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内山田洋とクールファイブ『長崎は今日も雨だった』北京語版1…蔡小虎「涙的小雨」
『長崎は今日も雨だった』は1969年のヒット曲ですが、その中国語カバーソングはかなり多く、北京語版「涙的小雨」は、70年代から青山や鄧麗君(テレサ・テン)などさまざまな歌手が歌っていました。最近では蔡幸娟がアレンジを変えて歌っていますが、他に台湾語版の「愛你無論輸贏(sm22994919)」や「涙甲雨(sm24972152)」もあります。映像は台湾のテレビの演歌番組ですが、台湾の演歌歌手はたいてい日本語でも歌えるので、1番と3番はオリジナルの日本語で、2番はカバーの北京語か台湾語で歌う場面もよくあります。司会者も調子に乗って日本語を喋ってますが、出だしのナレーションが…w
内山田洋とクールファイブ『長崎は今日も雨だった』台湾語版1…黄乙玲「愛你無論輸贏」
『長崎は今日も雨だった』は1969年に大ヒットした内山田洋とクールファイブの代表曲ですが、台湾では70年代に鄧麗君(テレサ・テン)はじめ様々な歌手が歌った北京語カバーの「涙的小雨(sm22993188)」が有名で、台湾語カバーの「愛你無論輸贏」や「涙甲雨」は90年代に登場した新しいバージョンです。この映像では黄乙玲は台湾語で歌っていますが、字幕はその歌詞の内容を北京語に訳して表示しています。一昔前の台湾のテレビ番組にはよくあったパターンで、いわば吉幾三が♪おら東京さ行くだ~♪と歌うと、字幕には「私は東京へ行きます」と出るようなものですが、外国人にはむしろ有り難かったです。。。
堀内孝雄『君のひとみは10000ボルト』広東語版…梅艶芳「発電一千VOLT」
『君のひとみは10000ボルト』はアリスの堀内孝雄が1978年にソロで発表したヒット曲ですが、梅艶芳(アニタ・ムイ)が84年にカバーした広東語版は「発電一千VOLT」。なぜ1万ボルトから1000ボルトに格下げされたのでしょう?中華世界では伝統的に、1万=大きな単位(万里の長城など)という概念がありますが、香港はイギリスの植民地統治下で、1000=大きな単位という西洋的な概念が入り込んでいたのかも…。なんて話はさておいて、この映像は当時香港のテレビで流れていたものですが、こんなにフラフラしていたらテレビを観ている人の目が回るのでは?棒を担いで雲に乗るアニタは孫悟空のイメージなのか知りませんが、どう見てもヤンキーで怖いです。。。
坂本九『上を向いて歩こう』台湾語版1…龍千玉「烏龍茶」
『上を向いて歩こう』はその昔、「Sukiyaki」のタイトルでアメリカで大ヒットしたそうですが、台湾ではなぜか「烏龍茶」。♪恋人がいるなら、みんなでウーロン茶を飲もう♪って、CMソングなのかい?ちなみに烏龍茶を「ウーロンチャ」と読むのは北京語で、台湾語では「オーロンテー」。飲茶を「ヤムチャ」と読むのは広東語で、台湾語では「リンテー」。そして日本語の焼酎は、台湾語でも焼酒(ショーチュー)。
坂本九『上を向いて歩こう』北京語版07…徐懷鈺「小女人的心」
かつて世界的なヒットになったSukiyakiこと『上を向いて歩こう』の中国語カバーは無数にあって、北京語版は1960年代に蓓蕾が香港で歌った「默默的相思」をはじめ「昂首向前走」「遇上你我不能逃」「寂寞它佔満了我的心」「甜言蜜語」「小女人的心」、台湾語版が「浪漫的青春」「烏龍茶」、広東語版が「你我人人知」「願今宵一起酔死」…まだまだたくさんあるでしょう。そんな中で徐懷鈺(ユキ・スー)の「小女人的心」は2007年に出た新しいカバーで、「小女人」とは器の小さな女のこと。♪隣で寝息を立てているあなたは何を考えてるの?私のことだけ考えてくれてる?…な~んて、器の小さな女になっちゃうのよ♪という内容。yukiというのは英語名なのですが、日本語の「雪」から命名したとか。
坂本九『上を向いて歩こう』広東語版1…梅艶芳「願今宵一起酔死」
