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青山君(筋肉)が大好きなミコトちゃん 第四話「謎の美少女を追え」4/7【リメイクショート】
A.I.VOICE 鳴花ヒメ
A.I.VOICE 鳴花ミコト
VOICEVOX:青山龍星
青山龍星くんに恋する少女ミコトちゃん。
告白するも筋肉フェチを爆発させて勘違い。
筋肉仲間と誤解されてしまう。
今回は青山君が謎の美少女と一緒に歩いてトレーニングジムへ。
トレーニングジムに入った青山君と一緒にいたのはさっきの美少女ではなく……。
※引き続きショートのお試し用です。こちらはショート用に修正した際に音声データをAIVOICE2に、演出を微調整したリメイク版となります。
今回は分割版なのである程度まとめるか悩みましたが、ショートは元々分割向きなのでまとめずにそのままショートにしていきます。
まとめるのはまたまとめ動画用として別枠でやろうかと思います。
【コメ無】人狼最大トーナメントseason12 #06 4/7
次の動画はこちら→https://www.nicovideo.jp/watch/so46440534
◆出演者
古川洋平(クイズ王)@Piu_P
飴猫(実況者)@ameneco_nico
まっくす(実況者)@Iwannabethemax
村中秀史(将棋棋士)@mura0312
HYBRID SENSE(作曲家)@HYBRID_SENSE
原寛(ナレーター)@harahiro0710
烏丸御幸(ゲーム実況者)@karasumamiyuki
麻倉ひな子(ドリームクリエイター)@RiotBunny_
きゃのん(人狼HOUSEオンライン 主宰)@cannon_wwhouse
シバケン(人狼HOUSEオンライン GM)@shibaken_jinro
みゅーと(人狼HOUSEオンライン GM)@myuto_shhh
◆ゲームマスター
ヴォル(人狼HOUSE渋谷店 店長)@vol_jinrohouse
◆MC
二ノ宮市丸 @ninomiya_v3
■番組公式Twitter
https://twitter.com/Jinrou_Saidai_T
人狼最大トーナメントseason12 #5 4/7
次の動画はこちら→https://www.nicovideo.jp/watch/so46437143
◆出演者
古川洋平(クイズ王)@Piu_P
飴猫(実況者)@ameneco_nico
まっくす(実況者)@Iwannabethemax
村中秀史(将棋棋士)@mura0312
HYBRID SENSE(作曲家)@HYBRID_SENSE
原寛(ナレーター)@harahiro0710
烏丸御幸(ゲーム実況者)@karasumamiyuki
麻倉ひな子(ドリームクリエイター)@RiotBunny_
きゃのん(人狼HOUSEオンライン 主宰)@cannon_wwhouse
シバケン(人狼HOUSEオンライン GM)@shibaken_jinro
みゅーと(人狼HOUSEオンライン GM)@myuto_shhh
◆ゲームマスター
ヴォル(人狼HOUSE渋谷店 店長)@vol_jinrohouse
◆MC
二ノ宮市丸 @ninomiya_v3
■番組公式Twitter
https://twitter.com/Jinrou_Saidai_T
【逆転裁判】4話 細かいネタまで味わい尽くすノーミス弁護士(4/7)
第3話 逆転、そしてサヨナラ
逆転裁判(switch版)
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※動画内にゲーム本編のネタバレを含みます
感想、考察などコメントなんでも大歓迎!
コメントマナーに配慮お願いします(人´ω`*)
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本動画シリーズでは
ネタバレしない既プレイ実況で
ノーミスでわかりやすく整理しながら円滑に裁判を進め
キャラクターやストーリー、本筋から離れた細かいネタまで
味わい尽くします。
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異議あり!!
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#ハルカ
#Haruka
#逆転裁判
#ゲーム実況
#実況プレイ
#実況プレイ動画
#推理ゲーム
#switch
#gamer
#games
◤DEATH STRANDING 2◢ 感情で実況プレイする男 Ep.8(4/7) Part.29
まったり配送回with ヤドカリ
高画質→https://youtu.be/u3JfJpl1V0U
次回→sm46424043
Part1→sm46206566
◆ 概要
配信をしながら実況プレイした映像になります。
突然コメントに反応する場合があります。
現在ほぼ毎日15時から18時頃まで配信しております。
よろしかった配信も見に来てくれると嬉しいです。
(23時からの深夜枠もたまにあります)
ゲーム名:DEATH STRANDING 2
ハード:PC
難易度:Story(普段はBrutal)
©2026 KOJIMA PRODUCTIONS Co., Ltd. / HIDEO KOJIMA. Produced by Sony Interactive Entertainment Inc.
【RTA】家庭教師ヒットマン REBORN! DS フェイトオブヒートⅡ 運命のふたり 4時間00分24秒 Part4/7【メローネ基地脱出!オリジナルストーリーへ…】
サクサクメローネ基地を攻略する Part4
幻ちゃんの恰好ダサくない…?
前:sm46365067
次:sm46412570
無編集版:https://youtu.be/tLHNkaR47yQ
前作RTA:https://www.nicovideo.jp/series/493452?ref=garage_share_other
使用ハード:3DSLL(偽トロ)
タイマースタート:「はじめから」を選択した時
タイマーストップ:ラスボスを撃破した瞬間
※ 死ぬ気シートの使用は無しとしています
ブルーアーカイブ新総力戦・ドラム缶ガニ(Hard)1000017082
ニコニコ動画では初投稿となります。
YouTubeでも別名義で投稿しています→https://youtu.be/M5SzqTLPA8A?si=M3iuwlcKWZG0nAmP
本日より開始された総力戦を早速やってみました。パーティーは以下の通りです。
ケイ:Level90・スキルM/M/M/M・固有武器2・装備品T10/T10/T10
ハルナ:Level89・スキル4/9/7/7・固有武器1・装備品T7/T7/T4
オトギ:Level87・スキル4/8/6/5・星4・装備品T8/T7/T7
ニコ:Level85・スキル4/8/7/5・星4・装備品T6/T5/T5
