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バッハ:カンタータ第90番「怖ろしき終わり汝らを引きさらう」BWV90
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=sTGJR3hpC-8)。
バッハのカンタータ「怖ろしき終わり汝らを引きさらう」BWV90は1723年、この年の三位一体節後第25日曜日である11月14日に初演されました。1723年の教会暦において初演された新作カンタータの中では、本作は最後の作品にあたります。当日の福音書章句では終末の預言が語られていることから、前半は罪深い者に訪れる裁きと破滅、後半は信心深い者が神によって救われるという筋立てになっています。
音楽様式としては、アリアとレチタティーヴォが2曲ずつとコラールから成る全5曲の小規模な作品となっています。編成も小規模で室内楽的なものとなっていますが、実は自筆譜には楽器編成の指定がなく、トランペットのパートは作曲当時(18世紀)の出版カタログ、音域・音型・内容からトランペットと想定されて演奏されます。
また、この頃のバッハのカンタータ(BWV60、89など)は終曲のコラール以外には合唱を含まないものが多く、本作もそういった作品の1つとなっています。
ジョアン・ラン(ソプラノ)
ウィリアム・タワーズ(カウンターテナー)
ジェイムス・ギルクリスト(テノール)
ピーター・ハーヴェイ(バス)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
モンテヴェルディ合唱団
バッハ:カンタータ第95番「キリストこそ わが生命」BWV95
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=sZ7R43p9SyI)。
バッハのカンタータ「キリストこそ わが生命」BWV95は、1723年の三位一体節後第16日曜日である9月12日に初演されました。
この日の礼拝ではルカ福音書から、一人息子を失って嘆き悲しむ母を哀れに思ったイエスが、棺に手を当てて「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言うと、棺の中の息子が蘇ってものを言うようになり、人々は恐れととともに神を賛美した、という逸話が語られました。この内容にちなんで、本作は「喜びをもって死におもむく」「死は苦しみの終わり」という風に死を美しく歌い上げる内容に満ちており、その理由として終曲で「死は滅びでなく復活の先触れ」という内容のコラールが歌われます。
音楽的には「キリストこそ わが生命」「平和と歓喜もてわれはゆかん」など、死をテーマとするコラールが4曲引用されるという異例の構成になっています。
ドロテー・ミールズ(ソプラノ)
ハンス・イェルク・マンメル(テノール)
トーマス・バウアー(バス)
フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮
コレギウム・ヴォカーレ・ヘント
バッハ:カンタータ第105番「主よ、汝の下僕の審きにかかずらいたもうなかれ」BWV105
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=EMBdIdO21H8)。
バッハのカンタータ「主よ、汝の下僕の審きにかかずらいたもうなかれ(主よ、とがめたもうな)」BWV105は1723年に作曲され、三位一体節後第 9日曜日である7月25日に初演されました。
この日の福音章句はルカによる福音書から「不正を行った財産の管理人を主人が赦す」という逸話ですが、これについてバッハは本作で、主人の罰を恐れる管理人の様子を主の怒りを恐れる罪人の様子に見立てています。全6曲のうち、前半は管理人が不安におののく様子を描写し、後半では罪が赦されて、神の信仰により不安が解消されるという筋立てになっています。
作品中で歌われる歌詞の内容が不正を働いた管理人を赦すという内容のため、神が不正を勧めているように受け取って難色を示す聴き手がいる一方で、音楽的には合唱による前奏曲とフーガといった形の第1曲からバッハが力を入れて作曲したことがわかり、彼がライプツィヒに着任した初年度に発表されたカンタータの中でも、評価が高い作品となっています。
エディット・マティス(ソプラノ)
ユリア・ハマリ(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)
カール・リヒター指揮
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
ミュンヘン・バッハ合唱団
バッハ:カンタータ第106番「神の時こそいと良き時(哀悼行事)」BWV106
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=2i5O923PzeQ)。
バッハが1707~08年頃に作曲したと推測されているカンタータ「神の時こそいと良き時」BWV106は、残された最古の筆写譜に「Actus Tragicus(哀悼行事)」の題名が付けられており、それが本作の通称となっています。作曲された経緯は不明ですが、曲の内容から特定の人物の葬儀で演奏するのが目的だったのはほぼ確実で、一説には1708年9月13日に行われたミュールハウゼンの前市長アードルフ・シュトレッカーの葬儀で演奏されたと考えられています。
全4曲の内容は死への本能的な恐れが神によって昇華され、死は安息を与える「神の時」であり、「いと良き時」であると歌われます。この作品はバッハのカンタータとしては初期の作品ですが、19世紀からかなりの人気があり、後のコラール・カンタータの様式に則っていないにもかかわらず、バッハの名作カンタータの1つとされています。
Els Bongers(ソプラノ)
エリーザベト・フォン・マグヌス(アルト)
ロタール・オディニウス(テノール)
クラウス・メルテンス(バス)
トン・コープマン指揮
アムステルダム・バロック管弦楽団
バッハ:カンタータ第109番「われ信ず、尊き主よ、信仰なきわれを助けたまえ」BWV109
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=SgHtwSyxMsU)。
