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中森明菜『禁区』広東語版3…李麗蕊(サラ・リー)「恋愛熱線」
1984~85年にかけ、香港で「第一次(sm22739843)」「恋愛熱線(sm23096628)」「禁区(sm22895138)」「背棄命運」の4種類(他に台湾で2種類)ものカバーが出現した『禁区』。なぜそんなにウケたのでしょう?日本語で「禁区」っていまいち意味不明ですが、広東語では①立ち入り禁止区域、②駐停車禁止区域の意味で、特に②はタクシーやミニバスに乗って「ここで降ろして」と言うと、「禁区だからダメだよ!」と先の方まで連れて行かれるなど、日常的によく使う言葉。途中下車できないから♪戻りたい、戻れない♪で、理解されやすかった?李麗蕊(サラ・リー)は『セカンドラブ(sm22886035)』に続く明菜のカバーですが、生の歌では声が裏返ってますw歌の内容は、♪失恋で悩んでいるなら、私に電話してよ♪という恋愛ホットライン。
村木賢吉『おやじの海』台湾語版1…葉啓田「媽媽」
村木賢吉の『おやじの海』って、いかにも素人みたいなおっさんが熱唱している姿が妙にインパクトありました。当時はまだカラオケなんて普及してなかったし、素人(みたいな人)がマイク持って歌うのって、「のど自慢大会」くらいでは?で、その『おやじの海』の台湾語カバーが「媽媽」つまりママ。宝島歌王こと台湾演歌の大御所・葉啓田が♪ママよ~、ママよ~♪と熱唱するのもなかなか味があります。葉啓田は大ヒット曲「媽媽請你也保重」をはじめ、「媽媽請保重」「媽媽請你不通痛」「媽媽交待的話」「媽媽我思念您」「送給媽媽的歌」等々、無数の「ママ演歌」を歌っています。ちなみに台湾語を含め中国語では、ママには外来語的なニュアンスはなく、普通に「お母さん」「おふくろさん」という感じ。
松田聖子『白いパラソル』北京語版…張薔「白色的陽傘」
まだみんな人民服を着て「同志」と呼び合っていた1980年代の共産中国で、日本のNHKですら放送禁止になった中森明菜『少女A』のカバー(sm22924517)を大胆にも発売した雲南省の放送局が、続けて発売したのは松田聖子『白いパラソル』のカバー。どうでもいいけど、イントロ出だしのピアノが『少女A』みたいで、それが何度も繰り返されますw。「少女A」を歌った嘟嘟はいつしか姿を消してしまいましたが、「白色的陽傘」を歌った張薔は、香港人と結婚して「サラ・チャン」と名乗り、オーストラリアへ留学し、その後離婚。こんどは北京で元軍人のビジネスマンと再婚して、歌手活動もしっかり続けていたりと、聖子のように逞しくやっています。。。
西城秀樹『傷だらけのローラ』広東語版…大AL「羅娜」
かつて日本のアイドルが地元歌手を圧倒していた香港。1980年代半ばは明菜とマッチがブームを巻き起こしましたが、その前は山口百恵や沢田研二、そして西城秀樹が大人気でした。『傷だらけのローラ』は1981年に大ALこと張武孝がカバーしましたが、なんか風貌がヒデキみたいだし、声がしゃがれているところも似てる?ところで中国人はラとナの発音がごっちゃになるみたいで、「羅娜」はローナ。よく聴いてみると大ALは、♪ローラ♪と歌ったり♪ローナ♪と歌ったりバラバラです。この曲の北京語版はマレーシアと台湾、中国で出ましたが、タイトルは「羅娜」だったり、「羅拉(ローラ)」だったり。。。
堺正章『さらば恋人』広東語版…陳慧嫻「胡思乱想」
80年代の香港の女性アイドル・陳慧嫻(プリシラ・チャン)が、歌手を引退してアメリカへ留学していた1992年、レコード会社の頼みで出したアルバムの中の1曲。84年にデビューしたプリシラは、当初は清純派カワイ子ちゃん路線でしたが、80年代後半は荻野目洋子の『ダンシング・ヒーロー』のカバー(sm22753871)を歌って日本式元気印アイドルのイメージで売っていましたが、留学中に出したこのアルバムは『花咲く旅路(sm22768238)』や『バスストップ(sm22876564)』のカバーなど、しっとりと聴かせる曲が多くなっています。
