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「乗馬の達人」徒然草気まま読み#126
今回扱うのは、第百八十五段。
全文をご紹介すると…
城(じゃうの)陸奧守泰盛〔城は出羽秋田城、城介で陸奧守を兼ねた、義景の子、北條時宗の舅〕は雙なき馬乘なりけり。馬を引き出でさせけるに、足をそろへて閾(しきみ)をゆらりと超ゆるを見ては、「これは勇める馬なり。」とて鞍を置きかへ〔他の馬へ置きかへる〕させけり。また足を伸べて閾に蹴あてぬれば、「これは鈍くして過ちあるべし。」とて乘らざりけり。道を知らざらむ人、かばかり恐れなむや。
天下無双の馬乗りのエピソード。
名人であるからこそ、事前に慎重な判断をしてから場に臨むもの。
そこが達人の達人たるゆえんである。
ほかのいろんなジャンルにおいても、同じことが言えるのではないだろうか?
「若者と老人」徒然草気まま読み#123
今回扱うのは、第百七十二段。
一部をご紹介すると…
若き時は血氣内にあまり、心物に動きて、情欲おほし。身をあやぶめて碎け易きこと、珠を走らしむるに似たり。美麗を好みて寶を費し、これを捨てて苔の袂にやつれ、勇める心盛りにして物と爭ひ、心に恥ぢ羨み、好む所日々に定まらず
若者と老人の比較、考察をする一段。
若者は何かと血気にはやって「若気の至り」というようなことをやってしまうものだが、老いると精神が衰え、そう心を動かすこともなくなるもの。
ただ、老人には決して若者には及ばぬものがあり、若者には決して老人にはない優れたものがある…というのだが、若者の利点は現代でも変わらないのに対して、老人の利点の方は、現代には果たして存在しているだろうか…?
「尊い罵倒」徒然草気まま読み#122
今回扱うのは、第百六段。
一部をご紹介すると…
高野の證空上人京へ上りけるに、細道にて馬に乘りたる女の行きあひたりけるが、口引きける男あしく引きて、聖の馬を堀へ落してけり。聖、いと腹あしく咎めて、「こは希有の狼藉かな。四部の弟子〔四衆とも云ふ、釋迦の弟子の四種〕はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞〔俗のまゝなる男の佛弟子〕は劣り、優婆塞より優婆夷〔俗のまゝの女の佛弟子〕は劣れり。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀に蹴入れさする、未曾有の惡行なり。」
高野山の身分の高い僧侶である證空上人が京に上った時の話。細い道でトラブルに遭ってしまった上人、思わず逆上してしまって…
徳を積み、いとやんごとなき位に就いた僧侶といえども、とっさの時にはどんな言動をするかわからない。むしろ、何の修行もしていない無学な男の自然な態度の方が超然としているようにさえ見える。
ふとしたことから人の本性が現れる瞬間、まさに兼好の「大好物」ともいえる場面を描いた一段。
「いないはずの人の手助け」徒然草気まま読み#121
今回扱うのは、第百一段。
全文をご紹介すると…
ある人、任大臣の節會の内辨〔節會の時、承明門内の諸事を掌る役〕を勤められけるに、内記〔中務省の官吏、詔敕を作り禁中の記事などを録す(*る)役〕のもちたる宣命〔任大臣の辭令をかいたみことのり〕を取らずして堂上せられにけり。きはまりなき失禮(しちらい)なれども、たちかへり取るべきにもあらず、思ひ煩はれけるに、六位の外記〔太政官の官大小公事の詔書奏文を案じ局中に記録する役〕康綱〔中原康綱〕、衣被の女房をかたらひて、かの宣命をもたせて、しのびやかに奉らせけり。いみじかりけり。
ある人が大臣に任命されて、そのお祝いの格式ある宴が催される際に、最も大切な大臣任命の辞令を書いたみことのりを持たないで宮中に参上してしまった。
大変な失態であるが、かといって、今さら取りに帰るわけにもいかない。この窮状を救ったのは、「そこにいないはずの人」だった!
