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浦添城跡 沖縄観光
沖縄観光・浦添城跡
城壁しか残っていませんが、城跡とあり絶景スポットです!
浦添城跡
https://www.okinawastory.jp/spot/30000094
#浦添城 #城 #沖縄観光
動画はコチラ
https://youtu.be/5K0R4usmQFg
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2021.8.23
幕府軍敗走の史跡【淀城と唯一残る河川台場跡の樟葉台場】京阪電車 大阪・京都1日観光チケットで京阪本線沿いの珍しい内陸の台場、樟葉台場跡に行きました。萱島駅の大クスノキも。
五月の終わりに京阪の一日フリー切符で京阪沿線をめぐりました。
細見美術館の香道の展覧会が目的でしたが、せっかくなので大阪・京都1日観光チケットを買って気になっていたところを巡ってみました。
後半は、京阪電車に乗っているときに見かけて気になっていた枚方市の樟葉台場と、淀の河津桜を見に行ったときに行けなかった淀城に行きました。
淀城も樟葉台場も戊辰戦争の時に旧幕府軍が(ざっくりとした説明ですみません)味方に裏切られて敗走した場所で、気になっていたところを予備知識なしで訪ねたら、図らずも旧幕府軍敗走の史跡を巡ることになってしまいました□。
その後は、これも図らずも寝屋川の八坂神社、萱島駅の大クスノキ、島頭天満宮(しまがしらてんまんぐう)と楠の名所を訪ねることになりました。
フリー切符だと、気になるところを気軽に尋ねることができるのが楽しいです。
【蓮堀】佐渡国河原田城(獅子ヶ城) 令和6年(2024) 晩春
2024年の4月中旬、新潟県佐渡市にある河原田城(獅子ヶ城)を訪れました。
応永28年(1421年)、河原田本間氏の本間時兼が築城したと伝わります。
天正17年(1589年)、越後の上杉氏と戦い、城は落城。
城主・本間高統(ほんまたかつな)は自害し、河原田本間氏は滅亡しました。
後、上杉氏の家臣である青柳隼人正が治めていました。
徳川氏の治世では相川に奉行所が移ったので、地方役人が在住していたようです。
現在、城址は佐渡高校の敷地となっており、明確な遺構は確認できませんが、
東は石田川と湿地、南はかっては堀が巡らされており、堀跡は中原蓮池公園となっています。
残念ながら高校の敷地に入ることはできませんが、
中世の平山城の雰囲気は感じることができる所でした。
お城→mylist/37297571
福井県の現存12天守の名城、丸岡城へ。 心にしみる「一筆啓上 日本一短い手紙の館」も見逃せません。
2022年9月の福井県丸岡城への旅行。
サイコロ切符で芦原温泉が当たって、芦原温泉ではなく、丸岡温泉に泊まり、丸岡城を見に行きました。丸岡城は現存12天守という知る人ぞ知る名城でとっても素敵でした。
サイコロ切符の芦原温泉は福井でも下車できます。(サイコロきっぷが芦原温泉なので、芦原温泉と書いていますが、動画に芦原温泉の情報がなく申し訳ありません)
ちょうど、福鉄バス、京福バスの「フリー切符半額キャンペーン」がやっていて、普段1000円のところが、500円で乗り放題。一日の現地の交通費が500円ですむというお得な旅行ができました。丸岡バスターミナルの紹介もしています。行く前に情報がなく分からなかったので、参考にしていただければ幸いです。
金沢に行ったときに、金沢駅前から丸岡城行きの定期観光バスが出てました。丸岡城に行くのに結構いい方法だと思います。
芦原温泉が当たって、メジャーな観光地に行ってしまっている人にはお勧めのスポットだと思います。丸岡城だけでなく、「一筆啓上 日本一短い手紙の館」もよかったです。そこの展示で住友財閥の初代当主が丸岡出身とあって、結構驚きでした。
