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第96回ゴー宣道場 語らいタイム
第96回ゴー宣道場は令和3年4月11日(日)、新潟市内で開催された。
テーマは「皇室スキャンダルと国民」
初の新潟開催、テーマが皇室ということで、会場が埋まるかどうかが心配されたが、結果は満席、しかも地元新潟の参加者が半数を占め、これだけでも大成功。
会場は熱気にあふれ、10代の子供も熱心に参加していた。
延々と続けられている皇室バッシング記事について、その変遷をここまで明確に分析した研究はおそらくこれが初めて。入念に下調べをした門下生の努力が見事に結実した。
さらに第2部では、倉持麟太郎師範が弁護団長を務めるグローバルダイニング訴訟における、重要なポイントを確認。
語らいタイムでは、そんな道場を振り返り、会場からのアンケートを紹介し、さらに道場本編で触れられなかったことについても語る!
「祟りを怖れるな」徒然草気まま読み#128
今回扱うのは、第二百七段。
全文を紹介すると…
龜山殿〔嵯峨龜山の仙洞御所〕建てられむとて、地を引かれけるに、大きなる蛇(くちなは)數もしらず凝り集りたる塚ありけり。この所の神なりといひて、事の由申しければ、「いかゞあるべき。」と敕問ありけるに、「ふるくよりこの地を占めたるものならば、さうなく掘り捨てられがたし。」とみな人申されけるに、この大臣一人、「王土に居らむ蟲、皇居を建てられむに、何の祟りをかなすべき。鬼神は邪なし。咎むべからず。唯皆掘りすつべし。」と申されたりければ、塚をくづして、蛇をば大井川に流してけり。更にたゝりなかりけり。
天皇の御所を建てるための地ならしをしていたところ、大きな蛇がうじゃうじゃいる塚があった。
蛇を神として崇め怖れる信仰から、これを掘って捨てることは憚られると、誰もが言っていたが…
中世の人は誰もが迷信深かったかというと、そんなことはない。合理的な考え方をする人はこの時代にもいたし、もっとさらに時代をさかのぼっても合理的な人がいたことが、文献に残されている。
逆に現代が合理的な人ばかりかというと、決してそんなことはないわけで…
「舶来品は不要」徒然草気まま読み#129
今回扱うのは、第百二十段。
全文を紹介すると…
唐の物は、藥の外はなくとも事かくまじ。書どもは、この國に多くひろまりぬれば、書きも寫してむ。もろこし船の、たやすからぬ道に、無用のものどものみ取り積みて、所狹く渡しもて來る、いと愚かなり。遠きものを寶とせずとも、また得がたき寶をたふとまずとも、書にも侍るとかや。
舶来品をありがたがる傾向は、兼好法師の時代にもあったようだ。
この時代に重宝された海外の文物といえば、もちろんシナ渡来のものということになるわけだが、あくまでも本質的なことを重んじる兼好法師、シナのものだからということだけでありがたがることはない。国内のもので十分だと一蹴である。
とはいえ、決して「排外主義」的な感覚で言っているわけではないというところにも注目しよう。
「珍しい鳥獣は不要」徒然草気まま読み#130
今回扱うのは、第百二十一段。
冒頭部分を紹介すると…
養ひ飼ふものには馬、牛。繋ぎ苦しむるこそ痛ましけれど、なくて叶はぬ物なれば、如何はせむ。犬は守り防ぐつとめ、人にも優りたれば、必ずあるべし。されど家毎にあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなむ。
極めて合理的に、不要なものははっきり不要だと判断を下す兼好法師。
前回はむやみに有難がられていた「舶来品」を要らないと断定したが、続いて今回は、家畜・ペットなどの動物について語っている。
ここで注目したいのは、兼好法師の動物に対する想像力の深さとそれに基づく優しさ。
なぜ兼好は珍しい鳥獣を飼うことに異議を唱えているのか?