「虚空よくものを容る」徒然草気まま読み#120
今回扱うのは、第二百三十五段。
一部をご紹介すると…
主(ぬし)ある家には、すゞろなる人、心の儘に入り來る事なし。主(あるじ)なき所には道行人(みちゆきびと)みだりに立ち入り、狐梟やうの者も、人氣(げ)にせかれねば、所得顔に入り住み、木精(こだま)などいふけしからぬ形もあらはるゝものなり。
人の心に関する、ちょっと面白い分析。
心に様々な思念が浮かんで気持ちが揺らぐことがあるのはなぜだろう?
仏門に入りながら、なお情緒豊かに様々なことを思い感じ取ってきた兼好だからこそ思い至った、心の謎についての詩的な考察。
「笛を吹く男」徒然草気まま読み#119
今回扱うのは、第四十四段。
一部をご紹介すると…
怪しの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色合定かならねど、つやゝかなる狩衣に濃き指貫、いとゆゑづきたるさまにて、さゝやかなる童一人を具して、遙かなる田の中の細道を、稻葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かむかた知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、
前回、徒然草の中でも何が言いたいのか理解しかねる異色の段を紹介したが、今回はそのすぐ次の段。
そしてこれがまた、前段と同様の不可解な話。
よく読んでみると、兼好は相当おかしなことをやっているのだが、本人はそれを自覚もしていない様子で風流を味わっている。
二段続けてこんな話が出て来るとは、兼好法師って、こういう奇行をする癖があったのだろうか?
「琵琶の名器を壊した話」徒然草気まま読み#116
今回扱うのは、第七十段。
短いので、全文をご紹介。
玄應の清暑堂の御遊に、玄上は失せにしころ、菊亭の大臣、牧馬を彈じ給ひけるに、座につきてまづ柱(ぢゅう)を探(さぐ)られたりければ、ひとつ落ちにけり。御懐(ふところ)に續飯(そくひ)をもち給ひたるにて付けられにければ、神供(じんぐ)の參るほどに よく干て、事故(ことゆえ)なかりけり。
いかなる意趣かありけん、物見ける衣被(きぬかづき)の、寄りて放ちて、もとのやうに置きたりけるとぞ。
後醍醐天皇の大嘗祭の後の余興の催しで演奏される琵琶の名器が、壊されていた。
何の意図があったのか、ことによると、後醍醐天皇に対して何か思うところがあったのかとも考えられるが、ここではそれについては深く考察しない。
それよりも注目すべきは、琵琶を壊した者がどうやって侵入したのかだが、そのセキュリティ感覚の甘さというか、大らかさというかに驚かされる。
「配所の月」徒然草気まま読み#115
今回扱うのは、第五段。
短いので、全文をご紹介。
深う愁(うれえ)に沈める人の、頭(かしら)おろしなど、ふつゝかに思ひとりたるにはあらで、有るか無きかに門さしこめて、待つこともなく明し暮らしたる、さるかたにあらまほし。
顯基(あきもと の)中納言のいひけん、「配所の月、罪なくて見ん事」、さも覚えぬべし。
こういう生き方こそ望ましい、羨ましいと兼好法師が思う態度を語る。
中世の知識人たちにとって、憧れの境地とされたという、その生き方とは?
