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【竹腰摂津守】尾張国柳津城 令和5年(2023) 晩冬
2023年の1月上旬、岐阜県岐阜市にある柳津城址を訪れました。
築城時期は文亀年間(1501年頃)と伝わり、
城主の竹腰摂津守(竹腰道鎮)は斎藤氏に仕えていましたが、
弘治2(1556)年の長良川の戦いで、斎藤義龍の先陣として出陣し討死にしました。
城主は叔父の成吉摂津守尚光に代わりますが、尚光(のちに竹腰尚光に改名)も斎藤氏に仕えたそうです。
往時は城の北に船着き場があり、直接、境川に出られたようです。
戦国時代、柳津城は尾張国でしたが、天正13(1585)年、木曽川の洪水により境川(古木曽川)の流れが変わり、豊臣秀吉により柳津城の一帯は美濃国に編入されました。
現在、城址は光澤寺となっており、遺構は確認できませんが、城址碑や縄張り図や案内看板があります。
お城→mylist/37297571
【丸山】三河国不相城 令和4年(2022) 晩秋
2022年の10月下旬、愛知県蒲郡市にある不相城(ふそうじょう)を訪れました。
築城年代等は不明ですが、鵜殿氏の一族である不相鵜殿氏の居城と伝わります。
桶狭間の合戦後の松平氏と今川氏の争いで上ノ郷城の鵜殿家本家と不相鵜殿氏は今川方となりますが、下ノ郷城や柏原城の同族は松平氏に付きました。
上ノ郷城が落城後、不相鵜殿氏の鵜殿長成は今川方の吉田城へ退却したようです。
現在、城址は蒲郡クラシックホテルが建っていますが、西の庭園にある池等は古城図にある堀の可能性もありそうです。比高30m程の丘の上にあるので、すぐ南の三河湾が一望できる城だったと思われます。
お城→mylist/37297571
【長存】三河国下ノ郷城(蒲形陣屋) 令和4年(2022) 晩秋
2022年の10月下旬、愛知県蒲郡市にある下ノ郷城(しものごうじょう)を訪れました。
永正年間(1504年〜1521年)に鵜殿長存によって築かれたと伝わり、戦国時代には今川氏の家臣である鵜殿(うどの)氏の一族である下ノ郷鵜殿氏が城主だったようです。
桶狭間の合戦後の松平氏と今川氏の争いで上ノ郷城の鵜殿家本家は今川方となりますが、下ノ郷城や柏原城の同族は松平氏に付きました。
天正18(1590)年の徳川氏の関東移封に伴い、下ノ郷鵜殿氏の鵜殿長龍も下総国相馬に移封となりました。
慶長17(1612)年、松平清昌(まつだいら きよまさ)が5千石で当地に封じられ、下ノ郷城跡の近くに蒲形(かまがた)陣屋を築き、幕末まで竹谷松平家が領していました。
現在、城址は蒲郡高校の辺りと言われており、高校の南の神社近くに土塁も現存していますが、陣屋跡の土塁と想定されているようです。陣屋の門も蒲郡市博物館に移築されています。
お城→mylist/37297571
【勘三郎】尾張国上社城 令和4年(2022) 初秋
2022年の8月中旬、愛知県名古屋市の上社城跡を訪れました。
築城年代等は不明ですが、加藤勘三郎という人物が城主と伝わります。
勘三郎は城主の世襲名だったようで、15世紀に高針城に移った勘三郎や、1582年の本能寺の変で二条城で死亡した主君・織田信忠を探して京に上り行方不明になった勘三郎等も伝わっているようです。
城の場所もはっきりと分かっていないようですが、
観音寺から上社公園の辺りにあったと推測されているようで、観音寺も上社公園もどちらも訪れましたが、確かに城だったと思われるような地形をしていました。
お城→mylist/37297571
【犬千代】尾張国荒子城 令和5年(2023) 晩秋
2023年の10月下旬、愛知県名古屋市中川区にある荒子城址を訪れました。
天文年間(1532〜1555)に前田利家の父・前田利昌(利春)が築城したとされ、
利昌・嫡男の利久・利家が城主となりました。
天正3年(1575)、利家が越前国府中(福井県越前市)に、
同9年に利家の嫡男・利長も同地に移るにおよび廃城となったとされています。
東西約68m、南北約50mあり、一重堀を巡らしていたと伝わります。
前田利家の出生地とされていますが、
西に3km程にある前田城も利家の出生地と伝わるようです。
現在、城址とされる場所には冨士権現天満宮が建っており、
城の遺構はありませんが、城の説明板や前田利家出生地の大きな石碑があります。
