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憲法上の天皇の重大さ・皇室典範の構造的欠陥「皇位の安定継承への道」#1
新番組登場!
皇位の安定継承問題は、もう後がない!
今すぐ手を打たなければ、本当に手遅れになってしまう!
それなのに政府は先送りにすることしか考えていない。
このままでは将来、本当に皇室は消滅してしまう!
皇位の安定継承への道を開くため、ゴー宣道場は戦う!
当番組では、皇位継承に関する基礎知識や、現状がどうなっているかなどを、わかりやすくお伝えします!
第1回は、天皇とはいかなる存在であるかを、論争の余地のない法的位置づけの面から解説。
右も左も、日本国憲法は天皇を軽んじているものと思い込んでいるが、実はそれは大間違い!
そして、皇位継承を不安定にしている、皇室典範の欠陥とは?
身内の軍歴、どうやって調べればいいの?~軍歴証明書を取得しよう!『笹幸恵の軍事トリビア』#65
身内に軍隊経験者がいるけれども、軍隊でどういう経歴があったのか、どこの戦地へ行ったのかなど、詳しいことは知らないままという人は多い。
戦死した人ならもちろんのこと、帰還した人でもつい詳しいことを聞かないままに亡くなってしまい、悔いを残している人もいるだろう。
そういう方々から、どうすれば身内の軍歴を調べることができるのかという質問をもらうことがよくあるので、今回はこれに笹師範がお答えします!
その第一歩は「軍歴証明書」を取得すること。
難しい手続きが必要かと思われるかもしれないが、三親等以内の遺族であれば、意外に簡単。
軍歴証明書の取得の方法から、これを手掛かりにしたさらに詳しい出征状況の調べ方までを丁寧にご説明します。
これを見て軍歴証明書を取得された方は、ぜひ笹師範にお見せください!
兼好法師の自慢話「徒然草気まま読み」#163(最終回)
長らくお楽しみいただいた「徒然草気まま読み」、今回が最終回となります!
最後に扱うのは、第二百三十八段。
一部を紹介すると…
一、賢助僧正に伴ひて、加持香水(かうずゐ)を見はべりしに、いまだ果てぬほどに、僧正かへりて侍りしに、陣の外(ほか)まで僧都見えず。
ある人物が七か条にわたって自慢話を書きとどめたことがあったことに倣って、それなら自分もとばかり、兼好法師が七つ挙げた自慢話の数々。
一条から五条までは自分の教養・知識をひけらかす類の話なのだが、六番目にちょっと不思議な話が出てくる。さらに最後の七番目の自慢話がまた可笑しい。
3年3か月にわたって気ままに読み続けた徒然草、何かの折にものを考えるヒントになれば幸いです!
令和3年を振り返る「ゆきりん♡もくれん 淑女我報」#72
令和3年も残りわずか。
令和3年は「ゴー宣道場」が8回、「オドレら正気か?LIVE」が3回、「よしりん十番勝負」が1回、合計12回、月イチペースでよしりん主催の公論イベントが開催された。
特にゴー宣道場は9月に第100回の節目を迎えている。
そこで今回は、ゴー宣道場を始め今年の公論イベントを一気に振り返る。
コロナに明け暮れ、何もなかったかのような印象を持ってしまう一年だったが、こうして振り返ってみると、一回一回ものすごく濃厚なイベントを積み重ねてきたのだということに改めて驚く。
多彩なゲストによる、大きく認識の拡がる新鮮な発言、知見の数々、イベントを支える公論サポーターの活躍、そして終了後の大宴会! 特に地方開催の後の席に出た土地の食べ物とお酒は絶品!
これで誰一人コロナに罹っていないという事実は何より重い!
ゴー宣道場こそ、コロナと眞子さん・小室さんバッシングで露呈してしまった日本人の大劣化を防ぐ防波堤。その意味合いがはるかに強くなってくるであろうことを予感させた、この一年を締めくくる!