小林幸子『幸せ』北京語版…任賢斉(リッチー・レン)「傷心太平洋」
1998年頃、中華圏全体でやたらと流行った曲。任賢斉は台湾人で90年頃にデビューしましたがあまり売れず、96年にレコード会社を移籍してから中国大陸で売れ出し、香港を経てこの曲で台湾でも売れたという人。それ以降は映画やテレビドラマにも多く出演しています。
夏木マリ『絹の靴下』北京語版…陳和美「珍重」
『絹の靴下』は1973年に大ヒットした夏木マリとしてのデビュー曲。それにしても、当時は絹の靴下メーカーはトンだとばっちりでしょうね?子供は素直に「絹の靴下って、履くと頭がおかしくなるんだ」と思い込んでましたもんw。その北京語カバー「珍重」は、歐陽菲菲や鳳飛飛、甄妮、邵音音などいろんな歌手が歌っていましたが、これは75年に陳和美が香港で出したもの。陳和美は台湾人と日本人のハーフだそうで、台湾でデビューしたのち、73年から「電眼美人」をキャッチフレーズに香港で活動し、北京語の他にも怪しげな日本語で大量の曲を出していました。広東語でもレコードを出しましたが日本語以上にかなり怪しい発音でした(sm23140951)w。後半は陳和美の日本語版ですが、♪あ~抱いて~クモのように~♪???
石川さゆり『津軽海峡・冬景色』台湾語版2…蔡小虎「最痴情的人」
1977年の大ヒット曲『津軽海峡・冬景色』は、台湾では何種類もカバーされていて、北京語版は「一片落葉(sm22747900)」と「黄昏的海辺(sm23298363)」、台湾語版は「咱的一生咱的愛(sm22747842)」のほか、2003年に出た新しいカバーの「最痴情的人」があります。歌詞は別れた女の香りが忘れられない…という内容ですが、出だしの部分で♪コーヒーの苦みに、レモンの酸っぱさ♪とありますが、台湾ではコーヒーにレモンを入れて飲むんでしょうか?香港の喫茶店のメニューには一応「檸檬咖啡」はありますが、ホットでもアイスでも檸檬可楽(レモン入りコーラ)の方がポピュラーです。それにしても、蔡小虎は台湾語でも日本語でも演歌が上手いですねぇ。。。
『仮面ライダー主題歌』広東語版2…「仮面特首ドナルド」
香港のテレビで2011年から12年にかけて放送された政治バラエティ番組『我要做特首』(私も行政長官になりたい!)の番組予告CMですが…なんだこりゃ?w日本で『仮面ライダー』がブームだった70年代、香港のテレビでも「幪面超人」のタイトルで放送されて男の子に大人気となり、香港の中年男性は♪セマル~ショッカ~♪」と歌えたりします(sm22748069)。香港政府トップの行政長官である曽蔭権(ドナルド・ツァン)は、「強権政治だ」「民主化に消極的」「北京(中国共産党)の顔色ばかり窺ってる」と批判されていますが、こういうCMが流せること自体、報道の自由は日本以上かも?ちなみに中国語には「仮」の字はなく(假を使う)、香港人は反面特首(反面教師ならぬ反面行政長官)というタイトルだと理解してるようです。
久保田早紀『異邦人』広東語版…徐小鳳「行蹤不要問」
『異邦人』は1979年のヒット曲ですが、翌80年に香港で徐小鳳(ポーラ・チョイ)が広東語カバーしたのが「行蹤不要問」。行き先は聞かないでという意味で、♪人は浮雲のように、一生根を下ろすことはできないのよ♪♪行き先は聞かないで、でも私の幸せを祝して♪と、モヤモヤを振り払うべく心機一転で旅立つ女の歌。広東語は「唐の時代の中国語の面影を残している」というだけあって、現代の広東語ポップスも多くの場合、昔の漢詩のように韻をきちんと踏んでいます。この曲もフレーズごとにanかamで終わって韻を踏み、広東人的に耳触りが良い曲になっています。98年に北京語カバー「異郷人(sm23135247)」が出ましたが、北京語ポップスは漢文式に韻を踏むことよりも、話し言葉に近くわかり易い歌詞が主流です。