1960年代から無数の中国語カバーが出たSukiyakiこと『上を向いて歩こう』ですが、梅艶芳(アニタ・ムイ)が1989年8月に出した広東語カバーが「願今宵一起酔死」。今は他の人のものになっている女だけど、今宵はあなたと一緒に酔い潰れたい…という内容です。そういえば、アニタの恋敵だった中森明菜がマッチの家で自殺を図ったのは7月ですが、レコーディングはその前に終わってましたよね?この映像は95年のコンサートのものですが、アニタはだいぶ痩せてしまいました。ところで『上を向いて歩こう』の広東語カバーは、1977年に許冠英(リッキー・ホイ)が「你我人人知」のタイトルで歌っていました。♪嘆吓漢堡飽、你歓喜我楽意(ハンバーガーを味わって、キミが喜び、ボクも楽しい)♪という部分だけ覚えていますw
村下孝蔵『初恋』広東語版…林志美(サマンサ・ラム)「初恋」
日本がアイドル全盛期だった1980年代、香港でもいろんなアイドルが出現しました。80年代前半に活躍した林志美(サマンサ・ラム)もその1人でしたが、いまひとつパッとしないままでした。やはり香港のタレントは映画にも出ないとダメでしょう。村下孝蔵の『初恋』は1983年のヒット曲ですが、広東語カバーの「初恋」は84年に登場。
かぐや姫『神田川』北京語版…嘟嘟「珍惜」
悪い意味でミステリアスな歌手・嘟嘟(ドゥドゥ?)ですが、1985年に雲南広播電視公司つまり雲南省の放送局が発行したテープ「少女A(sm22924517)」には、日本のカバーソングがいろいろと埋もれていました。この『神田川』のカバー「珍惜」はもともと鄧麗君(テレサ・テン)が1984年に台湾で歌ったもので、内容は女性が夜、別れた男を思い出し♪あなたを思わない、愛していないなんて、自分を騙してるだけ。まだあなたを愛しているのが本当の気持なの♪などと切々と歌っています。嘟嘟にはこういう暗い歌が似合いますねw
松田聖子『天使のウィンク』広東語版…林憶蓮「愛情 I don't know」
1990年代前半にアーティストとして一世を風靡した香港の女性シンガー・林憶蓮(サンディ・ラム)のデビュー作が、松田聖子『天使のウィンク』の広東語カバー「愛情 I don't know」。サンディは82年に16歳でDJとしてデビューし、85年にアイドル歌手に転向してこの曲を歌いましたがヒットせず、「歌手を辞めて美容師になる」と言い出したのを社長に説得され、90年代に入って北京語の歌を出したらブレイクしたという次第。当時の香港では、中森明菜のカバーは梅艶芳や譚詠麟、張国栄、張学友らトップシンガーたちが歌ったのに対し、松田聖子のカバーは少なく、かつB級アイドルが歌っていたところに、香港が「明菜派一辺倒」だった状況(sm22996640)が伺えます。台湾ではトップアイドルも聖子のカバーを歌っていたんだけどねぇ。。。
安全地帯『ワインレッドの心』広東語版2…蔡楓華「月蝕」
蔡楓華(ケン・チョイ)は1980年代前半に香港でそれなりに人気があった男性アイドルでしたが、不運な人でした。マッチのようなチョイ悪イメージで売り出し、「愛不是遊戯(sm22894830)」は原曲のMIE『灰とダイヤモンド』を遥かにしのぐヒットをしましたが、五輪真弓『恋人よ』のカバー「恋人」を歌ったら、スーパースター・譚詠麟(アラン・タム)も歌詞が違うカバー「忘不了你(sm22756177)」を歌い、84年には『ワインレッドの心』のカバー「月蝕」を歌ったら、譚詠麟はまたも歌詞が違うカバー「酒紅色的心」を歌うわで、影が薄い存在になり、85年の賞レースの中継番組で張国栄(レスリー・チェン)に「今の輝きが永遠に続くとは限らない」と嫌みを言ったら、干されてしまったという次第。歌唱力はある人だったんですねどねぇ。
本田美奈子『愛の十字架』広東語版1…甄楚倩「狠心女子」
おニャン子クラブ唯一の外国人メンバー(研修生扱い)だった甄楚倩(ヨリンダ・ヤン)のデビュー曲がこれ。1987年1月に「狠心女子」をシングルで出した後、なぜか日本へ渡っておニャン子クラブ入り。『夕焼けニャンニャン』の番組冒頭で広東語を絶叫したり、桜田淳子の物まねをしたりと、何のために日本へ来たのかよくわかりませんでしたが、香港で所属したレコード会社がソニーだったことに関係あるのかも?香港に戻って、今度は中森明菜の『難破船(sm22911855)』『Tango noir(sm23053117)』や山口百恵の『秋桜(sm22819330)』のカバーを歌ったりしました。デビュー曲に本田美奈子を選んだ人だけあって、歌唱力はおニャン子で恐らく一番。90年代に入ると脱いだりするのも、いかにもおニャン子出身かも?