それは、単に無駄だとか、役に立たないとかいう理由ではないのである。
第97回ゴー宣道場 語らいタイム
第97回ゴー宣道場は令和3年5月3日憲法記念日、東京都内で開催された。
テーマは「憲法は今、生きているかーーコロナ禍、自衛権、天皇」
今回の白眉は何といっても会場ゲストの慶應義塾大学教授・横大道聡氏の発言。
話し方は穏やかではあるが、その内容はかなり激しい。
その考え方は、ゴー宣道場の方向性ともほぼ一致する。
そして、日本国憲法にある「公共の福祉」という言葉の正体には、思わず目からウロコ!
しかもこのことは、憲法学者なら誰でも知っているが、誰も言わないという事実に驚かされる。
他にも様々な学びがあったゴー宣道場。
何よりも、緊急事態宣言下で350人収容の拡大版を滞りなく開催できたこと自体が素晴らしかった!
そんな大きな収穫の数々を振り返る語らいタイム!
「悪事のついで」徒然草気まま読み#131
今回扱うのは、第二百九段。
全文を紹介すると…
人の田を論ずるもの、訟(うた)へにまけて嫉(ねた)さに、その田を刈りて取れとて、人をつかはしけるに、まづ道すがらの田をさへ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは。」といひければ、刈るものども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せむとてまかるものなれば、いづくをか刈らざらむ。」とぞいひける。ことわりいとをかしかりけり。
田んぼの所有権をめぐる争いで訴訟を起こし、負けた男がその腹いせに、人を使ってその田の稲を刈り取ってしまおうとした。
ところが命じられた者たちが、その道すがらにある無関係の田の稲まで刈り取ろうとしたので、それを止めようとしたら思わぬ「正論」で反論されてしまう。
ちょっとした小噺みたいな滑稽味のある一段。
しかもこの話には、一説には意外な解釈もあって…
「皇室スキャンダルと国民」 第96回ゴー宣道場1/2
2021年4月11日開催。
日本海側で初・新潟圏ゴー宣道場としての開催。
戦後、数限りなく繰り返されてきた「皇室スキャンダル」報道。
そのほとんどは根も葉もないデマだったが、これによって何度も大衆による皇室バッシングが誘発された。
今回は門下生有志の尽力によって収集されたの皇室スキャンダル記事を笹師範がまとめ上げた力作資料から、平成以降の皇室バッシングの変遷とその傾向を分析する。
小室圭さんバッシングによって、皇室バッシングは最終形態ともいうべき新たな、そして皇室の存亡にまで関わる危険極まりない域に達してしまった。しかも大衆は全くその自覚も無く、娯楽として消費し、忘れ去るだけなのだ。これを放置していたら、皇室は国民に滅ぼされる!
pdf資料はこちらから
https://www.gosen-dojo.com/wp-content/uploads/c89fea11020533495da318cf59b353ce.pdf
第2部は倉持師範が携わるグローバル・ダイニング訴訟の経緯とその意義について考える。
「皇室スキャンダルと国民」 第96回ゴー宣道場2/2
2021年4月11日開催。
日本海側で初・新潟圏ゴー宣道場としての開催。
戦後、数限りなく繰り返されてきた「皇室スキャンダル」報道。
そのほとんどは根も葉もないデマだったが、これによって何度も大衆による皇室バッシングが誘発された。
今回は門下生有志の尽力によって収集されたの皇室スキャンダル記事を笹師範がまとめ上げた力作資料から、平成以降の皇室バッシングの変遷とその傾向を分析する。
小室圭さんバッシングによって、皇室バッシングは最終形態ともいうべき新たな、そして皇室の存亡にまで関わる危険極まりない域に達してしまった。しかも大衆は全くその自覚も無く、娯楽として消費し、忘れ去るだけなのだ。これを放置していたら、皇室は国民に滅ぼされる!
