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<山口県神社案内>延喜式内社熊毛神社・論社 岩隈八幡宮〜岩国市周東町祖生(そお)第二稿
岩国市周東町 祖生の岩隈(いわくま)山に鎮座(祖生は同じ旧玖珂郡でも山陽道沿いの玖珂町(くが)からやや内陸)訪れたのは2月(風がまだ冷たかったです)
玖珂から県道70号線に入り玖珂インターを過ぎ 途中左に通津周東線県道115号へ入り少し行くと常夜灯が山の麓にあるのでそこが参道入口。小高い山の上です。
元々は三毛入野命を祀っていたと言われのち八幡神も勧請されたようです。
歴史は古く、熊毛郡の延喜式内社熊毛神社に比定される論社です。
〜勝間の熊毛神社や室津半島の春日神社、高水の大歳神社などいくつか候補がある。
江戸時代に吉川公により、玖珂の久重山麓へ遷座したが、祖生で災害など続き領民の願いで
旧社地へ社殿再建し玖珂の岩隈八幡から祖生へ再勧請した。
現在の社殿は明治初め再建らしく吉川公が資材を寄進しているそうです。
余談
玖珂六郡の総鎮守・玖珂の岩隈八幡は国道2号線沿い(旧山陽道沿い)に今も健在。
しかし先年宮司をされていた社家がなくなられ宮司さん不在のようです。社務所も宮司宅を兼用だったため今はありません。大鳥居の先に駐車場あり〜拝殿前まで車で入れますが道が途中少し狭い。
岩国市周東町高森の椙杜(すぎのもり)八幡宮の連絡先が案内に記載されていましたので宮司代行されている模様。
先月 椙杜八幡宮も行きましたが 椙杜荘の地頭 蓮華山城の椙杜氏(鎌倉幕府問注所初代執事・三善康信の流れをくむ氏族だそうです)により、室町時代に鶴岡八幡宮から勧請された八幡神社で、泉山という木々の茂った小高い岡の上にありました。石段が急ですごいですw 旧山陽道の街道近くです。社殿など そうとう年季が入ってましたので修復とかしたいところでしょうね。
岩国市 玖珂町・千年杉の比叡神社と周東町・鮎原妙見宮 参拝記
まず初日旧山陽道の小瀬川の桜を鑑賞して~関関トンネル~バイパス欽明路経由で玖珂へ
(1)比叡神社(岩国市玖珂町谷津 )昔は山王宮とよばれ805年日吉大社より勧請。
産土神として鞍掛城の杉氏や蓮華山城の椙杜氏にも尊崇され吉川公の信仰もあつかったと言われる古社。社頭の大杉は千年杉と言われ巨樹である。桜の参道も良しです。本殿までは長い石段を登ります。
(2)鮎原劔神社(岩国市周東町川上)周東町にある鮎原妙見宮と呼ばれた古社。由緒書によれば、 むかし旅の僧が妙見菩薩を感得し祀られた。この辺の山に密教寺院がいくつかあったらしい。
その後、801年蓮華山頂〜さらに蓮華山の尾根のひとつ高羅山へ遷座したという。その後麓に祀られていた劔社、毘沙門社、四天王社など三社の摂社より常は遥拝した。のち三社を下居殿として合祀。
明治に毘沙門天四天王などを廃し(仏教色を排除)本宮を劔社と合祀鮎原劔神社となる。武道に徳のある神とされる。吉川氏の尊崇も篤かったと言われる。戦後の洪水により境内が被災し往時の建物や庭も荒れ果てその後現在の形へ再建された。社殿はやはり長い石段の上にあります。
参道のきゅうそう橋という大正期の石造橋(地元の方は太鼓橋と呼ぶらしいです)が、珍しくなかなか立派です。社殿の奥に少し行くと小さい奥社があるらしい(参拝時はわからなかったので行きませんでしたが)ここが元宮かは不明。2回目の参拝。
山口県て歩くと妙見様って多い気がするんだけど?周防戦国大名の大内氏(渡来系らしい)の氏神が北辰妙見菩薩ってことも関係あるのかなとも思います。
車載 【山口県百名山 銭壺山と瀬戸内海の多島美】〜岩国市由宇町 銭壺山〜
岩国市周東の鮎原妙見社へ参拝の後、夕方由宇へ立ち寄り由宇温泉の近くから山へ入る林道がつながっているはずなので上へ上へと・・。
なんとか枝道で間違わずいけました。
車載=林道〜大将軍山分岐〜銭壺山、山頂からの景色
銭壺山山頂は桜が植えてあり、標高があるので桜の1週間くらい開花が遅いんですがちょいと遅かったみたいですほぼ終わりでした。
道々山のコバノミツバツツジがもう咲き始めていました。
晴れて空が澄んでいれば芸予諸島、さらに国東や四国の山も見える景勝地です。8合目に由宇青少年の家などもあります。
ちなみに 隣の山は大将軍山 霧峰神社が鎮座する。
かつては大内水軍と河野水軍の芸予諸島をめぐる海戦にちなみ大内氏が大将軍に祈り大勝したという言い伝えに由来し、大将軍を祀っており。今はコノハナサクヤヒメが御祭神。
かつては海の守護神として他国からも参詣されたといい、参拝の船が所狭しとならんだといいます。今は往古の繁栄も今は昔。静かに海に向かってたたずんでいます。
銭壺山頂から少し山道を下った所に天狗様というお堂があり後ろの巨岩の上に石の祠があります 天狗のお面がかけてあります。西麓の日積地区のお堂だそうです。1回行きました。
吉川元春の武将二宮俊実(佐渡守)建立 禅宗寺院 松巖院と江戸期築庭の庭園 山口県岩国市藤生