1723年、バッハのカンタータ「われ信ず、尊き主よ、信仰なきわれを助けたまえ」BWV109は三位一体節後第21日曜日である10月17日に初演されました。
この日の福音書章句は「堅く信仰をもつ者は救われる」という内容であり、本作もその内容に沿って、冒頭の合唱から「信仰」と「不信心」が対立し、前半は不信心が優勢なものの、後半はイエスの奇蹟によって信仰が優勢となり、終曲で「神は信仰を持つものすべてを助けたもう」と歌われます。
音楽様式としては、全6曲のうち第1曲と終曲に優れた合唱が配置され、1723年に初演されたカンタータの中では演奏規模が大きい部類に入る力作といえます。
ダミアン・ギヨン(アルト)
トーマス・ホッブズ(テノール)
フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮
コレギウム・ヴォカーレ・ゲント
コレギウム・ヴォカーレ・ゲント合唱団
バッハ:カンタータ第113番「主イエス・キリスト、汝こよなき宝」BWV113
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=KcosBkNGjPI)。
バッハのカンタータ「主イエス・キリスト、汝こよなき宝」BWV113は1724年、この年の三位一体後第11主日にあたる8月20日に初演されました。
この日の福音書章句はルカによる福音書から「ファリサイ派の人と徴税人」のたとえが取り上げられています。これは、自分を誇示するファリサイ派の人よりも、自らを罪人として憐れみを乞う徴税人が正しく「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」という話で、罪を自覚し悔い改めることによって義とされるという内容になっています。本作の歌詞もこの内容に沿って「自分の心の苦しみや悲しみがイエスの言葉による救いによって癒される」という意味合いが歌われています。
音楽様式としては、ドイツのルター派神学者バルトロメウス・リングヴァルト(1532 - 1599)の作詞によるコラール「主イエス・キリスト、汝こよなき宝」の旋律や歌詞が全8曲の随所で引用されており、コラールとの結びつきが強いカンタータとなっています。なお、このコラールはカンタータ131番「主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ」でも使われています。
マグダレーナ・コジェナー(ソプラノ)
ウィリアム・タワーズ(アルト)
マーク・パドモア(テノール)
シュテファン・ローゲス(バス)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
モンテヴェルディ合唱団
バッハ:カンタータ第119番「エルサレムよ、主を讃えよ」BWV119
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=aJAOE3d_YpI)。
バッハのカンタータ「エルサレムよ、主を讃えよ」BWV119は、1723年のライプツィヒ市参事会交代式のために作曲され、交代式が行われた8月30日に初演されました。
当時のドイツにおいては市参事会交代式は教会で行われることが多く、そのために祝祭的なカンタータを演奏することが多かったといわれ、バッハ自身も1708年にミュールハウゼン市参事会交代式のため「神はいにしえよりわが王なり」BWV 71を作曲した経験がありました。
この手のカンタータは市参事会の支援があるために恵まれた条件で作曲できる一方で、作品の内容は為政者を讃える祝祭的な要素が強まって、紋切り型の作品になることが普通でした。それはこの作品も同様で、全9曲の随所に「為政者は神の似姿」といった美辞麗句が並んでいます。その代わり、作品は祝祭演奏用のため大規模な編成で明るく楽しい曲想に満ちており、特に深刻になることなく聴けるようになっています。
ミリアム・フォイアージンガー(ソプラノ)
アレックス・ポッター(アルト)
トマス・ホッブズ(テノール)
ペーター・コーイ(バス)
ペーター・ダイクストラ指揮
オランダバッハ協会管弦楽団
オランダバッハ協会合唱団
バッハ:カンタータ第126番「主よ、みことばもて我らを守りたまえ」BWV126
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=qE_ge6_-8W0)。
バッハのカンタータ「主よ、みことばもて我らを守りたまえ」BWV126は1725年に作曲され、
この年の復活祭前第8主日である2月4日に初演されました。
この日は聖句としてルカによる福音書から「種を蒔く人」のたとえが述べられました。この話
では神の言葉を「種」に例え、良い土地に蒔かれた種が豊かな実りをもたらすように、神の教
えを良く聞く者は豊かな人生を送るとイエスが説いたとされています。この聖句に基づき、本
作では題名の通り「みことばもて我らを守りたまえ」という風に、神の言葉を信じるべきとい
う歌詞が歌われます。
音楽上の様式としては全6曲で構成され、第1曲でルターのコラール「みことばもて我らを守り
たまえ」が、第6曲でルターのコラール「平安を与えたまえ」が歌われており、コラールで始
まりコラールで終わるという典型的なバッハのコラール・カンタータの様式となっています。
カルメラ・コンラート(ソプラノ)
Ulrike Andersen(アルト)
レミー・バーネンス(テノール)
Samuel Zünd(バス)
Bernhard Hunziker指揮
バッハ・コレギウム・チューリッヒ
バッハ:カンタータ第131番「主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ」BWV131
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=2Xd5vY6NM80)。
1707年、21歳のバッハはミュールハウゼンにある聖ブラジウス教会のオルガン奏者募集に応募し、
試験演奏で見事な腕前を示して就任することとなりました。しかし、彼が就任する直前の5月末に
ミュールハウゼンで大火が発生し、聖ブラジウス教会周辺も被災してしまいます。そして7月ごろ、
ミュールハウゼンにあるもう1つの教会である聖マリーア教会の牧師は、大火後の悔い改めの礼拝
