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シーイーの古都京都巡り064御金神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「御金神社」
です。
はじめに…
日中は人がゴッタガイしている神社だったりするので、
仕事が終わったタイミングで撮影したものの…
手振れがひどくて…( ̄▽ ̄;)
息を止めて撮影して成功した写真を使ってます。
事務所から徒歩圏内の場所で助かりましたw
元々この神社は一般人のお家にあった社だったが、
近隣住民からの嘆願により一般の神社にグレードアップした処。
歴史的な見解としては、
平安時代では陶器などの生産地区で、
江戸時代になると金座・銀座(現在の造幣局に相当)があった辺りで、
そういった職人さんの町でもあった。
ために金属の神である「カナヤマヒコ」が祀る社があるのは、
容易に想像ができます。
シーイーの古都京都巡り039,040本願寺と真宗本廟
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「(京都)本願寺」と「真宗本廟」
です。
今回は多層建てで紹介します。
前者は「西本願寺」 後者は「東本願寺」
とガイドブックには載ってます。
戦国時代に各地で起こった「一向一揆」の最高総司令官である
本願寺の「浄土真宗本願寺派第11世宗主」光佐(顕如)は、
公家の三条家から妻を迎え、甲斐の武田信玄と義兄弟となり、
長男の光寿(教如) 三男の光昭(准如) 他を授かった。
その長男が東本願寺 三男が西本願寺の初代住職となります。
シーイーの先祖は、伊勢長島一向一揆の関係者だったとかで、
400年遡ると、密接な関係があるお寺となる為に、
説明の内容はオブラートに包んだつもりです。
シーイーの古都京都巡り036霊光殿天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「霊光殿天満宮」
です。
道真さんから数えて6代となる末裔の方が、
現在の東大阪市の若江に建立した天満宮が、
平安京に遷ってきました。
元寇・応仁の乱と波乱に満ちてますが、
徳川家康が関与したことで、
江戸時代では特別な扱いとなってます。
コラム2 京洛八社めぐり
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
前回に続きシーイーのコラムです。
いつになったら、本格的に撮影にいけるやら・・・
過去の写真を使っているので、
季節感がバラバラなのはご了承ください。
お題は「京洛八社めぐり」
前回に続きスタンプラリーものです。
年がら年中のいつでもスタートと完了ができます。
北から順番に
御霊神社
水火天満宮
白峯神宮
護王神社
菅原院天満宮
下御霊神社
菅大臣神社(菅大臣天満宮)
文子天満宮
カンのいいひとは、列挙だけで気がつきましょうが、
半分が菅原道真さんを祀っている天神さんで、
二か所が早良親王(崇道天皇)を祀っていて、
一か所が崇徳天皇を…
「怨霊フィーバーだぜ!」
とまでは言いませんが、
護王神社もあわせて、
政治的に追い詰められたことのある偉人が
祀られている神社ばっかりです。
シーイーの古都京都巡り017菅大臣神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第三段
「菅大臣神社」
の紹介になります。
今回から
「京洛八社集印めぐり」の対象神社の紹介になります。
平安京遷都のタイミングでは、
健都のベースキャンプだったそうで、
建築作業員が寝泊まりしたり、
建築資材を置いたり加工したりの場所だったそうです。
嵯峨天皇(桓武天皇の次男)時代に建都が落ち着くのですが、
その頃から役宅(役人の宿舎)に平行活用となったみたいです。
菅原道真も同様に、文章生(役人になる資格を取得してる人)時代に寝泊まりしたのと、
右大臣時代では、文章生の相談や指導を行っていたそうです。
そんな歴史から、
「菅公聖跡二十五拝」
に選定されて、第3番目となっております。
シーイーの古都京都巡り013賀茂別雷神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は松尾大社に続いて「王城鎮護」の神社
「賀茂別雷神社」
の紹介になります。
通称の「上賀茂神社」の方が有名ですかね。
全国の神社に摂社や末社などにおいて、
鎮座する「加茂社」の総本宮になり、
「賀茂御祖神社」(通称 下鴨神社)とセットで
山城国一宮になります。
5月15日はメインのお祭である「葵祭」が行われます。
※2020年の葵祭は、残念ながら中止となりました。
ここもユネスコ世界文化遺産となります。
タイマーがズレてて54分ほど、
投稿が遅れちゃいました(テヘ