久保田早紀『異邦人』北京語版1…艾敬「異郷人」
1998年の曲。艾敬(アイ・ジン)は中国の瀋陽(昔の奉天)出身の歌手で、1992年に「我的1997」でデビュー。「香港が1997年に中国へ返還されたら、自由に香港へ行けるから楽しみ~♪」みたいな歌で、中国で大評判となり、香港で大ヒンシュクをかいました。ま、本人は96年にアメリカへ留学して、その後はニューヨークを中心に活動しているみたいですが。。。90年代にはしばしば日本でもテレビに出たり、コンサートを開いたりもしています。『異邦人』は80年に香港の徐小鳳(ポーラ・チョイ)が広東語(sm23132090)で、甄妮(ジェニー・ツェン)が北京語(sm32650201)でカバーしていますが、広東語ポップスは一般的に硬い文語調の歌詞なのに対して、北京語ポップスは話し言葉に近くわかり易い傾向にあります。
藤島桓夫『さよなら港』台湾語版1…林俊彦「再会呀港都」
『さよなら港』って曲、知らない人がほとんどだと思いますが、1956年の藤島桓夫のヒット曲。翌57年には曲名がタイトルになって映画化されたそうで。。。その台湾語カバー「再会呀港都」は70年代からいろんな歌手が歌っていますが、映像の林俊彦は台湾で日本語で歌わせたら恐らく一番という歌手。台湾のテレビで日本語が禁止され、かつ戦前に日本語教育を受けた世代が健在だった70年代から80年代にかけて、台湾各地の歌謡ショーで日本語の歌を歌いまくり大活躍した人ですが、90年代になってテレビでの日本語使用が解禁されると歌謡ショーの観客はガタ減りし、一時は歌手を休業して日本からファッションの輸入をしていたとか。ちなみに「港都」とは高雄の愛称。
郷ひろみ『How many いい顔』広東語版…張国栄「恋愛交叉」
『How many いい顔』は1980年のヒット曲ですが、張国栄(レスリー・チェン)が広東語でカバーしたのは83年。「交叉」とはバツのこと。モナリザのようにクールでイイ女に一目惚れして、付き合ってくれと言ったら、×のポーズをくらった…という内容です。
ちあきなおみ『四つのお願い』北京語版1…鄧麗君「四個願望」
『四つのお願い』は1970年のちあきなおみの出世作ですが、台湾では同じ年に尤雅(後に来日デビューした時の名は、優雅)がカバー。その後、今日に至るまで鄧麗君(テレサ・テン)も含めていろんな女性歌手が歌っています。この映像は78年に香港のテレビ局が放送したもの。当時、テレサは日本での成功に続いて香港進出に力を注いでいましたが、翌79年にインドネシアのパスポートを使用したことで、しばらく来日できなくなり、本格的に香港を拠点にすることになります。タイトルは原曲そのまんまですが、「四つのお願い」の中身は、原曲は①やさしく愛して②わがまま言わせて③淋しくさせないで④秘密にして…ですが、中国語カバーでは①バラが欲しい②お星さまが欲しい③山で月が見たい④手をつないで砂浜を歩きたい…。
中森明菜『ジプシー・クイーン』広東語版…林志美「教堂派対」
1987年の曲。林志美(サマンサ・ラム)は80年代に活躍した歌手ですが、90年以降はレコード会社の移籍をめぐってトラブルになり、休業状態になりました。。。「教堂」とは教会、「派対」とはパーティーのこと。中森明菜の中国語カバー集http://www.nicovideo.jp/mylist/42416560
姿憲子『姿三四郎』北京語版…徐小鳳「柔道龍虎榜」
1973年に香港で大ヒットした曲。香港で地上波テレビ放送が始まったのは67年と遅く、まだ番組制作能力が低かった70年代は大量の日本製ドラマを放送し、その1つが『姿三四郎』改め「柔道龍虎榜」。ドラマは広東語吹き替えですが、主題歌は日本語のまま流していたので、じゃあ主題歌の中国語版を作って歌ったら売れるのでは?と企画したところ、大当たり!1番2番は日本語で、3番でようやく中国語になるのはドラマに近づけるためですが、徐小鳳(ポーラ・チョイ)も精一杯ドスを利かせて唸ってますw。ちなみに中国語の部分は徐小鳳が自ら作詞したとかで、ドラマとは関係なく捨てた男への怨歌。「柔道龍虎榜」は2004年に香港で映画化され、徐小鳳が再びドスの利いた日本語で唸っている…いや歌っているとか。