ヒビキ:Level88・スキル4/8/8/7・固有武器1・装備品T8/T6/T6
チナツ:Level82・スキル4/7/7/5・固有武器1・装備品T6/T4/T6
【コメ無】人狼最大トーナメントseason12 #05 4/7
次の動画はこちら→https://www.nicovideo.jp/watch/so46353521
◆出演者
古川洋平(クイズ王)@Piu_P
飴猫(実況者)@ameneco_nico
まっくす(実況者)@Iwannabethemax
村中秀史(将棋棋士)@mura0312
さかな(実況者)@sakana_nona
伊倉エリナ(グラビアアイドル)@ikuraunitabetai
柚木尚子(声優)@shokoyuzuki
阿部洸希(人狼ルーム GM)@kabokeiu
仲田敬治(人狼ルーム GM)@KGnakada
浦宏平(人狼ルーム GM)@Kohei_Ura
メイソン(人狼ルーム専属プレイヤー・人狼TLPT メイソン役)@yutapooooooooon
◆ゲームマスター
きゃのん(人狼HOUSEオンラインGM)@cannon_wwhouse
◆MC
二ノ宮市丸 @ninomiya_v3
■番組公式Twitter
https://twitter.com/Jinrou_Saidai_T
人狼最大トーナメントseason12 #5 4/7
次の動画はこちら→https://www.nicovideo.jp/watch/so46349974
◆出演者
古川洋平(クイズ王)@Piu_P
飴猫(実況者)@ameneco_nico
まっくす(実況者)@Iwannabethemax
村中秀史(将棋棋士)@mura0312
さかな(実況者)@sakana_nona
伊倉エリナ(グラビアアイドル)@ikuraunitabetai
柚木尚子(声優)@shokoyuzuki
阿部洸希(人狼ルーム GM)@kabokeiu
仲田敬治(人狼ルーム GM)@KGnakada
浦宏平(人狼ルーム GM)@Kohei_Ura
メイソン(人狼ルーム専属プレイヤー・人狼TLPT メイソン役)@yutapooooooooon
◆ゲームマスター
きゃのん(人狼HOUSEオンラインGM)@cannon_wwhouse
◆MC
二ノ宮市丸 @ninomiya_v3
■番組公式Twitter
https://twitter.com/Jinrou_Saidai_T
難易度ナイトメア 空の軌跡 the 1st 10回目 生放送録画分 4/7
空の軌跡 the 1stです
プレイ環境
初見プレイ
難易度 ナイトメア
配信しているのでコメント流れてます
コメントボイス「東北きりたん」
2025年9月27日録画
全7回
空の軌跡シリーズ
https://www.nicovideo.jp/series/541341?ref=garage_share_other
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北魏激震! 拓跋珪暴死【夕刊シチ 5月17日号 409年04月】
【409年04月】
資治通鑑原文6018文字(42/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪▲
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
この年は北魏の因習として名高い子貴母死が初めて実施された年。拓跋嗣の母をそのまま皇太后としておいていたら、皇太后の一族が権勢を握るであろうから殺した、というものです。この措置を受けて拓跋嗣は号泣、その様子に怒った拓跋珪が折檻を加えようとしてきたため、拓跋嗣は城外に逃れました。するとこのタイミングを見計らい、拓跋珪の息子のひとり、拓跋紹が自らの命を危ぶみ、拓跋珪に強襲を掛け、殺害しました。ここで拓跋紹は皇帝を自称しますが、拓跋嗣はすぐさま城外で兵力をまとめ、拓跋紹を討ち果たし、即位しました。ちょっと激動に過ぎます。
後秦は劉勃勃の逆襲に遭っていました。姚興自身が出陣するも、やはり大敗します。そして、この事態が思ってもみなかった事態を招きます。この時、長安には南燕から韓范が対晋軍のための援軍要請をしに出向いていました。一度はこの申し入れを受け入れた姚興でしたが、この大敗によって兵力が大きく削減。もはや援軍など出せる余力も失い、韓范が引き連れかけた軍を接収。この事態を受け韓范は「天が燕を滅ぼさんとしておるのか!」と悲鳴にも似た絶叫をあげています。またこうした後秦のズタボロぶりを見て、遂に乞伏乾帰が再び秦王を名乗ります。西秦の再興、そして、後秦への手切れ宣言です。
こうした背景を受け、晋。というよりは劉裕。建康より出立、南燕が誇る騎兵軍を退けると、一気に都である広固城に肉薄します。ただ一度広固を囲むと、実際の攻略までには半年以上を要しました。この事態に劉裕は激怒、南燕の貴人五千名ほどを殺し、広固城を解体しました。というのも、南燕攻略を長引かせれば五斗米道が攻めてくるのは、もはや既定路線であったのです。とはいえこの処遇に対し司馬光さんは「仁義がない! だから劉裕は失敗したのだ!」と言い出しています。無茶言うな。ともあれ劉裕は戦勝の余韻に浸る暇もありませんでした。懸念が的中し、五斗米道軍が実際に北上を開始したのです。
同年、北燕で高雲が臣下に殺され、馮跋が立ちました。晋書及び資治通鑑は不幸な事故からの収拾のように書きますが、魏書は「馮跋が殺した」と書いています。いやあのさあ。
劉裕北伐! 南燕を狙う【夕刊シチ 5月16日号 408年04月】
【408年04月】
資治通鑑原文2663文字(165/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
この年は、まず南燕から紹介しておきましょう。前年に後秦へ楽隊を献上したため宮廷内の音楽に不備が出ていました。この不足を補わんと、慕容超は、事もあろうに晋から強奪しよう、と言い出します。この命令に臣下らはありえません、と悲鳴をあげますが、慕容超、聞く耳を持ちません。軍を発し、晋から二千五百名ほどを拉致。また北魏にも襲撃を仕掛け、こちらでも千人ほどを拉致しています。これでは自分からわざわざ攻め込む理由を創出したようなものです。実際、この動きに対して晋は報復の動きに出ます。
ただ、そんな晋の周辺で、不穏な謀議が持ち上がります。譙縱と五斗米道が密かに繋がったのです。この頃第二次蜀征伐軍が蜀を進んでいましたが、この軍は道半ばにて足止めを喰らい、さらにそこで疫病の流行を受け、撤退を余儀なくされました。この失敗を受けてこの軍を率いていた劉敬宣は免職、劉裕もまた任命責任として降格しました。なおここで劉毅が劉敬宣の処刑を言い出しますが劉裕がそれを庇い、両名の間の溝が広がります。失点挽回というわけでもないのでしょうが、こうした中劉裕は北辺を荒らす南燕の討伐を願い出ます。周囲からの反対もありましたが、最終的に承認され、出撃。なおこの際、晋に亡命してきていた王猛の孫、王鎮悪を配下に加えています。