出家の身である兼好が、深い悲しみをどう受け止めるのがよいと見ていたのか。
小手先の対処などせず、包み隠さずふるまう兼好の生き方がよくわかって興味深い。
「人の亡き跡」徒然草気まま読み#114
今回扱うのは、第三十段。
動画では冒頭部分だけのご紹介ですが、ここでは全文を掲載します。
人の亡き跡ばかり悲しきはなし。
中陰(ちゅういん)の程、山里などに移ろひて、便りあしく狹き所にあまたあひ居て、後のわざども營みあへる、心あわたゞし。日數(ひかず)の早く過ぐるほどぞ、ものにも似ぬ。はての日は、いと情なう、互にいふ事もなく、我かしこげに物ひきしたため、ちりち゛りに行きあかれぬ。もとの住家にかへりてぞ、さらに悲しきことは多かるべき。「しかじかの事は、あなかしこ、跡のため忌むなる事ぞ」などいへるこそ、かばかりの中に何かはと、人の心はなほうたて覺ゆれ。
年月經ても、露(つゆ)忘るゝにはあらねど、去るものは日々に疎しといへる事なれば、さはいへど、その際(きは)ばかりは覺えぬにや、よしなし事いひてうちも笑ひぬ。骸(から)は、けうとき山の中にをさめて、さるべき日ばかり詣でつゝ見れば、程なく卒都婆も苔むし、木の葉ふり埋みて、夕の嵐、夜の月のみぞ、言問ふよすがなりける。
思ひ出でて忍ぶ人あらむほどこそあらめ、そも又ほどなくうせて、聞き傳ふるばかりの末々は、哀れとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらむ人は哀れと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も、千年を待たで薪にくだかれ、ふるき墳(つか)はすかれて田となりぬ。その形(かた)だになくなりぬるぞ悲しき。
人の死というものについて、まず身内の葬儀の話から始まり、さらに年月を経ていくにつれての変化を語っていく。
決して長くはないこれだけの分量で、ここまでミクロからマクロまで視点を変化していく文章はなかなか見られるものではない。
徒然草の中でも屈指の名編、じっくり味わっていただきたい。
「大欲は小欲に似たり」徒然草気まま読み#111
今回扱うのは、第二百十七段。
冒頭部分を紹介すると…
ある大福長者の曰く、「人は萬をさしおきて、一向(ひたぶる)に徳をつくべきなり。貧しくては生けるかひなし。富めるのみを人とす。徳をつかむと思はば、すべからくまづその心づかひを修行すべし。
ある大金持ちが、「人は何を差し置いても財産を作るべきだ。貧乏人は生きる価値がない。富を持つ者だけが人だ」と言った。
仏教の価値観とは真逆の感覚で、さらに続けてホリエモンでも足元にも及ばないような極論を吐きまくる大金持ちだが、それを紹介した上で兼好法師、単に批判するのではなく、これに極めてユニークな解釈を加えていく。それは一体…?
「大根の勇士」徒然草気まま読み#110
今回扱うのは、第六十八段。
前半を紹介すると…
筑紫に、なにがしの押領使などいふやうなる者のありけるが、土大根(つちおおね)を萬にいみじき藥とて、朝ごとに二つづゝ燒きて食ひける事、年久しくなりぬ。ある時、館(たち)のうちに人もなかりける隙(ひま)をはかりて、敵襲ひ來りて圍み攻めけるに、館の内に兵(つわもの)二人出で来て、命を惜しまず戰ひて、皆追ひ返してけり。
徒然草には様々なタイプの話が含まれているが、中でもこれは一風変わった一段。
大根を万病に効く妙薬だとして、毎朝二本食べる人がいた。
これだけでも十分変な話だが、話はさらに思いがけない方向に転がっていく。
徒然草にはこんな「説話」のような話もある。
あまり紹介される機会のない珍しい話に、今回は特にスポットを当てる!
ぼろぼろの話「徒然草 気まま読み」#107
今回扱うのは、百十五段。
前半から紹介すると…
宿河原といふ所にて、ぼろぼろ多く集りて、九品の念佛を申しけるに、外より入りくるぼろぼろの、「もしこの中(うち)に、いろをし坊と申すぼろやおはします」と尋ねければ、その中より、「いろをし、こゝに候。かく宣ふは誰(た)ぞ」と答ふれば、「しら梵字と申す者なり。おのれが師、なにがしと申しし人、東國にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承りしかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり」と言ふ。
『徒然草』に人生訓のようなものを求めている人は、まず引用しない段。
「ぼろぼろ」とは、無宿者、ならず者、ゴロツキの類の者たちのこと。
その無頼そのもののエピソードを紹介し、彼らの性格などについても決して快く思っていない様子の兼好なのだが、最後に好感を寄せているような一言を添えて締めくくっている。それはなぜか?