ある貴族の逸話「徒然草気まま読み」#162
今回扱うのは、第百九十六段。
前半部分を紹介すると…
東大寺の神輿(しんよ)、東寺の若宮より歸座のとき、源氏の公卿參られけるに、この殿大將(たいしゃう)にて、先を追はれけるを、土御門相國、「社頭にて警蹕いかゞはべるべからむ。」と申されければ、「隨身のふるまひは、兵仗の家が知る事に候。」とばかり答へ給ひけり。
前段の百九十五段にも登場する、久我通基内大臣の逸話。
最初に出てくる「東大寺」は石清水八幡宮の誤り。
この時代の「神輿(しんよ)」とはいまのお神輿(みこし)とは性格が異なるものなのだが、これを移動させる際、これに伴う神事について通基と別の貴族、土御門相國定實公の間で意見が分かれた。
当時の貴族の教養や、神についての観念などがうかがえる、興味深い一段。
第102回ゴー宣道場 語らいタイム
令和3年最後の開催となる第102回ゴー宣道場は12月5日、東京都内で開催された。
テーマは「日本人大劣化現象」、久しぶりにゲストを招かず、師範5人のみで行われた。
「日本人の劣化」という難しいテーマに挑んだ倉持師範の基調講演は大好評。
問題を明確化させ、後半の議論につながった。
そして終盤の高森師範の「論理は勝ちます」という、これまでの戦いを踏まえた発言にも共感の声多数。
最後は自画自賛状態で、とにかく来年に希望を見出したような形で締めくくることができたが、さて終了直後、何を思う?
手近なことをきちんとすべし「徒然草気まま読み」#161
今回扱うのは、第百七十一段。
最初の部分を紹介すると…
貝をおほふ人の、わが前なるをばおきて、よそを見渡して、人の袖の陰、膝の下まで目をくばる間(ま)に、前なるをば人に掩はれぬ。よく掩ふ人は、よそまでわりなく取るとは見えずして、近きばかりを掩ふやうなれど、多く掩ふなり。棊盤のすみに石を立てて彈くに、むかひなる石をまもりて彈くはあたらず。わが手もとをよく見て、こゝなるひじり目をすぐに彈けば、立てたる石必ずあたる。
最初は当時行われていたゲームの話から始まる。
そこから話は一気に政治の正しいあり方を説き、医学書の話、遠征の話にまで行く。
小さなことから大きなことまで、大切なことは共通しているというのだ。
ジャンルにとらわれず、その本質を見極めようとする兼好の柔軟な発想がよくわかる一段。
「不敬罪」ってどんな罪?~ヤフコメの皇室バッシングは懲役何年?『笹幸恵の軍事トリビア』#64
小室眞子さん、圭さん夫妻は渡米したが、バッシングはなおも続きそうだ。
Yahoo!ニュースのコメント欄(ヤフコメ)などは、目を覆うような罵詈雑言が際限なく続く。
そしてバッシングはそんなネットの書き込みや、事実無根の週刊誌報道を批判された秋篠宮殿下にまで向かう始末である。
こんな歯止めのかからない状況に、もはや「不敬罪」を復活させた方がいいのではないかといった発言も、ゴー宣道場内では出てきたりもしている。
さて、この「不敬罪」だが、戦前に存在した法律として名前は聞いたことはあっても、それがどんな法律で、どんな罰則があったのかということまで知っている人はほとんどいないはず。
というわけで、調べてみました。
もしいま不敬罪が存在していたら、ヤフコメに皇室バッシングを書き込んでいる人にはどんな刑罰が科されることになるのか?
落馬の相「徒然草気まま読み」#160
今回扱うのは、第百四十五段。
全文を紹介すると…
御隨身秦重躬(しげみ)、北面の下野入道信願を、「落馬の相ある人なり。よく\/愼み給へ。」といひけるを、いとまことしからず思ひけるに、信願馬より長じぬる一言、神の如し。」と人おもへり。さて、「いかなる相ぞ。」と人の問ひければ、「極めて桃尻にて、沛艾(はいがい)の馬を好みしかば、この相をおほせ侍りき。いつかは申し誤りたる。」とぞいひける。
上皇の側近・秦重躬という人物が、北面の武士・下野入道信願に、「あなたには落馬の相がある。十分用心なされよ」と忠告した。
そんなことあるかと誰も信用しなかったが、実際に信願が落馬して死んでしまったため、人々はまるで神のお告げのようだ、落馬の相とは、いかなる相が表れていたのかと問うたところ…
種明かしを聞くと、思わず笑ってしまうようなことだった。
神にしか言えないかと思われるような真理も、実は当たり前のことのなかに潜んでいたりするものだという、兼好のメッセージ。
『コロナ論4』を読んでみた!「ゆきりん♡もくれん 淑女我報」#71
11月18日、『ゴーマニズム宣言SPECIAL コロナ論4 ワクチンの「罠」とファシズム化する日本』発売!