に演奏するためのカンタータの作曲をバッハに依頼しました。カンタータ「主よ、深き淵よりわれ
汝を呼ぶ」BWV131は作曲・初演がいつごろなのかを示す資料が残っていない作品ですが、おそら
くこの依頼に応じて作曲され、1707年中に初演されたと考えられており、この作品の作曲・初演
によって、バッハはミュールハウゼンでの音楽活動を始めたと思われます。
本作の歌詞は詩篇第130篇をルターがドイツ語に翻訳したものが使われ、嘆きの底から希望の新生
を歌うものとなっています。音楽様式としては、同時期に作曲されたと思われるカンタータ「神の
時こそいと良き時」BWV106と類似していますが、BWV106が全4曲なのに対して本作は全5曲で、
合唱曲とアリア・コラールが交互に演奏される構成となっています。
また、作品中のルターによるコラールは後に「深き悩みの淵より、われ汝に呼ばわる」BWV38で
も使用されています。
ロタール・オディニウス(テノール)
クラウス・メルテンス(バス)
トン・コープマン指揮
アムステルダム・バロック管弦楽団
アムステルダム・バロック合唱団
バッハ:カンタータ第132番「道を備え、大路を備えよ」BWV132
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=tRA6Q1HBnFA)。
バッハのカンタータ「道を備え、大路を備えよ」BWV132は1715年に作曲され、
同年の待降節第4日曜日である12月22日にヴァイマルで初演されました。
「待降節(Advent)」はイエス・キリストの降誕を待ち望む期間のことで、儀
式の上ではクリスマスを準備する期間となります。この時期に披露された本作
は、洗礼者ヨハネの記事に基づき、間近に迫った救世主の降臨を準備する意味
が歌詞で歌われます。
音楽構成には小編成の室内楽と独唱が中心となる全6曲の小規模な作品で、合唱
も終曲(第6曲)のみとなっていますが、現存する資料には終曲の楽譜がないた
め、同じ歌詞によるBWV164の終結コラールを演奏するのが習慣となっています。
なお、後にバッハはライプツィヒに赴任しますが、そこでは待降節期間中は第1
日曜日以外にカンタータは演奏されなかったため、第4日曜日のために作曲され
た本作はバッハの生前には再演されることはありませんでした。
カール・リヒター指揮
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
【SynthVクラシック】 なんてコーヒーは美味しいのだろう (Ei wie schmeckt der Coffee süße) / J.S.バッハ【Eleanor Forte AI】
(ドイツ語の曲は)初投稿です。
J.S.バッハはライプツィヒのトーマスカントルとして毎週カンタータを作曲し演奏する傍ら、学生のアマチュア音楽団体コレギウム・ムジクムを指導し、コーヒーハウス「カフェ・ツィマーマン」で演奏会を催す生活をしていました。この「お喋りはやめて、お静かに」BWV.211、通称コーヒー・カンタータもコーヒーハウスで演奏するために作曲されたと考えられています。
筋書きは以下のようになっています。
老人シュレドリアンは娘リースフェンがコーヒーを飲むのが気に入りません。娘を呼び出しコーヒーをやめるように言うのですが、「コーヒーが無かったら干からびてしまう」と言ってリースフェンが歌うのがこのアリア。シュレドリアンはコーヒー狂いの娘に激怒し、コーヒーをやめない限り嫁には出さないと言います。娘はそれならコーヒーはやめるから、今すぐ婿を探すようシュレドリアンに頼み込む……のですが、すぐこう周りに言いふらしたのでした。好きな時にコーヒーを飲ましてくれる人でないと、結婚はしないと。
コミック・オペラ風の筋書きを持つこの曲ですが、バッハのユーモアのある一面が見られる珍しい作品となっています。
ドイツ語の発音が正しいのかは自信がないのですが、楽しんでいただけたら幸いです。
"Schweigt stille, plaudert nicht", BWV 211より"Ei wie schmeckt der Coffee süße"
曲: Johann Sebastian Bach (1685-1750)
歌詞:Picander (Christian Friedrich Henrici) (1700-1764)
日本語訳:やしろ
声: Eleanor Forte AI (Synthesizer V)
synthVのアップデートでエレノアさんの声質も変わったので、どう活かすか苦戦中です。(この曲は以前のバージョン103で歌ってもらっています)
バッハ:カンタータ第136番「神よ、願わくばわれを探りて」BWV136
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=aGbPXyu5F28)。
バッハのカンタータ「神よ、願わくばわれを探りて」BWV136は1723年、この年の
三位一体節後第 8日曜日である7月18日に初演されました。この日はマタイによる
福音書から、イエスが「偽預言者に注意しなさい」と説いた逸話が章句に選ばれて
おり、全6曲からなる本作もその逸話に沿って「偽預言者のみならず全ての人は原
罪を背負っていて不浄であるが、イエスの傷や血潮によって原罪はあがなわれた。
イエスの血潮は清浄である」といった内容の歌詞が歌われます。
音楽様式としては簡素ですが、合唱曲に始まり、アリアとレチタティーヴォを挟ん
で、終曲をコラールで締めくくるという、典型的なバッハのコラール・カンタータ
です。また本作は1723年の初演ですが、それ以前に作曲された別作品から曲が転用
された可能性が、残された資料から指摘されています。
なお第1曲は緻密な合唱フーガとなっており、この曲は後にミサ曲 イ長調 BWV234
の終曲「Cum Sncto Spiritu」にも使われています。
マルクス・フォルスター(アルト)
ヨハネス・カレシュケ(テノール)
エッケハルト・アベーレ(バス)
ルドルフ・ルッツ指揮
バッハ財団管弦楽団
バッハ財団合唱団
バッハ:カンタータ第138番「汝なにゆえにうなだるるや、わが心よ」BWV138
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=ProeL6tKzxw)。