2024年新春参詣
2024年 無事に新年を迎えれし事、慶賀至極と存じます。
しかしシーイーは喪中にて、残念この上なく。
さてこそ、
今年も元日そうそうから、いろんな神社を参拝してきました。
今年は去年に知り合った「のん」という女性が同行しております。
・京都十六社朱印めぐり
・京洛八社集印めぐり
を二人でスタコラサッサと実施してきました。
最後の最後で事故があったのですが…
中々レアな経験です。
シーイーの古都京都巡り055教王護国寺と西寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「左大寺(教王護国寺)」と「右大寺(西寺)」
前者は「東寺」の別称が有名すぎるお寺。
です。
平安京の建都のタイミングでは、
桓武天皇は建立する気はなかったらしい。
唐から帰国した最澄が「本場の仏教」についての報告により、
奈良の都の「西大寺」と「東大寺」を規模縮小の形で、
羅城門の両サイドに五重塔だけを建立させたのが始まりとも。
度重なる災害で、双方ともに幾度と修築や再建がされるが、
最終的には、西寺は再建されずとなり、現在は「西寺跡公園」に。
東寺は各幕府が関わった事により、令和の現在にも残っています。
シーイーの古都京都巡り015長岡天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第一段
「長岡天満宮」
の紹介になります。
写真は、天満宮近くの総合病院に向かうにあたり、
通り道ついでで撮影したものになります。
コラムの第一回目で名前が出てきましたが、
平安時代中期に、菅原道真さんの幼馴染である
中小路宗則さんが、彼を祀る社殿を建てたのがはじまりです。
現在もその末裔の中小路さんが、
神社の管理をされております。
余談ですが、2020年5月現在の市長さんも、この苗字だったり。
そして、
「菅公聖跡二十五拝 5番目」
でもあります。
シーイーの古都京都巡り052御香宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「御香宮」
発音は「ごこうぐう」でも「ごこうのみや」どちらでもOKとの事。
です。
創建時期は全く不明であるも、
平安時代の文献に名前が出てくることから、
奈良時代にはあったと思いますよ。
応仁の乱の被害があったと思われるものの、
これまた文献はありません。
羽柴秀吉が豊臣姓になる直前に、
天皇家などに声かけしたことで修復。
菊の御紋が入った。
秀吉が伏見城築城に際し、
城の鬼門封じで移動させたので「五七桐」が入った。
秀吉の没後に家康が元に戻したり、修復したので、
「葵の御紋」が入った…
現在も其々の紋所があります。
余談ですが、参道が大手筋商店街でもあるので、
商店街のCMでは、当社本殿で参拝しているシーンがあります。
(特に京都のCATV「みやびじょん」で流れるCMです。)
シーイーの古都京都巡り034正覚寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「正覚寺」
です。
宗派 浄土宗 知恩院派
山号 成等山[せいとうざん]
開基/開山 貞誉[ていよ]
本尊 阿弥陀如来
応仁の乱で荒廃している状態の都に建立されたそうで、
時期的には「桶狭間の戦い」の前年だそうです。
豊臣政権の時代に、
知恩院と誓願寺が、どちらの所属の末寺になるか、
揉めていたそうで、
1615年に徳川家の裁定でやっと確定。(知恩院派となる。)
直後に伏見城の「朱色の城門」が下げ渡されて移築。
そこから「赤門」という愛称がある寺院になります。
シーイーの古都京都巡り027小倉神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「小倉神社」
です。
主祭神:
・タケミカヅチ
他
摂社/末社:
・若宮神社
・天満宮
ほか
この地には古墳があり、
718年にその古墳の社をリサイクルする形で
神社になったらしいです。
桓武天皇の「長岡京遷都」に伴い、
都の逆鬼門(鬼門封じ)の神社として大々的に増築されたようで、
平安京でも同じ方角から「平安京の鬼門封じ」としても活躍。
室町末期になると、
当社から東に1kmほどの「小泉川」を挟んで
羽柴秀吉 VS 明智光秀
「山崎の戦い」 もしくは 「天王山の戦い」
と呼ばれる合戦があり、
秀吉が戦勝祈願で代理人を参詣させた記録があります。
シーイーの古都京都巡り041光明寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「光明寺」
です。
西山浄土宗(せいざんじょうどしゅう)の総本山。
平安末期から鎌倉初期にかけて活躍の
「法然」と「熊谷直実」が建立したお寺。
直実は平家物語にも出てくる人物です。
法然が初めて説法をした事でも有名です。