姿憲子『姿三四郎』広東語版…陳和美「柔道龍虎榜」
香港で放送されて大人気だった日本製ドラマ「柔道龍虎榜」こと『姿三四郎』の主題歌を、1973年に徐小鳳(ポーラ・チョイ)が中国語(北京語)でカバー(sm23140860)してみたら大ヒットしたので、じゃあ広東語でカバーしたらもっとヒットするかも?と翌74年に出たのがこの曲。台湾から来た陳和美は、オリジナルよりもドスが利いた怪しげな日本語の歌唱で大迫力ですが、肝心な広東語は…ハッキリ言って日本語以上にメチャクチャw。というか、広東語の発音をカタカナで書いて読んでる感じです。陳和美は台湾人と日本人のハーフなので、実際その通りかも?陳和美の広東語を聴いてると、昔タモリがやってたハナモゲラ語(インチキ日本語)を思い出しますwちなみに画像の「柔道女金剛」とは、美空ひばりの『柔』のこと。
太田裕美『木綿のハンカチーフ』北京語版1と広東語版…陳秋霞「六月天」
『木綿のハンカチーフ』は1975年末から76年にかけての大ヒット曲ですが、香港では陳秋霞(チェルシア・チャン)が78年に広東語と北京語でカバー。同じ曲で広東語版と北京語版が作られ、香港の歌手が両方歌うことはよくありますが、たいてい作詞家は別でタイトルも内容もまったく異なることがほとんど。しかしこの曲の場合、タイトルはどちらも「六月天」で、歌詞の内容もほぼ同じ。六月の海辺で恋人とデートし、貝殻を拾う女の子の歌ですが、語呂の関係で広東語では♪大きな貝殻♪なのが、北京語では♪小さな貝殻♪になってたりします。で、陳秋霞は香港人なので前半の広東語版ではのびのび歌ってますが、後半の北京語版では硬くなってるのか声も1オクターブ上がってる?でもこういう歌は北京語の方が合いますねぇ。
森山良子『禁じられた恋』北京語版1…桜花姐妹「誰能禁止我的愛」
ん?ザ・ピーナッツの登場かと思っちゃいましたよw。桜花姐妹は詹雅雯と詹雅芸の2人で、ザ・ピーナッツみたいに双子じゃないけど、実の姉妹。最近では妹の詹雅芸は引退して、姉の詹雅雯がソロで歌っているみたいです。。。『禁じられた恋』は1969年のヒット曲ですが、台湾では70年頃から北京語カバー「誰能禁止我的愛」が登場し、鄧麗君(テレサ・テン)や欧陽菲菲、包娜娜 、青山などいろんな歌手が歌っていました。しかし、鄧麗君のカバー(sm23149815)は他の歌手のカバーとタイトルは同じなのに歌詞がまったく違っていて、この映像で歌っているのはその他の歌手バージョンの「誰能禁止我的愛」。
森山良子『禁じられた恋』北京語版2…鄧麗君「誰能禁止我的愛」
1969年に『禁じられた恋』がヒットすると、翌70年頃から台湾では北京語カバーソングの「誰能禁止我的愛」が登場してしましたが、鄧麗君(テレサ・テン)が歌ったものと、欧陽菲菲(オウヤン・フイフイ)など他の歌手が歌ったもの(sm23146401)は、タイトルは同じでも歌詞が異なりました。しかし結局、テレサも後に他の歌手と同じバージョンを歌うようになり、こちらのバージョンはあまり歌われなくなってしまいました。まるで「ベータマックスのビデオ」状態。。。他の歌手版は歌詞が口語的でわかり易いのに対して、鄧麗君版は漢文みたいな表現もあってやや文語的です。
山口百恵『禁じられた遊び』広東語版…鄭少秋「傾心一笑中」
1980年代に中国大陸でも大人気となった山口百恵。「香港の山口百恵」と自称する歌手が出現したり(梅艶芳=アニタ・ムイ。実態は「香港の中森明菜」)、台湾では「千百恵」なる芸名の歌手がデビューしたりしました(千は千昌夫から拝借)。山口百恵が中華圏で人気になったのは、TVドラマ『赤い疑惑』が各国で放送されてからで、それ以降、香港や台湾の歌手がこぞって百恵の歌をカバーしましたが、そんな中でブレイクする前から百恵のカバーを歌っていたのが鄭少秋(アダム・チェン)。75年の『青い果実(sm23086148)』に続いて、79年に出したのが『禁じられた遊び』のカバー。♪キミの笑顔に一目惚れ♪という類の歌ですが、何だか時代劇の主題歌みたい。。。実際に鄭少秋はテレビ時代劇の二枚目俳優として有名でした。