バッハのカンタータ「汝なにゆえにうなだるるや、わが心よ」BWV138は1723年、
三位一体節後第15日曜日である9月5日に初演されました。この日はマタイによる福
音書から「日々の思い悩みは無益であり、天の父のなさることを常に信頼せよ」と
いった説教がなされており、本作もその内容に沿った作者不詳のコラール「汝なに
ゆえにうなだるるや、わが心よ」が引用されています。
音楽様式としては、全7曲のうち第1、3、7曲でコラールが引用され、特に第1、3曲
ではコラールを歌う合唱とソロのレシタティーヴォを組み合わせており、翌年以降
にバッハが量産するコラール・カンタータの様式を先取りする実験がなされたと評
価されています。
なお第5曲のバスのアリアは、後にミサ曲 ト長調 BWV236の第3曲「Gratias」に転
用されました。
ジギスヴァルト・クイケン指揮
ラ・プティット・バンド
バッハ:カンタータ第140番「目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声」BWV140
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=DqZE54i-muE)。
バッハのコラール・カンタータの中でも高く評価される「目覚めよと、われらに呼ばわる
物見らの声」BWV140は1731年に作曲され、この年の三位一体主日後第27主日である11月
25日に初演されました。
三位一体主日後第27主日、つまり三位一体主日より27番目の日曜日は暦の関係で復活節が
3月26日以前に繰り上がった年にしか現れません。バッハがライプツィヒにいたころにこの
祝日が存在した年は1731年と1742年の2回だけで、1723年に着任してから8年後の1731年
に、ようやくバッハはこの祝日にちなんだカンタータを作曲することとなりました。
この日はマタイによる福音書から、花婿の到着を待つ花嫁のたとえにより、神の国の到来
はいつ来るかわからないので常に備えるよう説く逸話が章句となっており、本作もこの章
句に沿って、真夜中に物見らの声を先導として到着したイエスが、待ちこがれる魂との喜
ばしい婚姻へと至る情景を描いたものとなっています。
音楽様式としては、全7曲からなる本作の基礎として、フィリップ・ニコライのコラールが
第1曲、第4曲、第7曲に用いられており、特に第4曲のテノールによるコラールは、後にオ
ルガン独奏用に編曲されて「シューブラー・コラール集」の第1曲に取り入れられ、単独の
オルガン曲としても有名になっています。
マリア・ケオハナ(ソプラノ)
ティム・ミード(アルト)
ダニエル・ヨハンセン(テノール)
マシュー・ブルック(バス)
ヨス・ファン・フェルトホーフェン指揮
オランダ・バッハ協会管弦楽団
オランダ・バッハ協会合唱団
バッハ:カンタータ第143番「わが魂よ、主を頌め讃えよ」BWV143(偽作?)
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=IAkxGNY1hI8)。
バッハ作のカンタータとされる「わが魂よ、主を頌め讃えよ」BWV143は、バッハの死後の
筆写譜でしか遺されておらず、正確な作曲時期も不明です。歌詞の内容は新年を祝うもので
あることから新年用のカンタータと推測されます。
全7曲からなる本作はホルンとティンパニが派手に活躍して、晴れやかで明るい雰囲気がある
一方、合唱の扱いは単純で、バッハ作品特有の転調や複雑な和声や凝った対位法の部分がな
いため、ごく初期の作品と推測する意見があるほか、偽作とする説もあります。
ロジャー・セリシウス(ソプラノ)
クルト・エクヴィルツ(テノール)
マックス・ファン・エグモント(バス)
グスタフ・レオンハルト指揮
コレギウム・ヴォカーレ・ヘント
レオンハルト・コンソート
ハノーヴァー少年合唱団
バッハ:カンタータ第144番「おのがものを取りて、行け」BWV144
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=V_v7PUC7Dxs)。
カンタータ「おのがものを取りて、行け」BWV144は1724年にバッハが作曲し、同年2月6日
の七旬節の礼拝において初演されました。
この日の礼拝ではマタイ福音書から「葡萄畑の労働者の喩え」が述べられました。これは、葡
萄畑で一日中働いた者と、日暮れ前に呼び寄せた者に、主人が等しい日当を支払ったため労働
者が不平を言い、これに対して主人は彼との契約を守りつつ、僅かでも働いてくれた者にも等
しく報いたいと願ったことを打ち明け、その嫉妬心を厳しく諌めたという話で、カンタータは
この話に沿って「神の真意を信じて信仰を貫きなさい」といった歌詞が歌われます。
音楽様式としては、オーボエ2本と弦楽器・通奏低音という必要最小限の編成により、1724年
のバッハのカンタータの中では、極めて地味な伴奏が付いた小規模な作品となっています。
このことから本作の演奏機会は多くないうえ、作風がバッハらしからぬという理由で一時は偽
作説が唱えられるほどで、それほど評価が高くありません。なお、本作はバッハの自筆による
総譜が遺されており、現在ではバッハの真作とする意見が優勢になっています。
アンスガル・プファイファー(ソプラノ)
ポール・エスウッド(アルト)
クルト・エクヴィルツ(テノール)
グスタフ・レオンハルト指揮
コレギウム・ヴォカーレ・ヘント
レオンハルト・コンソート
ハノーヴァー少年合唱団
バッハ:カンタータ第148番「その御名にふさわしき栄光を」BWV148
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=C44qiMunmRI)。
バッハのカンタータ「その御名にふさわしき栄光を」BWV148は自筆譜が遺されておらず、最も
古い楽譜が18世紀後半の筆写譜であるため、正確な作曲年代はわかっていません。ただ、本作の
歌詞の内容が三位一体節後第17日曜日の福音章句に対応しており、この日に初演される目的で作
曲されたことはほぼ確実と見られています。また、歌詞の語句が1725年に出版された台本に基づ
くことから、バッハがライプツィヒに着任した後の1723年か1725年の該当祝日に演奏するために