後秦はこの年、夏と南涼に同時に攻めかかり、しかも両方で失敗するという最悪なミスを犯しています。このせいで禿髪傉檀は涼王を自称、またこうした後秦のぐだぐだぶりを見てとった乞伏乾帰も後秦から脱出、旧西秦の領域で勢力をまとめていた息子の乞伏熾磐の元に合流します。
北魏はこの年も臣下殺しの話題です。しかも二十年ほど前、敵対勢力に対して媚びるような姿勢を示した、という話を今更のように蒸し返した上で。いくらなんでも拓跋珪を異常人物に見せたい意向が強すぎな気もしますが、問題は実際に魏書でも拓跋珪周りではこの辺りの話しか載っていないことです。のちにこの辺りは国史の獄、崔浩が拓跋鮮卑の歴史を書くに当たってあまりにももろもろあけすけに書きすぎたせいで大弾圧が興り、歴史記述が吹き飛んだため記述が薄いと判明するのですが、それにしても、おかげで晩年の拓跋珪、ただの狂人にしか見えません。
【おっちち姫】もはや行きたくない【2026/4/7】
2026/4/7ニコ生
lv350258805
もはや行きたくない
2026/4/7(火) 17:06開始(1時間31分)
悪魔立つ! 劉勃勃独立【夕刊シチ 5月15日号 407年05月】
資治通鑑原文3563文字(117/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メインキャスト
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
晋内部での政権再編が進みます。安帝の弟司馬徳文、のちの恭帝が司徒につけられ、劉裕は車騎将軍に昇格。このあたりで桓玄打倒軍の首魁たちの間に権力争いが生じていたことが書かれています。この政争を劉裕は劉穆之からの助言を受け、巧みに泳ぎ抜きました。一方で蜀遠征が上手く進みません。そこで劉裕、劉道規を総取締とし、劉牢之の息子である劉敬宣に軍を率いさせ、第二次遠征を開始させました。なお劉敬宣は司馬休之と共に南燕に亡命していたため対桓玄戦で武勲を立てておらず、劉裕はここで箔をつけさせようとした、と書かれます。
北魏では、この年も功臣たちをこれでもかと処刑しています。この頃既に錯乱が始まっていたのではないか、と思わされます。
さて、後秦です。涼州統治が不安定である以上、北魏と事を構えるのは悪手。そこで北魏と手を組むことにしました。すると、これが最悪の結果を招きます。居候・劉勃勃。劉勃勃にとり北魏は不倶戴天の敵です。このため両国の和親に激怒し、折しも柔然が後秦に献上しようと運搬していた馬八千を奪った上で独立しました。夏の建国です。
こうして自立した劉勃勃は南涼と同盟を組もうと申し出ましたが拒絶されたため襲撃、大破しています。この大敗のせいでここから南涼が衰退し始めます。天災にすぎる。
後燕では引き続き慕容熙が苻氏の葬儀を盛大に執り行っていました。こうした乱脈ぶりにいい加減キレたのが馮跋でした。慕容熙が葬儀のため龍城から出払っている隙をついて決起。嫌がる慕容雲を強引に盟主に担ぎ出します。これを聞いた慕容熙は鎮圧のため龍城に戻りますが、攻め落とせません。遂には軍を放り出して逃亡。慕容雲は逃げ隠れしていた慕容熙を見つけ出すと処刑し、自身が即位します。ところで慕容雲は高氏から慕容氏に養子入りした身でした。このため即位すると自身の姓を高に戻します。王の姓が代わったわけですから、以降が北燕となります。
南燕では慕容超が後秦に残した母と妻を取り戻すべく、韓范を後秦に遣わせ、おそらく長安より引き連れられていたのであろう太樂の芸人百二十人を後秦に献上、その上で臣従を誓いました。このため姚興も求めに応じます。この紐帯は、劉裕の南燕討伐における鍵となるのです。
鮮卑狂乱! 凶行の数々【夕刊シチ 5月14日号 406年06月】
通鑑2224文字(203/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メイン
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-馮跋-6/8
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
北魏の拓跋珪は平城の拡張工事について臣下に相談したところ態度が生意気だったので殺した上、平城の南宮を造営しました。
後燕では慕容熙の皇后、苻氏が死亡しました。彼女の死に慕容熙は錯乱にも近い悲しみかたをしてみせ、一時期は意識不明の重体に。目覚めた慕容熙は臣下にも哭泣を強要、しなかったものは殺しました。さらに資治通鑑はあまりにも異常な行為であったためスルーしていますが、慕容熙、棺に収められていた苻氏の遺体と泣きながら交わっています。司馬光さん、さすがにこれはフィクションだろと判断したんでしょうか……ね!
南燕では慕容超のもとで公孫五楼が幅を利かせ、次々に旧来の臣下が殺害されたり、国外逃亡の憂き目に遭っていたりします。これはたまらんと宗族では謀反を決意するものも現れましたが、大臣の韓范に鎮圧されています。こうした中慕容超は酷刑の復活を言い出します。この動きを見ていると「慕容徳の築いたものを壊したくてやって来た」ようにしか見えないのが空恐ろしいです。
後秦では姚興が叔父の姚碩徳および姚緒を非常に重んじていた、という記事が載ります。一方でこの頃から南涼が後秦への帰属から離れはじめ、乞伏氏も臣属こそ誓うもののその勢力を盛り返し始めます。北涼は南涼とバチバチ状態ですし、西涼はよくわかりません。この頃の姚興が西方経営に頭を抱えていたであろうことは想像に難くありません。
東晋ではようやく桓玄討伐戦の論功行賞が完了し、劉裕は豫章郡公に封じられます。ちなみに豫章はこの前に桓玄が封じられており、この当時急速に発展していた地域だったのであろうことが伺えます。ただし、その地を実際に統治したのは会稽から移った何無忌です。このあたりの人事はちょっと不思議です。そして会稽には司馬休之が左遷されました。こうして見ると、当初五斗米道が再び会稽から攻め寄せてくるのではないかと警戒したが、脅威が会稽から去ったと見なされ、それよりも侵攻ルートとしてより現実的である贛水流域の守りを厚くした、と見なすのが良さそうです。一方、このタイミングで殷仲文が桓氏で唯一生存を許されていた桓沖の孫、桓胤を旗印として決起。鎮圧され、殷仲文は桓胤と共に処刑されました。宋書は「この措置をもって桓氏がほぼ滅ぼされた」と宣言します。劉裕、結構どぎついです。
慕容徳死亡! 晋は空白【夕刊シチ 5月13日号 405年06月】
通鑑1492文字(270/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
5/12-陶淵明-6/5
・準メイン
4/3-慕容徳▲
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