【遊佐河内守】尾張国大道寺砦 令和5年(2023) 仲秋
2023年の9月上旬、愛知県丹羽郡扶桑町にある大道寺砦跡を訪れました。
築造年代等は不明ですが、
戦国時代に織田信長の尾張統一に対抗した犬山城の織田信清の砦だったようです。
名鉄・柏森駅の西にある踏切の辺りに大道寺があり、砦も周辺にあったとされるようです。
数年前までは柏森駅の西の踏切の北辺りに大道寺を偲んで建てられた薬師如来と五輪塔がありましたが、
宅地化が進み、北の駐車場の一画に移動しています。
さらに北にある専修院も大道寺砦跡とされるようで、犬山城の矢来門が東門として移築されています。
動画の後半では大道寺砦の戦いで信長方として活躍した生駒氏の家臣と伝わる
遊佐河内守教光の墓碑がある江南市の布袋駅の近くにある道音寺を訪れています。
お城→mylist/37297571
【#7】邪教徒が集う古城【バイオRE:4】
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【三十六見附】武蔵国江戸城日比谷見附 平成30年(2018) 仲冬
2018年の12月初旬、東京都千代田区にある江戸城の日比谷見附址を訪れました。
三十六見附と呼ばれる江戸城の城門の一つで、江戸城の外郭城門の一つでした。
日比谷見附の近くには仙台藩の屋敷跡があり、伊達政宗の終焉の地でもあります。
日比谷公園に石垣が残っており、堀も心字池として利用されています。
公園になっているのでゆっくり散策できました。
お城→mylist/37297571
【高館】出羽国尾浦城 令和6年(2024) 晩春
2024年の4月中旬、山形県鶴岡市にある尾浦城址を訪れました。
天文年間(1532年〜1555年)頃に大宝寺氏(武藤氏)によって築かれたと伝わり、
戦国時代に庄内地方で勢力を誇った大宝寺氏(だいほうじし)の居城でした。
城主の大宝寺義氏は上杉謙信や織田信長と誼を通じ、
安東氏や最上氏と争いながら勢力を広げていきますが、
天正11年(1583)、家臣の東禅寺義長(とうぜんじよしなが)の裏切りにあい、
尾浦城を包囲され、城外の高館山で自害しました。
家督を継いだ大宝寺義興も、天正15年(1587)、最上義光に攻められ自害し、
最上氏が支配しました。
江戸時代に入ると一国一城令が出され、尾浦城は廃城となったようです。
標高273mの高館山の東の麓の低山に築かれた山城で、
公園化によって改変されていますが、
曲輪跡と思われる所がよく残っています。
主郭跡からは東の庄内平野を一望でき、土塁跡と思われる所も残っていました。
また、主郭と隠居所跡に堀跡の遺構も確認できました。
雨に降られましたが、
『信長の野望・天翔記』で知って以来の大宝寺氏の居城と思うと、
非常に楽しい散策になりました。
近くの和菓子屋さんで買った『栃もち』も非常においしかったです。
お城→mylist/37297571
【白山】越後国新潟城 令和6年(2024) 晩春
2024年の4月中旬、新潟県新潟市にある新潟城址を訪れました。
天正9年(1581年)、上杉景勝に反旗を翻した新発田城主・新発田重家が築城したと伝わり、
一族の新発田綱朝とその息子である新発田綱之が守備していました。
天正11年(1583年)、上杉景勝自ら出陣して新潟城を攻めましたが、
新発田勢が城を守り抜きました。
天正13年(1585年)、徐々に上杉方の圧力が強くなり、
計略により内応者が出て、城は落城したと伝わります。
白山神社と白山公園の辺りに城があったとされ、正確な位置は分かりませんが、
信濃川の河口を抑える要衝の地であることは分かりました。
城の遺構は残っていませんが、日本海へ注ぐ巨大な信濃川の姿や、
上杉景勝公が白山神社へ戦勝祈願し鏡等を寄進したと伝わるので、
上杉勢と新発田勢の戦いの最前線の地であったと思うと感慨深いものがありました。
白山公園には新潟最古の石灯籠や道しるべ等もあり、
