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【豊場】尾張国溝口城 令和4年(2022) 初春
2022年の2月上旬、愛知県西春日井郡豊山町にある溝口城跡を訪れました。
築城年代等ははっきりしていませんが、天正初期(1573年頃)に溝口氏の一族である溝口富之助が築城したとされているようです。
遺構はなく、城跡碑等もありませんが、濃尾平野に築かれた平城だったと思われます。
城跡の訪問後、近くにある八所神社と溝口氏の菩提寺である常安寺にも寄っています。
城跡は30秒くらいでほとんど周囲の散策となっていますが、八所神社は伊藤萬蔵氏寄贈の石碑等があり特におすすめです。
今回は新型ウィルス流行中の影響もあり、自宅の近くの城跡を自転車で巡っています。
お城→mylist/37297571
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その七
どんどんいくよー!その八sm18135211
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その六
バイオ!バイオ!その七sm18135190
【主殿助】三河国深溝城 令和6年(2024) 晩冬
2024年の1月下旬、愛知県額田郡幸田町にある深溝城址を訪れました。
築城年代等は不明ですが、
13世紀か14世紀頃に大庭氏が築城したとされます。
16世紀には松平氏が居城とし、深溝松平氏の拠点となっていました。
城主には『家忠日記』で有名な松平家忠がいます。
現在、城址は工場となっていますが、
工場の西南に城址碑と案内板。
また、城址の東側には土塁のような地形も残っています。
動画では、深溝城址 → 長満寺(大庭氏菩提寺) → 三光院
→ 幸田町郷土資料館 → 本光寺(深溝松平氏菩提寺)と訪れています。
お城→mylist/37297571
茨木市のイベント 「茨木・知っトコ・ラリー」 に行ってきた 2/7
2012年10月13・14日に行われた茨木市のイベント「茨木・知っトコ・ラリー」に参加してきました。配布されたマップを見ながら、豊臣秀吉などの武将ゆかりの地6か所を回る(約2.5km)クイズラリーです。(毎年恒例 「黒井の清水大茶会」 も同時開催),
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全リスト→mylist/34777212 前→sm19434620 次→sm19435066 ダンス企画→mylist/34782192
20100818横須賀城
名前は横須賀城ですが、場所は静岡です。むしろ掛川が近いのかな?石垣に使われている石が丸いのがとても目を引くのです。うらっかわにある松尾山も立派な遺構ですよ
【藤太郎】三河国上ノ郷城 令和4年(2022) 晩秋
2022年の10月下旬、愛知県蒲郡市にある上ノ郷城(かみのごうじょう)を訪れました。
築城年代等は不明のようですが、戦国時代には今川氏の家臣である鵜殿(うどの)氏が城主で、蒲郡一帯を領していたようです。
桶狭間の合戦後の松平氏と今川氏の争いで上ノ郷城の鵜殿家本家は今川方となりますが、下ノ郷城や柏原城の同族は松平氏に付きました。
永禄5(1562)年に松平元康の攻撃により、落城し、城主・鵜殿長照は討死にしたと伝わります。
現在、城址はミカン畑となっていますが、土塁等の遺構は残っており、中世城郭であった名残は感じることができます。城の北から東・南と川が流れて堀の役割をしていたとされ、古城図では西側も堀があり、城の周囲を堀で守っていたようで、主郭からは蒲郡の街と三河湾まで見通すことができるので守りやすく攻め難い城であったと思います。
お城→mylist/37297571
【坂東太郎】常陸国太田城 令和4年(2022) 仲冬
2022年の1月上旬、茨城県常陸太田市にある太田城跡を訪れました。
城の起源は明らかではありませんが、天仁2(1109)年に藤原通延(藤原秀郷の四世)が、下野国から太田郷に入り、太田大夫と称して築城したのが始まりであると伝わります。
後に佐竹隆義が当時の太田城主・藤原通盛(通延の孫)を服属させたのち、通盛を小野台地(瑞竜中学校周辺)に移して「小野崎氏」を名乗らせ、自らが太田城に入りました。