この年、晋での出来事があまりにも薄いです。司馬休之の荊州統治が当を得ていないと言うことで左遷、その後任が赴任直後に死亡したため劉道規が荊州に。一面には劉裕の権勢拡大ですが、一面には情勢を見越して軍略的に信頼のおける人物を配した、とも見ることができます。ただ謝安のときもそうですが、身内びいきはどうしても批判が混じることでしょう。この人事に関する批判が驚くほど史書に載らないのは不自然だよな、とは感じます。このあたりのについて「ちょっと宋書では載せることができなかった」と憶測しているわけなのですが、そのように考えないとつじつまも合わないよな、と感じています。
このとき荊州で粛清された太原王氏の生き残り、王慧龍が決起を目論みますが失敗して後秦に亡命します。あと一度書いておきましょう、大詩人陶淵明が「帰りなんいざ」と官職を蹴って故郷に引きこもったのがこのあたりです。
東晋北辺を攻めていた北魏軍でしたが、晋軍により撃退されています。また柔然も北魏を攻めており、北魏、不安定です。
後燕では契丹や高句麗を襲撃するも成果が上がらず、頻繁な宗族処刑が載ります。南燕では慕容徳が慕容超を皇太子と定め、死亡。慕容超は腹心であった公孫五楼を補佐に置き、これまでの南燕功臣らを疎外し暴政を開始。臣下の封孚から「あなたは桀か紂のたぐいですね」と言われるほどでした。
後秦が仇池を攻撃。この攻撃に耐えかね、後秦に臣従の使者を送ります。一方で後秦は晋からの要請を受け、奪っていた雍州北部を返却しました。この措置に臣下らは反対しましたが、姚興は「劉裕の義挙は賞賛されて然るべきもの」と聞かなかったそうです。
西涼では李暠が北涼への対立姿勢をはっきりとさせ、その上で臣下らに清廉な統治を貫くよう戒めました。その内容は司馬光さんにしてみれば「これを五胡十六国のすべての君主が守っていれば戦乱もひどくならなかっただろうに……」と言ったもので、とても素晴らしいものです。ええ墨守さえできていれば。この当時の情勢を見ていると名目論は強かったものが唱えることで初めて実施されるものであり、弱者が唱えても鼻息で吹き飛ばされる程度の効力しか発揮しないのです。それで勝てるなら、西涼が覇権を取るはずですからね。
劉裕体制! 不安なスタート【夕刊シチ 5月12日号 404年07月】
資治通鑑3310文字(135/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
陶淵明-6/5
・準メイン
4/3-慕容徳-5/13
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
5/11-拓跋嗣-6/1
【できごと】
桓玄の一派には刁氏がいました。この刁氏が資産にあかせてあくどい真似をしていたとのことで劉裕はこの一族を解体、資産を民に分配します。これにより民は潤ったそうですが、刁雍に深く恨まれました。
散々に劉裕に打ちのめされた盧循は会稽周辺を諦め、南方に脱出。広州を占拠しました。当時中央の再編に忙しかった劉裕ですから討伐に兵力を回すのも難しく、いったん盧循の実質支配を追認します。言ってみれば臨時同盟のようなものです。
桓氏追撃戦は桓振の奮闘によりなかなか進みません。しかしここで、襄陽に配置されており、後秦とのにらみ合いを続けていた人物、魯宗之が桓振討伐に合流。これで形勢が確定し、桓振は討ち取られました。なおこの抵抗には苻堅のもと太子、苻宏も参加しており、戦死しています。
安帝は無事奪還され、建康に帰還。劉裕らの決起が「皇帝の勅命ではない」どころか勅命を偽称したため少し問題になりましたが、ともあれ救国の英雄として顕彰され、劉毅が淮南、何無忌が会稽、司馬休之が荊州に配されました。しかし直後蜀で乱が起き、地元の名士である譙縦が担がれ自立、さらに後秦に臣従を申し出ます。すぐさま討伐の軍が編まれましたが、この第一回遠征は統制に欠けており、すぐに頓挫しました。またこのどさくさをつき、後仇池が漢中を、北魏が引き続き北辺を攻撃しています。
後燕では慕容熙が妃としていた苻氏姉妹のために暴政乱政を繰り返しています。 南燕では慕容徳の兄の子、慕容超が後秦に母と妻を残して脱出、慕容徳のもとに現れました。慕容徳は自分の息子達を既に戦乱で失っていたため、この近親の子の到来を大いに喜びました。慕容超もまた慕容徳によく仕え、また周辺のものにもうやうやしく応じたため評判を鰻登りとしました。ところで先に結論を言ってしまっておきましょう、慕容超のこれは、凶悪な猫かぶりでした。
さて、長安にこの人物が到着します。鳩摩羅什。中国仏教界におけるウルトラチートです。もともと仏教に帰依していた姚興でしたから、ここから一気に長安で仏教文化を花開かせることになります。ただし資治通鑑はこのあたりをほぼ扱いませんし、十八史略に至っては完全スルーです。本当に宋ころの史家たち、仏教のこと嫌いですねえ。
劉裕立つ! 飛躍の初年【夕刊シチ 5月11日号 403年07月】
【403年07月】
資治通鑑原文9145文字(13/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
・準メインキャスト
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄▲
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
拓跋嗣-6/1
【できごと】
この年は資治通鑑でもトップクラスの文字数が割かれる年ですが、何があったか。前回紹介したとおり、桓玄の簒奪及び劉裕の決起です。司馬光さんの意向を汲み、可能な限り劉裕に文字数を割いておきましょう。
晋を牛耳った桓玄。もはやその簒奪を止める者はいません。安帝より皇位を奪うと、その安帝については南方の尋陽に移します。デブだった桓玄が玉座につくと床が陥没したそうです。皆が顔面蒼白になる中、殷仲堪の親戚である殷仲文が「帝の徳の重さ故ですな!」と言ったそうですが、まぁフォローになっていません。
即位の儀式がつつがなく(?)終了すると、劉裕は古傷がいたんだ、と言い出して故郷である京口に戻りました。そしてここで、かねてより水面下で進めていた桓玄打倒の軍を立ち上げます。ほとんど迎撃の準備も整いきれないまま桓玄は建康より脱出し、途中で安帝をさらうと、自身の拠点であった江陵に逃れます。ここで劉裕は建康にとどまって体制の刷新に動き、決起の同朋であった何無忌及び劉毅、そして劉裕の弟の劉道規に桓玄を追撃させます。またこのタイミングで劉裕のもとに劉穆之が合流。この人物は劉裕にとっての荀彧として、この後の劉裕を大いに支えます。また、ここで太原王氏の主筋が処断されます。以降の太原王氏は南朝では微妙な格の家になります。もっとも北朝ではトップ家門として君臨し続けるのですが。
追撃軍の猛追を受け、桓玄は更に蜀に逃れようとしましたが、その途中で殺されました。しかし桓玄軍の残党は親族の桓振を旗印に抵抗。追撃軍は思わぬ苦戦を強いられることになります。