また、近くにある荒子観音の本堂は天正4年(1576)、前田利家が再建したと伝わり、
多宝塔は天文5年(1536)に再建されたもので、
名古屋市内に現存する最古の建物で国の重要文化財に指定されています。
城址の近くには奥村の姓の方の土地もあるようで、
前田氏の重臣で荒子城代を務めた奥村永福の一族の子孫の方が今も住んでいると思うと、
感慨深いものがありました。
※SDカードが壊れて、肝心の荒子城跡の写真は2枚だけです・・・ごめんなさい。
お城→mylist/37297571
【梓弓】播磨国鷹尾山城 令和5年(2023) 晩夏
2023年の7月下旬、兵庫県三木市にある鷹尾山城址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
戦国時代には一帯を支配していた別所氏の城でした。
天正6年3月29日(1578年5月5日)から
天正8年1月17日(1580年2月2日)にかけて行われた
織田氏と別所氏の合戦である三木合戦の舞台の一つとなりました。
三木城の南東に位置した山に築かれた山城で、
三木城主・別所長治の弟である別所友之が守備していたと伝わります。
現在、鷹尾山城だった伝わる所には三木市役所や図書館等が建設され、
市民体育館の西側に主郭跡とされる所に土塁や堀や曲輪の遺構が残っています。
木で三木城の眺めが見えませんが、往時はここから三木城が良く見えたはずで、
三木城落城直前に羽柴秀吉が鷹尾山城に入り、開城勧告を行ったと伝わります。
お城→mylist/37297571
【蜂蝶】越前国敦賀城 令和4年(2022) 晩春
2022年の4月中旬、福井県敦賀市にある敦賀城跡を訪れました。
天正11(1583)年、羽柴秀吉の家臣だった蜂屋頼隆が敦賀の地に入り三層の天守を持つ敦賀城を築城しました。
蜂屋頼隆には子がなく断絶となり、代わりに大谷吉継が5万石の城主として敦賀城に入城しました。
関ヶ原の合戦で大谷吉継が戦死し敦賀城も没収となり、元和2(1616)年に一国一城令により、敦賀城は破却されました。
江戸時代には城跡に敦賀の代官が置かれたようですが、現在、城の遺構はほとんど見られません。城跡の北西の真願寺に城跡碑と城の礎石があります。
お城→mylist/37297571
【菖蒲】越後国新発田城 令和6年(2024) 晩春
2024年の4月中旬、新潟県新発田市にある新発田城を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
新発田氏が築城し、戦国時代には居城としていました。
新発田氏は上杉謙信の家臣として活躍しますが、
謙信死後、城主・新発田重家は上杉景勝と争うようになり、
天正15年(1587年)、上杉氏に敗れ、城は落城し新発田氏は滅亡しました。
慶長3年(1598年)、溝口秀勝が新発田城に6万石で入り、
以後、明治時代を迎えるまで溝口氏の居城となり、
幕末には10万石に高直しされました。
現在、城址の大部分は自衛隊の敷地となっていますが。
本丸の表門や二の丸隅櫓(移築)が現存しており、
辰巳櫓や三階櫓も復元されています。
動画では、以下の順に散策しています。
新発田城 → 宝光寺(溝口氏菩提寺) → 福勝寺(新発田氏菩提寺) → 清水園(溝口氏下屋敷) → 足軽長屋
動画の最後は個人のつぶやきとなっているので、
興味のない方は飛ばしてください。
お城→mylist/37297571
【臥龍】尾張国清洲城 令和6年(2024) 仲春
2024年の3月上旬、愛知県清須市にある清洲城を訪れました。
応永12年(1405年)尾張守護の斯波義重によって築城されたとされ、
後に織田氏が居城とし、弘治元年(1555年)には織田信長が居城とし、
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いでは、信長は清洲城から出陣しました。
天正10年(1582年)の本能寺の変で信長が斃れると、清洲城にて清洲会議が行われ、
城は信長の次男・織田信雄が相続しました。
関ヶ原の合戦後の慶長12年(1607年)には徳川家康の九男・徳川義直が入城しますが、
慶長15年(1610年)より清須城下町は名古屋城下に移転され、廃城となりました。
現在、城址は公園として整備され、五条川の東側に模擬天守が建っています。
動画の後半では、清須市に住んでいた鳥山明先生の追悼の内容となっています。