参考文献
・長岡京市史資料集成2 長岡京市の寺社
・シーイーの地元調査メモ
シーイーの古都京都巡り020白峯神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「白峯神宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その4。
主祭神:
・崇徳上皇
・淳仁上皇
摂社/末社:
・地主社[じしゅしゃ]
・潜龍社[せんりゅうしゃ]
・伴緒社[とものおしゃ]
明治天皇のお父さんである「孝明天皇」が、
幕府の政治不信による国内混乱を鎮静すべく、
幕府に「建立するよ」と声をかけたものの、
幕府がなかなか首を縦に振らす、
幕末になってやっと振ってくれた。
時すでに遅く、孝明天皇は崩御。
明治天皇が意志を継いで建立した神宮になります。
土地の問題から、飛鳥井家が屋敷を提供。
蹴鞠宗家の飛鳥井家が、屋敷で信仰・崇拝の精大明神を摂社として、
神宮の建立となりました。
明治天皇は白峯神宮の建立の成功に伴い、
平安神宮や明治神宮といった「神宮建立」に積極的になりました。
他にも京都では「護王神社」や「梨木神社」が建立、
全国では「靖国神社」を総本宮とする「護国社」建立のきっかけにもなりました。
本来の護国社は、
幕末の動乱や戊辰戦争などて落命した方々をお祀りしています。
いつしか諸外国との戦没者も合祀…
(ここでは説明を割愛…)
シーイーの古都京都巡り077神川神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「神川神社」
です。
少し前の羽束師神社、前々回の久我神社と同じく長岡京の東を鎮護する神社。
長岡京に関する文献では、新設の神社らしいです。
各文献にもこの神社は登場するので、奈良末期からあるらしいのですが、
神社史としても創建時期が不明となってます。
堺市の住吉大社から勧請だけあって、住吉さんが祀られてますが、
昨今は近隣の宅地開発が進んでおり、住宅地になってます。
シーイーの古都京都巡り050涼森神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「涼森神社」(すずしのもり じんじゃ)
です。
創建は、なんと仁徳天皇の時代という、
京都でも指折りな歴史が長い神社になりますが…
無名すぎる神社でもあります。
例えば、この11月なのに七五三で来られてる家族が居ない…
とか…
元々は巨椋池の西端で、水の出口が木津川へと流出する場所で、
仁徳天皇の時代では、小島が沢山あったらしいです。
その場所に水害を封じる神社として建立されたそうです。
室町時代になると、お城が築かれて「美豆(みず)城」とよばれていました。
神社やお寺が城郭となっているのは、よくあるお話ですよね。
ここもそんな歴史があった神社になります。
シーイーの古都京都巡り049瀧尾神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「瀧尾神社」
です。
唯一無二の氏子が「大丸百貨店」という神社です。
応仁の乱とか豊臣秀吉の大仏建立とか…
引越しが続いた神社になります。
シーイーの古都京都巡り044藤森神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「藤森神社」
です。
※主な写真は数年前の春先に撮ったものを使用。
伏見区に鎮座のこの神社は、記紀に記述の内容とリンクしている事から、
主祭神である舎人親王にかなり縁があります。
神功皇后が三韓征伐(朝鮮出兵)から凱旋で寄った。
戦争はもうしない決意と戦死者の供養のために
社の建立の意を示した事で創建されたそうです。
奈良末期になると早良親王が崇拝していたので、
合祀されております。
室町中期では、後花園天皇の勅命があって、
時の将軍足利義教が色々としております。
近年は京都十六社めぐりの対象神社となってます。
シーイーの古都京都巡り028新熊野神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「新熊野神社」
です。
[いまくまの]と読みます。
主祭神:
・イザナミ
摂社/末社:
・若宮社
・樟社
ほか
本家の紀伊熊野を34回も参拝した後白河天皇が、
平安京にも「熊野神社を創建したい」との勅命で、
平家が出資して本家の紀伊熊野から石材や木材を調達して
建立された神社になります。
院所となる法住寺の蓮華王院(三十三間堂)の落成式と合わせて勅祭が実施。
しかし応仁の乱で丸焼けになってほぼ廃絶。
復興されたのは江戸初期。
徳川家光の実妹で 後水尾天皇の皇后こと 「徳川和子」が
夫と兄にお願いして、ちゃっちゃと復興されたという。
なんというか・・・時の勢いとは大きなもんですな。
2023年墨染の桜と雅楽