松巖院は、岩国市藤生にある戦国毛利の一族 吉川元春の武将二宮佐渡守俊実の建立した禅宗寺院(臨済宗だったらしいですが 現在は単立寺院)です(動画は岩国の小瀬の渡し場跡の桜〜松巖院と進みます)
二宮佐渡守は、吉川軍主力の武将だったそうです。厳島合戦や石見攻略などでも活躍した。吉川元春〜広家と仕えたそうです。
境内奥の木立の中に二宮佐渡守の御墓と陶晴賢の供養塔があるそうです(未見)
開山は真如周伯和尚と由緒書きにありました。
吉川公の要請で八十を過ぎて「二宮俊実覚書」をしたためたと言われ 陰徳太平記など軍記の基本史料となったそうです
江戸時代19世紀(文化から天保年間)に住職月渓和尚により作られた二つの庭園があり作庭者や時期の記録(安政2年の文書に記録がある)も残り貴重な遺構とされる 市の名勝指定 1山門から本堂前に蘇鉄と苔の平庭(塀越しに瀬戸の海と島が借景となる)
2本堂南側にある築山や石組み、植木、池などのある回遊式の池泉庭があります。
築山には観音堂や地蔵がある。樹木が多く植えられているお庭でした。
庭園系のサイトの意見にありましたが樹木が多過ぎて確かに石組みが少しみづらいかなとはおもいました。今でも十分いいですけどね。
*本堂南面の平庭は簡素で苔と借景もよく大変結構でした。
付記=また山門下の石地蔵は切支丹地蔵であるそうです(後で知りました)
小高い境内に海や山の息吹を感じながら手を合わせたいですね
この日行きますと本堂は閉まっていたので外からお賽銭を入れ手を合わせました。
*行かれる場合 修行寺なのでまず御参りをさせていただいてから静かにお庭など拝見しましょう
僕は、このお寺の平庭からの借景の景色はいい〜〜なあと思います またお参りしたいです。
周防國 旧玖珂郡 「祖生新宮神社、伊陸 高山寺、氷室亀山神社」日帰り参拝の旅
山口県の西 周防(すおう)の旧玖珂郡 を廻りました。周防西部シリーズ
まず旧山陽道を経由して難所の中峠を越えて玖珂(くが)市街に向かわず周東町祖生ヘの道をたどる。
新緑なので旧道を少し車載してます。
「新宮神社」岩国市周東町 祖生(そお)にある古社
この地はお盆にある「柱松」などの伝統行事で有名。かつて祖生は厳島神社別当寺 水精寺(今の大聖院の前身)の寺領であったそうで その関係で厳島明神を勧請したという。社(やしろ)はそれ以前から存在した模様。社殿奥は木の伐採や土砂が積んであり工事中のようでした。
他に祖生には近くに延喜式内熊毛神社論社「岩隈八幡宮」(古い方)などもあります。
伊陸(いかち)は、柳井市の山間部にある集落 祖生と氷室ケ岳を隔てて南側に位置する地域
「高山寺」足利尊氏直義兄弟が各国に設けた、旧周防安国寺遺構である。多くの修行僧、行者の集う相当な大寺だったようですが 今は火災で焼失し(残念です)本堂や山門が再建されています。 木犀(もくせい)の大木と本堂裏に江戸時代の様式の庭園があるそうです(未見です)
「氷室亀山神社」氷室があったという氷室ケ岳は、周防富士と呼ばれ秀麗な山容で霊峰とされた。 氷室大権現として崇敬された。氷室神社は山の8合目の堂屋敷という場所にあったが、麓の大元の地へ 遷座さらに室町の頃 現在地 氷室池のそばに鎮座した。氷室池は遷座の頃埋められて今はない。
明治以後 亀山神社と菅原神社と合祀され現在の社号となる。
山は細い林道が通り、以前登った時、山頂には石祠が2つかな?いまもある。景色は抜群です。
サムネは周防富士 氷室ケ岳の山容
周防岩国 初夏の庭園紀行 吉香公園 満開の花菖蒲と吉香神社 山口県岩国市
山口県の西の端 岩国市 〜花しょうぶ園、吉香神社、吉川氏の昌明館門と付属長屋など
毛利一門吉川氏の城下町 JRを利用して花しょうぶを求めて日帰り花見旅
岩徳線川西駅から名橋錦帯橋を渡りかつての居館武家屋敷などのがあったエリアを公園化した吉香公園 を散策。夏6月は花菖蒲園が満開 2箇所の花菖蒲園に11万本以上の菖蒲が植えられている。
今回散策ルート
JR岩徳線川西駅〜錦帯橋(槍倒しの松)〜家老香川家長屋門〜岩国高校跡〜御堀〜吉香神社と紫陽花〜城山花菖蒲園〜吉香花菖蒲園〜吉川史料館と昌明館跡(市の重要文化財 門、長屋)〜
現吉香公園のエリアは、かつては大内氏時代は永興寺が伽藍を並べ、江戸初期の吉川氏の入国以後は、 居館や武家屋敷が並んだ。明治後居館跡に遷座した吉香神社とその附属地が公園化されさらに、旧制岩国中学や女学校、岩国高校として利用された場所が学校の移転に伴い追加され、城山や紅葉谷も含めて 総合公園化された。
清流錦川の側にあり 広場や噴水、四季折々の花に樹木や緑、昔の建物、神社仏閣のある場所。
春は梅、桜、夏は花菖蒲に鵜飼、秋は紅葉 横山(城山)の城跡には再現された岩国城もあります。
他には美術館、史料館、城山ロープウエイ、白蛇観覧所や鵜飼用の川鵜の飼育場などもある。
ちなみに川西駅から欽明路バイパスを少し西へ行くと欽明館のうどんの自販機コーナーがありますぞ