そこで今回は、淑女の『コロナ論4』感想会。
まずオススメは、何と言っても「おしえて!コロナ君2」
大活躍・コロナ君が繰り返す、あの決めゼリフにやみつき?
慶應義塾大学教授・横大道聡教授の対談は、「公共の福祉」など憲法の問題点がより一層明らかになる。
そして、やっぱり笑った最終章『ワクチンの星』!
それにしても、被害が大きかった欧米ならともかく、終始「さざ波」だった日本で、なぜこんなことになったのか? 日本人っていったい何なのか? というような疑問が抑えきれないこのコロナ騒動。いつ、どのように終えることができるのか?
『コロナ論5』へ向けての戦いも、既に始まっている!
求道一徹「徒然草気まま読み」#159
今回扱うのは、第百四十四段。
前半を紹介すると…
栂尾の上人道を過ぎたまひけるに、河にて馬洗ふ男、「あし\/〔足を洗ふため足と云つたのを阿字と聞いた〕。」といひければ、上人たちとまりて、「あなたふとや。宿執(しゅくしふ)開發(かいほつ)の人かな。阿字々々と唱ふるぞや。いかなる人の御馬ぞ。あまりにたふとく覺ゆるは。」
兼好法師が何に感動し、何を高く評価するかという価値観がよく表れている段。
ここで兼好が紹介するのは、華嚴宗中興の祖と仰がれた明惠上人にまつわる、普通の感覚では全くの笑い話としか思えないエピソード。
ところが兼好はこれを全く滑稽な話だとは思っていない。明惠上人の、仏道を一途に追及する姿勢を端的に表した逸話として、感動を以て紹介しているのである。
さて、この感覚に同感できるかどうか?
人の臨終の有様「徒然草気まま読み」#158
今回扱うのは、第百四十三段。
全文を紹介すると…
人の終焉の有樣のいみじかりし事など、人の語るを聞くに、たゞ、「靜かにして亂れず。」といはば心にくかるべきを、愚かなる人は、怪しく異なる相を語りつけ、いひし言(ことば)も擧止(ふるまひ)も、おのれが好む方に譽めなすこそ、その人の日ごろの本意にもあらずやと覺ゆれ。この大事は、權化の人も定むべからず、博學の士もはかるべからず、おのれ違ふ所なくば、人の見聞くにはよるべからず。
人の臨終の様子を語り伝える時に、たとえほめそやすつもりでも、話を盛って伝えることは決してその人の本位に沿うことではないとたしなめる兼好。
そもそも、人がどのように訪れるかなどは、誰にも予想することはできない。ただその人の日ごろの心がけに違わぬ形で迎えられれば、それでいい。
常に死が自分の身近に、しかも後ろにあるという捉え方をしている兼好の考えがよく表れた、短いながらも味わい深い一段。
京の人、吾妻の人「徒然草気まま読み」#157
今回扱うのは、第百四十一段。
冒頭を紹介すると…
悲田院の尭蓮上人は、俗姓は三浦のなにがしとかや、雙なき武者なり。故郷の人の來りて物がたりすとて、「吾妻人こそいひつることは頼まるれ。都の人は言受けのみよくて、實なし。」といひしを、
東国の武士であった尭蓮上人のもとを訪れた郷里の人が、「東国の人は言ったことは守るから信頼できるが、京の人は口先だけで約束を守らない」と言った。
それに対して尭蓮上人は、自分も最初はそう思ったが、長く住んでいるうちにそうとも言い切れないと思うようになったと答える。
その理由を聞いて、兼好法師は尭蓮上人を大きく評価する。
そうは言ってもやっぱり京都の人は難しいという、高森師範の痛い体験談もついてます!