以降、佐竹氏代々の居城でしたが、戦国末期の当主・佐竹義宣が水戸城に本拠を移しました。
その後、江戸幕府の一国一城令により廃城となりましたが、城の機能は一部残され「太田御殿」と呼ばれ、水戸藩の附家老の中山氏が管理していたようです。
本郭は現在の太田小学校一帯。 二の郭は内堀町から若宮八幡宮一帯。 三の郭は栄町の大部分で北側が搦手とよばれている。 これらの郭は明治の初期に国から町の有志に払い下げられ、土塁をくずし堀を埋めて宅地や道路が造られたが、大正末期まで土塁や郭の一部が残っていたとのことですが、発掘調査により、江戸時代の古地図にはない大規模な堀跡等も発見されており、今後の調査によって縄張が大きく変わる可能性もある城です。
常陸太田駅から、鯨ヶ丘・法然寺・若宮八幡宮・太田城・駒柵(帰願寺)・久昌寺・西山公園・三峯神社・梅照院と訪れています。城は鯨ヶ丘という南北に長い河岸段丘の上に築かれており、長野県の飯田城や後の佐竹氏の居城である水戸城との類似点も興味深かったです。
佐竹氏の次の居城・水戸城 → sm21235924
佐竹氏の次の次の居城・久保田城 → sm26949128
お城→mylist/37297571
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」の満開の桜 再訪・補遺編
【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城である。
完成後間も無くわずか3年余りで幕府の命令により破却された城。あまりに大規模な堅城であったのが、災いしたのかもしれませんね。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。
元々は小方白と言われていたが山が亀の甲羅のような形なので亀居と呼ばれるようになった。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程=北側駐車場ーなしの丸、有の丸〜詰の丸と本丸の間の道を進み〜本丸石垣下から石本美由起歌碑〜本丸展望所へ。
小方あたりには古代山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。海側から道はあまり広くなく坂がキツい。山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。北側には山陽自動車道が走る。
南は海、堀を巡らし、北側は急峻な山があり、西は山陽道苦の坂の難所があり要害の地であった。
お城に関しての歴史情報〜 大竹歴史研究会記事、西念寺HPより参照。
以前1回来て以来久方ぶりタイミングが合い満開の城址にやっと散策した完結です。
福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
亀居城と桜=メインは城跡散策〜桜が少し咲いていた(5分咲き)sm38555020
茨木市のイベント 「茨木・知っトコ・ラリー」 に行ってきた 4/7
2012年10月13・14日に行われた茨木市のイベント「茨木・知っトコ・ラリー」に参加してきました。配布されたマップを見ながら、豊臣秀吉などの武将ゆかりの地6か所を回る(約2.5km)クイズラリーです。(毎年恒例 「黒井の清水大茶会」 も同時開催),
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全リスト→mylist/34777212 前→sm19435066 次→sm19435411 ダンス企画→mylist/34782192
【鬼柴田】越前国北ノ庄城 令和3年(2021) 晩夏
2021年の8月上旬、福井県福井市にある北ノ庄城跡を訪れました。
天正3年(1575年)に、織田信長の家臣・柴田勝家が越前国49万石の居城として築城し、七層の天守(一説には九層とも)をもつ、安土城に匹敵するような居城だったと伝わります。
天正11年(1583年)4月、賤ヶ岳の戦いで柴田勝家が羽柴秀吉に敗れると、秀吉はそのまま越前に攻め入り、勝家も北ノ庄城に籠城しますが、落城し、妻・お市の方とともに自害し、家臣の中村 文荷斎(なかむら ぶんかさい)が介錯しました。
江戸時代になり、北ノ庄城の跡地に福井城が築城されましたが、現在柴田神社がある所が北ノ庄城の本丸跡と推定され、北ノ庄城の堀や石垣を展示したり、北の庄城址資料館があります。