史跡「遊撃隊陣営」跡 大梅山通化寺(黄檗宗) 岩国市周東町上久原西午王ノ内
大梅山通化寺(つうけいじ)は寺伝によれば 大同二年(807年)弘法大師創建とされる真言宗寺院でしたが、後年 曹洞宗に変わるが衰退した。
境内に阿川毛利氏の祖である吉川元春次男の繁沢元氏(玖珂郡午王ノ内他に領す)の墓所があり
二代元景のとき毛利輝元は毛利姓に復させ長門の国豊浦郡の阿川、滝部などへ領地替えとなるが午王ノ内など一部所領は残る。
阿川毛利三代の毛利宮内少輔就方(くないしょうゆなりかた)は 京都萬福寺より高僧を招き黄檗宗に 改め寺院を再興す。この辺の事情は古道ひとり旅さんのHPを参照させてにさせていただきました。
幕末 高杉晋作の奇兵隊に触発され、来島又兵衛が創設した諸隊「遊撃隊(軍)」がここ通化寺に駐屯し陣営になっていました。資料館に遺品や高杉晋作の詩草稿などあるそうです(未見)
また庫裡の横に伝雪舟築庭の石庭が残る。
岸信介決起顕彰碑と云うのもありました(公職追放の岸さんが巣鴨のムショから出所しこの地で再決起の声を上げた記念碑)漢詩の石碑です。揮毫された石碑がありますけど、安倍総理も岸さんの決起や維新の志士を見習って国益になるよう働いて欲しかったですが残念。結局デフレは抜け出せず国益も守れず地方も国も衰退するのだろう。高杉晋作に喝されちゃいますよね。
寺は一時は無住職の状態が続いたそうですが現在は本山からご住職が赴任されている模様。本堂もかなり痛み、名勝の庭もそうとう荒れている。建物自体は木造ではありませんね。
禁門の変で先鋒突撃したのが遊撃軍だそうですな その後再編され遊撃隊となり長州征伐(四境の役)での戦闘〜元治の乱(功山寺挙兵以後の内乱)〜戊辰戦役と転戦活躍したが維新後に体制が変わり冷遇を嘆き諸隊の反乱に200名以上が参加して崩壊していく反乱もなんとか鎮圧されて終わる。
境内を見ても遊撃隊顕彰はさすが山口という感じです。郷土の英雄なんだろうね。
四境の役ではまあ筆者の故郷 藝州藩は国境近くの玖波宿や廿日市宿などが長州藩に焼き討ちされた方で革命戦争とはいえやや複雑な気持ちですな。
八十八箇所めぐりも弘法大師開基だからでしょうか。金毘羅さんや双鶴岩なんてのもあるらしいので行ってみたい気はしますが道はどうなんでしょうか不安。
秋に紅葉したらまたのぞいてみたいですが・・いまだ再訪できず。
幕末関連〜 長州藩 勤皇僧 月性和尚の寺 sm38735846
周防旧玖珂郡の古社 岩隈八幡宮、椙杜八幡宮参拝 (岩国市玖珂町、周東町)
玖珂・岩隈八幡宮(いわくまはちまんぐう)玖珂六郷総鎮守 旧県社
元玖珂郡 下祖生にあった神社(延喜式内社熊毛神社論社)もとは三毛入野命などを祀っていたものですが和銅四年八幡神を勧請したといわれる。
江戸時代1691年(元禄四年)に玖珂の久重山麓へ遷座した。岩国領主吉川広紀公(ひろのり)の頃のこと。山の中の神社だが国道二号線から車で入れるので便利(岩国から欽明で玖珂に入って入口に石柱と狛犬がある)鳥居の奥に1箇所、狭いが拝殿下にも駐車できます。
高い木々の茂る山中なので参拝は晴れた日や明るい時間帯の方がいいかなと思います
現在は宮司さんが新に赴任されました。
本殿は一段高いところにあり 朱に塗られていてなかなか見事なものです。
春先に行き今回再訪しました。いいお天気でよかった。銀杏のみがボトボト落ちていたので秋の気配も。元の下祖生の岩隈山には後に再度勧請して再建された岩隈八幡があります。
椙杜(すぎのもり)八幡宮(小高い泉山の上に鎮座)
周東町下久原にある神社(国道二号線が泉山の裏を通る)である。
創建は建武新政の時代 足利尊氏に従って九州へ下向した御家人太田時直が鶴岡八幡宮から勧請した。
太田時直は(鎌倉幕府問注所初代 三善康信の後裔)玖珂郡の椙杜荘を領地に持っていた。
その後裔は 椙杜氏を称して蓮華山(玖珂の高峰)城を築城、大内氏傘下の国人領主となる。戦国末期以降毛利時代に世継ぎが無く毛利重臣志道家から養子を迎えた。椙杜元縁である。
江戸初期椙杜氏は、長府藩家老として移封されたため八幡宮は奉斎者を欠き衰微甚だしく・・後に 玖珂郡・高森宿の人々により社殿を再興されたという歴史があるそうです。このあたりの 歴史は街道一人旅さんHP参照。
泉山の樹林は林野庁の自然記念物に指定されている。年月が経ち拝殿など相当年季が入っています。
拝殿に絵馬があり風化しているものもあったりお神輿が眠っていました。
泉山の石段が長く高いのがなんともいいですw
10月また参拝してようやく岩隈と椙森八幡神社の御朱印いただいてきました。
歴史的なわからないことは古道一人旅さんのHPで知りました。詳しいですよ^^
周防岩國・山代地方 本郷の町並みと和紙の神様楮祖(ちょそ)神社(河内神社境内)+観音茶屋 岩国市本郷町
前編で山口県道130本郷周東線を美和町下畑〜岩国往来の雲照時峠を越えて本郷町へやってきた。
後半部分です=宇塚地区から一旦戻り
