タグ 蔡幸娟 が登録されている動画 : 85 件中 1 - 32 件目
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小林幸子『とまり木』北京語版7…蔡幸娟「心中黙黙祝福你」
1番は日本語、2番は台湾語の「少女的心声(sm23614513)」、3番がオリジナルの北京語版「心中黙黙祝福你」という構成。
菅原都々子『憧れは馬車に乗って』台湾語版…「快楽的馬車」
鄭進一+蔡幸娟。香港で出た北京語版は「有心不怕遅(sm30963842)」。
五木ひろし『千曲川』台湾語版4…洪栄宏「難忘的河辺」
前半は蔡幸娟が北京語版の「心影(sm24294320)」を、後半は洪栄宏が台湾語版の「難忘的河辺」を歌ってますが、蔡幸娟はかつて日本語の原曲と「心影」とオリジナルの台湾語版「離愁(sm24297287)」を3言語で歌ってたこともあります。
石原裕次郎『夜霧よ今夜も有難う』北京語版1…蔡幸娟「情難捨」
蔡幸娟は1980年に14歳ででデビューした台湾の歌手。当初はアイドル歌手だったものの、シンガポールのレコード会社を拠点に、1つの曲を日本語と北京語、台湾語で歌うという「三語一体」シリーズを出すなんてことをやってた人。『夜霧よ今夜もありがとう』の北京語版は81年に出した曲で、映像はシンガポールのテレビ番組ですが、作詞は自分でやったとか。当時15歳なのに??
高峰三枝子『アリラン・ブルース』北京語版1…蔡幸娟「重相逢」
『アリラン・ブルース』は1940年に高峰三枝子が歌った曲。
山田五十鈴『牡丹の曲』北京語版3…蔡幸娟「你愛不愛我」
1980年に15歳でアイドル歌手としてデビューしたはずの台湾の蔡幸娟。その後しばらくはなぜか「東方雲雀」=アジアの美空ひばり?をキャッチフレーズに、日本語と北京語、台湾語の3言語で演歌や懐メロを歌うという三語一体シリーズに取り組んで、81年にシンガポールで出したのが41年のの映画『上海の月』の挿入歌で山田五十鈴が歌った『牡丹の曲』。日本語の原曲と、いろんな歌手が歌っていた台湾語版の「緣投囝仔(sm25437443)」と、オリジナルの北京語版の「你愛不愛我」を続けて歌うというもの。
春日八郎『長崎の女』台湾語版4…蔡幸娟「癡情的女性」
1980年に15歳でアイドル歌手としてデビューしたはずの台湾の蔡幸娟。その後しばらくはなぜか「東方雲雀」=アジアの美空ひばり?をキャッチフレーズに、日本語と北京語、台湾語の3言語で演歌や懐メロを歌うという三語一体シリーズに取り組んで、82年にシンガポールで出したのが63年の春日八郎のヒット曲『長崎の女』。日本語の原曲と、いろんな歌手が歌っていた北京語版の「午夜夢迴時(sm25297659)」と、オリジナルの厦語=アモイ語=福建語=台湾語版の「癡情的女性」を続けて歌うというもの。
並木路子『リンゴの唄』?北京語版3…蔡幸娟「我愛鄉村」
「南都之夜(sm28449811)」は1946年の曲で、戦後台湾で最初に流行った歌謡曲として有名な曲。北京語や広東語でいろいろとカバーされ、台湾では小学校で習う愛国歌、中国では革命歌(sm28450443)にもなりましたが、原曲と言われているのが、戦後日本で最初に流行った歌謡曲『リンゴの唄』(1945年)。♪リンゴは何にも言わないけれど♪の部分を除いたような感じがします。北京語版は台湾のすばらしさを讃える香港映画の挿入歌「台灣小調(sm28449959)」が流行りましたが、その後86年にシンガポールで出たのが「我愛郷村」。歌ってる蔡幸娟は台湾の歌手。
並木路子『リンゴの唄』?台湾語版1…蔡幸娟+劉福助「南都之夜」