2023年 の桜は、関西圏では概ねピークを通過し、
平野部では「葉桜」になりました。
シーイーは毎年に「墨染の桜」を見に行きます。
色々とシバリが解除されたので、今年はイベントが再開されました。
その記録動画として、ここに残しておきます。
追伸
ここのお寺にある日蓮さんの像ですが、
いつみても、
「あいやしばらく!」とか
「ちょっと待った!」
と言ってる様に見えます。
シーイーの古都京都巡り030養源院
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「養源院」
です。
山号は「南叡山」
開山が「成伯」で戦国大名の浅井家に縁がある方で、
開基が「浅井茶々」となり、
まさに「浅井家の菩提寺」と言えるお寺です。
成伯が延暦寺の僧であったため、建立当時は天台宗のお寺でしたが、
昭和期に浄土真宗に改宗されてます。
大坂の陣の後は、徳川秀忠の正室である浅井江(徳川江/崇源院)が、
豊臣秀頼、姉の茶々および浅井家先祖の供養をすべく、
江戸幕府主体での法要が大々的に行われました。
まもなくに火事で焼失しますが、
江が秀忠に懇願して再建されました。
再建には解体された伏見城の廃材がリサイクルされて、
伏見城の戦いで戦死した、徳川方の将兵の血が多数付着しており、
主に天井板に使われている事から、「血天井」の異名があります。
この件は、
大河ドラマ「葵 ~徳川三代~」の第37回で、
秀忠と江の夫婦の会話に出てきております。
上述の通り徳川家の先祖に当たる事から、
葵の御紋の使用が許可されております。
シーイーの古都京都巡り014平安神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「平安神宮」
の紹介になります。
名前から平安時代に創建と勘違いされてる方がおられますが、
明治時代に創建された神社になります。
平安京遷都1100年という記念でもあり、
神社と合わせて、武道館や動物園も建設されました。
明治時代に創建ということで、国宝指定はなく、
重要文化財や登録有形文化財の建物になります。
シーイーの古都京都巡り081石井天満神社(坂出市府中天満神社)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「石井天満神社」
です。
讃岐の国府から徒歩10分ほど。
かの菅原道真が守護職(国司)の時に、
度々訪れては、休憩したり 和歌を詠んだり・・・色々した。
その事を知った「藤原宅成」という人物が建立した神社。
目の前に国府がある事から、当動画で簡単ながら国府の説明もしています。
シーイーの古都京都巡り080徳島眉山天神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「眉山天神社」
です。
神社史では江戸後期に創建なんですが・・・
多方面の文献を読むと、戦国時代末期に創建と思われる節が見えます。
なんせ秀吉が行った「北野大茶会」に関する記録にも、
この神社に関する情報と思われるものがあるんですよ。
何よりも藩主の蜂須賀氏は、羽柴の与力(豊臣家臣団)の筆頭ですからね(笑)
シーイーの古都京都巡り063建仁寺
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「建仁寺」
です。
※今回からBGMがさらにアレンジのバージョンとなってます。
臨済宗の開祖である「栄西」が、
鎌倉幕府からの斡旋・バックアップで建立となった寺院。
創建時の元号が「建仁」だったので、そのまま名前となってます。
(延暦寺や仁和寺なども元号から来ているお寺ですね。)
方丈には栄西の掛け軸(写し)のでっかいのが掛かってます。
足利将軍家も大事にしており、
足利義満は「京都五山」の第三位に位置づけるほど。
室町末期には名だたる武将が塔頭を寄進などあり、
徳川家も「以心崇伝」に命じて保護させてます。
シーイーの古都京都巡り057,058大黒寺と金札宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「大黒寺(薩摩寺)」
と
「金札宮」
です。
※今回から本編BGMが編曲のバージョンとなりました。
いつかはフルオケにしたいものですがね…。
このお寺と神社は、公道を挟んでお向かいさんという立地なのと、
直近の歴史で関係があったので、多層建てでの紹介です。
大黒寺(薩摩寺)は、
戦国時代の猛将「島津義弘」が建立したお寺で、
すぐ西側に島津家の京屋敷(薩摩藩の屋敷)があったのもあって、
島津家の家臣団やその配下の人達を弔う意図で建立。
金札宮は、
奈良時代に創建説と、平安時代に創建説がある神社で、
室町末期に、伏見城の築城で城内に移設され、
伏見城落城の後に現在地へ移設されてます。
大黒寺の建立時期に移設されているので、