己自身を知れ「徒然草気まま読み」#156
今回扱うのは、第百三十四段。
冒頭を紹介すると…
高倉院の法華堂の三昧僧何某の律師とかやいふ者、ある時鏡を取りて顔をつくづくと見て、我が貌の醜くあさましき事を、餘りに心憂く覺えて、鏡さへうとましき心地しければ、その後長く鏡を恐れて、手にだに取らず、更に人に交はる事なし。
山城愛宕郡清閑寺のある三昧僧は、ある時鏡で自分の顔をよく見ていて、その容貌のあまりの醜さを憂いて、以後は鏡を手に取ることもなかったばかりか、人と会うことも避けるようになった。
このエピソード、普通だったら自意識過剰と批判的に扱いそうなところだが、兼好は違う。むしろ、立派な心掛けとして評価しているのである。
人は自分自身の事を知らず、自分を知らないということは、他人を知ることなどできるわけもない。
自分自身を知らないということは、自分自身には合わないことをやっていてもわからないし、自分が何をすべきかもわからないということだ。
兼好法師の厳しい人間観、人生観がよく表れた一段。
福山聯隊と樋口季一郎中将~岡山からちょっと足を延ばしてみました~『笹幸恵の軍事トリビア』#63
10月10日、第101回ゴー宣道場が岡山で開催された。
せっかく岡山まで来たのだからと、笹さんが足を延ばしたのが、福山。
備後護国神社には立派な戦没者慰霊碑が並び、中でも「メレヨン島戦没者慰霊碑」に感激。
そして福山といえば、歩兵第四十一聯隊。
というわけで、第四十一聯隊の創設から大東亜戦争末期、「二度、玉砕した部隊」と言われるまでの歴史を語る。
歴代の第四十一聯隊長の中でも特に語るべきは第17代・樋口季一郎中将。
樋口中将は後に北方軍司令官となり、戦争末期のアッツ・キスカや占守島の戦いにおいて名を知られている。
そして実は他にも、樋口中将にはユダヤ人難民の救援に大きく尽力した功績があるのだが、これは外交官・杉原千畝の活動に比べてほとんど知られていない。
そこで、樋口中将を顕彰するための新たな動きについてもご紹介!
【特別番組】眞子内親王殿下のご結婚をお祝い申し上げます
10月26日、秋篠宮家の長女、眞子内親王殿下は小室圭さんと結婚され、小室眞子さんとなった。
婚約発表から4年以上、ようやく念願かなってのご結婚を心から祝福申し上げるが、20代の貴重な時期を大変な思いの中で過ごすことを余儀なくされ、複雑性PTSDというご病気にまでさせてしまったということには、国民として申し訳ない限りである。
これは、今まで国民のためを思い、全力で誠実に公務に当たって来られた眞子さまに対して、あまりにも酷い仕打ちであった。
そして、今回のご結婚では、一時金が辞退ということで支払われない、儀式が全て取りやめになるなど、異例ずくめのものとなってしまった。
これは、将来にわたって大きな禍根を残しかねない事態である。
国民が見過ごしているその問題について、高森明勅師範が徹底解説。
このままでは、男系・女系云々の前に、皇室は危機に瀕してしまう!
淑女が語る眞子さまご結婚報道「ゆきりん♡もくれん 淑女我報」#70
10月26日、秋篠宮家の長女・眞子さまは小室圭氏とご結婚し、記者会見を行う。
ここに至るまでのマスメディアによる小室氏とその母へのバッシングは凄まじく、その火の手は眞子さまご自身、さらには秋篠宮家全体にまで及んでしまった。
そしてついには眞子さまが複雑性PTSDを発症されてしまうという事態まで起きてしまったのに、それでも週刊新潮や女性誌はまだバッシングをやめようとしない。
その発端はでっち上げられた「借金問題」であったのだが、大衆はそのことすらわかっていない。小室氏がどれだけストイックに勉強し、成果を挙げていたかも知らない。
大衆の無知ぶりは、想像を絶する。何も知らずに叩いているのだ!
もう黙ってはいられない。淑女二人が常軌を逸したメディアを斬る!
精神科医・和田秀樹が眞子さまの複雑性PTSDを否定する心理、「皇室ファン」を公言していた辛酸なめ子がトチ狂っていった心理など、精神科医よりも正確な精神分析が冴えわたる!