作曲された(1724年の該当祝日はBWV114が演奏されたため除外)と推測されます。
当日の福音章句は安息日に病人を癒し、形式にこだわるファリサイ派を非難するイエスを描いた
ものですが、本作の歌詞は「安息日」「安らぎの場所」というような表象をあれこれ取り上げつ
つ、「最後の時には神の大いなる安息日の宴席に招かれたい」といった、単純に安息日を讃える
内容になっています。
全6曲のうち、冒頭曲はトランペットがリードする、喜びに満ちた合唱曲で、その後はテノールと
アルトによるアリアとレチタティーヴォが交互に続きます。終曲のコラールは歌詞の指定があり
ませんが、これは筆写譜の不備によるもので、新バッハ全集では作者不詳のコラール「私の愛し
い神に」の第6節が指定されています。
ポール・エスウッド(アルト)
クルト・エクウィルツ(テノール)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
テルツ少年合唱団
バッハ:カンタータ第152番「出で立て、信仰の道に」BWV152
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=p7h3NlIAVVo)。
バッハのカンタータ「出で立て、信仰の道に」BWV152は1714年に作曲され、同年の降誕節後
第1日曜日にあたる12月30日に初演されました。
本作の歌詞の中心には「石(Stein)」という単語が置かれています。これは「隅のかしら石」
「つまずきの石」というキリスト教の教えに基づき、救い主は神がこの世に置いた「石」であ
るとして、それに依り頼む者にとっては動かぬ基礎となるが、逆に信仰の無い者はそれに躓く
と説き、それに躓かないように正しく信仰の礎とするようにと歌っていきます。
音楽様式としては、本作には後のコラール・カンタータのような合唱がなく、アリアとレチタ
ティーヴォだけでできている室内楽カンタータで、ヴァイマル時代の作品に特徴的な器楽合奏
曲が冒頭に置かれています。これは初演日がクリスマスという大規模な催しが終わった直後で、
祝祭的な気分が収まってきた頃に、居住まいを正して改めて神と向き合うという意図で構成さ
れているためと思われます。
Christoph Wegmann(ソプラノ)
トーマス・ハンプトン(バス)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
テルツ少年合唱団
バッハ:カンタータ第153番「見たまえ、御神、いかにわが敵ども」BWV153
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=TuAqhuHl0so)。
バッハのカンタータ「見たまえ、御神、いかにわが敵ども」BWV153は、1723年末~1724年
1月初旬にかけてのクリスマスシーズンに初演されたカンタータの1つで、1724年1月2日(新
年後第1日曜日)に初演されました。
本作は合唱が単純な4声コラール3曲のみ、伴奏も弦三部と通奏低音のみ、管楽器やソプラノ
はなしという簡素な構成で演奏されます。これは、年末年始のクリスマスシーズンにバッハ
が新作カンタータを次々に初演したため、トマス教会合唱団と管楽器奏者の疲労が蓄積する
ことを考慮し、団員を休ませるためにあえて少人数で演奏可能な曲を作曲したとされていま
す。
この日の福音書章句はマタイによる福音書から、ヘロデ王がベツレヘム周辺で2歳以下の男の
子を虐殺させた話がとりあげられていることから、本作の歌詞にはクリスマスや新年の祝賀
気分はなく、ヘロデによる嬰児虐殺の場面から、キリスト教徒が耐えるべき試練について歌
われます。
Stefan Rampf(アルト)
クルト・エクウィルツ(テノール)
トーマス・ハンプソン(バス)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
テルツ少年合唱団
バッハ:カンタータ第154番「いと尊きわがイエスは見失われぬ」BWV154
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=-NyKKhEqPcs)。
1724年1月9日(顕現祭後第1日曜日)、バッハのカンタータ「いと尊きわがイエスは見失われぬ」
BWV154が初演されました。この日の礼拝では、ルカ福音書から「12歳のイエスがエルサレムに詣
でた際に両親とはぐれ、両親は八方手を尽くしてイエスを捜し、神殿で学者と問答しているイエス
を発見する。両親はイエスを叱責するが『父(である神)の傍らに子がいることがなぜ分からない
のですか』とイエスは反論する」という福音書章句が選ばれました。本作の歌詞はこの逸話から、
信仰の拠り所となるイエスを失った人間の不安と再び見いだし得たことの喜びを歌い、最後に「も
う離すことはない」と誓いを述べる内容になっています。
音楽様式においては、新年が明けた直後で参加する団員が少ない時期の演奏であることをバッハが
考慮して、曲数は全8曲と多いものの1曲の演奏時間は短いうえに独唱者主導で歌詞が歌われ、伴奏
もオーボエ・ダモーレ2本と弦楽器・通奏低音およびチェンバロという小規模な編成になっており、
バッハのカンタータの中では全体的に地味な作品といえます。
アン・マレイ(アルト)
アルド・バルディン(テノール)
ヴァルター・ヘルトヴァイン(バス)
ヘルムート・リリング指揮
シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム
バッハ:カンタータ第155番「わが神よ、いつまで、ああいつまでか」BWV155
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=5uKjvD6FZNo)。
バッハのカンタータ「わが神よ、いつまで、ああいつまでか」BWV155は1716年、この年の顕現節
後第2日曜日にあたる1月19日に初演されました。この日の福音書章句は「酒がなくなって困ってい
るところに奇蹟により水がワインに変わって事なきを得た」というもので、この逸話に基づいて、
歌詞では果てしない苦悩から、やがて苦悩が終わる時への希望、やがて重荷がおろされ、神の元に
飛び込んでゆく喜びといった物語が歌われています。
音楽様式としては、レシタティーヴォとアリアが交互に2曲ずつ、そしてコラールの全5曲からなる