生きてる間は武勇を誇るな「徒然草 気まま読み」#105
今回扱うのは、八十段。
冒頭を一部紹介すると…
人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。法師は兵の道をたて、夷(えびす)は弓ひく術知らず、佛法知りたる氣色(きそく)し、連歌し、管絃を嗜みあへり。されど、おろかなる己が道より、なほ人に思ひ侮(あなづ)られぬべし。
法師が武術をやってみたり、武士が仏法を学んだり、専門外の余技に手を出す人は、その余技が大したものではないのみならず、本来の専門においても二流である。
…と、ここまでは他でも度々言っていることだが、兼好はここから武士にとっての武の道とは何たるかという話に入っていく。
たとえ百戦百勝の戦歴があっても、その武勇は誇るに足らないと兼好は言う。それはなぜか?
『徒然草』全体の中ではあまり注目されてはいないが、兼好は武士だったのだということを強烈に思い起こさせる、異色の段。
母の教育「徒然草 気まま読み」#103
今回扱うのは、百八十四段。
鎌倉幕府の執権・相模守時頼の母、松下禪尼のエピソード。
時頼を招く際、すすけた障子の破れたところだけを、禪尼自ら貼り替えていた。
そんな仕事は禪尼自らする必要もないし、そもそも破れたところだけを一コマ一コマ貼り替えるよりも、全部貼り替えた方が簡単できれいなのに、なぜわざわざそんな手間のかかることをしなければならないのか、と問われて、禪尼が答えたこととは?
幕府の最高権力者に上り詰めた息子に対してなお、むしろそのような立場になったからこそ、母として見せておきたかった態度とは何か?
死は今にも 『徒然草 気まま読み』#100
徒然草気まま読み、スタートして2年、ついに100回到達!
100回を記念して、今回扱うのは、第四十一段。
全文を紹介すると…
五月(さつき)五日、賀茂の競馬(くらべうま)を見侍りしに、車の前に雜人(ざふにん)たち隔てて見えざりしかば、各々(おのおの)下りて、埒(らち)の際によりたれど、殊に人多く立ちこみて、分け入りぬべき様もなし。
かゝる折に、向ひなる楝(あふち)の木に、法師の登りて、木の股についゐて、物見るあり。取りつきながら、いたう眠(ねぶ)りて、堕ちぬべき時に目を覺す事度々なり。これを見る人嘲りあざみて、「世のしれ物かな。かく危(あやふ)き枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ」と言ふに、わが心にふと思ひし儘に、「我等が生死(しゃうじ)の到來、唯今にもやあらむ。それを忘れて、物見て日を暮す、愚かなる事は猶まさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「誠に然こそ候ひけれ。尤も愚かに候」と言ひて、皆後を見返りて、「こゝへいらせ給へ」とて、所を去りて、呼び入れはべりにき。
かほどの理、誰かは思ひよらざらむなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸にあたりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。
ひとつ間違えれば死にかねない危険なことをやっている人を見て笑っている人達に、死を人ごとのように思って、一日が平穏無事に過ごせるものと思ったら大間違いだ、死は誰にも、今すぐ訪れてもおかしくないものなのだぞと諭す兼好。