兼好法師の教養論「徒然草気まま読み」#155
今回扱うのは、第百二十二段。
冒頭を紹介すると…
人の才能は、文明らかにして、聖の教へを知れるを第一とす。次には手かく事、旨とする事はなくとも、これを習ふべし。學問に便りあらむ爲なり。
人の学問・才芸としては、古典を学び、聖人の教えを詳しく知っていることが第一に重要で、その次は文字を上手に書くことが大事だと兼好は言う。
さらにこれに続けて、重要なものを順番に挙げていくのだが、ここに兼好らしく、しかも現代に通じる価値観が表れてくる。
普通は「文武両道」というが、兼好はこれにもう一つの道を加える。しかもその第三の道を「武」よりも上に置き、この3つのいずれも欠けてはならないと説く。
その第3の道とは?
そしてその価値観は、実は最近出た『コロナとワクチンの全貌』にも通じている!
未練の狐「徒然草気まま読み」#154
今回扱うのは、第二百三十段。
全文を紹介すると…
五條の内裏には妖物(ばけもの)ありけり。藤(とうの)大納言殿語られ侍りしは、殿上人ども、黑戸にて棊をうちけるに、御簾をかゝげて見る者あり。「誰(た)そ。」と見向きたれば、狐、人のやうについゐてさしのぞきたるを、「あれ狐よ。」ととよまれて、まどひ逃げにけり。未練の狐化け損じけるにこそ。
現代語で「未練」とは、「未練がましい」とか「未練たらたら」といった使い方しかしないが、ここでいう「未練」は「熟練」の反対語。
まだ未熟で、人に化け損ねた狐を見たという人の話。
一方で現代人に通じる、あるいはそれ以上の合理的思考を見せる兼好だが、もう一方ではこんなおとぎ話のような出来事を疑いもせず事実扱いしているのも、面白いところ。
第101回ゴー宣道場 語らいタイム
第101回ゴー宣道場は令和3年10月10日、岡山市内で開催された。
テーマは「女性天皇・女性宮家は不可能なのか?」、ゲストはコラムニスト・矢部万紀子氏。
地方都市で、皇統問題という生活感覚から離れたテーマであるにもかかわらず、大盛況のうちに終えることが出来た。
眞子さまと小室圭氏に対する大衆のバッシングは、ついに眞子さまのPTSD発症という事態まで引き起こしてしまったにもかかわらず、マスコミ・大衆はこれを機にさらにバッシングに拍車をかけるという、狂気の様相を呈している。
一貫して眞子さまのご結婚を祝福し、小室氏を擁護してきたゴー宣道場以外には、もう皇室を守ろうとする人が集まる場はないと言っても過言ではない。
それならば、その使命を果たすべく努めるしかないという思いを新たにした、道場終了直後の生の声!
味噌があれば酒は呑める「徒然草気まま読み」#153
今回扱うのは、第二百十五段。
冒頭部分を紹介すると…
平宣時朝臣、老いの後昔語に、「最明寺入道、ある宵の間によばるゝ事ありしに、『やがて。』と申しながら、直垂のなくて、とかくせし程に、また使きたりて、『直垂などのさふらはぬにや。夜なれば異樣〔粗末のもの〕なりとも疾く。』とありしかば、
鎌倉幕府の閣僚クラスであった人物が、老後の昔話に語った話。
最高権力者である執権の最明寺入道からある宵の時に来るよう呼ばれた。
正式の訪問着もなかったのだが、それでもいいからすぐ来いと言われて出かけてみると…
最高権力者とその臣下の関係にある者でありながら、全く飾らず盃を交わしていたという場面が語られる、実に微笑ましいエピソード。
利他的な自己犠牲的精神の賛美に潜む危険性~ワクチンを接種する若者は国を守る兵士と同じ!?ABEMA Primeのパックン発言を考える~『笹幸恵の軍事トリビア』#62
若者は新型コロナに罹ってもほとんど重症化しないし、死者も出ていない。
つまり、ワクチンを打つ必要などない。
ところが、「若者は自分のためではなく、他人にうつさないという『利他的意義』のために打つべきだ」として若者のワクチン接種をどんどん推進しようという動きがある。
その旗振り役が大阪大の忽那賢志医師である。
9月16日に配信されたABEMA Primeの番組では、中川淳一郎氏が「そんなバカなことがあるか」と忽那を追及、これに忽那は明確に答えられなかった。
そこで忽那に代わるように、ワクチンの「利他的意義」を熱弁したのが、お笑い芸人・パックンことパトリック・ハーランだった。
だがパックンの発言は、一見美しく、反論しづらいように聞こえるが、そこには非常に危険なものが含まれている。
本人が完全に善意のつもりで、その危険性を一切自覚せずに話していることが、さらにその危なさに拍車をかけている。
一見美しい言葉には、警戒が必要だ!!