pdf資料はこちらから
https://www.gosen-dojo.com/wp-content/uploads/c89fea11020533495da318cf59b353ce.pdf
第2部は倉持師範が携わるグローバル・ダイニング訴訟の経緯とその意義について考える。
「エビデンスを重んじた僧侶」徒然草気まま読み#132
今回扱うのは、第二百二段。
一部を紹介すると…
竹谷の乘願房、東二條院へ參られたりけるに、「亡者の追善には何事か勝利多き。」と尋ねさせ給ひければ、「光明眞言、寶篋印陀羅尼。」と申されたりけるを、弟子ども、「いかにかくは申し給ひけるぞ
「エビデンス」と「僧侶」、何か不思議な取り合わせだが、時代に関係なく大切な、それでいてなかなかできない態度の取り方について教えてくれる一段。
特に、宗教者がこのような態度を示したということには、なかなか考えさせられるものがある。
浄土宗の法師が、亡き人の供養において、優れて益のあるものは何かと問われて、真言宗の呪語を挙げた。
なぜ浄土宗の念仏を挙げないのかと問いかける弟子たちに法師が語ったこととは?
平家物語の作者「徒然草気まま読み」#134
今回扱うのは、第二百二十六段。
前半を紹介すると…
後鳥羽院の御時、信濃前司行長稽古の譽ありけるが、樂府の御論議の番に召されて、七徳の舞を二つ忘れたりければ、五徳の冠者と異名をつきにけるを、心憂き事にして、學問をすてて遁世したりけるを、慈鎭和尚、一藝ある者をば、下部までも召しおきて、不便にせさせ給ひければ、この信濃入道を扶持し給ひけり。
日本の軍記物語の代表作といっていい『平家物語』。
作者は不詳とされていて、その成立を巡っては特に国文学の世界ではずっと研究が積み重ねられてきた。
そしてその中で欠かせないのがこの『徒然草』の第二百二十六段。
兼好はここで『平家物語』の作者を名指ししているのだ。
果たしてその信憑性は?
常に議論を巻き起こしてきた、問題の段をご紹介。
「憲法は今、生きているかーーコロナ禍、自衛権、天皇」 第97回ゴー宣道場1/2
2021年5月3日開催。
憲法記念日に行われた拡大版。
プロデュースは倉持・高森両師範。
ゲストは慶應義塾大学教授・横大道聡氏。
(レジュメはこちら。)
https://www.gosen-dojo.com/wp-content/uploads/IMG-3.pdf
そしてリモートで山尾志桜里衆院議員、稲田朋美衆院議員が登場。
改憲さえすればいいという「改憲派」と、護憲さえ貫けばいいという「護憲派」という構図はもう脱却しなければいけない!
コロナ禍は、憲法についても様々な問題を露呈させた。
憲法違反としか言いようのない私権制限が次々に横行し、それを正当化するのが憲法にある「公共の福祉」という言葉。
だがこの「公共の福祉」という言葉にこそ、大きな問題があった。
狂った公共を正すため、立憲主義を守るため、民主主義を守るために、ゴー宣道場は戦う!
「憲法は今、生きているかーーコロナ禍、自衛権、天皇」 第97回ゴー宣道場2/2
2021年5月3日開催。
憲法記念日に行われた拡大版。
プロデュースは倉持・高森両師範。
ゲストは慶應義塾大学教授・横大道聡氏。
(レジュメはこちら。)
https://www.gosen-dojo.com/wp-content/uploads/IMG-3.pdf
そしてリモートで山尾志桜里衆院議員、稲田朋美衆院議員が登場。
改憲さえすればいいという「改憲派」と、護憲さえ貫けばいいという「護憲派」という構図はもう脱却しなければいけない!
コロナ禍は、憲法についても様々な問題を露呈させた。
憲法違反としか言いようのない私権制限が次々に横行し、それを正当化するのが憲法にある「公共の福祉」という言葉。
だがこの「公共の福祉」という言葉にこそ、大きな問題があった。
狂った公共を正すため、立憲主義を守るため、民主主義を守るために、ゴー宣道場は戦う!
強盗法印の話「徒然草気まま読み」#135
今回扱うのは、第四十六段。
と、その前に今回は徒然草と全く関係ない余談から。
新型コロナウイルスの接種券がいち早く届いて、それをゴー宣道場で披露した高森師範。
次いで接種券が届いたよしりん師範は、これを生放送の公開で引き裂いて話題になったわけだが、それでは、高森師範の接種券はどうなった?