動画は以下の内容となっています。
清洲城土塁跡 → 日吉神社 → 清洲城 → 鳥山明先生追悼
お城→mylist/37297571
【藤左衛門】尾張国小田井城 令和元年(2019) 仲秋
2019年の9月中旬、愛知県清須市にある小田井城址を訪れました。
築城時期は応永年間(1394 - 1428)で、尾張国守護代「織田大和守家」当主の織田敏定が
清洲城の支城として築城したと伝わります。
その弟とされる「織田藤左衛門家」当主の織田常寛が城主となります。
以来、「織田藤左衛門家」の居城として子孫の織田寛故、織田信張、織田信直らが城主となりますが、
天正12(1584)年頃、織田忠辰が羽柴秀吉によって追われ廃城になったとされます。
現在、城があったとされる古城交差点付近は開発の為、遺構は消滅し、
交差点付近にあった城址碑が城址から東にある城跡公園に移設されています。
お城→mylist/37297571
【蛍】尾張国名古屋城外堀編 令和元年(2019) 初冬
2019年の11月上旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
今回は三の丸の外側の外堀沿いに散策しています。
お城 → mylist/37297571
【蜀魂】尾張国九之坪城 令和4年(2022) 初春
2022年の2月上旬、愛知県北名古屋市にある九之坪城跡を訪れました。
築城年代等は不明ですが、織田信長の家臣で、桶狭間の戦いで今川義元の本陣の位置の情報を掴み、織田軍の勝利に貢献したとされる簗田政綱(やなだまさつな)の城と伝わります。
周囲は濃尾平野の真っ只中の平地であり、平城だったと思われます。遺構はありませんが、北名古屋市 高齢者活動センターふれあいの家の前に城跡碑があり、西城屋敷という地区に地主の方の好意で盛土が残され城跡を示すように大きな石が置かれています。桶狭間の戦いでの勝利に大きく貢献した簗田政綱がこの辺り一帯を領して城館を構えていた場所と思うと感慨深いものがありました。
また、南にある松元院には戦国時代に里村紹巴が訪れており、簗田政綱の息子(広正?)が紹巴をもてなし、紹巴が「蜀魂 声うへ渡す 門田かな」と歌を残しており、その歌碑がありました。
今回は新型ウィルス流行中の影響もあり、自宅の近くの城跡を自転車で巡っています。
お城→mylist/37297571
【太田左近】紀伊国太田城 令和5年(2023) 初夏
2023年の5月初旬、和歌山県和歌山市にある太田城址を訪れました。
築城時期等は不明ですが、
戦国時代には、雑賀衆の一人である太田左近宗正が城主でした。
天正13(1585)年の第二次太田城の戦いでは、
羽柴秀吉の紀伊征伐軍との戦いで水攻めを受け、
1ヶ月の籠城の末、開城しました。
現在、主郭跡と伝わる辺りは来迎寺が建っており、
和歌山駅から近いので開発により遺構は残っていませんが、
太田城から北東に500m程離れた出水地域に
羽柴軍が水攻めの為に築いた堤の跡が残っています。
お城→mylist/37297571
【興聖寺】下野国清水城と藤原秀郷公墳墓 平成30年(2018) 初秋
2018年の8月中旬、栃木県佐野市にある清水城址を訪れました。
安貞2年(1228)、佐野国綱が築城したとされ。
大永元年(1521)頃は佐野昌綱の祖父である佐野秀綱の居城となっていたようです。
江戸時代に入り廃城となり、興聖寺が同地に移されました。
城址の規模は東西116m、南北133mの方形で、四方に土塁と堀の遺構が残っているとされます。
東の土塁は明確に確認できましたが、東の堀は非常に浅くなっています。
古絵図によると、本丸、北二の丸、南二の丸、三の丸からなり、各曲輪が水堀で囲まれ、周辺には有力な家臣の侍屋敷が配置されていたようです。
今回は吉水駅から佐野氏の先祖の藤原秀郷公のお墓に参ってから、
佐野氏の清水城址を見学しています。
唐沢山城其の一で清水城址も紹介済みですが、今回個別に作成し直しました。
佐野氏の佐野城 → sm33748431
唐沢山城其の一 → sm33787143
お城 → mylist/37297571
【義奉】相模国長尾城 令和4年(2022) 初夏
2022年の5月中旬、神奈川県横浜市にある長尾城跡を訪れました。
築城年代は不明ですが、上杉謙信公の祖先である長尾氏の発祥の地と伝わります。
