タグ 天台宗 が登録されている動画 : 35 件中 1 - 32 件目
種類:
- タグ
- キーワード
対象:
死刑賛成は「殺したがるバカども」なのか?【瀬戸内寂聴の暴言】
★新著!「日本国民の新教養 」→http://amzn.to/1VWrxRM
★今後の講演情報→http://kazuyahkd.com/event
NET News Station|KAZUYA CHANNEL GX
★このチャンネルの「お気に入り」登録お願いします★
----------------------------------
・ニコニコ生放送はこちらから
→http://ch.nicovideo.jp/kazuyagx/live
・YouTubeで動画投稿しています。是非YouTubeでチャンネル登録をお願いします!
→http://www.youtube.com/user/kazuyahkd
・前watch/1475751620
・KAZUYA Channelマイリス→mylist/36734521
・大体1分ニュースマイリス→mylist/47422680
----------------------------------
・KAZUYA twitter|@kazuyahkd
→https://twitter.com/kazuyahkd
・KAZUYA BLOG
→http://kazuyahkd.com/
----------------------------------
運営(和田)twitter | @media_otb
→https://twitter.com/media_otb
----------------------------------
▼NET News Station|KAZUYA CHANNEL GX
http://ch.nicovideo.jp/kazuyagx
善光寺の「生き仏」が謝罪会見を途中退席で騒然
善光寺(長野市)の天台宗側トップ、小松玄澄貫主(84)が、女性職員に差別的な発言をしたとして信徒らに罷免要求されていた問題で、小松貫主は1月10日、同寺大勧進で記者会見を開き、法要や儀式への参加を再開する意向を表明した。一定期間後に貫主を辞任する考えも示した。
小松貫主は問題発覚後の平成28年6月から、本堂で行われる法要や儀式への参加を自粛していた。会見では、「貫主として平常通り、法要及び儀式に復す」とした上で、「しかるべき時期をもって貫主の地位を後進に譲りたい」と述べた。ただ、再開や辞任時期などへの言及は避けた。
http://www.sankei.com/affairs/news/180110/afr1801100041-n1.html
玄侑宗久・瀬戸内寂聴対談
youtube転載
臨済宗の玄侑宗久さんと天台宗の瀬戸内寂聴さんが異なる宗派同士の修行と体験談に
ついて対談しています。
あくまで瞑想や座禅は神秘体験を目的でやらない方がいいと思います。
組曲「最澄と天台宗」
第十四回政歴M@D祭・参加作品です。内容は最澄が多めで、他に天台宗関連の方々が何人か登場します。歌詞の都合上、時系列がかなり前後しております。教義の解釈等間違っているところがありましたらすみません。/他の作成物→mylist/10267760、小国らじお→mylist/32090960
月読アイの大悲呪
お盆ですので、ご先祖供養によく読まれるお経『大悲円満無礙神呪』を。観音菩薩の加護を祈るためのお経ですが、その内容は実はヒンドゥー教のヴィシュヌやシヴァへの讃歌だったりします…。梵語原文と現代語訳はsm11092686を参照。
新型コロナウイルス退散祈念!!元三大師(角大師・鬼大師)御札大集合!!!