「南都之夜」は1946年の曲で、戦後台湾で最初に流行った歌謡曲として有名な曲。北京語や広東語でいろいろとカバーされ、台湾では小学校で習う愛国歌、中国では革命歌(sm28450443)にもなりましたが、イントロの出だしを聴くと、なんか日本でも御馴染のような曲…。戦後日本で最初に流行った歌謡曲『リンゴの唄』(1945年)の♪リンゴは何にも言わないけれど♪の部分を除いたような感じがします。作曲した許石は、36年に19歳で日本へ渡り音楽を勉強した人。46年に台湾へ戻って「南都之夜」を作ったとか。
細川たかし『心のこり』台湾語版3…蔡幸娟「錯愛」
日本語と北京語「温馨的回憶(sm22941214)」、台湾語「錯愛」の3本立て。
上原敏+青葉笙子『鴛鴦道中』台湾語版1…鄭進一+蔡幸娟「陳三五娘」
『鴛鴦道中』は1938年の大ヒット曲。上原敏はその後ニューギニアで戦死、青葉笙子は2012年までご存命だったとか…。「陳三五娘」は潮州(広東省東部)や福建の伝統歌劇の題目の一つで、旅の途中の金持ちの息子(陳三)が五娘に一目惚れして、「鏡磨き師」を装って五娘の家に入り込み、高価な鏡をわざと割り「弁償できないから奴隷にして」と家に住み込んでしまう…という話。
金田たつえ『花街の母』北京語版1…蔡幸娟「我心在飘零」
『花街の母』は台湾語では「媽媽歌星=歌手の母」としてカバーされた曲がヒット。現在もテレビでしばしば歌われていますが(sm22763433)、蔡幸娟が80年代に出していた北京語カバーが「我心在飘零」。
金田たつえ『花街の母』台湾語版4…蔡幸娟「吉他相思」
『花街の母』は台湾語では「媽媽歌星=歌手の母」としてカバーされた曲がヒット。現在もテレビでしばしば歌われていますが(sm22763433)、蔡幸娟が80年代に出していた台湾語カバーが「吉他相思(sm27856743)」。日本語の原曲と北京語版の「我心在飄零(sm27857405)」に続いて歌うという構成。「吉他」とはギターのこと。
フランク永井『雨の国道七号線』北京語版…蔡幸娟+余天「相見不如懷念」
『雨の国道七号線』は1959年の曲。台湾では台湾語カバーの「悲恋的公路(sm27835900)」「彈吉他的人(sm27835949)」、北京語カバーの「相見不如懷念(sm27836021)」が出てます。
渥美二郎『忘れてほしい』台湾語版3…蔡幸娟「你我初恋時」
1980年に15歳でデビューした蔡幸娟。82年頃から台湾でも「日本式アイドル」が次々とデビューすると演歌路線に転向して、日本の演歌を日本語+北京語+台湾語の3言語で歌うというシリーズに取り組むことに。『忘れてほしい』も日本語の原曲と北京語版の「原諒我吧心上人(sm25099282)」に続いて、オリジナルの台湾語版「你我初恋時」を歌ってます。
山口淑子『東京夜曲』北京語版1…蔡幸娟「意難忘」
『東京夜曲(セレナーデ)』は日本に引き揚げてきた李香蘭改め山口淑子が1951年に歌った曲。台湾では62年に美黛が北京語版の「意難忘」を歌って大ヒットし、92年にテレビドラマ主題歌として改めて歌ったのが蔡幸娟。
『こんなベッピン見たことない』台湾語版1…鄭進一+蔡幸娟「美姑娘仔」
『こんなベッピン見たことない』は芸者歌手・神楽坂はん子が1953年に歌ったヒット曲。台湾では台湾語カバー「美姑娘仔」と北京語カバー「忘也忘不了(sm26985398)」が出ました
パティ・キム『離別(イビョル)』北京語版1…蔡幸娟+賀一航「寄語白雲」
『離別(イビョル)』はパティ・キムが1972年に歌った代表曲。89年の紅白では日韓2ヵ国語で歌ってました。作曲した吉屋潤は韓国人ですが、50年代から60年代にかけて日本で活躍したジャズのサックス奏者。で、二人は夫婦だったのですが、72年に離婚して発表したのが『離別(イビョル)』だったという次第。台湾で出た北京語カバーが「寄語白雲」ですが、歌詞は76年に香港で出た北京語カバー「離情(sm27618739)」とほぼ同じ、正確に言うと1文字違うだけ。