中森明菜『ミ・アモーレ』北京語版…金瑞瑶「藍色週末」
動画タイトルで『ミ・アモーレ』のカバーと書きましたが、実際には『赤い鳥逃げた』のカバーです。どちらも1985年の中森明菜の曲で、当初『赤い鳥逃げた』を出す予定でしたが「歌詞が地味すぎる」と書き直したのが『ミ・アモーレ』。でも当時の明菜は何を出しても大ヒットしたので、『赤い鳥逃げた』をボツにするのもったいない!とこちらも発売したところ、2曲同時にベストテン入り。しかし『赤い鳥逃げた』はテレビで1回しか歌わなかったそうなので(この映像)、印象薄いですね。じゃあなぜ同じ曲なのに「藍色周末」は『ミ・アモーレ』じゃなくて『赤い鳥逃げた』のカバーなのかというと、イントロと間奏がやたらと長いからw「ブルーな週末」という意味のタイトル自体、『赤い…』を意識したのかも?
八代亜紀『もう一度逢いたい』台湾語版1…費玉清「歌声涙影」
『もう一度逢いたい』は1976年にレコード大賞の最優秀歌唱賞を取った曲ですが、台湾語カバー「歌声涙影」は95年に黄乙玲がリリース。この映像では費玉清が「歌声涙影」を歌い、黄乙玲は日本語のオリジナルを歌っています。
沢田研二『勝手にしやがれ』広東語版…甄妮「心曲」
1980年の曲ですが、なんか楽しそうな映像ですねwww甄妮(ジェニー・ツェン)はマカオ生まれで台湾育ち。オーストリア人と広東人とのハーフという容貌で、1970年代から80年代前半にかけて人気を集めた歌手です。当初は台湾を拠点に北京語で歌っていましたが、77年からは香港に拠点を移して主に広東語で歌っています。『勝手にしやがれ』のカバーは北京語でも出しています(sm23046773)。その横でイチャイチャしている恋人役の男性は林子祥(ジョージ・ラム)で、80年代初めにタモリが『オールナイトニッポン』の空耳ネタで取り上げたのを契機に、『YMCA』や『ジンギスカン』の広東語版レコードが日本で発売されたこともあった人。
沢田研二『勝手にしやがれ』北京語版1…甄妮「往日情懐」
マカオ生まれで台湾育ちの歌手・甄妮(ジェニー・ツェン)が1979年に出した曲。彼女は翌80年に香港で広東語版の「心曲(sm23041077)」も出します。この映像は広東語版のもので、素敵な恋人とルンルン気分の女性が♪私の心の歓びの歌を聴いて~♪という広東語版の歌詞に合った楽しそうなmvですが、北京語版の歌詞は恋人と別れた女性が、彼氏と過ごした楽しい時を忘れられず♪私の思いを、あなた解って♪という内容です。
近藤真彦『ブルージーンズメモリー』広東語版…蔡楓華「生命的動力」
80年代の香港は空前の日本アイドルブームでしたが、なぜか聖子=トシちゃんは人気がなく、明菜=マッチが圧倒していました。香港では「いい子」より「ツッパリ」が好まれた?「聖子ちゃんカット」ならぬ「matchy頭」=マッチカットが流行し、「マッチ物まねコンテスト」が開かれて優勝者が芸能界デビューしたり(明菜のカバーを歌った)、「香港のマッチ」を自称して明菜似の日本娘をナンパする歌(sm22996640)が大ヒットしたり…等々。この曲は、マッチのような「ちょい悪」イメージで売っていた蔡楓華(ケン・チョイ)が81年12月に出したカバーですが、オリジナルよりだいぶ歌がうまいですね。物まねコンテストだったら失格w
織田哲郎 & 近藤房之助『BOMBER GIRL』広東語版…張学友「愛火花」
1992年のヒット曲。歌っている張学友(ジャッキー・チュン)は90年代の香港で「四大天王」の1人と言われた歌手。
中森明菜『Tango noir』広東語版…甄楚倩(ヨリンダ・ヤン)「恕不奉陪」