都はるみ『北の宿から』台湾語版1+北京語版3…「無緣何必熟識+勿忘家鄉」
1982年から出た「日本の演歌をオリジナルの日本語と、台湾語と北京語のカバーと、3つまとめて歌っちゃえ」という《三語一体系列》なるシリーズ企画もの。3言語で歌っている蔡幸娟は、当時17歳。82年と言えば、日本では明菜やキョンキョンなど当時17歳のアイドルがわんさといましたが、さすがに3言語で歌える子はいませんでした。ま、早見優なら2言語で歌ってましたけど。。。85~86年あたりに蔡幸娟は香港にも進出して広東語を含めた4言語で歌いますが、さすがに無理があったのか、広東語の歌は数曲でおしまい。
中村雅俊『恋人も濡れる街角』広東語版1…黄凱芹「雨中的恋人們」
『恋人も濡れる街角』は1982年のヒット曲ですが、広東語カバーの「雨中的恋人們」が出たのは10年後の1992年。黄凱芹(クリストファー・ウォン)はDJ出身の歌手で、80年代後半から90年代初めにかけて活躍していましたが、90年代になると香港の男性シンガーでは四大天王(張学友、劉徳華、黎明、郭富城)が君臨。レコード会社を移籍したりしている間にいつしか引退してしまいました。たぶんこの曲が最後のヒット曲で、現在はカナダ在住とか。
松田聖子『風立ちぬ』北京語版…張薔「秋風吹来」
まだみんな人民服を着て「同志」と呼び合っていた頃の共産中国で、中森明菜の『少女A(sm22924517)』のカバーを出した謎の雲南放送局が、続けて松田聖子の『白いパラソル(sm23102442)』とともに出したのがこの曲。イントロの出だしで『少女A』の出だしみたいなピアノがちょっと入るのは、すっかり雲南放送局のお気に入りなのかも?サビの盛り上がりが、♪再見再見~、再~見~再~見~♪と「ツァイヂェン」連呼なのが聴かせてくれますwなんだかそこらの女の子がカラオケで歌っているようですが、これが当時の雲南クオリティ。松田聖子の中国語カバー集→http://www.nicovideo.jp/mylist/42416597
水前寺清子『三百六十五歩のマーチ』広東語版…徐小鳳「500歩」
70年代から80年代にかけての中華圏は、日本の歌は何でもかんでもカバーしてたんですねぇ。ま、この曲は日本で大ヒットしたんだから当然なんですけど、改めて実感した次第。水前寺清子が歌ったのは1968年でしたが、徐小鳳(ポーラ・チョイ)が広東語で歌ったのは78年になってから。タイトルの「500歩」とは、健康のために子供と毎朝体操とジョギングをしよう!ということで毎日500歩。マジなんですね。。。2番では毎朝山に登ろう!という内容になり、♪イバラの道を恐れずに、毎日一歩進んで♪とか原曲のような人生の応援歌チックになってきます。なお、香港でこの曲のカバーが出たのは初めてではなく、74年に怪しい日本語が魅力の陳和美が、日本語のままカバー。また台湾では70年に北京語でカバーが出たとか。
五木ひろし『夜空』台湾語版1…王識賢「情難忘」
やっぱり台湾語は演歌が似合いますね~w五木ひろしの『夜空』は1973年の大ヒット曲で、当時からある北京語カバーの「夜空(sm23161678)」は台湾でいろんな歌手が歌ってポピュラーですが、台湾語のカバーは割と最近出たものが3つあって、洪栄宏の「夜空」、蔡小虎の「挽面(sm23294766)」、そして王識賢の「情難忘」。「情難忘」は2004年に出た一番新しいカバーですが、王識賢が出ているテレビドラマ「意難忘」の主題歌になり、シンガポールやマレーシア、中国でも放送されたので中華圏でかなりヒットしました。この動画は王識賢の熱唱が堪能できるのですが、途中乱れがあるのが残念!