同じ頃、北魏では拓跋珪が臣下を処刑したり古のしきたりにのっとっていない礼制を定めたりと書かれていたりしました。あと拓跋嗣がここで皇太子に任じられます。また北涼と南涼がこぞって旧後涼を攻撃するも後秦に跳ね返されて臣従を誓わされています。南燕では亡命をしてきていた司馬休之らよりの嘆願もあり、桓玄の簒奪を好機として侵攻が計画されましたが、これは慕容徳の病の悪化により中断せざるを得ませんでした。
南で大きな花火が打ちあがる中、北では各国の軋みがいよいよ強くなっているのでした。
柴壁の戦い! 魏秦対峙す【夕刊シチ 5月10日号 402年08月】
資治通鑑原文2166文字(212/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
・準メイン
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
北魏にとり後燕が南東の蓋であったなら、後秦は南西の蓋でした。それにしても前秦後秦の戦いによってその南西にさして注力せずに済んでいたのは、北魏にとりまこと幸いと言うべきだったのでしょう。こうして満を持して出撃、前年に取られた乾壁を落とすと、その南にあった柴壁城を包囲。救援に出てきた姚興を寄せ付けず陥落させてのけ、失意のもとに撤退する姚興軍を大いに追撃、北魏が并州の覇権を得ます。ただ柔然が後背を突く動きを見せたため、撤収しました。これが柴壁の戦い。ただこの戦いは詳細が魏書に載るものの、その後の時代に編まれている晋書にはほぼ載りません。チーム晋書はどうも、この戦いの推移を北魏側に都合良く盛られているのではないか、と疑っているようです。実際のところ柴壁における拓跋珪の軍略の冴えはあまりにも完璧すぎるので、本当にここまであざやかな完勝したのかよ、とは疑いたくなる気持ちもわかります。
なお拓跋珪は司馬休之が北魏でなく南燕に亡命したのが拓跋珪による漢人官僚いぢめによるものらしいと聞き凹み、以降漢人いぢめの件数を減らしたそうです。
晋では、人臣の極みとなった桓玄がその権勢を楯に自身の親族を次々と顕職につけます。ここでは旧北府軍についてのみ紹介しておきましょう。粛清によってメインの将軍が掃除されたあと、その長には桓沖の息子である桓修がつきました。劉裕はその下で盧循、及びその副官である徐道覆の軍を次々に撃破します。そして会稽に出たとき「ここで決起すべきではないか」と考えましたが、地元の名士である孔靖に「十分な準備をし、桓玄が簒奪したところで喉元から決起すべきである」とたしなめられています。なお宋書武帝紀には会稽決起を主張する何無忌を劉裕が同じ理路でたしなめた、と書かれています。たぶんたしなめたのは事実なのでしょうけれど、その内容については孔靖の言葉で盛っていそうです。
後燕は即位した慕容熙が放蕩の限りを尽くし始めますが、どうも国の規模に対してやっている工事が大きすぎるので、おそらくは慕容雲や馮跋による潤色でしょう。南燕では慕容徳の母らが既に死亡していると知らされ慟哭、以降病に臥せります。南燕の繁栄、早くも翳り始めました。
登るものも、沈むものもあり。翌年、ついに劉裕が桓玄打倒のため、決起します。
劉牢之自殺! 三反の末に【夕刊シチ 5月9日号 401年09月】
【401年09月】
資治通鑑原文5620文字(52/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
・準メインキャスト
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
孫恩の乱は、桓玄の勢力を拡大させる契機となりました。建康からの命令を無視して、確実に地盤を固めます。堪忍袋の緒が切れた司馬元顕は、ついに桓玄討伐の軍を立ち上げました。しかし、その先鋒は劉牢之。劉牢之にとって司馬元顕は、王恭以上のくそ上司でした。このため桓玄から「お前あいつの下にいてもじり貧じゃね?」と言われます。これを甥の何無忌、そして劉裕が諫止しますが、聞きません。そして三反の二件目、桓玄軍に合流。逆に司馬元顕を捕らえます。こうして司馬元顕および司馬道子が殺され、桓玄は建康に載り込み、一気に人臣の極み、丞相となります。劉牢之はこの功績から「会稽守備」の任に。劉牢之は桓玄に切り捨てられたのだと遅まきながらに気付き、反桓玄の軍を立ち上げようとしましたが、配下から「三反の将に付き合うものなどいませんよ」と見捨てられました。一応決起しますが到底勢力とは呼べずに逃亡、自殺。残された主要将もまた粛清されました。桓玄に敵対していた司馬休之や息子の劉敬宣は南燕に亡命。そうした中、劉裕らはむしろ、その武勲の高さを買われ、桓玄の軍事機構に組み込まれます。一方で孫恩は晋軍に追い詰められ、自殺。娘婿の盧循が勢力を継承します。
北では呂隆が後秦に降伏しました。ここに後涼が滅亡します。ただそれは飽くまで「守ってもらう」ための措置でした。ここで姚碩徳は最終的に「こいつらに守備を任てたらだめだ」と判断、呂隆らを長安に送り込み、旧後涼領を「ただの領地」化します。あと南涼と北涼がバチバチですが省略。そのなかで禿髪利鹿孤が死亡、弟の禿髪辱檀が立ちました。
南燕では慕容徳が臣下らに直言を収めるよう求めています。また後秦に母と同母兄を残してしまっていたため、その消息を求める使者を後秦に飛ばしました。
この頃にもなると北魏が再び拡大戦略に転じます。するとよろしくないのは後秦、および柔然です。両者はよしみを通じ、対北魏シフトを組みます。姚興は北魏に対抗するため、ひとまず息子の姚泓を太子に据え、その上で進軍、乾壁城を落としました。この南にあった城の名前が、柴壁。北魏と後秦の立場の逆転する戦いが、まもなく始まります。
難易度ナイトメア 空の軌跡 the 1st 9回目 生放送録画分 4/7
空の軌跡 the 1stです
プレイ環境
初見プレイ
難易度 ナイトメア
配信しているのでコメント流れてます
コメントボイス「東北きりたん」
2025年9月25日録画
全7回
空の軌跡シリーズ
https://www.nicovideo.jp/series/541341?ref=garage_share_other
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各地政変! 劉裕の武勲【夕刊シチ 5月8日号 400年09月】
【400年09月】
資治通鑑原文5197文字(63/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
5/7-劉裕-5/30
・準メインキャスト
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