歴史の散策も非常に楽しめました。
お城→mylist/37297571
【天王】尾張国廣井城 令和5年(2023) 仲夏
2023年の6月下旬、愛知県名古屋市にある廣井城址を訪れました。
築城年代等ははっきりしないようですが、
天文年間(1532-1555)頃まで中村氏が城主だったようです。
熱田台地の西端にあり、高低差を活用した城だったようですが、
遺構等は残っておらず、城跡とされる所には洲崎神社が建っています。
すぐ西に流れる堀川には、尾張名古屋藩の御船手役所跡があり、
堀川を北に行くと福島正則像、南に行くと日置城があります。
お城→mylist/37297571
【萩か荻か】尾張国五丁掘砦 令和5年(2023) 晩春
2023年の4月下旬、愛知県江南市にある五丁堀砦址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
天正12(1584)年の小牧長久手合戦時に、五丁の堀を備え、
織田・徳川方の砦として、前野義康が300の手勢で守ったと伝わります。
西に800m程の所にある宮後城は羽柴方の蜂須賀氏の城なので、
羽柴方と織田・徳川方の最前線に位置していたようですが、
五丁堀砦では合戦は発生しなかったようです。
現在、周辺は住宅地と畑が広がり、堀の名残もありませんが、
五丁堀砦址の碑が現地に建てられています。
お城→mylist/37297571
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【将右衛門】尾張国前野屋敷跡 令和5年(2023) 晩冬
2023年の1月下旬、愛知県江南市にある前野屋敷跡を訪れました。
戦国時代に豊臣秀吉に仕えた前野長康で有名な前野氏の本拠で、
平安時代後期・鎌倉時代初期の1200年頃に前野高長(良岑高長)が
この地を前野郷と称したと伝わります。
前野氏は岩倉織田氏の家老を務めた家柄でもあり、
近隣豪族の生駒氏・蜂須賀氏・安井氏・坪内氏等と姻戚関係を持ち、
地域の開発・発展に貢献したと伝わります。
現在、前野屋敷跡は前野家の子孫の吉田家の屋敷となっており、
ここの蔵から「武功夜話」が発見されました。
前野屋敷跡の後に、前野天満社、前野氏の菩提寺である観音寺を訪れています。
お城→mylist/37297571
【松永弾正】大和国多聞山城(多聞城) 令和6年(2024) 初夏
2024年の5月中旬、奈良県奈良市にある多聞山城(たもんやまじょう)址を訪れました。
永禄2年(1559年)、松永久秀が大和国支配の拠点として築城を開始し、
永禄4年(1561年)久秀が入城、
永禄7年(1564年)城が完成しますが、
天正元年(1573年)末に織田信長へ引き渡しとなり、
天正3年(1575年)塙直政が大和守護として入ったが、直政は翌天正4年、
本願寺勢力との戦いで討死に、
天正5年(1577年)に城は破却され、廃城となりました。
奈良盆地の北に位置する標高115m程(比高約50m)の多聞山に築かれた城で、
北から奈良に睨みを利かすとともに、東の京街道を抑える城でした。
古文書等に四重の矢倉や壮麗な城内の様子が残されており、
近世城郭の先駆け的な城だったと考えられており、
各地に存在する多聞櫓は多聞山城から呼ばれるようになったとも考えられるようです。
現在、本丸跡は若草中学校、堀切を挟んだ東の善勝寺山は中学校のグラウンドとなっています。
本丸の西と北に土塁が残っており、本丸と善勝寺山の間の堀切も見ることができます。
動画の途中で、城から東にある三笠霊苑の島左近の墓も訪れています。
ここも小学生の頃から訪れたかった城の一つで、
子供の頃の夢を一つ叶えることができました。
お城→mylist/37297571
【武衛堤】尾張国熊之庄城 令和5年(2023) 仲冬