お城→mylist/37297571
高知城お堀の睡蓮
今年の睡蓮は例年と比べて花の色彩が白と黄色が多く例年に見掛ける赤、紫の鮮やかな睡蓮を見掛けないけど時期早々だったかも・・・。。
【織田筆頭家老】尾張国沖村城(林通勝邸跡) 令和4年(2022) 初春
2022年の2月上旬、愛知県北名古屋市にある沖村城跡(林通勝邸跡)を訪れました。
築城年代等は不明ですが、織田信長の筆頭家老だった林秀貞(林通勝)の館跡と伝わります。
松林寺の西隣に林通勝邸跡の碑がありますが、城跡や館跡の遺構は残念ながら見当たりません。
城跡は石碑の場所から北へ50m程の所だったとの情報や西等の情報もネット上にありましたが、詳細は不明です。
周囲は濃尾平野の真っ只中の平地であり、平城だったと思われます。遺構はありませんが、林秀貞がこの辺り一帯を領して城館を構えていた場所と思うと感慨深いものがありました。
また、松林寺の南には沖村の偉人である高田知文翁の像もあり(大正から昭和にかけて沖村から九之坪まで道を造った方だそうです)、沖村の歴史も知ることができました。
今回は新型ウィルス流行中の影響もあり、自宅の近くの城跡を自転車で巡っています。
お城→mylist/37297571
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その十
螺旋階段の先にあるモノとは!?その十一sm18135396
【亀城】三河国刈谷城 令和4年(2022) 仲秋
2022年の9月上旬、愛知県刈谷市にある刈谷城を訪れました。
天文2(1533)年、水野忠政により築城されたとされ、徳川家康の生母・於大は刈谷城から岡崎の松平広忠に嫁しています。
桶狭間の合戦後、今川氏の家臣で鳴海城主・岡部元信が撤退途中で刈屋城を攻め、城主・水野信近を討ち取りました。
その後、織田信長の家臣・佐久間信盛が領有したもののまた水野氏の領地となり、江戸時代には水野勝成が刈谷藩の初代藩主となりました。以後、深溝松平家、久松松平家、稲垣氏、阿部氏、本多氏、三浦氏、土井氏が入封し、明治を迎えました。
現在、城址は亀城公園として整備され、本丸と水堀の一部が残っており、以下の手順で散策しています。城の中心部だけ見たい方は22:40辺りから、写真の紙芝居じゃなく動画じゃないとやだ!て方は31:52からご覧ください。
刈谷市駅(0:56) → 十念寺(藩主・土井氏菩提寺)(1:24) → 椎の木屋敷跡(於大の方屋敷跡)(5:16) → 刈谷城・町口門跡(7:48) → 刈谷城・大手門跡(9:25) → 刈谷郷土資料館(10:35) → 刈谷城・主要部(22:40) → おまけの動画(31:52)
お城→mylist/37297571
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その三
さぁついに城内に入りますその四sm18135013
【体験版】おとすけのバイオハザード ヴィレッジ【城TA】
BIOHAZARD8の体験版、Villageの城タイムアタック
実況なしのプレイ動画、自己満です。
村TA
sm38675923
村(一回目)
sm38604082
城(一回目)
sm38638719
村と城(二回目)
sm38675827
おとあにwaveの他の動画とか
mylist/70897075
高画質版(YouTube)
https://youtu.be/2hkkxEi-bn4
【68万石】越前国福井城 令和3年(2021) 晩夏
2021年の8月上旬、福井県福井市にある福井城跡を訪れました。
慶長6年(1601年)、結城秀康(徳川家康・次男)が築城に着手し、6年の歳月をかけて越前国68万石の本城にふさわしい巨大な城を天下普請で造りました。
北ノ庄城の跡地に築城したので、そのまま北ノ庄城と呼ばれていたようですが、江戸時代に福井藩第3代藩主・松平忠昌が「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名されたと伝わります。
現在、外堀は埋められ、内堀と本丸や天守台が残るのみですが、本丸跡には福井県庁、県会議事堂、県警察本部などがあり、公園としても整備されています。
福井城の前にあった柴田勝家の北ノ庄城 → sm39314682