3年ぶりの投稿です。
第18世天台座主・慈恵大師(元三大師)こと良源上人が、疫病神を祓うため
自ら魔王の姿に化身した姿を刷った「角大師(降魔大師・鬼大師)」の御札は
既に人口に膾炙していますが、今般、多いに話題となった アマビエと同じく、
願わくば その御利益で、この当節の人心を安んじていただけますよう。
今までに投稿した動画⇒mylist/13741552
【初音ミク】天台宗勤行作法第一式【唱えさせてみた】
毎日のお供に。尺の都合で神力品は偈文です。イラストはピアプロより茶ノ木様。南無。
【替え歌】ハレ晴レ天台
伝教大師最澄を扱った歴史替え歌です。オフボーカルです。先日、最澄と天台宗について書かれた本を読みまして、それに触発されて作ってしまいました。もう少し色々盛り込みたかったのですが、力不足でかなりあっさりした内容になってしまいました。時系列が少し前後しております。※余談ですが、volの数字=生年は766年説もあるそうです。/他の作成物→mylist/1026776
鳥渡 観音寺(天台宗寺院)福島県福島市|永代供養塔(五重塔)お寺供養
http://kannonji.webcrow.jp/ 先祖供養をはじめとする様々な 供養。さらに五重塔永代供養塔は、後継者がいない、迷惑をかけたくない方を納骨からお引き受けし、ご位牌並びに分骨五輪塔を安置して永代供養を司る殿堂となります。福島県福島市の天台宗のお寺です。【企画・制作】アドチット:http;//adchitto.webcrow.jp/
【鎌倉仏教シリーズ】第18回・平安仏教②天台宗(その2)6-6
最澄は、法華経を中心に主要な大乗仏教典を統合した大乗教(円教)を目指しましたが、その弟子の円仁、円珍の時代になると密教色が強くなり、安然の時代に至って天台密教は完成をみます。しかし、円仁と円珍の弟子たちの時代になると、それぞれ山門派(比叡山・延暦寺)と寺門派(園城寺<三井寺>)に分かれ、先鋭な対立を繰り返し、山門派から鎌倉仏教や山王神道を、寺門派からは熊野修験を生みだし、発展していくことになります。
【鎌倉仏教シリーズ】第17回・平安仏教②天台宗(その1)4-1
最澄は、入唐して、天台山で円教(法華経)、北宗禅、大乗戒律(梵冥教)を学び、大乗経典を総合した天台教学を学び、日本に伝えますが、密教を十分に学ぶことができず、空海にその教えを乞うことになります。空海との絶交後、最澄は、比叡山に一乗止観院を築き、唐の天台智顗が生み出した止観という瞑想修行法を宗の中心に据えます。しかし、最澄亡き後は、弟子たちにより密教が採り入れられ、天台宗は密教が中心となります。
【神道シリーズ】第37回・山王神道(山王一実神道)①(天台宗の作った神道)
中世になると、真言宗や天台宗がそれぞれの仏教理論に基づいて独自の神道理論を生み出し、その神道理論に基づいて古事記や日本書紀に出てきた神々仏様の眷属(仲間)にあてがい(これを「比定」と言います)、例えば、アマテラスの本地(本当の姿)は大日如来だとか(真言宗)、比叡山の神様(山王)は大物主神(大貴己神=大国主神)として仮の姿を現してるが、実は正体はお釈迦様なのだとか、全国の地方信仰(単純に山神とか川神様とか呼ばれていたようなもの)にこの公式を次々とあてはめて行きます(比定)。
そしてやがて日本国中の神々(八百万神)はすべて古事記の神様で、しかもその正体(本地)は仏様の眷属(阿弥陀如来とか不動明王とか、、)であると比定することにより、今日に繋がる地方信仰は作られて行きます。(これは古事記のストーリーとはまったく無関係に新たな(仏と神の)関係ストーリーが作られ、それが地方伝承として定着していきます。
山王神道(山王一実神道)や両部神道は、それぞれ天台宗、真言宗が作った神道(仏家神道)で、その後に生成された神道はすべてこの原理をベースに形成されています。
そういった意味では、「日本の神道を作ったのは天台宗と真言宗である」と言ってもまったく過言にはなりません。