2023年の12月上旬、愛知県北名古屋市にある熊之庄城址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
溝口氏の一族の溝口左京進の居城だったと伝わります。
熊之荘の荘園を守る館城のような城だったと思われますが、
開発により遺構は残っていないようです。
応永年間の1428年頃に尾張守護の斯波義重が熊之庄の北西から南東にかけて堤を築き、
斯波氏武衛家から「武衛堤(ぶえいづつみ)」と呼ばれていたようですが、
戦後の土地開発により、この堤もなくなっているようです。
動画の後半は熊之庄から北西にある岩倉市の大山寺の散策もしています。
お城→mylist/37297571
【三管領】河内国高屋城 令和5年(2023) 初夏
2023年の5月初旬、大阪府羽曳野市にある高屋城址を訪れました。
築城年代等ははっきりしないようですが、
応仁の乱後の文明11(1479)年頃に、
畠山義就(はたけやまよしひろ・よしなり)が築城したと推定されているようです。
天文21(1552)年、畠山高政(はたけやまたかまさ)が城主となりますが、
後に三好氏が落城させ、三好氏が支配しました。
永禄11(1568)年、高政の弟の畠山秋高(はたけやまあきたか)が入城しますが、
元亀4(1573)年、河内守護代の遊佐信教(ゆさのぶのり)により殺害され、三好康長が入城しました。
天正3(1575)年、高屋城の戦いで、織田信長の軍勢が三好方の高屋城を攻め落とし、
高屋城は廃城になったと考えられます。
城は標高47m程の河岸段丘を活用した縄張りで、
最高所にある北の古墳(幅100m、全長122m)を本丸に活用し、
本丸の南に二の丸(東西350m、南北200m)、
さらに南に三の丸(東西250m、南北250m)と非常に大規模な城でした。
現在、城址周辺は宅地化が進んでいますが、
所々に土塁の跡等を確認することができます。
お城→mylist/37297571
2022春 墨俣一夜城の前にて
YouTube版→https://youtu.be/Z9Y36gjkP0g
敷地自体はそんなに広い訳ではないんですが、こう見ると威風堂々とした風格が。
一夜城までの桜並木→sm40267190
【埼玉県小川町】腰越城攻城戦【城巡り】
埼玉県小川町にある腰越城です。
本郭までの道のりが、迷路のようになっていたので結構大変でした。
埼玉県比企郡小川町腰越1038
東上線「小川町」駅から、イーグルバス「木落し」徒歩10分
フリーBGM
DOVA-SYNDROME
https://dova-s.jp/
【布引】摂津国滝山城 令和5年(2023) 晩夏
2023年の7月下旬、兵庫県神戸市にある滝山城址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
正慶2(1333)年、「正慶乱離志」に赤松円心則正が護良親王の令旨を受けて、
挙兵した時のことが記載されています。
西方の再度山城、東方の摩耶山城を両翼におき、
大阪湾を往来する船を監視することができる拠点で、
南北朝の動乱期から戦国時代まで戦火の舞台となりました。
戦国時代には三好長慶が家臣の松永久秀に命じて、
滝山城の改修を行ったようです。
天正8(1580)年の花隈城城の戦いで、
花隈城が落城後に滝山城が記録に現れないので、
その頃に廃城になったと考えられます。
標高約330mの山城で曲輪は多く残っており、
山の途中から南の大阪湾から和歌山まで一望することができます。
近くに布引の滝もあるので、観光としても楽しめる所だと思います。
お城→mylist/37297571
【謎】摂津国花隈城 令和5年(2023) 晩夏
2023年の7月下旬、兵庫県神戸市にある花隈城址を訪れました。
戦国時代後期に和田惟政か荒木村重が築城したと伝わり、
天正6年(1578年)、荒木村重が織田信長に背いた時、
城主・荒木元清は荒木村重方に味方しましたが、