旧社格郷社 本郷八幡(参道からの景色のみ・・参拝は一応してきました木立で暗いんで映像なし)ふたたび本郷中心部へ戻り町並みと本郷川沿いの浄土真宗西照寺へ。
本郷は山代地方の中心として奥山代宰判の代官所が置かれていた。宰判=毛利の領国支配の単位で勘場(代官所などが置かれた) 2020.3
西照寺=浄土真宗 江戸末期 長州軍の諸隊。山代地方の僧侶の軍団 偕行団がありその駐屯地だった。僧兵ですな ^^; 御寺の門は旧代官所の門の遺構。
山代最後の代官は、杉民治 吉田松陰の実兄。民政に尽くした名代官だったとか。町の水路などを整備したりしているそうです。
帰路国道187へ向かう県道69号沿いの波野地区の河内神社と境内社楮祖(ちょそ)神社へ・・・。他に波野(はの)には勝軍地蔵堂などもあるようです。河内神社のカエデの紅葉が綺麗らしいのでまたみてみたいです。
河内神社境内にあり楮祖神社は日本で唯一の和紙の神様として祀られるので珍しい。普通の山間の素朴な神社なんですけどね。なんか味があります。
楮祖神社 所持の本 山口県の歴史散歩によると。
中内(ちゅうない)右馬允を祭神として祀る。河野氏の一族で永禄年間の山代地方に所領を持ち楮(こうぞ)栽培と和紙の製造広めさせた先駆者。この恩を徳として神社が創建された。
紙の神様で国内唯一。右馬允の墓所は裏山の木立の中にあるそうです。
国道187沿いで休息した 美川町の自販機コーナーのある観音茶屋の映像を少し。
肉うどん嫌いなんで(きつねか天ぷらが良かった)、自販機でパントーネ酵母パン食べました <(^_^;)
初秋に 再訪 sm37448389
令和2年 緊急事態宣言・自粛で静かな【 新緑が映える錦川 錦帯橋と吉香公園風景】 記録 山口県岩国市
新緑の色映る錦川を散策した記録。錦帯橋を渡り吉香公園へ。
緑が濃い清流と五連の名橋。
私の定番コースで大竹市の186号線でゆうみトンネルを抜けたところ木野集落から入り
旧山陽道の小瀬渡し場跡の新緑、小瀬川の流れと吉田松陰の歌碑〜錦帯橋と錦川の清流、古社の白山神社、吉香公園の風景など
この時期は城山が若葉で埋まり錦川に映えますな。
2020 .5
田舎でもあり十分な空間があり固まらず、人と密接な接触をしない、マスクなしで喋らない。人がいればマスクをする。食事にしゃべらない。洗わない手で目鼻などを触らない。自他の安全を配慮すれば場所にもよるが、散策など体で動かせます。
京大藤井教授らの提言されるレジリエンス実践ユニットの半自粛方針を支持します^^
*R2年 錦帯橋周辺 岩国城下 吉香公園の秋を探して sm37700712
岩国市美川町根笠(Mikawachou Ngasa) 国天然記念物指定 岩屋観音窟 sm37522898
小さな鍾乳洞にあり木造でありながら石仏になった古い観音様です。
寂地峡(Jakuchi kyou)滝と自然観察路B(合成音声ガイド入り)sm37527628
岩国市錦町宇佐(旧玖珂郡錦町)県名勝 西中国山地国定公園内。
旧山陽道を走る〜中峠、欽明路峠 越えて 玖珂まで。2020.4
柱野の小学校を過ぎた交差点のところから細い旧道へ入る〜二軒屋〜中峠5分辺りから〜欽明路峠〜七曲〜欽明寺まで。
旧山陽道は西国街道ともいう街道。山陽道の中でも欽明路峠は難所の一つだった言われます。国道2号線は難路を避けて大きく多田方面から迂回していますからね。現代はバイパスが貫通している。
標高200メートル程度の二つの峠越えのあとバイパスの上を渡り玖珂まで七曲というクネクネしたカーブの続く道を欽明寺まで降る。
昔の七曲は欽明路バイパスの建設で途切れて、現在はバイパスを橋で渡りより昔よりは緩やかながらカーブの急な新道が作られている。
七曲がり新道ですが、途中空き地へゴミが放置されてるところがありさえないです(カットしてます)
山陽道ルートに詳しいに詳しい古道一人旅さんのHPを拝見しますと昔、陸軍の車両が落ちたこともあるほどのカーブの連続だったらしいです。今もバイパスのところまで旧道が一部残るらしい。
ちなみに峠を降りたところが欽明寺である。寺院の建物は昭和になり再建された新しいもののようですが雰囲気はあります。欽明天皇腰掛石などもあるが洒落でしょうね。
バス停近くに周防武田氏の屋敷跡がある(安芸の国守護 武田氏の末裔)
中峠は雰囲気があります 急坂なため道路に(コンクリート舗装かな?)横溝が切ってありガタガタします^^; 欽明路峠は標識もないのではっきりしませんが中峠から一旦下りて登るところかと思う。
定期的に走っているのだが 今年の春4月の記録。田植えの頃また走りたいかな。
「周防なる 磐國山を 越えむ日は 手向けよくせよ 荒しその道」 万葉集
車載シリーズ https://www.nicovideo.jp/series/27367?ref=user_series
<車載>新緑の 山口県 林道大将軍線(大将軍山 霧峯神社登山口林道分岐まで)岩国市由宇町