横浜市と鎌倉市の境にある標高70メートル弱の丘陵から北東向きに伸びる約900メートルの舌状台地に位置し、城域とされる範囲南端の標高68.7メートルの丘陵最上位「南の峰」が本城、北東の御霊神社が長尾氏の居館跡と伝わるようです。
動画の後半は長尾城とは直接関係のない、長尾城を訪れることになったいきさつを紹介しているだけなので、興味のない方はごめんなさい。
お城→mylist/37297571
【大年寺山】陸奥国茂ヶ崎城 令和3年(2021) 仲冬
2021年の12月下旬、宮城県仙台市にある茂ヶ崎城(もがさきじょう)跡を訪れました。
築城時期は不明ですが、中世の時代に名取郡北方三十三郷の領主・粟野大膳が城主だったと伝わります。
標高120m(比高約100m)の大年寺山に築かれた山城で、空堀や土塁等の遺構が残っています。
江戸時代には、仙台伊達藩第4代当主・伊達綱村が大年寺を創建しました。
現在、大年寺も麓の惣門と山頂に伊達家当主の墓があるだけで、大年寺山公園として整備されています。
また、大年寺山の北の麓に宗禅寺があり、城主・粟野重国(大膳)公の供養塔があるそうです。
粟野重国の平城の北目城跡 → sm39897518
お城→mylist/37297571
【大楠】尾張国鯏浦城 令和3年(2021) 初冬
2021年の11月下旬、愛知県弥富市にある鯏浦城跡を訪れました。
永禄8年(1565)に織田信長がこのあたりに勢力のあった服部友貞の率いる服部党・一向門徒勢を攻めるため築城したとされ、信長の弟の織田信興が城主となっていたようです。
元亀元年(1570)、服部党が鯏浦城主・織田信興を小木江城に攻め殺したことを機に、信長は攻勢を強め、長島の一向一揆討伐戦へと進んでいきました。
廃城時期については定かではありませんが、長島一向一揆の終息とともに城としての重要性が低下し、使用されなくなっていったと思われます。
現在は木曽川から距離がありますが、往時はこの城の辺りに海岸線があったと伝わり、城跡を伝える大楠に織田軍が船を繋いだという言い伝えもあるようです。
お城→mylist/37297571
悲鳴~
よかったら見てくださいm(__)m
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【歴史散歩&旅動画】駿河─駿府城と富士山の話─ 東海城めぐり Part 2
東海城めぐりPart 2。今回は伊豆国のお隣駿河国へとやって参りました!!
いつもは寄り道をするのですが、今回は撮影時間と熱さの都合上しないことにしました。代わりに車窓から見えた富士山の話をしています。
音楽:魔王魂
東海城めぐりの動画はこちらから↓
【歴史散歩&旅動画】伊豆─北条氏館跡とその周辺を巡る─ 東海城めぐり Part 1
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43780180?ref=garage_share_other
【海道一】駿河国駿府城 平成30年(2018) 晩秋
2018年の10月下旬、静岡県静岡市に駿府城を訪れました。
戦国時代に駿河国守護の今川氏が館を構えていた地に、
天正13年(1585)に徳川家康が築城し、豊臣秀吉による関東への国替えを挟み、
慶長12年(1607)に隠居城として天下普請で築城し直しました。
三重の堀をもつ輪郭式の典型的な城で、天下普請で造られた城だけあり、
その縄張りは広大で散策も時間がかかります。
現在は駿府城公園として市民の憩いの場となっていますが、
東御門や巽櫓、坤櫓等が復元されています。
動画の後半では浅間神社や小梳神社等の駿府城周辺も散策しています。
お城→mylist/37297571
【麝香猫】尾張国名古屋城西南隅櫓編 令和元年(2019) 初冬
2019年の11月上旬、愛知県名古屋市にある名古屋城を訪れました。
今回は本丸にある西南隅櫓と本丸御殿で期間限定公開中だった「麝香猫図(じゃこうねこず)」を見学しました。
お城 → mylist/37297571
【雲龍】尾張国日置城 平成31年(2019) 晩春
2019年の4月中旬、愛知県名古屋市にある日置城跡を訪れました。
築城年・築城者のいずれも不明で、城主も織田寛定(尾張守護代・織田敏定の嫡男)と織田忠寛(尾張楽田城主・織田寛貞の子)の2説があるようです。