孫恩の第二次侵攻は、各地で北府将を打ち倒すほど。ただし劉牢之自身が出向けばたちまち海に逃れます。ここで劉裕の武勲がまた生き生きと書かれるのですが、残念ながらこれは陽動でした。劉牢之を始めとした主力を会稽周辺に縫い付け、船で建康を直接叩く、が孫恩の目的だったのです。そうとも知らない建康では司馬元顕が直言を繰り返す車胤を自殺に追い込み、我が春を謳歌します。そこに孫恩急襲です。風に妨げられているうちに劉牢之らも建康に帰還したため攻撃は果たせず撤収するのですが、その行き帰りで、長江沿岸部には甚大な被害が出ました。ここで劉裕は撤収する孫恩軍を追撃。やはり大きな武勲を挙げています。なお、こうした状況を好機と見たか、北魏が晋の北辺を襲撃しています。
後燕では慕容盛が謀反を喰らい、腹を刺されます。動揺する臣下らに落ち着くよう命じ、後事を託してから死亡するさまはやたらとかっこいいのですが、「そもそもあなたさぁ」とはどうしても思わずにおれません。多事のさなかということで「強い将を王に」と慕容熙が立てられました。じごくのはじまりです。
一方南燕では慕容徳が皇帝となります。このとき「徳」ではあまりに諱として厳しいということで自身の名を備徳に改め、この二字が重なることのみを避けるように、と命じました。このひと、やっていることがどこまでも名君過ぎます。
北涼では沮渠蒙遜がいとこの沮渠男成とともに謀反をたくらむも、直後段業に沮渠男成を売り、誅殺させます。そして「その仇討ち」と決起、段業を討ち果たし、代わって北涼を統べました。あくどすぎる。また西秦はいったん滅亡とはいっても乞伏乾帰は長安で厚遇、その子の乞伏熾磐は南涼にとらわれるも無事、そして両名は間もなくして旧西秦領に配下ともども帰還します。ここで後秦随一の名将、姚興の叔父に当たる姚碩徳が後涼軍と戦い、大破。その武威を示し、各国は後秦に臣属の使者を送りました。そうした中、後涼では再びクーデターが起き、呂纂が殺され、呂隆が立ちます。この動きを見て後秦が後涼に大軍を派出。それを聞き、呂隆は降伏を考えるのでした。
北魏も、後秦も、内部拡充から外征に転じているのが見て取れますね。ということは、ということなわけです。
劉裕登場! 晋はズタボロ【夕刊シチ 5月7日号 399年10月】
通鑑6514文字(32/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
劉裕-5/30
・準メイン
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
突然ですが筆者は劉裕推しです。というわけでこの年は画期です。晋を揺るがす三つの大事件、すなわち洛陽失陥、殷仲堪敗死による桓玄西方制覇、そして孫恩の乱。司馬道子の策略に加え、司馬元顕は会稽周辺を搾取しており、民の恨みを買っていました。孫恩の立場から五斗米道の乱と書かれますが、その内実は現地の郡守も巻き込んだ大規模反乱です。これまで戦乱に巻き込まれることのなかった会稽周辺はあっさりと孫恩の手中に落ちますが、そこに北府軍、これまで後燕と戦ってきた劉牢之らが動員されれば、あっという間に追い払われます。ここで司馬光さんは熱量高く劉裕の出自や武勲を語ります。このひと劉裕が中下層士族の出身と理解しておきながら庶民出身の英雄と演出しているくさくて、ちょっとその書きぶりに引いています。
なお第一次孫恩侵攻を退けたあと会稽を謝琰が守ったのですが、部下を軽んじていたため第二次侵攻の際に殺害されました。第二次侵攻はより周到、より大規模であり、翌年以降にも続きます。
後燕では、慕容盛が自身の称号を皇帝から庶人天王に格下げしました。徳少なきゆえ、という感じでしょう。あれだけ処刑を乱発していれば、という感想です。直後に高句麗に背かれており、討伐の軍を派遣しています。この軍の総大将は慕容盛の叔父、慕容熙。将才「は」すごい、と評される人物です。フラグですね! なお南燕及び北魏に特に動きはありません。
西方のカオスはこの年がひとつの極点です。呂光が死亡し呂紹が立つと「当日に」そのいとこの呂纂が簒奪。そこから南涼に攻撃を仕掛ければ、逆に南涼将の禿髮傉檀に直接攻め込まれます。また北涼に仕えていたもと前涼の名士、李暠は段業の統治を嫌い西方に脱出、勢力を固めました。のちの西涼のおこりです。さらに、勢力拡張を目論んでいた吐谷渾視羆は逆に西秦に攻め込まれ、そのさなかに死亡。弟の吐谷渾烏紇堤が立ちましたが、その実権はその妻である念氏が握っていました。
そして西秦ですが、後秦に圧迫され降伏。滅んでいます。あれっ!? しかし後秦、ぜんぜん書かれていないのに洛陽獲得したり西秦獲得したりで、なにやら領土だけ広がってますね。資治通鑑だけで追っているとこの当時の動きが掴みづらく、なかなかに不気味な存在だと思いました。
拓跋珪皇帝に! 北朝誕生【夕刊シチ 5月6日号 398年10月】
【398年10月】
資治通鑑原文5015文字(69/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
南北燕で先に書いてしまいましょう。北は慕容盛が帝位に即くのですが、その後資治通鑑は異常な数の処刑の話を持ち出します。このひと有能だったのかもしれないですけど猜疑心がとんでもなかったようです。
南は慕容徳が内乱を鎮めるため滑台から出陣すると、滑台でクーデターが起き、その隙を北魏にかっさらわれ根無し草に。しかし慕容徳はめげません。琅邪を占拠したのち各地を攻撃して回り、ついには青州一帯を獲得、広固を都と定めました。この辺りの慕容徳の強さは正直異常です。
北魏の拓跋珪は崔宏を筆頭として国内の礼制楽制を中原式に整えさせた、と書かれます。一方で漢人官僚を多く罷免、追放したとも書かれています。どうもこの辺り、魏書が漢人官僚の政争を「拓跋珪の好み」でまとめている気がしてなりません。そして395年で帝位に就いたと書いてしまいましたが、この年で即位した、が正解でした。失礼しました。また後秦が晋軍の守る洛陽を攻撃したため救援の軍を送っています。ここで晋は「北魏とは親密に付き合っている」と述べます。両国の交易史はかなり面白そうなのですが、その様子は史書からだとなかなか見出しきれません。なお洛陽を攻撃した後秦は、それ以外だと内政を充実させていた、くらいしか書かれていません。
晋では二回目の決起を経て殷仲堪と桓玄の関係が破綻していました。またこの政争に巻き込まれ郗恢が殷仲堪に殺されます。そして司馬道子に重んじられていた五斗米道の教主、孫泰が会稽で巨万の富を蓄えていたため疑われ、司馬道子によって殺されました。甥の孫恩は海上の島へ逃げ込み、復讐を誓います。一方でそんな司馬道子は司馬元顕に完全に見切られており、酔っ払っていたところを失脚させられ、その官位を司馬元顕に奪われます。もう何が何だか。
涼のカオスは南涼を視点に見るのが良いのでしょう。禿髮烏孤はこの地の制覇をするために後涼を潰すのが得策と考え、北涼を援助。 よしここから覇業だ! となったところで、しかし禿髪烏孤が落馬して死亡しました。このとき禿髪烏孤は「自分から呂光を喜ばせる真似をしてしまったわい」とうそぶいたそうです。その後、弟の禿髪利鹿孤が立つのですが……打ち切りエンドかな?