今回は、その天台宗による仏家神道を見て行きたいと思います。
【世界遺産】京都府&滋賀県 比叡山延暦寺
2009.11.15 京都府&滋賀県にある世界遺産「比叡山延暦寺」です。東塔地区→横川地区→西塔地区の順に撮っています。これはデジカメで撮った動画です。マイリスト mylist/18211657
【鎌倉仏教シリーズ】第17回・平安仏教②天台宗(その1)4-2
最澄は、入唐して、天台山で円教(法華経)、北宗禅、大乗戒律(梵冥教)を学び、大乗経典を総合した天台教学を学び、日本に伝えますが、密教を十分に学ぶことができず、空海にその教えを乞うことになります。空海との絶交後、最澄は、比叡山に一乗止観院を築き、唐の天台智顗が生み出した止観という瞑想修行法を宗の中心に据えます。しかし、最澄亡き後は、弟子たちにより密教が採り入れられ、天台宗は密教が中心となります。
【鎌倉仏教シリーズ】第18回・平安仏教②天台宗(その2)6-2
最澄は、法華経を中心に主要な大乗仏教典を統合した大乗教(円教)を目指しましたが、その弟子の円仁、円珍の時代になると密教色が強くなり、安然の時代に至って天台密教は完成をみます。しかし、円仁と円珍の弟子たちの時代になると、それぞれ山門派(比叡山・延暦寺)と寺門派(園城寺<三井寺>)に分かれ、先鋭な対立を繰り返し、山門派から鎌倉仏教や山王神道を、寺門派からは熊野修験を生みだし、発展していくことになります。
【鎌倉仏教シリーズ】第17回・平安仏教②天台宗(その1)4-4
最澄は、入唐して、天台山で円教(法華経)、北宗禅、大乗戒律(梵冥教)を学び、大乗経典を総合した天台教学を学び、日本に伝えますが、密教を十分に学ぶことができず、空海にその教えを乞うことになります。空海との絶交後、最澄は、比叡山に一乗止観院を築き、唐の天台智顗が生み出した止観という瞑想修行法を宗の中心に据えます。しかし、最澄亡き後は、弟子たちにより密教が採り入れられ、天台宗は密教が中心となります。
【鎌倉仏教シリーズ】第18回・平安仏教②天台宗(その2)6-1
最澄は、法華経を中心に主要な大乗仏教典を統合した大乗教(円教)を目指しましたが、その弟子の円仁、円珍の時代になると密教色が強くなり、安然の時代に至って天台密教は完成をみます。しかし、円仁と円珍の弟子たちの時代になると、それぞれ山門派(比叡山・延暦寺)と寺門派(園城寺<三井寺>)に分かれ、先鋭な対立を繰り返し、山門派から鎌倉仏教や山王神道を、寺門派からは熊野修験を生みだし、発展していくことになります。
【鎌倉仏教シリーズ】第18回・平安仏教②天台宗(その2)6-3
最澄は、法華経を中心に主要な大乗仏教典を統合した大乗教(円教)を目指しましたが、その弟子の円仁、円珍の時代になると密教色が強くなり、安然の時代に至って天台密教は完成をみます。しかし、円仁と円珍の弟子たちの時代になると、それぞれ山門派(比叡山・延暦寺)と寺門派(園城寺<三井寺>)に分かれ、先鋭な対立を繰り返し、山門派から鎌倉仏教や山王神道を、寺門派からは熊野修験を生みだし、発展していくことになります。
【神道シリーズ】第58回・八百万の神⑮羽黒三山信仰【前編】(真言宗と天台宗の確執の地と八宗兼学の地)
羽黒修験は現在、羽黒山、月山、湯殿山の三山で構成されてますが、16世紀までは羽黒山、鳥海山、葉山の三山で構成されていました。
羽黒三山には、役小角(8世紀初頭)より200年以上早い6世紀前後に崇峻天皇の皇子の蜂子皇子が蘇我馬子の脅威から逃れるために羽黒へ行き、その地で山岳信仰を始めたという伝説がありますが、しかし、これは室町時代(14世紀)になってから作られた話で、実際には不動明王信仰を核とした役小角系雑密の修験道を起源としてると思われます。
平安後期の9世紀以降は、この地は真言宗と天台宗(比叡山)の勢力の覇権争いの場となり、羽黒山、月山、鳥海山、葉山は天台宗の勢力下、湯殿山は真言宗の勢力下と二分されることになります。