何度も『徒然草』で繰り返される死生観だが、この段で面白いのはここから。
諭された人の態度や、その人たちに対する兼好の見方などが、いずれも味わい深い。
そして、言われてみなけりゃ気づかない、ちゃっかりした話だったりもする。
何かわけがあったか? 『徒然草 気まま読み』#99
今回扱うのは、第十段。
一部を紹介すると…
家居のつきづきしく、あらまほしきこそ、假の宿りとは思へど、興あるものなれ。
よき人の、長閑(のどやか)に住みなしたる所は、さし入りたる月の色も、一際しみじみと見ゆるぞかし。今めかしくきらゝかならねど、木立ちものふりて、わざとならぬ庭の草も心ある樣に、簀子(すのこ)・透垣(すいかい)のたよりをかしく、うちある調度も昔覚えてやすらかなるこそ、心にくしと見ゆれ。
兼好の思考の柔軟さがよく見える一段。
仏教の無常観から、人の住まいなど仮の宿りだと思う一方で、その中に趣のある様子を見れば、心を動かされる。
とはいえ、あまりに凝り過ぎたものを見ると、それは見苦しいと感じる。
そして後半ではある故事について、語り伝えられてきて評価の定まったことについても、ふとしたことから再考の必要があるのではと思いつく。
固定観念に縛られずに感じ、考え続けた姿勢がうかがわれる。
有り難き志 『徒然草 気まま読み』#85
今回扱うのは、第四十七段。
全文を紹介すると…
ある人清水へ参りけるに、老いたる尼の行きつれたりけるが、道すがら、「嚔(くさめ)嚔」といひもて行きければ、「尼御前(あまごぜ)何事をかくは宣(のたま)ふぞ」と問ひけれども、答へもせず、猶(なお)言ひ止まざりけるを、度々問はれて、うち腹だちて、「やゝ、鼻ひたる(くしゃみをする)時、かく呪(まじな)はねば死ぬるなりと申せば、養ひ君の、比叡の山に兒にておはしますが、たゞ今もや鼻ひ給はむと思へば、かく申すぞかし」といひけり。
有り難き志なりけんかし。
ある老尼の、ちょっと不可解な行動。
なぜ彼女はそれをやっていたのか?
その老尼の行為をどう解釈し、どういう感想を持つかは、人によって分かれるところ。
そもそも、原文も写本によっては最後の「有り難き志」が「わりなき志」になっているものもあり、正反対の解釈も可能となっている。
しかし、これはやっぱり「有り難き志」と取るべきでは?
無責任な詮索 『徒然草 気まま読み』#80
今回扱うのは、第七十七段。
全文を紹介すると…
世の中に、そのころ人のもてあつかひぐさに言ひあへること、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内(あない)知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそうけられね。ことに、かたほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、わがことと尋ね聞き、如何でかばかりは知りけむと覺ゆるまでぞ、言ひ散らすめる。
いまで言うなら週刊文春?
世の中で話題になっていることについて、関係もない人がその事情について、人に語り伝えるなどということが、兼好法師の時代にもよくあったらしい。
さて、ではそういうことについて、兼好法師はどのように思っていたのだろうか?
