国市周東町祖生(そお)第二稿
岩国市周東町 祖生の岩隈(いわくま)山に鎮座(祖生は同じ旧玖珂郡でも山陽道沿いの玖珂町(くが)からやや内陸)訪れたのは2月(風がまだ冷たかったです)
玖珂から県道70号線に入り玖珂インターを過ぎ 途中左に通津周東線県道115号へ入り少し行くと常夜灯が山の麓にあるのでそこが参道入口。小高い山の上です。
元々は三毛入野命を祀っていたと言われのち八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の春日神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
江戸時代に吉川公により、玖珂の久重山麓へ遷座したが、祖生で災害など続き領民の願いで
旧社地へ社殿再建し玖珂の岩隈八幡から祖生へ再勧請した。
現在の社殿は明治初め再建らしく吉川公が資材を寄進しているそうです。
余談
玖珂六郡の総鎮守・玖珂の岩隈八幡は国道2号線沿い(旧山陽道沿い)に今も健在。
しかし先年宮司をされていた社家がなくなられ宮司さん不在のようです。社務所も宮司宅を兼用だったため今はありません。大鳥居の先に駐車場あり〜拝殿前まで車で入れますが道が途中少し狭い。
岩国市周東町高森の椙杜(すぎのもり)八幡宮の連絡先が案内に記載されていましたので宮司代行されている模様。
先月 椙杜八幡宮も行きましたが 椙杜荘の地頭 蓮華山城の椙杜氏(鎌倉幕府問注所初代執事・三善康信の流れをくむ氏族だそうです)により、室町時代に鶴岡八幡宮から勧請された八幡神社で、泉山という木々の茂った小高い岡の上にありました。石段が急ですごいですw 旧山陽道の街道近くです。社殿など そうとう年季が入ってましたので修復とかしたいところでしょうね。
山口カーミーティングクラブ 四月-周東パストラルオフ会
山口の車好きが集まるクラブ。
山口カーミーティングクラブ通称YCMCのオフ会の様子です(´・ω・`)
四月は山口県岩国市周東町のパストラルホールに集まりました。
初めてこういう動画つくったのでもっとうまく撮れる&編集できるように頑張りたいです(´・ω・`)
YCMC Twitter:http://twitter.com/Y_C_M_C