五木ひろし『夜空』北京語版1…羅時豊「夜空」
五木ひろしの『夜空』は1973年にレコード大賞を受賞した大ヒット曲で、翌74年には台湾で青山が北京語カバー「夜空」を出し、これまでに多くの歌手が歌っています。他に台湾語では「夜空」「挽面(sm23294766)」「情難忘(sm23160988)」の3つのカバーがあり、香港では広東語の「夜空(sm23294702)」もありました。
由紀さおり『夜明けのスキャット』広東語版1…徐小明:回声谷裡念離情
♪ル~ルルルル~♪とか言ってるだけで1番が終わってしまい、2番になってようやく歌詞が登場するという1969年の怪曲かつ大ヒット曲。76年に香港で出た広東語カバーも、1番は女性の♪ル~ルルルル~♪ですが、2番になったら男かよ!w「回聲谷裡念離情」というタイトルは、直訳すれば「こだまの響く谷で別れた愛を想う」で、徐小明は作詞もしています。徐小明はこの頃、歌手兼俳優でしたが、80年代には映画監督やプロデューサーとして大活躍し、現在では映画会社社長と香港最大のケーブルテレビの大幹部に出世してます。ちなみに『夜明けのスキャット』は、後に最後まで女性が歌う別の広東語カバーが2つ登場。
『ダンシング・オールナイト』北京語版1…曽心梅「但是又何奈」
『ダンシング・オールナイト』は1980年にもんた&ブラザーズが歌ったヒット曲ですが、台湾では翌81年に北京語カバー「但是又何奈」が出現して、多くの歌手が歌っています。最初に歌ったのは当時人気歌手だった崔苔菁らしい?この映像で歌っている曽心梅は主に台湾語の曲を歌っている歌手で、最近では番組の司会などもしています。タイトルの「但是又何奈」は、訳せば「だけどどうしたらいいの?」という意味ですが、北京語で読むと「ダンシーヨーフナイ」で、歌ってると♪ダンシングオールナイト♪と被って聴こえるので、よく名訳(迷訳)だと言われています。こういう作詞家の遊びは、台湾では『夕焼け小焼け(sm22727374)』以来の伝統。一方でヒットしなかった台湾語版はこれ(sm23171753)。
『ダンシング・オールナイト』台湾語版…洪栄宏「担心又何奈」
もんた&ブラザーズの『ダンシング・オールナイト』の中国語カバーは、台湾では1981年に出た北京語版の「但是又何奈(sm23164121)」が有名ですが、台湾語版も81年に出ていて「担心又何奈」。意味は「心配してどうする」で、歌詞の内容は、♪道を踏み外すな、苦しみに耐えろ、前途を切り開くと決意しろ、頑張って明るい道を探し出せ♪という、台湾演歌によくあるド根性もの。
わらべ『もしも明日が…。』広東語版1…開心少女組「明天」
開心少女組とは1985年から86年にかけて活躍した香港のアイドルユニットで、女子高生コメディ映画『開心鬼(ハッピー・ゴースト)』シリーズに出演した10代の新人女の子たちで構成。映画の主題歌を歌わせてみたらヒットしたので、立て続けにレコードを出し、メンバーや人数は絶えず変動、メンバー全員で歌う曲もあれば、ソロで歌う曲もあると、何だか後のおニャン子クラブみたいな仕組み。「明天」を歌っていた時のメンバーは、陳加玲(チャーリン・チャン)、羅美薇(メイ・ロー)、袁潔瑩(フェニー・ユン)の3人。そういえば、私はその1人に日本語を教えたことがあります。。。日本語を勉強する理由を聞いたら「おばあちゃんが日本人だから」だって。今は超大物歌手の奥さんですよw
わらべ『もしも明日が…。』北京語版1…金瑞瑶「駅」
1982年にデビューした台湾初の「日本式アイドル」金瑞瑶。「日本で人気があるアイドルの代表曲を片っ端からカバーして歌えば、人気が出るのでは」という戦術で、松田聖子『青い珊瑚礁(sm23069695)』、中森明菜『ミ・アモーレ(sm23025792)』(ホントは『赤い鳥逃げた』)、早見優『夏色のナンシー(sm22985481)』などを次々とカバーしましたが、それらの人気アイドルを抑えて、84年にレコード売上げ第1位に輝いたわらべの『もしも明日が…。』も、もちろん見逃さずにカバーw。そういえば、わらべって3人組だと思いましたが、この頃は例の「ニャンニャン事件」で1人追放された後だったので、2人組になってたんですね。。。