山口県岩国市由宇(ゆう)町。動画の最初は〜県道149号線から分かれた由宇温泉近くから山に入り中倉地区を過ぎて、林道大将軍線へはいったあたりからだと思います。
山中はいろいろ林道が走っていてわかりにくい感じでした。上へ上へと登って行きました。中倉地区には山中に1軒カフェなどあった(この辺は迷ってて撮影忘れたw)
標高429mの大将軍山=由宇のこの辺りでは聖なる山とされる。古社の霧峯神社が鎮座する山。
現在の祭神は木花咲耶姫、天忍日命など
山名の由来
元来は大内氏が大将軍神に祈り河野水軍との海戦での勝利のを得た故事により陰陽道で云う八将軍の一つ大将軍を祀る大将軍社だった。江戸時代は瀬戸内海航行の船の目当ての山として尊崇され九州や他国からの参拝も多かったようです。
麓の氏子も少なくなっているようですがちゃんと維持されています。
海側からしばらく登った切畑地区が登山口である(山道には丁塚や寄進された石灯籠が多く残る)林道切畑線〜大将軍線または、県道150号線銭壺山公園線などから車で登れる。
新緑が濃い季節はいいですね。まだまだ涼しいです。
2=登山編 sm36965246
3=本編 神社参拝編 sm36975136
この後霧峯神社を参拝した後、銭壺山へ海を見に行きました。
<ミニ登山>新緑の林道を大将軍山頂へ 大将軍 霧峰神社まで登山編 岩国市由宇町
山口県の山 林道経由のミニ登山編 標高429mの大将軍山=由宇のこの辺りでは聖なる山とされる。古社の霧峰神社が鎮座する山。現在の祭神は木花咲耶姫、天忍穂耳神など
車で登山口まで行けば体力のない方でも手軽に登れるのでおすすめです。
山名の由来
元来は大内氏が大将軍神に祈り河野水軍との海戦での勝利のを得た故事により陰陽道で云う八将軍の一つ大将軍を祀る大将軍社だった。江戸時代は瀬戸内海航行の船の目当ての山として尊崇され九州や他国からの参拝も多かったようです。
近代となり工業化され瀬戸内の漁業などが衰退(昔は瀬戸内海は当時は物資輸送の重要なルートだったでしょうからね)すると大将軍社の振興も衰退。
わずかに切畑地区の氏子さん達が守っている(山口県百名山より)
麓の氏子も少なくなっているようですがちゃんと維持されています。
海側からしばらく登った切畑地区が登山口である(山道には丁塚や寄進された石灯籠が多く残る)林道切畑線〜大将軍線または、県道150号線銭壺山公園線などから車で登れる。
新緑が濃い季節はいいですね。まだまだ涼しいです。
この後 霧峯神社を参拝した後、銭壺山へ海を見に行きました。
(3)は山頂神社参拝 編 sm36975136
山頂からの眺めが今ひとつ木に遮られていたので
大将軍の隣(峰続き)銭壺山からの海の眺め sm37040907
<山口県の神社案内>大内氏ゆかりの旧大将軍社 「 霧峰神社 」(大将軍山頂神社編) 岩国市由宇町
大将軍山 参拝本編 標高429mの大将軍山=由宇のこの辺りでは聖なる山とされる。 古社の霧峰神社が鎮座する山。創建は1500年ごろらしいですが、歴史は大内氏の時代に遡る。
現在の祭神は木花咲耶姫、天忍日之命、天櫛津之命
山名の由来 市の記載する由緒によれば。
1500年ごろ時は戦国時代、大内氏が周防大島諸島を巡り河野水軍との海戦で濃霧のため索敵できず大将軍神に祈願すると折から霧晴れて勝利を得た故事により陰陽道で云う 八将軍の一つ大将軍を祀った大将軍社だった。江戸時代は瀬戸内海航行の船の目当ての山として尊崇され北九州や他国からの参拝も多かったようです。
周防灘を遠く眺めながら時鳥の声を聞く
近代となり工業化され瀬戸内の海運漁業などの産業が衰退(昔は瀬戸内海は当時は物資輸送の重要なルートだったでしょうからね)すると大将軍社の信仰も衰退したようです。
わずかに切畑地区の氏子さん達が守っている(山口県百名山より)
麓の氏子も少なくなっているようですがちゃんと維持されています。
中島篤実先生の山口県百名山を片手に初めて登ってから好きな山の一つ
海側からしばらく登った切畑地区が登山口である(山道には丁塚や寄進された石灯籠が多く残る)
林道切畑線〜大将軍線または、県道150号線銭壺山公園線などから車で登れる。
新緑が濃い季節はいいですね。まだまだ涼しいです。
この後 霧峯神社を参拝した後、銭壺山へ海を見に行きました。
前半林道〜境内まで ・・・・4;45から境内風景〜
以前から再訪したいと思っていてようやく行けました^^
峰続きの銭壺山からの景色 sm37040907
(=^ェ^=)岩国 吉香公園で出合あった 猫ちゃん達 2019
錦帯橋のある岩国城下吉香公園。 最近は減りましたが猫ちゃん達に出会うことも多い場所。西側のお寺が多い紅葉谷あたりであった(=^ェ^=)ちゃん達の様子です。
最後の方は昔撮った公園内の猫たちの写真を少し。
見られる方は 音量は適当に調整してください。
かつては捨て猫が多かった場所ですが、ちゃんと管理して飼い主は猫ちゃん捨てちゃダメだよ!!