おニャン子クラブ唯一の外国人メンバーだった甄楚倩(ヨリンダ・ヤン)が、香港に戻って歌ったのは中森明菜のカバーで、1988年1月に出したのが「恕不奉陪=タンゴノアール」と「難破船(sm22911855)」。ヨリンダの声質はかなり明菜と似ているし、当時17歳なのに歌唱力は抜群ですが、さすがにクルクル踊りながらは歌えませんでした。。。恕不奉陪とは「お相手はお断り」の意味で、恋人なんかいらないという女がダンスパーティーに乗り込み、一緒に踊ろうよと群がってくる妄想男どもを「近寄るな、シッシッ!」と追い払うという内容。ラストで明菜が♪わぁぁぁ~♪と炸裂する部分を生かそうと中国語の詞を付けたら、トンだ「笑話」になってしまいましたとさw。中森明菜の中国語カバー集http://www.nicovideo.jp/mylist/42416560
さだまさし『関白宣言』広東語版1…大AL「大男人主義」
さだまさしの『関白宣言』って1979年に発売された当時、かなり論争が起きて話題になったと思いますが、香港では翌80年にさっそく広東語カバーが出ています。「大男人主義」とは亭主関白のこと。内容はオリジナルとほとんど一緒です。歌っている大ALは70年代から80年代前半にかけて活躍した歌手で、張武孝という名前なのですが、もっぱら大ALと呼ばれていて、ジャケットにもそう書かれています。80年代に入って譚詠麟(アラン・タム)や張国栄(レスリー・チェン)が派手なステージで人気を集めると、限界を感じて歌手を引退。ナイトクラブのマネージャーをしていましたが、ショバ代をめぐるトラブルで襲撃されて重傷。その後ひっそり暮らしていたようですが、ここ数年はレトロブームでまたステージに立っているようです。
内山田洋とクールファイブ『中の島ブルース』北京語版…蔡幸娟「伊人何處」
『中の島ブルース』ってクールファイブの歌かと思っていたら、最初に歌ったのは秋庭豊とアローナイツだったんですね。北海道の炭鉱の社内バンドだったそうで。。。で、その北京語カバーの「伊人何處(あの人はどこに)」は、1980年に鄧麗君(テレサ・テン)が歌ったのが最初。この映像で歌っている蔡幸娟は当時、中学生でありながらドサまわりの歌手をしていましたが、「客からよくリクエストが来て歌ってた」そうな。台湾語カバーには、洪栄宏の「情難断」や、蔡小虎の「愛河恋歌(sm23066037)」、蔡一紅の「溪頭之恋」など、何種類もあるようです。
内山田洋とクールファイブ『中の島ブルース』台湾語版1…蔡小虎「愛河恋歌」
『中の島ブルース』ってクールファイブの歌かと思っていたら、最初に歌ったのは秋庭豊とアローナイツだったんですね。北海道の炭鉱の社内バンドだったそうで。。。で、その台湾語カバーは蔡小虎の「愛河恋歌」の他に、洪栄宏の「情難断」や、蔡一紅の「溪頭之恋」など数種類あり、さらに北京語カバーとして1980年に鄧麗君(テレサ・テン)が歌った「伊人何處(sm23064526)」もあります。一昔前の台湾では、日本で演歌がヒットすると何種類ものカバーが出ましたが、たぶん版権とかがイイカゲンだったので気安くカバーしちゃったのでしょう。ちなみに「愛河」とは高雄の中心部を流れる川で、東京なら隅田川、大阪なら淀川のような高雄を象徴する川。
松田聖子『青い珊瑚礁』北京語版1…金瑞瑶「青春属於你和我」
台湾初の「日本式アイドル」として1982年に登場した金瑞瑶。日本で人気のアイドル歌手の代表曲を片っ端からカバーしてしまえという戦術で、中森明菜は『ミ・アモーレ(sm23025792)』、早見優は『夏色のナンシー(sm22985481)』を中国語で歌いましたが、じゃあ松田聖子はどの曲かといえば、もちろん『青い珊瑚礁』w。明菜や優ちゃんのカバーを聴いた時は「歌が下手だなぁ」と思いましたが、この曲を聴くとなかなかうまい気がします。声質が聖子の曲に合ってる?それとも本人のノリの問題?しかし、レコード会社がメインとして売り出した曲は、聖子や明菜のカバーではなく、川島なお美のカバーソングでした(爆)。