情けある三蔵 『徒然草 気まま読み』#76
今回扱うのは、第八十四段。
全文を紹介すると…
法顯(ほふげん)三藏の天竺に渡りて、故郷の扇を見ては悲しび、病に臥しては漢の食を願ひ給ひける事を聞きて、「さばかりの人の、無下にこそ、心弱き氣色を人の國にて見え給ひけれ」と人の言ひしに、弘融僧都、「優に情ありける三藏かな」といひたりしこそ、法師の樣(よう)にもあらず、心にくく覺えしか。
三蔵とは、経(きょう)(=仏の説法の集成)・律(=仏徒の戒律の集成)・論(=経・律に対する注釈的研究成果)の三つの仏教の聖典に深く通じた高僧のこと。
西遊記の「三蔵法師」で有名だが、「三蔵」は人名ではなく、「三蔵法師」と言われる人は多くいる。
そんな数ある三蔵の中の一人のエピソードに対して兼好が感想を述べている。
高僧といえども人の子、という暖かい目を向けている一方、なんとも皮肉のこもった表現をさりげなく交えているところにもご注目。
デジャヴ体験 『徒然草 気まま読み』#72
今回扱うのは、第七十一段。
後半部分を紹介すると…
またいかなる折ぞ、たゞ今人のいふことも、目に見ゆるものも、わが心のうちも、かゝる事のいつぞやありしがと覺えて、いつとは思ひ出(い)でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。
デジャヴ、何かの折に「既視感」を覚えるということはよくあるものだが、そのことについて文章に書かれたものとしては、極めて古いものといえる。
前段は兼好法師の独特な感性による、そして後段はわりと普遍的な感覚のデジャブについて語られる。
些細なこと、取るに足らないことと思われそうなことにも注目し、書き留めていることもまた、兼好法師の特徴であり「徒然草」の面白さのひとつ。
道具の品格は持ち主の人格 『徒然草 気まま読み』#67
今回扱うのは、第八十一段。
前段を紹介すると…
屏風・障子などの繪も文字も、かたくななる筆樣(ふでやう)して書きたるが、見にくきよりも、宿の主人(あるじ)の拙く覺ゆるなり。
屏風や障子の絵や文字が、まずい筆つきで書かれていると、それが見苦しいというよりも、そんな調度品を使っている主人がつまらない人物に思えてくる。
持っているもの、使っているものによって、その人の人格が測られてしまうものだ…
いろんな場面で今でも起こりそうなことだけれども、心当たりはないでしょうか?
命長ければ、辱(はじ)多し 『徒然草 気まま読み』#40
今回扱うのは、第七段。
全文を紹介すると…
あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに、物の哀れもなからん。世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。
そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出(い)でまじらはん事を思ひ、夕(ゆふべ)の日に子孫を愛して、榮行(さかゆ)く末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなり行くなん、浅ましき。
徒然草の中でも特に美文で格調の高い段。
ただひたすら生きることのみに執着していたら、千年生きても足りないと思うだろう。
限りある命を受け入れることができるか?
永遠の命を手に入れるよりも、大切なこととは何か?
手塚治虫の『火の鳥』などのテーマに受け継がれていく、人生・生命に関する哲学。
さらには、日本人の感覚の底にある「永遠」の目指し方などについても語ります。
真の専門家とは 『徒然草 気まま読み』#28
今回扱うのは、第百八十七段。
全文を紹介すると…
萬の道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人にならぶ時、必ずまさることは、たゆみなくまさることは、たゆみなく愼みて軽々しくせぬと、ひとえに自由なるとの等しからぬなり。
藝能、所作のみにあらず。大方の振舞ひ・心づかひも、愚かにして謹めるは得の本なり。巧みにしてほしきまゝなるは、失の本なり。
世の中には、何のジャンルにおいても、プロであるのに技量に劣る人もいれば、素人にもかかわらずプロ顔負けの上手さを見せる人もいるものである。
しかし、プロと素人を並べてみれば、必ずプロの方が優ると兼好は言う。
それはなぜか?
ここから、「プロとは何か?」ということが見えてくる。
月見る景色なり 『徒然草 気まま読み』#23
今回扱うのは、第三十二段。
旧暦9月20日ごろ、ある人に誘われて、兼好は明け方まで月を見て歩くことになった。
現代人にはない時間の使い方である。
するとその途中で、誘ったその人は兼好を置いてある家に入って行く。
兼好、置いていかれたことを特に気にするでもなく、家や庭の様子の風情を味わい、その家の主の人となりを思い浮かべる。
さりげなく、そしてはかない余韻の残る、情緒あふれる徒然草の一つの世界。
時期を選ぶな 『徒然草 気まま読み』#15
今回扱うのは、第百五十五段。
物事を成就するには、好機を選び、それにふさわしい時期を待つべきであるというのも、一面においては正しい。
しかし、そんなことは言っていられないこともある。
人生には、いつ何が起きるか分からない。本当に重要なことは、時期を待っている場合じゃないものなのだ。
自然の摂理、春夏秋冬の季節の移ろいを観察していると、わかることがある。
ましてや、人の生老病死の移ろいを思うと、悠長なことなど決して言ってはいられないのである!