【巨樹巡り】岩国市天然記念物 「 楠一丁目のクスノキ巨樹群 」の新緑
岩国市の楠町一丁目 門前川の堤にあるクスノキの巨樹群。堤防の上に11本の巨樹が並ぶ様は壮観。清流の錦川がこの辺りで井堰を境に東の今津川、西側に流れる門前川に分かれて行く場所。
楠のあるあたりは二つの川の間で形成された三角州である(川下地区と呼ばれているそうです)
岩国領主 吉川広正 公が現在の楠町1丁目付近に隠居所を作るため万治元年1659年堤防を改修した時かそのすぐ後に植えられたと言われているらしい(他の説もあるようです)1661年館は完成している。
吉川広正公=岩国第二代岩國領主、吉川広家の長男、毛利秀元に代わり一時 長州藩の執政や藩主毛利綱広の後見なども勤めた。
クスノキの巨樹=11本あり一番大きな巨樹で目通り5、65メートル、高さ30メートルある。
門前川の井堰は渡る人がちらほらいます。今度歩いてみたいなと。
現在は神社周辺の樹上には、白鷺(サギ)の群れが営巣しておりけたたましい鳴き声がこだまする。糞で下の神社が真っ白。東側の方はサギの巣が少なかった。
神社ですがyahoo地図や岩国に詳しいブログの紹介では「海原神社」となっていた。
錦帯橋の花菖蒲を見学したついでに 錦川沿いに走り日帰りで行ってきました。
別名目舞ヶ丘 銭壺山山頂からの周防灘と島の風景 岩国市由宇町
岩国市の由宇町 銭壺山からの眺め。大将軍山を後にして林道を銭壺山へ向かいました。
山頂広場からの海の景色。
→峰続きの大将軍山へ林道経由ミニ登山 sm36965246
周防岩国の春 吉川氏菩提寺 盤目山 洞泉寺の樹齢三百年の「臥龍の梅」
鬼の吉川氏の岩国城下 城山の麓 紅葉谷にある 洞泉寺の樹齢三百年余の臥竜梅 他古木が多い。
名木です。
字幕訂正〜正確にはこの寺は大朝荘で芸州に土着した吉川氏の菩提寺で,元々は広島県の県北 現在の 大朝と同じく北広島町新庄にあった寺院。関ヶ原以後吉川広家らと共に移転したもの。
前半が梅の花 永興寺〜洞泉寺(臥竜梅)、後半が境内(境内の猫がながいです・・・)
2020.2 初春
吉香公園 2020.6咲き始めの「城山花しょうぶ園」 岩国市横山
岩国市吉香公園の城山の麓にある花菖蒲園 風景。今年も咲きました。やはり人は少なめの出足ですが、武漢ウイルスによる経済恐慌に負けず日本再生して欲しいもんです。
毎年鑑賞に行くので定点観測動画。
撮影に来ていたテレビ局の取材カメラマンさんに教えていただいたんですが、上の日本庭園にモリアオガエルの卵がありました庭園自体は自然は豊かですけどそれほどのものはないです。
旧山陽道 旧道 欽明路峠を越えて七曲手前まで
欽明路峠越え車載 梅雨真っ只中の中の休日 6月末に(緑が濃いですなぁ)記録。
まだまだ梅雨は続きます。
二軒屋地区〜中峠〜欽明路峠を越えるところまで。
標高は200mくらいらしいです。
玖珂方面に行くときバイパスがしんどいなあと言うとき たまに走りますが今回は対向車もなくて良かった。
ちょいとだけ高画質で。
岩国市玖珂 樹齢六百年の巨樹 春日神社の大杉
春日神社のご神木の大杉。岩国市の重要文化財指定。県道136号藤生上久原線の傍らにある巨樹の大杉。道路に沿い笹見川を流れるあたりにそびえる。近くに塔ヶ森の森林公園などがある。
神社は杉の裏の広場にあり小さい鎮守のようでした。
幾度か大きな台風や野焼きの火粉を受け焼けたり空洞化が進んでいるようであるが、保存作業がなされステンレスの結束バンドで固定されているが樹勢は今だ盛んである。
今回で3回目の訪問。 今回は旧山陽道欽明路峠を越え欽明寺方面へ行かず直進し祖生方面へ 行くと県道136号の交点で136号へ入り少しゆくとある。
近くに塔ヶ森があり観音堂や登山ができるようですまだ行ったことがなんですがそのうち。
最後は、春の大杉から136号線を走り途中 笹見川沿いに田園を走った田んぼの真ん中おそらく農道にて。
一面の緑の田んぼから玖珂盆地の山の景色が綺麗なので撮影。鞍掛合戦(毛利軍が後の蓮華山城から攻め下ったという)の舞台の二つの山 鞍掛山と蓮華山が見えた。
微調整して再アップ
岩國領主二代 吉川広正公建立 領内万民の守護 椎尾八幡宮(岩国市岩國四丁目)
椎尾八幡宮 創建は二代領主吉川広正公が由宇村(元岩国市由宇)に祀られていた駿河八幡の神霊を勧請し当地岩国山山麓にあった在来の椎尾社を合祀して建立した岩國領万民鎮護の神社。
駿河八幡宮=安芸の国人領主吉川氏歴代の守護神 。もともと吉川氏の始祖 吉川経義が駿河国有度郡吉河邑の豪族であった頃 鶴岡八幡宮から勧請して八幡社を奉斎したものであった。
それを安芸国に勧請したもの。現広島県北広島町大朝にある龍山八幡宮の別名だと思われます。
また元宮は、吉川氏の故地 静岡市清水区狐ヶ崎駅近くに規模は縮小され「吉川八幡宮」として現存。戦災等で失われ昭和二十二年市民有志の寄付で再建されたようです。
関ヶ原後、由宇村に吉川広家公が初め入り駿河八幡宮を合祀して祀ってたものである。
現在由宇には「榊八幡宮」が現存しており江戸時代までは岩国領内二十八社の総鎮守とされていた 格式の高い御社だった。
神社の縁起にあるが飯尾宗祇(連歌師)と椎尾社(道中の安全を守る猿田彦神)との伝説も面白い。