南北燕! 袂を分かつ【夕刊シチ 5月5日号 397年11月】
資治通鑑原文7339文字(22/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
・準メイン
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
5/4-沮渠蒙遜-6/12
5/4-馮跋-6/8
【できごと】
ここからは南北燕を別に語ったほうがいいでしょう。後燕と北魏。このころ慕容徳は滑台に南下していたため、中山に引き続き、鄴も北魏の手に落ちます。拓跋珪が一度旧後燕領の民を引き連れ、平城に帰還しました。こうなると北魏軍の統制が甘くなります。慕容宝はそこを狙ってリベンジを目論みますがむしろ臣下に乱を起こされ、慕容農を殺されます。そこから慕容徳との合流をねらいましたが、き既に慕容徳は自立の意思を固めていました。このため龍城に戻りましたが、宗族に殺されました。ただし慕容宝の息子、慕容盛が即座に乗り込み、彼らを撃滅。慕容盛が帝位を継ぎます。
北魏はこの頃内部調整や乱鎮圧に忙しく、外部にあまり手が回っていません。その中でひとつ特記をしておきます。爾朱羽健という人物を取り立てています。姓が示す通り、あの爾朱栄の祖先です。
そして、南燕です。後燕や北魏から追われた慕容麟が慕容徳のもとにやってき、滑台への移動、王への即位を訴えます。慕容徳はその提言こそ受けたものの、その後慕容麟を誅殺しました。かしこい。空いた鄴は北魏が獲得。そんな慕容徳ですから、いまさら慕容宝に来られても迷惑です。殺害を計画しましたが、上述の通り慕容宝には察知され、叶いませんでした。と言うわけで、ここに燕が南北に割れました。
晋では司馬道子と外鎮の懸隔が加速してきたため、司馬道子が名声高い宗族の司馬尚之、休之兄弟を引き入れて対抗姿勢を示します。これが却って外鎮らを刺激、王恭と桓玄が決起しました。このとき劉牢之が王恭の副官になっていたため挙兵を諌めましたが、聴きません。今度は実際に戦いが行われ、桓玄が司馬尚之を打ち取るも、劉牢之が寝返り、王恭は敗死します。なおこの離反劇の影には司馬道子の子、司馬元顕がいました。当時十代でありながら父の弱腰に苛立ち、独自で戦局を生み出すとは、化け物以外の言葉が思いつきません。これによりこの決起も中断されました。そして北府の長に劉牢之が付きます。なお劉牢之は謝安より「あの者に大局眼はあるまい」と評されています。
後涼は二国離反に加え、内乱まで頻発。もはやメチャクチャです。ただ、中央が大賑わいを続ける今、なかなかここにまで文字数をさききれません。「ぜひ皆さんで調べてください」と逃げ文句を打たせてください。
安帝即位! 各地混沌【夕刊シチ 5月4日号 396年12月】
資治通鑑9176文字(12/365位)
【登場人物】
・メイン
4/7-拓跋珪-5/17
・準メイン
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
沮渠蒙遜-6/12
馮跋-6/8
【できごと】
北魏、中山の衛星都市と言える信都と鄴を攻撃。信都はなんとか落とすものの、途中で慕容宝の逆襲を受けあわや大敗、という瀬戸際にまで追い込まれますが、そこから逆転。ただこのピンチが北魏本国に届くと、拓跋珪の実力を疑った諸部に叛旗を翻されています。拓跋珪の強さは凄まじいですが「強くなければ食い殺される」という現実も背負わされていたのを感じます。
後燕はグダグダです。慕容麟が慕容宝に対して非恭順的な態度を貫いたり、才能こそあったが慕容宝から愛されていなかった息子、慕容会が慕容宝に対して命令違反を繰り返したり。中山に逃げ込んだ慕容宝でしたが、瞬く間に北魏軍による包囲を受けます。ただし、ここからの中山攻めの進行は遅々としたものでした。後燕兵は降伏したら参合陂の時のように虐殺される、と恐れていたのです。この話を捕虜から聞いた拓跋珪は、思わず参合陂での虐殺主導派であった臣下の顔に唾を吹き付けました。
とは言え徐々に追い詰められ、慕容宝もじり貧です。ついに包囲の隙をついて中山を脱出、龍城に引きます。追撃してきた北魏軍は、慕容会が迎撃。これにより慕容会は驕り高ぶるようになりました。そこに慕容農らから「もう少し王に忠誠を尽くせ」と言われたので怒り、慕容農を襲撃、大けがを負わせます。これに怒った慕容宝は慕容会を攻め殺しました。この戦いで活躍した中には、のちに北燕を建てる高雲や馮跋がいました。
慕容徳はこのとき鄴で北魏の侵攻を跳ね返し続けていましたが、慕容宝が龍城に脱出したことで、完全に分断を受けていました。
晋では孝武帝の息子であった司馬徳宗が即位。安帝です。ただしこのひとは白痴レベルで意思疎通がきかなかったとされています。その上で側近のひとりに王国宝がつけられました。外地を守る王恭や殷仲堪が危ぶむのも当然でしたし、実際に王国宝誅殺の計画も練り、決起しました。この動きを受けて司馬道子は焦り、王国宝に責任をすべてなすりつけて誅殺。さらに官位で王恭らを懐柔しました。このため王恭らは、ここで兵を引きます。ただ、火種はくすぶったままでした。
後涼は西秦と戦うも失敗。この事態を受けて禿髪烏孤が王として自立。そして段業もまた周囲の推戴を受けて自立しました。この段業の陰には、のちの涼州を席巻する奸雄、沮渠蒙遜がいました。
慕容垂死亡! 復讐の末【夕刊シチ 5月3日号 395年12月】
通鑑4052文字(98/365位)
【登場人物】
・メイン
3/4-慕容垂▲
4/7-拓跋珪-5/17
・準メイン
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
【できごと】
参合陂の敗戦は、後燕にとり致命的な権威の沮喪でした。リベンジを図るため平規という重臣に兵力集めを任じれば、その平規が出先で反旗を翻します。自らが出向いて平規を南方に追いやると、慕容垂、そのまま北魏に、速やかに、静かに進軍。一気に北魏の都であった平城を陥落。この事態を拓跋珪がどう認識したかは不明ですが、司馬光さんはここで拓跋珪が慌てふためき、恐れ錯乱していてほしい、という願望をだだ漏れとしています。なので、そう書いてます。司馬光さんは偉大だと思うんですが、時々やらかす願望に基づいた史料選定にはちょっと冷静になったほうがいいんじゃないかなって思います。
去年までの病はどうした、という感じの慕容垂ですが、実際のところガソリンは底をついていました。平城を陥落させたところで帰還、途上で参合陂に寄り、未だ葬りきれないままであった燕軍兵の死体を見て慟哭、危篤に陥り、そのまま死亡します。なおその後を継いだ慕容宝でしたが、慕容垂の当時の正妃からは素質を疑われていました。なので慕容宝は即位したそばからこの正妃を自殺に追い込みます。うーんこの。その後慕容宝は乱政を連発し、民心が一気に離れたと書かれますが、ここはまぁ北魏側からのプロパガンダも多少は疑っていいところでしょう。そんな北魏では、拓跋珪が皇帝に即位。さらに拓跋珪は後燕への侵攻を開始。并州を落とし、太行山脈を越え、各地を攻撃。そしてこの過程で崔宏を獲得しています。余談ですが拓跋珪の即位直前にその母である賀氏が死亡しています。偶然ですね!