弘法大師御手植えとされ、樹齢1000年以上とも言われる樹高20メートル、幹周り7メートルの大楠があり、織田信長が桶狭間の戦いの前に出陣に際してこの大樹に戦勝祈願をしたとも伝わるようですが、近在の日置神社の話と混ざっている可能性もあるようです。
堀川東岸の熱田台地の縁に位置しており、台地と濃尾平野の高低差を活かした城だったようですが、現在、遺構等は残っていないようです。
日置城跡の他に、近くを流れる堀川を開削したと伝わる福島正則の銅像や、日置城に近い日置神社も訪れています。
お城 → mylist/37297571
【奥州探題】陸奥国名生城 令和4年(2022) 仲冬
2022年の1月上旬、宮城県大崎市にある名生城(みょうじょう)跡を訪れました。
築城年代ははっきりしませんが、南北朝時代の1351頃に大崎家兼が築城したと伝わります。
戦国時代には奥州探題の大崎義直や大崎義隆が居城としていました。
天正18年(1590)、豊臣秀吉による奥州仕置で、秀吉家臣の木村吉清の城となりますが、葛西大崎一揆では一揆側が籠城し、蒲生氏郷が鎮圧し、伊達政宗を警戒してそのまま立て籠もった城としても知られています。その後、伊達氏の領地となりますが、その頃に廃城となったようです。
現在、遺構は堀や土塁の跡等を見ることができますが、大崎城があった所に7世紀末頃から名生館官衙遺跡(みょうだてかんがいせき)があったと発掘調査で判明した為、名生館官衙遺跡が国指定史跡、名生城が市の史跡となっています。名生館官衙遺跡が国指定史跡になった理由は、この遺跡が多賀城より古い時代の官衙(古代の役所)であり、多賀城以北まで内国化が進んでいたことが明らかになったからです。
お城→mylist/37297571
[Free BGM] Dark Castle
ガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル
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動画を作成するにあたり下記の方々からソフト等を利用させていただきました。感謝申し上げます(敬称略)。
・すんだらみやこ {背景画像(加工前)}
画像URL https://www.photo-ac.com/main/detail/22758354#
・KENくん (動画編集ソフトAviUtl)
・ズーズ (AviUtl用スクリプト)
・さつき (AviUtl用スクリプト)
・ティム (AviUtl用スクリプト)
・テツ (AviUtl用スクリプト)
・rikky (AviUtl用スクリプト)
・金の髭 (AviUtl用スクリプト)
・野生の木屋P (AviUtl用スクリプト)
・白水 (AviUtl用スクリプト)
・禿げガル (AviUtl用スクリプト)
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【天正九年】遠江国高天神城 令和5年(2023) 仲春
2023年の3月中旬、静岡県掛川市にある高天神城を訪れました。
築城年代等ははっきりしませんが、
戦国時代には今川氏に服属した小笠原氏が城主を務めていました。
今川氏滅亡後、小笠原氏は徳川氏の家臣となりますが、
天正2(1574)年、武田勝頼の攻撃により、小笠原氏は降伏し、
そのまま武田氏の家臣となりました。
天正9(1581)年、徳川家康は武田方の岡部元信が守備する高天神城の周囲に砦を築き、
兵糧攻めをして、城方は城主・岡部元信以下一斉突撃をかけ、討死に落城しました。
徳川氏と武田氏の壮絶な遠江覇権の攻防の場となりましたが、
徳川氏が遠江を掌握後は廃城になったと考えられます。
標高130m程の鶴翁山(かくおうざん)に築かれた山城で、
元々の主郭想定地である東の山と、武田氏の改修と考えられる西の山の
二つの山からなる一城別郭の城でした。
特に西の山は技巧的な防御造りの遺構が残っており(土塁・堀・堀切等)、
とても見所のある城となっています。
お城→mylist/37297571
【金ヶ崎崩れ】越前国天筒山城 令和4年(2022) 晩春
2022年の4月中旬、福井県敦賀市にある手筒山城跡を訪れました。
築城時期等は分かりませんが、 治承・寿永の乱(源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのために金ヶ崎城を築いた時に築城されたものと思われます。