お城→mylist/37297571
【副将軍】常陸国水戸城 令和4年(2022) 仲冬
2022年の1月上旬、茨城県水戸市にある水戸城跡を訪れました。
平安時代末期に馬場資幹が築いた馬場城が起源と考えられ、その後、江戸氏が城主となり、
戦国時代末期には佐竹義宣が入城し、城名を水戸城に改めました。
江戸時代には徳川御三家の一つの水戸徳川氏の居城となり、明治になり廃城しました。
城は河岸段丘である水戸台地に築かれており、佐竹氏の前の居城である太田城との類似点も興味深いです。また、三の丸と二の丸、二の丸と本丸間の堀はもの凄く大きな規模です。
2020年に大手門、2021年に二ノ丸南西角櫓が復元されていますが、今回は早朝の訪城となったので、角櫓への門は閉まっており訪問できませんでした。
東日本大震災復興支援 2012Jリーグスペシャルマッチを鹿島スタジアムに見に行った時に、水戸城と偕楽園を訪れて以来、10年振りの訪城でした。震災で倒壊した学生警鐘や瓦等が復旧しており、大手門や角櫓が復元され、ますます見所の多くなった水戸城に大満足でした。
2012年夏の水戸城 → sm21235924
佐竹氏の前の居城・太田城 → sm39991397
佐竹氏の次の居城・久保田城 → sm26949128
お城→mylist/37297571
【福島正則夢のあと】「 亀居城跡 」と桜(5分咲き) 後編(公園南側入り口〜亀居城城跡本丸へ)
【西国街道】江戸初期に福島正則が五年の歳月をかけて築城した要塞 亀居城である。
完成後間も無くわずか3年余りで幕府の命令により破却された城。あまりに大規模な堅城であったのが、災いしたのかもしれませんね。長く忘れさられていたが発掘され石垣など遺構が保存され城跡 亀居公園となっている。
元々は小方白と言われていたが山が亀の甲羅のような形なので亀居と呼ばれるようになった。
現代では広島県西端の桜の名所として有名。本丸跡からの眺めも良い。
行程=JR玖波駅で下車〜駅から西へまっすぐに国道2号沿いに進み(この方が早い)〜黒川地区から間の宿(あいのしゅく、休憩などに使われた宿場)小方(おがた)へ入り〜陸橋を越え線路向こうの西念寺横を抜けて城跡公園入り口(松の丸辺り)〜松の丸〜なしの丸、有の丸〜三の丸〜二の丸〜本丸展望所。
小方あたりには古代山陽道の遠管(おが)駅があったと言われているそうです。海側から道はあまり広くなく坂がキツい。山の北側に車が入る公園入り口があり駐車場もある。北側には山陽自動車道が走る。
南は海、堀を巡らし、北側は急峻な山があり、西は山陽道苦の坂の難所があり要害の地であった。
4月初め再訪したので別に桜満開の補遺編をあげます。
お城歴史的な事項に関しての情報〜 公園掲示板、大竹歴史研究会記事より参照。
福島正則の亀居城跡へ(西国街道沿い)前編 sm38506561
補遺編 亀居城 満開の花模様 sm38557402
子供たち チャイコフスキー・ くるみ割り人形
天草旅行の岐路の船上で出会った子供たちの光景を記録した。キリシタン 世界遺産
#10 人妻有機の勝手にプッシュ!~旅行~
#10 人妻づま子&大原ST有機
・旅行について~
へんすて夏コミ ~オトナの文化祭~
略して「へんコミ」の宣番組という態で、いつものへんすてから飛び出した勝手な告知番組です。
毎回パーソナリティが勝手にプッシュ!して去ってゆく。。。そんな内容ですw
勝手にプッシュ!再生リスト mylist/38579957
【へんすて番組説明】
へんすては「恋チョコラジオ」を契機に巡り会ったリスナーが皆様と創っていく自主制作ラジオ番組です。
・へんすて公式HP http://goo.gl/ZyVzt
・へんコミ特設サイト http://j.mp/16MPXiw
【逢瀬】尾張国小折城(生駒屋敷) 平成31年(2019) 晩冬
2019年の1月上旬、愛知県江南市にある小折城跡(生駒屋敷跡)を訪れました。
築城年代等は不明ですが、戦国時代に生駒氏の居城でした。
弘治2年(1556年)、小折城主・生駒家宗の娘である生駒吉乃は夫の土田弥平次が戦死した後、織田信長の側室となり、織田信忠や信雄を産んだとされています。
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際には戦いの最前線となり城は大幅に改修されたとされ、