晋では孝武帝が寵愛していた夫人に「ババアお払い箱にするねwww」と放言、恨まれた夫人により殺された「と言うことになっている」事件が起こっています。ここの資治通鑑の記事はうっすらと司馬道子による暗殺を疑っているふいんきですが、敢えて直言はしていません。「真相は明らかとならなかった」で濁しています。ともあれここから晋は旧孝武帝派と司馬道子派の対立が激化します。つまり、劉裕登場のマエフリです。
中央があまりに賑やかすぎる年でしたが、ここでついに呂光が涼王を名乗りました。ただ禿髪烏孤は「いややばいでしょこの国」と独りごちていたりもします。段業の北涼と共に、南涼も、確実に萌芽の時を待っています。と言うか呂光さんの振るまい、錯乱しているようにしか見えなくて悲惨です。
参合陂の悪夢! 後燕斜陽【夕刊シチ 5月2日号 395年01月】
【395年01月】
資治通鑑原文2201文字(207/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
【できごと】
時代、変わります。後燕と北魏の直接対決。桓温のときと同じように、決定的敗戦が生じた箇所の地名をもってその名が呼ばれます、すなわち参合陂の戦い。既にここまで書いてきた通り後燕と北魏はその拡張路線がバッティングしていました。後燕内部では「戦うべきではない」という声も大きかったのですが、慕容垂としては到底放置できる相手ではありません。ただし、自分はもう満足に動けない。そこで慕容宝を総大将として北魏に攻め込ませます。その補佐に慕容徳、慕容農、慕容麟までつける、完全撃滅体勢です。
拓跋珪はこの軍容を見てまずは引き、自国内深くにまで後燕軍をおびき寄せました。そして遠征が長引き、後燕兵が疲弊し始めたところで「慕容垂が死んだ」と虚報を流します。既に慕容垂が病を得ていたのは周知のこと、そこにこの虚報です。将兵らは不安に陥りますし、慕容宝と慕容麟が猜疑しあうにまで至ります。これ以上の遠征が不可能だと悟った後燕軍は撤退しますが、このとき既に拓跋珪は後燕軍の退路に自軍を潜ませていました。そして、後燕軍がなんとか参合陂まで無事に逃れて安心しかけたところで、初めて襲撃。十万いたとされる後燕軍は数千騎しか残らないほどの大惨敗を喫しました。ここで拓跋珪は後燕軍の人士のうち才ある者を取り立てようとしましたが、臣下らの「すべて殺すべきである」という声に押され、捕虜すべてを穴埋めで殺しました。
晋はこの頃から孝武帝と司馬道子の不和が露見しはじめ、孝武帝が名族出身の人士を取り立てれば、それに逆らうように司馬道子は王国宝のほか、家門によらない抜擢人事で周囲を固めます。ちなみに資治通鑑は書いていませんが、司馬道子が用いた人物をあとひとりだけ特記しておきましょう。孫泰。孫恩、この数年後に会稽を中心として乱を立ち上げることになる人物の叔父です。
西秦はこの年姜乳と言う群雄に翻弄されたり、後涼から臣属を求められたりしてだいぶ屈辱的な期間を送っています。その後涼では禿髪烏孤が将軍として各地を撃破して回り、勢力拡大。こうした内容を見るに、後涼はなんというか、ずいぶん危うい拡張路線をとっていたようです。
前秦西燕 同時滅亡!【夕刊シチ 5月1日号 394年02月】
【394年02月】
資治通鑑原文2114文字(217/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
【できごと】
苻登、姚萇の死を受け、喜び勇んで最終決戦に向かいますが、残念ながら姚興は英主でしたし、それ以上に姚興を支える宰相の尹緯ができものすぎました。尹緯は前秦軍の補給線が乏しいことを見て取り進軍ルート上の水源を封鎖。これで前秦軍は尹緯を倒さねば水を確保できない状態となり、恐慌状態となりました。ここで尹緯は突撃を仕掛け、大破。苻登は単騎乞伏乾帰のもとに逃れ、再起を図りますが、姚興軍本隊と衝突し、敗死。弱り目に祟り目と言いますか、残された息子の苻崇は、今度は乞伏乾帰に命を狙われます。そこで苻崇は仇池の楊定のもとに逃れましたが、乞伏乾帰の軍は両名を打ち破り、殺害。ここに前秦が滅亡しました。いきなり王を失った仇池は楊盛が後を継ぎます。これがいわゆる後仇池。なお前秦を滅ぼした乞伏乾帰はここで秦王を名乗ります。西秦です。
東では西燕も最終局面に陥っています。鄴に出てきた慕容垂を防がんと備えた慕容永は、しかし後燕軍が敢えて「どのルートから進軍しているか」を盛大にアピールしながら進んできたため本命を見出しきれず、翻弄されるがままとなりました。こうなっては恥も外聞もありません。「このまま後燕が大きくなったらこまるでしょう?」と、北魏や東晋に救援依頼を飛ばしますが、然したる援護も得られないまま包囲され、滅ぼされました。このとき西燕の主要将はのきなみ殺され、長安より持ち運んでいた天子の車や装束、楽 隊、珍宝がことごとく後燕の手中に収まりました。こうなると後燕の勢いは止まりません。青州一帯もあわせて攻撃、陥落させ、最大版図を築きます。こうした事態を受け、姚興からは和親の使者が遣わされました。中原二大国の結託とか、周辺国にとっては悪夢としか言いようがありません。なお主要将がのきなみ殺されたとは言いますが、その中で馮安という西燕将はむしろ厚遇を受けています。この人物は、そう。のちの北燕、馮跋の父親です。
この年柔然の郁久閭社崙が柔然王国を正式に立ち上げたり、晋では劉裕の義理の兄に当たる臧燾が皇太后追尊の議論で発言したりもしています。このあたりはおまけの話ですが、ともあれ劉裕最底辺説いい加減にしろよってことです☆
姚萇死亡! 苻登歓喜【夕刊シチ 4月30日号 393年02月】
【393年02月】
資治通鑑原文1180文字(298/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
4/9-桓玄-5/11
4/28-赫連勃勃-6/3
4/24-姚興-5/25
【できごと】
前秦対後秦の戦い、いよいよ最終局面です。前年より病がちであった姚萇が容態を悪化させました。この頃両国の境目あたりで独立勢力がうごめいていたのですが、前秦に攻められたため後秦に救援依頼をしてきます。ここで姚萇は臣下の言葉を受け入れ、姚興に援軍の将として向かわせ、武勲を立てさせました。また晋が洛陽と長安を結ぶ重要拠点である潼関にまで攻め寄せましたがこれは撃退。こうした状況を受けて安心したのでしょうか、姚萇は姚興の支援体制を確立した上で「こいつらを誹るやつがいても聞く耳は持つな、恩・礼・信・仁をもって臨め」と言い残し、死亡。ところで資治通鑑は姚萇の死に様を美しく描いていますが、死亡直前に姚萇は苻堅に襲われる夢を見てキンタマを腫れ上がらせて「だーから! 陛下を弑したのは兄貴であって俺じゃありませんってば!」とうわごとを言っています。ダメでしょ司馬光さんそれスルーしちゃ。
そして姚萇死亡の報を受けて苻登は「やったぜ、これで勝った!」と言いだしています。苻登さん、それはいけない。フラグ台詞にすぎます。
後燕では、慕容垂が慕容永討伐を決意します。臣下らは慕容永に然したる落ち度がないこと、兵らが連戦に疲弊していることなどを理由に反対しましたが、この中で慕容徳のみが賛成意見を唱えます。慕容垂は「わしの子孫に禍根を残すわけにはゆかぬのだ」と慕容徳の言葉を歓迎し、出征。慕容永のいる長子と太行山脈を挟んだ向こう側である鄴に陣取り、向かい合います。
西方では鮮卑禿髪部の禿髪烏孤が勢力を広げる中、ひとまず呂光に臣属を誓ったりをました。だいぶ落ち目のような気もしますが、誓ったそうです。なお、この禿髪烏孤がのちに南涼を建てることになります。ゆっくりと五胡十六国時代の最大カオスポイント、四涼乱立の時が近付いていますね。また乞伏乾帰が子の乞伏熾磐を太子に立てています。この国も周辺が戦乱に次ぐ戦乱の中、したたかさが際立っている印象です。乞伏はここからの動向が面白いので、要注目です。
【2026/4/7放送分】芝崎典子のたまにはいいよね #69
声優 芝崎典子がお届けする生放送!
「芝崎典子のたまにはいいよね」略して“典たま”!
「アイドルマスターシャイニーカラーズ」桑山千雪役、
「つぐもも」近石ちさと役などでお馴染みの芝崎典子が
たまには息抜きしつつ、いま考えていることをお話したり、
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