万葉の古歌に詠まれた岩国山(磐国山)=ここの山を指すという説もあるし。欽明路峠(旧山陽道)あたりから岩國にかけての難所を指すととも言われる。
ちなみに、この神社のある山麓から岩国山へ登山ができる。初冬あたりに登れば落葉した木の葉を踏みながらのトトロの森などという人もあるくらい気持ちの良い尾根登りが良い。
車でも参拝可能 細い車道があるがすごい急坂です注意。駐車場はそこそこ広めです。歩いて上がる方が風情はある。宮司さんは多分常駐しておられるようなので朱印やお守りも授与していただきやすい。白崎八幡横の岩國護国神社も管理されています。
蛇足:南河内駅近くにも椎尾八幡がある(河内地区の鎮守)普段は市街地でない小山の上なので人がほぼいないけど。境内は広めで大草鞋と天狗像があった。社殿はなかなか良い感じでした。
防長あれこれ〜夕方の根笠の岩屋観音窟(入り口まで)と巨大水車でかまるくん 岩国市美川町根笠
国の天然記念物指定の根笠の岩屋観音窟。岩国市美川町の根笠。錦川に沿った地区で錦川清流線の根笠駅前から山の奥へ走るとある寺院。護聖寺がありその上に観音洞窟がある。
伝承では弘法大師が行脚中この地にて楠で観音様の木造を彫り安置したとも。
長い長い年月をへて鍾乳洞の石灰岩を含んだ水滴が浸透したことで奇跡的に石仏化したもので端正な顔をしておられる。今回で二回目前来た時は賑やかに蕎麦なんか出してましたね。
藩政時代毛利の殿様にこの奇跡的な観音像の話が伝わり寺が建立され毛利氏の祈願所とされたと言われます。
御盆時期に偵察にw 訪問した画像です。
今回は時間が遅いので大水車と岩屋の入り口までです(山深い寂しいとところなもんで)・・・ 山奥なんで市街地まで相当あるのでこのあといそいで・・帰りました。
愛称でかまるくんw 水車 相当大きいいよ。
令和二年広瀬の帰りにお盆中訪問
岩屋観音再訪=sm37537048
後日、御盆が明けて平日に再訪したので それはまたそのうち。洞窟自体は奥行きはない石段を登ると祭壇の空間があるくらいです天井が高い感じでした、
コメント拝見・・・なるほど 確かに音楽が邪魔かもね ありがとう参考にします。
波野 (Hano)河内神社(Kouchi jinjya)と境内社 楮祖神社(Choso jinjya) 初秋の山里
県道69号線沿いの岩国市本郷町波野地区の河内神社
境内社〜国内唯一の和紙の神様=楮祖神社
〜山代和紙は毛利藩の三白(塩、米、和紙)の一翼を担った重要産品でした
暦の上では秋なれど猛暑のなか、国道187へ接続する県道69号沿いの波野地区の河内神社と境内社楮祖(ちょそ)神社へ。今年2回目ですが季節や光天候が違うとまた雰囲気も変わる。
河内神社のカエデの紅葉が綺麗らしいのでまたみてみたいです。
河内神社境内にあり楮祖神社は日本で唯一の和紙の神様として祀られるので珍しい。普通の山間の素朴な神社なんですけどね。なんか味があります。大杉と楓の大木がある。
楮祖神社 所持の本 山口県の歴史散歩によると。
中内(ちゅうない)右馬允を祭神として祀る。河野氏の一族で永禄年間の山代地方に所領を持ち楮(こうぞ)栽培と和紙の製造広めさせた先駆者。この恩を徳として神社が創建された。
紙の神様で国内唯一。右馬允の墓所は裏山の木立の中にあるそうです。
春先と今回で都合三回目なんだけど 手持ちの山口県歴史散歩の書き込みを確認したら 平成九年に初め来た見たいでレンタカーでドライブした時かな 懐かしい。
8月猛暑の中にて
上田宗箇が贈った吉川広家愛用の「木兎の手水鉢」(複製)
吉川史料館門内にある 上田宗箇が送った吉川広家愛ようの 木兎の手水鉢(複製)なんですが、かわいいデザインが良いので、きたらいつも眺めて帰ります。
実物は吉川家墓所奥の 山裾にある広家公のお墓の前だそうです・・墓地の一番奥ですので行きませんでした見てみたいけど一人では・・・。
吉川史料館=吉川氏関係の文化財(文書、武具、美術品)などを保存公開している。近くに茶室もある。元は吉川公の隠居所だった。昌明門や長屋遺構は市の文化財。史料館前の堀には菖蒲園がある。
花菖蒲園鑑賞の時寄ったので。
吉香公園 吉香花菖蒲園(Kikko Hana syoubu en) 令和二年六月 岩国市
令和二年 吉香公園の花菖蒲再生期の頃の花模様
防長あれこれ <国指定天然記念物>根笠岩屋観音窟(石仏化した木造観音坐像) 岩国市美川町根笠
国指定の天然記念物の岩屋観音、水車「でかまるくん」がその下に作られている。
山深い根笠川を遡り、県道5号線沿いにある相当な山奥な感じの場所。少し手前に鉱山跡を利用した美川ムーバレーがありここは人が結構いる。
歴史は古く伝承では弘法大師がこの地へ錫杖を留めたとき木造観音を彫り出して岩屋の岩窟に安置した。その後長い年月で小さな鍾乳洞の岩窟からしたたる鍾乳石の滴が作用して石像となり今も信仰を集める観音様として祀られている。お酒を供えてあり参詣や祈願の方も多いんだろうなと思う。
石仏として彫ったとしか見えない御姿は大変端正であります。
岩窟前では冷気がが流れ出ていました涼しい。
寺は毛利綱広公がこの奇跡的な木造石仏の存在を知り山中にあった寺を移築して護聖寺として曹洞宗の寺を建立毛利藩の祈願所として保護したことから今に至る。