人生は不確実なり「徒然草気まま読み」#152
今回扱うのは、第百八十九段。
前半を紹介すると…
今日はその事をなさむと思へど、あらぬ急ぎまづ出で來て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人はきたり、頼みたる方のことはたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。
人生の真実を端的に言い表した一段。
人生は思い通りには行かない。あてになるものなどない。
といっても、決してネガティブにもならずニヒリズムにも陥らず、フラットな視点で語っているのが特徴。
もくれんさんに何があった?「ゆきりん♡もくれん 淑女我報」#69
9月18日の小林よしのりチャンネル生放送「オドレら正気か?」に、首サポーターを巻いて登場したもくれんさん。
ブログでよしりん先生が「水浸しの木蘭」と題して、
「実は泉美さんが名古屋から帰宅すると、天井から
どえらい水漏れで、床も何もかも水浸しになって
いて、貧血で倒れて頭を強打して、吐き気がして、
ずぶ濡れの部屋で寝込んでいるのです。」
なんて書いたこともあって、一体何事かと思った人も多いかと思いますが、ここで事の一部始終をお話します!
1回丸ごと「愚痴」だというけれども、なぜか笑えてしまうのが不思議。
皆さん、火災保険に入っているか、確認しましょう!
大に慣れれば小を顧みない「徒然草気まま読み」#151
今回扱うのは、第百七十四段。
全文を紹介すると…
小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば、小鷹に惡くなるといふ。大に就き小を捨つる理まことにしかなり。人事多かる中に、道を樂しむより氣味深きはなし。これ實の大事なり。一たび道を聞きて、これに志さむ人、孰れの業かすたれざらむ、何事をか營まむ。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らむや。
鷹狩りの犬の話から、大きなことに関わった者は、小さなことには目が向かなくなるという例を挙げた上で、これを兼好法師は一気に人生における仏道修行の話につなげる。
人生において、仏道よりも大きなものはないと確信する、兼好法師のある種のラジカリズムや、人生観がストレートに表されている一段。
さて、これをどうお感じになるでしょうか?
浄土宗随一の学者僧侶「徒然草気まま読み」#150
今回扱うのは、第百二十四段。
全文を紹介すると…
是法法師は、淨土宗に恥ぢずと雖も、學匠をたてず、たゞ明暮念佛して、やすらかに世を過すありさま、いとあらまほし。
浄土宗の中でも誰にも引けを取らない学者である、是法法師。
兼好法師はこの人のようにありたいと記している。
兼好は是法法師のどのようなところを理想としているのだろうか?
それは、今どきのテレビに出てくる「学者」たちとは、正反対の生き方だったりする。
第100回ゴー宣道場 語らいタイム
第100回ゴー宣道場は令和3年9月12日、名古屋市内で開催された。
テーマは「常識の逆襲」。
ついに第100回を迎えたゴー宣道場。といっても100回記念だからという気負いはなく、のびのびと明るく華やかな雰囲気で行われ、実にゴー宣道場らしい記念回となった。
これにはゲストの中川淳一郎氏の存在も大きく、名言・珍言の連打に大盛り上がりとなった。
100回を数えてなお参加者の3分の1以上が初参加。ゴー宣道場の進化は止まらない!
大満足の第100回を振り返り、道場では取り上げられなかった質問にも答えます!
心の重大さ「徒然草気まま読み」#149
今回扱うのは、第百二十九段。
冒頭を紹介すると…
顔囘は、志人に勞を施さじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐(しへた)ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。
現代の人間でも追いついていない人が圧倒的に多い、心身に関する兼好の先見性がうかがえる一段。
人の心を蔑ろにすることは、人の身体を傷つけること以上に害が大きいものである。
薬が身体に及ぼす影響よりも、心が身体に影響を及ぼすことの方がはるかに大きい。
そんなことを兼好は、実例を挙げて説いていく。
コロナ禍で、過剰にウイルスを怖れて人の心を踏みにじることに対して一切の配慮をせず、しかもワクチンに全ての望みをかけている現代人って、兼好から見てどれだけ遅れているのだろうか?