山口百恵『イミテイション・ゴールド』北京語版1…徐小鳳「真金那怕火」
徐小鳳(ポーラ・チョイ)は70年代から80年代前半にかけて人気があった香港歌手で、広東語のほかにも北京語や日本語でもかなりの曲を出していました。「真金那怕火」というタイトルは、真金不怕火煉(本物の金は火にくべられても平気→信念を持った人はどんな試練でも乗り越える)という中国の諺をもとにしたもので、気持ちが離れていった恋人に、「あなたの正直な気持ちをちゃんと話しなさいよ」と迫る内容。北京語の真金(チェンヂン)と真情(チェンチン)の発音も掛けているようですが、これが広東語だと真金(チャンカム)と真情(チャンチェン)になってうまく掛かりません。原曲のイミテイション・ゴールドを敢えて本物のゴールドに置き換えたのは、作詞もした徐小鳳の遊び心?
山口百恵『イミテイション・ゴールド』広東語版…梅艶芳「不必想我」
「香港の山口百恵」を自負して1982年にデビューした梅艶芳(アニタ・ムイ)。特徴的なハスキーボイスとビブラートがウリで、曲ごとに派手な衣装やフリで人気を集めるなど、実際には「香港の中森明菜」でしたが、86~87年にかけては近藤真彦を巡って明菜と三角関係になり、破局した後は『難破船』の広東語カバー(sm22727454)を歌っていました(哀)。さて、82年の初アルバムは半分が百恵の歌のカバーで、この曲も収録されていますが、アニタの声はなんかアニメ声みたい?実はこの頃、アニタは『Dr.スランプ』の広東語主題歌「IQ博士(sm24696464)」を歌って、注目され始めた時期。そういえば明菜も歌番組でよく披露していた得意芸は、「アラレちゃんの真似」でしたねぇ。。。で、歌の内容は「早く私のことなど忘れて」というもの。
美川憲一『柳ケ瀬ブルース』台湾語版01&02…「淡水河辺」「想著彼個人」
『柳ケ瀬ブルース』は1966年のヒットソングですが、台湾語カバーには多くの歌手が歌っている「淡水河邊」と、宝島歌王こと葉啓田が68年から歌っている「想著彼個人」があり、さらに「想著彼個人」は歌う歌手によって一部の歌詞が違っていたりします。この映像はまず陳盈潔が「淡水河邊」を歌い、続けて陳思安が「想著彼個人」を歌っていますが、内容は「淡水河邊」が淡水河(台北市を流れる川)の畔でかつてデートした相手を思い出す歌、「想著彼個人」はかつて恋人の両親から「おまえは金がないからダメ」と結婚を反対された男が別れた相手の幸せを願う歌。
フランク永井『俺は淋しいんだ』台湾語版1…阿吉仔「再会夜都市」
台湾語でクソがつくほどの「ド演歌」を歌う人といえば、まず阿吉仔(アゲァー)。変な名前ですが本名は林清吉で、愛称の阿吉仔(日本風に言えば、よっちゃん)を芸名にした次第。小児マヒで足が不自由なのでステージでは丸椅子に座って歌うのですが、頭を激しく振りながら熱唱するので、台湾では物真似といえばまず「阿吉仔のマネ」が定番。本人も物真似を真似して、近年はますます頭を激しく振るようになっていますw。『俺は淋しいんだ』は1958年の歌ですが、台湾語カバーの「再会夜都市(さらば夜の街)」は今でもいろんな歌手が歌っています。日本でとっくに流れることのなくなった曲が、台湾ではまだ現役というのはよくあること。
アリス『チャンピオン』北京語版…毛寧「我」