その鎮守社の意図があったかもしれません。
幕末では、
「鳥羽伏見の戦い」で、薩摩・土佐連合軍が、
大黒寺に集結し、金札宮で先勝祈願をして出陣。
明治維新の後に、西郷隆盛によって
幕末の殉死者を弔う墓碑が大黒寺に建立という歴史を持ってます。
シーイーの古都京都巡り021水火天満宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
天神様偏第六段
「スイカ水火天満宮」
の紹介になります。
「京洛八社集印めぐり」の対象神社その5。
主祭神:
・菅原道真
摂社/末社:
・六玉稲荷
ほかいくつか
醍醐天皇は菅原道真を太宰府の責任者とする降格人事を実施。
太宰府で道真が亡くなると、京都では天変地異が続発。
大臣の藤原時平が急死したり、醍醐天皇の皇子が若くして亡くなったり、
挙句に、十和田湖で火山が大爆発し、日本国中に灰が降った。
禁裏でも民衆も「道真のタタリや~!えらいこっちゃ~!」と騒ぎ、
道真の鎮魂のムードが高まった。
そんな時に比叡山の僧正である「尊意」が、
「私の自宅で供養しましょう。」
言ってくれたので、
「水火の社」の社号と
「天満自在天神宮」の神号を用意して祀ったのが始まり。
つまり「道真=怨霊」の方程式が確立した処になります。
シーイーの古都京都巡り073高瀬神社(大阪府守口市)
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「高瀬神社(大阪府守口市)」
です。
奈良時代にかの行基が作った「橋」を管理する寺院として建立。
長岡京時代に桓武天皇は、実弟の供養に社殿を作ったという点から、
桓武天皇が寺院嫌いだったとも言われており、
桓武天皇の手で神社となったらしいですが、
事の真意はミステリーな施設です。
シーイーの古都京都巡り062祇園神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「祇園神社」
です。
明治になって改名されたのが「八坂神社」にて、
こちらの呼び方がオーソドックスですが、
登録上では「祇園社」のために、タイトルを「祇園神社」としております。
かなり前となりましたが、コラムでも紹介した
「京都五社めぐり ~四神相応の京~」
の対象神社としてはラストになります。
記紀には「祇園精舎の牛頭天王を祀る疫社」と記述があり、
桓武天皇はこの文言から「祇園社」と命名したようです。
当社が主催のお祭りが「祇園祭」なのは、言うまでもなく、
現在も疫病退散・無病息災の意図があるのは、
まさに「疫社」がベースゆえの事になります。
有名な西口の楼門をくぐると、元祖の「疫社」がすぐあって、
その裏手(奥)に本殿がある造りとなってます。
楼門から両脇に参道が別れる仕組みは、
青龍が蜷局を巻いている姿を踏まえたとも言われております。
建立の後は、天皇家・公家・武家からの崇拝があり。
各幕府も修築や寄進を行っている神社になります。
また、全国にある「祇園神社」および「八坂神社」の総本宮になります。
シーイーの古都京都巡り087出雲大神宮
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「出雲大神宮」
です。
丹波一宮という格式 かつ 元祖の「出雲神社」。
江戸時代の庶民に流行した「出雲参り」の目的地。
ここ数年の日本史研究では
「ヤマト政権の出雲討伐の場所」
とか
「国譲りの場所」
という説が出てきている場所になり、
神社周辺には古墳がいくつかあるほどです。
最寄りの駅からのアクセスはお世辞にも「便利」とは言えないので、
公共交通でお越しの際は、
JR山陰本線や路線バスの時刻にご注意を。
シーイーの古都京都巡り085神明神社と鵺大明神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「神明神社」と「鵺[ヌエ]大明神社」
です。
鵺大明神社については、創建のプロセスが物語が主体なのと、
その物語で神明神社と密接な関係があることから、
二箇所を同時紹介としています。
平家物語にも記述がある「源頼政」は、
「ヌエ退治」をしたという伝承があり、
その伝承が元で作られているのが「鵺大明神社」です。
頼政は、坂田金時(幼名 金太郎)の主である「源頼光」の玄孫にあたり、
武に長ける一族のため、鵺退治に抜擢されたとも。
※伝承によっては、頼政自身がヌエにトドメを刺すもの、
配下が刺すバリエーションがあり、この動画では前者を採用しています。
シーイーの古都京都巡り084粟田神社
京都府民のシーイーが主に地元の神社や仏閣を、
独自の視線での紹介動画になります。
今回は
「粟田神社」
です。
京都から伸びる「東海道」の玄関が「粟田口」であり、
その玄関先に相当する神社になります。
その立地から、源義経などの参拝履歴があります。