簡素なものですが、第2曲のアルトとテノールのデュエットによるアリアではファゴットに難しいソ
ロパート(通常の現代楽器では出せない低い音を含む)を吹かせるなど、カンタータに新風を呼び
込もうとするバッハの意欲的な試みがうかがえ、バッハのカンタータを研究するうえで注目すべき
作品となっています。
ユリア・ノイマン(ソプラノ)
マーゴット・オイツィンガー(アルト)
ユリウス・プファイファー(テノール)
ラファエル・ユート(バス)
ルドルフ・ルッツ指揮
バッハ財団管弦楽団
バッハ:カンタータ第162番「ああ、いまわれ婚筵に行かんとして」BWV162
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=VYHiET4VSO0)。
バッハのカンタータ「ああ、いまわれ婚筵に行かんとして」BWV162は1716年、この年の三位一体
節後第20日曜日である10月25日に初演されました。
初演日に取り上げられた福音書章句はマタイによる福音書から「天国は、ある王が王子のために婚
宴を催したのに似ている」という婚儀の例えであり、その時に初演された本作の歌詞は全体を通し
て「神の国の宴」について触れ、「神の婚宴にふさわしい信仰を身につけるべき」と歌われます。
音楽様式としては、バッハがヴァイマルでザクセン=ヴァイマル公の宮廷オルガン奏者・楽師長の
地位にあったときの作品で、全5曲という構成や室内楽的な編成、それに合唱が終曲のみと、ヴァ
イマル時代の他のバッハのカンタータと同様に簡素な作りとなっています。
トビアス・ヴァイヴァンガー(ソプラノ)
ポール・エスウッド(アルト)
クルト・エクヴィルツ(テノール)
ロベルト・ホル(バス)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
テルツ少年合唱団
バッハ:カンタータ第163番「各々に各々のものを」BWV163
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=1v3qC_FdzYI)。
バッハのカンタータ「各々に各々のものを」BWV163は1715年、この年の三位一体節後第23日曜日である
11月24日に初演されました。
初演に先立つ8月1日、バッハの主君ワイマール公の甥でヨハン・エルンスト公子が病没し、この服喪期間
中はカンタータの演奏が休止されていました。本作は、公子の服喪が明けた直後に初演されたものです。
ヨハン・エルンストはバッハの教育もあって、若くして音楽の才に恵まれていましたが、19歳の若さでこ
の世を去りました。この日の福音書章句はファリサイ派の悪意ある質問をかわすイエスの答え、いわゆる
「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」で、それにちなんで本作の歌詞は「病没した公子が神
のもとに帰った」という意味を持たせていると推測されます。
音楽様式としては、合唱は最後にだけ使われており、全6曲の小規模なカンタータです。しかしながら各曲
には明確な特徴があり、内容が充実している若いバッハの実験的作品といえます。
アーリーン・オジェー(ソプラノ)
ヘレン・ワッツ(アルト)
アダルベルト・クラウス(テノール)
ニクラウス・トゥーラー(バス)
ヘルムート・リリング指揮
シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム
シュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊
バッハ:カンタータ第165番「おお 聖なる霊と水の洗礼よ」BWV165
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=SqNVIF2Lkgo)。
バッハのカンタータ「おお 聖なる霊と水の洗礼よ」BWV165は1715年の作品で、この年の三位一体節で
ある6月16日に初演されたと推測されています。
この日の福音書章句はヨハネによる福音書から、ファリサイ派で最高法院の議員であったニコデモがイエ
スと神の国について問答をしたことが取り上げられており、本作の歌詞もその内容に沿って「水と霊によ
って生まれなければ、神の国に入ることはできない」、つまり曲名にもある「洗礼」を主題にしており、
全体的な内容としては、古い罪深い自分が死んで、新しい自分が生まれるという、苦しみと喜びについて
歌われています。
音楽様式としては、この頃のヴァイマルでのバッハのカンタータに見られる、独唱と室内楽的な伴奏で構
成される小規模な様式で構成されていますが、全6曲が多彩な様式で作曲されており、演奏規模が小規模
ながら単調さを感じないよう工夫がなされています。
マリー・ルイーゼ・ヴェルネブルク(ソプラノ)
エルヴィラ・ビル(アルト)
コリン・バルザー(テノール)
ドミニク・ヴェルナー(バス)
ルドルフ・ルッツ指揮
バッハ財団管弦楽団
バッハ財団合唱団
バッハ:カンタータ第167番「もろびとよ、神の愛を讃えまつれ」BWV167
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=DkV31HKNtrM)。
バッハのカンタータ「もろびとよ、神の愛を讃えまつれ」BWV167は1723年、洗礼者ヨハネの祝日である
6月24日に初演されました。本作は初演された1723年に作曲されたと考えられていますが、その4日前には
カンタータ「飾りなき心ぞ」BWV24が初演されており、間を置かずに新作カンタータが連続して初演され
ていることから、実際には以前から前もって作曲されていたのではないか、とする説もあります。
初演日は洗礼者ヨハネの誕生を祝う日であり、本作の歌詞もヨハネの誕生を祝うものとなっています。
音楽的には、曲数こそ全5曲と少なめであるものの、第1曲と第3曲のアリアが長大で、全曲の演奏時間も約
17分と中規模カンタータに匹敵しています。また、終曲のコラールはバッハが好んで編曲したもので、モテ
ット(BWV225、BWV231)やカンタータ(BWV17、BWV51など)でも重要な役割を果たしています。
ヘルムート・ヴィッテク(ソプラノ テルツ少年合唱団所属)