花隈城は池田恒興などに攻められ、天正8年(1580年)に落城しました。
城は海に面して突き出たハナクマの名の通りの台地で、海陸の要害地でした。
別所長治と織田信長が戦った三木合戦では、
毛利氏から海路によって運ばれた兵糧を三木城に運ぶ中継地点となりました。
城の規模は古地図によると、本丸の西北隅に天守、東南隅に櫓を設け、
二の丸、三の丸と北に続き、その東に侍屋敷や足軽町があり、
城域は東西約350m、南北約200m程だったとされるようです。
近世城郭の形態を完備していたと伝えられますが、建物等の遺構は残っていません。
現在、福徳寺が天守跡と伝わり、城域の一部に花隈公園が整備され、
城址碑と模擬石垣と模擬天守台があります。
お城→mylist/37297571
【岸勘解由】美濃国堂洞城 令和5年(2023) 晩春
2023年の4月初旬、岐阜県加茂郡富加町にある堂洞城址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
戦国時代には斎藤氏の家臣である岸信周(きしのぶちか)が城主でした。
織田信長の美濃侵攻に対抗する為、関城の長井道利、却敵城の佐藤忠能と盟約を結びますが、
佐藤忠能が織田方に内応し、佐藤・織田両軍に攻められ城は落城し、
岸信周や一族、城兵も多く討死にしました。
お城→mylist/37297571
【池鯉鮒】三河国知立城 令和4年(2022) 仲秋
2022年の9月上旬、愛知県知立市の知立城跡を訪れました。
築城年代等は不明ですが、知立神社の神官でもある永見氏の居城だったようで、
桶狭間の合戦の後に、織田方の水野氏に接収されたようです。
永見氏には、徳川家康の側室となり、結城秀康を産んだ長勝院(於万の方)がいます。
江戸時代には東海道の39番目の宿場町池鯉鮒(ちりゅう)宿として整備され、
城址には将軍上洛時の宿泊御殿が建てられました。
現在、城址は公園となっており、遺構はありませんが、
城址碑や目の前を通る東海道等に往時の様子を偲ぶことができます。
また、城址の近くに知立名物の大あんまきの小松屋本家がありお勧めです。
お城→mylist/37297571
【本間】佐渡国雑太城 令和6年(2024) 晩春
2024年の4月中旬、新潟県佐渡市にある雑太城(さわだじょう)を訪れました。
佐渡本間氏によって、16世紀前半頃に築城されたとされ、
本間氏の惣領家である雑太本間氏の居城でした。
天正17年(1589年)の上杉氏による佐渡平定後に廃城となり、
上杉氏家臣の直江兼続によって城地は
妙宣寺(みょうせんじ)に与えられ現在に至っています。
妙宣寺には城の説明板の他、曲輪・堀・土塁が遺構として残っており、
全体的に周囲より一段高い台地に築かれた城ですが、
東の曲輪から南は崖になっており、城としての防御力の高さを感じさせます。
また、妙宣寺の建造物も江戸時代に建てられた仁王門や
新潟県で唯一現存する五重塔等を見ることができます。
個人的に子供の頃から佐渡島の象徴的な城だったので、
後半は個人の感想(語り)強めとなっております。
お城→mylist/37297571
【やなせ浦】尾張国山名瀬砦 令和5年(2023) 晩秋
2023年の10月中旬、愛知県江南市にある山名瀬砦跡を訪れました。
築造年代等は不明ですが、
天正12(1584)年の小牧長久手合戦時に、
織田・徳川方の砦として、織田信雄の家臣・前野義康が守ったと伝わります。
すぐ北に同じく前野義康方の五丁堀砦があり、
最前線の砦の一つだったようです。
現在、周辺は田圃や会社の敷地となっていますが、
山名瀬砦址の碑が現地に建てられています。
羽柴方に対したであろう北側には土塁・堀跡の名残のような土地の起伏があり、
城址碑の歌にやなせ浦とあるので、
往時は水の多い湿地帯のような所で攻め辛い場所だったのかもしれません。
動画の後半では、砦跡のすぐ北にある前野清助の墓を訪れています。