そして本題。
全文を紹介すると…。
柳原の邊(ほとり)に、強盜法印と號する僧ありけり。度々強盜にあひたる故に、この名をつけにけるとぞ。
短く、全文でこれだけ。
僧の位で最も高い「法印」である僧侶の中に、「強盗法印」というあだ名のある人がいた。
「強盗」と最高位の僧。全く似つかわしくないが、別に本人が強盗を働いているわけでも、強盗のような悪辣なことをやっているわけでもなくて…
待つのは老いと死「徒然草気まま読み」#136
今回扱うのは、第七十四段。
前半部分を紹介すると…
蟻の如くに集りて、東西にいそぎ南北に走る。貴(たか)きあり、賎しきあり、老いたるあり、若きあり、行く所あり、歸る家あり、夕にいねて朝に起く。營む所何事ぞや。生を貪り利を求めてやむ時なし。
徒然草の基調を為しているといえる一段。
どんな人にとっても確実なことは、老いと死が必ず訪れることである。
この現実に向き合わずに日々を過ごしている人が、いかに多いことだろうか?
コロナ禍で初めて自分の死を意識して、パニックを起こしてコロナ脳になり、いや、死にたくない、ゼロコロナだ! と血迷っている現代の人々を兼好が見たら、どう思うだろうか?
だが一方で兼好は、決して虚無感に浸っていたわけではない。
一筋縄ではとらえきれぬ、その人生観・死生観とは?
世間に疎くあれ「徒然草気まま読み」#137
今回扱うのは、第七十六段。
全文を紹介すると…
世のおぼえ花やかなるあたりに、嘆きも喜びもありて、人多く往きとぶらふ中(うち)に、聖法師の交りて、いひ入れ佇みたるこそ、さらずともと見ゆれ。さるべきゆゑありとも、法師は人にうとくてありなむ。
権勢のある人のところに、いろんな人が出入りしている中に、遁世の法師が混じっていた。
それを見て、兼好法師が思ったこととは?
一般の人と、自ら法師となることを選んだ人とは違ってあってほしい。
兼好の美意識が端的に表れた一段。
日暮れて道遠し「徒然草気まま読み」#138
今回扱うのは、第百十二段。
冒頭を紹介すると…
明日は遠國(ゑんごく)へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば、人いひかけてむや。俄の大事をも營み、切(せち)に歎くこともある人は、他の事を聞き入れず、人のうれへよろこびをも問はず。問はずとてなどやと恨むる人もなし。
人は世俗のことを軽視するわけにはいかないし、それから簡単に逃れることはできない。
しかし、人生は短い。これでは、一生を些事に囚われて終わることになってしまう。
では、どう考えればいいのか?
兼好法師が我が身と人生を振り返って言っているとしか思えない、荒々しい魂の叫びを聴こう!
素直な命名「徒然草気まま読み」#139
今回扱うのは、第百十六段。
全文を紹介すると…
寺院の號、さらぬ萬の物にも名をつくること、昔の人は少しも求めず、唯ありの侭に安くつけけるなり。この頃は、深く案じ、才覺(さいがく)〔才智、自分のはたらき〕を顯はさむとしたる樣に聞ゆる、いとむつかし〔こゝでは面倒でうるさい〕。人の名も、目馴れぬ文字をつかむとする、益(やく)なき事なり。何事もめづらしき事をもとめ、異説を好むは、淺才の人の必ずあることなりとぞ。
これもまた、兼好らしさに満ちた一段。
寺院の号にしても、人の名にしても、シンプルな方がいい!