逃げ道はない 『徒然草 気まま読み』#12
今回扱うのは、第九十二段。
ある人が弓を習って、二本の矢を持って的に向かうと、師が「初心者は二本の矢を持ってはいけない」と言った。その理由は何か?
まさかそんなことはありえないと思うようなところに、油断は入り込む。全て退路を断って臨まなければならないという、万事に通じる戒めがそこにある!
財産は残すな 『徒然草 気まま読み』#10
今回扱うのは、第百四十段。
この段にも兼好の生活哲学、美意識が強く表れている。
死んだ後には、何も残らないようにすべきだという兼好。遺品につまらないものがあるとみっともない、というのはまだわかるが、立派なものがあっても、それはそれでみっともないという。
さらに財産など残せば、遺族に余計な争いが起こりかねない。
執着を捨て、シンプルライフを目指せという兼好の意識、これも現在に通用する。
人を勝手に裁くな 『徒然草 気まま読み』#8
今回扱うのは、第百九十三段。
人を評価する時には、何を基準にするべきなのか?
暗愚な人ほど居丈高になって、人を見下した態度をとる。
自分は知っている、わかっていると思って疑わず、それを基準にして、他の人間は自分より下だと決めつけてかかるからである。
だがそれは非常に恥ずかしいことだという美意識を兼好は持っていた。
優秀な専門家ほど、態度は謙虚になるものである。
知らず知らずのうちに思い上がって人を見下したりしていないだろうか?と、ちょっと自省もしてみよう。
無駄な感動 『徒然草 気まま読み』#7
今回扱うのは、第二百三十六段。
これまで紹介してきたものとは一風変わった、まるで現代のコントに出てきても不思議はないような、ちょっと笑っちゃうようなエピソードをご紹介。
丹波の出雲という場所に、出雲大社の御神霊をお招きして立派な社殿の神社が作られていた。
ある秋の日、聖海聖人が大勢を引き連れてこの神社を参拝すると、その社頭に、他の神社には見られないような光景があった。聖海聖人はこれにいたく感激するが…
ちょっと異色、でもしたり顔でわかってもいないことを偉そうに講釈する人など大嫌いという、兼好法師らしさにもあふれている一篇。
徒然草の謎『徒然草 気まま読み』#1
新番組登場!
古代を代表する古典・古事記に続いて取り上げるのは、中世を代表する古典・徒然草。
その著者・兼好法師は長いこと「吉田兼好」と称されていたが、実は、本当は「吉田」ではなかったということが、今では定説になっている!
ではなぜ「吉田」になっていたのか?
さらに今回は、最も有名で「徒然草」の書名のもとにもなった序段を取り上げる。
あっちへ行ったりこっちへ行ったり、気ままに読みたい段から読み解く徒然草。
どうぞ気ままにお楽しみください!
【夢を紡いで #3】松浦芳子~西部、三島、持丸、何倍もの密度で人生を生きた男達 / グレンデール訪問で伝えた日本の心[桜H30/2/2]
あらゆる文化を柔軟に取り入れながら、伝統の核を失うことなく、独自の文化として熟成させてきた日本。 我が国のその受容性を軸に、「世界の文化が輝き、溢れ、交流する国」を目指す活動も展開している参議院議員・中山恭子が、日本を初め世界の文化や思想の真髄を知る識者や、各界で活躍する人々を招き、共に夢を紡いでいきます。
司会:中山恭子(参議院議員)
ゲスト:松浦芳子(東京都杉並区議会議員・日本児童文化教育研究所副理事長)
※チャンネル桜では、自由且つ独立不羈の放送を守るため、『日本文化チャンネル桜二千人委員会』の会員を募集しております。以下のページでご案内申し上げておりますので、全国草莽の皆様のご理解、ご協力を、何卒宜しくお願い申し上げます。
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