「野戦病院設立」が最優先?”ごっこ遊び″でしかないメディアの言葉の軽さを検証する『笹幸恵の軍事トリビア』#61
コロナ禍をどうしても終わらせたくない、まだまだ煽りたいメディアの最近のトレンド・ワードは「野戦病院」。
デルタ変異による感染拡大が止まらない、このままでは医療崩壊だ、これに対応するには、「野戦病院」を作るのが最優先だー!! …という具合に何度も何度も言われているのだが、その発信源は例によって、羽鳥慎一モーニングショーの玉川徹。
玉川が言い始めてから、一気に「野戦病院を作れ!」という声が広がっていったのだが、そもそも、「野戦病院」とはどういうものなのか、分かっているのだろうか?
明らかに誰も何も知らないまま、ただ何となくの「雰囲気」だけで言っている。
そこで今回は、実際の「野戦病院」とはどういうものだったのかを、時間拡大で徹底解説!
戦争について完全無知のまま、たかがコロナの流行を「戦時」呼ばわりして「戦争ごっこ」に興じる、幼稚極まりないメディアの実態を明らかにする!!
最近見た映画について語り尽くす!「ゆきりん♡もくれん 淑女我報」#68
最近コロナ関連の話題ばかりになっていたので、今回はちょっと趣向を変え、最近見た映画について、思いつくまま気の向くままに語り尽くそうという企画。
フランスのスポーツコメディ「シャイニー・シュリンプス」は、LGBTQの問題を語りながらカラッと明るく、日本ではこういう作品はできないだろうかと思わされる。
話題作「アウシュヴィッツ・レポート」は、その演出の迫力に圧倒される!
ドキュメンタリー「カウラは忘れない」は、淡々と事実を浮き上がらせていく手法が見事。ただ、監督のコロナ脳は残念!
そして最後に取り上げるのは、木蘭さんが子供の時に見て強烈なトラウマになった映画。そのタイトル等も一切わからないまま30数年を経て、最近ひょんなことからその映画が判明! 改めて見直してみたところ…これは、お勧めしません!
話題作の公開延期などが一部ではまだ続いているけれども、面白い映画はある!
狆(チン)に似た僧侶「徒然草気まま読み」#148
今回扱うのは、第百二十五段。
前半を紹介すると…
人に後れて、四十九日(なゝなぬか)の佛事に、ある聖を請じ侍りしに、説法いみじくして皆人涙を流しけり。導師かへりて後、聽聞の人ども、「いつよりも殊に今日は尊くおぼえ侍りつる。」と感じあへりし返り事に、ある者の曰く、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなむ上は。」といひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。
いつの時代にも、決して悪気はないのだろうが、徹底的に空気が読めず、完全に的外れな発言をして場を白けさせてしまう人というのはいるもの。
故人の四十九日の法要に、ある高僧を招いたところ、その説法が素晴らしく、皆涙を流して聞き入った。
僧が帰った後も、その感動冷めやらない人々が口々にその思いを語っていたところ、空気の読めない人が一人いて…
前回紹介した話に引き続き、兼好のツッコミが楽しい。この段は後半の話と合わせてツッコミニ連発!
下手なとぼけ方「徒然草気まま読み」#147
今回扱うのは、第九十段。
全文を紹介すると…
大納言法印のめしつかひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常にゆき通ひしに、ある時いでて歸り來(きた)るを、法印、「いづこへ行きつるぞ。」と問ひしかば、「やすら殿の許(がり)まかりて候。」といふ。「そのやすら殿は、男(をのこ)か法師か。」とまた問はれて、袖かき合せて、「いかゞ候らむ。頭をば見候はず。」と答へ申しき。などか頭ばかりの見えざりけむ。
この時代には同性愛に対して非常に大らかだったという文化を伝えている一段。
大納言法院というくらいの高い僧侶が、乙鶴丸という稚児を目にかけていた。
というか、はっきり言えばこの二人は男色の関係にあったわけだが、その乙鶴丸に、他に男が出来たらしく、しょっちゅう通っていくので、ある時大納言法院、そのことを問い質したら…
最後の兼好のツッコミも面白い。