古地図には本丸・二の丸・三の丸・西の丸等の曲輪があります。
江戸時代に入り、生駒利勝は尾張藩主徳川義直に仕え、子孫が家老となり4,000石を領しました。一国一城令により小折城は廃城となりますが、周辺領地と遺構は縮小されるもそのまま生駒氏下屋敷として隠居所の機能を果たしながら存在し、明治を迎えました。
現在、城跡は布袋東保育園等になっていますが、中門が広間家に移築されており、菩提寺である久昌寺には生駒氏や吉乃の墓等がありますが、2021年、久昌寺は老朽化に伴い維持管理が難しくなったため取り壊しが決まり、跡地は市に売却され公園として整備される見込みとのことです。
また、近くにある龍神社には清州城代を務めたとされる埴原加賀守常安の塚の碑があり、屋敷もその近くにあったと伝わります。
お城→mylist/37297571
(MAD)この城
整理していて、懐かしいものを見つけたので。需要?知らんがな(´・ω・`)
mylist/25239694
城巡りシリーズ第一弾 Caerphilly Castle in Wales,the U.K その五
ウェールズ語のお勉強もできるね☆その六sm18135142
【服部党】尾張国荷之上城(服部家住宅) 令和4年(2022) 初冬
2022年の11月中旬、愛知県弥富市にある荷之上城(にのうえじょう)跡を訪れました。
築城年代等は不明ですが、服部氏の居城と伝わります。
永禄3(1560)年、城主・服部友貞は桶狭間の合戦では今川方に属し、織田信長と交戦しました。
永禄11(1568)年、友貞は北畠具教に年賀の挨拶をするために霧山城へと登城する最中に、織田軍の刺客に囲まれ伊勢国米野の陰涼庵で自害に追い込まれたと伝わります。
長島の一向一揆では、服部党は一揆側に参加し、織田軍によって荷之上城周辺は荒廃し、一族は離散したようです。
天正4(1576)年、一族の服部正友が荷之上城跡に居を構え、江戸時代には代々・庄屋を務める家柄だったようです。
第四代当主・服部定元は尾張徳川家から、八代藩主の徳川宗勝の養育をここで行ったと伝わります。
現在、城址は服部家住宅となっており、天正の頃より服部氏の子孫の方が住み続けています。
服部家住宅はその貴重さから重要文化財に指定され、通常は非公開ですが、年に数度公開しており、今回は秋の特別公開(要予約)に予約して住宅の中へ入らせて頂きました。
住宅の内部の撮影は禁止ですが、天正の頃より存在し続けている住宅と思うととても感慨深い思いがありました。はっきり言って「最高」です。
住宅の北側の水路は城の堀跡の遺構と伝わるそうです。
お城→mylist/37297571
【三盛木瓜】越前国一乗谷城 其の四 一乗谷城山~茶会編 令和3年(2021) 晩夏
2021年の8月上旬、福井県福井市にある一乗谷城を訪れました。
築城年代は不明ですが、15世紀前半には築かれていたと考えられる山城で、西の谷合に館や城下町がありました。
城下町は南の上城戸(かみきど)と北の下城戸(しもきど)と呼ばれる二つの谷の入口に守られており、往時は1万人もの人々が城下に住んでいたと伝わるようです。
天正元年(1573)、織田信長の越前侵攻により、一乗谷は炎上、当主・朝倉義景は大野に逃れますが、一族の朝倉景鏡に裏切られ自害しました。
後に越前を治めた柴田勝家が北ノ庄城に本拠を構えた為、一乗谷は荒廃し、田畑の下に埋もれていましたが、昭和42年(1967)に発掘が開始され、城下町全体が一乗谷朝倉氏遺跡として、国の特別史跡、特別名勝、重要文化財(出土品2343点)の三重指定を持つ全国6史跡の一つとなっています。
今回は復原街並から、朝倉館跡、英林塚、一乗谷城山を散策し、最後に朝倉氏が所持した茶器の紹介とともに茶会を開催しています。
一乗谷城其の一 下城戸~朝倉景鏡館跡編 → sm39179238
一乗谷城其の二 平面復元地区~朝倉館跡編 → sm39216353
一乗谷城其の三 中の御殿跡~復原街並編 → sm39255706
お城→mylist/37297571
【こども必見】簡単に城を守る疑似体験ができる方法
100円ショップで簡単に遊べるスペシャル~
100円でお城を守る体験ができる遊びを紹介します!
動画内音楽→http://commons.nicovideo.jp/material/nc168217
nc168217