南北朝時代の新田氏と足利氏の戦いがあり、戦国時代は朝倉氏の城でしたが、織田信長の越前侵攻に
より落城しました。
敦賀湾の東の標高171mの手筒山に築かれた山城で、曲輪跡や堀切の跡等を確認することができます。山頂からは金ヶ崎城や敦賀湾・敦賀の街を一望でき、水の手があれば、敦賀を抑えるのは金ヶ崎城ではなく、この山城だと実感しました。
お城→mylist/37297571
【鉄鉢袋】尾張国比良城 令和4年(2022) 初春
2022年の2月上旬、愛知県名古屋市にある比良城跡を訪れました。
天文年間(1532 - 1555)に織田信長の家臣の佐々成政の父である佐々成宗によって築かれたとされ、天正3(1575)年に成宗の子、成政が越前府中に在城を命ぜられた際、廃城になったと考えられています。
現在の光通寺一帯が城跡で、東西75メートル、南北80メートルの規模であったと伝わります。
動画の始めには、比良城の近くにある織田信長が大蛇を探した逸話で有名な蛇池にも立ち寄っています。
今回は新型ウィルス流行中の影響もあり、自宅の近くの城跡を自転車で巡っています。
お城→mylist/37297571
【巴江】三河国田原城 令和5年(2023) 初秋
2023年の8月下旬、愛知県田原市にある田原城を訪れました。
文明12年(1480)頃に戸田宗光が築城したとされ、
戸田氏の三河湾支配の拠点となりました。
1550年頃に今川義元に攻略され、今川氏の支配下となったようですが、
桶狭間の合戦の後に東三河に勢力を伸ばした徳川家康の勢力化となり、
徳川家康が関東移封後は、池田輝政の領地となり、家臣の伊木忠次が城主となったようです。
江戸時代になると、戸田氏、三宅氏が城主となり、
明治になるまでの約200年間、三宅氏1万2千石の居城でした。
現在、本丸・二の丸・三の丸は往時の縄張がほぼ現存し、
本丸に巴江神社、二の丸に田原市博物館、三の丸に護国神社が建っています。
戦国時代後期~江戸時代前期の物と思われる石垣も見ることができ、
二の丸と三の丸の南に水堀が残り、桜門や二の丸櫓が復元されています。
動画では
城宝寺 → 八幡社 → 田原城 → 渡辺崋山幽居跡地 → 蔵王山の順に訪れています。
お城→mylist/37297571
【釜山】播磨国三木城 令和5年(2023) 晩夏
2023年の7月下旬、兵庫県三木市にある三木城を訪れました。
15世紀末に別所則治が築城したと伝わり、
戦国時代には別所氏が城主で一帯を支配していました。
織田信長の播磨進出に別所氏は協力していましたが、
天正6(1578)年、三木城主・別所長治は織田氏に反旗を翻し、毛利氏についたので、
天正6年3月29日(1578年5月5日)から天正8年1月17日(1580年2月2日)にかけて行われた
織田氏と別所氏の合戦である三木合戦の舞台となりました。
織田方の羽柴秀吉は三木城を兵糧攻めし、三木の干殺し(みきのひごろし、ほしごろし)と呼ばれ、
1年10ヶ月に及ぶ籠城戦の末、城主・別所長治は城兵の助命を条件に開城し、一族とともに切腹しました。
現在、本丸には井戸の遺構や伝天守台跡、別所長治公像等があり、
二の丸にはみき歴史資料館等が建っていますが、曲輪の形状はよく残っています。
新城は宅地化され、遺構は見当たりませんでした。
鷹尾山城は動画が長くなったので、別動画に編集しました。
お城→mylist/37297571
【七五三兵衛】和泉国真鍋城 令和5年(2023) 初夏
2023年の5月初旬、大阪府泉大津市にある真鍋城址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
戦国時代には、和泉国南部の淡輪(たんなわ)の豪族である真鍋氏が
織田信長の家臣となり、信長の命で大津城(真鍋城)に入ったようです。
天正4(1576)年の第一次木津川口の戦いで、
城主・真鍋貞友(七五三兵衛)は真鍋水軍を率いて織田方として参戦しますが、
毛利氏の村上水軍との戦いで討ち死にしました。
真鍋貞友の子・真鍋貞成は信長の死後は、豊臣家の家臣となり、
江戸時代には紀州藩主・徳川頼宣の家臣となったようです。
城址は南溟寺となっており、真鍋城址の碑があります。
土塁のような地形もありますが、遺構かは分かりませんでした。
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