自然豊かな山深いところである。川、山。緑、水車、トンボなどが多いですね。
参道は急な石段なので注意ですよろけましたw 脇に緩やかな道もついてるみたいです。
参道の石段の小さな仁王様が長い年月でケース入りなんだけど朽ちてきているのがややこわいw
水車は相当な大きさで直径12mまあ珍しいです近くならいっちんも良いかも、涼しそう。今は寂れているみたいですが。
境内までの参道場面は撮らなかったんで前回訪問時のものを使ってます(字幕直してないんで16時過ぎになってますです^^; )
お盆明けの8月17日午後14時 再訪
防長あれこれ <山口県指定 名勝>寂地峡と五龍の滝自然観察(音声ガイド入) 岩国市錦町宇佐郷
山口県指定名勝 寂地峡(犬戻し峡谷と龍ヶ岳峡谷がある)メインの龍ヶ岳溪谷にある五龍の滝を見ることができる自然観察路B散策してきた。軽い登山である。
滝=下から龍尾〜登竜〜白竜〜龍門〜龍頭の滝の5つ。龍ヶ岳から宇佐川へとそそぐ寂地川沿いにある滝である。最後の滝は写真忘れた・・・(^^;;
山口県最高峰 ブナ林で有名な寂地山(1337m)に源を発する清流であり名水百選に選定されている。
合成音声によるガイドを少し入れてある。不具合修正
*近くの宇佐八幡、宇佐の大杉(杉の巨樹や大木がおおい)sm37546133
防長あれこれ <国指定天然記念物>根笠岩屋観音窟(石仏化した木造観音坐像) 岩国市美川町根笠 修正版
国指定の天然記念物の岩屋観音、大水車「でかまるくん」がその下に作られている。
山深い根笠川を遡り、県道5号線沿いにある(この道を走っていくと獺祭の蔵元のある周東町方面へ抜けるらしい)相当な山奥な感じの場所。少し手前に鉱山跡を利用した美川ムーバレーがありここは人が結構いる。
歴史は古く伝承では弘法大師がこの地へ錫杖を留めたとき木造観音を彫り出したと言われており、その観音像を岩屋の岩窟に安置した。その後長い年月で小さな鍾乳洞の岩窟からしたたる鍾乳石の滴が作用して石像となり今も信仰を集める観音様として祀られている。お酒を供えてあり参詣や祈願の方も多いんだろうなと思う。
石仏として彫ったとしか見えない御姿は大変端正であります。
岩窟前では冷気が流れ出ていました、涼しい。
寺は毛利綱広公がこの奇跡的な木造石仏の存在を知り山中にあった寺を移築して護聖寺として曹洞宗の寺を建立毛利藩の祈願所として保護したことから今に至る。
自然豊かな相当山深いところである。川、山。緑、水車、トンボなどが多いですね。
参道は急な石段なので注意ですよろけましたw 脇に緩やかな道もついてるみたいです。
紅葉の頃もう一回行きたいな
参道の石段の小さな仁王様が長い年月でケース入りなんだけど朽ちてきているのがややこわいw
水車は相当な大きさで直径12mまあ珍しいです近くなら涼みがてら行ってもも良いかも、涼しそう。今は寂れているみたいですが。
境内までの参道場面は撮らなかったんで前回訪問時のものを使ってます
基本前とほぼ一緒です 字幕や画像の一部を微修正
お盆明けの8月昼過ぎに 再訪
岩国市錦町宇佐にある「寂地峡」と滝=sm37527628
岩国市錦町 宇佐郷 平安末期勧請 宇佐八幡宮と宇佐の大杉群(県 天然記念物)令和二年訪問
岩国市錦町宇佐にあるこの地の鎮守社。寂地峡近くにある神社で、自然観察路Aコースはここが入っている。この日は山間部は曇ったり晴れたりの天気。
由 緒
天仁元年1186年 鳥羽天皇の御代 この地の住人 常国太郎左衛門が豊前国宇佐八幡より勧請した。
神社で二度の遷座して花園天皇の頃び現在地に鎮座する。
神殿は江戸時代弘化年間 再建。
錦町(現岩国市重要文化財指定)室町時代の南蛮鉄灯篭も破損しているが神殿横に保存されています。
参拝は多分3回目くらい。
宇佐の大杉巨樹群=樹齢900年と推定される境内前の巨樹(樹高60m周囲7.5m)ほか大木が多くある。正和元年1312年この場所へ遷座した頃すでに大杉があったと言います。周囲は鬱蒼とした杉林である。山口県指定天然記念物。
宇佐の南蛮鉄灯篭=室町初期に藤原朝臣安信が鋳造したもので永享9年寄進されたもの。災害にて土中にあったものを掘り出したので破損しており笠部分と中台 基礎のみ残る。
県重要有形文化財。
宇佐郷へ行くには国道434号線を辿る
1 国道186号線で登り冠高原から松の木峠を下る。道はまあいいがカーブが多い。
2 国道187号線を走りR434へ入り宇佐川沿いを行く(今バイパス建設中のようでしたが、現在はすごい谷沿いの酷道的な箇所があるので車両に制限がある)大型車用の迂回路もあるみたいでしたが・・・。
寂地峡、五竜の滝=sm37527628
岩国城下 庭園風な紅葉谷公園の紅葉のひとコマ(夕方の景)
岩国藩の館や武家屋敷があったエリアは旧制岩国中学などに利用された後、吉香公園となっている。四季折々の花や広場、神社、寺院などがある憩いの場所。
その西側にある紅葉谷公園。江戸期までは10あまりの寺院があったと言われ現在は大内氏建立の 古刹永興寺と吉川氏の菩提寺洞泉寺(安芸の国から移転した)のみのこる。
寺院跡を利用しているため庭園風な風情がよく、また紅葉も見事である。
吉川氏の祈願書 味波線の帰りに寄ったので夕方になりやや薄暗い。
令和元年晩秋の風景記録。