わざわざことさらに凝った、珍しい名をつけたがる人というものは…
子供に「キラキラネーム」をつける親に聞かせてみたい。
楽器のせいではない「徒然草気まま読み」#140
今回扱うのは、第二百十九段。
冒頭、一部だけ紹介すると…
四條黄門命ぜられて曰く、「龍秋は道にとりてはやんごとなき者なり。先日來りて曰く、…
以下、笛の構造に関するやたらと詳しい話が続く。
横笛には吹口のほか七つ穴があるが、そのひとつひとつに名前がついている。
その名を挙げつつ講釈が長々と続くのだけれども、結論は至って単純。
そのギャップが面白いかも。
高森明勅と泉美木蘭の緊急番組・迷走!皇位の安定継承を目指す【はずの】有識者会議〈全編イッキ見版〉
このままでは、将来日本から天皇も皇室もなくなってしまう!<br>
皇室研究者・高森明勅と作家・泉美木蘭が現状を解説し、警鐘を鳴らす緊急特別番組!<br><br>
上皇陛下の退位を可能にした皇室典範特例法の「付帯決議」には、代替わりが済み次第速やかに、安定的な皇位継承についての議論を始めるよう明記されていた。<br>
にもかかわらず、政府はこれを無視して問題を先送りし続け、令和も3年になってようやく「有識者会議」が立ち上げられた。<br>
ところが政府は依然として本気でこの問題に取り組むつもりを見せず、事態は迷走を続けている…!
<br><br>
第1回「皇位継承有識者会議はなぜ設けられたか?」<br>
第2回「皇位継承をめぐる政府の迷走ぶり」<br>
第3回「皇位の安定継承をめぐる論点とは何か?」<br>
第4回「皇位の安定継承の岐路」<br>
第5回「皇位の安定継承の行方」<br>
全5回、イッキ見動画!
又五郎の凄さ「徒然草気まま読み」#141
今回扱うのは、第百二段。
前半部分を紹介すると…
尹(いんの)大納言光忠入道、追儺の上卿(しゃうけい)を務められけるに、洞院右大臣殿に次第を申し請けられければ、「又五郎をのこを師とするより外の才覺候はじ。」とぞ宣ひける。かの又五郎は老いたる衞士の、よく公事に馴れたる者にてぞありける。
宮中で大晦日に行われる重要な行事の実行責任者を務めることになった尹大納言光忠入道、滅多にあることではないので、どうすればいいのかと、その式次第を洞院右大臣に聞いたところ、又五郎に聞く以外にないとの答え。
上級貴族が一目置く、その又五郎とは誰か?
身分に関係なく、現場の人物の能力を正当に評価しているところに注目。
荒れたる宿の「徒然草気まま読み」#142
今回扱うのは、第百四段。
冒頭部分を紹介すると…
荒れたる宿の人目なきに、女の憚る事あるころにて、つれづれと籠り居たるを、ある人とぶらひ給はむとて、夕月夜のおぼつかなき程に、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことごとしく咎むれば、げす女のいでて、「いづくよりぞ。」といふに、やがて案内せさせて入りたまひぬ。
ある女性が人目をはばかって粗末な家に侘び住まいをしていた。
そこに高貴な身分の男性が、夕暮れの月あかりの中を忍んで訪ねてきた。
情景描写が非常に細かく、情感たっぷりに語られる男女の切ない一夜のお話。
この段は、兼好が伝聞等から既述した小説的なものというのが通説。
しかし泉美さんは作家の感性と探偵の分析力で、今まであまり言われていない、しかし説得力のある新解釈を披露!
寸陰惜しむ人なし「徒然草気まま読み」#143
今回扱うのは、第百八段。
冒頭部分を紹介すると…
寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。愚かにして怠る人の爲にいはば、一錢輕しと雖も、これを累ぬれば貧しき人を富める人となす。されば商人(あきびと)の一錢を惜しむ心切なり。刹那覺えずといへども、これを運びてやまざれば、命を終ふる期(ご)忽ちに到る。
ほんのちょっとの時間を無駄にしても、それを惜しむ人はいない。
しかし、人生はほんのちょっとの時間の積み重ね。
これくらいの時間の浪費くらい、大したことないと思っていたら…
「徒然草」の中でも、何度も繰り返し語られるテーマ。
それほどに重要な、それでいて、日常の中でつい忘れてしまう、だからこそ何度でも、いろんな表現で繰り返して言っておかなければならないと兼好が思っていたのであろう真理。
夜の魅力「徒然草気まま読み」#144
今回扱うのは、第百九十一段。
冒頭部分を紹介すると…
夜に入りて物のはえ無しといふ人、いと口惜し。萬の物のきら、飾り、色ふしも、夜のみこそめでたけれ。晝は事そぎ、およすげたる姿にてもありなむ。夜はきらゝかに花やかなる裝束いとよし。
兼好の独特の美意識、価値観が表れている一段。
見るもの、聞くもの、匂うもの、その全てにおいて昼よりも夜の方がいいと兼好は絶賛。
夜の魅力がわからない人は、残念な人だとまで言い切る。
もちろん当時の夜といえば、灯りはごくわずかで暗闇に近い世界。
それでも夜の方が断然いいと言い切るのはなぜか?