羽黒修験は、全国修験道共通とされてる不動明王信仰や十界修行(真言密教の十往心に対応)や擬死再生修行などはもちろんのこと、そこにさらに9世紀に渤海からの漂流者(記録あり)が伝えたであろうとされる大陸の道教祭祀の影響が見られ、ユニークな羽黒修験が形成されています。
明治の神仏判然令で天台系の修験道は羽黒山や月山からの下山を強制され、代わりに羽黒三山神社が作られ、月読命や大貴己神など古事記の神々が政府によって祀られましたが、湯殿山だけは真言宗との繋がりがあまりにも強固で分離できず、今日まで真言宗の一拠点となっています。
明治に政府が無理矢理神社(羽黒三山神社)を作り、古事記の神々を祀ろうと、古くからの伝統を消し去ることは出来ず、今でも信仰対象は羽黒権現・月山権現・湯殿山権現で、祭祀も古代からのままで、国家神道化は失敗したと言えます。
【鎌倉仏教シリーズ】第18回・平安仏教②天台宗(その2)6-5
最澄は、法華経を中心に主要な大乗仏教典を統合した大乗教(円教)を目指しましたが、その弟子の円仁、円珍の時代になると密教色が強くなり、安然の時代に至って天台密教は完成をみます。しかし、円仁と円珍の弟子たちの時代になると、それぞれ山門派(比叡山・延暦寺)と寺門派(園城寺<三井寺>)に分かれ、先鋭な対立を繰り返し、山門派から鎌倉仏教や山王神道を、寺門派からは熊野修験を生みだし、発展していくことになります
【鎌倉仏教シリーズ】第17回・平安仏教②天台宗(その1)4-3
最澄は、入唐して、天台山で円教(法華経)、北宗禅、大乗戒律(梵冥教)を学び、大乗経典を総合した天台教学を学び、日本に伝えますが、密教を十分に学ぶことができず、空海にその教えを乞うことになります。空海との絶交後、最澄は、比叡山に一乗止観院を築き、唐の天台智顗が生み出した止観という瞑想修行法を宗の中心に据えます。しかし、最澄亡き後は、弟子たちにより密教が採り入れられ、天台宗は密教が中心となります。
【鎌倉仏教シリーズ】第18回・平安仏教②天台宗(その2)6-4
最澄は、法華経を中心に主要な大乗仏教典を統合した大乗教(円教)を目指しましたが、その弟子の円仁、円珍の時代になると密教色が強くなり、安然の時代に至って天台密教は完成をみます。しかし、円仁と円珍の弟子たちの時代になると、それぞれ山門派(比叡山・延暦寺)と寺門派(園城寺<三井寺>)に分かれ、先鋭な対立を繰り返し、山門派から鎌倉仏教や山王神道を、寺門派からは熊野修験を生みだし、発展していくことになります。
【神道シリーズ】第81回・八百万の神㉙伯耆大山・智明大権現(今日も続く天台大山寺の大山修験と信仰)
伯耆大山(ほうきだいせん)は2018年に開山1300年を迎え、盛大なイベントが行われていましたが、今でも信仰の中心は大山寺(だいせんじ)を中心とした地蔵菩薩信仰であり、天台系の山伏たちが法螺貝を吹き、柴燈護摩を焚くという儀式が行われています。
大山の開山伝承では、8世紀に猟師の従道が大山で金色の狼を射止めようとしていたところ、地蔵菩薩が現れ、一瞬で改心して仏道に入り、名を
金蓮(こんれん)と改めた、という話が伯耆大山の開山伝説となっています。
9世紀以降は天台宗(比叡)の進出により、慈覚大師(比叡山第二世座主・円仁)伝説などが加わり、天台修験の一大拠点となります。
戦国時代の戦乱で一時期衰退しますが、江戸時代になると伯耆国出身の豪円という天台僧が比叡山や伯耆の大山寺を復興し、再び信仰の復活を見ます。
明治には政府により信仰の中心の大山寺が破壊され、大神山神社が建てられますが、明治35年には地元の信者たちにより大山寺は復活し、今日まで伯耆大山信仰の中心となってきています。
延暦寺のここがツボ・雅流塾
天台宗の総本山である延暦寺のツボをたっしー&たー坊が分かりやすく解説します(≧▽≦)http://kyonara.xyz/archives/cat_838646.html
【神道シリーズ】第87回・八百万の神㉜鳥海山大権現(真言と天台の係争の場・鳥海山修験)