お城→mylist/37297571
【千亀利】和泉国岸和田城 令和5年(2023) 初夏
2023年の5月初旬、大阪府岸和田市にある岸和田城を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
戦国時代には、三好氏や松浦氏、織田信長の家臣である蜂屋頼隆や
羽柴秀吉の家臣の中村一氏や小出秀政が城主でした。
江戸時代には、松平氏や北条氏が城主になりますが、
寛永17(1631)年、岡部宣勝が6万石で入城し、
幕末まで240年間、岡部氏13代の居城でした。
往時は五重の天守があったようですが、
江戸時代に落雷により焼失し、
現在は、三重の復興天守が建てられています。
何重もの水堀に囲まれた城でしたが、
現在は本丸と二の丸に水堀が残っています。
本丸の堀沿いでは小学生が遊んでいたり、
二の丸の広場ではピクニックを楽しむ家族がいたりと、良い雰囲気のお城でした。
環水平アークという珍しい現象も見ることができました。
お城→mylist/37297571
【山中八幡】三河国山中城 令和5年(2023) 仲春
2023年の3月中旬、愛知県岡崎市にある山中城址を訪れました。
15世紀半ばに、三河国の守護代である西郷氏が築城したとされ、
大永4(1524)年、松平清康の命を受けた、家臣・大久保忠茂等の奇襲で一夜にして落城しますが、
森山崩れで清康が亡くなると、今川氏が領有し、
桶狭間の合戦で、今川義元が討死にすると、徳川氏が領有し、
1564(永禄7)年、以後は酒井忠次が山中を領し、酒井氏が維持管理したと思われます。
徳川氏の関東移封後に廃城になったと考えられます。
標高約195m(比高約100m)の山に築かれ、北の鎌倉街道、南の吉良街道を抑える山城で、
曲輪等の遺構が良好に残り、愛知県内でも最大級の戦国時代の山城と言われています。
地元の方が綺麗に整備してくれているので、スニーカーで登山が可能です。
名電山中駅(0:30) → 東部市民センター(0:47) → 舞木口(3:10) → 東郭(8:49) → 二の郭・主郭(9:28) → 北東尾根の郭(13:57) → 八幡口(15:42) → 山中八幡宮(16:15) の順に散策しています。
紙芝居じゃにゃー、ビデオパートは主郭のみ(19:42)
お城→mylist/37297571
【三十六見附】武蔵国江戸城牛込見附 平成30年(2018) 仲冬
2018年の12月初旬、東京都千代田区にある江戸城の牛込見附址を訪れました。
寛永13(1636)年に、阿波徳島藩主・蜂須賀忠英によって築かれました。
三十六見附と呼ばれる江戸城の城門の一つで、田安門を起点とする「上州道」の出口でもありました。
江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しているそうです。
通行人が多いので、写真や動画を撮りたい方は夏場の早朝に訪れることをお勧めします。
お城→mylist/37297571
【姉小路】飛騨国松倉城 令和5年(2023) 晩秋
2023年の10月中旬、岐阜県高山市にある松倉城を訪れました。
天正7年(1579)、飛騨の国人姉小路頼綱が築城したとされ、
姉小路氏の飛騨統一の拠点でした。
織田信長の死後、越中の佐々成政と結んだ頼綱は羽柴秀吉と敵対することとなり、
天正13年(1585)、羽柴方の越前大野城主・金森長近が飛騨に侵攻しました。
松倉城は頼綱の息子である姉小路秀綱が守備しており、
父の頼綱が羽柴方に降伏した後も籠城して戦っていましたが、
城内から金森方への寝返りで城に放火され、落城しました。
城主・秀綱は信濃へ落ち延びようとしますが、途中で殺害されたと伝わります。
金森長近は秀吉より飛騨一国を与えられ、
高山城を新たに築城し、松倉城は廃城になったとされます。
松倉城は高山市の中心から南西にある松倉山に築かれた山城で、