もしかしたら、そこには現代人が忘れている感覚があるのかもしれない。
豆と豆殻の会話「徒然草気まま読み」#145
今回扱うのは、第六十九段。
一部紹介すると…
書寫の上人は、法華讀誦の功積りて、六根淨にかなへる人なりけり。旅の假屋に立ち入られけるに、豆の殻を焚きて豆を煮る音の、つぶ\/と鳴るを聞きたまひければ、「疎からぬ己等しも、うらめしく我をば煮て、辛(から)き目を見するものかな。」といひけり。
兼好法師はかなり合理的な人というイメージがあるが、たまに不思議な話も書いている。
これもその一つで、仏教最高の経典とも言われる法華経を読み続け、心身全て清らかな境地に至った上人には、普通の人民にはとてもできない特殊な能力が備わるという話なのだが、その特殊な能力というのがなんと…
信心や修行についての話となると、ちょっと扱いが変わってくるところが面白い。
頂点を極めず「徒然草気まま読み」#146
今回扱うのは、第八十三段。
前半を紹介すると…
竹林院入道左大臣殿、太政大臣にあがり給はむに、何の滯りかおはせむなれども、「珍しげなし。一の上(かみ)にてやみなむ。」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて、相國(しゃうごく)の望みおはせざりけり。
律令国家においては、太政大臣が臣下としての最高位であった。
西園寺公衡は、恵まれた境遇にあり太政大臣の地位に就くことはほぼ確実であったにもかかわらず、左大臣でやめておこうと、自ら出家してしまった。
しかも、そのことに共感した藤原實泰も、望みのあった太政大臣の位を目指さなかった。
あえて頂点を目指さないという価値観に兼好も共感し、これを紹介しているわけだが、そこにある美学とは一体何だろう?
下手なとぼけ方「徒然草気まま読み」#147
今回扱うのは、第九十段。
全文を紹介すると…
大納言法印のめしつかひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常にゆき通ひしに、ある時いでて歸り來(きた)るを、法印、「いづこへ行きつるぞ。」と問ひしかば、「やすら殿の許(がり)まかりて候。」といふ。「そのやすら殿は、男(をのこ)か法師か。」とまた問はれて、袖かき合せて、「いかゞ候らむ。頭をば見候はず。」と答へ申しき。などか頭ばかりの見えざりけむ。
この時代には同性愛に対して非常に大らかだったという文化を伝えている一段。
大納言法院というくらいの高い僧侶が、乙鶴丸という稚児を目にかけていた。
というか、はっきり言えばこの二人は男色の関係にあったわけだが、その乙鶴丸に、他に男が出来たらしく、しょっちゅう通っていくので、ある時大納言法院、そのことを問い質したら…
最後の兼好のツッコミも面白い。
狆(チン)に似た僧侶「徒然草気まま読み」#148
今回扱うのは、第百二十五段。
前半を紹介すると…
人に後れて、四十九日(なゝなぬか)の佛事に、ある聖を請じ侍りしに、説法いみじくして皆人涙を流しけり。導師かへりて後、聽聞の人ども、「いつよりも殊に今日は尊くおぼえ侍りつる。」と感じあへりし返り事に、ある者の曰く、「何とも候へ、あれほど唐の狗に似候ひなむ上は。」といひたりしに、あはれもさめてをかしかりけり。
いつの時代にも、決して悪気はないのだろうが、徹底的に空気が読めず、完全に的外れな発言をして場を白けさせてしまう人というのはいるもの。
故人の四十九日の法要に、ある高僧を招いたところ、その説法が素晴らしく、皆涙を流して聞き入った。
僧が帰った後も、その感動冷めやらない人々が口々にその思いを語っていたところ、空気の読めない人が一人いて…
前回紹介した話に引き続き、兼好のツッコミが楽しい。この段は後半の話と合わせてツッコミニ連発!