鳥海山(ちょうかいさん)は、かつて出羽三山(現在は羽黒山・月山・湯殿山)の一つとして羽黒山、月山とともに数えられたことがありますが、山形県の五山(羽黒山・月山・湯殿山・葉山・鳥海山)の中では標高(2236m)でダントツで最高であり、山麓を含めた面積も他山を圧倒的に凌いでいるにもかかわらず影の薄い存在となっています。
鳥海山は奈良時代から朝廷と蝦夷の戦いの最前線にあり、朝廷は大物忌(おおものいみ)神社(祭神は鳥海山大権現)を建て、仏経的な意味で血穢や死穢を清める意味での「物忌」を願い、殺害した蝦夷の祟りを恐れて鎮霊の為にこの神社を創建しました(6世紀後半・欽明期)。
平安以降は真言宗と天台宗の修験が進出し、両宗派ともに神宮寺や大物忌神社の社僧(神社に常駐する僧侶)として神社の実験を握り、その主導権を両宗派によって明治前まで争い続けました。
明治の神仏分離令で鳥海山修験が禁止された為に鳥海講は衰え、その後消滅の道を辿り、今では大物忌神社そのものは残っているものの、その信仰を支えた修験道の消失で現在は登山地・観光地としてだけ注目されるようになりました。
【神道シリーズ】第86回・八百万の神㉛葉山大権現(今でも薬師如来を本尊として祀る葉山神社<旧・天台大円院>)
山形県の葉山はちょうど現在「出羽三山」と呼ばれる羽黒山・月山・湯殿山のすぐ東隣りに位置し(月山・湯殿山のすぐ隣)、かつては羽黒山・月山とともに出羽三山の一つに数えられていましたが、江戸時代以降、湯殿山に真言宗が進出して湯殿山信仰を確立すると今の三山形式になりました。
それまでは現出羽三山に匹敵する山岳信仰があったとされています。
葉山信仰は天台宗の葉山大円院とともにあり、葉山信仰=天台葉山大円院と言っても過言でないほどですが、江戸後期頃には次第に月山信仰に吸収されて衰退し、明治維新の神仏分離令により葉山神社(明治に新設)に強制改装されて今日に至っています。
しかし、普通明治に信仰の中心であった寺院が破壊されて神社化させれる時、縁も所縁もない古事記の神々が祀られる事がほとんどの中、今でも葉山神社では本尊として薬師尿来が祀られていることからしても明治の神社神道化(国家神道化)の失敗例だとも言えるでしょう。
【世界遺産】真夏の那智大社と青岸渡寺
世界遺産、那智大社と青岸渡寺に行ってみました。
真夏の世界遺産の風景をお楽しみください。
[使用音楽素材:甘茶の音楽工房]
http://amachamusic.chagasi.com/
幸福とは何かを見出したいときの名言【瀬戸内寂聴】~大橋直久
幸福とは何かを見出したいときの名言(大橋直久)
名言の主: 瀬戸内寂聴
「人は、不幸の時は1を10にも思い、
幸福の時は当たり前のようにそれに慣れて、10を1のように思います」
/////////////////////
瀬戸内寂聴は日本の小説家、天台宗の尼僧。俗名晴美。京都府在住。
僧位は権大僧正。1997年文化功労者、2006年文化勲章。
学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、
東京女子大学国語専攻部卒業。学位は文学士(東京女子大学)。
元天台寺住職、現名誉住職。比叡山延暦寺禅光坊住職。
元敦賀短期大学学長。徳島市名誉市民。京都市名誉市民。
代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。
1988年以降には『源氏物語』に関連する著作が多い。
これまで新潮同人雑誌賞を皮切りに、
女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞している。
【神道シリーズ】第85回・鞍馬寺信仰【後編】鞍馬山火祭りと鞍馬山観光(火は煩悩を焼き尽くす)鞍馬山修験(天台山門派)
今回は映像を中心に鞍馬山の境内巡りと1000年以上続く鞍馬山の火祭りについて紹介します。
ニコ生放送が重くて放送中二度も中断しましたが、編集して一つの動画に繋げてアップロードしました。