Panajotis Iconomou(アルト テルツ少年合唱団所属)
クルト・エクヴィルツ(テノール)
ロベルト・ホル(バス)
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
テルツ少年合唱団
バッハ:カンタータ第170番「満ち足れる安らい、嬉しき魂の悦びよ」BWV170
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=aFYOAivmezI)。
バッハのカンタータ「満ち足れる安らい、嬉しき魂の悦びよ」BWV170は1726年に作曲され、この年の
三位一体節後第 6日曜日である7月28日に初演されました。この日の福音書章句はマタイによる福音書か
ら「自らの義を誇り、神の国の義に従わない者は天国へ入ることができない」「誰かに対して腹を立てる
ならば、それは殺人と同じであって地獄に投げ込まれる」といったものですが、本作の歌詞は「この世は
苦しみに満ちているが、信心深い者は死後に天国で安息を得る」という風な筋立てになっています。
音楽的には、本作はアリア独唱のためのカンタータで、全5曲という曲数は少なく感じますが、1曲当たり
の時間が比較的長く、全曲の演奏時間は20分強と、中規模のカンタータといえます。作品の前半はこの世
の苦しみを、後半で天国の安らぎを表したものになっています。
アーフィエ・ヘイニス(アルト)
シモン・ゴールドベルク指揮
ネーデルラント室内管弦楽団
バッハ:カンタータ第172番「鳴りひびけ、汝らの歌声」BWV172
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=OVpkgUL_1YY)。
1714年、この年の聖霊降臨節第1日である5月20日に初演されたカンタータ「鳴りひびけ、汝らの歌声」
BWV172は、バッハがヴァイマルの楽師長に就任してから作曲した、3作目のカンタータになります。
聖霊降臨祭(ペンテコステ)とは、イエスの復活・昇天後、集まって祈っていた120人の信徒たちの上に、
神からの聖霊が降ったという出来事で、これにより自らの信仰に確信を得た信徒たちは周囲の迫害に恐れ
ることなく布教を行い、多くの人が洗礼を受けて信者が急速に拡大したとされています。
このカンタータはそういった故事にちなんで、父(神)と子(イエス・キリスト)と聖霊が一体であると
する「三位一体」を讃える構成になっており、歌詞だけでなく「3」という数字が随所に現れています。
例えば第1曲や第3曲では「3」本のトランペットが「3」和音で奏されるほか、第1曲は「3」拍子、第3曲
は「3」部形式となっています。
また、バッハの初期カンタータの中では演奏規模が大きい祝祭的な雰囲気の本作はバッハ自身も気に入っ
ていたようで、ヴァイマルでの初演後は1724年に改訂版(リコーダーからフルートに変更され、原曲の
ハ長調からニ長調に移調された)が演奏されたほか、更に手を加えた最終稿(管楽器が省略され、冒頭合
唱曲の反復がなくなり、調性も再びハ長調に戻された)が1731年に演奏されています。
エヴァ・オルティヴァーニ(ソプラノ)
マルクス・フォルスター(アルト)
ベルンハルト・ベルヒトルト(テノール)
ラファエル・ユート(バス)
ルドルフ・ルッツ指揮
バッハ財団管弦楽団
バッハ財団合唱団
バッハ:カンタータ第179番「心せよ、汝の敬神の偽りならざるかを」BWV179
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=hP5zWviUyjM)。
バッハのカンタータ「心せよ、汝の敬神の偽りならざるかを」BWV179は1723年、この年の三位一体節
後第11日曜日である8月8日に初演されました。
この日の福音書章句はルカによる福音書から、『ファリサイ派の人と徴税人』のたとえが取り上げられま
した。この話は高慢なファリサイ人を神は受け入れず、自己を「罪人」と呼んでひたすらに神の憐れみを
乞うた徴税人を神は受け入れるというもので、章句の最後の言葉「だれでも高ぶる者は低くされ、へりく
だる者は高められる」を説くものです。
カンタータはこの話にちなんで、偽善や高慢を警告する厳しい曲調で統一されています。通常のバッハの
カンタータは厳しい内容でもどこかに救いや赦しが確信される部分がありますが、全6曲からなる本作は
最後まで明るくならず、あまり耳に快くない音程が多いため、演奏時間は中規模でありながら演奏難易度
が高いものになっています。
なお、本作の楽章のいくつかはバッハのミサ曲に転用されており、第1曲と第3曲がミサ曲ト長調BWV236
のKyrieとDomine Deusに、第5曲がミサ曲イ長調BWV234の第4曲Qui Tollisになっています。
マグダレーナ・コジェナー(ソプラノ)
マーク・パドモア(テノール)
シュテファン・ローゲス(バス)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
モンテヴェルディ合唱団
バッハ:カンタータ第181番「軽佻浮薄なる霊の者ども」BWV181
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=xdIqBGk6PJ0)。
バッハのカンタータ「軽佻浮薄なる霊の者ども」BWV181は1724年に作曲され、この年の復活祭前第8主日
に当たる2月13日に初演されました。この日の福音書章句はルカによる福音書から「『種を蒔く人』のたと
え」で、神を「種を蒔く人」に、神の教えを「種」にたとえ、神の教えは全ての土地に平等に行き渡るが、
その種が育つのは「良い土地」(信心深い人が大勢いる場所)であると説いています。本作はこの章句に沿
って、神の言葉(種)を芽吹かせる良い土壌となるよう備えよと呼びかける歌詞が歌われます。
初演時の楽器編成は弦とトランペットのみという簡素なものでしたが、後年の再演時にオーボエとトラヴェ
ルソが追加されており、現在ではこの再演時の編成で演奏されるのが一般的です。また、本作は通常のカン
タータでは冒頭に置かれる合唱がなく、いきなりアリアで始まります。更に、普段は最後に演奏される単純
4声体のコラール楽章がなく、途中のアリアやレシタティーヴォにもコラールの素材が使われておらず、作
品中に全くコラールの要素が現われないという、珍しいカンタータとなっています。