『チャンピオン』はアリスの1978年のヒット曲ですが、2004年に中国で出たカバーソングが「我」。歌っている毛寧は遼寧省の出身ですが。1990年に広州で歌手デビューし、90年代に中国で活躍した人。当時の中国の歌手は不遇で、中国人はみんな「中国の歌手なんてダサダサ」だと相手にせず、同じ中国語の歌なら台湾や香港の歌を好んでいた状況でした。2000年に北京で刺されて負傷する事件が起き、同性愛のもつれが原因だなどと話題になりました。谷村新司やアリスの歌をかなり多くカバーしています。
山口百恵『青い果実』広東語版…鄭少秋「愛就愛到底」
♪あ~なた~が望むなら、わたしナニをされてもいいわ~♪と、いたいけな14歳の娘に歌わせて、1億総視姦状態に晒された山口百恵の衝撃ヒット作ですが、香港ではなぜか二枚目俳優の鄭少秋(アダム・チェン)が1975年にカバー。いわゆる「性典ソング」も、文語調の上品な歌詞を爽やかな声で朗々と歌い上げられると、ちっともイヤラシクありませんw。ちなみにジャケットに書かれている「天涯孤客」とは、♪しとしとぴっちゃん♪の『子連れ狼』の広東語主題歌(sm22822092)。このアルバムのメインの曲で、今に至るも鄭少秋の代表作。
尾崎紀世彦『さよならをもう一度』北京語版1…桜花「偷偷愛上你」
1973年の曲。桜花(サクラ・テン)は1960年代後半から70年代にかけて、マラヤ(現在のシンガポールやマレー半島)で大人気だった女性歌手。なぜ「テン」なのかというと、本名が鄧彩英だから。つまり鄧麗君(テレサ・テン)のテンと同じということ。この人はマレーシア出身ですが、中国語(北京語や広東語)に加えてマレー語(インドネシア語)、英語、そして日本語でも歌うという人で、日本語の曲もかなり出していました。だから「サクラ」なのでしょう。最近はシンガポールの言語事情を反映してか、英語で歌うことが多いみたいですねぇ。
皆川おさむ『黒猫のタンゴ』北京語版1…四千金「探戈小黑貓」
四千金(Four Golden Princess)はマレーシアの中国系の女の子4人組のグループで、1995年に結成された当時は5~7歳。2008年に解散したものの、最近また再結成されているらしいです。『黒猫のタンゴ』はもともとイタリアの童謡で、1969年に世界的にヒット。日本でもその年に皆川おさむが歌い、台湾では翌70年に白薇薇与五花瓣合唱団という女の子1+5人のグループが「探戈小黑貓」として中国語カバーしましたが、四千金が歌ったのはそれと同じもの。
近藤真彦『ギンギラギンにさりげなく』北京語版1…曹西平「一切有我」
日本のアイドルが香港や台湾、東南アジアを席巻した1980年代。香港では聖子ちゃんカットならぬMatchy頭(マッチカット)が流行していましたが、台湾では81年にMatchy頭の男性アイドル・曹西平がデビュー。ちゃんとバンダナもしてますw。映像はシンガポールでテレビ出演した時のもので、歌っているのは別の曲(「野性的青春」というデビュー曲)。しかし歌声を聴いてみると、マッチのようなハチャメチャさはなくて、なんかお行儀がいい。。。それもそのはずで、曹西平は5人兄弟(上から北平、東平、南平、西平、中平らしいw)で、父親と4人の兄や弟はみんな医師というエリート一家。育ちの良さが歌に出てしまったようで。
五木ひろし『よこはま・たそがれ』広東語版…甄妮「愛心任你取」
『よこはま・たそがれ』は1971年の五木ひろしとしてのデビュー曲。その前に別の芸名で何回もレコードを出して、さっぱりヒットしなかったようですが…。で、甄妮(ジェニー・ツェン)が香港で広東語カバーの「愛心任你取」を出したのは1980年。内容は、夜の空港から飛び立とうとする女が、搭乗手続きに並ぶ列の横で、見送りに来ない男を待ち続けているという歌。何しろ香港は狭くて電車もすぐ終点に着いてしまうので、駅じゃ「別れの旅立ち」というイメージにならないのでしょう。台湾では、駅や列車が演歌のシチュエーションとして定番ですけどね。。。