標高は856m、高山市街地との比高は280m程あります。
麓の飛騨の里辺りは当時の城下町があったとされ、
城の中枢部には野面積みのかなり大規模な石垣が残っています。
本丸からは高山市街と3000m級の飛騨山脈が一望でき、
西は白山、南東は御嶽山も見ることができます。
車ではシンボル広場まで登れて、そこから本丸までは徒歩10分程です。
飛騨の里の奥の遊歩道からだと、本丸まで30分程です。
お城→mylist/37297571
鷹狩りの文化伝える 鹿島城跡で体験イベント(2024年1月21日)
▶動画の記事はこちら: https://www.saga-s.co.jp/articles/-/1184680
江戸時代に武家社会で盛んだった「鷹狩り」を知ってもらおうと、武雄市のNPO法人「日本鷹馬文化顕彰会」が21日、鹿島市の旭ケ岡公園(鹿島城跡)で体験イベントを開いた。
□佐賀県の情報が満載! 佐賀新聞社のニュースサイトはこちらから□
▶[ https://www.saga-s.co.jp/ ]
#佐賀 #佐賀新聞 #佐賀県 #SAGA
【城蹟山】和泉国綾井城 令和5年(2023) 初夏
2023年の5月初旬、大阪府高石市にある綾井城址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
戦国時代には、織田信長の家臣となった沼間日向守任世が城主だったようです。
天正4(1576)年の第一次木津川口の戦いで、
任世の息子である沼間義清は織田方として参戦しますが、
毛利氏との戦いで討ち死にしました。
後に、義清の子の興清は中村一氏の家臣となり、
江戸時代には徳川家の旗本となりました。
現在、城跡は専稱寺となっていますが、
山号の「城蹟山」と東の堀に城の名残をとどめています。
お城→mylist/37297571
【八咫烏】紀伊国雑賀城 令和5年(2023) 初夏
2023年の5月初旬、和歌山県和歌山市にある雑賀城(さいかじょう)址を訪れました。
築城時期等は不明ですが、
戦国時代に雑賀党・鈴木氏の鈴木重意(鈴木佐太夫)が居城としていたと伝わります。
妙見山を利用した山城ですが、曲輪となりそうな平坦地は、
南の妙見堂、消防望楼の周辺、望楼から西にある平場、城山の西端の平場くらいで、
はっきりと城の遺構と分かるものもありませんでした。
城としての造りも謎が多いですが、雑賀党の鈴木氏も謎の多い集団なので、
雑賀党らしい城なのかなと妙に納得しました。
個人的には小学生の時に鈴木佐太夫と雑賀城を知って以来、
ずっと来たかった城の一つなので、一つの夢が叶い。とても幸せな訪城になりました。
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【埋もれゆく古城】尾張国宮後城 令和5年(2023) 晩冬
2023年の1月下旬、愛知県江南市にある宮後城址を訪れました。
築城年は不明ですが、応永年間(1394 - 1428)頃に安井氏が居城していたとされます。
戦国時代には、安井重幸の息子・安井重継が居城しており、重継の姉・安井御前は、夫・蜂須賀正利とともに居城していた蜂須賀城が織田信秀との対立により土地を奪われてしまったため、長男の蜂須賀正勝とともに宮後城へ移り住んだと伝わります。正勝の長男・蜂須賀家政(後の阿波徳島藩祖)は、この地で生まれたとされます。
城の中心と想定される所は空き地となっていましたが、
訪問時に発掘調査をしており、案内看板等は撤去されていました。
江南市に問い合わせると
令和5年中に宮後八幡者に新しい案内看板を設置するとのことで、
空き地は分譲住宅地になる予定とのことでした。
宮後城址 → 宮後八幡社と訪れた後に、近くの井出神社やしみず公園等も散策しています。
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