ミリアム・フォイアージンガー(ソプラノ)
アレックス・ポッター(アルト)
ユリウス・プファイファー(テノール)
クラウス・メルテンス(バス)
ルドルフ・ルッツ指揮
バッハ財団管弦楽団
バッハ財団合唱団
バッハ:カンタータ第182番「天の王よ、汝を迎えまつらん」BWV182
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=pIXuPhJmEJg)。
バッハのカンタータ「天の王よ、汝を迎えまつらん」BWV182は、彼がヴァイマルで宮廷楽師長に就任した
1714年に作曲され、この年の「棕櫚の日曜日」にあたる3月25日に初演されました。バッハはヴァイマル宮
廷楽師長に就任されるにあたり、新作カンタータを毎月1作演奏する仕事を課されており、そうして作曲さ
れた最初のカンタータが本作になります。
「棕櫚の日曜日(Palmsonntag)」とは、イエス・キリストが十字架にかけられて死んだ三日後に復活した
とキリスト教徒が信じる出来事の一週間前に、エルサレムへ入城した記念日のことで、キリスト教において
はこの日からイエスの死(聖金曜日)を通じて復活(復活祭)の前日までの一週間を「受難週」として特別
視しており、この一週間の始まりの日として重視されます。そういう日に演奏されることを前提として作曲
された本作は、イエスのエルサレム入城にちなんで「イエスを自らの心の中に迎え入れなさい」といった内
容の歌詞が歌われます。
全8曲のうち、最初の2曲はロバに乗ってイエスが入城したという逸話にちなんでのどかな雰囲気ですが、続
く第3曲から第6曲はイエスの受難を主題としており、第5曲を中心に受難を表す暗い曲調で一貫していて、
第7曲の雄大な合唱でようやく受難の暗黒を抜け出し、終曲で第1曲ののどかでのびやかな曲想に戻って、全
曲をしめくくります。作曲にあたってバッハがヴァイマル宮廷楽師長就任後の第1作として力を入れたこと
は間違いありませんが、それでも曲自体は比較的小規模な室内楽の伴奏が付けられており、繊細な作品とい
えます。
アンナ・レイノルズ(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
テオ・アダム(バス)
カール・リヒター指揮
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
ミュンヘン・バッハ合唱団
バッハ:カンタータ第184番「待ちこがれし喜びの光」BWV184
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=soLoeSk5G84)。
バッハのカンタータ「待ちこがれし喜びの光」BWV184は1724年に作曲され、同年の聖霊降臨祭3日目にあ
たる5月30日に初演されました。しかし、このカンタータはこの日のための完全な新作ではなく、以前に作
曲した別の世俗カンタータを改作したものです。当時バッハが赴任していたライプツィヒでは降誕祭・復活
祭・聖霊降臨祭は3日連続で礼拝が行われており、それぞれの日に別のカンタータが必要となるため、バッ
ハは作曲に使う労力を節約するために既存の作品を改作する方法を採ったと思われます。元となった世俗カ
ンタータには「BWV184a」の作品番号が便宜的に付されているものの、楽譜の大半が喪失しており、題名
も不明です。おそらく、バッハが本作で新たに作曲したのは全6曲のうちコラールの第5曲のみで、あとは第
6曲を原曲より拡大した他は曲にそれほど手を加えず、歌詞を教会での演奏にふさわしいものに変更する、
いわゆる「パロディ」を行ったと思われます。
聖霊降臨祭3日目の礼拝で行われた説教は、ヨハネ福音書の「わたしは羊の門である」の逸話に基づいて、
救いを求める人々を羊に喩え、イエスを羊を導く門や羊飼にたとえたものでした。本作の歌詞もそれにちな
み、迷える羊の群れを導くイエスを「喜びの光」とたたえ、イエスによって人々の幸いと祝福が成就すると
歌われます。
なお、バッハが世俗カンタータを教会カンタータに改作した「パロディ・カンタータ」は本作以外にもいく
つかある他、ミサ曲においてもパロディの手法は使用されており、バッハ最後の完成作品であるミサ曲ロ短
調においても、パロディにより他の作品から転用した曲が含まれています。
リサ・ラーション(ソプラノ)
ナタリー・シュトゥッツマン(アルト)
クリストフ・ゲンツ(テノール)
シュテファン・ローゲス(バス)
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮
イングリッシュ・バロック・ソロイスツ
モンテヴェルディ合唱団
バッハ:カンタータ第185番「永遠の愛の憐れみ満てる心」BWV185
Youtubeからの転載です(https://www.youtube.com/watch?v=YP3m_8nzOVc)。
バッハのカンタータ「永遠の愛の憐れみ満てる心」BWV185は1715年に作曲され、この年の三位一体節後
第4日曜日にあたる7月14日に初演されました。
この日の福音書章句はルカによる福音書から、イエスが「人を裁くな」と説く話が取り上げられました。
これは「自分のことを顧みることなく、他人の欠点をあげつらうな」というもので、カンタータもその章
句の内容に沿って、まず第1曲で「神の慈悲によって自らも慈悲深い者となりたい」という願いが歌われ、
続く曲では他人を批判する前に自らの反省を繰り返し求めていく内容の歌詞が歌われます。
音楽様式的には、全6曲の中で合唱は最後のコラールだけ、そして第1曲も合唱曲やシンフォニアでなく、
デュエットのアリアで始まるという小規模な室内楽カンタータです。また、第1曲ではデュエットと合奏の
アンサンブルとのやりとりが印象的で、デュエットの途中でオーボエのオブリガートがコラールの旋律を
奏して割って入るという工夫がなされています。そして、このとき割って入るコラールは終曲コラールの
旋律であり、第1曲と終曲で同じコラールの旋律が奏されて曲全体の統一感が増すという仕掛けになってい
ます。
レジーナ・カービス(ソプラノ)
アレックス・ポッター(アルト)
イェンス・ウェーバー(テノール)
マルクス・フォルペルト(バス)
ルドルフ・ルッツ指揮
バッハ財団管弦楽団
バッハ財団合唱団