心の重大さ「徒然草気まま読み」#149
今回扱うのは、第百二十九段。
冒頭を紹介すると…
顔囘は、志人に勞を施さじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐(しへた)ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。
現代の人間でも追いついていない人が圧倒的に多い、心身に関する兼好の先見性がうかがえる一段。
人の心を蔑ろにすることは、人の身体を傷つけること以上に害が大きいものである。
薬が身体に及ぼす影響よりも、心が身体に影響を及ぼすことの方がはるかに大きい。
そんなことを兼好は、実例を挙げて説いていく。
コロナ禍で、過剰にウイルスを怖れて人の心を踏みにじることに対して一切の配慮をせず、しかもワクチンに全ての望みをかけている現代人って、兼好から見てどれだけ遅れているのだろうか?
第100回ゴー宣道場 語らいタイム
第100回ゴー宣道場は令和3年9月12日、名古屋市内で開催された。
テーマは「常識の逆襲」。
ついに第100回を迎えたゴー宣道場。といっても100回記念だからという気負いはなく、のびのびと明るく華やかな雰囲気で行われ、実にゴー宣道場らしい記念回となった。
これにはゲストの中川淳一郎氏の存在も大きく、名言・珍言の連打に大盛り上がりとなった。
100回を数えてなお参加者の3分の1以上が初参加。ゴー宣道場の進化は止まらない!
大満足の第100回を振り返り、道場では取り上げられなかった質問にも答えます!
浄土宗随一の学者僧侶「徒然草気まま読み」#150
今回扱うのは、第百二十四段。
全文を紹介すると…
是法法師は、淨土宗に恥ぢずと雖も、學匠をたてず、たゞ明暮念佛して、やすらかに世を過すありさま、いとあらまほし。
浄土宗の中でも誰にも引けを取らない学者である、是法法師。
兼好法師はこの人のようにありたいと記している。
兼好は是法法師のどのようなところを理想としているのだろうか?
それは、今どきのテレビに出てくる「学者」たちとは、正反対の生き方だったりする。
大に慣れれば小を顧みない「徒然草気まま読み」#151
今回扱うのは、第百七十四段。
全文を紹介すると…
小鷹によき犬、大鷹に使ひぬれば、小鷹に惡くなるといふ。大に就き小を捨つる理まことにしかなり。人事多かる中に、道を樂しむより氣味深きはなし。これ實の大事なり。一たび道を聞きて、これに志さむ人、孰れの業かすたれざらむ、何事をか營まむ。愚かなる人といふとも、賢き犬の心に劣らむや。
鷹狩りの犬の話から、大きなことに関わった者は、小さなことには目が向かなくなるという例を挙げた上で、これを兼好法師は一気に人生における仏道修行の話につなげる。
人生において、仏道よりも大きなものはないと確信する、兼好法師のある種のラジカリズムや、人生観がストレートに表されている一段。
さて、これをどうお感じになるでしょうか?
人生は不確実なり「徒然草気まま読み」#152
今回扱うのは、第百八十九段。
前半を紹介すると…
今日はその事をなさむと思へど、あらぬ急ぎまづ出で來て紛れ暮し、待つ人は障りありて、頼めぬ人はきたり、頼みたる方のことはたがひて、思ひよらぬ道ばかりはかなひぬ。
人生の真実を端的に言い表した一段。
人生は思い通りには行かない。あてになるものなどない。
といっても、決してネガティブにもならずニヒリズムにも陥らず、フラットな視点で語っているのが特徴。